殿上人日記

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2020年08月02日
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カテゴリ: 旅のいろいろ


さてさて今年2月上旬に娘と出かけた長崎旅行
ですが、いよいよ最終日の三日目の朝を迎え
ました。なんだか今日もお天気に恵まれてて
良い感じですよ~!




ハウステンボスのホテルを出発して、一番
最初にやってきたのは、旅の最初にも紹介を
した夢の架け橋「西海橋」です。いつもの
ように、ウィキペディアで概要を紹介させて
いただきますね




>西海橋(さいかいばし)は、長崎県佐世保市
>針尾島と西海市西彼町の間にある伊ノ浦瀬戸
>(針尾瀬戸)に架かるアーチ橋である。完成
>当時は固定アーチ橋としては世界で三番目の
>長さを誇り、東洋一と評された。




>日本三大急潮のひとつといわれる針尾瀬戸に
>より、長い間「陸の孤島」であった西彼杵
>半島と佐世保市を陸路で結び、半島における
>産業の振興、開発の促進を目的に架けられた
>1951年に着工し、1955年10月に竣工。同年
>12月より供用を開始した。




>総事業費は5億6,000万円(当時)で、完成時
>には固定アーチ橋として世界で3番目の長さを
>誇っており、日本の橋として初めて支間長200
>メートルを超えた長大橋であった。技術的に
>卓越した存在であるに留まらず、




>針尾瀬戸のランドマークとなる機能美をも備え、
>橋自体が観光スポットとして広く知られている。
>空の大怪獣ラドン (映画)では、阿蘇から出現
>した怪獣ラドンが佐世保に飛来。自衛隊機との
>空中戦の末、被弾したラドンは西海橋下の海に
>墜落後、再び飛翔。ラドンの放つ衝撃波により
>橋は破壊される。




とりあえず全国の有名観光地は怪獣が出現して
大暴れをするようだ。西海橋の脇からはウォー
キングデッキがあり、てくてく歩いていくと
橋と並行してかかる、もう一つの橋にたどり
着く事が出来る




「新西海橋」といいまして、ウィキペディアで
紹介をさせていただくと

>長崎県佐世保市の針尾島と西海市との間にある
>伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)にかかる橋梁である。
>建設時の仮称は第二西海橋であったため、地元
>では第二西海橋と呼ばれることも多い。




>鋼中路ブレースドリブアーチ橋の主橋部と、
>PC4径間連続ラーメン箱桁橋の入江部から
>なる。 2006年3月5日に開通した。初代
>西海橋と並行しているため、西海橋からも
>その姿を見ることができる。




>全長:620m(主橋部:300m + 入江部:320m)
>幅員:14m
>路線:国道202号江上バイパス(西彼杵道路(西海
>   パールライン有料道路))
>規格:第1種第3級
>設計速度:時速80km




>西海パールラインの延長区間の一部であり、
>有料の自動車専用道路(片側2車線)である。
>また、桁下に歩行者専用道があり、展望室も
>ある。この展望室の床にはガラス製窓があり、
>眼下に渦潮を眺めることができる。ちなみに
>歩道は無料。




>映画「釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメ
>だった♪♪」にてこの橋がロケ地に使われて
>いる。当時は未完成で連結式のシーンであるが、
>実際の連結式当日に引き続いてロケが行われた
>なお、当時の呼び名は第二西海橋であった




真下も眺めることが出来ますが、まっ
橋の横からで充分です。それにしても
鳴門の渦潮は有名ですけど、九州長崎
でも渦潮が見えるんですね。知りません
でしたよ。ウィキペディアによれば




>針尾瀬戸(はりおせと)は、長崎県の
>大村湾を塞ぐ針尾島と西彼杵半島の間の
>水域。佐世保市と西海市との境界であり、
>西海橋と新西海橋が架けられている。屈曲
>した狭い海峡であり、最狭部は幅約170m
>ほどである。




>大変流れが早く10ノット以上になるときも
>あり、渦潮を見ることができ、日本三大急潮の
>一つとされる。針尾瀬戸の呼び名は、針尾島が
>ある佐世保市側から見た名称であり、伊ノ浦と
>いう入り江がある対岸の西海市側から見た
>名称では伊ノ浦瀬戸と呼ばれる。




鳴門程ではないにしても、日本各地の
海峡でも小さな渦巻は見る事が出来る
ようだし。ここは春と秋が見事らしい
その近くには、針尾(はりお)送信所が
あり、ウィキペディアによれば




>日本海軍佐世保鎮守府隷下の無線送信所
>として、1918年(大正7年)11月に着工、
>1922年(大正11年)に完成した。総工費は
>当時で155万円という。竣工日は1号電波塔
>から順に4月30日、5月30日、7月31日。




>太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ
>一二〇八」を送信した電波塔として名前が挙げ
>られることが多いが、この暗号を真珠湾攻撃
>部隊に向けて送信したのは船橋送信所(艦船
>向けの短波と中波)と依佐美送信所(潜水艦
>向けの超長波)である。




>針尾送信所は、瀬戸内海に停泊中の連合艦隊
>旗艦「長門」が打電し、広島県の呉通信隊が
>送信したものを受信し再発信したもので、中国
>大陸や南太平洋の部隊に伝えたものであると
>されるが、その詳細は不明とされている




>針尾送信所の象徴である電波塔の高さは
>いずれも、136メートルで、基部の直径は
>約12メートル、厚さは76センチメートル。
>3本の配置は約300メートル間隔の正三角形と
>なっている。自立式電波塔としては古さ
>日本一である。




>1922年の完成から1954年に名古屋テレビ
>塔が完成するまでの約32年間、日本一の
>高さを誇った。2019年現在でも、長崎県で
>最も高い建造物であり、




>「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」の
>名称で国の重要文化財に指定されている。現在
>では電波塔としての役割を終えている。

という事だ。早咲きの河津桜の濃いピンク色の
花が満開で、綺麗だった




桜とお別れして、バスで次に向かった
のは佐世保だった。少し高い位置にある
道路からは、バスの車窓から佐世保軍港を
見る事が出来た。ウィキペディアによれば




>長崎県北部の中心都市で、長崎県では長崎
>市に次いで2番目、九州では9番目に多い
>人口を擁する。県庁所在地ではない「非県都」
>であるが、人口規模と比較して大規模な
>繁華街を持つ都市であり、国から中核市及び
>保健所政令市の指定を受けている。




>かつて旧海軍四軍港(横須賀・呉・佐世保・舞鶴)の
>一つとして鎮守府が置かれ、現代でも自衛隊や在日
>米軍の基地として伝統を受け継ぐ、造船および国防の
>町として知られる。また、西海国立公園に指定されて
>いる九十九島や日本最大級のテーマパークである
>ハウステンボスに代表される観光都市でもある。




>かつて佐世保村として隣接する平戸市や
>松浦市の郊外地だったが、東郷平八郎を
>乗せた軍艦二隻が調査の為に佐世保を
>訪れた事から軍港都市としての歴史は
>幕開けした。




>世界最大の軍艦だった弩級戦艦大和級二番艦
>武蔵が長崎三菱造船所から工事の為に一度だけ
>佐世保に寄港した事がある。また、世界最大の
>軍艦に引き続き潜水艦も佐世保と関係していて、
>潜水空母伊401潜水艦は佐世保工廠にて製造
>された。




>終戦してから佐世保は、海上自衛
>隊にとっても、アメリカ海軍第7
>艦隊にとっても主要重要拠点軍港
>として発展してきた。




>現在の市中心部は江戸時代までは一農漁村で
>あったが、明治時代に入り海軍の鎮守府が
>設置され、それ以降は海上防衛の重要地域と
>して発展していった。




>戦後は旧軍港市転換法の適用を受け、新たな
>方向での街づくりが進められているがなお
>軍港としても重要な地位を占めており、軍
>民間の棲み分けが課題となっている。




>佐世保市内の旧大日本帝国海軍に関する近代化
>遺産を含めた「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・
>舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」と
>三川内焼を含めた「日本磁器のふるさと 肥前~
>百花繚乱のやきもの散歩~」が日本遺産として
>文化庁より認定を受ける。




佐世保で有名な企業は何かあるかな?
と、見たらジャパネットたかたの本社が
佐世保市内にあるそうで、通信販売の
番組収録のスタジオも本社内なんだとか
そして造船の佐世保重工業。愛称はSSK
ウィキペディアによれば




>1946年(昭和21年)に旧日本海軍の佐世保
>海軍工廠の土地や設備を受け継ぐ形で設立
>された。主な業種は船舶、艦艇の建造および
>改造、修理。佐世保市に基地を持つ海上自衛隊や
>アメリカ海軍の艦艇の保守、修理なども手がける。
>その他には船舶用機械製造、化学工業機械製造、
>鍛造品製造などを行っている。





>第4岸壁(通称:立神岸壁)にある250トンクレーンは
>1913年(大正2年)にイギリスから導入されたもので
>現在も使用されている。このクレーンはかつては戦艦
>「武蔵」の艤装工事にも使用された。第4ドックは
>「大和」「武蔵」の整備のために極秘裏に開削した
>海軍工廠第7ドックのことだが、竣工前の「武蔵」が
>一度使用しただけに終わった。




車窓から佐世保バーガーの看板が。ネットで
調べたら、なかなか人気のお店のようだし
でもここでの観光は市街地じゃなくって海
その様子は、次回で紹介をします




佐世保出身の有名人は、いしだあゆみや
前川清とか、芸能人の他にもプロ野球の
元巨人の村田善則とか、元大リーガーの
城島健司の他、幾人も排出しているようだ




佐世保の観光(次回、紹介します)を
終え、長崎県に別れを告げ次にやって
きたのは佐賀県西松浦郡有田町にある
有田ポーセリンパークである。ここの
目玉は、↑ご覧のような宮殿だ




オランダの町並みを模したハウステンボス
よりも、なんだか本格的な欧州の宮殿だし
ドイツのザクセンの州都であるドレスデンに
建つツヴァンガー宮殿を忠実に模したもの
だそうで




詳しい事は↑の説明を読んでください




そのツヴァンガー宮殿のあるドレスデンの
近郊にあるマイセンでは、東洋の白磁を
欧州で作ろうと、一大産業となった縁で
有田町と姉妹都市となった




アウグスト王のツヴァンガー宮殿には
有田焼をはじめとして、東洋の陶磁器
2万点のコレクションが展示されている
そうで、ここ有田に宮殿を模した訳だ




この宮殿は無料で見学が出来、宮殿内に
有田土産コーナーがある他に、有料だが
有田焼ミュージアムがあり、素晴らしい
作品が幾つも並んでいたが、写真撮影が
禁止だった




古伊万里・柿右衛門・鍋島藩窯様式をはじめと
する江戸・ 明治の最盛期までの作品が展示が
されていて、かなり大きな焼き物もあった
ここは自由見学なったので、娘は入らずに
私だけ中を見学してきた




新型コロナの流行で、当分は海外旅行
などは出来そうもないので、だったら
国内で、なんちゃって海外旅行気分を
味わうのもいいかもしれない




紅白で話題になった大塚国際美術館とか
群馬のロックハート城や、栃木の東武
ワールドスクエア、愛知のリトルワールド
など。とは言っても国内でも新型コロナが
拡大中なので、当分は国内旅行も厳しそう




他の建物には日本酒の販売とか




有田焼などもたくさん売られていた。まっ
うちのあたりは美濃焼があるので、わざわざ
買っていく事もないけど。荷物にもなるし




ここでは、団体旅行の3日目のお昼ご飯を
食べる為に寄ったのだけど、結構、海鮮
なども並んでいた




ほんの少しだけど食前酒などもあった




といった訳で長崎から佐賀へと、3日目の
旅は続きます。次回は前後しますが食事の
前に行った、佐世保の観光地を紹介します
           続 く !




         2020年2月10日に長崎県で撮影

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最終更新日  2020年08月03日 08時23分33秒
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