殿上人日記

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2006年08月04日
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カテゴリ: 長野、山梨の旅

松本城5

   大きく傾いてしまって、おんぼろのかつての
   松本城の、明治時代の頃の「古写真」を見た事が
   あるのだが、壊されもせず、空襲にあう事もなく
   信州のアルプスを望む風光明媚な松本に、よくも
   残ってくれたものだ

   明治維新後には、天守閣が競売にかけられて
   しまい解体の危機にあったが、地元の有力者らの
   尽力によって買いもどされ、保存されたそうだ


松本城9

松本城11

   全体的に黒いため、鴉城(からすじょう)とも
   呼ばれ「カラスジョウヘ、イッテクダサイ」と
   外国人に言われたと、タクシーの運ちゃんが
   話をしていた

   古くは深志城(ふかしじょう)と呼ばれていた


松本城3

松本城7

   平安時代には、信濃国府の置かれた松本は
   中世には、信濃国守護小笠原氏の本拠地であった

   戦国時代になり、武田氏の支配下となったが
   武田氏滅亡後、豊臣秀吉配下の石川数正から
   小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏と
   変わり、寛永期になって、戸田氏が鳥羽から
   転封をし、9代が続いて明治維新に至った


松本城8
                      弓狭間

松本城6
                   天守の最上階の天井

   松本城は、石川数正親子の手になるもので
   五層六階の大天守閣、正面左手の渡櫓、右手の
   乾小天守は、関ヶ原の戦前後には完成をした
   そうで、現存する天守の中では最も古いそうだ

   朱塗勾欄をめぐらす御殿風の月見櫓は、寛永
   年間あたりの増築で、黒門枡形の高麗門と
   袖塀は平成2年に、太鼓門枡形は平成11年に
   復元をされたものだそうだ


松本城2

清正公、駒つなぎの桜

   貞享年間以降は、昭和25年に行われた大規模な
   昭和の「解体修理」で本格的に、修復されるまでの
   260年あまりにわたって、天守が大きく傾いた
   ままの城であったのだが、今は傾いてはいない

   貞享3年、凶作から逃れる為に農民らが、信濃国
   松本藩に起こったという百姓一揆、加助騒動では
   村役人級の農民8人が、1回の取調べもすらなく
   1ヵ月後に磔刑、その家族23人が獄門(斬首)と
   なる、悲惨な結末を迎えてしまった


松本城4

宇宙ツツジ

   その首謀者であった、安曇郡長尾組の庄屋である
   多田加助が磔刑になった時に、天守を睨んで
   絶叫をしたという呪いによって、傾いたといわれる

   また当時の藩主であった水野氏が、39年後に
   六代目藩主忠恒が、江戸城殿中で刃傷事件を起こし
   除封になったのも、処刑者の祟りによると噂された


松本城10

   実際には、軟弱な地盤の上に石垣下の格子状の
   筏と、それを支える為に地中深く打ちこまれた
   多数の杭が、時代を経て朽ちてしまい、土台が
   悪くなって、天守の重みから沈み込んだ事から
   傾いてしまったのが真相のようだ

   栄枯盛衰は世の習い。城には様々な伝説が残される


松本城1

          平成18年7月28日午前撮影







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最終更新日  2006年11月01日 13時07分24秒
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