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家族旅行のあと、日記が滞ってしまいました。旅行の写真がまだ長女のところにあることも言い訳になりますが・・・。まぁ、それはもう少ししてから書くことにします。いろいろなことが続けざまに起こっています。一つ目は、長女が会社を退職して家に帰ってきます。大学生から家を出たので8年ぶりに帰ってきます(途中ではもちろん帰ってきていますが)。新しい会社は家から通える範囲なんで、当分?は家から通うようです。退職するにあたっては、かなり考えたようですが最終的には身体のことを考えてのことのようです。仕事は同じ関係の仕事を探してきました。土曜日、日曜日は、webデザインの専門学校に通うみたいです。これからは仕事の上で絶対に必要になるようです(今の仕事はグラフィックデザイナーです)。最終的には独立も視野にあるのかも・・・?!まぁ、もう一人の大人として自己責任の範囲で頑張ってもらえればいいのかなぁと思っています。部屋も少しリフォームしてインターネットもできるようにランケーブルも引きなおしました(田舎なのでもちろん光はきていません。電波もちょっと弱いため無線ではなかなか安定しないため有線としました)。私事で言えば、新しいパソコンをネットで買いました。それを機会にwebのプロバイダもちょっと安価なところに変更します。あと2週間くらいで新しいものを開通させます。一番の出来事は、私の椎間板ヘルニアです。まぁ、そんなにひどくはないみたいですが、これまでの無理がこの年齢になってでたみたいです。一時は歩くことも困難くらいでした。今日くらいから普通の生活に戻りつつありますが・・・。まだあまり無理はできません。そんなわけでパソコンもちょっと控えています。また、徐々に復活していきたいと思います。
2010年05月30日
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先週の土曜日、日曜日と家族で長野へ旅行に行ってきました。でもちょっとしたハプニングでした。当初は家族5人全員で行く予定でしたが、長男が学校のゼミの関係でどうしても休めないとのことで、あっさりとリタイヤしてしまいました。この旅行記は、また書きたいと思います。カメラを長女が持ち帰ってしまい、手元に一枚も写真がありません。手に入り次第書きます。6月12日の研修会で1時間30分の講演をしなければならなくなり、慌てて?資料作りに専念しています。配布資料とパワーポイントの二つを作らなくてはならないため毎夜悪戦苦闘中です。i-padが今週日本でも売り出されるみたいです。かなり興味があります。それに先駆けてかどうかわかりませんが、五木寛之さんの「親鸞・上」がネットで無料配信されています。今、読み始めたところです。今日の日曜日は、ちょっと時間ができそうなんで後でまた日記の続きを書ければと思います。
2010年05月23日
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前にも書いたことがありますが、今の政治の混迷ぶりは誰に責任があるのでしょうか。もちろん主導している鳩山首相、民主党に責任があるのはもちろんです。でもそれだけで片付けることができるとは思いません。例えばアメリカ軍の沖縄普天間基地移設問題。沖縄には土地の面積からすればものすごい面積比率でアメリカ軍基地があります。今、沖縄に基地はいらない。その代わりに鹿児島県の徳之島にその一部を移す。これもその島民の皆さんにしてみたら到底受け入れることはできないのは事実です。もしも私がその場にいたらきっとそう声をあげるはずです。幸せなことに私はその場面に身を置いていません。だからこんなふうにこの日記が書けるのかもしれません。私の知っている民主党議員の方と話をすることがよくあります。今はかなり中枢に身を置いている方です。何故、アメリカ軍が日本に駐留しなければならないのか。これは日米安保条約まで遡ることになります。日本は平和だと私たちは思っています。でも地球上では毎日のように戦争が行われているのが現状です。日本だって隣の中国、北朝鮮が攻めてきたら・・・でも攻めてこない。これは日本が恐ろしいからではありません。抑止力が働いているからです。それはアメリカを中心として均衡が保たれていることもあると思います。アメリカがこの地域にいることも大きな影響をもっています。日米安保条約の第5条と第6条。簡単に言えば日本に何かあった時にはアメリカ軍が日本を守る。その代わり日本はアメリカ軍に土地を提供するというのがその中身です。一部の自民党議員の中には、日本の憲法を改正して日本の中に軍隊をおけるようにする。そうすれば抑止力のためにアメリカ軍に駐留してもらわなくてもいい?例えばスイスのように永世中立国となればそんなことはしなくてもいいのかもしれませんが・・・。このことを書いていくといつまでたっても終わりがありません。もっともっと歴史を勉強した上で意見を述べなければいけないんです。今されている議論は、うわべだけで行われている。深く掘り下げて議論されているかもしれないけどマスコミ報道はそうはしていない。私たち国民は、誰かが仕掛けている道をそのまま言われるように歩いているのかもしれません。こうして書いている私もその一人かもしれませんが・・・。
2010年05月14日
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5月8日、早朝に長野県下諏訪に車で向かいました。東名高速、中央道を乗り継いで約4時間です。朝も早かったせいか、土曜日であるにもかかわらずスムーズな流れで気持ちよく走ることができました。この日は、諏訪大社下社春宮での建御柱が行われるため午後から見物にでました。ご存知のように6年に一度の大祭です。山から切り出した御柱を山から挽き出し、それを春宮、秋宮に各4本ずつの合計8本を建て替えるものです。ところがこの日、ものすごい事故が発生してしまいました。すでに新聞、テレビでも大きく報道されましたが、建御柱の最中に御柱が80度くらいになった時に、引上げに使っていたワイヤーの1本が外れてバランスを崩した際に、御柱の上に乗っていた上から3名が地上15mから落下して氏子2名が亡くなってしまいました。3名は命綱をつけていなかったことも非常に不運な結果を生んだことも事実でした。翌日曜日、月曜日と残り7本の御柱を建てなければなりません。御柱に乗る氏子はすべて命綱をつけることを条件に引き続き行われ、無事やり終えたとのことでした。 初めて本物を見ましたが、それは豪快なものでした。あんな事故が起こらなければ本当によかったのですが・・・。翌日の日曜日は、車を富士山の御殿場口新5合目まで走らせ、そこで植樹のボランティア活動に参加しました。今から300年前に富士山の宝永山で火山爆発があり、御殿場口は溶岩と火山灰の影響で森林はものの見事になくなってしまいました。それが影響して、雨がひどく降ると土砂が流失してしまいます。それを防ぐために植樹をして森を復元しようとするボランティアです。あの広大な土地を見ると目が眩んでしまいそうですが、こんな小さな運動の積み重ねがやがてもとの森になることを信じて多くの若者が参加しているみたいです。デジカメを忘れてしまい、携帯電話の画像となってかなり鮮明さがなくなってしまいました。
2010年05月11日
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GW前は、異常なほどの低温が続き野菜が高騰していました。でもこのGWは雨が降らずに気温も高かった(どちらかと言えば高すぎる)こともあり、昨日あたりから野菜の価格も下がってきました。これで野菜が食べられる!特に草食系というわけではありませんが、生で野菜を食べるのが好きです。この時期は「新玉ネギのスライス」なんか最高です。かつお節をかけてポン酢で食べる。これで何もいらないくらいです。その次は「冷やっこ」、ねぎのみじん切りを豆腐が見えなくなるくらいにかけて食べる。これも最高です。ちなみに冷やっこは、毎日食べています。生姜の梅酢付け、まだちょっと生姜がみるい(若すぎる)ので、あまり辛さがありません。もう少ししたら家で漬けます。なんか酒のつまみみたいですが・・・。話は変わりますが・・・今年は3月末の異常な冷え込みのため、お茶の葉が凍ってしまいました。そのために新茶の摘み取りがかなり遅れています。例年ならこのGWは茶摘の真最中なのですが・・・今年は、まだまだです。量が少ないので価格が跳ね上がるのが普通ですが、お茶は残念ながらそうはなりませんでした(今のところはです)。もう少しで新茶が飲めそうです。齢のせいではありませんが、一年365日、熱い緑茶がないとダメなんです。ほうじ茶、ウーロン茶、抹茶・・・海外へ行けばもう諦めるしかありませんが、国内では何としても緑茶が飲みたい。ほうじ茶ではダメです。贅沢を言えばペットボトルの緑茶も遠慮したいです。
2010年05月06日
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またまたカンボジアの食べ物紹介です。これで3回目ですが、これが最後です。あとは3日間で紹介したメニューを繰り返して食べていました。でもやはり肉系が中心となってしまったのは、私にとってはちょっと疲れました。まぁ、これも郷に入れば郷に従えだからしかたありませんが・・・。 鶏は、まさしく鶏です。味付けはちょっと甘辛です。野菜も名前は忘れましたが、料理方法は油で炒めたものです。やはり香辛料でちょっとごまかしているのかなぁという感想です。炒飯はどこに行っても、どこで食べても炒飯でした。これはイケマシタ!カンボジアで飲んだビールの2種類のうちの一つです。もう一つのアンコールビールに比べるとちょっと値段は高めです。さしずめ日本で言うとエビスビールという感じです。でも、カンボジアの都市部を離れた地方のレストランとはいえ、カンボジアではやはり高級部類に属しているのは確かです。次からは、メインのボランティア活動について書きます。
2010年05月03日
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昨日の「その8」では、カンボジア料理のことを書きましたが、もう一回続きを書きます。ボランティアを行う小学校は、街からかなり離れています(車で40分程度)。そのため昼食は、朝食を食べる食堂で弁当を作ってもらいます。ご飯の上に牛肉をのせたもの、あと漬物が少し。毎日このメニューしかありません。さすがに4日も続くといささか飽きてしまいます。水はミネラルウォーターを毎日持って行きます。だいたい一日の作業で2~3本は飲んでしまいます(気温は35℃くらいですから)。小学校に水道はありません。水は井戸から汲み上げます。この小学校にもグランドの端に井戸があり立派なポンプが据えられていました。これはボランティアの日本人の奥さんが亡くなった時に、ぜひ井戸を寄付したいとのことだったそうです。ポンプの横には名前を書いた碑がありました。子ども達は、この井戸が大変気にいっていました。扱ぐことで水が出てくるのが面白いみたいです。帰りが少し早かった時に、ホテルから車で10分くらい走ると海がありました。 ホテルが比較的海に近かったこともあり、レストランも比較的海鮮料理の店が多かったです。味付けはイマイチでしたが、ビールと一緒だとかなりいけました。前の日も書きましたが、比較的香辛料が強いように感じました。でも一番困ったのは、使う取り皿やフォークを使う前に必ずウェットティッシュで拭いてから使うことでした。地方のホテルやレストランでは、こうしないとお腹をこわす原因になるみたいです(念には念を入れていました)。
2010年05月02日
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久しぶりにカンボジアでの生活を書くことにします。あんまり久しぶりだと記憶が薄れてくると困るので・・・。今回はカンボジアでの食事です。食事といっても、毎日、日本流に言えばレストランか食堂に行き、食べて飲んでを繰り返していました。もちろん物価は日本とは比べものにならないほど安いので、その点ではあまり困りませんでした。カンボジアでも観光地に宿泊したので、それも功を奏しているのかもしれませんでした。しっかり食べて飲んで、だいたい日本円で500~1000円でした。(これでもカンボジアではかなり高価な部類かもしれません)ビールは「アンコールビール」か、「タイガービール」を飲みました。日本で言えばアサヒ、サッポロなどの一応一流に値します。私はスッキリ系のアンコールビールを好んで飲みました。料理は、完全なカンボジア料理ではなく、どちらかと言えば中華料理系です。これも日本人には全然問題ありませんでした。ただ魚は、白身の魚しかありませんでした。一匹そのままで煮たものがでましたが、形はやはりちょっとグロテスクでした。味付けもジンジャー(生姜)がふんだんに使われていました。いわゆる匂い消しかもしれませんが・・・。でも魚が好きな私にとっては、大ヒット作品でした。 最後の写真、これは朝食です。固めのご飯の上に鳥の照り焼きを乗せたものです。朝からかなりボリュームがあり、毎日ではちょっとひいてしまいました。
2010年05月01日
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