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どうもここんところ、パソコンに向かいネットビジネスなどやろうとして、すこし深刻にというか重たくなってしまっていたことに今日気ずいた。覚えなくてゃならないことが多すぎるとか、壁にぶつかってちっとも前に進めないとか、どんどん金がなくなっていくけど大丈夫かな-とか、そんなふうに考えることが多くてしんどくなっていた。 しかしパソコンに向かい始めて、まだ3ヶ月なのだ。それなのにコンナホームページも作ったし、メールもかなり早く打てるようになったし、ほんとにいろんなことができるようになったのだ。そんなできるようになったことを喜び楽しんだほうが良い。ネットビジねすをやっている人からそんなことを言われ、納得した。
2004.01.30
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圧力釜のふたについているゴムが、一昨日のアクシデントで切れ目ができてしまったので、昨日片道40分ほどかけて美濃加茂市のリサイクルショップに行き、3合だきの小さな炊飯器をかってくる。今日の朝それでご飯を炊いたら、久しぶりにふっくらとしたおいしいご飯が炊けた。嬉しくなってしまった。圧力釜でも煮立って少ししたらきるとかしたら、ふっくら炊けるのだろうけど、結局そのコツがつかめなかった。それできょうのご飯は、とてもおいしいものになった。--すごく眠いから少し眠る。今朝早く起ききすぎた。 pm6:40分 8時過ぎに起きて、1時間のダンス+座禅の瞑想して、9時過ぎから夕食を作って食べた。昨日皮向いてストーブの上で煮込んだサトイモを食べた。おいしいことこの上なし。毎日湯豆腐、白菜やにんじん若布など入れたもの、を食べてるが、これもちっとも飽きない。おいしくてたまらない。 書きたいことが山ほどあるきがするけど、かかないでいる。何とかそのための時間を作ろうとしてネットでの仕事にトライしようとしているが、、はじめてのことばかりで時間ばかりたって、ことが少ししか進まない。こうした試行錯誤はあと1年は続くだろう。
2004.01.28
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いま少し気が滅入っている。というのもこれで2度目だが、圧力釜の閉め方が悪くて、ご飯をたいてたところ小さく爆発してご飯がそこらじゅうに吹き飛んで、そのかたずけにおわれていたからだ。天井にもご飯がこびりついている。それまでとる気が今日はしない。蓋をまわしてかみあわせるものだけど取手のところであわせる式のものでないので、どうもかみ合わせが十分でないときがあって、圧力がかかってくるとはずれてしまうみたいなのだ。1度目は昨年の11月くらいだっただろうか。流しでご飯の用意をしていた私は、その大きな、ボンという音に驚いて、思わず窓のサッシを開け、隣近所の人が音を聞きつけてきやしないかと、様子をうかがったりした。サブローがまた誤爆事件でも起こしたのじゃないかとか思われて。以前のそれを思い出してしまい、、、。幸い私以外にはそう大きな音だったわけではないらしく、誰も来はしなかった。まどガラスが割れたわけでもなく、実際それはそう大きな音ではなかったのだろう。今回また同じようなことをしてしまったのだ。 また流しがその整理のため汚くなってしまった。すぐにかたずける気がしない。 ところでビジャイの日記など読むと、彼がセラピストとして大活躍しているらしいことがよく伝わってきて、少しうらやましくなる。別にセラピストとしてでなくていいけど、そんな人々と共に過ごせる時間が、余裕が、あるいはそんな人々の近くに住んでいればなあと、少し思うところがあるのだ。 それでも今日は昼頃に、近所の私の同級生のお母さんが草もちなど10個ほどと、たくあんを持ってきてくれ、私がちょっと中をみていってくださいと誘うと、野の花社に上がって食堂や私の書斎兼寝室を見ていかれたりした。もう1人の同年輩のおばさんと共に。話の中で彼女らにはここが天理教の教会として機能していた頃のいい思い出もあるみたいだった。 今日も終日ほとんど外に出ず、野の花社のなかですごす。ときどき人と話したくなるのを感じながら。兄がここで1人で生活していたことの困難さを、少しはわかるような気がしながら・
2004.01.26
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この2,3日雪も降り、ひどく寒い日々が続いているのに、パソコンなどかまうのに疲れて外に出てみると、日当たりのいいところには、もうタンポポが咲いているのだ。いつのまにか、春がひそかにやって来ている。冒頭の写真はそれを写したもの。 野の花 雪の野原の かたすみの 陽の光を浴びて咲く タンポポ ひとつ、ふたつ、みっつ
2004.01.25
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1日じゅう野の花社にいる。昨日から水道管が凍り付いて、水が出ず洗物が流しにいっぱい溜まっていたが、午後から水が出だしたので、夕食後みんなきれいに洗う。1日じゅうほとんど誰にも会わない。電話で数人の友達と話した以外、ほとんど誰とも話さない。そんななかで食事の後など、静かにお茶など飲みながら、食堂の椅子に座っている。ひととき、沈黙のときがつづく。 昨日から、わたしの書いた本の購入の予約、電話などで3人取る。 サハジやビジャイが伊勢神宮の巫女かなにかの、シャルノのことをいい人として紹介してくれてるが、確か彼女は天照大神に仕えているとか言っている人で、私はその点にはおおいに批判がある。そのことをいいかげんにごまかす気持ちは、全くない。和尚の弟子がそんな神の存在を認め、それに仕えているなどといっていると言うことが事実なら、私はくすくす笑うしかない。私はどんな神にも和尚にも仕えない。私は私自身につかえ存在全体と共にある。 私は27・8年前のように天皇家の人々や、天皇信仰にかかわる神道の人々を憎んだりすることは全くない。天皇家の人々を個人として愛するという点では、多くの天皇制の支持者のひとたちにけしてひけを取らない気持ちがあると思っている。しかしそれは彼らも個人として自由に、人間として尊重されて生きて欲しいといった気持ちに根ざすものだ。 シャルノとは実際にあって話をしたこともないし事実はどうなのかわからない。しかし会うことができるなら、そんな点についてできるかぎり話し合ってみたいと思っている。
2004.01.24
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インターネットオークションなどの準備のため、デジカメを使えるようにしようと、今日は朝10時頃からかかりきり。デジカメの使い方も全くわからないし、内部メモリーが2枚分しかないこともかまっていて2枚以上撮れないということからわかっただけだし、パソコンへのCDログの入れ方、デジカメからパソコンへの写真の取り込み方も、皆テキスト見ながらはじめてやることばかり。メモリーのコンパクトフラッシュも8000円ほどと高かったし、買うために片道20分ほどかかる、隣町の金山まで行かなければならなかつたし。 1昨年12月に出所して以来、やることなすこと初めてのことばかり。それだけエネルギーもフル回転で、いいには違いない。 でも今日も工場は休みだし、山の仕事もできないし、一人野の花社の食堂で熱いほうじ茶を飲みながら、その一人のなかに入っていた。一人だが若い頃のようなひりひりした孤独感はない。しかし悟っている人のような深い喜びが、あるわけでもない。そんな静かさの中にいる時間もあった。 ときにはあびが日記に書いていた、『小俣かおる』のようなものも読んで大笑いもしたい。けっこう人と話しているときは笑いもするのだが。
2004.01.22
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以前からいい感じの女の人だなと思っていた人に、今日直接デートの申し込みをする。彼氏に怒られるから、できないと断られたのだが、何か嬉しかった。まだ20代かもしれない若くて美しい女の人なのだが、ほとんど男に媚を売るような目つきをしたことがなく、大きな目を開けて人をまっすぐに見るようなその表情がとても魅力的で、輝いているようなひとなのだ。幸せそうで、結婚している人だとも思っていたからそんなことは言わないできたのだが、数日前結婚などしていないと人から聞き、話しかけて見る気になったのだ。話し掛ける前、久しぶりに少し緊張した。何か若い頃に好きな女の人にそれを告白するときの気持ちに少しだけ似た、、甘い緊張。 結局断られたのだけど、そんなことをしている自分が嬉かっつたのだ。出所後そんな働きかけをして断られたり、うまく行かなかった人はこれで4人目だ。いやあの人も入れると5人目かな。そんなに断られたりしてばかりいるのに、そう悲しくもない。そう簡単にはいかないだろうし、私の状況からしてもいたしかたない。それよりもこりもせずにそんなことをしている自分が、いい意味でおかしい。ニコニコ。はじめてくつろいだ青春を生きはじめているような気さえする。そしてこんな片田舎の農村にも、いい感じの女の人は意外なくらいおおいことにも、最近きずき始めている。深く話し合うことのできる人という意味で。 ともあれ今日は女の人に対し、ときめくものを感じた自分が嬉しかった。 [追記1] しかし上記の部分は、今日の生活のなかで少しハイになっているときにかいたもので、そのとき以外の家のなかに引きこもっていた時間に感じていたこととは、また少し違う。ある文章を書こうとしてずっと机に向かっていた朝、性的なエネルギーがもやもやと体の中心部に立ち込めている感じがあり、気分がさえなかった。そんな時和尚がよく言っていた気がする、そこから逃げないでその状態そのものを見つめることに、意識を向けてみもした。よくはわからないけど、今の私にはそういうことも大事だという気がする。 そのあとバイクで久しぶりに遠くまで走ったら、まだ陰になっている部分には雪が残っている山里の自然、冷たい風が、私を心地よくしてくれた。 1月になって雪の性もあり山の仕事はしていないし、木工所のほうも6日ほどしか働いておらず、この先のことを考えると少し心細い。何とか今年は自分のやりたいことをやれる時間を作れるようにしたいのだが。
2004.01.21
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18日は母の死んだ日、19日は和尚の死んだ日、21日は父の死んだ日。特に何をするともなく、それらの日々を迎えている。私にとってはそれらのひとが死んだ日、肉体を離れた日ともいわれるその日が特に重要とはおもわれない。彼らの死が私に問うているものがあるとしたら、それは私が今、日々のせいかつのなかでどう生きているかということだけだという気がする。そういう意味ではあまりよい日々ではなかつた。18日の夜、中学の同窓会があり私は2次会まで付き合い、かなり酒、ビールを飲んだこともあり、19日は朝から昼過ぎまでなんとなくかったるい気分だった。 今日は朝からチエンソウで庭のいくつかの木を切ったりして体を使ったこともあり、だいぶエネルギーがもどってきたかんじ。 そこに郡上から和尚の弟子・サニヤシンの男性、サハジョが尋ねてくる。野の花社に来たはじめての和尚の弟子。もうずいぶん長い間サニヤシンとひざを交えて話をするということもなかったから、久しぶりのそれはとても楽しかった。なによりもなにも遠慮することなく、思っていることをつたへ合えること、はじめて会ったばかりなのに昔からの友人のように親しく話し合えること、そうしたことができるのが嬉しかった。忙しかったことやあまり世の中のポジティブな情報に接していないため、世界の動きのなかで私の心を暖かくしてくれるものにあまり出会わないで来たが、サハジョはそんななかにも、人間の未来を豊かにするものが多く育ち始めていることを伝えてくれた。それがうれしかった。 ところで、 同窓会で冷酒を飲みすぎたためか、久しぶりに途中の記憶が飛んでしまっているが、二人の女の人が私の書いた『意見書』(思想の科学社発行)を買ってくれたり、自分の家の裏山にもうふきのとうが出ているから採りに来て、どこかで売るようにとか言ってくれる人もあった。昨年10月6日の朝日新聞に載った私の文も、昨夏の同窓会の収支報告書を11月だったか幹事が皆に送付した際、コピーして送ってくれていたし、何人かの同級生からはいまだに多くの力になってもらっている。本当に多くの人々が、この私を支えてくれているのだ。私に何か書くように進めてくれた人々、本を編集・発行してくれた人びと、読んで感想をくれた人々、そんな人々もふくめて。
2004.01.20
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前回書いた性的欲求などに関する文にアビが、相手のことが書かれていないといった批評をくれた。そのとうりなのだが、私自身は女の人とのセックスするとき、共に喜び・気持ちよさを分かち合う、高めあうというかんじでそこにる。私が一方的に喜びを感じさせてもらうといったことは、その現実のなかではありえない。 今の私にとってということと、性的な欲求をともなった異性への欲求(好きだとかいった思いも含めて)が、普通には愛だとか言われていることにたいする私の考えを表現しようとしたこともあり、偏った言い方になっているのかもしれない。 ともあれこのホームページで私の性に対する考え方などをある程度明らかにしておくのは、このホームページをきれいごとで済ませたくないという、、私の欲求があるからだ。そしてそこから誤解が生じてもいい。それより少しでもありのままの自分につて明らかにすることのほうが、大切な気がするのだ。 あと2つ3つのこと。 私は拘禁20年の生活をしてきたということもあるだろうが、それ以前から良い、自分の好みのタイプの女の人に出会ったりするとすぐその人とセックスしたいと思いもし、受け入れてくれればそうしてきたようなところがあり、アビのようにパートナーとしかそうならないといったことは、全くないだろう。 ただそうしたあり方は、私が特定の女の人との関係で、持続的な満ち足りたよい関係をあまり作っていなかつたという、私が抱えていた問題から生じていたと思う。 それからライヒに出会った頃からかなり長い間、性的な欲求は自然なものであり、それを満たそうとするのは自然なことだといった考え方から、どんな人とであれ双方が合意すればセックスするのはオッケーだといったかんがえかたをしてきたが、そうしたことによってそのまわりの人々がひどく精神的に傷つき、苦しむといったことがよくあるのに、そのことを本当によく考えもしなかった。 これからはそおいうこともよく考えて生きて行きたい。
2004.01.19
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前にも書いたように、私は女の人とセックスすること、が好きだ.そして55歳になった今も、そのことに対する強い欲求がある。そのことは事実で、隠す気は全くない.私は20代に入る直前までだったか、セックスしたことがなく、しかも何かそのことをどこか汚いこと、あからさまにすることがはばかられることのように感じてきた時期があったのだが.その後恋人ができ、実際にセックスすることの中に深い喜びがあることを知り、また同じ頃性的な抑圧からの解放を強く訴えていた『性と文化の革命』(ウエルヘルム・ライヒ)という本を読んだことなどから、性的な事柄に対する抑圧的な考え方からはかなり自由になっていった。そんな私にもまだまだとても深い問題があったことは、後にその頃の自分のあり方を見つめなおしていったときわかってきたのだが。ともあれライヒに出会ったことなどから、私は性的な欲求は自然なもので、女の人とのセックスには深い喜びがあり、しかもそれは人間だけでなくほとんど全ての生物の種として?の再生産にかかわる、根源的な価値のあることだなどと考えるようになっていった。 実際じぶんがうまれてきたということの根源に、父と母がセックスしたということがあり、それを汚いことだとするなら、自分の誕生そのものが何か汚らしいものになってしまう。キリスト教は性欲を汚れたものとみなしそこから人間が生まれることを原罪としている。しかし私は恋人ができ、実際にセックスもするようになってそこにとても深い喜びを見出したこともあり、そうした考え方からは自由になっていった。もっともはじめのころ、かなりながいあいだ私はひどい早漏だったのだが。ニコニコ。 ただ私の父母はとても仲が悪かったから、そんな父母がセックスして自分が生まれてきたということには、何か汚いもの、喜べないものを感じていた。 こんなことについては、とてもこの日記ではじゅうぶんにかけそうにない。今日書き始めてそう思ったのだが ・・・その2・・・ こうしたことについて書くときはとりあえず焦点を絞ったほうが良いだろう。しかし少し散歩してきた外はやさしげに雪が降っていた。 (1)性的な欲求の対象として求めることは愛ではない 愛とは何かといった定義から始めなければならないのかもしれないけど、それはしないないで進める。よく言われている男と女の間の愛と呼ばれるもの、私もそれを愛だとおもつていたものが愛などではないと本当にきずいたのは、東京拘置所の中で自分の女の人との関係を、文章化して見つめなおしていったときだった。それまでも和尚の本など読んでわかっていたつもりだったが、よくはわかっていなかったのだ。 別に悪いことではなく、自然な欲求があるのだからそうするのが自然なのだがい、異性を性的な対照として求めることは、単純化していえばそういうもの、自分の欲求を満たしてくれる相手を求める欲望であり、相手を人として尊重、信頼するとかするとかいったこととは違う。欲望の対象としてもとめているから、相手がそれを受け入れてくれてくれているかぎりは喜びがあるけど、受け入れてもらえなくなるとつらくさびしくなり、俺はこんなに強くあいつを愛しているのにそれをわかろうとしないとか、相手に非難がましい態度をとったたりするようになる。20代の始め頃この私自身がしばしばそんな気持ちになり、苦しんだ。そうした欲望は、単に性欲だけでなくその周辺のものとも絡み合ったものだけど。 ブッダなどが2千年以上前にそれを執愛などと呼んで真の愛と区別したようにも言われているけど、いまだにそういうことを理解する流れは小さくて・・・・・愛という名の自分のエゴ、欲望についてしっかり見つめ理解することは、とても大切なことだと思う。 ・・・その3・・・ その2で単純化して書いた愛という名のエゴのこと、しかしそうした自分にとってとても大切に感じられる異性が自分に背を向け去ってゆくときの、ある人にとってはとてつもない深い悲しみ、深い苦痛のことを軽く扱う気はない。特に自分がまだ深く愛しているとおもつている異性が、他の人と抱き合っているような場面に直面したとき、たとえそれがその現場を見たのでないにしろ、引き裂かれるような苦痛を味わい、また私自身もそうしたことを他の人に強いた体験があるから、余計にそう思う。そうした苦痛などがあるから、相手の異性を殺してしまうようなことがあとをたたないのだろう。 ・・・その4・・・ 今まで今日の日記で書いてきたことは物事を単純化しているので、はみ出てしまうことがいっぱいある。そのことには触れない。ともあれ、上記1・2・3で書いてきたようなことから、仮に今の私と性的にも触れ合ってくれる女の人が出てきたら、私はそれをとても感謝するしかないと思う。今は。私のそうした欲求は愛なのではなく私がそうした触れ合いが好きで、その人は私の欲求を満たしてくれるのだから。別にそうしなければならない義務など誰にもなく、私はこのままそういうことなしに死ぬことになってもいたしかたない人間なのだから。だからそうした人が現れたら、私はその人を存在からの贈り物とでも思うしかない気がする。 ただしかしながら、もしそうした人が出てきてもその人が現在私がもっぱら電話などで親しく話し合ったりしている6・7人の女の人との関係を嫌いそれを断つように求めても、そんなことには応じない。それでその人が去っていくことになっても。 私は浮気などしない。出会うひと一人一人と本気で出会いたい。それは私の自由であり、やりたいことであり、セックスすることよりも私にはもっと大切なことだ。 そして私は当然私と深く出会っている女の人が、他の男の人と深く出会うことを尊重したい。そのようにしてその人が十全に自分を生かす道を歩んで欲しい。そんな出会い方のなかで2人が共に生きて行けたらいいと思う。
2004.01.17
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今日は今年になってやっと2度目の風呂に入る.というのもこの家に帰ってきた直後に、風呂に入れるかどうか調べようとして、母屋の浴場に行き風呂桶のそこを棒で突っついたところ、鋳物で出来たそれがずぼっと音がして穴があき、ぜんぜん使い物にならなくなっていて、はいりたいときにはいるといったことができないからだ。それで私は同級生の友人から教えてもらった、バイクで5分ぐらいでいけるサンホームという福祉施設の中にある浴場に時々行くようになった。あまり人はいないし、こじんまりときれいに作ってあってきもちがいいし、また100円出せば入れることからとてもいいのだ。ただ公的な施設だから、浴場は朝8:30分から夕方5字頃までしか入れず 昼間仕事をしているとなかなかはいりにくい.また年末年始は休みだ。日曜祭日も.そんなこともあって、今日やっと今年になって2どめのふろにはいるということに成ったのだ. しかし冬の寒いときは、風呂に入らないといってもそうからだが汚れている感じではない.だからそのことはあまり気にならない。 ただ冬は風呂に入ると全身があったまるからいい。 ともあれそんなわけで木工所の仕事が昼まで出終わった今日、3時過ぎからサンホームのふろにはいったのだ。ずっとはいっていなかったために念入りに体を洗ったりしていたら、出た頃に疲れがどっと出てふらふらした。 今日はそんなこともあった.
2004.01.15
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夕方5時40分頃木工所の仕事が終わり、6時少し前に野の花社に帰ってくる。昨日の夜、短い時間の間にどかっと降った雪がまだ溶けず、屋根も庭も薄暗がりのなかで白い。そして冷たく寒い。でも門をくぐりながら、寒さを感じられるということはすばらしいと感じると、そう思える。実際不思議なことだ。と思いつつも、社に上がり食堂にはいるとすぐストーブをつける。少し前にリサイクルの店で買ってきたもの。これがまた、すぐ冷え切った部屋をあったかくしてくれる。そのことも素晴らしい。 ところでこのホームページの冒頭の写真は、昨日の昼過ぎにすごい勢いで降りだした雪のなかで、野の花社の玄関からその門を写したもの。携帯で。そしてよくわからないままにこのページに入れたら何かおあつらえ向きの所に、はまっている感じ。それもうれしい。 今日はこれから1時間、少し遅れましたがダンスプラス座禅の瞑想法、クンダリーニをやります。
2004.01.14
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やはりこのことにはとりあえず率直に触れておきたい。 私は20年間の拘禁生活を経てきたこともあると思うが、女の人と触れ合いたいという欲求は強い。他の人と比較は出来ないけど。そして女の人と抱き合うこと、セックスすることはほんとに好きだ。もちろん10代・20代のような取り付かれたような激しい欲求はないけど。しかし20代の頃50代にもなれば、性的な欲求などさしたる強いものではなくなるだろうと、漠然と考えていたことが、実際に50代になってみると、結構強いものだということがわかった。私の父も50代にもこんなに強い性的な欲求を持っていたんだなということがわかってきて、少しだけ以前より父のことがわかってきたような気がした。 ともあれこのホームページでは、今まで私のそうした性的な欲求について少しも明らかにしてこなかっつたので、とりあえずそのことを明らかにしておきたくなり、、書いてみた。性的なことは、いわゆるアダルトな、ポルノチックナサイトでそれのみに焦点を絞って扱われることが多いのかもしれないが、もっつと普通の場で適切に語られるといいと思う。とてもむつかしいところがあるのだろうけど。 とにかく55になっ私だけど、ときどき強い性的な欲求に心と体が振り回されることがある。それが今の私の自然な姿で、それは他人に隠さなければならないような後ろめたいことではない。そういう人間であることを明らかにすることのほうが、自分を寛がせてくれる。 もっつと書きたいことがあるけど今日はこれでやめる。 今外に出たらすごいゆきがふりはじめていた。今日はかなり積もりそう。もう当分はしきみを採りに深い山にはいけなくなりそうだ。当分はこの野の花社をととのえることや、新しい仕事が出来るように準備していこう。[追加ー21:26分] かんじんなことを書いていなかった。 そんなふうに女の人と触れ合うこと、セックスするのが好きなのに、この1年間全くそういうことがなかった。出所した直後に熊本のヤクザの幹部の所に、数日世話になったとき、その最初の夜に女の人まで世話になったが、そんな気になれず2じかんほどわたしが自分を見つめてきた過程や、自分の誤った女の人とのかかわりについて話した。彼女が出所後そんなまともな話をした初めての女の人になった。けっこう聞いてくれた気がするけど、私の思い込みかもしれない。その後そんな話を20代の頃に付き合っていたこともある女の人に話すと、[そんなのあんたのタイプじゃなかっただけの話じゃない]とずばり言われてしまった。多分そうなのだろう。 ともあれ、この1年そんな女の人とは一度も出会わなかった。ここが片田舎で、そうした出会いが難しいということもあるかもしれないが、私もどこかいまいち積極的になっていないのかもしれない。都会にいる人が、少しうらやましい。
2004.01.13
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アビからのイラク派兵抗議の行動に関する呼びかけのメールの転送されたのを、みせてもらった。あまり心は動かない。新聞も読まず、テレビもほとんど見ず、あたふたと忙しくすごしていて、そういう情報に心が動く状況がないというか。 それに、仕方のないことなのかもしれないけど、呼びかけの文自体が人の心を動かすものになっていない気もする。 それでもおいらもイラク派兵にはまったく反対です。たいていのその理由は、すでに心有る人々が言っていることと同じようなものです。おいらにとって切実なことは、自分がかって爆弾によっつて人を傷つけたことを、今は二度と繰り返したくないことと思っていることからくるものです。 おいらはかって人からはテロリストといわれる人間でした。その誤りを見つめなおしていく過程で、おいらは自分が爆発させた爆弾の近くにいた人々が、どんな衝撃と、恐怖と苦痛を感じていたかを裁判での彼らの証言を通して知っていきました。私はそこで若い女性がその状況を 目の前で生身で語るということに直面しました。私はその女性を傷つけ、非常な恐怖を与えただけでなく、彼女を殺しかねなかった自分の行為に、身震いするようなおぞましいものを感じました。生身のその人を前にしてその頃の私は、そのしなやかな指先をほんのちょっとでも傷つけるようなこと、小声で脅すようなこともしたくない人間になっていましたから、かっての自分の行為のおぞましさは、あまりにもリアルなものでした。 私がイラク派兵に反対するのは、そのような私の犯した罪の原点からです。たとえばイラク葉アメリカを武力で攻撃していたわけでもないのに、アメリカはイラクに侵攻しイラク兵だけでなく、無数の民間人、子供、女性などを殺しています。私は、かって私がやったことは懲役18年に値する犯罪でー事実それはそうですがーアメリカがイラクで無数の人々を殺しているのは、犯罪ではなく、国民の多大な税金をつぎこんで手助けすべき正しい行為なのだとはとても感じられません。米軍に殺された無数の子供や、女性の生身の苦痛、恐怖などを、私の事件の被害者の苦痛などと重ねて考えると、それはとても正当化できるものとは考えられないのです。 こんな風にこのホームページに書くことぐらいしか、そのことに対する私の反対の意思表示をすることはしませんが。そんな機会を与えてくれたアビに感謝します。(終)
2004.01.11
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Subject: 7日の日記 今日も忙しい 一昨日は携帯をカメラつきのに買い替えに行き、ついでにインターネットオークションに使うためのデジカメも買ってくる。バイクで40分ぐらいの町まで行かなければ買えないし、いろいろあって結局半日がかりになってしまう。携帯は出所直後に、私の身分証明になるものがなく他の人の契約で買って貰った物なので、いろいろ不都合もあり買い換えた。前のとメーカーが違うので、つかいかたもまた新たに覚えなくてはならない。デジカメの使い方も全く知らないし、ネットオークションのやり方も全く知らない。覚える必要のあることが多すぎて手におえなくなるかもしれないとも思いつつ、少しずつことを進めてゆくつもり。そんなこともあり、アビとのコミニケーションも十分には出来そうにない。 昨日は1日木工所で仕事、今日は兄の主治医がどうしても会いたいということなので、やはりバイクで岐阜の病院まで行って来る。片道1時間以上走って。なのに話はものの3分で済む。(笑い) そんな忙しさもある。バイクでモコモコに厚く服を着て走るために体が疲れる。おまけに肩がまだ本調子じゃない。 冷たい風に吹かれて冷えきっつた野の花社ー我が家に着き、でも今日も無事に過ごせたことに感謝して、闇の中で手を合わす。すると寒さより深い喜びを感じる。 以前は、何かに手を合わすなどという表現など胡散臭いものに思えたが、今はよく使う。本当に感謝の気持ちを感じ手をあわせる行為には、ふかいよろこびがあるのだ。 どうもメールのほうから日記を書き込むと、送信する際に消えてしまうことが多い。忙しい身にはとてもこたえる。制限オーバーなどにはほど遠いはずなのだけど。パソコン使い始めの人には、よくあることなのだろうという気はするが。この7日の日記も昨日書いたときは全て消えた。送信済みのメールの中に残っているのだけれど、それをこのページにどうやって移すのかもわからない。今のところ。 いろいろやらなければならないことが多く、月末まではパソコンに向かう時間を少なくせざるを得ないと思う。やっとパソコン。インターネットの面白みが、少しわかりかけてきたところなのだけど。書きたい事、いいたいことは山ほどあるのだが、それが出来る体制になっていない。まだしゅしょ1年だ、当然なのだ。 上の数行を書いて送ったら、今度は消えてた日記がふっかつしていた。わたしにはどおいうことなのかさっぱりわからない。が、ともかく全部出てきたのだから、嬉しいことだ。ニコニコ。
2004.01.07
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昨日は年末30日の夕方からきていた兄を、同級生のMさんに岐阜の精神病院に車で送って行ってもらう。正月3日間は町営バスが運休していることもあり、またmさんの職場、家が岐阜にあることもある。ずっと病院から帰ってくるたび、朝から酒を飲んでは寝るだけのくらしかたをしていて、今回も同様だったが、少しいつもより私と話している時間が多かった気はする。兄60歳、これからの彼の人生はどうなるのだろうと、ときどき思う。 もし車の免許でも取ったらときどき連れて行ってやりたいところに、今日行った美濃市の郊外にある賢治の学校 歩。ホットがある。この一年間バイクで30分くらいの所にあるそこに、月1・2回出かけて、鳥山敏子さんのワークショップなどに参加してきた。鳥山さんのワークには日本の各地から人々が参加してきていて、そのことにとても勇気ずけられもした。そこは美濃市の郊外とはいえ、今私が住んでいるところと挿して変わらない片田舎という感じのところで、私もここで何かをやっていけるという可能性をそこに垣間見たからだ。 鳥山さんのことは、85年頃彼女の最初の本が出たとき私は東京拘置所にいたのだが、その本を買って読み深く共感するところがあり、彼女の所にその頃私が出していたパンフ数点を同封して出したことがあった。それに彼女から深い理解をこめたHんじがきた。そんなこともあったし現実に出会った彼女の雰囲気が、農村の自然の中で育ってきたことを思わせる、私にとって親しみ深いものがあったので、そのワークに参加することは私の喜びだった。そのワークの中でひとびとがほんとに多くの問題を抱え、苦しみつつ生きていていること、じぶんを見つめることで少しずつそこから解き放たれていきつつあることを知り、見ることから改めて大切なことを学んだ。そんなこともあり、いつか兄をそんな場に連れて行きたいと思う。
2004.01.04
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