《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2013年03月31日
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カテゴリ: 昭和歌謡40年代

http://www.youtube.com/watch?v=cyar0UTUTUg

涙をこえて

作詞:かぜ耕士 作曲:中村八大

心のなかで あしたがあかるくひかる

かげりを知らぬ 若い心の中で

この世で たった一度めぐりあえる

あした それを信じて

涙をこえてゆこう なくした過去になくよりは

涙をこえてゆこう 輝くあした見つめて

あしたに続く あしたも明るいでしょう

こんなに胸がはずむ ふくれた夢で

なにかが心さそう たのしいことが

あした きっとありそう

涙をこえてゆこう なくした過去になくよりは

涙をこえてゆこう 輝くあした見つめて

ラ ラララ ラララ ラララ

ララララ ラララ ラララララ

涙をこえてゆこう

輝くあしたみつめて ah・・・

昭和44年、「第1回合歓ポピュラーフェスティバル」参加曲として作られ、グランプリを獲得した作品です。

歌はシング・アウトというグループ(後にヤング101に合流)で、NHKの『ステージ101』でレギュラーとして、この曲をテーマソングのように歌うようになってヒットし、さらに合唱曲の定番になり、卒業のシーズンにはかかせない曲になります。

そして『ステージ101』番組自体の卒業にあたり、ヤング101メンバーに歌われた様子が上記の画像です。

(この中に、太田裕美、田中星児、谷山浩子がいますよ)

作詞のかぜ耕士は、永六輔の弟子の放送作家で、ステージ101の構成を手がけていました。

この曲は本来、ポピュラーフェスティバル用に永が作る予定だったものが、永のスケジュールが詰まっていたため、代役でかぜが抜擢され作りました。

作曲は永の相棒の中村八大でした(歌謡探訪(5)『太陽と土と水を』参照)。

3月は別れの時であります。

学校の卒業以外にも、いろいろな別れのシーンが生まれます。

今年の僕の別れは、大好きなラジオ番組の文化放送『吉田照美・ソコダイジナトコ(月~金AM6:00~)』が終了してしまったことです。

僕の朝はラジオと共にあります。

中学高校時代の深夜放送から、ずっとラジオは親友でした。

大人になってからは、もっぱら朝の時間帯が友との時間です。

6年前にこの番組が始まった時は、実はあまり好きではありませんでした。

キャスターの吉田照美が、人の話をさえぎって自分がしゃべってしまう癖があり、そのためせっかく興味深いゲストが登場しても、ろくに話が聞けなくてイライラしてしまうのです。

( はし ) ( やま ) 南美 ( なみ ) (BSNHKのサッカー番組にも出演してました)が、やたらに噛むアナウンサーで、これにもかなりイライラしました。

それでも聞き続けたのは、裏番組の偉そうにしゃべるキャスターがもっと嫌いだったためです。

いよいよ我慢の限界に達したとき、アシスタントの交代がありました。

そして登板したのが、あの『サンデーモーニング』の、唐橋ユミ嬢でした。

現在はスポーツコーナーを担当していますが、当時は普通のニュースの担当でした。

小柄(155cm)で、声がきれいで、めがねをかけていれば、もう満点です。

http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200705010000/comment/write/

唐橋ユミ嬢は、福島県出身で、清酒「会津ほまれ」のほまれ酒造社長のお嬢様でありました。

どうりで育ちの良い、上品な空気を醸していたわけです。

しゃべりに関しても、でしゃばらず控えめながらも的確な受け答えをし、もちろん原稿を噛むなどと言うことは皆無で、気持ちよく耳を預けていられました。

TVでは『サンデーモーニング』の他にも『名医にQ(NHKEテレ・土曜)』『広告の時間(テレビ東京・日曜)』などにも出演して、1週間毎日接することが出来て、僕には幸せな3年間でした(彼女はいったいいつ休んでいるのだろう)。

ユミ嬢はまさに完璧でしたが、この番組の転機は東日本大震災と福島原発事故でした。

あれだけ人の話を聴かなかった吉田照美が、あの日から識者の話に耳を傾けるようになったのです。

そしておのれの未熟に気づき、真実を知ろうとする意欲に目覚め、必死に学ぼうとし始めました。

その変化は僕も同じでした。

あの日から、僕らは自分の驕りに気づき、謙虚に学ぼうと思ったのです。

人生の終末に向けて、正しいものの見方をしなければいけないという、やっと地に着いた考えができるようになりました(吉田照美は62歳)。

そして、『ソコダイジナトコ』は、はっきり反原発の態度を示しました。

原発マフィアによる危険も顧みず。

そして、唐橋ユミ嬢は故郷が被災し、且つ放射能の被害が続く中、悲しみも怒りも抑えて、ニュースを伝え続けました。

今回の打ち切りは、圧力があったかどうか解りませんが、文化放送にはこれまでの姿勢を貫いてほしいと切に願います。

原発推進派の逆襲により、安倍政権は原発復活を進めようとしています。

デフレ脱却・経済優先と言う詭弁に惑わされず、真実を見る目で判断してほしい。

『ソコダイジナトコ』はこんなメッセージを発信していました。

http://www.youtube.com/watch?v=kDH9d6ExZws

『涙をこえて』発表された昭和44年(1969年)は、佐藤栄作首相の舵取りによる"昭和元禄"と呼ばれた高度成長時代でありました。

一方、東大安田講堂事件を象徴とする、学生運動の最盛期であり終焉の時でありました。

演じた学生は、すなわち団塊の世代のベビーブーマーで、彼らが大学を卒業して社会の一員として旅立つためのセレモニーでありました。

その挫折と、転向の決断に涙があったわけです。

今思えば、あの騒乱は何だったのだろうかと首を傾げたくなりますが、それが時代と言うものです。

しかし東日本大震災を経験した僕たちは、『涙をこえて』の意味が変わって聞こえるようになりました。

日本人にとっては、老いも若きもつらい現実になりましたが、なくした過去に泣くより、輝く明日を見つめて生きなければならない。

そのための何かを、新しい価値観に気づく必要があります。






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最終更新日  2013年07月21日 09時27分34秒
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