殿上人日記

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2010年09月13日
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テーマ: 京都。(6125)
カテゴリ: 京都の旅

西陣魚新のお食事と床の間

  大概の京都にある神社仏閣は、既に行った事があるので
  普段は公開をしてないが、期間中は特別公開をしている
  という神社仏閣や、善光寺のような何年に一度の御開帳で
  秘仏を参拝出来るというのを探して出かけている


西陣魚新の井戸

  そんな京都では、秋、春の特別公開に、違った団体主催で
  京の夏の旅、冬の旅・・・と四季折々にあり、最近は特別
  公開でも、既に行った事がある所ばかりだったりして・・・


祇園祭の厄除けちまき

  そんな旅も、予算の関係&自由に動けるから個人(フリー)で
  公共交通機関を使い、直接に神社仏閣に出向くのが普通なの
  だか、この暑さに根を上げて。更にはプランが魅力的すぎて
  ネットで見つけた時に「これに行きたい!」と、即断をした


西神魚新の景気の良い飾り

  非公開の幾つかの宮邸宅、公家屋敷のコースもさることながら
  西陣の格式ある料亭でのお食事もついて、更に老舗の京菓子も
  おやつに食べる事も出来ると至れり尽くせり。その上でバスも
  冷房完備で目的地に直行して、横付けなんだしね。たまには
  こんな楽チンな旅もしてみたい


西神魚新の天井に芸妓のうちわ

  あ、ちなみに費用は京都駅発着で9200円でした。その日は
  週末でもあるので、バス二台に88名のお客様があったそうで
  バスの運行ルートを変えて、どこでも別々に行動できるように
  工夫がされてましたよ


西神魚新の店構え

  そんな訳で、お昼ご飯は早い方の回の午前11時40分頃から
  充分な時間を取っての西陣の料亭は、有職(ゆうそく)料理で
  有名な「西陣魚新(にしじんうおしん)」にやってきた

  ちなみに「西陣(にしじん)」の地名は、応仁の乱で西軍が
  陣を置いたからだという


西陣魚新の玄関に掲げられるのは

  安政2(1855)年から続くという西陣の老舗(しにせ)で
  御所の大礼(即位式)に、お祝い料理を御用達した事もある
  由緒ある料亭だそうで、玄関先には様々な看板も


西陣魚新の雅な座敷

  ちなみに京都における老舗の定義は三代、百年で仲間入りが
  やっと出来るとガイドさんが話されていた。その敷地内には
  藤原定家がお茶に使ったといわれる名水井戸や、室町幕府の
  七松観で知られる松が残っているとか。流石に京都


西陣魚新でお食事

  有職(ゆうそく)料理は、平安時代の公家(貴族)が大臣に
  就任した時などの、大きな宴会で食べられていた大饗料理が
  公家風の料理形式として残された物だそうだが、室町時代に
  確立をされた武家の礼法から始まって、江戸時代に発展した
  本膳料理などの影響も受けているそうだ


西陣魚新のお食事(あと吸い物あり)

  有職料理、精進料理、懐石料理、おばんざいなどを含めて
  京料理と呼ぶ。って訳でお食事の御膳には京都の夏らしく
  鱧(ハモ)とかが美しく並ぶ。この他に吸い物もあった


やんごとないお料理とは

  ご節句飾りなどもされる一角には、この旅を意識をしてか
  1915(大正4)年11月10日に、京都御所の紫宸殿で
  挙行をされ、第123代天皇になられた大正天皇の大礼の
  お料理や記念品などが並べられていた


やんごとない記念品

  京都から東京に天皇さんがいってしまって幾星霜。和菓子の
  虎屋のように、一緒に東京に行かれた老舗もあるだろうが
  京都に残った老舗や市井の人は、どんな気持ちでお迎えを
  したのだろうか


閑院宮の書

  その後、昭和天皇も京都で即位をしたが、今の天皇陛下は
  京都御所から皇居へ高御座が運ばれて、東京で即位式が
  取り行われた

  額に掲げられた書は、天皇家にも所縁の深い閑院宮家六代
  載仁親王(伏見宮邦家親王の王子)のもの


西陣魚新で

  大日本帝国陸軍の元帥陸軍大将であった親王は、昭和20
  (1945)年5月に81歳で薨去をされ、大日本帝国の最後の
  国葬をされた人物だ

  閑院宮(かんいんのみや)とは、四世襲親王家の一つで
  江戸中期に東山天皇の皇子の直仁親王が創設した宮家だ


閑院宮邸宅表門


  その当時、皇位継承予定者以外の親王は、世襲親王家を
  継承する者を除いて、出家をして法親王となるのが慣例で
  あったのだが、承応3(1654)年に、後光明天皇が22歳で
  崩御をされた時に、近親にあたる皇族男子らは殆どが
  出家をしており、いったん出家した皇族が還俗をして
  践祚した例はなかったそうで、後継問題で紛糾をした


閑院宮邸宅


  皇統の断絶を危惧した新井白石が、徳川将軍家の御三家の
  ように、補完する新たな宮家が必要であると建言を行って
  寛永2(1625)年の有栖川宮(高松宮)が創設されて以来
  宝永7(1710)年、東山天皇皇子の直仁親王が閑院宮を
  創設することになった


御所周囲の宮殿


  閑院宮邸は京都御苑の南西部に与えられて、場所を変えずに
  江戸時代の遺構を残した唯一の宮家屋敷である。閑院宮邸は
  正徳6(1716)年に造営をされたのだが、天明8(1788)年の
  天明の大火で焼失し再建をされて、明治となって閑院宮家が
  東京へ移住してからは、華族会館や裁判所、宮内省京都
  支庁に使用をされた


鵺(ヌエ)

  平成15年から18年にかけて、全面的な改修と周辺整備が
  行われ、主屋は中庭を囲む木造平屋建の四つの棟で構成
  されて、京都御苑の自然や歴史について展示する展示室が
  設けられ一般に無料で公開をされている

  夜鳴く鳥の鵺(ヌエ)の寂しげな鳴き声は、平安の人々には
  不気味に聞こえて、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや
  大事が起きないよう祈祷したという。トラツグミであるそうだ


雅な人の生活の名残

  世襲親王家(せしゅうしんのうけ)とは、定親王家ともいい
  江戸時代に当今の天皇との血統の遠近に拘らず、代々
  親王宣下を受ける事で親王の身位を保持し続けた四宮家
  閑院宮の他に、伏見宮、桂宮、有栖川宮がある


修復された閑院宮邸宅

  病気がちであった後桃園天皇が、安永8(1779)年に
  22歳で崩御し欣子内親王しか子がおらず、閑院宮家より
  急きょ、師仁親王(即位後は兼仁に改名)を養子を迎えて
  光格天皇として即位(欣子内親王は後の光格天皇の中宮)
  よって、今の天皇陛下は閑院宮家の系統であるそうだ


祝いの姿

  閑院宮邸から出たら、華やかな衣装をまとった花嫁の記念
  撮影。脇の花婿に、姉が「おめでとうございます!」と言葉を
  かけると、「ありがとうございます♪」と晴れやかな花婿の声


閑院宮邸

           平成22年9月5日に京都で撮影







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最終更新日  2010年09月13日 15時46分02秒
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