おいらがいわゆる半日武装闘争という行動にきつく過程で
直面した思想的課題、難題はこういうことだった。
日本の朝鮮や中国などに対する植民地支配、侵略行為のひどさ
過酷さにも非常に心を痛めたが
また在日朝鮮人の基本的な人権が守られていないという
その差別性にも心を痛めたが
その日本の植民地支配のありようは、
明治維新のころからの100年ほどのスパンで見ても
当時、アジア、アフリカ、南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸等を侵略し
植民地支配して、搾取の限りを尽くしてきた西欧世界、アメリカのありようを取り入れたもの
日本が彼らの植民地支配を受けることのない様
力を尽くして彼らに対抗して自らを富国強兵してきたありようから生まれたものだった。
まあ大まかに言えばそういうことは今も事実として正しい認識だったと思う。
ただ難題は、たとえばそういう西欧世界が、アジア、アフリカの地域の住民だけでなく
アメリカに見られるように、もともとはインディアンと西欧人が呼んだ
南北アメリカの原住民たちに対する、ジェノサイドや、とてつもない殺戮
侵略と植民地支配によって、その国を彼らのアメリカ合衆国として打立てたのだった。
それを歴史の進歩などという観念ではどうしても捉えられなかった。
目もくらむような非道な行為を基礎にして、あのアメリカ合衆国や、西欧世界が成立している
そしてまったくそのことが問われることなく正当化されている
そのようなありようをそのままにして
いったい、どうして人と人が共に生きるような世界を作り上げられるだろうか
根本的な批判がなされ、根本的な意識変革がなされない限り
この世は更なる地獄に向かっていくしかない
そんな風に考えたのだった。
暗澹たる気持ちになった。
どうにも希望が持てなかった。
そしてそれは日本の建国の歴史そのものも
土雲とか蝦夷とか、アイヌとか呼ばれた人たちを
大和朝廷という強大な力うを持った人たちと、その後継者が
次々とそういう原住民たちを滅ぼし、殺し、支配占領して作り上げた国だと考え
その根本から見つめなおされなければ、まともな人としての感性
生き方を取り戻すことはできないと考えたのだった。
難問である。
爆弾などでもって、何か主張しても変えられるような事柄ではなかった。
でも、福島原発の現状と、それを放置している日本という国を含めた世界中の国々
おいらを含めた
人々が落ちいりかけている状況は、そういう全体としての歴史的な流れそのままなのだ。
私たちはこの小さな地球という
今はまだ美しさが十分に残っている世界で
共に生きている。
現状がどんなに地獄へ向かう道筋を早めているとしてもなお
それを共に生きている。
良いことも悪徳なことも含めて
みな共に生きている。
夜も更けた野の花社で、独りそのことを思う。
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