全61件 (61件中 1-50件目)
いついたネコ、フクスケは暖かい膝の上に上がると、母の記憶の世界に行くのか、いつも自分の尻尾の先をすいつづけます。
2006.01.31
コメント(3)
今日は雨がちなこともあり、苔だまを作ったりしています。
2006.01.31
コメント(2)
妹との関係には、ときどき疲れを覚えるときがあります。妹にはあまりネットには私のことを書かないで欲しいといわれています。この地域でも何人かの人がこのブログを読んでいるので、そんな人たちから何か言われることがあるのかもしれません。それ以前にプライベートなことが公開されてしまうこと自体、普通には嫌なことなので当然なことではあると思います。そう思いつつも少し書きたいことを書きます。<途中、2,30行を削除しました>私も彼女の感じていることをなかなか理解できないところがある。こういう話の間は、やはりひどく気が重くなる。そんな話の中で彼女が小さいとき病気がちだったため、何もやらせてもらえなかった、お茶揉みもやらせてもらえなかった、とても気が重かった、苦痛だった。身体が弱くても出来ることはあるのに、とか行っていたのが印象的だった。妹のその手のことは、とてもよく聞かされる。幼い女の子がそんなことまで感じていたのかというような、とても大変な話なのだが、兄妹とはいえ、私にとって妹もとても私には理解できないような家族の中での特別な体験をしてきているのだということを、そのつど思い知らされる妹もやはり他人である。
2006.01.30
コメント(1)
これまで榊の小束を作ってくれていた人が、宗教上の研修などのためこれから3ヶ月は不在である。でためしに自分でこのところ小束を作っている。なかなか早く作れない。昼間は榊の枝を120ほど採り、ネコヤナギモ40ほど採った。明日は4時起きだけど、まだ寝ていない。こんな生活のペースは何とか変えたいけれど、ここしばらくはかえられないかもしれない。妹は猫の世話をして楽しんでいる面もあるが、相変わらず。猫のことも振り回されているとか言って後悔したりする。ともあれ、今日はもう寝よう。
2006.01.29
コメント(3)
OKです
2006.01.28
コメント(0)
パソコンが原因はわからないけど、調子が悪くなっていた。コードの繋ぎ方など基本に返ってやっているうちに、何とかこの書き込みが出来るまでに回復した。ヤレヤレ。今日もハードな1日。特に何をしたわけでもないけれど、次から次へといろいろなことが起こる感じ。1つは今日は岐阜の生花市場に行ったのだけれどそして売上は2万円近くあったのだけど、榊の小束50束出したうち20束ぐらいの葉が寒さで凍みていたのが気になりかえってきてから生花市場に連絡して、不良品が混ざっていたから買った人に申し訳ない、値段は下げて良いから何らかの対処をしたい、と市場の人に電話すると、そうですか、ではこちらに任せてください、ということで了解する。夕方になって送られてきた売上のファクスを見ると、1束100円そのままの値段になっていた。ありがたいことだと思う。葉が凍みるとそこが裏から見ると水で濡れたような色になり、少し見苦しい感じになるのだけれど、出す準備をする中でこのくらいは良いだろうと少し安易な気持ちになったのが、あとから気になって仕方がなくなり電話した。買ってくれた人のためというより、自分の気持ちがすっきりしなかったから、自分を楽にするためにやったことだがそのままの値段になっていた。あかん 眠い今日の売上は2万弱まあまあだろう。もう寝ることにする。
2006.01.27
コメント(0)
なぜかパソコンが最初の画面が立ち上がって以後、動かせなくなりました。いくつかメールなど入ってましたが、返事ができません。よろしくお願いします。
2006.01.27
コメント(2)
今回は私のことではないが、ここのネコはミルクをやると、必ず揉みでをしながら、自分の尻尾の先を吸う。
2006.01.27
コメント(0)
2006.01.25
コメント(0)
かなり時間はかかったけど、久しぶりに榊150本ほどとった。しかし、というかだから、背負って山の中を2キロぐらい歩くのは、きっかった。今、一休みしているところ。
2006.01.25
コメント(0)
2006.01.25
コメント(3)
ネコヤナギと同じところに生えていました。
2006.01.24
コメント(3)
友達のアイデアなのだけど一輪ざし用の苔だまを作っています。
2006.01.24
コメント(0)
このネコは昨夜は野の花社の廊下のダンボールの中で寝たが、昨日の昼御飯は隣の家の人にもらい、そこの庭で寝そべっていた。
2006.01.23
コメント(1)
2006.01.23
コメント(0)
アマゾンで頼んだ本が昨日きた。そのなかの『心の病は食事で治す』(生田哲著 PHP新書)を読んだ。食事というより、サプリメントで治すという感じだけど、とても参考になるところがあった。あまりに心の病を生化学的に説明しすぎている感じはするが、それでもそこに書かれていることは、実際の治療体験などの基づいており、その点で現実的な裏付けがあり、積極的に取り入れたほうがいい治療法なのだということがわかる。ただしそういう治療法はまだ日本ではほとんど取り入れられていないので、そうした治療法を受けることはとても困難なようだ。その中には妹の陥っている状況の説明として、とてもピタリ来るようなところもある。妹も私のいないときに拾い読みしたようだけど。難しいことのなかには、仮に妹の精神的状況が、ここに書かれているような栄養療法的なアプローチで治療される可能性があるとしても、妹本人がそのような治療法を受けてみたいというふうには、なかなかなれそうにないということから来る問題もある。彼女は毎日のように自己否定的な、自己非難的な、悲観的な言動を繰り返し、さまざまなことに対する不安、心配を常に口にする。疲れやすいし、集中力があまりない。そういうことが何らかの栄養素の不足、欠乏から来ているかもしれないといっても、妹は人間関係が良くなれば変わるとか仕事が出来るようになれば変わるとかいう私はそうはいってももうここに来て1年半になるのに、いい人間関係が出来てはいないし、仕事もやれそうにない、身体は健康そうになってきたけれど、精神的な不安定さはきたときとそう変わらないよどうしてそういうことが起こっているか、考えてみることも大切じゃないのかな、ひょとしたら何かの栄養が不足している可能性もあるかもしれないなどといってみるけど、私のそういう言い方がかえって彼女に反発を起こさせるのか、およそ考えたくない感じだ。ピロリ菌のことも、近頃も何か食いすぎたり酒を飲んだりすると、すぐ次の日は胃が荒れている感じに苦しんだりしているからやはりピロリ菌の除菌をしたほうがいいのじゃないか、などと勧めてみるけどやはり今のところやろうとはしない。これ以上しつこく言うと逆効果だと思いあまり言わないけれど私にはなかなか難しい。仕事も当分はかばかしく行かないだろうし妹との関係も結構しんどいし、兄の身体も弱っているみたいだ。神が私に与えてくれたこれが私のリーラ、お遊びとも見ることは出来るらしい。私にじゃなくて神の遊びか。とほほほ--ほーだ、ニコニコ。とりあえずニコニコしとくか。しかしまだそんな悟りは得ていない私には、ときどきしんどいなーと思うこともある。そんなわけでいい本を読んだにもかかわらず今日は少し気分が低迷している。
2006.01.22
コメント(4)
昼過ぎまで綺麗に晴れあがった空だったのに、急に雪になった。仕事を止めて帰ることにした。
2006.01.22
コメント(1)
2006.01.22
コメント(0)
今日は夜7時半からの賢治の学校・歩・ホットでのシュタイナー教育の幼児期などに関するエラーというドイツ人の先生の講義を録画したのを見聞きする会に出た。妹とともに。久しぶりにこんな形で何かを学ぶ機会を得たことは、私にとってはいいことだった。0歳から14歳ぐらいまでの子供の成長とその中で0歳から7歳までまた14歳までを、さらに3つに区切って話されていた。3歳のころの反抗期?のこととか10さいころだったかの質問攻めのころとか、子供の成長が子供にとってどういうことが起こっているかを、わかりやすく明らかにしている感じもあって、良かった。鳥山雅代さんの通訳も良かった。次回も出席するつもり。妹が何を感じたかは、今ひとつわからない。
2006.01.21
コメント(0)
少し遅くなった昼御飯を食べていると、写真のようなデザートを出してくれました。このキウイの輪切りにしたのに、柿の熟したのをかけたのは、なかなかの傑作でキウイの酸っぱいのと、熟し柿の甘さは、なんともいえないミスマッチのようで、意外な美味しさです。
2006.01.21
コメント(0)
昨日の市場での売上は、6000円ほど。ファクス用紙が切れていて、そのことだけしか今はわからないけれど、榊の枝75本、シロモジ50本、ネコヤナギ40本それだけの売上。18日は山に行かず、19日に山で採ってきた分だけだから出した数も少ないのだけれど1月半ばまでの雪のあるころだったら、15000円くらいになっていたかもしれない。これから3月のはじめころまでは榊もシキミも安いし、その他で山で採ってきたもので出せるものはあまりない。シロモジやクロモジ、ネコヤナギぐらいかしかしこれらも安いどうやってこの時期を乗り切るか昨年はともかく安くても榊をたくさん切ってゆき、何とか1,2月の収入が10万づつくらいはあった。それで乗り切れたといえば言えるのだけれど、そのために、3月ころからの榊が良い値が突き出すころになって良い榊が取れなくなり、苦しかった。今年はあと1ヵ月半はあまり榊は採らないことにするつもり。しかしシロモジなども安いから、かなり苦しい。貯金はあまりないし、何か方策を考えるか、アルバイト的な短期の仕事を探すか、苔だまを作るか、さてどうしよう。
2006.01.21
コメント(1)
身体が疲れていたこともあるけど、仕事の帰りに友だちのところにより、どぶろくを3杯ほど飲んだ性かもしれない、眠くなって9時ころに横になった。そして妙にリアルな夢を見た。外見は外人には見えないけど、英語しか話せない外人の女性を好きになり、何か話そうとするのだけれどまともに話せず、私は英語が少ししか話せないので、あなたと話し合えないのが悲しい、見たいにたどたどしく英語で言うと、何か私を慰めるような言葉を彼女が英語で言う。でも良く聞き取れない。何か悲しくなって、それを聞いている。そんな夢だった。
2006.01.20
コメント(0)
兄や妹のこともあり、タイトルのように5種類の本6冊をアマゾンで注文する。以下の本。 1 "脳と心をあやつる物質― 微量物質のはたらきをさぐる"生田 哲; 新書; ¥ 840 1 "食事で治す心の病―心・脳・栄養 新しい医学の潮流"大沢 博; 単行本; ¥ 1,260 1 "食事で治す心の病〈Part2 〉統合失調症にビタミンB3の効果!"大沢 博; 単行本; ¥ 1,260 2 "統合失調症を治す―栄養療法による驚異的回復!"エイブラハム ホッファー; 単行本; ¥ 1,260 1 "心の病は食事で治す "生田 哲; 新書; ¥ 735何とかこの状況をのり越えて行く道を探りたい。兄に関しては、昨日ある知り合いから近くの関市の心療内科の病院が社会復帰のための施設も持っているようなことも聞いた。そのことも調べておきたい。
2006.01.19
コメント(1)
昨日の夜、帰ってきた妹が餌さをやったり、抱きあげたりしたこともあり、写真ネコはどうやら野の花社にいつくらしい。
2006.01.18
コメント(3)
2006.01.18
コメント(0)
2006.01.18
コメント(1)
2006.01.18
コメント(0)
今日は妹とともに、市場に榊などを出した後、兄のいる病院に行き彼に面会した。兄はだいぶ調子が悪そうだった。少し痩せていて、食欲がないとか、他の患者と同じようにスケジュウルがこなせないとか、いつになく身体がだるいとか、言っていた。歯も悪いけど病院内の歯科にかかるために、廊下を長く歩くことも出来ないとか、腰が痛いけどシップ薬を張ると、湿疹が出来るとか、も言っていた。妹が脈を計ると1分間に88くらいでかなり早く歩き方も精神病院の患者特有のよちよち歩きになっていた。表情も少し苦しそうだった。この年末年始の6日間ほどの帰宅の時間を、朝、昼、晩と3度酒を飲み、栄養のあるものをたくさん食べ後は寝るだけのような生活をしたこと-2,3はあまり飲まなかったけれど何度通って後ろにひっくり返り、尻餅をつき、1度はそのとき下にあったオイル缶で腰を強く打ったこともあったこと、広い部屋で寒いだろうということでたくさんの布団を使ったことが、重すぎたこともあるようだこと、その他に病院の薬がきつすぎることもあること、これまでの生活の無理やストレスが溜まっていて、何か影響をしているかもしれないこと、加齢による体力の衰えとかもあるのかもしれない。兄の人生も、病気も、1つの曲がり角に来ているのかもしれない。もうこれからは今回のこともあるから、帰宅しても彼の欲しがるだけ酒を与え、外へ出ようともしないのもそのまま受け入れてゆくということも、少しは変えていく必要があるのを感じる。体力に任せてこれまで道理の無茶な生活を続けていくことはもうできなくなってきたということかもしれない。しかし今の病院には、こういう兄の状況に対応する体制がない。かといって私も今の兄を引き取って生活してゆくだけの余裕はない。妹は針灸師として長い間病院づとめをしていた経験もありそんな苦しみを訴える兄の背中を触ったり、口をあけさせて歯の状態を見たり、脈拍を測ったりしていたが、そんなことは自然に出来る。良い能力を彼女は持っているのだと、改めて思ったりすることもあった。しかしそんな妹も兄をここへ引き取ってケアーすることは受け付けないだろう。どうしたらいいのだろう。こんなことも山仕事のさなかヒノキの森の陰木漏れ陽の射す獣道風が吹き小鳥たちが木立の間をとびぬけ小枝に止まって鳴き交わす榊の林の中ではあまり考えもせずにいてその静けさに心癒されているのだけれど今日の榊は月の半ば過ぎということもあったのだろう、かなり安く150本くらいで1万円くらいだった。他のものもあわせて合計16000円の売上。ガソリン代は3000円。まあこの時期これで良いだろう。
2006.01.18
コメント(0)
市場に榊など出してから、入院中の兄に面会してきた。兄の体調が悪く少し心配。写真はその病院。
2006.01.17
コメント(0)
2006.01.17
コメント(3)
2006.01.17
コメント(0)
何かしらない赤い実付けた小さな木
2006.01.16
コメント(3)
2006.01.15
コメント(0)
2006.01.15
コメント(1)
展望台から見た、水かさの増した飛弾川です。
2006.01.15
コメント(0)
今日は朝から1日中野の花社の整理・整頓・清掃をしていた。朝早く、突然のように天井に大きな雨漏りの音がし出し、すぐに頭の近くに漏り出した。たぶん昨夜からふりつづいている雨の影響で、屋根を流れる水の方向が変わり、水が流れ込み始めたのだろうとは思ったが、このまま続くとやばいなーと思い、大きなバケツを持ってきて受けた。しばらくして止んだ。しかし今日は昼過ぎからときどき、屋根から雪が滑り落ちる音がした。今日は1日中雨。そして気温もかなり上がった。12月から久しぶりのすごしやすい日だった。そして私は1日中野の花社の中の整理・整頓・清掃をした。半年振りだろうか。9月に大阪から妹の部屋の荷物を持ってきて、野の花社の広間に詰め込んだまま、放置していたものを今日1日、一人で整理整頓清掃。妹は少し離れた長屋の自分の部屋の掃除をしていたみたいで昼過ぎまで現れなかった。ともかくごちゃごちゃしていた空間が、一応は前の写真の程度にはすっきりできた。やはり精神的のもスーとした。
2006.01.14
コメント(2)
2006.01.13
コメント(0)
今日は朝から一日中雨だったので、ずーと野の花社のの中の整理・清掃をした。半年ぶりぐらいだ。大阪から運びこんだ妹の荷物
2006.01.13
コメント(0)
2006.01.13
コメント(0)
少し前にモンジュからタイトルに書いた本が送られてきた。前にも栄養療法の本を彼が送ってくれた。この2つの本は私の精神病の原因と治療法に関し、まったく新しい光を与えてくれた。これまでの私は精神的な病・精神障害の原因などに関し家族や社会のその人との関係のありようから起こる問題だという風に考えていた。それ以外に栄養の欠乏とか偏りとかいったこともいわゆる精神障害とみなされる症状を起こす要因になっているなどということは、ほとんど考えたことがなかった。まだ良くはわからないけれど、こういう視点がこれまでの精神療法にはまったくかけていたことをこうした本を読むことで知らされた。そしてそれは私に、栄養療法をもっと深く学んでみたいという気持ちを起こさせた。まだあまり余裕はないけれど、少しづつでもそうし方向へも歩みを進めたいと思う。妹と兄のこともあるし私にはかなり切実な事柄でもある。ありがとうモンジュ。
2006.01.13
コメント(4)
昨夜遅く、外に出ようとして野の花社の玄関に立ったら、急に猫の鳴き声がしてきて、私の方へ向かってきた。ときどき見かける猫だけれど野良猫かも知れない。1度野の花社の食堂に入り込んでいて、知らずにそこに私が入り戸を閉めたので出られなくなって、猛烈に逃げ回り、ガス台と壁の間に入り込んだきりなかなか出てこなかったことがあった。それ以来懲りたのか、けして野の花社の中には入ってこなかった。その同じ猫が、なにやらもの欲しげに鳴きながら私に近づいて来るのだ。ひどく腹が減っているみたいだったので、弁当用の缶詰を開けてやったら、がつがつ食べていた。彼も、彼女かもしれないが寒くて餌になるものが、とれなかったのだろうか。写真はその猫。
2006.01.13
コメント(4)
1月3日に信夫さんとただ券のチケットがあったので金山の温泉に入ったのを最後に10日も風呂に入っていなかった。今日ヤット給湯器が直ったので久しぶりの入浴汗をかいたあとは気になるが、10日も入っていなかったこともそう苦にはならなかった。しかし10日ぶりの風呂は実に気持ちよかった。妹は昼のうちに近くのサンホウムの風呂に入ってきていたこともあり私一人で後先を気にせずのんびり入った。何かこの風呂は自分で作った風呂信夫さんにも手伝って貰ったけれど基礎も屋根も壁も天井も自分で作った。浴槽も自分で入れた。そんなことを思い浮かべた。よくやってきたぞ三郎ニコニコ今日は自分を褒めてばかりだ。こんな日もあって良いだろう。明日はまた市場。そろそろ寝ることにする。おやすみなさい。
2006.01.12
コメント(0)
2006.01.11
コメント(1)
傾きかけた太陽の光が林道の縁に溜まり融けないでいる雪を輝かせている私に寄り添った軽トラの影が不安そうにこの雪を越えていけるの? と聞いている影である私は股を広げて雪の中にたち大丈夫お前なら大丈夫ぜんぜん大丈夫と太鼓判を押し彼を励ましているこの写真を野の花社に帰ってきて見てみたらまるでそんな会話がこの軽トラさんとなされていたみたいな気がした不安そうに語りかけている軽トラ自信に満ちて答えている私普段の私とはずいぶん違ってこの雪の上に踏ん張っている私がとても可笑しいそして可愛いまるで天真爛漫な少年に帰ったかのように指でOKの丸まで作ってああ可笑しいこの幼い私を私は愛している
2006.01.11
コメント(1)
2006.01.11
コメント(1)
2006.01.10
コメント(0)
2006.01.10
コメント(2)
12月にあったマスコミの取材との関係で大森さんの再審請求と私の事件と人生の捉えなおし・自己研究からえた考え方の関係などについて少し書いてみようとしたけれど、やはり概略を書くのにもすごく時間が要るのを感じる。だから肝心なところだけ書いてみる。大森さんは1977年半ばに逮捕されてから取調べ、裁判、そして1994年の死刑確定後今日にいたるまで、一貫して事件については、黙秘、あるいは自分がやっていないと主張してきている。道庁爆破事件での逮捕・起訴自体がが非常な無理のあるものだった。マスコミでさえ、起訴は無理だろうといった報道もしていた。彼がやったという直接的な証拠はまったくなく、ただ彼が爆発物を作ろうとしていたことをうかがわせる証拠は、かなりあった。それらの傍証で埋める形での起訴だったといえる。目撃証言といわれるものもあったが、これも不自然極まりないとても信頼できるものではなかった。こうしたことから1883年に開かれた1審の判決公判では無罪が言い渡される可能性もあることを、マスコミも報道していたと思う。しかし、結果は死刑判決だった。これは大森さんが公判中も積極的に道庁爆破事件を支持する旨の発言を繰り返していたこともかなり影響している気がする。ともあれその判決は2審、最高裁でも維持され、1994年に彼の死刑判決は確定した。その後大森さんらは再審請求をするべく準備しそうした。その再審を開始するかどうかの判断をする裁判のなかで彼の部屋のカーテンに爆弾を作る際に使う材料が、微量ながら存在したという検査をし裁判でその旨証言した検察側の証人が、それを否定してしまうような供述をした。肝心かなめの証拠がでたらめである可能性が出てきたのだ。裁判での自分の発言をみずから否定するそういう発言だったのだ。以上のような裁判・再審請求の流れがある。そして前に書いたように犯行声明が東アジア反日武装戦線の名で出され、大森さんは彼らの思想性に対しては強い批判を抱いていたし事件後1週間ほどして電話したとき、私に対して、大森さんは自分がやったのではないこと自分はまだ除草剤を入手できていないことなど私に伝えたことなどから私も彼がやったのではないと考えている。その他に彼はとても孤立した状況に生きていたから爆弾の製造に必要なを除草剤・クサトール入手するのは困難だっただろうこととかましてや使われた雷管を入手するなどということはすごく難しいことだっただろうと思うことからもそう思う。彼が一貫して自分がやったのではないと主張し続けていることそれからしても彼がやったのではないと思うただしこうした私の考えはいわば推論であり事実がどうであるかはその現場にいたわけではないから私にはわからない。だから彼は絶対にやっていないとは私にはいえない。かっての親しい友だちであり、今もその存在を身近に感じる人に対して、このような言い方をしてしまうことは何かつらいところがあるのが正直なところだ。私のこうした趣旨の観点からの彼の裁判でのやっていないという確信はないという証言が裁判官の心証を悪くし彼の死刑判決につながったということもある。こうしたことからつらい気持ちがあるのだ。ただし以下のような考え方から敢えてそのような私の考え方を維持している。あの時代にあのような思想性の元に爆破闘争を実行しその誤りに気づきその誤りとそれを生んだ生き方についてかなりに徹底的な自己省察を加え、その責任のとり方について真剣に考えてきたものとして、その点はとても大切なことだと考えている。出来るならこんなことは考えたくない。大森さんは絶対にやっていないと考えるほうがよほど楽だ。しかし万が一彼がやっていたとしたら、私自身にもその事件に関し当時彼と係わり合いを持ち、ほぼ同じ思想性を抱いていた1人としてその量は測ることは出来ないが、かなりに責任のあることになる。そんなことからは逃げたい気持ちがあるが、そうしたことから逃げないことが大切だと思う。不思議なことにこの事件に関しては東アジア反日武装戦線の名で三菱重工などを爆破し多くの死者負傷者を出した人々、後にその誤りについて深い反省を表明し、社会に対し繰り返し謝罪を表現してきた人々も批判はしているけれども自分たちの思想と行動に影響されてこうした事件が起こってしまったことに対してある種の責任があるというような表明はなされていない。誰もあのような事件に対して責任をとろうとしていない。大田竜という当時そうしたし人々に強い影響を与えた人も事件当時は支持を表明しつつも10年程したらそうした自己の責任には触れることもなくあのような戦いは誤りであり、当時から自分はそう考えていた旨の発言をし平気でいた。こういうようなあの事件にかかわる状況がある中で私自身はそうした無責任なあり方はしたくないという強い思いもあり大森さんは絶対にやっていないというような無責任な発言はしたくないしあの時代にあのような事件が起こった事に関し思想的な、あるいはその他の責任のとり方について回避しない生き方をしたいと思う。
2006.01.10
コメント(0)
今日は朝早く生花市場に行き、榊の小束200榊の芯15本先の枝15本を出した。夕方着たファクスによると手数料を引いた売上は25000円ほどそのうち6千円は小束つくりの手間賃として払うから19000円が私の収入。まずまずか。市場を暗いうちの出て帰路につき8時ころに野の花社について朝ごはんを食べて、9時過ぎから国有林の近くの山に入る。おとといころある人からそこに榊があると教えられたところ。しかし榊はかなりあったが売りに出せるようなものは少なかった。それで昼に引き上げてきて凍りついた風呂の配管などをストーブで温めて氷を溶かしたが手違いで給湯器の中にも水が入っていたため、給湯器の管が破裂していて使い物にならなくなっていた。農協の人に連絡して、明日直しにきてもらうことにする。ちょっとした不注意で、また金が要ることが出来る。ほんとにありとあらゆることに、注意深くならないと、生活が苦しくなる。ありとあらゆること、なんて出来ないけど肝心なことにはそうでありたい。この失敗は私のせいで、妹には関係がない。その後昼飯を食べてからまた国有林の中に行く。12月もほとんど入っていなかった国有林の2つある大きな林道のもう1つのほうに。こちらはとても雪が深い感じだった。もう1つの林道より北側にあるためなのだろうか。私の敬トラは調子が悪いし、2輪駆動なのでとてもあがれないこともあり2,3日前から4借りてきていたWの友だちの敬トラに乗って上がった。日陰のところは雪を掻き分けて上がるという感じで大変だったが、さすが4W、ぐんぐん、あるいは何とか上がっていった。その上がりきったあたりの車をとめたところの道端に、写真のサンキライがあった。帰るときに撮ったのだけれど。榊を採ろうとしたところは車をとめたところからかなり距離があり、山道を歩いてゆく途中で方針を変え、割と近くで採る。雪が降る前は股下あたりまで伸びていた熊笹が、雪の重みでみな地に倒れていて山道は歩きやすかった。その山道にはたくさんの獣の足跡があった。たぶん鹿の足跡だろう。獣もその山道を歩くのだ。私もその道を歩くのだ。細い道山の中腹を細い線のように伸びて明るく日の光に輝いていたり、森の暗がりの下に隠れるようであったり、崖っぷちであったりしながらどこまでまでも伸びる雪の積もった山道を獣も歩く私も歩く多分お互いに一人で山の静寂の中に身を浸して採れたのはかなりいい榊の枝30本芯が3本似としては軽いそれらを背負って、敬トラのところまで帰ると、夕方の北の空の向こうに御嶽山の雄大な姿があった。雪に覆われていた。そして足元にはあのサンキライがあった
2006.01.09
コメント(0)
2006.01.08
コメント(1)
全61件 (61件中 1-50件目)

![]()
![]()