殿上人日記

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2019年02月24日
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テーマ: 海外旅行(7536)
カテゴリ: 旅のいろいろ
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1月下旬に娘と出かけた上海、無錫、
蘇州の旅。二日目の午前中には、無錫
では、太湖や真珠のショッピングの他
「南禅寺」にも出かけました




繁華街にある南禅寺の門前には、前回
紹介をした沢山の電動自転車が停めて
あった。日本でも神社仏閣、城郭とか
大好きなので




南禅寺と言うと、京都東山のお寺が思い
浮かびますけど日本全国に清水寺がある
ように、良さそうな名のお寺は中国にも
ある訳で、無論、無関係な訳でして




中国の南北朝時代に江南に存在をした
梁の初代皇帝であった武帝(蕭衍)は
大変に仏教への信仰心があり、自らを
「三宝の奴」と称して、都の建康には
700もの仏教寺院があったという




交流のあった朝鮮の百済は、梁に使者を
送って、仏像や経典を求め、更に日本に
百済を通じて、仏教が伝来をしたという
538(一説には552年)年も、梁の時代
であったのだ




聖徳太子が憲法十七条において「篤く三宝を
敬え」と語り、聖武天皇も自らを「三宝の奴」と
称したのは、いずれも梁の武帝の影響である
という




武帝の時代であった520年には、インドから
広州に渡っていた達磨を健康に迎えて、問答を
したという。達磨はのちに少林寺に入り坐禅の
修行を重ねて、中国の禅宗の開祖となった




さてさて健康と言う梁の都であるが、三国の呉
時代に建業と言っていたのを、司馬氏が建康と
改名して東晋の都とした。その後も宋、斉、梁
陳と続いた南朝の都として六朝文化がこの地で
花開いたのだ




陳が隋によって滅ぼされた時に、都城は破壊を
されて名も江寧と改められ、隋は都を長安の
近郊にある大興城に遷した為、建康(江寧)は
地方の一都市となってしまったのだが、その後
明の首都として復興し、「南京」と呼ばれた




そうそう武帝とは、中国の皇帝の諡号の一つで
武力で国土を広げた皇帝や、戦乱を平定した皇帝に
送られる諡号なんだとか。有名なのは前漢の武帝で
次いで西晋の武帝、三国時代の魏の武帝(曹操)、
そして梁の武帝なんだとか。他にも幾人もいる




唐の詩人の杜牧の「江南春絶句」によれば
千里鶯啼緑映紅 (千里鶯啼いて 緑紅に映ず)
水村山郭酒旗風 (水村山郭 酒旗の風)
南朝四百八十寺 (南朝 四百八十寺)
多少楼台煙雨中 (多少の楼台 煙雨の中)




とあって、南京には南朝のたくさんのお寺が
建ち並んでいたそうだ。そんな武帝の時代に
ここ無錫に、南禅寺が創建されたそうだ




元は护国寺(護国寺)と呼ばれていたのを
唐の高宗が灵山寺という名前に改名。更に
北宋の仁宗皇帝が福圣禅院と改名をしたが
このお寺が無錫の南にあったので、人々が
南禅寺と呼び始めたのが定着し、南禅寺と
なったそうだ




妙光塔の高さは43メートルあり、北宋の
雍熙の時代に建築が始まったそうである
この塔は有料で登れるそうだが、格安ツアー
なので時間キツキツで登る時間などなかった




有料施設などますます近寄らない。考えるに
オプショナルでお金を払わなかった、本来の
観光スポットで有料施設だったのは、たった
一つだったと思われる




このお寺も境内の参拝自体は、無料だったし
無料の博物館に、街歩き、湖畔の散歩などなど
その点を娘に指摘すると「うちでのいつもの
旅行と同じだね」。ハイ、うちも観光先は
街歩きや無料施設ばかりでした




そして本来であれば旅行のメインスポットで
あるような上海雑技団や、上海の夜景クルーズ
などはお高めのオプション料金を払って下さい
というのが格安旅行の特徴だ。まだ昼食が込み
だけいいよ。




国内の格安旅行の場合には、昼時に繁華街で
長めのフリータイムを取って、その時間内で
自由に(自腹で)お昼を食べて下さいって
いうのが増えているから。塔の下に金ぴか
キラキラの木があった。無論、ニセモノ




智慧を司る文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は日本
でも人気の仏様である。中国の山西省にある
五台山が文殊菩薩の座する清涼山として、古く
より広く信仰を集めており、第3代天台座主の
円仁によって日本に伝えらた




円仁は慈覚大師ともいい、入唐八家(最澄、空海、
常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡)の一人だ
2度の渡航を試みたが失敗し、承和5(838)年
博多津を出港、揚州東梁豊村に上陸は出来たのだが
船のコントロールが利かずに渚に乗り上げて船は
全壊をする有様だった




一緒に出航をした四つの船のうちの1艘は遭難を
してしまった。遣唐使の一行に加わって唐に渡り
帰国するまでの約10年を「入唐求法巡礼行記」と
して書き残している




日記の中には唐の交通地理、経済、官庁の機構や
行事、寺院の生活、仏教儀礼、仏教界の事などを
細かく記し、マルコ・ポーロの「東方見聞録」や
玄奘の「大唐西域記」と並び東アジア三大旅行記の
一つとして高く評価されているそうだ




このようなお寺の境内にも、前に紹介をした
富強、民主、文明、和諧、自由、平等、公正、
法治、愛国、敬業、誠信、友善といった中国
共産党が提唱をしている、社会主義核心
価値観が掲示されていた




南禅寺も長い年月を重ねる中で、荒廃をして
しまっていたのが、1980年に多くの建物が
全面的に修築をされ、今のような賑わいを
取り戻している




娘や他のツアーの皆さんは、お寺の本堂前で
「〇〇時に入り口で集合」とのガイドさんの
言葉を聞いて一目散に、ここに出かけていたが
私はお寺を参拝、写真などをのんびり撮らせて
もらっていたが




かって無錫も城壁都市だったので、旧市街は
今でも城内と言われる事もあるそうだ。今は
城壁は壊されたが、南禅寺の門前には復元を
された「望湖門」があった。城壁は倭寇対策
でもあったようだ




さてここからは、2日目の午後の観光スポット
バスに移動してやってきたのは、同じく太湖の
畔の「蘇州」である。李香蘭の蘇州夜曲よりも
私的には森川久美の少女漫画の蘇州夜曲の方が
イメージが強い




ごく普通の現代の町並みにも、ふと目をとめる
ような古い橋がかかっていたりもする。この橋は
いつの頃のものであろうか。壊されず、そのまま
残されているのが嬉しい。壊してしまえばそれ
までだ




蘇州での最初の観光スポットは「虎丘」であった
前もって旅行の日程から、どんな所に行くのか
事前にネットで調べたりもしたのだが、虎丘は
シンボルの傾いた塔だけではなく、蘇州で最も
美しいと言われた真娘の墓があったり、王羲之や
顔真卿による書が彫られていたりもするそうだ




北宋の詩人である蘇東坡は「蘇州に遊びて虎丘に
あそばずんは憾事なり」と称賛したそうで、もう
これは楽しみです。ワクワク。お寺の門前町には
結婚式のドレスのお店などが並んでいた。バスを
降りて、さぁ~行くぞ~と




ガイドがここからの塔が一番、良く見えますと
言う、呉中第一山と書かれた門から。春秋時代の
呉王で蘇州に都を置いた「闔閭(コウリョ)」が
ここに葬られて、その三日後には白虎がここに
臥していたので虎丘と名づけられたという




呉の中で第一の山とされる虎丘は、高さは
わずか34メートルしかなくの小高い丘で
蘇州のシンボルである北宋年間(961)年
創建の雲岩寺塔( 別称虎丘塔)があって
地盤沈下で3度傾いている為、東洋の斜塔と
呼ばれているんだとか




遠くから見ても、確かに少し傾いているようだ
境内には剣池があり、呉王闔閭を埋葬した際に
3千の宝剣をともに埋めたとされそうだが、墓
への入口が、その下にあるとされるのもワクワク
するけども




清の康熙帝と乾隆帝がたびたび南巡(蘇州のある
江南地域を含めた中国南部を巡る視察)をしており
その際には必ず虎丘に立ち寄ったとされ、御碑亭に
3度も見た大好きなドラマ「宮廷女官若㬢」に出て
きた康熙帝と、孫の乾隆帝の書いた詩が彫られて
いるそうだが




ハイ、悪い予感が当たりました。日程表には虎丘は
20分・・・。でまわれるハズがない。というか虎丘は
先程の入り口で遠くに見ただけで脇道にすぐ逸れて
いかにも蘇州らしい観光に突入してしまい、近くで
塔も、剣池も何も見る事なく、今回の旅においての
最大ガッカリスポットになってしまいました




違った旅行では虎丘は車窓から見学と言うのもある
位だし、蘇州らしい古い町並みの方が受けがいいの
かもしれないが何だか虎丘がオマケみたいで。期待
した自分が馬鹿だった。そんな虎丘の近くにある蘇州
らしい街歩きの様子は次回、紹介します




PS.初の岐阜県登場だという24日放映の
「ポツンと一軒家」だが、実家のすぐ近くの
山の中のお宅だった。こっちのうちでは前に
秘境バス(南木曽から馬籠)やったし、私って
どんだけ、ど田舎暮らしなんだろうと・・・

ティーバで「ポツンと一軒家」見れます
↑見逃しの番組を誰でも見れるので、よければ
ご覧下さい。後のお宅が岐阜県東農地方のです




            平成31年1月27日に上海から無錫で撮影

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最終更新日  2019年02月24日 23時46分03秒
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