殿上人日記

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2017年11月24日
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カテゴリ: 京都の旅
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ロダンの作品である。11月も半ばにやって
きたのは10月下旬に続いての京都国立博物館
ブログで紹介した国宝展の前半(10月)と
後半(11月)はかなりの作品数が入れ替えに
なるので




11月15日(四期)に、国宝を見る為
姉と再び京都国立博物館にやってきました
今回は金曜日ではないので午後6時に閉館
するので午後早くに入館した為、入館待ち
時間30分。中も前回の夕方の観覧時に
比べてかなり混んでいました




まっ、それでも見れない訳でもなくって
日本の肖像画を代表する「神護寺三像」も
最前列で、じっくりと観覧が出来ました
ちなみに正式には「絹本著色伝源頼朝像、
絹本著色伝平重盛像、絹本著色伝藤原
光能像」といいます




普段は前の2点は京都国立博物館に、伝
光能像は東京国立博物館に寄託されている
ので、三像が揃ってというのは、かなり
異例の展示でした。もう、これだけ見れた
だけでも大満足ですが、ただ大きな画像で
あるだけに、もう少し離れた所から三つの
肖像画を見比べたいところですが、常時
人が群がり叶いませんでした




更に大きく横に長い屏風を、最前列での
かぶりつきでアップで見ても、魅力半減
もっと離れた所から全体の構図や雰囲気を
楽しむものなのに、2メートル位は離れた
所に仕切りバーでも作って、多少なりとも
遠くから観覧をするとか出来なかったかな




西本願寺にあったものが大正時代に鉄道王の
根津嘉一郎の所蔵となり東京の根津美術館が
所蔵する尾形光琳の代表作「燕子花図屏風」や
円山応挙の「雪松(ゆきまつ)図屏風」、与謝
蕪村の「夜色楼台図」が揃うのも四期の目玉で
あったそうだ




更にそろい踏みと言えば、2期では空海と
最澄の書があったが今回は平安時代中期に
「和様の書」を大成した小野道風、藤原佐理
(すけまさ)、藤原行成の「三跡」揃い踏み
それぞれの分野ごとでもテーマなども決めて
いたみたいだ




凄みがあるといえば京都の曼殊院の不動
明王像(黄不動)だったが、その腹部に
小さな不動明王が描かれているのが最近
わかったそうだ。黄不動は秘仏で普段は
非公開であるそうで、このような機会は
なかなか無いので見入ってしまった




こうして二期と四期の2度の来訪によって
かなりの国宝を見る事が出来た。盛況だった
国宝展も今週末11月26日まで。京都国立
博物館の野外展示には、平安京で使われた
石材などもあった




写真が前後するが、昼前には京都駅に
到着し、まずはホテルに荷物を預けて
三条河原町付近で、昼食を食べようと
うろうろしてたら木屋町で幕末の志士
桂小五郎が滞在した対馬宗氏の屋敷跡




こちらは土佐を脱藩した天誅組の吉村
寅太郎であるが享年27で射殺された
その辞世の句は、吉野山風に乱るる
もみじ葉は我が打つ太刀の血煙と見よ




そして同じく土佐の武市瑞山。通称は半平太で
武市半平太の方が有名かもしれない。竜馬とは
遠縁にあたり、京洛における尊皇攘夷運動の
中心的役割を担った(土佐勤王党)が、主君に
対する不敬行為という罪目で、半平太は切腹を
命じられ、三文字割腹の法を用いて腹を三度
かっさばいた後に、介錯が心臓を一突きした




そして志士らに多大な影響を与えた兵学者
にして思想家の松代藩の佐久間象山は元治
元年、西洋かぶれのイメージから攘夷主義
者に暗殺をされた。後年には兵制の確立を
行い陸軍の父と呼ばれた長州の大村益次郎も
明治2年に急激な変革を不満に思う者らに
襲われて暗殺された地だ




そして三条通りにあるのがだんだら模様の
浅黄色の羽織の新選組が、京都を焼き尽く
そうという計画をしていた志士らの会合を
していた池田屋に乗り込んだ。今は居酒屋
三条木屋町は幕末は随分ときな臭い土地柄で
あったようだ




そんな三条木屋町で1日目のランチという事で
事前に調べてたお豆腐屋さんの位置がいまいち
判らず、歩いてて偶然に980円ランチの看板を
見つけて入店したのは、長年京都で愛され続けて
きたという「円居」プロデュースの「京都洋食
ムッシュいとう」




ブッフェ形式で、いつも食べきらない程
皿にのせて後悔するので、今回は野菜を
中心にヘルシーな感じで。後から美味し
かったお魚のお料理とかおかわりしました
ここのフレンチトースト、最後の一つのを
持ってきたけど美味しかった。横の女の
子は皿に数個は積み上げていて、私がいる
間は追加されなかったのが残念だった




あっ写真の下部の怪しげなのは心霊系では
なくてスマホを構える私の指です。そんな
心配もしちゃいそうな瑞泉寺は秀吉により
女子供も含めた一族郎党が三条河原で処刑
された豊臣秀次一族の供養がされた寺だ




その中には東国一の美女と呼び声の高い
最上義光の息女、駒姫もいたのだか享年
僅かに15歳。側室として召し出されて
京都についたばかりで、秀次に目通りを
する事もなくこの世を去った戦国の悲運に
見舞われた少女で、右側に立て看板がある




その辞世の句は、「罪なき身を世の曇りに
さへられて共に冥土に赴くは五常のつみも
はらひなんと思ひて罪をきる弥陀の剣に
かかる身のなにか五つの障りあるべき」

>彼女らの遺体は遺族が引き渡しを願った
>が許されず、その場で掘られた穴に投げ
>込まれ、さらにその上に「畜生塚」と
>刻まれた碑が置かれた。ウィキペディアより




そんな訳でホテルに荷物を預けてから
バスで1本の京都国立博物館で午後には
国宝展を見て、夕刻には再び戻ったが
ホテルにチェックインをするのにも早い
ので、少し手前のバス停で下車をして
祇園界隈をうろうろと




京都五山の第三位で国宝展の第二期でも
見た俵屋宗達の風神雷神がある建仁寺で
右側の塀は五本筋築地塀といい、皇族や
摂家にも用いられたもので、皇室に由来
する格式の高い寺院の証拠でもある




建仁寺の塔頭の正伝永源院には、信長の
弟で、千利休に弟子入りし茶道の宗匠と
なった織田有楽斎のお墓があるようだ
ここに有楽斎が建てた国宝の如庵は今は
愛知県犬山市に移築がされている




祇園をてくてく




にゃん




前から祇園で抹茶パフェを食べたいと
思っており、どこに行くか迷ったけど
今回は「祇園小石」にした




ここは飴屋さんで、様々な飴の試食も
させてくれるし、後で会計時にも袋に
入った小さな飴を二粒貰った




といった訳で飲食コーナーで、念願の
抹茶パフェをパクっと。大きな栗とか
白玉がこぼれ落ちそうだ




姉の方はクリームあんみつ




こういった細い道は大好物。向こうに
抜けられそうだ




その先の祇園の白川には、鷺




京都御所から辰巳の方向の守護神と
される辰巳大明神(辰巳神社)は今は
芸の上達を祈願する舞妓さんや芸妓の
信仰を集めているんだそう




京の街も、そろそろ夜の帳がおりてきて
薄暗くなった中を、急ぎ足でホテルへと
向かった。とは言っても日が短いだけで
まだ午後5時位なんだけども




紅葉シーズンも始まった時期だけに
平日とはいっても10月下旬よりも
空室も少なく、宿泊料金自体も高く
どこに泊まるかをネットのサイトで
物色。二人で2万数千円のが良いが
高い。2万円は程々、1万5千円は
安いがちょっとねっ・・・て、迷って
しまい、決めかねたままでいたら




泊まりたかったけど高めなので、躊躇を
していた交通の便の良い東山三条にある
ホテルのレディースプランが直前割りと
なり二人で税込み2万円ポッキリで出た
ので、即予約をした




京都花ホテルは小さなホテルだが、全館
禁煙で、Wi-Fi完備、女性に優しいとの
コンセプトだそうで、このレディース
ルームでも様々な工夫があり、コーヒー
メーカーも。早速ココアを飲んでみた




香りも選べるアロマスタンドとか、色んな
女性に好まれる備品も揃っていて、他に
フットマッサージ器や、空気清浄機なども




マットレスは浅田真央などの宣伝で
有名なエアウィーブ。フェイスマスクに
休足時間。入浴剤も色々と揃っている




シャンプー&リンスも自分好みのものが
選べるように浴室に幾つも置かれていた




部屋に入る前にはウェルカムドリンクの
コーナーも出来ていて、セルフで飲物を
楽しむ事も




ここから2日目です。昼頃までに観光を
済ませて、預けた荷物を取りにホテルに
戻るついでに祇園でお昼を食べて帰ろう
かと。何やらかわいい郵便局を発見




さてお昼の方は、お好み焼きの原点とも
言われる一銭洋食。ウィキペディアから
>大正時代の駄菓子屋で、水で溶いた小麦粉に
>刻みネギやわずかな肉片などを乗せて焼き、
>ウスターソースを塗ったものが「洋食」と
>銘打って売られていた。




>起源は不明であるが、この種の料理を洋食と
>呼ぶのは西日本に限定されるため、おそらくは
>大阪または京都が発祥と思われる。(神戸では
>「肉天」と呼び、洋食という言葉は使用され
>ない)洋食焼きは当時1枚一銭で売られていた
>為に「一銭洋食」と呼ばれるようになった。




>具材はねぎ、千切りキャベツ、ひき肉、すじ肉、
>こんにゃく、かまぼこ、もやし、魚粉、豆類、
>天かすなど多岐に渡り、店や時代によって様々
>である。洋食焼きは戦後も「拾円焼き」「五〇
>円焼き」などと銘打って店舗の軒下などで
>作られてきた




そんな今は懐かしい一銭洋食を、懐古的に
商品化。お店の方もレトロな感じの祇園に
ある「壹銭洋食」。さすがに洋食と銘打つ
だけあって、かなりコテコテ。薄味だった
関西で、こんな濃い味が好まれたのはなぜ?




再びの祇園白川。外国人観光客が何やら
巽橋上に集まり、囲みで撮影してたのは
観光客がレンタル衣装で舞妓姿になってた
なんちゃって舞妓さん。今風のお嬢さんが
安っぽい着物で、それを本物の舞妓さんと
勘違いしてしまうのはまずいなぁ~と懸念





親しんで貰うのにも、すごく良いと思う
けど、なんちゃって舞妓さんはね・・・
日本人より、日本通の外国人も多いから
本物と勘違いする事はないと信じたい




バスの車窓から、ぼ~と外を見ていたら
四条通りで、本物の舞妓さんのチラ見が
出来た。淡い色の上品そうな着物を背筋を
伸ばしキリっと着こなし、日本髪を結った
薄化粧(すっぴん?)の若い女性だけど
見るからに、観光客とは全く違う




こちらは絢爛豪華な着物を身にまとった
本物の花嫁さん。ここに小さな結婚式場が
あって、よく花婿花嫁の写真撮影を行って
いたりもする。という訳でホテルで荷物を
受け取り、すぐ脇の地下鉄駅から乗車して
あっと言う間に京都駅に到着




一銭洋食だけじゃお腹もいっぱいにも
ならないし、新幹線に乗る前に京都で
和風スイーツを、もう一品という訳で
地下街のポルタで、江戸期の弘化年間
創業の雑殻問屋であったという京阿月の
栗ぜんざい




主要商品が「小豆」であったので社名を
「阿月」とした京菓子や甘党の店である
さて今回の二度目の京都は、国宝展の他に
紅葉もポイントだったが、それについては
また今度。さて、どこのお寺でしょうね?




      平成29年11月15&16日に京都で撮影

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最終更新日  2017年11月24日 13時48分25秒
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