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サイラボの8/24放送分の追補です。(1週間遅れになってしまいました、すみません)1. 米政府、DEFCONでハッカーをリクルートアメリカでは日本と違って、CIAやNSAのようなスパイ組織に普通の大学から就職するそうです。自由公募ではなくて、優秀な学生だけが推薦やその組織からリクルートされるそうです。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などの名だたる大学なんだとか。そういえば、そんな映画がありましたね。DEFCONというハッカー会議がアメリカで毎年7月下旬に開催されます。こちらもコンピューター技術が国防に関係しているとのことで、10年くらい前から国防総省などの人たちがこっそり参加しているようです。またこっそりと、優秀な人柄の良い人をリクルートしているそうです。ハッカーたちはそれがなんとなく気に入らないらしく、毎年その機関の人たちを会場で摘発しているそうです。ところで、その会議の内容がすごいです。今年の話題は、生体認証とRFIDタグです。生体認証は果たして信用できるのか、それとも偽物作ったり、パスワードを解読されたりすることはないでしょうか?RFIDタグは、わずか数ミリの小さなICチップです。クレジットカードや銀行カードで磁気テープの代わりにICチップが埋め込まれたり、SUICAやEdyのようなカードではプリペイド機能のあるICチップが埋め込まれています。RFIDタグはさらに小型化して費用を安くしたものです。すると、お店の商品一つ一つにつけたり、人体に埋め込んだりすることができる。これらは非常に便利なものですが、データが盗み取られたり、改竄されるかどうかがこれからの課題になるそうです。たしかにEdyに自分でお金を増やしたりできれば、困らないですね。もちろん、作る方もそんなのは簡単にできないようにセキュリティをかけたりしていますが、不可能かどうかそれが問題です。2. テレビ局が動画配信本格化?Gyao健闘フジテレビや日本テレビ、NHK、そして他のテレビ局が、真剣にブロードバンド放送を考えているようです。日本テレビはそのために別の会社を作ったほどです。ただ背景には、総務省からの指示でいやいやながら行ったところもあるそうです。現行のテレビ局は、放送を電波で流すという事業と放送コンテンツを作成するという2つの事業を行っています。電波で流すという事業がインターネットの普及でどうなるかわかりません。そのためコンテンツをインターネットで流さないようにすれば、優位さが保てます。しかし時代の流れで、いつまでもそういうわけにはいかず、とうとう放送局もインターネットの媒体で放送を流すことになったわけです。問題は放送コンテンツです。面白いもの内容のよいものは数が限られていて、いまやどの放送局も番組の再放送が多く、良質のコンテンツがありません。その中で、地上波、BS放送、インターネット放送とし始めたとき、放送するコンテンツはあるんだろうか?3. 総選挙におけるインターネット実は、前回の衆議院選挙のとき、民主党のインターネット放送の仕事をしました。社長は民主党のCMのシナリオを書いてプロデューサー兼監督をしていました。ポスターや広告を作った同僚もいましたし、全国を菅代表のおっかけ撮影をしたり、いろいろな候補者のドキュメンタリーを作り、数時間後に民主党のチェックをした後、インターネットサイトにアップしておりました。とても大変でしたが、約2ヶ月の間お祭り騒ぎのようで面白かったです。はてなでは、「総選挙はてな」という選挙を新規公開株の入札ような面白い企画をしております。テクノクラティというサイトでは、選挙で話題になっていることやいろいろな人の意見がわかり参考になります。毎日、名前を連呼するうるさい選挙だけでなく、面白く知的な選挙にしてほしいなと思います。4. Google地図サービス、これからの展開!?GoogleやYahooなどが地図サービスを始めています。それだけでなく、APIを公開して提供していますので、一般の業者が地図をつかったWebのサービスでGoogleなどの地図を利用することができます。するとレストランの案内を地図と一緒にメニューやレストランの特徴を表示させたり、就職やバイトの情報を地図上で表示したり、これまでは住所を表示するしかなかった情報を地図と絡めて表示することができるようになりました。地図と絡めると、直感的に理解できることもありそうですね。このGoogleで面白いのはこのツール、Google Earthです。http://earth.google.com/インストールして使うと、地図はGoogleのサイトから必要な分だけダウンロードしますが、地球儀をアップして見ることができるような感じです。しかもアメリカやオーストラリア、日本は東京だけですが、航空写真で表示することも可能です。何か新しい発見ができそうで、わくわくするソフトです。
2005.08.31
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東京での仕事は、かつて勤めていた会社へのコンサルティング。仕事の内容は技術相談で、ときどきパソコンでチャットをしたりと月1回訪問をしています。2005年1月まで勤めていたときは、100%会社のために尽くしてきました。今は一歩離れたところにたって、見ています。自分が在籍していた会社ですのでうまくいって欲しいと願っておりますが、時間が経ってみるとかつての感慨は消えています。訪問して、一緒に働いていたIさんと1ヶ月に1回でもざっくばらんに話ができれば、お互いのもっている情報を教えあったり、すすむべき方向や理解が間違っていないか確認できる。私がこの会社で働き始めたときはほとんど1人で考えていて、それから人が増え始めたときは何人かいた。そして今は私が離れて、Iさん一人になった。技術系の会社で何人も一緒に働いていれば自然とそういう話ができるし、先進的な「はてな」などであればなおさら。大学の研究室でも同じような考えの人がいれば、お互いに刺激を受けるだろう。だけど1人だとそれでいいかどうか、悩みます。とても貴重な1日で、これも言葉では通じない何かを交換するんだろうと思います。名古屋でAIをやっている方と一緒に仕事をしようとも考えていますが、言葉だけでなく言葉以外の自然な情報交換をできると思います。
2005.08.30
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東京へ出かけていて、更新が止まっていました。再び、東京へ格安の夜行バスに乗っていきました。3日前に申し込んだのでギリギリで他のバス会社も空きはありませんでした。乗客は20台の男女が多いですね。中には子どもを連れた家族もいます。愛知万博から東京へ帰るのでしょうか?他のバス会社も5台くらいバスを連ねていて、夜行バスというのは需要があると思います。半年くらい前に夜行バスを乗ったときは、東京に着く前に途中の休憩は3ヶ所のサービスエリアでしたが、今は2ヶ所になっていました。また新宿が最終目的地ですが道路も混雑していなかったようなのですが朝4時半に着いてからどうしようか困ります。東京の自宅に帰るのならば6時までに自宅にたどり着けていいのですが、仕事をしたり、友人宅へ行くには少し速すぎます。私の場合は漫画喫茶へ行こうか悩みましたが、東京駅へ行って「銀の鈴」の待ち合わせ場所で時間を過ごすことにしました。綺麗なトイレもあるし、椅子も空いています。そして朝のラッシュアワーの前に友人宅の近くの駅へ移動して、マクドナルドでコーヒーを飲みながら本を読んでときをすごします。友人は朝が遅いので8時過ぎの起床時間の頃に見計らって、お邪魔させていただきます。バスに乗った翌日は平気なのですが、翌々日に疲れがきます。結局1日ぐらいは疲れがたまるので、新幹線の方がいいのでしょうか?31日には東京を離れて帰ってきましたが、くじけて新幹線のぞみで帰ってきました。昼1:35頃発のすいているときですが、それでもほぼ満席でした。くじける前は、昼行バスで帰ろうか、青春18切符で帰ろうかといろいろ考えました。昼行バスは格安バスですとホットドッグ (http://www.hotdog.co.jp/bus/ngo.htm) がありますが、前日の予約をしなくてはいけません。思い立ってからは無理でした。JR東海バスを検討しましたが、中央高速道路をとるか東名高速道路をとるか悩んで、やはり青春18切符をチケットショップで探したのですが、\3,500と高かったりして、一気にしょげてしまいました。やはり冒険するには準備と勇気と経験が必要です。とかいって結局、新幹線のぞみで帰りました。新幹線はあっという間に名古屋へ、やはり快適だなぁ。
2005.08.29
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刑期を5年終えた若い女性パーシーが、アメリカのメーン州の小さな村にやって来る。彼女は村のカフェで仕事をし始めるが、僻村の人々はよそ者を警戒する。そのためギクシャクしていた関係が、少しずつ解かれていく。彼女の存在が、この村の人々が抱えていた問題を明るい方向に向かっていく。最後まで彼女を信用していなかった男が、ちょっとしたことで最悪の事態へ。彼女はいなくなってしまったが、彼女が村に大きな変化を与えた。現実に起きそうな話で、それがすごく切なく感じます。アメリカの特殊事情もありますが、日本でありそうな自然な話ですね。久しぶりに見ていて、涙がぼろぼろ出てきてしまいました。久しぶりに感動する映画をみたと思います。すかっとさわやかな終わりではありませんが、何か将来に向けて期待を残すことが感じられて良かったです。ところでこの映画の中で、僻村のカフェを売りたいんだけど10年経っても売れない、どうすればいいんだろうかという話が出てきます。パーシーは刑務所の中で友人から聞いた話をします。「田舎のホテルを売ろうとしたんだけど売れなかったの。そこで、田舎のホテルを経営したいという理由を書いたエッセイコンテストをしたの。参加費用$100で最優秀の人にホテルを譲ることを約束したんだけど、もし2500人以上集まらないときは取りやめにするとしたのよ。そしたら3000人以上集まって、大儲けよ。びっくりしたわぁ」彼女はその話をカフェの女主人にしまして、実際にそれをやり遂げました。コネを使って全国紙に記事を書いてもらったら、大評判で無事にそのカフェを売ることができました。ここに売れない不動産を売るための知恵があります。普通に不動産を売ろうとしても、顧客が見つからない。顧客が見つかったとしても、安く買い叩かれるだろうし、村民の人も従来どおりのカフェが続かないことにショックを受けるだろう。カフェを安く買った人がいたとしても、それは利益が出るかどうかわからない。いわば全員が損をするシステムかもしれません。ところが発想を変えて、$100で公募する。その$100は夢の代金です。一人は必ずこのカフェを手に入れることができます。公募の中から選ばれた一つは、一番良いアイディアで成功する確率が高いし、村の人を巻き込んだので、村の人はみんなお客になってくれるでしょう。このような騒ぎによって、カフェの名前は有名になり、村の外からも客は来るでしょう。もし公募された$100が紙くずになるのが心配だったならば、無期限のコーヒー券30杯分を渡せばいいんじゃないの(日本の発想だけど)。そうすれば、遠くから一度はやってくるし、損したという気分にもならない。これで、カフェの女主人も大金を受け取れるし、村民も結束ができてカフェが継続して喜ぶ、公募した人も夢とコーヒー券を受け取れる。みんなハッピーとなります。みんな損をするところから、発想を変えただけでみんな得をする、オセロのような話です。実際にはそんなにうまくいかないかもしれませんが、ひょっとしたらこういうのもコミュニティビジネスなのではと思いました。
2005.08.28
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土曜日の夜は、私の両親と実の妹の家族とそして私たちの家族で、夕食会でした。母が日程を調整して費用を負担して、3家族が年に数度集まります。正月は母の家で母自身が準備をすることが多いですが、昨日はチェーン店の焼肉屋でした。娘や息子は、いとこに会えるので大騒ぎです。両親も4人の孫にあえることが嬉しいのでしょうか。両親はいつも食事代を全部負担してくれて、孫たちにお小遣いをあげます。私と妹がたまたま母の家の近くに住んでいるのですが、それぞれ家庭を持っているので会うことができません。妹とは仲は全く悪くないのですが、それぞれ結婚して別の家族になり、いろいろな出来事や悩みや価値観などを共有することができないので、だんだんと疎遠になってしまいます。こんな状態で、遺産相続やお金の貸し借りの問題が起きたら、兄弟は仲違いしてしまんだろうなと思います。私は会社を辞めたり起業をしたりどたばた人生を送っていますが、妹の夫は20年以上ずっと堅実にサラリーマンをしています。酒もほどほどなので自然とお金がたまり、先日マンションを売って、中古住宅を買いました。中古といっても数年しかたっていなくて4000万円ぐらいの家です。一時的に母から数百万借りて、ローンはせずに買いました。妹夫婦は結婚前に2000万円近くあり、それが新築マンションの頭金となりました。今度もそのマンションを売却して、貯金などを合わせて買ったものでした。妹はマンションの方が交通の便がよいので中古住宅の購入に反対でしたが、夫が将来は夫の両親と同居を考えてのことなのか、広い家を欲しかったのか、押し切られたようです。ときどき妹のような堅実な人生がいいのかと思ってしまいます。その結果がこうした家の購入という結果として見えてきますので。しかし自分にはできないことなんだなとも思います。起業してうまくいって順調に進みだすまでお預けです。とはいっても、個人的に家に執着心はないので、子どものためにもう少し広いマンションがあればいいのです。夕食会はお酒を飲む人はいません。タバコも妻の夫は少し吸うようですがここでは吸いません。特に何を話すわけでもなく、さしさわりのないお互いの生活状況を報告します。詳しいことやトラブルは、既に母が電話などで情報をそれぞれに渡しています。だから、ちょっとした外交の夕食会ですね。何も問題なく、とりあえずつつがなく生活していますよということを顔を見せ合っているだけです。両親は孫にあえるだけで喜んでいますし、我が家も夕食をごちそうになるので、いいんではないかと思います。毎年お盆と正月の時期に両親の元に帰るのは大変なので、まあいいんではと思うようになってきました。あぁ、ビジネスしなきゃ。
2005.08.27
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インターネットのその後を10年前と今を比べてみて、その外挿法で10年後を見てみようと思います。テキトーなので、思いっきり笑ってください。インターネットは10年以上前からありました。ただ今のインターネットと全く違う存在で、大学や研究機関が電話の専用回線で結ばれているか、ときどき電話でつながるものでした。大学の中には20年くらい前にEthernetというのがぼちぼち出始めていましたが、拠点間で結ばれたのは10年ぐらい前です。NIFTY Serveのメールがインターネットとつながるようになって、大学の先生とメールをやりとりできるようになったのが1992年頃からだったでしょうか。私もたまたま会社を休職して、1994年に大学院の修士課程に入りました。そのとき、大学の学内がすべてEthernetで結ばれていて、大学どおしがネットワークでつながりました。研究室のメールアドレスをもらいましたので、大学へ行けばとりあえずメールのやりとりができるようになりました。そのときMosaicというのがあって、文字情報と画像を見ることができるというのを知りました。たしかMacかUNIXで動かしていたのですが、日本語をそのままで表示することができず、学内の情報工学科の大学院生がDelegateというプロキシーサーバーを提供していて、そのプロキシーサーバーにUNIXで通常用いる漢字コードのEUCをMacの文字コードであるShift_JISに変換して、やっと日本語を見ることができました。とはいっても、日本語のページはほとんどありませんでした。そのMosaicを見て面白いなと感じただけでしたが、9月頃に現れたNetscapeのβ版は驚きました。プロキシーサーバーを必要とせず、データを読んでいる最中から画面を表示するのです。Mosaicはデータをすべて読み取ってから表示するので、その感覚的な差は圧倒的でした。自分でもHTMLを書いたりして、ホームページを作ったのですが、静的なページを作るだけなので、情報交換をするだけにすぎないと思っていました。まさか、それがビジネスに役に立つと思うまでも行きませんでした。さすがホリエモン、そこが決定的な差でしょう。当初のWebは非常にシンプルで、表現力においては、TexやLaTeXのような論文を記述するための言語に比べて貧弱でした。当時はLaTeXを画面に表示するための研究開発や、PostScriptを画面に表示することを真剣に考えて、Webがいまほど複雑になるとは誰もが思っていなかったはずです。当時の大学はEthernetの10Mbpsで学内が結ばれ、外部の大学とはT1と呼ばれる1.5Mbpsの光ファイバー回線で結ばれていましたので、そこそこ早かったのです。しかし、当時出てきたプロバイダーは、電話回線で結ばざるを得ず、28.8Kや33.6Kの電話線によるモデムでつなぐのがインターネットでした。そこにはメールが普通で、Webを見るためには数十秒も画面表示を待つのが普通でした。JPEGなどの重い絵を貼り付けるならば、みんなからページが重い!と言われて、叩かれたものです。今でもそういうことはありますが、重いという概念は質的に変わっているでしょうね。技術的にみると、ネットの速度は28.8Kから28.8Mもありうる1000倍(100倍くらいにしておきましょう)速度になりました。CPUの速度も当時は80486や68040というCPUが出てきて40MHzぐらいでしたが、今はおおよそ3GHzとしますと100倍。メモリーも多めで20Mバイトを使っていましたが、2Gバイト使うユーザーもおります。おおざっぱにいって、10年前の100倍の性能を持つパソコンを使っています。ムーアの法則やいろいろ個人によって違うので、非常に大雑把な比較です。10年後は、技術的にはまだまだ見通しが立っていないようです。省電力などの問題がなければCPUは10GHzは可能ですが、その問題をクリアするのは研究開発により大きな山を越えなければなりません。ネットワークの速度も10GBpsは実験的に可能らしいですが、それに耐えるルーターを用意するにはまだまだコストがかかります。メモリーも徐々に増えていくでしょうが、最近は増やす要因が減りつつあります。1Gバイトのメモリをもつパソコンを必要とする人は多くはいないでしょう。というよりも、多くの人が2年くらい前に発売されたパソコンで、機能的にはほぼ満足なはずです。動画の編集などをすれば、もっと高機能なものが必要かもしれませんが、数としては少ないでしょう。だからこれ以上速く、大きなメモリーをもつパソコンの需要は小さく、それよりも長時間使用できる軽いノートパソコンの方が需要が高いと思います。未来予測は本当に難しいです。当たらないことが多いです。私は最初に勤めた会社を休職して、大学院に戻って学者になろうとしました。そのとき予測したのは、次の2点です。1.ネットワークの時代になって、東京が中心ではなくなる。どこにいても仕事ができるようになる。そのため東京にいる必要はないだろう2.特別な知識やノウハウを持つ人の価値が上がる。それはグローバル化とともに、拍車がかかる。1,2とも外れたとは思っていないのですが、実現する時期を間違えました。20年後だと思います。1については当時からサテライトオフィスというのがあって、都心まで通わなくても、埼玉県民はさいたま市のサテライトオフィスへ通い、千葉県民は幕張のサテライトオフィスへ通えば、都心への混雑した電車に乗らず通勤時間も少なくなるだろうと思われてきました。しかしそのサテライトオフィスは今はありません。ブロードバンドが充実してテレビ電話やテレビ会議が使えるようになった今でも、サテライトオフィスはありませんし、同じ場所で仕事をすることが重要なようです。それはなぜか、人とのコミュニケーションはノンバーバル(言葉以外)なやりとりが重要なようです。メールや電話で通信しあうだけでは不十分で、なにげないやりとりや雰囲気のようなものが重要なようです。思っていることを相手にすべて伝えるのは不可能で、言葉でいうと10%しか伝わらない、文字にすると1%しか伝わらないといいます。その90%や99%を補うのは、視覚や触覚そして第六感なのかもしれません。初めて会った人を判断するとき、相手の話していることよりも、見た目の方が判断基準が高いそうです。私は今後10年でこの山をのり越えるのではと思います。メールや通信だけでは不十分なことはみんな知っています。そのノンバーバルなやりとりを、双方向のホワイトボードのようなもので実現するのか、テレビ電話で実現するのか、それとも仮想現実(VR)のようなものなのかわかりませんが、きっと乗り越えると思います。外れたからゴメンナサイ。20年後になるかもしれません。(^^;そのときは、通勤が必要なくなります。自宅にいればいいのです。距離がなくなります。通信事情は日本国内ではほとんど解消されると思いますが、フィリピンは中国よりも通信事情が悪いので、リゾートで仕事というのは難しいかもしれません。しかし、都心に住むよりも風向明媚な沖縄や夏は北海道で住んで仕事をしたいという人が増えるかもしれません。外国語の翻訳はどうなるか?これはAI(人工知能)が実現されないことには、難しいです。人の会話で使われている言葉というのは不十分で、当事者どうしは阿吽の呼吸の会話ができますが、第三者がその会話を聞いていても最初は何を話しているのかさっぱいでしょう。それは文脈、つまり話している内容の背景を知らないからです。その文脈を理解しないと、本当の翻訳は無理でしょう。言葉が瞬間的に辞書を引いてくれるということで、おおよその意味を掴むのは今でも可能なので、不十分な翻訳でもよければ(意思の疎通がなんとかというレベルであれば)10年後はさらに良くなっているでしょう。パソコンは、PDAの大型のようなものになっていると思います。ノートパソコンの画面の部分だけじゃないでしょうか。見るだけだったら、キーボードは入りません。PDAの小さなキーボードだったり、携帯のボタンでもいいのです。そういったものをA4のものを2~3枚、B5サイズのが1枚持ち歩くのではないでしょうか?サイズや電話や音楽機能の違い、メモリーのサイズやCPUの速さは違いますが、基本機能は同じだと思います。学校の教科書もノートも辞書も、すべてそこに入ります。ネットワークにつながり、小説や雑誌、その他のものもそれぞれの使い方に応じて使われるのではないかと思います。実はこれはスタートレックで予測されていて、パッドと呼ばれるものがそれに当たります。本を買うときに印刷したものは2000円するが、ファイルだったら500円ということになれば、多くの人はファイルで事足りるかもしれません。テレビは私は今のようなものはなくなってしまうと思います。一つのチャンネルで、ニュースからドラマ、音楽番組をながすような総合的なものはなくなると思います。それぞれのチャンネルかネットで、スカイバーフェクトTVやケーブルTVのように独立したチャンネルになると思います。番組の中には魅力的なものはありますが、時間ごとにそれぞれ分けられているのは使いづらいです。すでにHDレコーダーが普及しはじめていますから、個人で好きな時間に好きな番組を見るようになっています。それが放送局まで逆流すると思います。地上波デジタルで画質がよくなったといっていることが根本的に問題を履き違えている思います。すみません、インターネットの10年後のはずでしたが、自分のなわばりの予測をしてしまいました。たぶんHTML言語は残るでしょうが、整理されていくと思います。本当の情報を伝えるところは、XML(RSS)の方が主体となるでしょう。画面デザインをするためにHTMLが使われています。しかしそれはブラウザによって表示が異なるので不十分です。しかし、それがXHTML+CSSで制限をして使われていくのか、FlashやPDFの進化形がそれに取って代わるのかわかりません。しかし、あまりデザインが混雑過ぎるものよりは、シンプルの飽きの来ない方がよいと思います。実のところ、このインターネットの業界は半年先がどうなるかわかりません。だから10年後なんて、外れる確率がとても高いので言ってもしかたないことです。しかし実のところ、外的な技術的な要因よりは、内的な人間自身の要因の方が高いような気がします。できれば人間性を伸ばすようなところへ、研究がすすみ、技術が発展するようことを願ってやみません。
2005.08.26
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小泉首相は、Dr.スランプに出てくるDr.マシリトに似ているって、ホントだ。Dr.マシリトの紹介http://www.bea.hi-ho.ne.jp/nukamisso/aku/meibo/aku_meibo_mashirito.html先日のブログのコメントにも触れましたがインターネットはここ10年ぐらいの新しいメディアです。そのメディアはデータや文字だけでなく音声や動画、双方向で交信できるものです。しかも距離の概念を変えました。インターネットは、光か電気が媒介するので秒速30万キロメートルです。遅延があるとしても途中のCPUの演算速度のせいです。地球上ではまあ遅延はほとんどないといっても差し支えないでしょう。これまでの時代、こんなものはありませんでした。こんなことを詳しく言う必要はないぐらい、これを読んでくださる方はインターネットについてはご存知ですからこれ以上触れません。しかしこの結果、これまでのメディアはなくなることはないものの形を変える必要ができてきました。個人的な経験を言うと、葉書は季節モノだけ、手紙は契約書などの大事なものだけ、ダイレクトメールはゴミ箱へ直行です。新聞、ちらしのために朝刊だけとっています。週刊誌は買いません。本は良く買います。しかし本屋の立ち読みや図書館の本を読む方が10倍くらい多いです。ラジオは聞きません。テレビもニュース以外は好きな番組だけ、ながらで見ることは亡くなりました。レコード・CDは好きな音楽がないので買いません。映画は、レンタルDVDで100円か150円で借りてきてよく見ます。ゲームはアイディアを探るのとストレス解消のため、たまに買います。(今日、地球防衛軍2というのを買ってしまった。安くていい。)昨年、インターネットの利用時間が、新聞を読む時間やテレビの視聴時間を超えたそうです。私は数年前にそうなっていました。10歳の娘もすでにそうなっています。パソコンを使えない妻と息子がテレビを見ている時間が多いです。インターネットは既にパソコンだけのものではなくなりつつあります。携帯ではメールのやりとりも、ブラウザを使えるようになりました。ハードディスクレコーダーは、インターネットから番組表を取得します。またインターネットを介して予約もできます。家庭用の監視カメラは、外からパソコンや携帯でみることができます。もちろん、IP電話も安く会話ができます。うちではIP電話を使っています。私たちの生活のメディアの部分が、だんだんとインターネットに置き換わってきています。音楽だって個人でレコードやCDを収集するよりも、ハードディスクに10万曲収録した方がいいかもしれません。1曲5Mバイトとしたら、500GBのハードディスクに入ります。1曲が5分としたら、1日に288曲分。1年で約10万曲です。おぉ1年かけっぱなしの分が入るんですね。これからはコレクターを趣味とする人以外は、使い捨ての音楽でいいかもしれません。先日、AppleがiTunes Music Storeを始めました。これで本当に音楽の著作権の問題で止まっていた、楽曲のオンライン化がすすんでいくのですね。ただで楽しむのは良くない気がしますが、不便だったり、途中の著作権協会やレコード会社などが中抜きするのは許せません。ミュージシャンにお金を落とすようにすればいいのですから。これからは、Pod Castingが普及してミュージシャンが直接お金を受けとる仕組みになれるといいかもしれません。ただシェアウェアって、1000人に1人お金を払うぐらいなので、本当にミュージシャンが受け取れるかどうかは、これからにかかっているでしょう。アメリカのYahooは、月$5で音楽をダウンロードし放題とか。WindowsMediaの著作権管理を利用しているので、それようの携帯プレーヤーやパソコンでないと聞けないのです、やりますね。日本で500円だったら、CDは売れなくなってしまうかもしれませんね。日本のYahooは音楽の前後に広告は入るものの、ラジオのようなサービスを始めました。ジャンルは選べるのですが好きな曲は選べません。http://station.music.yahoo.co.jp/音楽関係はこれで流れが変わりました。ここからは将来の推測ですが、たぶん音楽関係は、デビューは自分のサイトなどでデモテープ(古い言い方)をアップして、視聴者が見つけやすいように他のミュージシャンと一緒にPod Castingで流します。そのうち評判を呼ぶと、編曲してきちんとしたスタジオで収録して有料化して流すのではないでしょうか?テレビや映画で曲が使われたらどうなるかって?過渡期はテレビや映画の媒体はあるでしょうが、全部インターネットの中で一体化するかもしれません。そもそも少し作ったぐらいのものは価値がなくなってくるかもしれませんねぇ。誰でも作曲ができる、番組ができる、映画ができる時代になったら、良い作品しか評判とはならず残らないはずです。だって読んだり聞いたり見たりするより、自分で作品を作った方がおもしろいのですから。
2005.08.25
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価格破壊お昼にお弁当を買いに行きました。場所は新栄なんですが、少し歩いているとSHOP99が見つかりました。本日が賞味期限なので、割り引いて売っていました。 単価 消費税込ミルクティー500ml 99円 103円そば (20円引き) 79円 82円明太子おにぎり(50円引き)49円 51円明太子おにぎり(50円引き)49円 51円--------------------------------------合計 288円えっ、そばやうどんが99円ですか?サンドイッチは量は少なめで99円、冷やし中華が199円で売っていました。安い!おにぎりは、コンビニの方が少しうまいかもしれませんが、ご飯やのりは変わりません。SHOP99は、ミニスーパー+コンビニ+100円ショップを3で割ったようなものです。野菜や肉などの生鮮食料品も売っています。値段を99円と100円ショップより1円安くしているのもいいですね。モノによっては100円ショップのように、一部は199円や299円と若干高価なものもありますが。このSHOP99は東京、大阪、そして名古屋に広がっています。1年で200店舗増えているそうです。これができていくと、スーパーはつぶれ、コンビニはつぶれていきますね。いくらセブンイレブンでも堪えるでしょう。たとえ品質がよくても、ドリンクやおかしなどが99円で売られていては、多くの売上がとられてしまいます。都心では一人で住んでいる、家族ならぬ「個」族が増えているそうです。1人や2人で食べれる量を買い求めます。それがSHOP99にぴったり当てはまります。コンビニでお弁当を買って家で食べるというパターンでしたが、これからはコンビニ弁当に飽きたからSHOP99で野菜や肉を買って調理して食べるというパターンも増えてくるかもしれません。すごいところに目をつけたんですね。ただ生鮮食料品が多いので、品質管理や、物流が大変です。契約農家やメーカーと直接契約して、大量に仕入れて、毎日のようにお店に運んでいるとすれば、イトーヨーカドーやセブンイレブンを超える、物流管理かもしれません。どうなっているんだろう?
2005.08.24
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最近911の衆議院選挙が近づいてきて、政党のポスターを見かけたり街で演説する声が聞こえるようになった。世の中の声を聞くのは、http://www.technorati.jp/ なんてページがおもしろいかもしれません。ブログのトラックバックが集まっているサイトです。よく人と会話するときの話題として注意をするテーマが2つあるという。宗教と政治である。普段なにげないお付き合いしていても、こと宗教の話になったり、政治の話になったりすると主義主張を譲れない。ある意味タブー視されている。さて私自身は何かといえば、ノンポリ・無宗教になるのだろうか。無色透明です。生まれと育ちが余りよくないので左に傾いていたかと思えば、海外放浪から戻ってきて「やはり日本じゃ」と右に傾いている。フィリピン人と結婚したからコスモポリタンかというと、日本の文化が好きだし、日本の国が一番落ち着く。今は嫁が日本の方がいいという次第である。結婚するときにカトリックに改宗しなくてはならないのかなと神父に英語で議論をしたら、「そのままでいい」ということでカトリックにならなかった。日本教を信じているのだろう。ところで、個人的にはどんどん日本は改革していって欲しいので、郵政改革に賛成であるかどうかというよりは、小泉首相でないと日本は変わらないというところに期待している。その結果自民党に投票することになる。しかし地元の候補者を見ると、民主党の方が人間的にはいいかなと思ったりする。ところで、なんで自分の意思を代議員を選んで任せないかんわけ?国会議員なくして、インターネットによる直接選挙制で法律決めればいいじゃん!国会議員は多すぎる。都道府県2人ずつの100人ぐらいの国会議員が、議員立法したり議論をして、最終の投票はインターネットでというのはどうかな?だって、投票する国会議員の意見にすべて賛成というわけではないじゃないですか。10の法案について、すべて同じ意見をもつ国会議員なんて同じ選挙区にいるはずがない。なのに、一人を選ぶなんてちょっとおかしくはありませんか。フィンランドの地方議員は専業ではなくてボランティアでやっているというし、国会議員だって某国のように威張り腐っていない。そろそろ、民族=国家という概念は崩れつつあるので、人種や民族は違っても同じような考え方のグループはできつつある。やんきいの日本人よりは、まじめな中国人、フィリピン人、インド人の方がずっと親近感があるし日本に貢献してもらえると思います。
2005.08.23
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今日は名古屋の仕事場に行って来ました。先週やっていた仕事を断りに行きました。いろいろな意味で辛い仕事になりそうなので断りました。その辛さを乗り切ろうとも思いました。しかし、仕事を120%専念するのが条件で、それを守れそうもありませんでした。すでに関係者は土日なく、週の半分は徹夜しています。本当にお気の毒です。少しでも手伝ってあげればいいのですが、私も私の家族も巻き込まれるのはご勘弁願います。やはり自分はのらりくらりと新しいネタを探していくのが性にあうのかなと思います。辞退する理由は自分だけにあるのではないけれど、ここで触れるのはやめておきます。いづれ一般の話題として話す機会があればと思います。さて、おかげさまで10000アクセスを達成しました。もうこんな文章でも読んでいただいて、ほんとに光栄です。できる限りの努力をしようと思っているのですが、至らないところもあるかと思います。本当にありがとうございました。10000アクセスになって、少し気が楽になりました。これからは起業をすると思いますので、商品・サービスの宣伝などもさせていただくこともあるかもしれません。どうぞこれからもよろしくお願いします。10000アクセスをゲットした方にプレゼントを用意していたのですが、まだご連絡をいただいておりません。10000アクセス目の方と同じく、多くの方が、楽天日記ユーザー以外のゲストの方なので、どなたかわからないのです。どうしよう?10001アクセス目は、私自身だったのです。アクセス数の100に1つは、コメントなどの確認のために私が見ております。だから本当は9900アクセスぐらいなんですが。あっ、10歳の娘がみようみまねでブログを始めました。なんかすでに2000アクセスになっているようです。1日180アクセス!ま、負けている。http://sayuri.magnet.ne.jp/
2005.08.22
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午前中は寝ていて、お昼からはサイラボの準備と息子の宿題を手伝っていました。サイラボのテーマを考えるのだが、だんだんとテーマを探すのが難しくなってきたと感じる。なぜだろうか?技術の進歩が行き詰まっているのではないか?ドッグイヤーといわれて久しい。確かにグローバル化とともに、インターネットの世界では市場が世界に広がった。唯一の壁は、日本語である。日本では日本語が使えないと、または日本の法律や慣習にあわないとビジネスを広げるのは難しい。では英語ではどうかといえば、それもあまり進展がない。毎週のテーマを探すのに四苦八苦するように感じた。そんなに世の中は変わらないと思うのは私だけではないだろうか?インターネットのビジネスがもてはやされたのは、これまでのビジネスでのチャンネルが増えたからだ。つまり媒体としてインターネットがつかえるようになった。手紙やFAXがEメールになり、電話がIP電話になり、新聞や雑誌がインターネットのページになる。これまでの媒体がインターネットで可能になったからだ。便利になったので、スピードが速くなり、情報の発信がしやすくなった。しかしインターネットを使う人、それも積極的に使う人しか、それは享受しない。一通りの既存のビジネスがインターネットに載って、それが便利であるものは残った。おそらく、そういったことが一巡してインターネットでのビジネスの発想がとまってしまって、ニュースが少なくなって来たのではないだろうか?インターネットに乗りづらいものは、依然としてインターネットに載らずこれまでのままだ。私が携わってきている、インターネットテレビのストリーミング放送は「一度にたくさんの人に同時に送れない」という技術的な壁があって、まだ爆発的には伸びない。食材を購入するのも、近所のスーパーマーケットでインターネットの仮想商店からではない。たぶんこういうところから技術が発達して、できなかったことができるようになってビジネスになるんだろう。しかし、それは資金がある大手企業はそれを待ち構えている。それよりも既存のビジネスにない、インターネットならではのビジネスを見つけないといけないと思う。これまでの社会では実現できなかったことが、コンピューターおよびインターネットの技術で実現できることはないだろうか?今日は、息子の夏休みの宿題を手伝いながら、息子と良い時間を共有できました。幸せなひと時でした。
2005.08.21
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起業の学校の事業は、事業コンセプトでした。夏の暑さのせいなのか、授業についていくのを苦しく思ったのか、参加していない生徒さんがちらほらいらっしゃいます。みんな悩んでいますので、同じですよ。気楽に出席してください。ぜひ元気な顔を見せに来てください。少しさびしいです。まず、自分の事業の未来デザインを考える。事業をスタートして3年後から5年後に、事業が理想的に成功している最良の状態と失敗している最悪の状態を描きます。その将来の視点に立って、今どうすれば成功できたか、あるいは何が理由で失敗したかを考えます。またその間の過程で、どのようにすれば成功に導けたかなどを考えます。いわば、視点を変えて未来の自分から過去を振り返るのです。自分の今の状態は、いつも同じ考えに囚われて近視眼的になってしまうことがあります。第三者の意見をもらえればいいのですが、自分自身を第三者にする方法です。ただできれば、失敗する原因をさぐるよりも、成功する要因を探した方がいいそうです。失敗する要因はたくさんあります、同業他社、自分自身の要因、いくらでも失敗する傾向があります。実際に創業した会社の100に1つも成功しているとはいえません。その中でやっていくわけですから、つぶれて当然、成功する要因に一つでもすがりましょう。3年~5年後の世の中がどうなっているか?それがわかれば、その予測に成功すれば、まずは起業の成功です。当たるくじを買うように、将来起こりうる市場にいけばいいのですから。既存の市場に戦いを挑むのは、これから起業する人には勝機はありません。いま市場をつくることが最良の道です。それは大企業でも中小企業でもできないことだと思っています。世の中すべてを予測することは困難ですが、自分の得意な分野ならばある程度可能なのではと思います。またその予測をいっても、他人は信じてくれないでしょう。それが当たるか外れるかは、そのときになってからでしかわからないのですから。その将来予測をKJ法で、いくつかラベルに書いてみます。そしてその中からキーワードを5つ抽出します。キーワードから、浮かんでくるものを見ます。なんか、水晶玉を見つめている占い師のようです。じっと見つめて浮かんでくるものを待ちます。人によっては、知恵熱が出てしまうこともあるそうです。私も何か出てきました。先生から注意されたことがありました。私の場合は、専門用語ばかり出てきてしまっていることです。専門用語だけを使っていると、その言葉を理解してくれる人はやはり業界の人しかいません。自分の主張に耳を傾けてくれる人は業界だけになります。そうすると、共感を得てくれる人が少ない。それよりも一般の人でもわかる言葉を使うと、共感を得てくれる人が増えるのではと言っていただきました。前にもそのように忠告していただいたことを思い出しました。もう頭が悪いから、忘れちゃった(^^;その忠告に従って考えると、いつものように未来予測のラベルがなかなか出てこない。キーワードも出てこない。んんん、なんとか出てきました。次の授業まで良く考えようと思います。最後に、起業の成功度は次の式であらわされるそうです。京セラの稲盛さん 起業の成功=能力×やる気×人間性鈴木先生 起業の成功=予知の制度×準備の制度×行動力私 起業の成功=気力×体力×能力平凡だったかな?
2005.08.20
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急いで書いたので、てにをはがおかしかったの直しました。------------------------------------------------------自分がもし会社を作るとしたら、Googleや"面白法人カヤック"、そして"はてな"という会社がいいなぁという思いがある。どれも技術優先だけど、何かおもしろいことをしそうな会社である。お金という報酬も大事だけど、生きていること取り組んでいることがおもしろく、そして結果としてみんなの役に立つという企業理念を持っている。私が10歳も20歳も若ければ、そんな会社に飛び込んでみたいと思います。また家族という責任を背負わなければ、一にも二にも丁稚奉公からでも始めてみたいと思う会社です。だけど、そんなおもしろいことばっかりしようとする会社では、事業として成り立つのかという不安も感じる。失礼ながらいつまでも大学祭が続くように、お祭り騒ぎだけで、仕事が廻らず、つぶれてしまうのではないかと。はてなの社長http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0404/19/news013.htmlはてなという変な会社http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0507/04/news036.html面白法人カヤックhttp://www.kayac.com/どちらの会社も社員が増えて売上も増大し、ますます伸びている。推測だが今時点での報酬については押さえていて、報酬以外の魅力を提供しているのではないだろうか。会社が成長期に入れば、大手以上の報酬を約束して、高いポジション、ストップオプションなどで社員に報いるつもりなのではないだろうか。Googleは上場を達成して、成長期の後半にいる。彼らの創業者は上場を達成して、第一の成功を収めた。そしていま上場前の企業理念を変えずに大きく成長しようとしている。これからマイクロソフトのような高収益の会社を目指すのか、Yahooのような普通の大企業になるのか、Amazonのような寡占を目指すのか、それとも別の道を辿るのだろうか。会社が別のステージになると、会社の方針も理念も変わってくる。そして幹部層がヘッドハンティングされ、優秀な人材が集まってくる。創立時のメンバーは会社を生んで育てるのに向いているメンバーで、成長期のメンバーは会社が普通の会社になっていくためのメンバーである。就業規則を遵守し、9時から5時までの生活になれ、上司の評価を大切にする。普通の大企業へ成長していく。そのときに創業時のメンバーは座を離れ、会社が昆虫の変体のように変化することがある。そのとき、このようなおもしろい会社はどう変わるんだろうか?それぞれの会社の業務の内容についていえば、"はてな"は新しい発想を生み出して、その発想に基づくWebサービスを提供している。他の会社が既にやっているサービスは、"はてな"でやる意味がないすらといいきっている。自ら需要を掘りあて、隙間ビジネスではなくて新しいマーケットとサービスを創造している。Webの本格的な開発は、JavaのJ2EEを使ったものだが、彼らはスクリプト言語PerlやPHPを使っている。思いついたらすぐにサービスを提供するためにはスクリプト言語が最適なのだ。短い事業は思いついてからたった3日でリリースする。発想をすぐに実現できるというところが、彼らの競争優位でもある。カヤックはビジネスを楽しんでしまおうという発想だ。従来型のWebビジネスを構築する会社であるが、たのしい雰囲気の職場を提供して、良いアイディアを出そうという企業理念をもっている。創立時には、みんなでイタリアのミラノへ行ってしまう。ミラノで仕事をするということにトライしてみる。いまでは会社の社屋を都心から離れた鎌倉において、いつでもマリンスポーツが楽しめるようにしている。顧客からは遠い場所にあるのだが、逆に職場を充実させているといえる。日本の多くの会社は都心に集中してしまっているが、欧米では地方に有力な会社があることが多い。それゆえ、日本的ではないが可能性はあるだろう。どちらも伸びつづけてほしい企業である。
2005.08.19
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開発プロジェクトにずぼっと入ってしまいました。普通の会社員のように、朝8時に起きて(ときには7時に起きて)、満員電車に乗って開発現場へ通っています。仕事というのは波があるので、1時間全然すすまないときは、申し訳ないと思います。しかし、ぐんと伸びて成果をあげたときは、お金をたくさん欲しいと思うときがあります。サラリーマンは、その平均のところを報酬を貰っているんですよね。すっかり忘れてしまいました。そのためちょっと時間的にも精神的にも余裕がない状態が続いています。まだどうしていこうかわからない状態ですが、このままはまったままでは、いろいろな意味でまずいので、自分の状態を客観的に見れる状態をつくらなくてはと思っています。フィリピンの姪のことで、少しショックなことがありました。妻がフィリピンにいるお姉さんから電話を受け取りました。以前に私がお金を貸してあげた買ったパソコンですが、「どんなパソコンを買ったの?」とみせてくれました。そして少しいじっておりました。その後、私が触ってからパソコンが起動しなくなったという報告を受けました。問題点は2つ1. コンピューターを大学で勉強しているという人が2週間触らなかったの?2. 専門なのに自分で治せず、私のせいにするの?それに対しての言い訳。1. 終日は自宅に戻らず学校の寮に泊まっている。自宅にパソコンが置いてあるから触れない2. 回答はないが、わからない様子。をいをい、一気に拍子抜けしました。事情はあるにせよ、うちの10歳の娘ですらパソコンを1日4時間ぐらい触っているよ。フィリピンのパソコンはインターネットにつながっていないにせよ、勉強のために使うんだろう。パソコン触らずにどうやって、C/C++の勉強をするんだい?ビルゲイツのように全部頭の中で、シミュレートするのかい?私は寝ていないときは、ほとんどの時間は触っているか、プログラムを考えている。なんか、違うなぁ。期待の星でもこんなものか、、、、すごい脱力感が襲いました。昔、ノーベル賞を得たファインマンという物理学者が「ご冗談でしょう、ファインマンさん」という本に書いていました。彼がサバティカル休暇を得て、ブラジルへ物理学を教えに行ったときのことです。ブラジルの学生は、物理の教科書を丸暗記していました。本の内容を鵜呑みにして信じ、法則や公式を丸暗記しただけです。それはちょっと違うんじゃないの?物理学だよ。物理って、常識を疑い、自分で法則を導き出すんじゃないの?コンピューターも同じだよ!言語は自分が使いやすいように作り出すものだよ。決してC/C++の使い方を覚えるものじゃないよ。C/C++は、何かを作り出す道具でしかない。ときと場合によっては、PerlやPythonや、Prologやオリジナルの言語、それがなきゃアセンブリでドンドンやってよ。すみません、ちょっと疲れてしまいました。
2005.08.18
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サイラボの8/17放送分の追補です。1. 楽天の顧客情報漏れる楽天それ自身ではないけれど、楽天にあるお店が顧客情報をかなり流してしまったようです。各店舗が決済をしたり、顧客管理をするために、データをCSVという形でダウンロードできるようです。それが、世の中に流れてしまったようです。システム的な問題はなく、人為的な犯罪のようなものです。コンピューター犯罪は年々巧妙化していきますので、それに対してはいろいろ対応策がとられていきます。しかし、人間のモラルは全然対応策がないですね。毎日のように、いろいろな会社で情報流出しておりますが、個人情報保護法の観点から会社に操作が入ったり、訴えられたりしているのでしょうか?こうなったら、個人情報はみんな公開しましょう!ということになったら、やっぱりやばいですかな?2. 「iTunes Music Store」の国内サービス開始とうとう8/4より、Appleの音楽配信サービスが始まりましたね。iTunesソフトの使いやすさといい、iPod, iPod Shuffleの普及といい、これが本命のようですね。ソニーミュージック以外の、レコード会社はこの配信サービスを利用しているようです。これが普及すると、レコード会社のような中抜きは問屋と同じような道をたどっていくかもしれません。プロデューサー能力の高いレコード会社は、プロデューサーとして残っていく、つまり独自で商品を作る会社になっていきます。しかし、ただバンドや歌手を紹介するとこに徹しているところは、中抜きでだめになっていくかもしれません。なにしろ直接商品を消費者に売ることができてしまうのですから。iTunesは動画配信をサポートしているそうなので、9月に出荷予定のiPod Videoへ音楽のプロモーションビデオ、そして短編映画などが配信されるようになるかもしれません。小さな画面で映画を見るのは辛いですが、語学コンテンツなどが評判を呼ぶかもしれませんね。3. アメリカの大学は、すべて電子化へアメリカの大学でも有力校から蔵書などが電子化されるそうです。TeXやPDFで文書の電子化は準備がすすみ、ハードディスクも大容量で分散化・冗長化すれば消えてしまう可能性も減ると思います。この目的はGoogleなどの検索エンジンや文書をある程度理解できる(セマンティックス)な検索エンジンを使って、すばやく検索できるものとすることが大切です。それによって曖昧なことからきちんとした検索ができる、つまり人の記憶容量を大きくすることができます。大学の中でだけとけちなことを言わず、世界中に公開して欲しいと思います。フィリピンの田舎には図書館がなく、雑誌などもあまり売られていません。それがアメリカに情報があれば情報を得る助けになるのですが、だけど結局回線の問題やその意図がなくてダメなんでしょうね。4. So-net、「Portable TV」を開始。ダウンロードした動画をPSPでいつでも楽しめるポータブルゲーム機のPSPは、iPodと張りあうのでしょうか?単なるゲーム機ではなく、マルチメディア(古い?)端末として、音楽や映画を手軽に楽しめる端末として出てきました。iPodに比べればちょっと大きいのですが、iPodの最高機種あたりで、ちょうどぶつかるような気がします。今後、iPod Videoというのが出てくると、PSPの方が画質がいいかもとなるとおもしろいことになるかもしれません。個人的には、音楽を聞かないし、映画なども小さい画面で見ないので、興味はありません。それよりも子どもはNintendo DSでNintendogsという犬のゲームをやって喜んでいます。私はNintendo DSのタッチパネルを使って、PDAにしてくれないかな?と思っていますが、どうなるんでしょうか?
2005.08.17
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仕事場でインド人のプログラマーと仕事をしています。私もプログラマーという立場で一緒に仕事をしていますが、いろいろなことを話しました。彼はインドのチャイナイ(昔のマドラス)近郊で生まれ育ったとのことでした。大学まで出ていますが、彼の場合はコンピューターエンジニアの専門的なコースで、普通の大学の学部よりも難しいそうです。大学の学部と大学院の修士課程を足したもので、4年半から5年かかるそうです。その代わりに就職率は抜群によく、ほぼ100%近い卒業生が就職できるそうです。それに比べて普通の学部は劣るので、就職先は劣り、就職率は下がるそうです。彼がいうには大学卒業までは、朝9時から夕方5時まで学校で勉強づめ、そして家に帰ってきてからも自習や宿題で3時間ほど勉強していたそうです。もう嫌になるけれど、将来のことを考えて勉強していたそうです。私にとってインド人はよくわからないところがまだあります。浅黒く、目が大きく深く、顔は立体的です。穏やかに話し、気持ちを押さえ気味です。彼の場合は何時間でも集中してコンピューターの画面とにらめっこしています。何か哲学的なことを考えているような感じです。台湾人や香港人、シンガポール人は、資本主義なので日本人と感覚が近いですが、中国大陸からの中国人はまた別の印象を受けます。自己主張が強く、はっきりとモノを言います。間違っていても言い訳を必ず言います。中華思想が強いのか、自分の考えていることは正しいと思っている感じがします。フィリピン人は、中国人とインド人の中間のような感じですが、とても明るい感じがします。ほとんどが控えめな感じですが、プライドは高いです。中国人は独立志向が高いと聞きますが、フィリピン人はそうではないような思います。またインド人も話を聞いた限りでは全然そうは思っていないようです。ステレオタイプで申し訳ありませんが、こんな印象をもっています。そして日本に技術者を派遣する会社に勤めたので、日本に来て10ヶ月になるのですが、東京で3ヶ月いて、名古屋で9ヶ月、そのうち今の職場で2ヶ月働いているそうです。海外で働くのは大変でしょうが、若いんですからいろいろ学んで吸収できるといいと思います。プロジェクトに関わって3日ですが、だんだんといろいろなことを学び始めました。サーブレットを初めとするJ2EEのこと、Tomcatのことなど。設定は複雑ですが、だんだんとわかりつつあります。またこのプロジェクトにいつまで関わるかわかりませんが、英語と新しい技術のことを学ぼうと思います。そうはいっても、技術のことよりは、営業活動をしないといけないんですが。。。。
2005.08.16
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今日は終戦記念日ですが、実は義理の母の誕生日です。義理の母は1945年8月15日にフィリピンのボホールで生まれました。なんていう日に生まれたんだろう、そしてどんなようすだったんだろうって気になります。ちなみに義理の母はそのことについて別になんとも思っていないようです。今日も仕事に行きましたが、妻は電話でじっくり話したそうです。私はどちらかというと、無政府主義の左に傾いている方でした。しかし、歳をとるにつれて、これだけの発展をとげさせてくれた日本の先輩たちに感謝する気持ちが絶えません。また戦争のときに、いろいろな状況にあったにせよ、自分の命を差し出して戦っていた人に礼を言いたいと思います。安らかに眠ってください。そしていつまでも世界中のみなさんが平和で幸せであるように、心の底から祈っています。
2005.08.15
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仕事に関わっている人たちは、休日返上と夜遅くまで仕事をされているので申し訳ないが、日曜日は家族のために仕事をしなくてならないので休ませていただく。結婚してからは夫業そして父親業ということで、平日は会社の仕事を、休日は家の仕事が待っている。だから自分の好きなことをする本当の休みがないまますごしてきた。結婚したら自分のことは捨てないと、うまくいかないかもしれない。結婚して以来、趣味は何ですか?と聞かれたら「家族との団欒や子育て」と答えている。午前中は、旅の疲れと仕事の疲れが出て寝ていました。午後3時からジャスコイーオンに出かけました。お盆のせいか、人がいっぱいでしたね。遅めに出たので駐車場があってよかったです。子どもはおもちゃ屋のトイザらスでウィンドウショッピング、奥さまはいろいろなお店でウィンドウショッピング、とても安上がりで助かります。お金がなかったり、出かける場所が思いつかなかったら、こういうショッピングモールは助かります。フィリピンのものよりも、綺麗で品揃えが多く良かったです(^^;ところで昨日私が仕事している一方で、妻と子どもらは近所のイトーヨーカドーにでかけたようでした。息子はムシキング大会で2位になったみたいです。パチパチパチ。詳しくは、娘のブログにあります。10歳の娘はブログを書いています。http://sayuri.magnet.ne.jp/blog/10076936.html
2005.08.14
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仕事初めかな...今日は土曜日ですが、これからしばらく名古屋で一緒にAIをやっていこうという方から頼まれて、システム開発のプロジェクトに関わることになりました。とりあえず8月いっぱいでプロトタイプの納品をする必要があり、人手が足らず手伝って欲しいと言われました。どのような形でこのプロジェクトに関わるか、手探りで始めていこうと思います。このプロジェクトに関わっている方は、システム開発の零細なベンチャーやフリーのSEの方が多いようで名古屋で仕事するには参考になるかもしれません。仕事の内容は、Javaのサーバーサイドのシステムですが、スクラップ&ビルド的なところが多いようです。まだ形がはっきりしていないところから、EclipseやTomcatなどこの世界での標準的な開発です。いままで触れる機会がないのでよい勉強になります。EclipseもAIのフロントエンドして活用できる可能性が高いので、この機会にいろいろといじってみようと思います。また8月は子どもが夏休み中なので、それから逃れるという理由もあります。一緒に遊びたい遊んであげたいという気持ちは山々ですが、それをしてしまうと仕事ができません。家で仕事をする努力はしたのですが、結局集中するために夜中に仕事をせざるをえないということになりがちでした。職場は家とは別に持つ必要はあるかもしれませんね。とりあえず8月はこの仕事に関わりますが、9月以降はどうなるか決まっていません。私も東京や大阪にも仕事があるので、まだ100%投入できるわけではありません。でも、名古屋で仕事をする場合の人脈を築く機会ができて、少しリスクヘッジできたかなと思います。この仕事に関わって、思いもよらないことがありました。インド人のプログラマーが一人いらっしゃるのですが、ランチのときに彼と英語で会話をしていたら、「お前英語ができるな」ということで彼の通訳をしながら彼と一緒に働くことになりました。当初私の勤務形態は中途半端だったのですが、私の処遇ははっきりしたようです。放浪の旅行で多少の英語を話すことができるようになって、外資系の会社に入って英語を鍛えられました。しかし語学力のセンスのない私は、いつまでたっても英語が上達しませんでした。それでも副作用で、その英語で奥さんを口説いたんですけどね。お互いになまった英語でどこまで英語の勘を戻せるかわかりませんが、予想もしなかったところで英語を話すことになりました。私の下手な英語でも努力してわかってくれようとしているインド人プログラマーに感謝です。やっぱり、英語は重要です。
2005.08.13
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堀之内九一郎 著サンマーク出版1,365円(税込)ISBN 47631-9539-5マネーの虎という番組では、泥臭い人生論を語る親父だなと思っていました。でもこの本を読んで、共感を持っています。私が本来思っていたことだけでなく、自分が起業というのを考え始めた頃から読み始めた本や、退職してからのさまざまな活動の中で感じたことがあります。私は堀之内さん、泥臭いんだけど人間味溢れているし、若いIT起業家と違って、書いている内容に重みを感じます。彼がこの先失敗するかもしれない、それはわからないというところに誠実さを感じます。成功法則その1 まず、真っ暗闇のどん底にひじをつき、地面の冷たさを知れ堀之内さんはホームレスから年商100億の社長まで上り詰めた経験を語ってくれています。落ちるところまで落ちてその冷たさを知って、「希望の針穴」を見つければ、あとはそこに向かっていくだけです。最悪の状態を知っても、平穏でおれば、そこからなんとか少しでも抜け出せるでしょう。私は少し違いますが、インドで全部パスポートもお金も盗まれたときがありました。日本大使館や他の旅行者からお金を借りたりしたこともありましたが、ほとんど何もない状態で一人で、大使館や警察、銀行へ交渉しに50℃近い猛暑の中をインドのデリーの街を1ヶ月歩きとおして、旅行を再会することができました。そんな経験がありますので、たいていのことはまあなんとかなるだろうと思っています。成功法則その2 プールの水を「とりあえずおちょこで」汲み出しはじめられる人間になれこれも仕事を選ばずにいること。ただし、夢へ少しでも近づく方向の仕事であればいいのではと思います。まあダメで途中で倒れても、しゃあないなぁと、それはそれで自分の力不足だと思います。もちろん、おちょこの次のひしゃくを探します。できればポンプをどのように用意すればよいか、もっと良い方法がないかを考え続けます。成功法則その3 まずは「小さな欲」をとことん満たすことから始めよ私は欲をなくすることをモットーに生きてきたのですが、妻や子どもが欲があるから彼らに任せました。私も多少なりとも、ご飯を食べたいや眠たいなどの欲はあります。今の欲は、名古屋の職場の近いところに引越しができるようにすること。つまり、マンションをキャッシュで買うこと。妻はキャッシュでマンションを買わないと引っ越さないとか。いまの状態では毎日通勤地獄に陥ってしまいそうで。大変ですが、これが身近な夢です。成功法則その4 「儲け方」でなく、お金の「使い方」を必死に考えよ政治家みたいですが、その通りだと思います。活きるお金の使い方をすれば、お金は居心地のよい自分のところに戻ってくると思います。活きていればよい循環が生まれると思います。資産を増やすことだけに集中するのではなくて、キャッシュフローの状態のよいままで留まるキャッシュの量を大きくすることが、結果事業を大きくすることですね。成功法則その5 とにかく「速さ」にこだわり、突風で勝負せよ熟考しようと思うことが多いのですが、最近は記憶力悪いです。記憶があるうちに判断するようにします。これも問題ないな。間違った判断は、よく考えてもすると思うしね。成功法則その6 小指の先ほども疑わないくらい信じきれる師匠をもてこれは難しいことだと思います。とことんまで信じて裏切られないメンターを持つことは。でも、すべてゆだねてしまって、裏切られたらハイそこで人生終わりという生き方の方が楽だと思います。そのためには、人を見る目を養うことが大事ですね。当たり前か。成功法則その7 裸の自分をさらして、視線の奥のホンネを見抜けすでにブログで裸になっています。(^^;成功法則その8 分かれ道では絶対に、「得しそう」でなく「楽しそう」を選べ一生のうちに使うことのできるお金の量は決まっていますから、楽しく生きた方がよいかもしれません。個人的には本があれば、それも図書館でいいから、お金はあまりなくても楽しい人生がおくれる自信があります。まだアジアも物価が安いから、100万あれば1年間旅行するの簡単だしね。というわけで、あとちょっとで成功しそうです。。。。。。。そんなわけないか。
2005.08.12
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フィリピンから帰ってきて、日本のコンビニで買ったおにぎりで食中毒になりました。シーチキンマヨのおにぎりを4つ買って、娘は2つ食べました。息子は1つを食べて半分を食べないうちに気持ち悪いといいました。私はもったいなかったので、残りの半分を食べました。残った1個は手をつけず冷蔵庫の中に入れました。息子はしばらくしてベッドに入りましたが、30分くらいたって、「トイレの前で吐いちゃった】と言いました。パジャマは汚れて、床は吐いたものでいっぱいでした。飛行機の中で食べたものを疑ったのですが、発症するにしては時間が経ちすぎていました。たぶん、旅行でつかれたんじゃないかと思っていました。しかし、一回の吐き気だけでは収まらず、夜の間1時間おきぐらいに起きてきて気持ちが悪いといって、水分補給のためにとった水や胃液を吐いていました。私は夜中の間、ずっと看病することになりました。とはいってもずっとベッドにいるわけにもいかず、たまっていたビデオを見て、息子が起きてきたらそれに対応するという感じでした。私の方もひどくはないのですが、軽い頭痛がしたし、翌朝は泥水のような下痢をしました。娘も私と同じような症状で、軽い頭痛と下痢でした。とはいっても私と娘は比較的元気です。息子は一晩中眠れないようでしたが、まったく身体が動けないというわけでもなく、そのうち直るだろうというぐらいにしか思っていませんでした。それでも子どものことだから心配で、小児科へ連れて行きました。もちろん残ったおにぎり1個も持っていきました。医者からは下痢止めと抗生物質をいただくことになりました。そして念のため、息子のお尻を検査しました。後でわかったんですが、大腸菌性食中毒でした。便に血が混じることなく、今ではみんな元気になっています。おにぎりは賞味期限まであと1日ありますが、保存状況が悪かったんでしょう。そして、旅行づかれのせいもあったんでしょう。コンビニも落ち度はあったと思いますが、普通の状態ではこんなに悪くはなかったかもしれません。実は私はもっとひどいのを経験していますし、今回はそれに比べればまあいいかと思います。3年前にフィリピンから帰ってくるときでした。3年前は今回と違ってボホールへその日に飛ぶ便がなくて、香港経由のセブ行きでした。そのため、帰るときは一泊セブに泊まることになりました。日本に帰る前日の夜に、夕食に行くことになってタクシーでセブのショッピングモールへ行きました。妻と結婚した当初はパスポートやビザなどの書類手続きでマニラで滞在することが何度かありました。そのときよく、ピザハットでピザを食べていました。日本やアメリカと味は変わらずしかも値段は1/3ぐらいなので、よく行っていたのです。その思い出があったものですから、セブでも久しぶりに子どもを連れてピザハットへ行ったのです。そしてピザを注文して食べました。そして、買える途中にタクシーの中でだんだんと気持ち悪くなり、ホテルに着くとトイレへ行くのに妻と私は争うほどでした。ピザを食べてから1時間ほどでしょうか。それからお互いに30分おきぐらいに、吐いたり、下痢したりしました。胃の中に何も残っていないのに、胃液を吐いたりしました。ほとんど水のようなものを下痢しました。私だけでなく、妻もまったく同じで、ときには同時に、ときには順番にトイレに駆け込んでいました。そして、一晩中そんな状態でした。頭痛もがんがんするし、おなかも痛いです。トイレに行く間隔に、ベッドで横になるという状況です。こんな状態で帰ることができるか心配でした。幸いなことに、子どもたちはピザを1口か2口しか食べず、まったくそのような症状はありませんでした。不幸中の幸いです。子どもが同じ症状だったら、たぶん救急車に運んでもらったかもしれません。私と妻はつらい状態なのですが、おそらく毒素を全部からだから出し切ったのでしょう。翌日はフラフラですが、下痢は止まり、吐き気もおさまっていました。頭ががんがんしました。何も食べなければ、下痢も吐き気もないような状態でした。結局、いっさい機内食をとらないまま香港経由で名古屋へ戻ってきました。翌日は少し食べれるようになり、なんとか収まったみたいです。フィリピンから戻ってきて、そのセブのピザハットを訴えることもできませんし、まあ命あってのものだねと思っています。今回の息子の症状は、それに比べればずっと楽です。私たちはトイレでぜえぜえとしていて、思わず便器の中に顔を突っ込むぐらいの勢いで吐いていたものですから。息子はひどいといっても、げぇっと吐けばあとはベッドで横になれる状態です。結局は自己管理です。多少の食中毒でも体力があれば乗り切れますから。。。。20代で若いときは、同じ時期にインドにいた人はA型肝炎にかかったのに私は平気でした。そのほかに、たいていのところの生水を飲んでも平気でした。仮に下痢をしても2、3日で平気になっていました。しかし今はもうだめです。妻と結婚した頃、妻の実家の井戸水に慣れようと、がんばって生水を飲んでいたのですが、2週間飲みつづけても下痢は止まりませんでした。それからはフィリピンではミネラルウォーターか煮沸した水だけを飲んでいます。まだまだ残暑が残ります。最後は体力なので、体力を温存して、残暑を乗り切りましょう!
2005.08.11
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1週間遅れで申し訳ありません。ネットチャンネルKYO 8/3 23時に放送される「サイラボ」の追補です。1. ヤフー、「Yahoo!メール」に送信ドメイン認証を導入、迷惑メール対策を強化http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20085533,00.htmスパムメールが増えているだけでなく、フィッシング詐欺も増えてきました。メールを受け取るのですが、送信者詐称のメールが多いです。銀行のメールアドレスを見て、これは銀行のメールかなと思ってしまうのですが、それが実はフィッシング詐欺の入り口です。メールのURLをクリックすると、詐欺ページが開かれます。そこで銀行の口座番号やパスワードを入れると、それが自動的に盗まれてしまうのです。その詐欺を引き起こす理由の一つが、メールアドレスを信用してしまうこと。そこで、メールはメールアドレスが正しいところからしかメールを送るようにする。つまり、送信者は間違いなくメールアドレスの人にする。そういう仕組みを考えました。それが「送信ドメイン認証」です。これはメールサーバーすべてにその仕組みがないとうまくいきませんが、送信者個人を特定することが可能になります。しくみは、昔からのパブリックキーとプライベートキーの署名の方法です。これはサーバーどうしで自動的に機能しますから、一般ユーザーはこれまでのメールソフトを使いつづけることができます。YahooメールをWebで閲覧すると、「送信ドメイン認証」を確認できるそうです。マイクロソフトも対抗馬として、"Sender ID"という方式を考案しています。ただこちらは個人の確認はとれず、メールアドレスのサーバー部分(@の右側)だけを認証するしくみです。どんどんこういう機能は広がって欲しいものですが、それにともないスパムも減って欲しいです。私はもう一歩踏み込んで、せっかくパブリックキーとプライベートキーを使っているのですから、ついでにメールの暗号化もやって欲しかったなと思います。2. もうキーボードは叩かない--IBMが新種の入力手法を公開http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20085403,00.htmPDAでは、PalmのGraffitiという入力方法を気に入っていました。基本的にはアルファベットを一筆書きで入力するのですが、例外的にKなどの入力方法を数十分で覚えれば、すべて入力できるものでした。たいへん気に入っていましたが、それでも入力するのは手間で、日本語の場合はローマ字から変換しなくてはならないので、長文の場合は大変でした。やはり、キーボードに勝る入力方法はありません。一方で、女子高生がポケベルをすばやく入力するさま、携帯をスパスパと入力するさまは驚きです。パソコンのキーボードの方が勝るでしょうが、それでも入力の早さに驚きです。日本でも欧米でも(フィリピンでも)、携帯はメールを利用するのが多いようです。ではもっと楽な入力方法はないかと考えたのが、IBMの研究所が考案したShark(Shorthand-Aided Rapid Keyboarding)方式です(番組ではTech-A-Sketchと言ってしまったが間違いです)。普通のキーボードの画面を携帯に表示して、そのキーボードをなぞる方法です。入力するべきところで、折り返して次の文字へたどればいいのです。これだったら、なぞるだけですので早そうな気がします。日本語だったら、さしずめ50音表にすべきでしょうか。昔に、キーボードを3~5打って漢字1字に割り当てるという、とても早い入力方法がありました。記憶しやすいようにキーと漢字を関連付けているそうです。練習が必要ですが、それを覚えるととても入力がはやくなるということらしいです。ん~でも、それはあまり必要性を感じませんでした。頭に思いついたことを、自動的に入力される日は何時頃でしょうかね?私の場合は言語というよりも、イメージで思いつきますので、どうやってコミュニケーションを取ればいいのでしょうか?それって、象形文字じゃん!3. OS/2の歴史に幕--IBM、2005年末で販売打ち切りにhttp://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20085490,00.htmまだOS/2って終わっていなかったんですね。OS/2って、知っている人は結構すくないかもしれません。OS/2は、パソコンの初期にMS-DOS(アメリカではPC-DOS)というのがあり、その後継OSとして開発されました。DOSでマルチタスクを実現して、メモリ管理や、安定性に優れていました。その後、GUIを載せることになり、Presentation Manager/2(以下、PM/2)が搭載されて、Windowsのような画面をつくりました。マイクロソフトのMacOSを真似て、Windows 1.0を作ったのが、1985年頃。その後バージョンアップして、Windows2.0をOS/2に載せたのがPM/2でした。その後、マイクロソフトとIBMは方向性の違いが生まれて仲違いします。OS/2はIBMだけで開発されていくことになりました。OS/2の安定性の高いOSは、マイクロソフトがDECから技術者をヘッドハンティングして、ミニコンPDP-11と同様のOSを作ろうとします。それがWindows NTです。NTは、New Technologyの略です。マイクロソフトは、Windows 3.0で成功します。たくさんのアプリケーションと日本語版OSが作られました。そしてWindows 3.1で安定性を高め性向を修めました。Windows 3.1までは、IBMとマイクロソフトは契約があり、OS/2のオプションでWindows 3.1のソフトを動かすことができました。メモリーは余分に必要ですが、マニアの間では安定性の高いWindowsという評判で、OS/2を使う人がいました。しかし、1995年、Windows 95が出て、OS/2の敗北は徹底的になります。OS/2にはWindows 95のソフトを動かせる互換機能はありませんでしたから。それから、Windows 98, Windows 98 Second Editionがでて、差が生じます。安定性の面でも、Windows NT 3.51から安定度が増し、サポートも充実しました。Windows NT 4.0ではWindows 95のソフトが動くようになりました。日を増すごとに、OS/2の敗北は徹底的になりました。いつしかLinuxというOSが耳に聞こえてきたのもこの頃です。それでも、OS/2は銀行・証券会社とIBM社内で使われていました。一部のソフトがOS/2で動いていて、安定性も高かったからです。しかし、パソコンのハードは寿命があります。ハードディスクは数年、その他の部分も10年も経てば故障する可能性が高くなります。ムーアの法則(3年で4倍の性能になる、正しかったかな?)が成り立つこの世界では、古いものは新しいものにすぐ入れ替わります。いまやOS/2で動くハードを探すのも大変な時代になりました。コンピューターのハードもソフトも生ものです。賞味期限が切れたら捨てなくてはいけない、大変な世界です。4. RSSって、何?最近RSSっていう言葉を耳にしませんか?RSSとは、RDF Site Summary / Rich Site Summary / Really Simple Syndication のいづれかの略語です。元の意味はどれでもいいのですが、RSSという略語が先行してしまいました。RSSはHTMLとある意味似ています。私は元来の目的をもった古いHTMLではないかと思います。ホームページは、HTMLによってかかれています。そのHTMLをブラウザが解釈して、きれいに表現しているのです。画像を使ってメニューを作ったり、表を使って一覧を表示したり、見た目がとってもきれいになっています。しかし見た目はいいのですが、どんな内容がかかれているかというと、自分で目を追って探さないといけません。どこが表題で、どこが要約で本文かは、一目みてもわかりません。そこで、RSSは情報を伝える必要最低限の情報をもった形式というところから生まれました。RSSは表題、本文、著者、日付などをあらかじめ形式化した、XML文書なのです。XML自体、情報のやりとりをするための形式です。商取引やサーバーどうしのやりとりなどでは、情報の形がきまっていないとやりとりができません。このように形式を整えたものが流行してきて、配信するためのソフト、閲覧するためのブラウザがいろいろ用意されてきました。本来のニュースや情報得るためでよければ、RSSが一番好都合です。一方でGMOらはRSSに広告などを載せたいとか考えて拡張仕様を提案しています。本末転倒な話ですが、それならブラウザで表示させなければいいのですから。今後RSSが普及して、ニュースや情報の配信がもっと充実されていくのを望みます。
2005.08.10
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前夜までにすべての荷物をカバンに入れて、朝8時頃に家を出ました。家を出る前に、ロアイから義理の母や親族の何人かが来てくれました。空港まで見送ってくれるそうです。義理の弟に頼んで、近所のバスターミナルからジープニーを呼んでもらうに頼みました。いつもは定期路線を走っていますが、お金を包むとタクシーのように運んでもらえます。タクシーもあるのですが、ここボホールでは絶対数が少なく割高なので、ジープニーの方が荷物も運びやすいしいいですね。空港まで100ペソ(200円)で、私たち家族と見送ってくれる親族を運んでもらえます。20分ぐらいで空港へ着きました。飛行機の離陸時間は9時50分です。まだ1時間半ぐらいあります。空港には航空券を持っている人しか入ることができません。そのため、一度親族と離れてチェックインすることにしました。こんな田舎空港でも荷物の中身はチェックしてします。X線で確認する機械はありませんが、2人の係官が中身をチェックしました。その後、荷物を預けたところで、一度空港の外に出ました。親族とのお別れです。義理のお母さんは涙もろいので泣いていました。とはいっても、しょっちゅう電話で連絡をとっていますよ。朝8時半ころでもとても暑いので、我々は空港の中のエアコンの部屋へ入り、みなさんとは挨拶して別れることになっていました。親族のうち何人かとは挨拶できなくて残念です。私たちの乗るフィリピン航空の前に、セブパシフィック航空のA320の飛行機が飛び立ちました。こんな田舎でも1日2~3便の往復があるんですね。空港の外には日本の会社と思われる旅行会社(アサヒトラベル)があります。1時間ぐらい待っていて飽きたので、また空港の外に出ました。すると見送りに来てなかった親族が3人来ていました。一番上の義理の兄と2人目の義理の兄の妻、そして義理の父の妹さんでした。私は妻を呼び出して、再び別れを告げました。本当にフィリピンは、親族の結束は強いですね。暑いのにわざわざ来てくれています。嬉しかったです。そして9時50分の定時で飛行機は離陸しました。1時間10分ほどで11時頃着きました。マニラの国内線ターミナルから国際線ターミナルへの移動です。移動は100mくらい距離があり、また1階から2階へ移動します。あいにくエレベーターが故障していて、いったんカートから荷物を降ろして運ぶことになり、移動に15分くらいかかりました。空港は結構厳重でした。建物に入るのに航空券の2回のチェックがあります。そしてゲートへ行くまでにもボディチェックを含め厳重なチェックがありました。そうして、無事に日本に戻ってきました。ただ、航空カウンターでチェックインしたとき、何もいわなずにいたら、往復とも席が窓側とは遠い真中の4席でした。子どもがいるから、窓際がいいんですよ!できれば、窓側2席ずつがいいのにな。今度からちゃんと、"Window Side"と言おうっと。実は私は通路側の方が好きなので、家族のことまで考えるのを忘れていました。空港はすんなりとおって、空港駅から朝倉駅まで15分ぐらい。そして駅まで母にくるまで迎えに来てもらいました。夕食はないので、コンビニでお弁当やおにぎりを買って帰りました。食中毒の話は後日にしようと思います。イタタタタタ。ところで、今回のフィリピン旅行にかかった費用は、こんな感じです。航空券代国際線 中部国際空港(名古屋)⇔ マニラ約25万円(4人分)大人1人6万5千円、子ども1人4万8千円に、燃料追加代、保険代が増えて、さらに空港使用料が請求書に入っていました。国内線 マニラ⇔タグビララン約4万8千円(4人分)これは、国際線と一緒に購入した方が8千円ほど安くなりましたね。失敗!合計30万円お土産代フィリピンの親族へ 約5万円バーゲンの服、バッタ品の時計、化粧品、チョコレートです。全部で30人分以上です。フィリピンでの生活費20万円この中に12日間の滞在費、家のペンキ代(仕事代)、兄弟に家政婦を頼んだ費用、ハイキング費用、2人分の法要代、雑費こみこみです。ペンキ代や家政婦の人件費は3万円ぐらいだと思いますが、これで親族への良いお小遣いになりました。合計で55万円ぐらいですが、航空券代が半分以上かかるのは少し痛いです。総括フィリピンについていろいろ批判をしていますが、いいところがあります。彼らの明るさやホスピタリティです。私が一人でいると、入れ替わりに声をかけてくれたり、気遣ってくれます。彼らといると心が休まる気持ちがします。日本に帰ってくると、人々は無表情で暗~い感じがします。いつも不安を感じて生きているという気すらします。常に前向きで生きている彼らからは何か学ぶものがあるのではと思います。悪いところは、近視眼的です。今日、明日の生活のことしか考えておりません。情報がないのか、周りがそうなのか、それとも生活が大変で今日のことしか考えられないのか。中国系の人(華人)は、先を見て生きているので、そんなフィリピンで成功してきたのではないかと思います。中には成功していない華人もいると思いますが、東南アジアの他の国と同じく成功すべくして成功したのかなと思います。ダンディン・コファンコのことを学んで、そう思いました。大多数はマレー系のフィリピン人ですが、彼らの中にもそういう人がいて成功してきた人はたくさんおります。持論ですが、熱帯で生活していて年中果物が取れ、米の三期作も可能なこの土地に生きるのは、工夫をしなくても生き残ることができたんだと思います。一方、年に1回しか作物が実らない欧州や中国、韓国、日本などの温帯では、知恵を振り絞らないと生き残れないからその中で鍛えられたんだと思います。モノがないから、努力しないと生きていけないから、今の時代生きていきやすい環境にあるのではと思います。さらに今の時代の先端の、華僑、印僑、ユダヤ、パレスチナ人などは、自分の国に住まず外に出て生きている人たち。彼らは資産を土地に残さず、教育などの無形資産に蓄えてきたからこそ、これからの時代の人たちだと思います。民族に囚われる必要はないのですが、どこでも生きていけるということができるのが大事だと思います。・・・・・・・・あ、英語勉強しなきゃ。
2005.08.09
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無事にフィリピンから戻ってきました。帰省中のブログをフィリピンから出そうと思ったのですが、インターネットカフェから直接ノートPCをつなげてはだめと言われました。この時勢セキュリティの不安を感じましたので、アップできませんでした。でも書き溜めていたので、少しずつ出していこうと思います。とりあえず、中国の亡命外交官に間違われずに良かったと、安心しています。スペースシャトルも無事戻ってきてほんとに良かったです!
2005.08.09
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今日8月8日は義理の父のお兄さんの3回忌、そして義理の父の6回忌が8月12日でそのお祈りで、ロアイの義理の母の家へ行ってきました。義理の父は6年前に脳梗塞で死亡しました。1942年生まれで57歳でした。その1ヶ月ほど前に、たまたまフィリピンへ帰郷することができたのは不幸中の幸いでした。一度も子どもたちに手をあげたことがないそうで、いつもにこやかな表情をしておりました。死ぬには少し早いですね。フィリピンは温暖な気候ですごしやすいです。たくさんのお年寄りがいます。しかし健康診断は普及していないし、栄養が偏っています。また医療が整っていないので、病状が進行しているのに気付かず、ぽっくり死んでしまうことが多いようです。義理の父のお兄さんは、少し知恵遅れでしたが、義理の父の家族で一緒に生活しておりました。お父さんが亡くなって4年経った頃、近所の頭のおかしい人に斧で刺されて死にました。その頭のおかしい人は刑務所に入れられて、しばらくしたら自殺したそうです。妻の家族はみんなカトリック教徒です。とはいっても、日本のカトリックとはミサの進行や細かなことは違うかもしれません。どちらも土着の習慣や宗教と結びついている蚊も知れません。フィリピンでは、サンタ・ニーニョという「キリストの幼子」という天使のような像を崇拝します。セブにそのサンタ・ニーニョを祭っている教会があり、遠くからお参りに来る人が多いです。各家庭に歯、十字架よりはマリア像やサンタ・ニーニョ像を並べています。こちらでは、人が亡くなってから毎年、回忌法要があります。10年まで続くそうです。その回忌法要には親戚や近所の人が集まって祈りを捧げます。その回忌法要の10日前から毎日お祈りをするそうです。地元の熱心な信者がお祈りの言葉を捧げ、みんながその言葉に続きます。おおよそ30分ぐらい祈りの言葉を捧げるでしょうか?そのお祈りをする人にお布施のようなものを包みますし、またお祈りが終わった後にスナックや飲み物を振舞います。そして回忌法要では、食事を振舞います。そしてもちろん、お墓参りも行います。日本と同じような感じですが、ずいぶんと手間が掛かる感じです。たぶん、お布施の方は10日間で800ペソ(1600円)ぐらいで、スナックや食事もさほどお金をかけていません。だけど人が多いので、結局毎年2万円以上は掛かってしまうようです。妻の父が亡くなったのは、1999年8月12日の朝方でした。義理の母が朝食ができたことを大声で呼んでも起きてこないので、様子を見に行ったら、亡くなっていたとのことでした。まだその頃は携帯電話も普及していなかった(固定電話がなかった)ので、その日の夜にお姉さんから国際電話がかかってきました。ちょうどお盆の時期だったので、飛行機の便がとれるかどうか心配でした。その日の電話ではできるだけ早く行くとだけ伝えて、詳細は後で連絡すると伝えました。そのときは勤めていたので、義理の父が亡くなった場合は3日ぐらい忌引きとして休めました。そして翌日会社に出かけて事情を話し、その日の半日分の休みと忌引き休み、そして足りない分は有給休暇を申請しました。私の妻の家族はフィリピン人であることを知らせていてその事情を取り計らってくれた、日本アイビーエム中部ソリューション株式会社とその上司の阿部さんに感謝します。すぐに旅行代理店に連絡して、一番早くいく飛行機を頼みました。明日のフライトで5日後に戻ってくる便で座席がとれました。お盆の最中ですがキャンセル待ちがあったのでしょうか。すぐにお金を払い込み、航空券は空港渡しでした。また妻とは名古屋駅で待ち合わせて、入国管理局へ行き再入国ビザを取得しました。そのとき幼稚園に通っている娘と1歳に満たない息子は、私の両親に預けました。そのときはタグビラランへ飛ぶ飛行機便はなく、大阪発セブ行きになりました。その翌日の朝には大阪の関西国際空港へ行き、午後セブへ飛びました。セブには夜着いたのですが、ボホールから弟が迎えに来てくれていました。セブに着いた翌朝高速船でタグビラランへ行き、そこからトライシクル、ジープニーを乗り継いで、ロアイの義理の母の家についたのは10時をまわった頃だった。義理のお父さんが亡くなってから、4日目にやっと着いたということになる。フィリピンは土葬である。自宅の広間には祭壇が飾られており、そこに棺桶があった。棺桶の中に死体処理をした、義理の父が横たわっていた。義理の母とは挨拶をしたが、すぐに奥に引っ込んだ。長年連れ添った夫を突然亡くしたのは相当辛いようだ。日本でいうお通夜や葬式は、フィリピンはどうするんだと妻に尋ねた。お通夜みたいなものは既に済んでいる。葬式は、身内のものがすべてそろったところで行うとのことだ。私たち日本組が一番遅かったので、私たちの到着を待っていたようだった。そして翌日葬式が執り行われることになった。それでも私たちが到着するまで、毎日何度か祈りが行われたようだった。私たちが到着した午後も、お祈りが行われた。葬式の前の夜に、親族一同や近所の人が集まった。お通夜のようだった。夜のお祈りの後、食事が振舞われる。そして、ばくちが始まった。トランプを使って、2ヶ所でばくちが行われる。そこでのショバ代が、葬式の費用の一部になるそうだ。今回の葬式の費用は、フィリピン流にお金を持っている人、つまり私たちが払った。おおよそ15万円ぐらいだったろうか。翌日の午後に、自宅での最後のお祈りが終わった後に、棺桶を男たちが担いで葬儀車に運んだ。全体が白っぽく作られた、ライトバンにデザインを施した車である。車の助手席には喪主の義理の母が乗る(喪主という言葉があるかどうかわからないが)。その車は歩く速度、時速4kmぐらいでゆっくり走る。そのあとを、親族一同、そして近所の人、また雇った楽団が音楽を奏でながら歩きます。教会まで歩いて1時間くらい掛かります。じめじめっとする暑い日でしたが、正装でぞろぞろ歩きました。私は、日本の夏の正装で歩きました。半そでのシャツと黒いズボンです。ネクタイはしませんでした。通りを歩いていると、家からみんな出てきました。中には、コインをこちらに投げる人もいました。コインを投げて、それをまた葬式の費用に充てるのが慣わしのようです。私はビデオカメラで、一番前の車から最後尾まで撮影しました。そして、ロアイの教会までたどり着きました。教会の中へ、男たちは棺桶を担いで、最前列に起きました。そして親族や近所の人たちが、教会の席につきました。しばらくすると、神父さんが入場されて、ミサが始まりました。ミサの後に葬式を執り行いました。何を言っているかわからないのですが、荘厳な感じです。その後、再び棺桶を担いで車に入れ、山の上にある墓場まで行きました。墓場は家の近くにあるので、また1時間近く歩いたことになります。お墓には葬儀屋の人が、地面をセメントで箱のように固めていました。横にまだ乾いていないセメントがあります。棺桶をのそのセメントの箱の中に置きました。親族は最後の別れです。全員が棺桶の窓を開き、義理の父にお別れを言いました。そして葬儀屋が、セメントの箱のふちに塗り、セメントつくった蓋をしました。もうこれで開けることができません。ゆっくりと、義理の父の身体は腐敗していくんでしょうね。蓋をした後に、花を弔い即席のお祈りを捧げて終わりました。後日、お墓のプレートを一番上の義理の兄がつくると言っておりました。数年後お墓を見ましたが、通常の2倍の大きなプレートを作ってありました。義理の兄の気持ちが伝わります。義理の父、義理の兄弟の仕事は、お墓のプレートをデザインして作る仕事もしています。明日の午後にセブに戻って、その翌日飛行機で日本へ帰ります。フィリピンではどんな展開になるかわからないので、1日遅れてもよいようにしておきました。そのため、義理の父の死後にどうするかという話し合いをしました。お金を援助してきて、この葬儀費用も全部出した私たち、特に妻の発言権が強かったです。妻は結婚前まで、女子高生にも見える、おとなしいシャイな女性でしたが、強くなりました。子どもを2人産んだせいか、それとも日本での生活のせいか、私と結婚したせいでしょうか?妻自身も取り仕切れる自分に驚いたようです。妻が音頭をとって決めたことは次のようなことです。・お父さんの財産は、お母さんが引き継ぐ・お母さんが亡くなるまで、財産は兄弟で分配しない・お母さんへの援助は兄弟全員で分担する → 結局は私たちだけが資金援助をしており、他の兄弟は身体で提供するということになっているようです・お父さんの仕事は、2番目のお兄さんが引き継ぎ、下の兄弟たちを雇う義理のお父さんの訓練を受けた、息子たちは4人おりました。みんなで一緒に事業を構えていけば、大きな仕事もでき、収益性も高まると思います。またお父さんから引き継いだ仕事の技だけではなく、コンピューターによるデザインなどをしないとビジネスは先細りになるよと伝えました。残念ながら、6年経って兄弟たちはばらばらに仕事をしています。そして将来はどうなるんだろうと不安に思っています。たぶん、ボホールにいると情報がないので、世の中の動きや将来に対する見通しが利かないんでしょう。そして、それを見る目を持つのは教育なんだと思います。いくら私が言っても聞く耳を持ってくれていないし、説明してもわかってもらえません。目の前に、大波が来ないと対策を考えないのかなと思います。親しい兄弟だけど、とても残念です。
2005.08.08
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フィリピンの毎日の生活アロナビーチから戻った後は、妻の家で普通の生活をしている。テレビも見ずに、近所を散歩したり、近くのショッピングモールへ出かけたりしている。フィリピンのいろいろな観光地でもいけばおもしろいのかもしれないが、ここボホールではすべて行ってしまったし、特におもしろいことはない。毎日ぶらぶらとこれまでの日常とは異なる、新しい日常を体験している。妻が久しぶりに母親や兄弟たちと話することができ、そしてフィリピンの生活を思い出すことができるのでそれでいいかなと思う。娘や息子も、祖母やいとこたちに会えて、自分のルーツを体験できることが大事だと思う。私は私で、リラックスするしかないかな。あえて、情報を遮断していろいろ考えをめぐらしてみるかと思った。ただし、フィリピンの学校は夏休みではないので、月曜から金曜日まで子どもは学校に通っている。そのため、私の娘や息子の遊び相手は日中いないので少しかわいそうだ。とはいえ、Nintendo DSを持ってきたので、暇つぶしてはできている。子どもにフィリピンはどうかと尋ねたら、妻の家は快適なのでよいが、他の家での生活は嫌だとか。トイレを始め、なんでも汚く臭いので嫌だとか。妻の家は特別なんだよぉ。妻の家は、5年前に建てた。今住んでいる中古マンションの残金を、両親に払った後に毎月積み立てたお金が180万円。妻が自分の小遣いの中から貯めたお金が120万円。およそ300万円で建てた。土地代が80万円、建物や電気設備などで270万円ぐらいだろうか。あれ計算が合わない。50万円ぐらいは追加で払ったのかな...こじんまりとした100平方メートルぐらいの平屋建てであるが、すべての窓には蚊などが入らないように鉄の網を設けた。フィリピンに行くたびに蚊に悩まされるので、蚊取り線香なしでもすむようにしたのは快適である。妻が建てたこの家を、いつもは妻の妹家族が住んでいる。税金や維持費などをすべて自分たちで支払うという約束をした上である。それでも、数年に一度しか行かない家を持つのはもったいないと思う。フィリピンでは銀行に預けていても、年利10%以上で貯金が増える。インフレも同程度に上がっていく。フィリピンで不動産に投資して、賃貸料でもとっておけばよい。そして、将来永住することがあれば、そのときに建物を壊して、そこに住めばよいと思う。しかし、妻はフィリピンで自分の家を持つことは夢だという。夢は何ものにも変えられないのだと。日本に来ているフィリピン人は、フィリピンで家を買うことは夢だという。そして、その家がもし自分に何かあったときの避難先だと思っているようだ。いざというとき、例えば夫と離婚した時に、フィリピンに居場所があるということらしい。今日初めて、妻の家の周りを探検した。妻はたまたま田舎の街タグビララン(とはいってもボホール州の中心で州都、人口は10万人ぐらい。飛行場があり、毎日1~2の定期便がある。ボホールは人口100万人以上だが、人口は都市部に集中せず、全体にばらついている。)の新市街に家を買った。市役所をはじめ自治体や政府の役所がある。平地ではあるが、ココナッツや木が茂っていて、土壌が整地されていないところが多い。しかし、ところどころに高級な住宅がある。敷地100坪ぐらいあって、周りを背の高い塀で囲み、中には城壁の2階建ての建坪30坪ぐらいの家がある。おそらく1500万円以上は、かかっているのではと思う。通常100万円ぐらいで家を建てるから、このあたりではお金持ちにしか見えない。妻の家も、土地は狭いが近所の家の中では別格である。日本の家としてはたいしたことはないけれど。マニラはもちろんセブなどでは、こういう高級住宅はたくさんあるが、ボホールで見かけるようになったと聞いてびっくりした。妻の家のすぐ隣にも、妻の家の3倍の大きさで素敵な家がある。地元のお金持ちのご子息らしいが、夫はフィリピン人であるが、アメリカで出稼ぎの医者をしているそうである。年に3回ぐらい帰宅されると聞いた。3年前に来たときに招待されたが、車が2台止まっており、家の中には水槽がある。夫がスクーバダイビングやスキーをした写真が飾ってあった。その家は、若い奥さん(推定)28歳くらいと彼女のお母さん、そしてメイドが2人と運転主が1人いた。先の高級住宅は、後から聞いたら日本人とドイツ人の定年の夫婦が住むそうである。自国に比べたら安いものだが、強盗に襲わたり騙し取られないように天寿をまっとうされることを祈るばかりである。やはりこのあたりのフィリピン人のお金持ち、中産階級が生まれるのはまだまだかもしれない。とは言っても、近所にできたショッピングモールの品揃えやレストランでの金遣いを見ていると、10年前に比べてフィリピン人の生活もずいぶん向上したと感じる。妻の兄弟は1日100~200ペソ(200~400円)の収入を得る生活で苦労しているのに、ランチで500ペソ(1000円)ぐらい平気で使う家族をたくさんみかける。中国の経済発展に比べれば遅いが、フィリピンもそれにつられてかどうかわからないが、徐々に変わってきている。電化製品が、中国製、韓国製のものが増えているのが驚いた。例え海外生産でも、日本製がほとんどなかった。唯一目に付いたのは、Nationalブランドだけだった。日本の電器メーカーは危うしだろうか。私が妻の家族での期待の星は2人いる。妻のお姉さんの2人の娘。2人とも美人で大学生。1人は看護士の勉強(Nursing Course)をして、一人はコンピューター技術(Computer Engineering)を学んでいる。アルジン(Algine)とロクサン(Roxanne)である。Algineは20歳で、卒業後はアメリカの病院で働きたいという夢がある。Roxanneは田舎の街でずっと1番で、大学は奨学金をもらって通っている。前のブログでパソコンを買ってあげた娘だ。コンピューター技術を学んでいるのは、ボホールの田舎の大学だ。それを心配していたが、本人は追いつくので精一杯だと言った。3年生でいくつかの科目を受講しているが、そのうちC++のテキストを見せてくれた。日本語版でも出版されているとても分厚い解説本だった。コンピューター技術はとても人気があって、当初250人が入学した。しかし、コースが難しく、3年目の今では30人が残っているだけだという。みんな学科を変更したか、諦めてしまったようだ。このコースは5年だけど、卒業できるかどうかもわからないそうだ。私は大変だけど、目標を決めてがんばれと言ってやった。逆にすごく安心した。田舎の学校であっても難易度を高めているからだ。大学を卒業したらある程度自信がつくだろう。しかし残念なのは、参考書や雑誌が全くない。日本だったら、大学の図書館に行けば参考になる本はたくさんある。C++の本だけでも、古いものから新しいもの、難易度を変えて視点を変えて、毎年何冊かは発行されている。それが全くないのだ。財力があればアメリカから輸入すればいいのだが、、、それはフィリピンだけの問題ではない。他の更新国でも同じような問題がある。大国や先進国ではそういう問題はおきにくいが、後進国で弱小国だとそれが問題かな。中国やインドではそういう問題はおきづらいし、韓国でも起きない。私は海外旅行すると本屋や図書館へ行くことが多い。中国は英語の本を翻訳していた。インドは英語の本を自国で安く再出版していた。韓国では、「冬のソナタ」のある場面で大学の数学の講義が韓国語で行われていた。実際に19年前の中国のすごーい田舎の書店で、Apple IIという古いパソコンの解説図を中国語で訳されていました。日本語のその本は手に入れることができなかったので、じっくり読みました。インドでも、Prologの英語の解説書を買って読んでいました。両方ともマニアックな本なので、こんな本が手に入るのはすごいと思い、20年近く前に中国とインドがコンピューターの世界で台頭すると思ったのですが、だれも信じてくれなかった。(まぁ行動を起こせ、ということですよね...)話は戻りますが、ロクサンはコンピューターを直球でしか理解していないので、それが辛いのです。雑誌や参考書などのいろいろな角度からの球があれば、理解を助けます。C++だって、解説書の最初から最後まで確認していくのは、全貌を見てからでいいのにと思いますが、それを彼女に言ってもしかたありません。彼女はきっとやり遂げることができるので、影から見守りましょう。もしも可能ならば、日本に呼んで仕事につかせてあげたいのですが、若くてかわいい女性ですから、ホステスと間違われて難しいですよね。きっと。日本語はまったくわからないから苦労するしね。希望の2つの星が、夢をつかむのを見守っていきたいと思います。P.S. フィリピンの田舎のインターネット事情についてここボホールでは、インターネットカフェがおそらく10件ぐらいあると思います。ただ、ネットワークゲーム中心の感じです。安いところで1時間20~ペソ。40円以上ということになります。日曜日には、子どもたちがインターネットカフェを占領していたような雰囲気がありました。インターネットカフェの看板にはDSLと書いてありますが、ロクサンが使ったところ、インターネット特にアメリカとの接続は遅いそうです。こちらでDSLというのは、速くて256Kですから、電話モデムよりも速いという程度でしょう。また自宅からの接続は、ほとんどモデムでの接続となります。ブロードバンドには程遠い感じがします。電話ですら固定電話を各家庭につなげるという前に、携帯電話が普及してしまいました。携帯電話機を2000ペソ(4000円)ぐらいから購入できて、ほとんどがプリペイドカードを使っています。公衆電話からの電話料金は、固定電話へは1分3ペソ(6円)ですが、携帯へは1分8ペソ(16円)です。日本より若干安い程度ですね。プリペイドカードは日本の場合と同じだと思います。街のあちこちで、若い男女が携帯に向かっている姿はまったくいっしょです。一回メールを送る料金が1ペソ(2円)なので、ほとんどの場合はメールを送っています。こちらではSMSといいます。
2005.08.07
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アール・G・パレーニョ著太田出版ISBN4-87233-866-3定価 1800円+税フィリピンにいる間にこの本を読もうと思っていた。マルコスの取り巻きだった政商ダンディン・コファンコのビジネスと富の築き方を外側から詳しく書いた本である。コファンコという名前は日本では知名度はないが、日本でいえば堤一族をもっと巨大にしたようなものかもしれない。私も1986年の革命のときにその名前を聞いて、中国系の財閥としか知らなかった。マルコスの後に大統領となった、コラソン・アキノがコファンコ家出身だとは最近まで知らなかった。この本は、コファンコ家の一代目が中国から入国したときから追っている。そして、コラソン・アキノとダンディン・コファンコの関係、ダンディン・コファンコがどのようにのし上がってきたかを詳しく書いてある。彼は、政治とビジネスは切っても切り離せないものだと言っている。ビジネスを拡張するためには、政治によって自分の都合のよい法令の改正や情報の入手がある、逆に政治をするためにはビジネスから得たお金が要る。私の親戚も、選挙の度に2000ペソぐらい貰えると言っている。フィリピンでは実際に、選挙では何でもありの世界である。買収は当たり前、両陣営からお金を貰うこともある。選挙演説では、こどもにお菓子をばら撒く。ギャングを使って要人を殺害や誘拐したり、妨害する。最近ではさすがに投票箱を盗んだり、票を入れ替えたりすることはなくなったようだが、選挙の度にいろいろな事件が起きる。それでも直接投票に基づく選挙を行うので、民主主義には変わらない。投票率も80%以上と高い。この本を読んで知らなかったことがあった。フィリピンにも中国人はたくさんいるが、コファンコ家は中国人の血を残そうということにはこだわらないようだ。19世紀には、スペイン系が統治していたこともあって、スペイン人と家族関係や信頼関係を得ることが重要と感じた。そのためコファンコ家には、スペインの血が混じっている。20世紀に入って、有力なフィリピン人との血縁関係を得ている。そのため、スペイン・フィリピン・中国系のいろいろな血が混じっている。宗教もカトリックだ。教育はフィリピンの一流校やアメリカの大学へ通っている場合が多い。家庭の会話もきっとタガログ語が多くなったのだろう。余談だが、フィリピンの学校制度は小学校6年、高校4年、大学2~6年(進学コースによる)になっている。日本の中学校にあたるものがない。小学校6年が義務教育だが、よほどの貧しい家以外は高校は通う。大学の進学率は50%以上だと思う。小学校の途中から英語を学び始める。数学や理科の授業は全部英語だそうだ。大学の授業はテキストから講義まですべて英語で行う。高校だけでは英語は不十分だそうだが、大学を出ていると英語は一通り話せるようだ。お金持ちはさらにアメリカの大学へ留学をすることになる。大学を出ていたり留学をしていると、英語が得意なので、かつて上流階級では家の中では英語が話されているそうだ。コラソン・アキノも英語が母国語のようで、タガログ語で演説するのに非常に四苦八苦したそうだ。最近ではタガログ語を使うことが多くなっている。フィリピンでは有力紙は英語が多いが、だんだんとタガログ語の新聞が増えている。テレビはすべてタガログ語だ。ダンディン・コファンコは、タガログ語をふだんつかっていたので受けが良かったみたいだ。ダンディン・コファンコがマルコスと知り合うまでは、小さな町の町長でビジネスマンに過ぎなかった。それがマルコスの取り巻きになって権力を得てからが、権謀・術数に長けて、どんどん勢力を広げていった。そしてマルコスが亡命して亡くなって後ろ盾をなくしてからも、彼の築いた会社・土地・財産を守りきるどころか、広げて大きくしている。あっぱれとしか言いようがない。マルコス時代は人のお金をつかってリバリッジを効かせるところがある。彼はほとんど自分のお金を使わずに、アイディアと工夫で、そして法律の盲点をつき、ときには法律をつくり、マルコスの後ろ盾で、財産を短い間に築いていった。例えばある銀行の株を手に入れるために、別の会社の株を担保にするのだが、その会社の株を手に入れるために、銀行の株を担保にしている。銀行の過半数の株を得ることができるので、それを見越して増資をして資金を得る。詳細は推測に過ぎないのだが、人の金をつかって自分の名義にしているのは良くわかる。それって、アメリカの海運王の起業家の手段を半ば非合法的にしたものかなと思ってしまう。ん~、ビジネスってそこでつながっているのか!?!?ある会社の株を買うときに名前を知られないようにするために、13社の持ち株会社を作って株を買わせる。それらの持ち株会社の大半の株は、別の会社が所持しているが、0.05%分だけ、それぞれの持ち株会社の社長に持たせる。持ち株会社の名前も、ターゲットとなる会社のグループ企業の名前に似せたり、弁護士の名前の頭文字を使ったりする。手練手管は本当にすごい。彼のビジネスのやり方が、少しでも参考になるんだったら、ある意味バイブルになるかも。。。
2005.08.06
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ところで、フィリピン女性と結婚した日本人男性の多くは、奥さんの家族にお金を送っています。たぶんアメリカ人など他の国の人の場合も同じでしょう。日本に出稼ぎに来た人ならばなおさらです。日本にホステスとしてやってきた人が日本人男性と結婚すると、それまでの送金が途絶えてしまいます。結婚後もホステスの仕事を続けるか、仕事を辞めるならば男性が代わりに送金しなくてはなりません。私はホステスの仕事をすることはありえませんし、水商売の経験もありません。しかし、水商売はとてもストレスのたまる仕事だと思います。お客を接待する仕事に向いている人もいるでしょうが、そうでない場合は仕事から逃れたいために結婚をした人もいるでしょう。だけどそうやって結婚した男性した男性の多くは、フィリピンパブでかなりのお金を使っています。盛大な結婚式をあげて、結婚時にたくさんの結婚を両親に与えています。それでフィリピンの家族は新郎はお金持ちだと勘違いしてしまいます。その後、フィリピンの家族はもっとたくさんのお金を送ってくれると期待してしまうのですが、新しい家族にはその余裕がありません。自分たちの生活にもたくさんのお金がかかり、これまでフィリピンパブでたくさんお金を使ったので貯金も底をつきています。そして奥さんは仕事を辞めています。フィリピンからはコレクトコールでお金の催促、フィリピン女性と結婚した夫は「これでフィリピンパブでお金を使わなくて済む」とお金を出し惜しみします。双方に奥さんははさまれてストレスを感じて、パチンコをしてストレスを発散します。やがてお金がないので、奥さんはホステスの仕事にでるか、妊娠します。いまフィリピンパブへいくと、フィリピンからの若い女性が来づらくなっていますので、多くが結婚している女性です。結婚している人をアサワといいますので、アサワーズ。フィリピンパブへ行っても結婚することはできません。それでもフィリピンパブにいる女性の中で元気がいい人は、より素敵な(=お金持ち)の男性を探します。夫は夫で、フィリピンパブでちやほやされた思い出がありますので、結婚後も結婚指輪を外して、またフィリピンパブへ通います。そして最後は破局です。アメリカや欧州での離婚率は50%です。日本人どおしも40%に手が届くほどになりました。フィリピン女性と日本人男性の離婚率も50%を超えています。しかもフィリピン女性との結婚はここ10年で増えてきた現象ですので、早期に離婚する率が非常に高いといえます。(フィリピン人男性と日本人女性の結婚数は少ないですが、離婚率は80%以上です!)こうしてお互いが噛み合わなくなった夫婦は離婚をします。しかし女性は強し。フィリピン女性は、結婚ビザから永住ビザに切り替えて、フィリピンパブでホステスとして働き力強く生きています(子どもの教育などいろいろ問題はあるのですが)。夜にホステスで働くにしろ、フィリピンで働くよりずっとましなものですから。タイトルに戻ります。私の義理の父はその道30年の職人でしたが、事業に失敗しています。経営センスがなかったというべきかもしれません。フィリピン女性と結婚して、退職金あるいはかなりのお金を女性の家族に渡してしまう例が多いです。家を買うこともあります。こちらではその家をジャパユキ御殿という言い方をしています。または兄弟に仕事をさせるために、ジプニーを数台買って、乗合バスのジプニー会社を運営させる場合もあります。また両親や姉妹のためにサリサリストアを運営させる人もいます。サリサリストアとは、お菓子やコーラ、お酒、夕食のおかずなどを売るよろずやです。商品だけを都心のスーパーマーケットで購入して、少し高くして売ります。しかし、たいていの場合失敗しているようです。いま思えば、フィリピン版起業バカかもしれません。ジプニーは主に日本からエンジンなどを輸入して、フィリピン人の手で乗合バスを組み立てます。かつては米軍のジープを払い下げたものを改造したので、この名前がついています。いまではエンジンや基本の部品を日本の中古トラックのものを使い、車体などは部品から組み立てています。トラックの荷台の部分に両側に長椅子をつけて、屋根をつけたものです。マニラやセブでは日本のバス路線のように、ルートが決まっていて、固定料金です。田舎では、ルートは決まっていますが、料金は距離によって決まっています。ジプニーを開業するためには、こちらの陸運局のようなところに申請します。料金については陸運局が決定しているようです。ジプニーはおおよそ100万円に満たない金額でしょう。最近ジプニーが使うエンジンが中古の質の悪いエンジンを使っているため、排出ガスが真っ黒でそれが空気汚染させているので、政府としてはジプニーを制限するような動きがあります。しかしジープニーは雨の日も風の日も走りつづける仕事で大変な一方で、競争が激しいです。それは運転免許を得てジープニーを購入する資金があれば、誰でも始めることができる事業だからです。お金を簡単に得ることができて、その事業に素人であれば、事業の継続をするのは無理でしょう。辛い仕事に嫌気がさし、お金を自分の懐に入れるようになり、軽油を買うお金にも困ります。そのうち借金して走るか、ジープニーが故障したときにお金がなく、それで最後はせっかく手に入れたジープニーを売り払います。最初から、収益予測と資金管理、故障したときとかガソリンの値段が上がったときの危機対策を講じないとすぐダメになってしまいます。サリサリストアは、商品を仕入れて自宅の一部を売場に改造すれば商売を始めることができるのでもっと気楽です。10万円あれば始めることができるでしょう。ところがこちらは別の問題があります。ほとんどのフィリピン人は、つけで商品を購入しているのです。現金で買ってくれる人はほとんどいません。フィリピン人もつけで買えますので、とりあえず手に入る商品をあてにします。石鹸やシャンプー、お酒、タバコなどを気楽にサリサリストアで手に入れます。そしてつけの支払いを求めるのですが、支払う方は他のものに使ってしまっています。それではつけを払ってくれなきゃ商品を売らないといいますと、2度とサリサリストアには近づかないようになります。結局、つけが滞って、資金繰りに困ってサリサリストアを閉じることになります。フィリピン人は本当はお金を支払いたいという気持ちを少しかもしれませんが、考えています。ところがお金が入ると、すぐ使っちゃうのです。「江戸っ子は宵越しの金は持たない」という考えがあります。お金がたくさん入ると気前良くみんなにおごり、パーティをして見栄をはり、その結果いつもお金がないと言っています。しかしフィリピン人にもいろいろいます。わずかながらもお金を貯めて、家を建て、教育に投資した人もいます。そういうところから、少しずつ中産階級は生まれています。口でいくら言っても通じないと、最近思うようになりました。「金持ち父さん、貧乏父さん」のような本は、そういう人に良い啓蒙書ですが、まだフィリピンの本屋で売られていないようです。というよりも、フィリピンの本屋では圧倒的にタガログ語の本、英語の本の流通量、品揃えが少なすぎます。流通している本は、ハーレークインロマンスのフィリピン版やアメリカのマンガのような本ばかり。日本では本を読む人が減ってきたと言われますが、本の品揃えや流通量が英語の本を含めても10分の1にも満ちません。本を読む人が減ってきたといわれる日本ですが、まだまだずっと増しです。ただ中国はこの10年以上行っていませんが、15年前の中国でも本屋はかなりの品揃えがありましたので、中国人の学習熱・向上熱は高いと思います。日本でも同じですが、フィリピンでも、教育はサラリーマンになるため勤め人になるための教育を受けます。だから自分で事業を起こしたときの準備はいっさいないのです。またフィリピン人に投資する日本人も、その是非がわかりません。だからほとんどの場合は提供したお金は無駄になってしまいます。これまでフィリピンに来るたびに、フィリピンでビジネスを始めるにはどうすればよいか、フィリピン人を雇用するにはどうすればよいかを考えてきました。フィリピンには成熟していない産業がいくつかありますので、日本で成熟した産業のマネをすれば成功する可能性はあります。ただフィリピン人を雇うときに日本的な方法を用いてはいけないし、かなり注意しないといけないなとつくづく思います。それならば、既にフィリピンで成功している華人のビジネスに倣うのがよいかなと思いました。素人が取り組んでも、フィリピン版起業バカになるだけですから。
2005.08.05
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フィリピン人と結婚すると同時に、フィリピンの親族についての悩みが始まります。まずはフィリピンの状況を簡単に述べてみます。フィリピンは0.1%のお金持ちと5%の中間層と90%以上の貧乏人からなりたっています。大学を出てやっと仕事にありつけますが、妻のような店員やウェイトレスがせいぜい。高校を出ただけでは仕事にはありつけません。その店員の仕事も正社員にすると企業負担が重くなるので、3ヶ月ごとに解雇して新しい店員を雇うそうです。フィリピンでは実質の失業率は日本よりずっと高いです。自国では仕事が少ないので、就業人口の10%は海外へ出稼ぎに行っていると言われます。主として東南アジアや中東が多く、アメリカや欧州へ行けるのは幸運だと言われます。男は船乗りになったり、肉体労働が多いですが、中には医者や建築家などの頭脳労働者もいます。女は看護士や家政婦が多いです。日本だけは特別で、美しい女性がホステスとしてやってきます。つまり、フィリピンでは学校を卒業しても簡単には就職できません。学校へ行っていないとさらに就職は厳しい状態です。職にありつけたとしても、賃金が低く、生活していくのはとても大変です。マニラで月収は1万円~3万円、妻の故郷のボホールでは5000円~1万円ぐらいが普通です。野菜や肉などの生活必需品がいくら安いといっても、日本の10分の1以下の収入では、大変厳しい状況です。ちなみに生活必需品の物価は、1/3ぐらいです。1日働いて200円~1000円では、食費などで消えてしまい、どうやって生活していくのでしょうか?日本も高度成長期が始まるまではこの状態でした。アメリカやヨーロッパをとてもうらやましく見ていたものです。私の両親や祖父母らに感謝します。日本を貧困の国から脱出させてくれたのですから。それから、日本は付加価値を生み出さなくてはいけない状況にあります。特にボーダーレスとなってからは、国境という壁はだんだんと取り払われて、貧しい国で安い賃金で作られた、1次産品、2次産品がどんどんと入ってきます。その中で競争を維持していくのは、新鮮だとか安全だとか品質が良いとかの利点しか残されていません。その差でこれだけの価格維持ができるでしょうか?製品よりは人件費という視点で、私は気になります。話は戻りまして、妻と結婚したときに、妻の両親や兄弟から援助を申し受けました。妻は日本に出稼ぎに来ていたわけではないので、家族を支えなくてはいけないという責任はありません。それでも、家の改築費用や義父の事業費用を出しました。一度にはなく段階的にです。最初に結納金として、テレビやビデオデッキをあげました。テレビ、ビデオデッキとも3万円ぐらいのものです。それまでは壊れかかっている白黒テレビしかありませんでした。それから、共有井戸から水を汲むのが大変なので、水道管を引きたいとの申し出がありました。共有井戸までは30mぐらいの距離がありますから確かに大変です。水道管は結局引けず、自分の家で井戸を掘ることになりました。結局20万円ぐらいかかったでしょうか?それとは別に義父の事業資金として35万円ぐらい提供しました。事業が成功すれば、妻の兄弟の生活が助かります。義父は横断幕やTシャツのデザイン、ジープニーのデザインを手がけていました。自分の持っているデザイン力や技術力で、自分で事業を切り開いてきた人でした。ボホール州では老舗でそれなりに有名な店です。義父の弟子の中には、フィリピン第2の都市のダバオ市で、ビルを建てるほど大きくした人もいたそうです。しかし、ずっと小さな会社のままでした。事務所と呼ぶにははばかれる、掘建て小屋で仕事をしていました。ペンキにシンナーを扱うため、どうしてもエアコンの閉じきった部屋の中で仕事をすることはできません。しかし30年同じ仕事をしてきて、小さな掘建て小屋とは残念です。10人の子どもがいるという大きな家族を養ってきたせいかもしれません。35万円提供するにあたって、帳簿をつけるようにお願いしました。11年前は帳簿をつけることにより、入出金の管理と原価計算、キャッシュフローなどを、自分の力でわかって欲しいという希望がありました。私の元には詳しい、帳簿が届きました。本当は1週間、あるいは1ヶ月での統計値が欲しかった。そして、それを把握したかったのです。いまになって思うと、日本の中小企業の多くも帳簿はつけますが、それの重要性に気付いていないことが多いようです。これらの数値をつけることは目的ではありませんが、年に1回行う健康診断の数値のようなもので、その数値で企業の健康状態を知ってもらいたい。死なないためにはどう対策をとればよいかを知ってもらいたいと思います。数値が悪くても企業は死なないことはあります。しかし、それはすでに死に体で生き返ることはまずないのです。結局、義理の父に提供したお金は返ってこなくてどこかへ消えてしまいました。兄弟への提供も、数万円の小額を一回だけ許しています。贈与ではなく、貸与という形にしてあります。一番上のお兄さんに貸したお金は少し返ってきましたが、それ以上に返す余裕はないようです。1回目の願いは聞き届け、2度目の借金はしないようにしてあります。妻に言わせると、フィリピン人は恩と恨みは一生忘れないそうです。借金に関してはこちらが言わなくても、ずっと覚えているとのこと。私はこの借金は返してもらえなくてもいいから、ずっと仲良くしてもらえれば安いものだと思います。片方の実家が貧しければ医療的な援助はしかたないと思っています。自分が妻の立場だったら、自分の両親や兄弟が苦しんでいたら助けざるを得ないと思うからです。ただし、お金をあげることが助けることにはならないと思います。彼らにお金をあげても、生活費の全部か一部になるだけだったら意味はありません。大人だったら自分で生活の糧を得てください。そうでないと、大人になった意味はありません。結婚して家庭を築くのであれば、自分でそれだけ稼いでください。子どもを得るととてもお金がかかります。お金がかかるだけでなく、自分の自由な時間を失います。それが責任です。少なくとも私はその責任をいままで果たしてきました。責任をまっとうするのは大変ですが、ぜひやりとげてください。もしも可能ならば、大病になったときのセーフティネットは提供したいと思います。しかし私自身もこれからは起業(バカ)しますのでその余裕はなくなるかもしれません。自分たちでセーフティネットを張ってください。
2005.08.05
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出版: 光文社著者: 渡辺 仁ISBN4-334-93356-4定価: 952円+税本が出版されたときから、この本を知っていました。タイトルに反発を覚えていいかげんなことを書いているのではないかと思っていて、読むべきかどうか迷いました。でも読んでよかったと思います。起業で失敗するパターンがいくつか載っています。起業するときに近づいてくる変な輩のこともあります。失敗するにしても成功するにしても、本当に苦労しそうです。この本の著者自身が、雑誌を発行するという起業を起こして、失敗しています。その失敗についてあからさまに報告して分析しています。それが原因のすべてかどうかわかりませんが、著者の姿勢は反省するところから始まっていますので、ある程度信頼できるのではないでしょうか?本の内容は起業で失敗するパターン、注意するべきことが載っています。第1章 みんなこうして失敗したいくつかの失敗のパターンが書いてあります。アイディアや技術優先で失敗に落ち込んだ例、フランチャイズに安易に申し込んで失敗した例。第2章 起業でハマる3つのワナ「会社病」、「新聞病」、「依存病」には注意。「会社」という看板を信用しきってしまうことに注意「新聞」の内容や「新聞の広告」に注意フランチャイズにすべてを「依存」することは注意第3章 「起業後」に待ち受ける誘惑とワナ事業パートナーや出資者には注意。ジュリアナ東京は成功しすぎたために、内紛で失敗した。起業家には群がる、いろいろなブローカーがいる。第4章 脱サラを喰いものにするフランチャイズ商法すべてのフランチャイズは、本部だけが勝つ。加盟店は「カネのなる木」である。セブンイレブンの創業者ですらそう言っている。第5章 フランチャイズは底なし沼契約書は要注意。契約書にサインしたら、創意工夫はできない、すべてが本部のまま。本部がダメなら、利益をすべて吸い上げられる。契約を止めようとしても、違約金がとても高い。第6章 いまのニッポンで起業するのは損か得か?著者自身の起業失敗経験出版事業がうまくいかず、不動産ブローカーになろうとしたが、はめられて成功報酬を得られなかった。第7章 ベンチャーにはだかる4つの「抵抗勢力」大手銀行に、貸し剥がしされたハイパーネット投資家に喰われた、ネットベンチャー既存勢力にニッチ市場を取られた、カンキョー闇勢力につけこまれた、リキッドオーディオジャパン、デジキューブサラリーマンとして勤めていると、会社という温室環境の中にいる。温度や湿度の変化もなく、風も吹かない。病気になれば薬を与えてくれる。そのくせ暑いだの湿っぽいの文句をいう。温室の中で守られていることはわかっているが、温室の外に出ないと何から守られているかわからない。温室の外に出て見ると、自然のルールに従うことになる。どこの温室にいたとかは全く関係ない。どれだけの能力を持っていて、生存できるかを考えなくてはならない。それでも一応、自然のルールがある。法律があり、ある程度守ってくれる。強力な外的から守ってくれることもあるかもしれないが、法律には抜け道がたくさんあり、これまでにない新しい事例には気をつけないといけない。また自然のルールが外敵に対して有利に働くこともある。そもそも起業するということは、既存にないことをしなくては生き残るのが難しい。ニッチ分野に向けて新しい産業を起こすか、新しいニッチ市場をつくるか、いろいろな方法はあるが、既存の市場で生きているところに挑むのは非常に困難だ。ある意味、既存の事業者を殺さないと自分が生き残る場はないのかもしれない。
2005.08.04
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1週間遅れですみません。NETCHANNEL KYOのサイラボ7月27日放送分をまとめたものです。1. 日本テレビ、今秋にネット配信、VOD形式で有料配信http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20085280,00.htmhttp://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20085511,00.htmこれまでテレビ局はネット配信に挑戦してきた。韓国やイギリスでは成功しているが、日本では失敗してきた。インフラ的にも技術的には可能であるが、既存の放送事業とどのように共存するかが問題なのであろう。個人的にはテレビ局がすべての番組をインターネット配信してくれれば、毎月いくらか払っても良いと思う。そうすればDVDレコーダーを購入しなくてもいいし、番組の録画に失敗しなくても良い。ただ公共の電波でスポンサーからお金を貰って放送している番組を、別にインターネット配信したら、権利関係はどうするのか?日本の権利関係は複雑すぎて、それがインターネット配信できない原因でもあるので、もっと簡単にならないだろうか?そうしないと、タックスヘーブンの国から番組がストリーミング配信されることに、なっちゃうかも。2. iPodでビデオも 9月までに新サービスかiPodは8月から日本で音楽配信をすることになりそうだが、とうとうアメリカではビデオ配信をすることになりそうだ。まずそのためにビデオを再生できるiPodを発売する。同時にコンテンツとして、ミュージックビデオを配信する。値段もCD全曲分と大差無いようだ。そして、映画やテレビ番組のコンテンツも配信したいと考えている。レコード会社は、ミュージックTVにプロモーションビデオを無料で提供する契約をしていた。レコード会社はそれを製品の広報なので割りにあうと思っていたが、ビデオ自体に価値があることが後になってわかった。またビデオの制作費も年々映画をつくるように高くなっていく。iPodでビデオ配信できればアップルにとって完全にコンテンツを携帯端末で見れる市場をおさえることになるが、一方でレコード会社にとってもプロモーションビデオを売れる媒体を得ることにもなるので、成功するだろう。iPod, iTunes, QuickTimeが、この市場での業界標準になるかもしれない。アップルはMacではなくて、こちらの市場にシフトするかもしれない。3. 地上デジタル放送を光ファイバーで地上アナログ放送が2010年に停止される予定である。いま全国に地上デジタル放送を広げつつあるが、山間部などの難視聴地域はアナログ放送でも山の上に共同アンテナをつけてそこからケーブルを引っ張って見ている。地上デジタル放送に切り替わるにしたがって、アンテナやブースターの交換が必要だが、それも値が張る。それならばいっそう、各家庭に光ファイバーを引いてしまったほうが将来的に良いだろうという考えだ。電話線とも共用でき、多チャンネル化も可能になるからだ。ただテレビ局はインターネット配信を実質上認めてしまうので、それは避けたいと考えている。これから、総務省とテレビ局のせめぎ合いが始まる。時代は、インターネット配信に味方すると思う。そして、無線は携帯電話などに使われていくのが良いと思う。4. 大垣共立銀行 ATMにスロットゲーム導入 金融機関で初ATMで決済をしている待ち時間に、スロットゲームを提供するという話である。1/10の確率で時間外手数料が無料になり、1/500の確率で1000円が当たる。金額的には懸賞の範囲内だろうか?この大垣共立銀行は岐阜にある地方銀行ながら、いろいろ新しい試みをするおもしろい会社である。どこでもいっしょという金融業界の中では、異彩を放っている。
2005.08.03
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朝食をとったあと、パッキングをして、そろそろチェックアウトしようかというときに、妻の知人が訪ねてきました。アテ・ベビという女性で、妻がデパートのレストランで働いているときに、このAlona Kewで働かないかと誘ってくれた人です。そして私たちの結婚式で、God Parents(仲人のようなもの)になってもらいました。2日前に日本の土産物をもって挨拶にいったのですが、最初は誰?という感じでした。10年間も会っていないのだからしかたありません。このアテ・ビビは、当時のホテルのマネージャーであるタボイの奥さんですが、とてもやさしい人だと妻は言っております。タボイのお姉さんは写真でしか見たことはないのですが、とても美しい人でドイツ人のビジネスコンサルタントと結婚してこのホテルを作りました。フィリピンでは会社の重要な職は家族が占める伝統がありますので、オーナーはお姉さん、マネージャーは弟です。そしてサブマネージャーもその下の弟です。10年前の時点でタボイはマネージャーの職を辞めて、地元の議員になったり、ホテルの前に両替屋などのビジネスを始めていました。タボイは高校しか出ていないそうですが、ホテルをうまく切り盛りしていたように見受けられます。そのあとは一番下の弟ダニーが10年ぐらいマネージャーをしています。日本でも中国でも世界中どこでも、家族でビジネスを取り仕切るということが良く行われます。それについては是非があると思いますが、また機会があればお話したいと思います。妻とアテ・ベベは1時間ぐらい積もる話があったのでしょう。いろいろ話していました。一昨日はびっくりして考えがまとまらなかったのでしょうね。妻とアテ・ベベは良く似ているところがあるので、気があうみたいです。ホテルをチェックアウトして帰ることにしました。ホテルからバイクやトライシクル、ジープニーなどをチャーターすると、500ペソ以上かかると思います。日本円で1000円ぐらいだけど、、高い。ホテルから少し歩いてジープニーに乗ると、1人17ペソ。全員で100ペソしません。アイスクリームを買って、道路で待っていたら10分もしないうちにジープニーがやってきました。それにのって1時間ぐらいでタグビラランに着きました。そこで偶然妻のお姉さんのアデレイダがロアイから別のジープニーに乗ってやってきました。これから自宅近くまでトライシクルに乗るかどうか迷っているときに、彼女は「このジープニーは自宅近くまで行くよ」と持ちかけてきました。全員がそのジープニーに乗り込みました。するとだんだん雨が強くなってきましたのでびしょ濡れにならず助かりました。さらに彼女は「少し余分に支払えば自宅の前まで運んでくれる」と運転手と交渉しはじめました。フィリピンでは「お金を払うときは持っているものが支払う」というルールに乗っ取って、彼女のジープニー代は全部払いました。なぜか彼女にこうやって偶然に会うことが多いです。昼食を取るときに偶然にあったり、同じジープニーに乗り合わせたりなど。とはいえ、双方にとって良い結果に結びついているから不思議です。彼女は3人の娘がいて、みんなとても美しいです。私と同じ歳ですが、19歳のときに結婚したので、すでに長女は20歳です。上から20歳、19歳、13歳と娘ばかりですが、夫はビートたけしさんのお父さんのようなペンキ職人をしていまして収入が少ない。彼女は口が強いので、いつも夫婦喧嘩が絶えない、そんな家庭です。11時過ぎには、家に戻ってきて、あとはおとなしくしておりました。話は戻って、そのお姉さんからいろいろな話を聞きました。Alona Kewの思い出のホテルですが、オーナーの女性はドイツ人の夫と離婚しました。離婚後はホテルを慰謝料として全部受け取ったのですが、経営が思わしくなく、危ないところからお金を借りているそうです。離婚の原因はすれ違いからのようです。ドイツ人の夫は結婚したものの本国の仕事が忙しく、奥さんをずっとフィリピンに残したままでした。夫は年に1度か2度フィリピンへ訪れるだけでホテルはずっと奥さんに任せていました。妻が働いていた12年前から、奥さんには恋人がおり、ときおりホテルへ訪ねてきたようです。最初の子どもはドイツ人との子どものようですが、2人目の子どもはどうやら恋人の子どものようです。ドイツ人の遺伝が全く伝わっていないようで、恋人の肌のようにさらに濃い褐色を帯びていたからです。その噂がいつしか夫の知るところになり、離婚になったようです。夫以外の誰もが知る公然の仲だったので時間の問題だったかもしれません。子どもが自分に似ていない、あるいは誕生日から逆算してそのときは夫がフィリピンにいなかったことから決定的だったのかもしれません。その後、ホテルは妻が引き継ぐことになりました。ホテルの名前のKEWは、夫の名前からとったそうですが、そのままにしてあります。だけど他にホテルがたくさんできて過当競争になり経営は思わしくなく、やがて借金も抱え、妻のお姉さんはもうすぐ破産するのではと言っていました。借金をした先が、ある街でシャブをつくっているところから借りたそうです。このフィリピンという国はお金があればなんでもありのところなので、ニュースになるのはすべてではありません。あっ、それは日本でも同じかもしれませんね。ニュースは、事実の一端しか明らかにしません。フィリピンではそれでも真実を暴こうというジャーナリストがたくさんいて、昨年だったかな1年間で20人くらいのジャーナリストが暗殺されたそうです。闇の勢力を暴こうというジャーナリストは日本よりも多いくらいですが、残念ながら国の実権は一部のお金持ちのファミリービジネスに完全に牛耳られています。かつてピープルズパワーで祭られた、ベニグノ・アキノは1983年空港で暗殺されました。その奥さんのコラソン・アキノは大統領になりました。アキノを暗殺した黒幕と言われる当時の大統領マルコス、そして影の実力者ダンディン・コファンコ。コラソン・アキノを援助してマルコスを倒した、ラモス。ラモスはマルコスのいとこです。コラソン・アキノはダンディン・コファンコのいとこです。マルコスはダンディン・コファンコのおじさんが名付け親です。いろいろな事件が起きて仲が悪いですが、みんな根のところではつながっているんです。マルコスは当時のアメリカが共産勢力を打倒するというバックアップがあってこそ、20年以上の独裁政権を維持できました。ベニグノ・アキノはそのマルコスの後釜として、CIAが影で支えてきたという噂がありました。フィリピンは、バランスオブパワーのファミリービジネスで支えられている国です。国の中では強い勢力ですが、ユニリバーなどの多国籍企業やアメリカの勢力からは完全にこけにされているようです。
2005.08.02
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今日は10年ぶりのダイビングだ。不安が先によぎるが、なんとかなるだろう。身支度をした後に、Alona Kewのレストランで朝食を取る。朝食は80ペソから135ペソ。80ペソはコンチネンタルブレックファーストで、パンとコーヒーとジュースだけ、120ペソはアメリカンブレックファーストで、コンチネンタルブレックファーストにハムやソーセージ、卵が付く。135ペソはフィリピノブレックファーストで、パンの代わりがご飯になり、ハムやソーセージの代わりにトッシーノという甘いソーセージになる。ホテルの宿泊代に込みになっているが、子どもがほとんど食べないので、4人分を頼む。ところがウェイターが勘違いして5人分注文してしまった。5人分持ってきて、クレームを出したら、もう勘定に入れてしまったので、キャンセルできないと困った顔していう。妻はこのホテルでウェイトレスをして働いていたので、「気持ちがわかるのでかわいそうよ」という。それで、食べきれないので、ランチボックスに入れてくれるよう頼んだ。ウェイターは喜んでもって帰っていった。今日はバリカサグ島という船で1時間くらいかかるところへ行くので、昼は戻ってこない。そのため昨日サンドイッチを頼んでおいた。チーズバーガーを頼んだがバーガー用のパンがないということで、サンドイッチになってしまった。ダイビングの出発時間は9時半だが9時にギアを揃えるために出かけた。スキューバープロのBCDにレギュレーター、ウェットスーツやマスク、フィンは適当なものを選んでくれた。スノーケルはないが、なんとかなるだろう。妻やお手伝いに来てくれている妻のおばさん(マンデン・シライという)と2人の子どもが到着した。しかし、タンクやいろいろ準備すると結局10時になってしまった。これで船は出かける。日本人ダイバー6人いた。あとはダイブマスターとフィリップ(何人だろう?カメラを持っていた)と私である。ちなみに妻とおばさんは乗船料を$6ずつ取られた。ダイビングは私だけいいのだが、妻はいつもついてくる。というか勝手にダイビングさせてくれない。子どもも小さかったせいもあるが、こんな状況なので、フィリピンに来ても10年間はダイビングができなかったのだ。島の東側のスポットでダイビングを行った。なんとか潜ることはできたが、耳の水圧の調整に少してこずった。3m潜るごとに、耳抜きをする必要があった。あれこんなに耳抜きしたっけ。潜り始めて見ると、10年前の風景そのまんまだった。潜るところは8mぐらいの海底から、ドロップオフで30mぐらいまで落ちている壁のところだ。薄い緑っぽい水の中に、ときおり珊瑚や薄紫のイソギンチャクをみることができる。あとは中性浮力の獲得だ。水中で沈みもせず浮きもしないように、浮力を調整しなくてはならない。空気を肺にすったときに、身体の体積が増えて比重が軽くなる。そうすると身体が浮く。反対に空気を吐き出すと、比重が重くなり、身体が沈む。まったくうごかないときはいいのだが、水深20mぐらいと10mぐらいでは再調整しなくてはいけないんだなぁ。その微調整するのを忘れていて、少し苦労してしまった。ただ息を吸うのを我慢したせいか、だんだん頭痛がしてきた。1時間ぐらいして、上にあがろうとしていた。あれ、すぐにあがらない。そうだ、水深5mのところで5分安全停止するんだった。これで血液の中から窒素を抜く。そして水上に上がった。水上に上がったところでボートが迎えに来た。フィリップが上がるのを観察していた。そうだ、最初に重りからあげなくちゃ。次にBCD、そしてフィンだ。フィンを水中で外したので、船のステップに近づけなくなった。あっ、フィンを外しちゃ行けない。フィンを外したら全然泳いでもすすまないや。慌ててフィンをもう一度はめて、ステップに近づく。そしてステップを掴んでから、フィンを外した。ボートの上では、スタッフが脱いだ重りやBCD、フィンをとってくれる。そしてステップに足をかけてボートに上った。その後に、他のダイバーが次々と上がってくる。全員が上がったところで、ボートを島につけた。浜辺でサンドイッチを食べた後、島を歩いた。バリカサグ島は周囲2kmぐらいの小さな島である。おそらく漁業で生活している島民が30世帯ぐらいいると思われる。島を歩いていくと中心部に小学校があった。1998年頃に主として日本人が寄贈してつくられた小学校のようだ。私が前に来たときは小学校はなかった。小学校の校庭の壁には、その寄付をした団体名と人の名前が一人一人彫られたいた。80%以上、日本人の名前だった。こういうところに寄付するのはとてもうれしい。残念ながら、政府経営のホテルへは時間が足りなくて行けなかった。12年前は、確かに政府経営のホテルがあってそこでコーヒーを飲んだ。場所が場所だけに、アロナビーチの3倍ほどの料金を取られたのはびっくりした。ちなみに島でコーラーを飲むと、冷蔵庫がないのでぬるい上に、倍の料金がした覚えがある。バリカサグ島はそれでもとても美しい島で、アロナビーチの白いビーチよりもさらに美しい。住人は住んでいるしダイバーは毎日のように来るが、それでも住人とダイバーの数は知れている。浜辺は、珊瑚の細かな破片が落ちていて、椰子の実がいくつかある他は夢の中で見る南の島のようだ。だけど現実をみると、ときおり訪ねるにはよいところだが、住むのはとても大変だろうと思う。飲み水は雨からとるしかない。産業は年々減っていく魚を獲ること、あとはダイバーに市場で買ったお土産を高く売りつけるぐらいしかない。13時に島を出る。娘が珊瑚の破片を拾ったが、日本人ダイバー(ガイド?)に国立公園だから持ち出してはいけないよとたしなめられた。ボートは少し動かして、そこでダイビングする。ここのドロップオフは午前中と同じような景色だが、ナポレオンや海亀、バラクーダーなどの大物をみることができた。潜っている最中に気持ち悪くなって、吐いてしまった。水深20mのところで、レギュレーターを外して吐こうとしたが、タイミングが悪く、レギュレータを少しつけたままで吐いてしまった。一瞬、レギュレーターが詰まってしまったが、何度かレギュレーターのノズルのところを押すと、空気が噴出してなんとか乗り切った。水深20mのところなので、一瞬焦った。少し塩水を飲んでしまったがなんとかなった。頭痛が続き、バディのフィリップが水中写真に夢中になり、一瞬他の人たちと離れてしまった。それもなんとかなった。かつて、エアーが足りなくなったのをバディに無視されたり、水中の流れに流されたり、まあいろいろなことを経験しているのでたいていのことは大丈夫。あとは水中鍾乳洞から出られなくなることだけを心配している。1時間近くたって、また水深5mのところで5分休憩するのだけど、BCDにエアが残っていて上に上がりそうになって焦った。急いで水中へ沈もうとして四苦八苦した。もう一度ダイビングすれば完璧に勘は戻ると思うけど、どうだろうか。潜っている間は、ボートの上にいる人たちは本当に暇だと思う。1時間ぐらい何もせずに、ダイバーが上がってくるのを待つだけだからだ。妻と子どもたちは、その1時間の間にボートの周りの紐を掴んで少し泳いだみたいだ。とはいっても、ほとんど泳げないし、水深10mぐらいのところなので、気の毒だ。やはり連れてこない方が良かったかな。そして、ボートはアロナビーチへ戻る。1時間ほどでビーチに戻った。岸はすっかり潮が引いていて、ボートを寄せるのに苦労していた。ビーチからやや遠いところで、ボートを降りてみると、水面が腰のところまであった。私は荷物を頭の上に載せて歩いた。サンダルで歩いているが、ウニがところどころあり、注意して歩かないとサンダルを串刺しして足にささる。ウニの針は、意外と柔らかいので奥まで刺さることはないようだが、先端が皮膚の中に残ることがある。22歳のとき、タイのピピ島でスキンダイビングをしたとき、泳いでいて珊瑚の上に手をかけようとしたとき、腕を動かした。その腕の動く先に、ウニがいた。ウニの針10数本ぐらいが私の腕を刺した。針を手で抜くと、針の先端が残った。白い肌の中に、黒いものがいくつか残ったのである。なんとなく不恰好でヒリヒリとする。あとである店の女性に相談すると、レモンを持ってきてくれて、それを塗ってくれた。少し年上の女性であるが、なんとも頼もしかった。息子はダイブマスターが運んでくれたようである。娘をビーチまでいっしょに歩き、ボートに戻って妻といっしょに歩き、おばさんは自力でビーチまで歩いた。そのあと、フィリピン人だけが荷物を運んでいたが気の毒になって、私もタンクや荷物を運んだ。4往復ぐらいしたかな。そして、自分が借りたウェットスーツや、BCD、フィン、マスク、レギュレーターなどを水洗いする。水洗いするとき、レギュレータのふたをするのを忘れそうになった。そうだ、ふたをしないと空気がとおるパイプに水が入ってしまい、そして錆びてしまう。レギュレーターのパイプには水が一切入らないような仕組みになっている。ダイブマスターが「明日はダイブするか?」と尋ねた。「家族がいるから...できないよ。」と答えた。家族が飽きているのもあるが、やはりダイビングに対して魅力がなくなったというのが本音だ。ツアーダイブでいろいろ美しいところへボートで行けるのならいいのだが、家族を置いていくわけにはいかない。娘と息子が20歳ぐらいになって、いっしょにいけるようになるといいんだけど。ダイビング後は、娘とホテルのプールに入った。塩水に浸かった身体と水着を、真水で洗うこともできるし、何より気持ちよい。娘も息子も、真水のプールの方がずっと気持ちがいいようだ。娘に平泳ぎを教えてあげたら、とても喜んでくれた。夕方ビーチを散歩する。海から風が吹いてきて気持ちが良い。遠浅の白浜と波と海風、そして浜に打ち上げているボート、夕日と雲、こういった雰囲気が、とても価値があるのだろう。これだけで「生きている」という実感が湧く。私にとっては100万ドルの夜景よりも、ずっと価値のあるものに思える。2日間こういう散歩ができてよかった。夕食は昨夜と同じく、Alona Kewのレストランで食事をした。通りからアロナビーチに入るとすぐにこのレストランをみることができる。直径10mぐらいの大きな円形なのでとても目立つ。夜はバンドが歌を歌っているときもある。昨夜は歌を注文したが、とても20年前、30年前の古い歌しか知らないようだった。50を過ぎているおじさんたちがギターを持って歌っているから、そんなものかな。このレストランで12年前に妻は働いていたが、そのときとチーフコックは変わっていない。とてもおいしいと思う。昨夜は「チキンベジタブルスープ」、「チョップスエイ(野菜炒め)」、「スイートサワーポーク」、「エビを揚げたもの」を頼んだが、どれもおいしかった。今夜は少し量を減らして、子どもが食べれそうな「スイートコーンスープ」「シーフード&ミックスベジタブル」「ラプラプという魚のホワイトソースかけ」を選ぶ。あんまり子どものことを考慮すると、辛いものを選べず味が限定されるから考えものだな。子連れだと本当に難しい。フィリピンでも、デニーズなどの子連れが連れて行けるレストランがあればよいと思うな。でもおいしかったです。そして、ダイビング2本と高いホテルの短い時間だったけれど、新しい思い出が作れました。ホテルのビーチのところに、アンブレラ(円形の小さな屋根で休憩する椅子がある)が12年前にあったのですが、なくなっていました。そこで妻と夜にいろいろお話をしたのですが、思い出が一つ消えてしまいましたが。
2005.08.01
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