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山の中で一人で榊を切りながら ふとその手を止める 近くに小鳥がきて 小さく鳴く 山の中で榊の枝をを集めながら 寒くなりかけた山の峰のあたりに 夕暮れ前の日がさしているのをみて 立ち止まる 風が木々の枝をかすかに鳴らす 背負子に榊を結わえ 獣道を下りながら 谷間の小さな流れが 地位さん音を立てている 立ち止まりその流れを見つめ その流れの音に耳を澄ます ああ、これが今の私にふさわしい こころ静かな時間 私の瞑想の時間 動きを止め 立ち止まり しばしの間 見つめる 聞く 感じる 山の中で 谷間の流れの近くで 木の上で 崖の縁で しなう木の上で ああ、私のこの上ない贅沢な時間
2010.01.30
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昨年夏頃だったか、10パーセントクエン酸溶液浸した布を、爪白癬のできたつ爪の上に当て指サックをはめて寝て、爪白癬を治す試みを行ったが、失敗に終わり、また爪白癬が出てきたので、今回は20パーセント溶液にし、五本指靴下のを土踏まず付近で切り、その指のほうにえきを浸し、その上からビニール袋をかぶせ、さらにえきがもらないよう、ガムテープで巻いた。さあ、今度は成功するかどうか楽しみ。
2010.01.30
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ストーブを入れていても床の上はそう暖かくなぃらしく、テレビの上など高いところに上がりたがるメガテン
2010.01.30
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近くにいるかも うそうそ、近くにはいない
2010.01.29
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日が陰る前に、山の峰を照らす日差し。しんとして、静かな夕暮れまえの山。ときどき風がこずえを、ざわざわ鳴らす。
2010.01.29
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冬はやはり暖かい弁当を食べたいが、これまで使っていた筒型の保温弁当箱は、食べるときみな取り出さなければならなかった。寒さを避けて車の中で食べることが多く、軽の狭い車内では、食べにくかった。横入れ式のをホームセンターで探したらあったので、買ってきて使いはじめたが、とても使いやすくて、きにいっている。
2010.01.29
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少し楽になる、小鳥たちの鳴き声、かすかな谷間の水の音
2010.01.27
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美濃加茂の総合庁舎の1室で 兄とともに座り 何度か野の花社に来てくれていた 聡明な感じの保健婦さんに 話を聞いてもらっていた 兄のそう状態と、それへの対応に 途方にくれているような私の状態を 数年前のことだった 何をその人は話してくれたのだったろうか ともかくその人が私の辛さを言い当てる言葉を口にし 私はその言葉を聞いて 涙が出てくるのを押さえようがなかった 口から出てくる言葉も震えて 悲しみがこぼれてゆく感じだった 多分兄がそばにいなかったら 大声で泣いたかもしれないような 刑務所で母の死を聞いたときも 同じようなことがあった 大声で泣きたいのに 涙をにじませ 悲しみがようやくもれていきような感じで言葉をもらし 悲しみを耐えるしかないような 長い日々 思えばそのような日々が長く続いているのかもしれない いいたいことがいえず 口ごもるしかないようなことも多く しかも人を責めるわけにも行かず 人であるゆえの限られていて 人の悲しみ そこから解き離れていく自由が 人にあることは知っているけれど そのようにいきることは 深い困難があって ひとは悲しみの中に生きていく ふと今日はそんなことを 詩にしてみたかった
2010.01.27
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写真を大きく拡大した コピーが出てきた るこさんの 傘を差した写真 とても美人に見える 高貴な人に見える 美しい写真 懐かしいひと 私がきづつけてしまった人 ごめんなさい そしてありがとう まだそうしたありようから 自由になれてないけど ごめんなさい そしてありがとう
2010.01.27
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山の中の林にはときどきこんな泥をかき回した水たまりがある。
2010.01.26
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2010.01.26
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今日は電話でであるけど、特定のスタイルに設定されているわけではない、電話でのセラピーを受けた。これといて、特にめざましい体験をしたわけではないけど、この間ずーとそうしようとして、少しづつはそうしてもいて、だけど遅々たる歩みに過ぎなかった、自分がやりたいこと、嬉しいことをやる時間を、もう少し自覚的に増やしたいということに関し、改めて強く、優しく押された感じのセッションになった。終わって身体と心がホッとしているのを感じた。 ここ数年の、私の周りで起こっていること、私が私の選択として引き受けてもいる、困難を抱えた兄や妹、新ちゃん、そして失業してここに昨夏に来た妹の連れ合いのOさんとの関係から、私が引き受けている負担が大きすぎること、過重であることを感じ続けてきた。しかしそれは、なにかの過渡期、あるいは私がそうしたことをとおして何か大切なことを学ぶ時期でもあるのだろうと思いもし、ここでの生活を維持するために必要だとして引き受けてきたことでもあった。 でも、もうそろそろというか、こうしたありようを見つめ直し、出来る範囲でいいからもう少し自分が楽になれるよう、自分がしたいことができるよう、嬉しいことができるよう、生活のあり方、ここでの関係のあり方を、変えたくなってきた。昨年もそういう志向もあり、5月頃には3泊2日の瞑想キャンプに出かけたし、9月には神戸・芦屋の1泊2日のビレッシュのワークにも出た。10月には岡山の岡部明美さんの2泊3日のワークも受けた。旅費、食事代など含めたら、20万は掛けている。こうして振り返ると随分その方向に、私は歩み始めてりるのだと思いもする。ただそうしたことを、今ここでの日常生活の中で、どのように実現していくかということに関し、自分の中で明確なものがいまいち掛けていた、気もする。 それでもこの1年ほどは兄の病院への送り迎えは、しんどいからしないと兄にいい、何とか自分で行くようにといい、兄は近くの知り合いなどにお金を払っていくようになってもいた。それは随分私を楽にしてくれた。また昨年6月頃から、名古屋の市場への出荷を、新ちゃんの知り合いの山さんに頼んだことからもかなり楽になった。その他細かな点でも少しづつ負担が軽くなるようにしてきている。 それでもなおOさんもここに加わったことから増えた負担もあり、まだ忙しすぎるほど働きつつける必要のある状態は続いている。それは税金の支払いがいかにも過ぎることもある。 税金の支払いに関しては、いろいろな人に相談もして、 もう少し軽くなるように、実質的な経費を計上することも分かってきたし、新ちゃんを戸籍上私の養子にし、扶養控除も取れるような道筋も考えている。そのことは新ちゃんとも話し合い、彼も了解している。 そういうことも含め、お金、経済的な面だけでなく、ここでの人間関係で、私の関わり方をもう少し距離を持ったものに変えることで、私自身の精神的なストレスのようなものを減らすこと、今日はそうしたことに関してもアドバイスを貰った。仕事をしながらもう少し自分の中に入る時間、日常のことは横に置き、山の中での自然にひたあるような時間を自覚的にもう少し持つことに関しても。ときにそういう時間を持つことは今でもあるけど、もう少し自覚的にそういう時間を増やすこと、多分そうしたことから生まれる喜び、心地よさなどが、私の心身にいい影響をもたらすだろうこと、私が一番したいことを軸にそこから今のありようを見つめ治すこと、再編成していくこと、まあゆっくりだけど。大まかなそういう夢はあって、そこに至る過渡期と思っているところは今までもあったけど、ここの日常に取り紛れて、どうしてもその辺がおぼろげな目標みたいなものになり、そこから自分の生活を見直すリアルな力を持った目標にはなっておらず、何か途方にくれているのが現実の私であったりするわけだけど。 ともかくこんなことを、今日のセッションの中で感じ、終わったあと考え、確認している。でもそのセッションのあと、サンホームの風呂に入りに行ったが、疲れが出ているのを感じた。多分それは私の中で蓄積されている疲れがでてきているのだろう。帰ってきて、3時間ほどねた。 ああ、少し前から気づいていることだけど、脈拍がかなり多い。以前は55ぐらいと遅すぎるくらいだったが、今日は計ったら80台。多分かなり前からそうなっている気がする。疲れだけではなく、何かどこかが弱っているのかも知れない。このことに関してはもう少し自覚的に調べてみたほうが良いのを感じる。 渡航して長い文を書くと、胸のあたりが何か凝るというか、かすかに傷む感じがある。ああそういえば私の好きなクレイジイダンスを、長い間していない。私には和尚のダンス瞑想は、私のこった身体をほぐすためにもとてもいいいものなのだが、ずーとやっていない。 そうだ、ただ無心に踊ることも私のとても好きなことだ。踊りの無い人生は無いくらいに感じ、よく踊っていた時期があったのに、本当に踊る時間を作らなくなった。 なんとかその時間も作れるようにしたい。疲れた身体をほぐし、気の流れを良くし、少しでも心地よい時間を多くするために。 今日はこの辺で止めておこう。 ああ今日のセッションでよかったことは、ほかの人にも随分言われてきたことだけど、私のここでの生活がどう見てもとても負担が重過ぎるものになっていること、そのことをもう1度、はっきりと確認する場になったことだ。どう考えてもそれはそうなのだ。こんなことはとんでもないこと、普通には考えられないような重いことで、それを軽くしようとするのは当然で、そのことに負い目を感じることはまるでないのだということ、それを強く自覚したことだ。それが、ホッとした大きな理由だろう。
2010.01.25
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おいらは余り人の命日を覚えていない。 父や母の命日、和尚の命日ぐらいは覚えているけど 特にその日に何かをする気持ちにならない。 妹は逆で、本当に多くの人の命日を覚えている。 その記憶力のよさには感嘆する。 父の命日が1月17日、和尚の命日?が19日 そして母の命日が22日 こんな風で覚え易いこともあり、覚えている気がする。 ちなみに父の誕生日は関東大震災の日で、1年後かな 命日も阪神大震災?と日付は同じかな よく妹がそのことを言う。 ところで今日、夜になって倉の片付けものを先日した後に出てきた、ゴミを燃やしていて、ふと包みの中にあった古い手紙を燃やす寸前に、ちょっと中身を見てみようと思い立ち、幾つかの手紙を読み始めるうちに、母が長女が生まれた直後に生家から父あてに書いた手紙を見つけてしまった。長男義紀を赤痢で5歳くらいにしてなくした後、5ヶ月ほどして長女千代子を在所で生み、その可愛さを父に書いているような手紙だ。義紀がなくなったのは祖父の赤痢が移ったからだが、そのことを自分の不注意のように書き、思い出されてならないとも書いているが、新しく生まれてきた千代子も神からの授かりものであり、可愛くて仕方がないこと、あなたもこの子の父であり、私の大切な夫 ですから、健康に気をつけて丈夫に生きてください、というような、真情の溢れる手紙だった。 私には父と母の関係は、不和の、いがみ合いや、何か悲しい思い出が多いから、この手紙は新鮮だった。ああ、母と父の間にも、こんな愛情の通い合う間柄であったときがあるのだと、リアルに認識した。ちょっとホッとした。 これはまさしく母の命日に母からの贈り物として与えられたのだ。 とはいうものの、昔の人の手紙は読みにくく、内容は定かでないが、母が親しく師事していた、筒井敬一という公明な天理教の教会長の母あての手紙数通や、昭和29年頃母が近くの人に5万円ほど借りた借用書が3通ほど出てきたし、岐美大教会の会長の手紙、岐美大教会への10万(今なら100万円くらいか)のお供え、寄付の証文なども出てきた。父が当時胃潰瘍で県病院に入院し、いの大きな手術をし、そのことからの回復を願った母が、加藤家のあり様の変革も願ってだろう、積極的に天理教徒として活動していた時期のことだ。覚えていることは筒井先生らとともに、障害者のケアー施設のようなものを作る準備をしていたというようなことだ。そのことに関わると思われる筒井先生の手紙もあった。 退院してきた父が、誰かがねたんで告げ口、食言というのだろうか、筒井先生と母は性的な関係も結んでいる、母は筒井さんにほれ込んでいる、みたいなことを伝えたため、父はそれを信じて母に対し怒りをあらわにし、親族会議も開いて離婚をしようとした。母は事実無根であると主張したが、誰もそれを認めてくれるものはなく、大教会の女の会長もそれを事実とした上で監督不行き届きで申し訳なかったと父にわびた。母はそんなことを含め、誰も私の味方をしてくれなかったと、後に幼い私ら子供に涙ながらにかたった。その頃から母はよく酒を飲むようになった。 そんなことも思いだした。 母の命日。 その母の悲しみ、とともに、父に対して愛情、真情のあふれる手紙を書いていた母のことも発見し、自分の出生も いがみ合う父と母の間で起こったことではないだろうと、 少し思えた。ああのいがみ合う父と母がセッツクスをともにし、そこから私が生まれてきたのだというような、私の出生に対する醜さのようなものを感じ続けているところもあった私に、そうではなかったらしいという、暖かい感触 を母の手紙は与えてくれた。 ありがとう、お母さん あなたの命日のプレゼント 確かに受け取りました
2010.01.22
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山の急な斜面に生えている、 綺麗な形の榊の枝を取り続けていると ふと気づいた かなり前からその私の周りを、 小さく鳴きながら飛び回っている小鳥がいることに 気づいた私がその小鳥に目をやると、 小鳥は止まった枝から動かず、 少しだけ顔を傾けたりしているだけだったり、 しばらくして飛び立ってもほんの少し向こうの また低い枝にとまって私のほうをうかがっているだけだ その愛らしい姿 その愛らしい飛び方 その愛らしい顔の傾け方 その愛らしい小さな鳴き声に なんだか胸がときめいてきて おまえは私の恋人か 前世で恋人だった人か いま姿を変えて私のところに来たのか そんなこと思いつつ胸きゅんきゅんして、 えもいわれない幸せな気持ちになった しばらくしてふと 彼女が私の周りをはなれないのは 私が山の急な斜面を歩き回り、 落ち葉を蹴散らし 土を荒らし その中にいる虫を 彼女が取りやすくしているからではないかと気づいた そうだったのか とんだ思い違いだったのだ ああ であるにしろ ほんのひととき、 私の胸をときめかせてくれた小鳥よ おまえにお礼を言う ありがとう 胸をときめかせてくれて そして自分のその思い違いの愚かしさも面白くて 山の中で一人クスクス笑った
2010.01.18
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2010.01.17
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2010.01.17
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倉の1回の書斎兼事務室でこれを書いている。 倉は山仕事などしてきて冷えた身体ではいると やはり暖かかく感じるが、 こうして夜遅くキーボードなど打っていると、 身体が冷え作るほど寒い。 対策として、ストーブを入れ、足の下には平たい電気行火をいれ、防寒ズボン2枚の下に毛糸のズボン下、上も毛糸のセイターの上に、防寒着2枚着ている。 ここ3日ほどかなりの雪が降り続き、さすがのおいらも山には入る気がせず、山仕事は休んでいた。今日は晴れたこともあり、とりあえず山に行ってみた。 ところでその前、3日ほど山仕事を休み、確定申告の準備などしていたが、体の調子がおかしくなった。疲れやすくてよく寝たし、頭がふかふかするし、どこかおかしくなってるのかなーと少し心配した。けどきょう山にはいって仕事をすると快調、雪は20センチほどしか積もっておらず 、そう動きにくいほどではないし、誰もいない真っ白の林道を走ったり、雪の山を歩き回ったりするのは実に気持ちがいい。野の花社の家にいると、つい兄や妹、新ちゃんのことを考えたりしてしまうこともあり、少し気分がロウになるということもある。 ともかく山仕事をしておると、身も心もいい感じになるのだ。もっとも少し左ひざの前側の関節が痛い。使い易くていいサポーターを探している。 ところで以前書いた税金が高すぎる件、一つ疑問が解けた。これまで10万以上の国税など払ったことがなかったため、10万以上の国税を払う可能性のある人には、前年度から予定納税という形で、次年度分の税金を支払うシステムが導入されていたのだが、そのことを知らなかったのだ。昨年11月頃5万ほど払った国税はそのことだったのだ。確定申告の手続きもあり、調べていく最中にsくぁク年の3月の確定申告したさい、19万円だったかの20年度の国税は支払っていること、その後5万円とか2回くらいはらったのは、次年度分の税金の前払いという形なのだ 眠くなってきたのでここらで寝る。
2010.01.16
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この前の日記は心配かけた人もいるようで、 私の勘違いや、お決まりの漢字変換のでたらめもあり、 自分ながら自分のそそっかしさや、 出鱈目を驚き笑いました。 心配してくださった方には申し訳ない。 送風式のストーブが転倒したまま、音を立てていたような書き方、再読してわが目を疑いました。点灯したまま、と書くべきところを、転倒したまま、と書いているのですから。文字どうり読んだら危ない危ない、よね。まあ今のストーブは転倒したら安全装置が働いて切れるだろうけど。 でも読んでくれた人は、お決まりの漢字変換の誤りと、読んでくれていた気もするけど。だけどこの文字変換、こういう間違いもあるから、面白いといえば面白いね。自分で再読してビックリして笑ってしまったもの。 まあ私がオイルヒーターをつけたまま寝たのは、そう危なくはなかったし-電気代が心配だけど、妹は起きている間に灯油が無くなり消えたことは確認していて、そう問題はなかったし、兄が送風式のストーブを付けたままねたというのも、いったんは切ったけど、タイマーの接続不良で 、ときどきスイッチを切るボタンを押しても、しばらくするとまた付いてしまうことがあるらしい。というかそんな感じのことは、私が昨年そのストーブを使っていたときもあったことを思い出した。で、兄曰く、コンセントをぬかなあかんなーということ。 まあこの位のことでよかった。ホッとした。 今日も名古屋の市場に自分で荷物、榊などを出しに行く。 金曜日の注文が多かったこともあり、昨日は榊の整理などに11時頃までかかり、今朝は3時おきで少し疲れた。 で帰ってから少し寝て、午後から家でやり切れてないことをやりはじめたら、てんてこ舞いしてまた疲れた。夕食後今になってまた元気が出てくる。 妹の連れ合いのOさんは今夜、合宿制の自動車学校に入るために、新潟に出かけた。上手く行けば15日くらいで取れるようだけど、うまくいきますように。彼が免許を取ったら随分私は楽になる気がする。山仕事モもう少し自主的にやれるようになるだろうし、隣町までの買い物などもかなり出来るようになるだろうから。これまで私がやる必要のあることが多すぎた。やっと少し負担が軽くなる気がして、そのことにはホッとしている。後は自動車学校が悪質なところでなければいい、少しだけそのことが気になる。
2010.01.11
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先日取り上げた、トラウマセラピーにかんする本は、トラウマセラピーにかんするあたらしい視点をわたしにあたえてくれる。トラウマの意識的な再体験をとおしてしかトラウマから回復できない、みたいに考えていたのが、そうではなく、そのときに出来た体の硬直を解きほぐすようなエネルギイ体験などをとおして、回復できるというようなことだ。あるいはからだと魂の分離を再統合するような、何かのワークによってとか。まだあれから少し読んだだけだけど。 妹がときどき小さいころできなかった、身体を思い切り使う遊びに言及することがある。そういうことがしてみたいと。これはプロセスワークの本を読んだときも、そう出来たら良いと思ったことだが、妹にはそうしたおもいきり身体を使う遊び、あるいは山での労働などする機会を持ってもらうのもいい気がしてきた。彼女の疲れやすさなどを、魂と体の分離みたいなところからも考えるといい気がしてきた。 それにしても今夜、少しこの家族の危機を感じさせる事柄に出会った。というより自分の危機でもあるのだけど。 今朝は朝早く名古屋の市場に出かけた。頼んでいた人が休みだからでもある。帰る途中市場の人から電話が入り、たくさんの注文が来た。それで野の花社に帰り昼ご飯を食べた後山に入った。しかし朝早かったことから、夕方帰り食事を下後疲れが出て、一休みするつもりでオイルヒーターをかけて寝た。起きたのは11時半頃、ヒーターをつけたままだった。 そして体の疲れを感じ、またこのところ1週間ほど風呂に入っていないことで、身体がおかしくなっているのを感じ、風呂に入ろうとして食堂に行くとその隣の部屋で、妹が電気をつけたまま寝ていた。ストーブもつけたまま寝て、灯油が尽きて消えている感じだった。そしてその隣の広間でも送風式のストーブが、転倒したまま音を立てていた。広間の暗闇の中で。ふだん夜遅くまでテレビを見ている兄がつけていて、寝るときはきやして行くのだけど。それが消してないママだった。今回で2度目か。 この兄と私と妹のこの出来事?にふと危機を感じてしまった。
2010.01.08
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これまで榊の枝の選別などする仕事場には、体を温めめる物がなかった。昨年秋にゴミを燃やすために作ったドラム缶を置くことを思いつき、置いてみると、これがよかった。山から帰ったときも含め、火をもやせばとても暖かい。
2010.01.07
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2010.01.06
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2010.01.06
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昨日は、崩れかけている元教会の裏の屋根の庇と、蔵の庇の柱の部分などを、Oさんとしんちゃん、私の三人で補強する。写真は蔵の前。これで少し安心して蔵の前を歩けるようになった。
2010.01.05
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栄町などの大手の百貨店や銀行などの門松を見るのは初めてだったが、思ったほど良い物はなかった。
2010.01.03
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2010.01.03
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明けましておめでとうございます。 本当は機能1時間くらいかかって書いたものもあるのだけど、ちょっとしたミスで消えてしまった。本当に悔しい。 毎日新しいことが起こり続け、 毎日が新しい日々なのだという思いはどこかにあるけど、 この時期はやはり山仕事が休みになり 生活の仕方、時間の流れが違ってくるから、 確かにより新しい日々が来ているのを感じる。 特に大晦日には新ちゃんが、 前の職場の旅館で養った腕を振るって たくさんお料理を作ってくれたから余計だった。 彼は大晦日の朝から頑張って、チャワムシやら ぶり大根やら、酢の物やら鍋料理などををしてくれた。 28日頃の話し合いで私は、 いろいろこれまで忙しかったから、 正月料理など特に作らなくてもいい、 朝は湯豆腐、昼はそれを味噌汁にし 夜はそれをカレーにする、そんな風でもいい、 とか言ったのだけど、 ほかの人には他の人のやりたいこともあり 新ちゃんがやるということでそんな風になった。 私は新ちゃんの求めに応じて隣町の金山に行き マツオカで食料を14000円ほど買ってきた。 焼酎の二階堂の720ミリりっ取り入りのを1本も含めて 大晦日までに散らかり放題になっていた仕事部屋を整理清掃し、母屋の通り抜けの土間の整理もかなりやり、自転車置き場など、いろいろなものを置けるスペースを作り出した。Oさんはそうした作業から出たゴミを燃やし続けてくれたし、新ちゃんは野の花社の広間の掃除、整理をしてくれもした。 そしてこれまで兄は広間の北側に布団を敷いて寝ていたのだけど、もういつでも移れるようにしていた、元私が自分の部屋にしていた部屋に、大晦日に移った。何度も自分で移るように促していたのだけど、自分でするといいつつ、 しないで来ていたから、大晦日の夜に強く移るように言うと、やっと自分で移った。そして昨日の元日になり居心地を聞いてみると、やはり新しい部屋、個室の方が良いということだった。それもよかったと思う。 新ちゃんは元日は野の花社に残されている、天理教の御霊様に対し、祝詞を上げるなど、新年際のようなことをしたいと、毎年いい、今年もしたいということだったがやめてもらった。よくそのことに付いては話し合った。私は妹などの要望もあり、御霊さまと言う家族、祖先の霊を祭るところは残しているものの、ここを天理教の教会とは考えていないし、私自身は天理教に対し大きな批判を持っているし、父母や祖父母などが天理教に依拠することで、救われていった事実はなく、むしろそのことで苦しみもしたという加藤家の歴史もあり、元日祭をやることで祖先が喜ぶとは考えられないことも言った。それと新ちゃんがそうしたいという気持ちの中に、自らが祭主となって祝詞を書き読み上げたりすることの中に、そういうことをする自分を協会長のような役割を果たす、特別な人間になっていると自覚するような、自分の楽しみとしてやっているような感じを受けることについてもよく話し合った。そのことにある程度納得してくれて、御霊祭はやらないことにしてくれた。またいつも元日になると、近くの天理教におまいりしていたのも止めていた。 以前から新ちゃん自身も、現在の天理教のあり方、お金をお供えすることを強調しする一方、本部員などが外車を乗り回していたりする様なあり方を批判し続けていたのだけど、 そのことと現実の新ちゃんの天理教への積極的な参加の仕方の矛盾などについてはよく話し合っても来た。でもともかく長い間天理教の中で生きてきた部分もある新ちゃんは、そこがある所の居場所になっている部分もあり、当分そのことは変わらないだろう。 妹は、年末に心理内科にゆき、心理テストの結果を聞いてきたりしたが、時に障害の名前がつくような、結果は出ていないということだった。精神的な活動は活発で、周りの人々の適切な対応があれば良いみたいな評価がされていた。あくまでこのテストの時点の評価ですがという断り書きもあり、信頼できる感じの評価の仕方だったが。 ともあれ妹は相変わらずの部分もあるけど、以前と比べるとよく心からの笑い声を発するときが多くなった。自分で人を茶化して大笑いするようなこともよくある。まあそれが野の花社の雰囲気でもあるのだけど。私もよくピエロになって、変なことを言い、変な行動をして人を笑わせることが好きだから。 こんな野の花社の新年である。 さて今年はどんな展開が待っているのか
2010.01.02
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本来はトイレにするつもりで空けていた、浴室の隣の空間にストーブを設置した。冬は外にある浴室が寒いため、風呂に入りにくいこともあり、脱衣場を暖かくするためや、ゆっくり煮込む必要のあるものの煮炊きなどのため。
2010.01.01
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雪を手で掘ったりして、雪のなかを歩き回るメガテン。
2010.01.01
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雪の中の赤い実
2010.01.01
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