殿上人日記

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2014年06月18日
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カテゴリ: 美濃の旅



梅雨らしいどんよりした空ではありながら、雨は
さして降らない。全国でも局地的なゲリラ豪雨は
降っても、シトシトしたような静かな雨でもなく
まぁ暑くないからいいけれど半袖は2回着た位で




今朝も暑くもなく寒くもないような、室温22度
だったりします。来週は旦那もずっと出張でおらず
急きょ娘の方で用事が出来たので、来週は松本の
予定。あそこに電話したりこちらに連絡入れたり
どたばたしそうです~




その合間のレディースデーで、映画なんかも安く見たい
春を背負っても始まってんだ~。ノア約束の舟とか
ポンペイも気になるし・・・・その後には上手くしたら
旅行にもでかける予定なので、梅雨の後半は大忙しに
なりそうです




そういった訳で近況報告を簡単にしましたが、写真の方は
昨日のカラスやもにょもにょ、自衛隊機に、鷺、鯉、亀
なども見物が出来た、多治見市の「虎渓山永保寺」です
ちゃんとお寺の建物なども拝見してきました




国宝の観音堂は、桁行三間 梁間三間 一重裳階付 入母屋造
桧皮葺で水月場とも観音閣 とも呼ばれ、正和3(1314〉年
頃に建立されたと言われ、鎌倉末期の唐様建築をよく表さ
れたものだそうです




ウィキペディアより
>鎌倉の地で夢窓疎石と元翁本元が修行し、また土岐頼貞との
>接点が生まれた。(中略)夢窓疎石は、1312年元翁本元と
>ともに元翁の故郷である三河の大徳寺に逗留。1313年土岐
>頼貞の招きにより、頼貞の父・土岐光定(1281年4月8日没)の
>33回忌を定林寺で厳修した。その後土岐頼貞の別邸または
>砦があったと推察される長瀬山の麓に庵を結ぶ。




>『虎渓山略縁起一人案内』によれば、正和2年(1313年)
>6月18日に長瀬山の麓を目指していた夢窓一行が道に迷い
>白馬に乗った女性に道を尋ねた所、返事が無かった。
>そこで夢窓は「空蝉(うつせみ)のもぬけのからか事
>問えど山路をだに 教えざりけり」と歌を詠んだ。




>すると女性は「教ゆとも誠の道はよもゆかじ我をみてだに
>迷うその身は」と返歌して忽然と消え失せ、付近の補陀岩
>上に一寸八分の観世音菩薩像が出現した。夢窓はこの
>観世音菩薩像を本尊とし、1314年に水月場(観音堂)を
>建立した。




>当初「古渓」と称していたが、後に中国廬山の虎渓に因み
>「虎渓山」と称するようになった。廬山虎渓の風致が当地に
>似ているとする記述も見られるが、夢窓が渡航した記録は
>無く、むしろ鎌倉建長寺の中国僧一山一寧のもとで修行して
>いたことにより、当時の廬山での禅修行の風致を虎渓山に
>求めたものと推察される。




観音堂の前にある臥竜池(別名心字池)に架かる「無際橋」は
1478年の書から存在が知られ、度々架け替えが行われ今の
2003年に修繕が完了したもので、日本の橋100選の一つで
煩悩にまみれた世界と、煩悩から解放された世界を結ぶ橋だとか




6月の13日の金曜日の朝。寺につく前には空は曇っていたが
寺に着いて観音堂のあたりをうろついていたら、空に晴れ間が
広がって、日の光が入ったら灰色だった観音堂の屋根も茶色に
なった。そんな訳で暗めの写真と明るいのが混在している




梵音岩の上からは、湧水を集めた流れが滝となって流れ落ちて
幽谷の雰囲気を醸し出している




梵音岩上に建つ「六角堂(霊擁殿)」には千体地蔵がまつられ
ている




奥まったところにある国宝の入母屋造檜皮葺きの「開山堂」は
南北朝時代に建たてられ、開祖の夢窓疎石や開山の仏徳禅師
(元翁本元)の座像も祠堂にある。ここは夢窓疎石や元翁本元が
庵を結んだと言われる僊壺洞の辺りだそうだ




後醍醐天皇の命により夢窓疎石は京都南禅寺に入られる事と
なり元翁本元も夢窓疎石に伴われ、南禅寺に正的庵を設けて
この地を去った




>後醍醐天皇による建武の新政は足利尊氏によりわずか
>2年で失敗に終わり、光明天皇が擁立されて南北朝となり
>暦応元年(1338年)に足利尊氏が征夷大将軍となる。




>永保寺は暦応2年(1339年)に北朝の光明天皇勅願所とされ
>経済的基盤が確立するとともに、開山元翁本元の門派が一流
>相続する独立的存在の門徒寺とされた。




という訳で、かなり格式の高い寺として興隆をしていたようだ

そんな訳で「夢想疎石」の話でも。お名前知ってますか?



ウィキペディアより
>夢窓 疎石(むそうそせき、道号が夢窓、法諱が疎石、
>建治元年(1275年 - 観応2年/正平6年9月30日(1351年
>10月20日)は鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期に
>かけての臨済宗の禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱、母は
>平政村(北条政村か?)の娘




>1330年には甲斐に恵林寺を開き、1333年に鎌倉幕府が滅亡
>すると建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて上洛、
>南禅寺に再住し、臨川寺・西芳寺の開山にも迎えられ、
>国師号を授けられた。




>生涯にわたり、夢窓国師・正覚国師・心宗国師・普済国師・
>玄猷国師・仏統国師・大円国師と7度にわたり国師号を歴代
>天皇から賜与され、七朝帝師とも称される。

また歴代天皇の他、足利尊氏からも信頼を得ていたようだ




多くの寺院の庭園を設計したのでも名高く

>西芳寺庭園 - 京都市西京区。世界遺産、国の特別名勝
>天龍寺庭園 - 京都市右京区。世界遺産、国の特別名勝
>永保寺庭園 - 岐阜県多治見市。国の名勝
>瑞泉寺庭園 - 神奈川県鎌倉市。国の名勝
>恵林寺庭園 - 山梨県甲州市。国の名勝
>覚林房庭園 - 山梨県身延町。町指定文化財ほか




って方です。疎石の言葉で「山水には得失なし、得失は
人の心にあり」とあり、意味は 「山や川に損得はない。
自然に対して損得を見出す人の心に損得があるのだ。」




小泉八雲の「怪談」にある「食人鬼」は、美濃国の山奥で
餓鬼道に落ちてしまった僧に夢窓疎石が出会い、その魂を
救うという話であるそうだ




地方にも、このように京都や奈良、鎌倉にもひけをとらない
神社仏閣もあるので、是非そんな隠れた名所を巡る旅をする
のも面白いのかもしれない




              写真は2014年6月13日の金曜日に多治見で撮影





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最終更新日  2014年06月18日 13時41分46秒
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