殿上人日記

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2017年12月01日
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カテゴリ: 京都の旅


テレビやネットニュースで、紅葉時期の
京都の寺社における観光客の迷惑行為を
報道をしていた。お土産に持ち帰ろうと
ぶちぶちと紅くなった葉を枝からちぎる
高齢女性が次々に映り、葉の無くなった
枝が痛々しい




はらはらと葉が舞い落ちる風情が好きだと
枝を揺すっては葉を落とす高齢女性とか
カメラマン同士が場所取りでなのか喧嘩
して、写真撮影を禁止したお寺(記念写真
程度ならOK)とか、自分勝手な人たちに
つける薬はなさそうだ




2期の国宝展で出かけた10月下旬の
京都2日目は生憎のお天気で、あまり
歩きたくもなかったし、雨の日の風情を
楽しむならここかなぁ~とやってきた
お寺は東山の南禅寺。ひと月もしたら
この緑の葉っぱもみんな真っ赤に色づく
事だろう




歌舞伎の「楼門五三桐」で、石川五右衛門が
南禅寺の三門の上から満開の桜を眺めて言う
台詞は「絶景かな、絶景かな。春の眺めは
価千金とは小せえ小せえ。この五右衛門には
価万両・・・」との事。しかしこの門だけど
五右衛門の死後30年後に再建されたものだ




門とは鳥居同様に外部の邪悪なものと内部の
聖なるものとの境界に位置し、邪悪なものは
一切入らない結界の印が「しきみ(閾)」で
あったのが「しきいき」→「いしきいき」→
「しきい(敷居)」という言葉に転化された
したがって神聖な「敷居」は、またぐもので
踏んではいけないそうだが座っていいのか?





寺社は観光施設ではなくて、宗教施設であると
いう事を今一度われわれも認識する必要がある
のかも。藤堂高虎が、大坂夏の陣で戦死をした
一門の武士らの冥福を祈る為に寄進したものだ

三門とは空門、無相門、無願門の三境地を経て
仏国土に至る門の事で三解脱門を表すとされ
〇〇山の山号より山門という事もあるそうだ




天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽による
もので、知恩院三門、身延山久遠寺と共に
日本三大門の一つでもある。三門の中には
門に扉を設けないものもあるが、これは
一切衆生が、仏門に入る事を拒まない仏の
大慈悲心を表すものだとか




実は私が子供の時に、亡き母親と最めて
京都に来た時に訪れたのが南禅寺だった
(他には方広寺、豊国神社)。その前の
年位に叔父親子と東本願寺に行ったのが
初・京都寺社拝観になったのだけど




やっぱ母親に連れられ出かけた南禅寺の
思い出は今も色あせる事は無い。先程の
三門は重要文化財だが、方丈(大方丈と
小方丈からなる)は国宝に指定をされて
いる。大方丈は慶長期の御所建て替えに
際し、天正期に建設をされた女院御所の
対面御殿が下賜されたもの




名勝に指定をされている方丈前の枯山水
庭園は「虎の子渡しの庭」といい、小堀
遠州の作庭だとか。虎の子渡しと言えば
竜安寺のそれでも有名だが、その由来は
      ウィキペディアによれば↓




>虎は、3匹の子供がいると、そのうち
>1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放って
>おくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を
>食ってしまうという。そこで、母虎が
>3匹の虎を連れて大河を渡る時は次の
>ようにする




>母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう
>岸に渡してからいったん引き返す。次に
>残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に
>行くと、今度は、どう猛な子虎だけを
>連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、
>3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。




>この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹
>だけが残っているので、母虎は最後に
>これを連れて向こう岸へ渡る、という
>中国の説話(虎、彪を引いて水を渡る)に
>基づくものである。




こちらは妙心庭。お庭などは写真の
撮影が出来るが、建物の中は撮影禁止に
なっているので写真はありませんが




>大方丈の間取りは六間取で、南側が西から
>順に花鳥の間(西の間)、御昼の間、麝香の
>間、北側が西から順に鶴の間、仏間(内陣)
>鳴滝の間である。建物の東端は幅一間半の
>細長い部屋で、柳の間と呼ばれる




>仏間を除く各室に桃山時代、狩野派の
>障壁画があり、計124面(附指定4面を
>含む)が重要文化財に指定されている。
       ウィキペディアより転載

接続して建つ小方丈は、寛永期のもの
だそうで、障壁画は狩野探幽の作と伝え
られるが、作風上からは数名の絵師に
よるのであるらしい。南禅寺については




>臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。
>山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平
>興国南禅禅寺である。本尊は釈迦如来、
>開基(創立者)は亀山法皇、開山
>(初代住職)は無関普門(大明国師)




>日本最初の勅願禅寺であり、京都五山
>および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの
>寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も
>高い格式をもつ。(略)南禅寺の建立以前
>この地には後嵯峨天皇が文永元(1264)年に
>造営した離宮の禅林寺殿があった。




>亀山上皇は正応2(1289)年、40歳の
>時に落飾(出家)して法皇となった。
>2年後の正応4年(1291年)、法皇は
>禅林寺殿を寺にあらため、当時80歳の
>無関普門を開山として、これを龍安山
>禅林禅寺と名づけた。




↑ウィキペディアより転載
それが南禅寺の前身となるらしい
時代が下り、応仁の乱などで焼失し
荒廃した寺を再興したのは、徳川
家康の側近として幕府の法律の立案
外交、宗教統制を一手に引き受けて
その権勢から黒衣の宰相の異名を
取った以心崇伝である




そして南禅寺と言えば三門同様に有名
なのが、この水路閣である。片平なぎさ
さんとかが佇んでいると、どこからか
現れる狩矢警部。色んな男優さんが演じ
られているが、私的には若林豪さん




皆さんもきっと、テレビか何か一度
くらいは水路閣を見た覚えがあるの
ではないでしょうか。この紅葉なども
真っ赤になればさぞかし綺麗だろうな
でも京都の秋の特別公開とか、紅葉
より一足早く京都に出かける事が多い




向こうからも、早くどかないかなぁ~と
思っているだろう観光客。何でも南禅寺
境内は一脚、三脚による写真撮影は禁止
みたいだ。今後、このような流れはより
増えてくのではないのかな




ボケて、なんだかフォトジェニック
これだけ見たら京都だとは思われず
スペインあたりな佇まいも。水路閣
であるが、建設当時は京都の景観を
破壊すると反対の声もあったそうだ




琵琶湖から京都市内へ水を引いている
琵琶湖疎水の為のものであり、上部に
水が流れている。明治維新で都も東京に
なってしまい、産業も停滞しつつある
京都に元気を取り戻そうとして始めた
京都の年間予算の2倍を要した明治の
一大プロジェクトである




疏水の水力によって新しい工場を興し
舟で物資の行き来を盛んにしようという
計画だった。水路閣は明治21年に完成
南禅寺境内を通過する為、周辺の景観に
配慮して田辺朔郎が設計、全長は93.2
メートル、幅4メートル、高9メートルの
レンガ、花崗岩造りだ




ここもまた、雨の日はしっとりと
した雰囲気が良く、ホテルで起きて
朝の雨を受けて南禅寺に久しぶりに
行こうかなと思いついた訳でして




東山の麓で冷えるのは、10月末で
あるのに少し色づき始めてた塔頭の
天授庵は細川幽斎が復興したお寺で
2013年のそうだ京都、行こうの
秋のキャンペーンで使われた紅葉の寺




先程の以心崇伝が中興の祖である塔頭の
金地院にある東照宮。寛永5(1628)年の
造営で権現造り様式。家康の遺髪と念持仏
とを奉戴しており、国の重要文化財に
指定されている




応仁の乱の西軍の総大将であった山名
宗全の墓所があるのは塔頭の真乗院だ
結構、南禅寺って戦国武将にゆかりの
あるお寺であったみたいだ




応仁3(1469)年、東軍が西軍本陣に
斬り込んできた際には齢66歳ながらも
具足をつけて刀をとり庭に出て、敵兵
を追い払ったという記録もあるんだとか
西軍の諸将からは宗全入道とか、赤入道
などと呼ばれていたんだとか




明治期に作られた蹴上インクライン
(傾斜鉄道)のトンネルは、レンガを
斜めにする事で強度を増させ、その
形状からねじりまんぽ(まんぽは鉄道
下のトンネル)と言うそうで、それを
くぐれば地下鉄の蹴上駅もすぐだ




蹴上駅からすぐの南禅寺みたいに駅近で
便利なのが二条城で、城内を歩くので雨の
日の観光にももってこいだ。南禅寺の
方丈もだけど、以前は本物の障壁画で
あったのが、その保存を考慮し複写画
などが御殿に使用をされている




本物の障壁画は、収蔵庫などで厳重に
収蔵されるようになった。それが時期に
よって交代で公開をされており、今回は
大政奉還150周年記念展示第2弾:歴史の
舞台 〈大広間〉一の間・二の間の障壁画の
本物を見る事が出来た




二条城は足利将軍家のものや、信長が足利
十五代将軍に作った城や、自分の宿泊所を
作り、後に皇太子に寄進をしたものなども
あったが、今のものは関ケ原の戦いに勝利
した徳川家康が、京都滞在の為に作った城
であるが、朝廷は二条亭と呼んでいた




家康と豊臣秀頼の会見が行われたり、秀忠の
娘の和子が二条城から後水尾天皇の元へ入内
後水尾天皇の御幸も行われた、徳川の栄光の
城も、慶応3(1867)年10月14日に
徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上すると
いう大政奉還の場ともなった




黄金ソフト、秋麗(あきうらら)という
神々しいソフトクリームを売っていたが
寒い雨の日というのは関係なく、看板の
写真を撮った。お見送りは前日に出かけた
国宝展をしていた京都国立博物館のトラりん






         平成29年10月28日に京都で撮影

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最終更新日  2017年12月01日 17時36分31秒
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