http://www.youtube.com/watch?v=cyar0UTUTUg
涙をこえて
作詞:かぜ耕士 作曲:中村八大
心のなかで あしたがあかるくひかる
かげりを知らぬ 若い心の中で
この世で たった一度めぐりあえる
あした それを信じて
涙をこえてゆこう なくした過去になくよりは
涙をこえてゆこう 輝くあした見つめて
あしたに続く あしたも明るいでしょう
こんなに胸がはずむ ふくれた夢で
なにかが心さそう たのしいことが
あした きっとありそう
涙をこえてゆこう なくした過去になくよりは
涙をこえてゆこう 輝くあした見つめて
ラ ラララ ラララ ラララ
ララララ ラララ ラララララ
涙をこえてゆこう
輝くあしたみつめて ah・・・
昭和44年、「第1回合歓ポピュラーフェスティバル」参加曲として作られ、グランプリを獲得した作品です。
歌はシング・アウトというグループ(後にヤング101に合流)で、NHKの『ステージ101』でレギュラーとして、この曲をテーマソングのように歌うようになってヒットし、さらに合唱曲の定番になり、卒業のシーズンにはかかせない曲になります。
そして『ステージ101』番組自体の卒業にあたり、ヤング101メンバーに歌われた様子が上記の画像です。
(この中に、太田裕美、田中星児、谷山浩子がいますよ)
作詞のかぜ耕士は、永六輔の弟子の放送作家で、ステージ101の構成を手がけていました。
この曲は本来、ポピュラーフェスティバル用に永が作る予定だったものが、永のスケジュールが詰まっていたため、代役でかぜが抜擢され作りました。
作曲は永の相棒の中村八大でした(歌謡探訪(5)『太陽と土と水を』参照)。
3月は別れの時であります。
学校の卒業以外にも、いろいろな別れのシーンが生まれます。
今年の僕の別れは、大好きなラジオ番組の文化放送『吉田照美・ソコダイジナトコ(月~金AM6:00~)』が終了してしまったことです。
僕の朝はラジオと共にあります。
中学高校時代の深夜放送から、ずっとラジオは親友でした。
大人になってからは、もっぱら朝の時間帯が友との時間です。
6年前にこの番組が始まった時は、実はあまり好きではありませんでした。
キャスターの吉田照美が、人の話をさえぎって自分がしゃべってしまう癖があり、そのためせっかく興味深いゲストが登場しても、ろくに話が聞けなくてイライラしてしまうのです。
枦 山 南美 (BSNHKのサッカー番組にも出演してました)が、やたらに噛むアナウンサーで、これにもかなりイライラしました。
それでも聞き続けたのは、裏番組の偉そうにしゃべるキャスターがもっと嫌いだったためです。
いよいよ我慢の限界に達したとき、アシスタントの交代がありました。
そして登板したのが、あの『サンデーモーニング』の、唐橋ユミ嬢でした。
現在はスポーツコーナーを担当していますが、当時は普通のニュースの担当でした。
小柄(155cm)で、声がきれいで、めがねをかけていれば、もう満点です。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200705010000/comment/write/
唐橋ユミ嬢は、福島県出身で、清酒「会津ほまれ」のほまれ酒造社長のお嬢様でありました。
どうりで育ちの良い、上品な空気を醸していたわけです。
しゃべりに関しても、でしゃばらず控えめながらも的確な受け答えをし、もちろん原稿を噛むなどと言うことは皆無で、気持ちよく耳を預けていられました。
TVでは『サンデーモーニング』の他にも『名医にQ(NHKEテレ・土曜)』『広告の時間(テレビ東京・日曜)』などにも出演して、1週間毎日接することが出来て、僕には幸せな3年間でした(彼女はいったいいつ休んでいるのだろう)。
ユミ嬢はまさに完璧でしたが、この番組の転機は東日本大震災と福島原発事故でした。
あれだけ人の話を聴かなかった吉田照美が、あの日から識者の話に耳を傾けるようになったのです。
そしておのれの未熟に気づき、真実を知ろうとする意欲に目覚め、必死に学ぼうとし始めました。
その変化は僕も同じでした。
あの日から、僕らは自分の驕りに気づき、謙虚に学ぼうと思ったのです。
人生の終末に向けて、正しいものの見方をしなければいけないという、やっと地に着いた考えができるようになりました(吉田照美は62歳)。
そして、『ソコダイジナトコ』は、はっきり反原発の態度を示しました。
原発マフィアによる危険も顧みず。
そして、唐橋ユミ嬢は故郷が被災し、且つ放射能の被害が続く中、悲しみも怒りも抑えて、ニュースを伝え続けました。
今回の打ち切りは、圧力があったかどうか解りませんが、文化放送にはこれまでの姿勢を貫いてほしいと切に願います。
原発推進派の逆襲により、安倍政権は原発復活を進めようとしています。
デフレ脱却・経済優先と言う詭弁に惑わされず、真実を見る目で判断してほしい。
『ソコダイジナトコ』はこんなメッセージを発信していました。
http://www.youtube.com/watch?v=kDH9d6ExZws
『涙をこえて』発表された昭和44年(1969年)は、佐藤栄作首相の舵取りによる"昭和元禄"と呼ばれた高度成長時代でありました。
一方、東大安田講堂事件を象徴とする、学生運動の最盛期であり終焉の時でありました。
演じた学生は、すなわち団塊の世代のベビーブーマーで、彼らが大学を卒業して社会の一員として旅立つためのセレモニーでありました。
その挫折と、転向の決断に涙があったわけです。
今思えば、あの騒乱は何だったのだろうかと首を傾げたくなりますが、それが時代と言うものです。
しかし東日本大震災を経験した僕たちは、『涙をこえて』の意味が変わって聞こえるようになりました。
日本人にとっては、老いも若きもつらい現実になりましたが、なくした過去に泣くより、輝く明日を見つめて生きなければならない。
そのための何かを、新しい価値観に気づく必要があります。
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