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一昨日、母屋などにあったテレビなどの古いのを軽トラで巡回しているリサイクルやさんに5、6台出した。たいてい処分料を取るのだけどその人は、物によってはただで良いですというので見て貰ったら、古いテレビなどの何台かを引き取ってくれたのだった。ところがその際野の花社にあった、ラジカセも2台出してしまった。1台は明らかに故障していて使わないでいたものだけど、もう1台は妹が大切に使っていたものだった。昨日そのことをいわれてはじめて気がついた。おまけのそのラジカセの中には、妹が毎日のように聞いていた、ハルシオンの「僕たちの未来」というCDも入っていた。私の間違いだからすぐ謝った。妹も最初は怒ったけど、命が無くなったわけではない、小さな事は気にしないことにする、と言ってくれた。それは嬉かったけど、何とかできるだけその失敗を償いたかったので、ネットでハルシオンのCDを探してみたけど、見つからなかった。妹によるとハルシオンは今もテレビに出たりしているという、現役のミュウジシャン達だというけど、ネットで私が調べた範囲では、あまり出てこない。もう少し調べてみるけど、この私のブログを見ている人で、そのCDの入手方法を知っている人がいたら、知らせて欲しい。どうしても手に入れたいので。ラジカセのほうは、リサイクルショップで買ってくるつもりだけど。そのリサイクルやさんは、安藤電気と名乗っていたけど、電話帳などで調べてみたが 、分からなかった。名刺ぐらい貰っておくべきだった。ともあれ、そのハルシオンのCDが欲しいので、何か知っている人などあったら、ぜひその入手方法を教えてください。お願いします。
2007.01.30
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友人かヒシノミを送ってくれた。初めてヒシノミをみた。
2007.01.27
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受刑者の人権を守る活動などをしているある人にある用事でメールを出した際、飯田さんのこと、手紙をここで掲載していることを伝え、こういうことのなにか問題があるようでしたら知らせてくださいとか書いた。その返事が来て、やはり凄くまずいというような意見が書いてあった。私自身はさして問題は内容に感じていて、飯田さんもこうしたことに怒りや不快感を抱くような人ではないと感じてはいる。しかしあくまでそれは私の見解だし、なにか私の判断できないところで飯田さん迷惑が及ぶ可能性もあるのを感じ、改めてここに掲載することの許可などを求める気持ちになった。そしてその旨の手紙を強打した。私のこういうところはなにか私のづずいていない私の課題とでもいうものがあるのだろうか。
2007.01.27
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受刑者の人権を守る活動などをしているある人にある用事でメールを出した際、飯田さんのこと、手紙をここで掲載していることを伝え、こういうことのなにか問題があるようでしたら知らせてくださいとか書いた。その返事が来て、やはり凄くまずいというような意見が書いてあった。私自身はさして問題は内容に感じていて、飯田さんもこうしたことに怒りや不快感を抱くような人ではないと感じてはいる。しかしあくまでそれは私の見解だし、なにか私の判断できないところで飯田さん迷惑が及ぶ可能性もあるのを感じ、改めてここに掲載することの許可などを求める気持ちになった。そしてその旨の手紙を強打した。私のこういうところはなにか私のづずいていない私の課題とでもいうものがあるのだろうか。
2007.01.27
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昨日ある山でとってきた春蘭を、今朝から鉢植えに。山では株の三分の一くらいは残して採取した。川砂三、腐葉土二位の土で、鉢植え。
2007.01.27
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2007.01.27
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ここを山仕事の作業場にするつもり。
2007.01.27
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(昨日からの続き) しかし病院の論理では(1)は被毒妄想ないし自己臭恐怖(体臭恐怖の一種)で(2)は自傷行為と考えられ、保護室に収容して自傷行為の機会を少なくして周囲への影響を避け、かつ自傷行為への罰としてその保護室を機能させるわけです。 共に生きるという視点なら、お兄さんの健康になりたいというその基本をまったく正当なものと受け止め、その共有から、ではどうしたらよいかを共に考えます。当然、何ゆえ、手足などといった限定ではなく、前期のように有毒物質は体のさまざまな所から排出されるということをお兄さんに共有して貰えるよう、工夫します。仮のそういう多様な排出があると認識できれば、緊急手段としての切開(カッターナイフによる)は必要ないというふうに言っても同意して貰えるかもしれません。 絶対にしてはいけないことは、上記の「健康になりたい」というという点を否定するような非難をしてはいけないということ、これです。何ゆえ自分の足を切るようなおかしなことをしたの?というふうに、行為にあらかじめ「おかしなこと」と意味付けして質問すると、、それは質問ではなく非難になります。 次にお兄さんの(1)(2)に対しての病院の対応は(3)だったわけですが、これは明らかに病院の怠慢ミスだったと思う。何故なら、(1)(2)についてお兄さんと医療スタッフとの間には治療信頼が築かれていないから(1)の判断と(2)の対処をお兄さん自身でやっているわけで、その点への反省があれば(3)の対応は出来ませんよね。(3)はどんどん治療関係を墓石、お兄さんの孤立感を大きくして絶望への道を開くわけですから。(続く)
2007.01.24
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(昨日からの続き) しかし病院の論理では(1)は被毒妄想ないし自己臭恐怖(体臭恐怖の一種)で(2)は自傷行為と考えられ、保護室に収容して自傷行為の機会を少なくして周囲への影響を避け、かつ自傷行為への罰としてその保護室を機能させるわけです。 共に生きるという視点なら、お兄さんの健康になりたいというその基本をまったく正当なものと受け止め、その共有から、ではどうしたらよいかを共に考えます。当然、何ゆえ、手足などといった限定ではなく、前期のように有毒物質は体のさまざまな所から排出されるということをお兄さんに共有して貰えるよう、工夫します。仮のそういう多様な排出があると認識できれば、緊急手段としての切開(カッターナイフによる)は必要ないというふうに言っても同意して貰えるかもしれません。 絶対にしてはいけないことは、上記の「健康になりたい」というという点を否定するような非難をしてはいけないということ、これです。何ゆえ自分の足を切るようなおかしなことをしたの?というふうに、行為にあらかじめ「おかしなこと」と意味付けして質問すると、、それは質問ではなく非難になります。 次にお兄さんの(1)(2)に対しての病院の対応は(3)だったわけですが、これは明らかに病院の怠慢ミスだったと思う。何故なら、(1)(2)についてお兄さんと医療スタッフとの間には治療信頼が築かれていないから(1)の判断と(2)の対処をお兄さん自身でやっているわけで、その点への反省があれば(3)の対応は出来ませんよね。(3)はどんどん治療関係を墓石、お兄さんの孤立感を大きくして絶望への道を開くわけですから。(続く)
2007.01.24
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飯田さんからきた返事の冒頭の部分を引用してみる。こういう引用は、本来は飯田さんの了解を得たほうがいいのだろうけど、そうすると刑務所側との関係で、彼が私に手紙を出しにくくなることも考えられることもあり、というか先ずは私が引用したいという気持ちが強いからだが、そうしてみる。 やあデバン 明けましておめでとう!忙しく大変な中、お便りありがとう!早速だけど、お兄さんの状況を書いてくれたので共に考えてみるね。 今、僕の手元には、平凡社の『心理学辞典』と弘文堂の『精神医学辞典』南山堂の『医学辞典』があります。みすず書房の『精神分析用語辞典』もあります。(1)自分の手足などからくすりなどの成分の有毒ガスがでているということ で(2)夜にカッターナイフで足の指あたりの皮膚を切り、そのガスを出そうと していて(3)閉鎖病棟の保護室に入れられたのですが(4)保護室の枕を破って便器に詰めたりしながら(5)そのことを後から指摘されると(6)俺が風呂に入っている間に(8)たちの悪い看護士が俺を陥れるためにやったことだといったり さて以上の点だけど、共に生きようという視点で捉えたらどうなるだろうか?(1)の把握は手足に限定しなければ基本的に正しいよね。つまり薬には副作用がありそれを毒という面でとらえれば、呼吸でガスを、汗腺や皮脂腺あるいは腎から尿として、あるいは放屁として肛門からというふうに、人間には有毒なものを対外に排出する機能があります。それを手足などに限定するところから排出に(2)の形をとってゆくわけで(2)は(1)理由としているわけですが、この(2)は「お兄さんの論理に立てば」、自分の健康を取り戻そうという正当な行為ですよね。(続く)
2007.01.23
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この1月になって、やっと飯田さんに3通目の手紙を出した。その手紙に対する返事が今日きた。私が出したものは次のような内容だった。ヒロヘ明けましておめでとうございます。すっかりご無沙汰して、しまいました。返事を出そうと思いつつ、時間がまったく取れない分けではないけど、ついつい返事を出す時間をとらないまま来てしまいました。この間仕事の忙しさにまぎれて、家の中も、外の庭も殆ど掃除をしていなかったから、この年末年始も、大掃除、ゴミ燃やし、家の修理などでフル活動でした。昨夜は恒例の、中学の同級生の友だち5人ほどとの飲み会、一人の家のクドのある部屋で生竹に酒をいれて燗をしたり、猪鍋を食べたりしながら、みな割りといい感性を壊さないまま年を取った感じの人たちだから、楽しいです。ヒロの彫刻、良いですね。ヒロが彫った彫刻、1つくらい欲しいですね。宮城の刑務所のなんとか展みたいなのでは売っていないのかなー。売ってたら買いに行きたいけど、ニコニコ。山の花材、まだ駆け出しで、本当にいいものをたくさん採ってこれるようになっているわけではありません。今年の秋に出したドウダンつつじは、とてもいいものだったと高く評価されたけど。共感性のこと。ヒロの手紙を読み直して、おいらは精神病院に入っている兄のことを思いました。最近1ヶ月くらいもそう状態になっていて、こんなことがありました。自分の手足などから、くすりなどの成分の有毒なガス、分泌物が出るということで、夜にカッターナイフで足の指あたりの皮膚を切り、そのガスを出そうとしていて看護士などに見つかったことなどから閉鎖病棟の保護室に入れられたのですが、その苦痛からだと思いますが、保護室の枕を破って便器に詰めたりしながら、そのことをあとから指摘されると、あれは自分のやったことではない、俺が風呂に入っている間にたちの悪い看護士が俺を陥れるためにやったことだ、と言ったりしています。同じような言い方は、昨年6月ころそう状態でこの家にいたときもありました。近くに八百屋で、精神障害者は人を殺しても罪にはならないといい、怖がらせつつ万引きのようなことをしようとしたりして、それを知って、おいらがそんなことはしないほうがいいよと言うと、あの店のばあさんが嘘を言っているのだ、といったりしたこともあります。またおいらが出所してまもなく、知り合いからこんなことも聞きました。10年程前に、兄を親しく面倒見てくれていた共産党員の友だちの印鑑と通帳を持ち出し80万ほどの金を下ろして使い込んだと言うことそのお父さんがひどく怒っていたということです。その友達のところにも行きたいというから、こうこうこういうわけで、彼らは怒っているから、受け入れてはくれないと思うよ。みたいに兄に言ったところ、少ししてから、あれは俺がやったのではない俺の知り合いがやったことだ。などといました。仮に兄がそうしていないなら、兄はその友だちのところに濡れ衣を晴らすために出かけてゆき分けを話したりする気になるはずでもあり、しかしそうしたことはまったくしないことからしても、兄はやったのだろうと思います。こうしたことは、みな伝聞であり、事実を見たわけではないので、絶対あったこととハイエナい気がしますが、繰り返し同じようなことが兄の周りで起きていることからも、多分兄がやったのは事実だと思います。このことをどう考えていいのか、兄がやっていたとしてその自覚はありながらあくまで白を切っているのか、2重人格的に分裂していて、もう一人の自分がやったことに関しては自覚しなくなっているのか。いろいろ書きたいことが多すぎて、書ききれない。中途半端だけど、今日はこれでやめます。妹の食に対するこだわりは、ヒロの指摘が正解だと思います。12月末の仕事の売上のコーピーを同封します。愛するヒロヘ。デバムー加藤三郎 2007年1月2日こんな私の手紙に対し、飯田さんから今日きた手紙は兄のことを深く理解しようとする、またわたしに対し共に考えることを触発してくれる、また獄中での飯田さんとの関係を思い起こさせもする、いい手紙だった。(続く)
2007.01.22
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2007.01.22
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2007.01.21
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山のようにあったゴミ、ガラクタを朝から燃やしたり、整理してやっとここまできた。
2007.01.21
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2007.01.20
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2007.01.20
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今日の夕方まで、この部屋は廃墟だった。ガラクタを片付け、掃除し、とを入れ変えたら、久しぶりに部屋らしくなった。
2007.01.18
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切ってきた枝をいきなり温室にいれず、一旦凍らない程度のところにおくほうが良いとのことで。木も驚かせてはいけないということか。
2007.01.18
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山は春のきざし、私は七宗の山の霊気がすき。
2007.01.18
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温室は完成したし、その中に入れる梨の枝なども、十分確保できる見通しがついた。私の高校の同級生が、近くに町で果実生産農家のまとめ役のようなことをやっており、これからがせんての時期で、各農家からかなりのものをもらえそうになったからだ。また私が最近ヒサカキを採りに言っている地域は、私の母の在所の近くなのだけど、そこに母の世話になった人がいて、人づてに、自分のところの山に入っても良いと伝えてくださった。ダルクに兄私妹いけたことも含め、嬉しいこと、よいことがたくさん起こっている。経済的には今年になってから殆ど山仕事はしておらず、2月は相当厳しい状態になるだろうけど、ともあれ先の見通しは明るい感じだ。ここを越えれば本当に今年はかなり楽になると思う。そうしたらまた、いろいろなことが起こってくるだろう。
2007.01.18
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ここ2,3日パソコンの調子が悪かった。知人のパソコンマニア、?の人のところに持っていき、修理、調整しなおして貰う。特に悪いところはなかった、きれいにはしておいたけど、というようなことで、しかし本当にすっきりとしたものになった。わかる人にはわかるのだ。私にはまったく手の打ち様のないことも、簡単に対処して貰える。ありがたいことだ。こうした状態に甘えて、つい不義理なこともしてしまい、注意もされたけど。金は取らない人だけど、こうしたことをした場合、うまくいっているかどうかの報告はきちんとするように、直っていると知らせて貰うのが嬉しいし、生きがいなのだからとも言われた。全快その報告を私が怠ったからだ。まったく当然のことで、そういうことをきちんとしていない私にはどこか甘えのようなものがあるのだ。あまりにも多くの好意に囲まれて、ついいいかげんにしてしまっているところがある。ほかにも2,3件、そんなことがあった。その一人の人からは怒られた。借りた本を、何度か催促されたのに、すぐ返さなかった、そんなことで。気をつけたい。
2007.01.18
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2007.01.16
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今日は夕方から岐阜のダルク、ダルクとは薬物依存の人たちなどの自己回復のための自主的なグループに兄と妹と私の3人で行った。特に明確な目的をもっていったわけではなかった。ともあれ話を聞きに行く、様子をみに行くそんな軽い気持ちで行った。もともとは今日は兄が電子辞書などを買いたいということでまた妹が岐阜の精神障害者の家族会の集会似出かけたいということで、妹を乗せて岐阜まで行き兄のおごりで昼は寿司を食い、妹を会場に連れてゆき、兄をリサイクルショップに連れてゆき、そうした用事を済ませた後、私が兄にダルクに行こうかというと、いこうということだったこと、妹がそのころ電話をかけてきて集会は終わったということだったので、3人で待ち合わせてダルクに行くことになったのだ。4時半ころ名鉄新岐阜駅前の近くにあるダルクの事務所について、そこの代表者の女の人と、私たち3人で、いろいろな話をした。彼女も薬物依存症の体験を持ち、精神病院や拘置所に入った体験もあり、そこから回復する過程で深く自分を見つめてきた人だったから、とても話がはずんだ。兄も現在の精神病院のくすり漬けの状態など語り、その人もそれに共感などしていて、兄も話しやすそうだった。私は私で爆弾闘争のことや刑務所のことなども話した。妹も少しだけど自分のことを話した。こんなこと、こんな場に3人でいったことは初めてのことだ。それだけでも嬉しかった。それだけではなく兄もそこを感じよく受け止めていたこともうれしかった。ことがおこたっだけでも嬉しい。そこに過大な期待を抱いてしまう自分もいるけど、ともかく何かささやかな始まりという感じがした。それに兄は、自分からこの前私が彼に買ってやったサプリメントそう状態を抑制するためのタウリン、バナジウムをどうかするビタミンCなどが、効いたといい彼のほうからもってきてくれるように私に頼んだこと、私との話し合いの中で、私に借りた形になっているお金を返すことこれからはサプリメント代もはらうことなどを言ってくれた。どれほど効いているかは解らないけど、確かにこれまでそう状態になると、その後激しい落ち込みが来るのに今回はそういう落ち込み無しに回復している。そのてんからも、効いているといえるかもしれない。ともかく今日は久しぶりにとてもいい日だった。
2007.01.15
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2007.01.14
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2007.01.13
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隣の人の加勢もあり、七分ほど出来上がってきた我が温室。
2007.01.13
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桜や梨などの枝をきり、温室に入れて早く芽を出させたり、花を咲かせて市場などに出すと、良い値で売れるから作っている。
2007.01.12
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昨日はこの地域を管轄している加茂署に古物商の資格を取るための申請に行った。しかし話を聞いているうちに欠格事項というのがあることに気づき、出所して4年しか経っていないが、いいのですかと聞くと、だめだとのこと。今年の12月10日までお預けだ。しかしこの資格は使いようがあるので取っておくつもり。この12月がきたら。昨日は長屋など整理して出てきた鉄類を、問屋みたいなところに運んで、380キロだったか8千円ちょっとで売れた。自分の家にあったものを売るのだから古物商の仕事とは言えないと思うが、資格がないから他人から買い付けて売るというような商売はまだ出来ない。でも大体の感じはつかめた。山仕事をしていてよく民家回りをするし、道路わきの山のなかななどによく鉄くずも捨ててある。そんなことからもこの資格はとっておいたほうがいい。昨日もっていたものは全部で380キロぐらい。8千円ほどで売れた。ステンレスや、アルミ、銅などは今とても良い値がついているとか。時々見つけたら野の花社に集めておき、一定の量になったら売るということで、来年からはやってみたい。
2007.01.10
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毎日毎日妹との間で、シビアーな言葉のやり取りがある。毎日毎日妹の感じていることをそのまま受け止めず、否定してしまう私がいる。そして妹が苦しんでいるのを見る。私も苦しい。多くのことに不安を感じ多くのことに心配し常に他人の苦しみに感じ入りまた人の目を気にする妹。多くのことを気楽に考えあまり心配はせず他人の苦しみよりこの私たちの生活を楽にすることに集中しなりふりかまわず生きている私。ちょっとした生活感覚の違いが、2人の生活の多くの場面で、鋭い対立を引き起こしてしまう。妹は私がここの生活を成り立たせようとしている私の、日常の行動、努力を見ている。その点を信頼している。気楽に生きている私を好ましくも思っているところもある。一方で私があまりのも多くの場面で彼女の言動に批判的な言葉をかけ、受け止めてくれないことに苦しんでいる。また私が彼女と共に生活することに負担を感じ、自立してくれたほうがいいと思っていること、自分が金を稼いで自立した生活を今は出来ないでいることにも苦しんでいる。いつも疲れがちで、物事を思うようには運べない自分に、苦しんでいる。私の活動的なあり方との関係でも負い目を感じ、苦しんでもいると思う。昨日の夜もこんなことがあった。彼女が流しで洗物をしていた。私は彼女が下ごしらえしてくれていたものを鍋にいれ、カレーを作っていた。彼女が、背が高いから流しで洗い物をすると背中が凝る、といった。私はすぐ、そうじゃないぞ、その辺は自律神経の関係するところで、そういうところからコリが生まれているのではないかなー、とか言ってしまう。妹は、どうしてそんな風にサブちゃんは私の言葉をすぐ否定してしまうの。そういうのとても苦しいわ。背が高くて、それが肩甲骨の間あたりのコリりを生み出しているのは、経験的にも確かなのよ。とか。私は、背が高いといっても私より4センチほどしか高いわけではないし、それだけが原因だとは思わない。などと言ってしまった。私はその日の朝、テレビの健康に関する番組でそんなことを言っていたから、ついそのことを思い出していってしまったのだけどこうしたたぐいのことが毎日起こる。私は彼女言うことを、いったんは共感的に受け止めると言うことをしていないのだ。そういう場面があまりにも多く、そのことが彼女をひどく傷つけ苦しめているようだ。私にも絶えられないこと、嫌なことはあるから、すべての言葉をいったんは受け止める必要はないと思うけど、もう少し彼女の言葉をそのまま受け止める必要があるのを感じる。私の、感じたことをすぐそのまま彼女に伝えてしまうあり方は、自分に対しては正直だけど、苦しんでいる彼女への対応としては不適切だ。そういう面があると思う。ずーとそのことを感じつつ、改めていない。今夜はそのことで夜中に目が覚め、眠れなくなってしまったから、こうして書いている。妹の事を書きすぎているのかもしれないと思いつつ。
2007.01.09
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2007.01.09
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2007.01.08
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波乱万状?人生を送ったアナーキスト?の女性の伝記のような本。なんとなく少しまどろっこしいところはあるが、ちょっと驚くようなことも書いてある。大正末だったかの12さいころに、学校などでの部落差別に憤り、徹底した反差別の感覚を身につけ、天皇制も歯に衣を着せることなく批判し、6年程当時の少年院のようなところにいれられたりしたアナーキストの女の人の伝記である。男がやりたい放題やっているのに、女がそうしてどこが悪いとばかりに、奔放な男性との関係も結んでいった、当時としてはすざましい女の人だ。祖父母が熱烈な天理教徒。だいたい私の母と同じ世代だから、その時代にこんなに自由に生きた女性がいたことに、やはり驚く。そして若いころは、大きな会社からの掠奪、小さな雑誌など作って、脅迫じみたことをして金を取るそんなことで日々の暮らしを立てていた人でもある。やくざの稲川会だかの幹部にも姐さんとして1目置かれたとか言う話しもある。読んでなにかインスピレションを与えられると言うようなものではないけど、あの時代にこんな風に生きた女性もいたのだということを知ることが出来たことはよかった。
2007.01.08
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このところ近所の人などからよく貰いものをする。川虫取りの件で教えて貰った人からは、その採り方などのほかにも、いろいろな道具などを貰った。自分で用意すれば結構お金がかかるはずで、本当に助かった。2月からの川虫取りの用意もかねて、それらを使って練習などもしてみようと思う。この2,3日は、私がこのところ野の花社の周りを精力的に整理清掃している姿を見られているからか、多くの差し入れがある。野菜やお好み焼きやキムチもちや漬物など、いっぱい貰った。本当に助かる。そういえば昨年、今年もコメはもらい物ばかりでまだ半部も食べてない。コメを買う必要がない。本当にありがたいことだ。私はお返しなど考えないが、妹は少ししているようだ。明日の鉄くずを持ってゆくところに関しても、中学の友達の口利きがあり、かなり良い値でとってくれるところにもっていけることになった。本当に多くの助け、援助がある。今年もそうしたこと、人々に支えられて私は行き生かされてゆく。
2007.01.08
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携帯では良く写らないけど、焚き火が燃えつき、赤いオキたけが輝いているのも、美しい。闇の中の赤いオキの輝き、小川の流れの音、見上げる空には星。
2007.01.08
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2007.01.08
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耕運機、発動機、自転車など、長屋を整理していて出てきたものを、明日鉄クズをとってくれるところに持って行くため、軽トラに積んだ。
2007.01.08
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雪で重くなり道に覆い被さってきた竹を切るついでに、ほうきを作った。
2007.01.07
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2007.01.07
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2007.01.06
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芽出し用の温室作りの、骨組みの材料として、また竹をきり、余分なとこらを集めて、また雨のなかで燃やす。7,30分ころ。
2007.01.06
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2007.01.06
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昨日の夕方、野の花社の前の道路から河原に降りる道を、大まかなとこは作ったこれで。、河原に降り安くなった。
2007.01.06
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2007.01.05
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2007.01.05
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内側の玄関にセンサーライトを附けた。便利で、気持ち良い。訪問者のためではなく、私たちの生活の生活のため。
2007.01.03
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今日は昼から長屋のほうの庭の草刈と、その庭に車を乗り入れることができるようにするための、石垣の取り壊しをする。軽がぎりぎりにしか入れないような幅なので、石垣をはずして入れるようにするため。車が入るようになったら、山から切ってきたものを、長屋の庭に直接下ろして、そこで選別などの作業が出来るから、かなり便利になる。簡易のヘッドライトをつけて、暗くなってもやり、大まかなところはやり終える。そのあと妹が用意してくれた食事をし、信田さんの本を読んだ感想などから、妹と話し合いを始める。信田さんの本を読み、今の妹との関係のあり方がこのままでいいのか私にはわからない感じがすること、妹はここに来る前に共に生活していた人との関係でも経済的には依存していたし、ここに来てからもその点では同じことをしているように思うこと、そういうことからしてもこのまま妹との関係を続けることは、妹の自立を妨げることになるかもしれないと感じてもいることと、今は妹の心身の状況からしてこうすることが必要なのだと言う思いその2つの間でどちらがいいか迷っていること私自身は妹と共に生活するより、1人のほうが気楽だことそんな思いをまずつたえた。それに関しては妹は平静に受け止めていた。そのあとの、彼女のある種の人々への関心の向け方が、母親との関係で形成されたあり方に根ざしている気がすることそのことについてよく考えて欲しいと、といったことに対しては、そんな言い方されるのは苦しい、気が思い、考えたくないと拒絶される。今考えたのだけど、私の指摘は、彼女の現在の感じ方に対して、精神分析などで親から受けたトラウマで説明してしまうやり方と同じになっている気もする。現存在分析と言うか、認知療法的には、現在感じていることをそこからその意味を汲み取りつつ、ただ少しその行動などの中に親との関係で出来た歪みなどが影響していると言うような言い方で、彼女が現在感じていることをそのまま大切にするというのがある。信田さんらの考え方の中に、援助的に関わる人々が、その対象とする人が現実に直面することが出来ないようにすることでその人の回復を妨げていると言うような考えかたがある。妹との関係で、私がそのような役割を果たしていないかどうか、よくわからない。兄との関係では、昨年6月ころのそう状態でここにいた兄がここで作った借金を、私が肩代わりしたり、今もそのお金の返済を私に行うよう求めていない私がいる。その点は信田さんの指摘が正しいと思う。近く兄に対してその点について明らかにし、私への返済を求めるつもり。またサプリメントに関しても、兄が必要を感じたら兄の金で買うように進める、私が取り寄せることになるにしても。妹に関してもその点は同じにする。もっと自分を楽にしよう。
2007.01.03
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長屋の庭の草刈をしたあとに、頭は黒、胸から下は明るい茶色の小鳥が、しきりに私のまわりの、ゴミの木の枝などに止まりにきた。
2007.01.03
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母屋の前の石垣に幼生の巨大な薊、アザミをみつけた。暖冬の影響か。草刈していて。 右下は瓦。
2007.01.03
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久しぶりに1冊の本を読み終えた。前に触れた、岐阜ダルクの集会で講演した信田さよ子さんの本だ。アダルトチルドレン、共依存、アディクション-アルコール依存とかギャンブルへの依存とか、人間関係への依存などに関わるもの、そんなことに関わる、とてもいい本だった。特にそういう人に何らかの援助的なかかわりをしようとする人のあり方をも深く問い掛けている、というかそのことがテーマとなっている点で、私も深く考えさせられる内容だった。そしてやはり妹や兄とのかかわりで、私が過剰に援助的な関わり方をしていて、そのことが私と彼らによくない影響を与えているかもしれないことを、改めて考える気になった。あるいはあいまいにしていた点を、明確にする必要を感じた。妹との関係では、突然のようにここに転がり込み、精神的にも肉体的にもかなり力を無くしていたような彼女が、これまでは私に経済的に依存するような形で生活してきたことを、当面やむをえないこととして受け入れてきた。何とかなること、追い出しはしないこと、しかし経済的にも肉体的にも楽ではなく、苦しいこと、出来たら彼女も経済的に自立して欲しいと思っていることなど、正直に伝えてはきた。私はこの本の中で著者が述べているような、援助的な関係から来る喜びに自分が支えられている気はしない。むしろ重荷であることは伝えて来ている。しかし今彼女に自立を求めるのは無理な気がして、当面この生活を持続するしかないと思っている。しかし私は彼女と共に生活してゆきたくはない。価値観や生活感覚のかなりの点で,あまりのもおきな違いのある彼女との生活は、ときどき気が重くなる。本当は別々に暮らしたい。心身がある程度健康で、それが可能な妹だったら、私はすぐさまそうするだろう。今の彼女にそれを求めるのは酷かなと思う。彼女にもそういう力があるはずとは思いつつ、今は出来ない思いがする。こういう私の感じ方が、正しいかどうか、信田さんの本を読んで、少し疑ってみてもいいとは思うようになったが。もう今日はこれでやめる。
2007.01.03
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朝遅く表の道に出る。仕事に追われていない、穏やかな朝。元日に植えたパンジーも穏やかに私を迎えてくれる。
2007.01.03
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