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大学では、学生は冷房の無い屋外でも勉強します。大学の建物の多くは1階が吹き抜けです。天井の高い吹き抜けは意外と涼しいのです。その吹き抜けに写真のような木の机がたくさんあります。この机を横から見たのが次の写真です。両側から座れるようになっています。この机は頑丈で勉強机にも食卓にもなります。初めの写真は、理学部の新しい高層ビルの1階の吹き抜けです。しかし、2番目の写真のような机は、建物の外の木陰にも置いてあったりします。そういうところで勉強している学生を見ると、やっぱり、タイ人は暑さに強いなあ、とつくづく感心します。
2005.11.30
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今8時45分です。 9時から授業です。講義の準備はしてあるからいいけれど、ちょっと、ブログをきちんと書いている時間がないですねーー。 タイ時間は日本時間よりひどいです。2時間授業なのに、30分くらい遅れてくるのもいます。ただし、私の授業は、修士課程の学生で、学生数がたったの5人だから、それほど遅れてくる子はいません。 書きたいことはたくさんありますが、準備ができていません。では、また後で書くことにしましょう!!
2005.11.29
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日本との時差2時間のせいか。今朝は4時に目が覚めてしまった。日本時間なら6時だもんね。 それで、大学で、ちょっと一息入れたら眠くなって、お茶を入れて思い出した。 こちらでウーロン茶を飲む時は、湯飲みに茶葉を入れて、そこに直接熱湯を注ぐ。しばらくおくと、固く丸まっていた葉が開いてきて、大きな茶葉になり、大部分は下に沈む。そこで、やおら、葉っぱの入ったまま、上澄みをすする。 茶葉が大きくなっているので、お茶と共に葉っぱが口の中に入ってきても、容易にぺっぺっと出すことができる。しかし、他所で出してもらった時には、吐き出すわけに行かないので、口の中で分離して、お茶の中に戻す。 皆さん葉っぱの処理はどうしているのかな? 私がタイで買っているウーロン茶はタイの山岳民族製か中国製です。味はいいですよ。
2005.11.28
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1週間日本へ行っていた。 1週間ぶりに大学に出てきた。2ヶ月前に始まった大学の内・外の壁とガラス窓の工事はまだ終わっていなかった。当然だね。 10月に2週間日本に行って10月25日に大学に出てきたときは、内壁の塗り替えが終わった後で、部屋の中はてんやわんやだった。シンナーの匂いで、気分が悪くなるくらいだった。 窓の工事が残っているが、いつになるやら分からない。私が日本に行っている間に済んでいることを期待したが、期待はずれだった。 まあ、こんなもんですな!!と達観していないとこの国だはやっていけませんね。
2005.11.28
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今日バンコクに戻った。 セントレア(名古屋空港)からバンコクに来るのは何回目かな?セントレアの開港は今年の春だったので、多分、4回目くらいだな。 この季節、バンコクは良い。日本は寒い。歳を取ると寒さはこたえる。私がバンコクをさほど暑いと思わなくなったのは、歳のせいかもしれない。 「歳を取ると、暑さを余り感じなくなる」ということがあるらしい。2年ほど前に、バンコクで85歳を過ぎたある日本人とお会いした。見かけ、本当に老人で、その方いわく『歳を取ると、寒いのはこたえるけれど、暑さはほとんど気にならない』といっていた。 日本に1週間いる間に、孫に風邪をうつされた。いまも、一寸咳が出て、鼻がつまり、寒気まではしないが、なんとなく本物でない。そういえば、ドンムアンに飛行機が着陸するとき、耳が痛くなった。鼻が詰まっていて、鼻から耳に空気が抜けていなかったからだ。 今日は早めにシャワーで暖まって寝るとしよう。
2005.11.27
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昨日の日記で“霞ヶ関改革 若手が提言"という朝日新聞の記事(2005.1.24)を御紹介しました。中央官庁の30代前半のキャリア官僚21人が霞ヶ関の改革案をまとめ、実名で『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』(東洋経済新報社)を出版したというのです その提言から・・・・・(1)国際会議で、狙いが異なる日本の省庁同士が『落としどころ』を探る結果、内容が不明確な声明を発表してしまう。(2)政府の各種総合対策も、各省の政策を『ホチキスで止める』だけの例が多い。(3)人事面では、移動後数週間で政府代表として国際会議に臨む例があるなど、専門家が育たない。(4)省庁間や業界との利益調整のうまい人が高く評価されて、専門家が育たない。これは、当の官庁の若手の意見です。官僚は東大を初めとする大学の優秀な人間です。彼らが、日本のことを考えずに、省庁の利益を第一に考える人間にどうして成り下がっていくのか??この問題は、もっと我々庶民が声を大にして批判すべき問題だと思います。
2005.11.26
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<明日、25日は朝早くお出かけです。明日の分を書いておこう。>政官財が国を支える3本柱であるのは言うまでもない.政は政界、官は官界、財は財界だ.日本では、<財>はもともと健全であった.<政>と<官>がおかしかった.しかし、小泉改革で<政>は立ち直りつつある.(こういうと、いろいろ異論があるでしょうが、細かいことは無視します.)結局、目下の最大の問題は<官>である.今日(2005.11.24)の朝日新聞に“霞ヶ関改革 若手が提言"という記事が出ています.中央官庁の30代前半のキャリア官僚21人が霞ヶ関の改革案をまとめ、実名で『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』(東洋経済新報社)を出版したというのです。(続きは26日に書きます)
2005.11.24
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今日の日記はちょっと毛色が変っていますよ。昨日かな、黒田さん御夫妻が新宿御苑を散策というTVニュースがあった。そして、“開園30分前に入場されて・・・”と報じられた。私が思ったのは、黒田さんは平民ではないか!どうして、開園前にはいれるの??今朝、それを女房に言ったら、「あれは、ジャーナリズムがうるさいから、特別にジャーナリズム用に企画したもので、後はそっとして置いてください、というのが目的のやらせ。」とのことでした。それで思い出したのは、かなり昔のことですが、新聞記者の横柄さです。どうして、新聞記者って、そんなに威張っているんでしょうかねえ!!!私は、企業の技術者でした。新製品を開発し、そのPRに、名古屋城の近くにある新聞記者クラブに行きました。そして、持ってきた資料を配布して説明をさせてもらいました。そのときの新聞記者の態度がものすごく横柄でした。こちらが座って説明しているのに、知らん顔で他のことをしている人、机の上に座って横を向いている人、タバコを吹かしながら足を投げ出している人、等等でした。既に、35年前のことですが、未だに新聞記者というと、あのときのことを思い出します。今も変らないのだろうか?変っていないだろうな、と思います。恐らく、彼らは個人的には悪い人ではあるまい。しかし、新聞記者という職業人として振舞うとき、横柄になるのだろう。それが、日常生活にも影響して、日常生活でも横柄な人間になることはあるだろう。新聞記者に限らず、TVも含めたジャーナリストは、自分達は「正義の味方だ」という特権意識があるので威張るのだと思う。しかし、そのことによって、逆に、自分達が特権意識にとらわれていることを反省すべきだと思う!!職業というのは怖いね!!
2005.11.24
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10月16日に(その6)を書いてから約1ヶ月が経ちます。今は、前立腺癌の手術から約4ヶ月です。 少し復習すると、前立腺は男性のみにある器官です。膀胱のすぐ下にあり、前立腺の中を尿道が通っています。50代以後の男性では、ある割合の人に前立腺肥大が生じます。そうするとおしっこが出にくくなり、又、頻繁にトイレに行きたくなります。また、前立腺の肥大とは別に前立腺癌になることがあります。 私は前立腺癌になり、早期発見で、前立腺を全部取ってしまう手術をしました。この手術では尿道が通っている前立腺を全部取ってしまうのです。 その手術の過程で、骨盤底筋が損傷を受けることが多く、骨盤底筋が弱くなって尿が漏れるようになります。前立腺肥大及び癌の手術後、一番長期にわたる後遺症はこの尿漏れだと思います。 尿漏れの対策として、尿吸収パッドを使います。これにはパンツタイプと女性の生理用品のようなパッドタイプがあります。又、パッドタイプは大きさが幅30X長さ48cmが最大で、順次小さいものがあり、最小は幅約10X長さ22cmです。 吸収できる尿の量はパッドの大きさなどにより数百ccから最小30ccまであります。小さい方からいうと30、50、80、120、200かそれ以上となります。 4ヶ月経って、私は現在80cc用を使っています。実際の漏れ量はその日の活動状況により異なります。長く歩いたり、活発な運動をすると漏れ量が多くなります。 又、この漏れの程度の変化は、段階的に変化するように感じています。少しずつよくなっていくという感じではなく、ある日、アッ、漏れが減ったなと感じます。 骨盤底筋を鍛えるのは意識して行います。これは随意筋です。しかし、漏れをおさえる機能は不随意筋のようで、意識して、骨盤底筋を締め付けても漏れるものは漏れます。 だから、意識して訓練はしますが、その成果は運を天に任せるしかありません。漏れ量の測定は、パッドの重量で行います。東急ハンズで買ったTANITAの1kgフルスケール、感度1gのデジタル秤は重宝しています。 通常の日常生活で漏れ量が50cc以下になりましたので、日常生活にはほぼ制約がなくなりました。まだ、一つある問題点については次回。
2005.11.23
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タイで日本の新本を買うと高い!!文庫本を買うと日本の値段の1.5-1.7倍する。日本で600円の本なら、タイでは1000円くらいする。 日本からタイに本を輸入すると運賃、関税、タイの消費税がかかるわけだから、当然といえば当然だ。それにしても文庫本1冊350バーツ(約1000円)は高い! 文庫本について、古本屋の買値と売値を比較した。日本はBOOK OFF:売値はなんと1冊10円。買値は100から300円が相場。タイでは:売値、約30円。買値150から200円。つまり、古本を売るならタイで売ったほうが良い。買うならどっちでも同じ。 ただし、タイにある日本の古本専門店(スクンビット界隈に2-3軒あり)にいっても、余り多くの本がない。一番利口なのは、新本でも古本でも日本で買って持っていくことである。 ところで、10月21日の日記にBOOK OFFは書籍文化を破壊すると悪口を書きました。しかし、BOOK OFFも使い方によっては大いに役に立つ。 このところ、宮城谷昌光さんの小説にこっていて、日本で買いだめしようと思った。新本で買うと8冊、5,120円のところ、BOOK OFFで古本で1,810円だった。BOOK OFFさん悪口書いてすみません??
2005.11.21
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タイでは何にでも値段のラベルを張る。 例えば、文房具だと、鉛筆1本、消しゴム1個でも値段のラベルが張ってある。 そして、清算すると、売り子はこのラベルに自分のはんこを押す。このはんこはどんな小さな商品でも、必ず1個ずつ押す。 バーコードがついている商品でも、値引きなどする場合はこの値段を印刷したラベルを張る。ラベル自体は日本のものと変らない。 しかし、糊が違う。かなり強烈な糊である。 ボールペンに張られたラベルをはがそうとしたことがあるが、紙が千切れてしまってきれいにはがせない。むきになって爪を使ってはがしたが、後に残った糊が指にくっついて困ったことがある。 これが本だともっと厄介だ。一生懸命ラベルをはがしたのはいいが、やっぱり糊が残って、これが机の上のほこりをくっつけて汚くなってしまう。 その点、日本のラベルはきれいにはがれる。糊もラベル側について商品にはほとんど残らない。この差はいったいなんだろう!!タイではメーカー間の競争が少ないので、機能が洗練されないのか、そんな小さなことは気にしないのか? 糊でもっとひどいのはトイレットペーパーだ。糊が深くまで染み込んでいるので、1枚はがしても、その下もくっついている。ロールがきれいにはがれるようになるまで5-6回巻き取らないといけない。皆さんこんな経験はありませんか?
2005.11.20
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昨日の日記に書いた籾殻発電所見学記+αです。昨日は朝4時に起きたところまで書きました。行き先はバンコクの北320kmにあるピチット県の籾殻発電所です。(その1)見学に行く車は朝6時に大学を出て、私のアパートに来る予定であった。それで、6時にその車に乗る予定の学生N君の携帯に電話した。呼び出し音はなっているが出ない。それで、もう一人の学生W君に電話した。彼は既に大学にきており、他のメンバーも来ているがN君はまだだという。W君が連絡を取ってみるというので15分たったが連絡が来ないので、また、W君に電話した。やっぱりN君は来ていないというので、もう出発してくれと電話した。結局N君は欠席ということになった。後で電話で確認したら、風邪で熱が出てこれなかったという。こういう場合、日本人ならどうなりますか?まず、95%以上、“先生、今日は熱が出てしまっていけません。”と本人が私に電話してくるよね。こういう時に、どうしてタイ人は連絡してこないのだ!!そして、既に学校に来ている連中も、どうして対応しようとしないのか??(その2)さて、20分くらい遅れて出発した。1.5時間くらい走って、おしっこがしたくなったので、ガソリンスタンドで止めた。タイの郊外のガソリンスタンドには『セブンイレブン』のような売店以外にタイの飯屋が沢山ある。そして、私以外のメンバーはここで朝ご飯を食べるという。それなら、どうして、この計画を決めたときに、朝6時に出発するけれど、朝ご飯は途中で食べることにしよう、といわなかったのだ。私は6時出発に備えて4時におきてちゃんとご飯を食べてきたのだ。途中で食べるのなら、5時半に起きて十分だったのだ。タイではこういう日程について、事前に連絡するということがない。そして、私がおしっこ休憩を言わなければ、そのまま、先方に着いて、彼らは朝飯抜きかもしれない。全く、日本人から見ると、計画性がない。逆にいうと、融通無碍である。おかげで、到着は10時の予定が1時間遅れの11時になった。(その3)見学、昼食をし、帰りの出発が午後2時になった。320kmだから、普通は4時間で帰れるるという。私は、その日の深夜便で日本に帰る予定だから、午後6時にはアパートに戻りたかった。そして、シャワーして、ゆっくり晩御飯を食べて・・・さて、途中で車が脇道にそれシンブリという町に入った。同行したK先生夫妻が何か買い物するという。私は、そんな買い物より、渋滞に巻き込まれるのが心配だった。6時着といっても、バンコク郊外は5時には渋滞が始まる。そうなったら、6時なんかにつけるはずがない。結局、その買い物で30分くらい遅れた。その買い物とは、その日に日本に帰る私へのお土産だった。私の心は、そんなお土産より、早くアパートに帰りつきたいということだった。案の定、5時少し前から道路が混みだし・・・・・・高速道路に入ったのに、車は全く動かず・・・・・・アパートの近くに来て、又動かず・・・・ついに歩いてアパートの着いたのが8時半だった。それから、バッゲージのパッキングをして・・・・どうして、タイ人は、渋滞があることが分かっているのに、寄り道なんかするんだ!!!(4)結局、この日は11時間車に乗っていた。この時間は、バンコク-日本-バンコクの飛行機に乗っている時間と同じだ。私は、昨日の朝から夕方にかけてバンコク-日本を往復して、又日本に来て、今、この日記を書いている、といっても良いかな???
2005.11.19
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朝4時過ぎに起きました。 今日はこれから、バンコクから320km北にあるピチット県の発電所に行きます。何で発電所かって? この発電所は燃料が籾殻なのです。作ったのは日本の中部電力です。どうして、その発電所を見に行くの? いろんな、どうしてがありますね。でも、今日は時間がないので、詳しい説明はまたにさせてね。 ピチット県までは車で4時間、往復8時間車。そして、帰ってきたら、深夜に日本にたちます。今度は飛行機で6時間。 体力勝負ですね。67歳の私にはちょっと強行軍!! では、明日は日本から発信です。
2005.11.18
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さて、今日ご紹介するイヤー・プレートは美濃焼きのイヤー・プレートです。<昨日は写真を間違えて失礼しました。> 美濃は瀬戸に近い陶磁器の産地です。瀬戸では加藤陶九郎さんが有名ですが、美濃にも有名な陶芸家が大勢おられます。 下の写真は、加藤幸兵衛窯の船の絵のイヤー・プレートです。一寸大ぶりの直径22cmです。 なかなか見事なものですね。陶芸家というと、芸術家の加藤幸兵衛さんがお一人で作られるのかな?とお思いになられるかもしれませんが、そうではありません。幸兵衛というのは初代の名前で、現在は第七代加藤卓男さんが加藤幸兵衛を名乗り、30人の職人さんを指導して作っているのだそうです。 陶器の好きな方は、是非見学においで下さい。http://to-no.com/kigyou/koubeigama/koubeigama.html このイヤープレートは女房がどこかで戴いてきたものです。日展審査員の幸兵衛さんの自作ならいい値段がするな、と期待していましたが・・・職人さんによる、量産品ですね。それでも味があります。 私の企画によるタイのベンチャロンのイヤープレートも見てね!これは完全手書きです。下のバナーをクリックしてください。
2005.11.17
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11月7日の日記にローゼンタールの絵皿をご紹介しました。これは絵皿で、イヤープレートではありませんでした。 イヤープレートといえば、もっとも有名なのがロイヤル・コペンハーゲンですね。ロイヤルコペンハーゲンを除いてイヤープレートは語れません。 ロイヤルコペンハーゲンは1775年にデンマークの王室、ジュリアン・マリー皇太后の援助のもとに創設された世界で最も古い窯のひとつだそうです。 ロイヤルコペンハーゲン イヤープレートは1908年に初めて発表されました。それはクリスチャン・トムセンによってデザインされた『聖母マリアと子供』というモチーフでした。それ以降、毎年、ロイヤルコペンハーゲンはイヤープレートを発表し、ヨーロッパの家庭では、クリスマスの習慣の一部となっています。 (http://www.cup.com/grace/rc.html ロイヤルコペンハーゲンのHPより)ということは2008年、あと3年、まもなく、あと2年後には100周年です。すごいですね! 下の写真は我が家にある1999年の品です。直径は18cmです。 色がちょっと本物と違って赤っぽくなっていてすみません。本物は、もう少し淡いブルーです。1999年は何を記念したのか忘れました。女房殿にしかられるなあ! この絵皿は大量生産です。生地(きじ)の粘土の成形体に凹凸が付いていて、これに青色の釉薬をかけます。生地の凹んだところには釉薬が厚く溜まり、そこの色は濃くなります。生地の凸の部分は、釉薬が薄くなり、白っぽくなるのです(これは私の推定です。それほど単純で無いかも!)。 ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートにあやかって、わがベンチャロンのイヤープレートが普及してくれるといいなあと思っています。下のバナーをクリックしてやってくださいね。
2005.11.16
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昭和20年、敗戦の年、私は小学校1年生だった。父はなかなか復員してこなかった。昭和21年が明けた。そのお正月にお餅は食べられなかった。闇で買ってきたもち米はほんのわずかだった。一人に二切れぐらいの餅を“すり鉢とすりこ木”で作った。お父さんが帰ってきたら皆で食べようねと約束して、保管しておいた。しかし、結局、父の帰りを待ちきれなくて、食べてしまったと記憶している。復員してくると連絡があった。郵便が来たのだと思う。父が帰ってくる日、皆で国鉄長野駅へ歩いて迎えにいった。周りの状況は良く覚えていないが、なんだか恥ずかしくて、私は駅の太い柱の陰に隠れていたことだけを覚えている。家に帰って、リュックサックから父がお土産を出してくれた。記憶にあるのは、靴下に詰めた乾パンと影絵の人形である。乾パンは、本人もひもじかったであろうのに、子供のためを思って大事にリュックにしまってきたのだと思われる。そのとき、自分がどう思ったかは覚えていない。しかし、今、思い出すとひとりでに涙が出る。その父は48歳で亡くなった。既に、亡くなって50年が過ぎてしまった。影絵の人形はインドネシアのナングクワーイであることを、それから50年近く後に、私がタイに来てから知った。ナングクワーイとラーマーヤナ物語については、私のHPを見てください。<昭和20年、第2次世界大戦が敗戦に終わった私が小学校1年生の頃の思い出をつづりました。このシリーズは今回でひとまず終了です。>
2005.11.15
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昭和20年、敗戦の年、私は小学校1年生だった。 終戦から大分たった頃、我が家にAさんのご主人が帰ってきた。どうして我が家に来たかというと、Aさんが戦争に行った時に住んでいた家に私たちは引っ越していたのだ。Aさん一家は戦争中にAさんの田舎に移ったのである。それを知らないから、Aさんは元の自分の家に帰ってきた。 Aさんが戦争に行く前、私たちはAさんの家の隣にいた。だから、Aさんはうちのお袋も良く知っていたのだ。それで、Aさんの家は田舎に移ったけれど、とにかく我が家に上がって一休みしていきなさい、ということになった。 その時、私が、非常に良く記憶しているのは、Aさんが我が家に上がろうとして靴を脱ごうとしたが、靴がなかなか脱げなかったことだ。 何ヶ月か、どこからか知らないが、とにかく外国から船に乗って復員してくる間、靴は履きっぱなしだったのだろう。そして、栄養失調で足がむくんでいた。だから、靴の中で足が膨れて、脱げなくなってしまっていたのだ。 それが、復員船の苛酷な環境を物語っていたと思う。 どうしても靴が脱げないので、結局、はさみで靴を切って脱がせた。足がどうなっていたのかは見た記憶が無い。また、私の家から自分の家へAさんが何を履いていったのかも覚えていない。
2005.11.14
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昭和20年、敗戦の年、私は小学校1年生だった。 いつもお腹をすかせていた。 ある日、お隣で遊んでいたら、そこのおばさんにドーナッツを貰った。自家製なのだろうが、ドーナッツはドーナッツだ。形がドーナッツだった。 どういうわけか、家に持ち帰って庭で食べていたら、廊下のガラス戸の向こうにお袋がくるのが見えた。 今、思い出すと、どうして隠れたのか理由が分からないのだが、多分、私はお腹を壊していたのではないかと思う。だから、何か食べているのをお袋に見られたらいけないと思ったのだと思う。それで、咄嗟に縁の下に隠れた。 今の家には、縁の下というのは無いだろうが、昔はたいていの家には縁側があった。今は家を建てるとき、コンクリートで基礎を作ってしまうので、床下はコンクリートの壁ではいれない。昔はこのコンクリートの壁は無く、床下は外から自由に入れた。縁側は結構高く、子供ならその下に入るのは容易だった。 後年、もう10年以上してから、何かの拍子に、お袋はそのことを知っていたことが分かった。ただし、何故隠れたのかいまだに分からない。
2005.11.13
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昭和20年、敗戦の年、私は小学校1年生だった。 私は信州、長野市に住んでいた。我が家は父親が国鉄の技師で、父親は軍属でインドネシアに行っていた。長野市内に住んでいたが、一寸歩けば農村だった。 敗戦になってからか、その前かしっかりとは覚えていないが、母親と近所のおばさんと一緒に、リヤカーを押して、大分離れた農家にカボチャかサツマイモを買いに行くのを手伝ったことがある。(農家のあるところまでは、距離にして3-4km程度だったようであるが、子供の私には随分遠いところにいったという記憶がある。) お米は配給だったと思う。それでは足りないので、カボチャやサツマイモを物々交換するのだ。こちらが持っていくものは着物などだったと思うが、私には具体的なことは分からない。 兎に角、リヤカーを押して歩いて行ったという記憶だけがある。 その頃、小学校に持っていくお弁当の中身にお米は無く、カボチャだけだったり、サツマイモだけだったりした。農家の子はお米の弁当を持ってきた。カボチャやサツマイモだけのお弁当は恥ずかしいので、蓋をかぶせてこっそり食べていたという記憶がある。 敗戦の年の秋だと思うが、裾花川が氾濫した。氾濫した水が畑に流れ込んで、畑がしばらく水に浸かった。このようになると、取れたサツマイモが大きさはちゃんと大きいのだがふかしても柔らかくならない。それを『ごじいも』と言った。全部が固いのではなく、芯ができていて、中のほうになると固くなり、食べるのではなく、かじった。固いので、せっかくのサツマイモも甘くない。買出しにいって交換してきたサツマイモが『ごじいも』で悲しい思いをしたことを覚えている。『ごじいも』でも、食べるものがあるのは有難いことだと思った記憶がある。今、孫達を見ていると、彼らは幸せだなあと思う。 子供に十分食べさせられなかった我々の母親達は悲しく、そして苦労したんだろうなとつくづく思うのだ。
2005.11.12
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東武鉄道の30歳代の運転手が、自分の3歳の長男を約4分間運転席に入れて乗務して、懲戒解雇になった。 これに対して、厳しすぎるのではないかという、電話やメールが400件よせられたという。 東武鉄道の対応には、例の“JR西日本の事故”が影を落としているように感じる。おそらく、あの衝撃的な事故に対する世論の厳しさが、懲戒解雇につなっがっているように思う。 私なら、どう判断するか? “自分の長男を運転席に入れる”という行動をした運転手の意図はどこにあったのか?勤務中だから、その子には当然母親か祖父母が付いていたであろう。誰が、その子を運転席に入れようとい言い出したのか?この運転手の普段の勤務態度はどうであったか?その辺の事情がはっきりしないと、この東武鉄道の処置の是非は議論できないと思う。 これらの事情は分からないが、直感的には、ちょっと対応が厳しすぎるな!というのが私の判断。このところ、いろいろの問題で鉄道が批判されているので、東武鉄道の判断が、この問題だけでない周囲の状況に影響されたと思われてならない。 タイだったら、どうなるかな?タイでは、民間企業の職場でも、大学の教授の個室でも、子供が飛び回っていてもなんとも言われない。多分、運転席でもそうだろうな?
2005.11.11
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昭和20年、敗戦の年、私は小学校1年生だった。 小学校に入ったのは昭和20年の4月だから、まだ戦争中だった。学校へ行くのに防空頭巾をかぶっていった。 防空頭巾というのは、頭からすっぽりかぶる帽子で、帽子のすそが肩まで全部カバーしていた。中に綿が入っていた。爆撃による破片や何かにぶつかっても怪我をしないためである。本当に効果があるのかは知らないが、これをかぶることになっていたようだ。しかし、それは終戦で終わった。 8月15日、我が家に近所の人が大勢集まった。まだ、ラジオが普及していない時代で、我が家にはラジオがあったのだ。時間は覚えていない。家の一番広い部屋の鴨居の上辺りの角にラジオがあった。皆そのラジオに向かって直立不動で放送を聴いた。それが、天皇陛下の終戦の詔勅だということは、大人になって放送などで聞き分かった。私の記憶にあるのは、真夏の部屋の中で直立不動で放送を聴いたということだけである。 戦後になって、教科書が真っ黒に墨で消された。それまで使っていた教科書の、思想的に不都合な部分を筆で塗って消した。自分でやったのか、先生がやったのか記憶が無い。新しい教科書を作る時間とお金が無かったのだと思っている。(まだ続きます、こうご期待)
2005.11.10
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チュラロンコン大学はバンコクのど真ん中にある。観光地図を広げて、サイアム・スケアやMBK(マーブンクロン)の下を見るとチュラロンコン大学がある。地図にある大学はさほど大きくないが、サイアム・スケアもMBKも敷地はチュラロンコン大学が所有している。日本で言えば、銀座の直ぐそばの広い敷地に相当する場所の地主なのだ。だから、チュラロンコン大学には土地の賃貸料収入がある。かなりの金額のはずだが、その絶対額は知らない。タイの文部省もそこは心得ていて、チュラロンコン大学に対するタイ政府からの資金は他の大学に比較して少ないらしい。さて、下の写真は、私がチュラロンコン大学で最も好きな場所です。この場所は、私の11月2日の日記のチュラロンコン大王の銅像のある広場の周りを取り囲んでいます。<11月2日の写真がひょっとして消えているかもしれませんが、すぐに修復します。>タイは暑い国ですが、12月から2月の乾季、朝7時までの早朝、ちょっとかぜのあるときは、結構快適です。涼しい風に吹かれながら、真っ青な空を眺めて、この大木の下をゆっくり散歩すると、天国だなあ・・と感じます。
2005.11.09
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11月3日の日記にチュラロンコン大学の学生は4年生までは制服だと書きました。その写真も載せました。さて、修士課程になると、制服はなくなります。写真は私たちの学科の修士課程の学生です。この写真のようになると、ちょっと大人っぽくなるかな?さて、タイの学生と日本の学生で違うところはどこだろうか?一つは、ストレートに進学してくるか、途中寄り道してくるかに差があります。タイでは、学部を卒業して2-3年働いて、修士課程に入学して再度勉強するとか、修士課程を卒業して2-3年して博士課程に来る、といったことが頻繁です。写真の5人の学生のうち、大学4年を卒業して直ちに修士課程に来た子は一人だけです。最も遅い子は6年も働いてから再入学してきました。もう一つ、チュラロンコンに特徴的なのは、他の大学の4年卒業生がチュラの修士課程に来ることです。タイで大学に進学できるのは金持ちです。特にチュラロンコン大学に入学してくる学生の家庭は裕福です。しかし、他の大学から修士課程に来る学生はもともとチュラロンコンに入った学生ほど金持ちではない学生が多い。大学に進学する時、地方からチュラロンコンに来るには相当の金持ちでないと不可能です。それで、地方の大学に入学し、卒業してバンコクに来た。しかし、もっとキャリアをつけようとしたとき、箔をつけるにはチュラロンコンが一番である。というわけで、多くの修士課程の学生は、他大学卒業生ということになる。
2005.11.08
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この文は「タイ自由ランド NO.171」の受け売りです。 タイにはいくつかのワニの養殖場があります。先日は、観光客が誤ってワニの檻に落ち食べられたという事故があったとか・・・まあ、基本的にはそんなに危険ではありません。 ワニの養殖は完全にビジネスです。タイで養殖されているワニの数は40万頭といわれており、半端な数ではない。 ワニ養殖の目的は(1)皮、ハンドバックや靴、鞄になる、(2)肉、食用になる、(3)観光、ただ見るだけでなくショーがあります。 ワニの皮は塩付けにして日本に送るのだそうです。その値段は1頭分25000円、それを日本でナメシ加工し染色して出来上がった皮はなんと・・・30-40万円になるそうです。 ワニの肉は目下主に香港経由で中国に輸出されているようです。味は鶏肉のようだそうです。タイのスキヤキ、タイスキ屋ではワニ肉のステーキもメニュウにあります。まだ、食べたことはありません。誰か、食べたことがありますか?
2005.11.08
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昭和20年、敗戦の年、私は小学校1年生だった。私は信州、長野市に住んでいた。 ある晩、空襲だというので、母、姉、弟と田舎に逃げた。 私たちの家は長野市内にあり、すぐ傍を流れている「裾花(すそばな)川」の向こうは田んぼのつらなる田舎だった。それで、川にかかる橋を渡って、対岸の田んぼの中を走った。 その田んぼの中の道には、どういう名前の木か知らないが、かなり高い木が道に添って植わっていた。誰かが“あっ焼夷弾だ!”と叫んだ。焼夷弾とはどういうものか知らないが、とにかくキラキラ光りながら落ちてくるものらしい、ということは知っていた。それで、みんな、少し高いその道の脇の低くなったところにはいつくばった! しかし、いつまで待ってもそのキラキラは消えない。そのうちに、誰か、大人が“あれは月じゃないか”と言い出した。落ち着いて見たら、木の葉の向こうにあるのは月だった。 それからどうしたかなあ?多分、家族4人、手をつないで家に帰ったんだろうな。
2005.11.08
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タイの卵と日本の卵には大きな違いがある。 色でも、大きさでも、形でもありません。なんでしょうか?自分で殻を割ったことのある人にはわかっているはずです。 そうです! タイの卵は黄身がすぐに崩れてしまう。 目玉焼きを作る時、殻を割ってフライパンに落としますね。タイの卵はこの段階で、黄身が崩れてしまうのです。黄身が崩れたら、玉子焼きだけど、目玉焼きじゃないねえ! お味噌汁に落としても、良く割れてしまう。 タイの卵は黄身の盛り上がりも少ない。色も、日本の卵のように赤みはなく白っぽい。 買ったことは無いけれど、「スーパーふじ」や「伊勢丹」「東急」で売っている「ヤマギシの卵」はどうなのかな?(ヤマギシを知っていますか?三重県は津の方にある、共同農場です。私有財産を否定するヤマギシズム思想に基づいています。それが、タイにも進出しているのです。) 日本の食材は、卵に限らず、改良に改良が重ねられている。これは世界に誇る技術だ! そういう食材を日本人は何気なく食べている。 感謝、感謝ですねえ!!
2005.11.07
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家の中のインテリアとして飾り皿は楽しい。イヤープレートはその年にあった出来事を記念する意味で、きれいなだけでなく想い出を作る。まず、初めにご紹介するのは、ドイツのローゼンタール製の絵皿です。とてもカラフルできれいです。ローゼンタールというのはドイツの陶磁器会社の名前です。この絵皿は「アラジンと不思議のランプ」のストーリーになっています。直径16.5cm、ちょっと小ぶりです。壁にもかけられるように、裏に紐を通す穴が開いています。GoogleやYahooでローゼンタールで調べると、販売店がたくさんありますよ。これに触発されて、タイの「ラーマキエン」物語の絵皿をイヤープレートにしたのが、私の絵皿です。下のホームページも見てください。
2005.11.07
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前立腺癌のその後6を書いたのは10月16日でした。随分前です。 さて、先週末、大学の自分の部屋のロッカーを整理していたら、前立腺の手術をして8月末にバンコクに戻ってきた時、知り合いのタイ人が気にしてくれて、尿漏れ用に女性の生理用品(タイ製)が使えるかもしれないね、ということで持ってきてくれたものが出てきました。 女性の生理用品がどの程度の吸収能力があるのか分からないので、一つアパートに持ち帰って実験しました。 要するに、(1)どれだけ水分を保持できるかということと、(2)身体に接する表面がどんな状態になるかということです。 結論としては、残念ながら、不合格でした。(1)その製品の水分保持量は50cc以下でした。現在の私にはちょっと不足です。もちろん、女性の生理用品でも、量の多い用、少ない用、などがあるようですから、量に関してタイ製がよく無いということはありません。しかし、(2)身体に接する表面はサラサラでなく、ベチョベチョでした。 こんなので、タイの女性は満足しているのかなあ?というのが率直な感想。 日本の女性はHappyだな、と思いました。 尿漏れのおかげで、タイ製生理用品の品質試験をしてしまった!!
2005.11.07
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日曜日の午前9時から(タイ時間です、日本では11時から)NHKの番組で「週間ブックレビュー」というのがあります。今日11月6日で第683号でした。1年は52週ですからもう14年目ということですね。3人の本をよく読む人が、それぞれ3冊のお勧めの本を紹介します。私は数週間前から見るようになりました。こんな良い番組を知らなかったのはとても損をした感じです。もし、時間がありましたら、皆さんもぜひ視聴してください。
2005.11.06
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昭和20年、敗戦の年、私は小学校1年生だった。 私は信州、長野市に住んでいた。家の庭には防空壕があった。空襲はほとんど無かったが、空爆されたときに逃げ込むために、庭を掘って、隠れる場所を作ったのだ。 正確な日は覚えていないが、終戦8月15日の少し前のある日、長野市に初めての爆撃があった。 信州は盆地である。飛行機は私の家の北の山から急降下してきて長野市の中心から西北にある当時の国鉄の車両工場を爆撃したらしい。この飛行機は爆撃機B-29ではなく、戦闘機のような小さい飛行機だったと思う。 空襲は初めてだったので、怖いもの知らずで防空壕から飛行機がキラキラしながら急降下していくのを見ていた。空襲はそれ1回きりだった。幸いに家が焼かれることは無かった。
2005.11.06
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・・・・・祇園精舎の鐘の音、所業無常のひびきあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす、・・・・・<高校の漢文で習ったでしょ・・>でしたかな?正しくはどうだったか忘れたなあ。ともかく、「沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」というのは、「沙羅の樹の花が人生のむなしさをあらわしている」という意味であることは間違いありませんね。でも、「沙羅の樹の花」を見たことがなければ、どうしてそう言えるのか分からないでしょう。下の写真は沙羅の樹の花です。この花は実に不思議な咲き方をします。左の黒っぽいのは幹です。花は太い幹から直接伸びた花の芯に突如咲きます。その花は、結構大きいですね。そして、次の日には椿のようにポロリと落ちてしまいます。そうすると、その花より先端の方の次の花が咲くのです。このように、じつに花の咲いている時間が短い、そのはかなさの故に、沙羅の花のようにこの世ははかないというのです。沙羅の樹は、タイではチェンマイのドイステープ寺院(山の上にある有名なお寺。チェンマイの観光地の一つです。)に行くと見ることができます。この写真は、ひろいひろいチュラロンコン大学の敷地の中にたった1本ある沙羅の樹です。樹自体は大きく、建物の階数にすると4ー5階位の高さですね。沙羅の樹と花は、チェンマイまで行かなくても、バンコクのチュラロンコン大学で見れますよ。
2005.11.04
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宮城谷昌光著「介子推」講談社文庫 750円。 さて、11月1日の日記に書いた「侠骨記」に続く宮城谷氏の小説第2弾です。 この小説の主題も介子推という主人公の戦乱の世における成長の物語です。 宮城谷さんの小説の主人公はいずれも清廉潔白、かっこいいというかさわやかな人物で、その人物がストーリーの展開と共に成長していく、というパターンです。 この小説の主人公も例外でなく、というより、極端に純粋な人物で、無私の心の持ちようの故に苦労し、成長し、しかし、ついに現実を捨てて山にこもってしまうのです。 このような人物を愛するのは著者の好みなのでしょうが、介子推のように純粋な人物は、いったいこの世で生きていくことができるのだろうか?と疑問に思います。 自分など、決してこの主人公のような立派な人物にはなれないだろうと思います。逆に、ここまで純粋であるということは、本当に可能なのだろうか?という疑問も湧いてきてしまいます。 それでも、もうしばらく、宮城谷昌光の小説をいろいろ読んでみようと思っています。とても主人公のようにはなれないけれど、読んでいると楽しいですよ。
2005.11.04
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私の子供の頃の想い出はほぼ60年前である。第2次世界大戦が終わった昭和20年、私は小学校1年生であった。いくつかの古い記憶があるが、その順番や時期ははっきりしない。しかし、それらを単に私の記憶の中に置いておくのではなく、どこかに書き残してみたいと思った。それは、今日TVで、今日本では昭和がブームだという番組を見たためである。そのような番組では、いわゆる流行した現象は紹介されるだろうが、マイナーな個人の経験は出てこない。しかし、マイナーな個人の想い出の中にこそ普遍的な事実が含まれていることもある。それで、このタイトルではこれから私の個人的な記憶をたどってみたいと思う。
2005.11.04
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日本から私を訪ねてきた方が必ず言うのはタイの学生は幼く見える!どうしてか、その理由を考えると、最大の理由は、大学の学生も4年生までは制服なのだ。チュラロンコンの学生は上は白、下は黒と決まっている。女性のスカートの長さはいろいろあって、長いのはくるぶしくらいまである。この長さは個人の判断でよいらしい。制服ではあるが、日本の高校生のようなミニスカートの風習は無い。この写真の学生は、私がたまたまピンチヒッターで教えた3年生です。普段は修士課程の学生の授業だけです。さて、この黒のスカート、日本の男性には結構好評です。特に、長いスカートはスリットが入っていて、そのスリットから見える白い足が魅力的だと言う人が多いのです。ところで、話がずれてしまいますが、タイの女性と日本の女性との平均的な違いは何か分かりますか?(1)タイ女性は、一般的に脚がすらっとしている→タイでは女の子の脚をお母さんが常にまっすぐになるようにマッサージをしているそうです。(2)タイ女性は腰が細い→このため、赤ちゃんが小さく生まれる。これは、絶対に真実と思う。(3)タイ女性のバストは日本女性より平均で1クラス上である(ワコールの調査による)←説得力あるでしょ!!皆さん、この日記を読んでいると、結構博識になるでしょ!!
2005.11.03
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見たこともーない樹ですから名前もしらー無いーー花ーーが咲くでしょう・・・という歌は日立グループのTVの宣伝歌ですね。では、次の樹は何の樹でしょうか??これは、大学の構内で毎日その脇を通っているところに突如現れました。その前、3週間ほど日本に行っていました。何のことはありません、そこにそびえていた樹を、根元から1.5mほどのところで切ったら、3週間くらいの間に、また、小さな枝が密集して生えてきたのです。タイはいつも暖かい。植物が良く育つということの一例です。何にも、面白くなかったかな??
2005.11.03
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チュラロンコン大学はタイで初めにできた大学です。この大学は現王朝の5世王、チュラロンコン大王の子供の6世王が父親の偉業を記念して、父親の名前を冠した作った大学です。写真で左の座っている人がチュラロンコン大王、右の立っている人がこの子供の6世王です。右後ろに見える白い高層ビルは工学部の新館です。現在の王様は9世、プミポン国王です。タイの現王朝の9人の王様の中で、「大王」と呼ばれる人は1世、5世、9世の3人です。プミポン国王は国民から絶大の尊敬を集めています。
2005.11.02
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上手なキャッチコピーですね!バンコク日本人会から毎月送ってくる資料の中に入っていた空気清浄機の宣伝です。バンコクの空気は汚い。これには誰も異存が無いでしょう。では、どのくらい汚いか?空気中の粉塵の量、日本の環境基準と比べて・・・伊勢丹前:2倍スクムビット ソイ49:3倍スクムビット ソイ39:2倍市内のマンションの中:2倍バンコク中心に長くすまないほうがいいかも!!タイも田舎なら、日本よりきれいだろうね。
2005.11.02
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昨日の日記に「カリプソかマンボーか」と書きました。たまたま、或る旅行社の宣伝が入ってきたので、もう少し詳しく書きましょう。 このショーは、一般に「ニューハーフショー」と言われています。どうして、「ニューハーフ」と言うのでしょうか?日本人なら「おかま」といった方が分かりやすいですよね。でも、タイ人には分からないでしょうし、白人にも分からないから「ニューハーフ」とすると、皆に分かるからかな?などと推測しています。 「カリプソ」と「マンボー」以外に、バンコクには「ラチャダー」というのがあるそうです。ここは行ったことがありません。パタヤには「アルカザール」というみせがあります。ここはチュラロンコン大学の先生の研修にパタヤに行ったとき、一緒に入りました。でも、地元の人は、安い料金なので、2階席の後ろで、はるかかなたにショーが見えました。 その点、カリプソはかぶりつきで見れます。 旅行社を通じた割引料金は、カリプソ500B、マンボーとラチャダー360B、アルカザールは400Bだそうです。でも、アルカザールはパタヤまで行かないといけないから、ちょっと行きにくいですね。
2005.11.02
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宮城谷昌光(みやぎたに・まさみつ)著 「侠骨(きょうこつ)記」講談社文庫 本体467円。「侠骨」とは「わが身を惜しまず、人の難儀を救いに駆けつけ、生死の境を渡っても、才能を自慢せず、ほどこした恩を誇るのを恥をする者」の気骨・人格を言う。宮城谷さんの小説は、昔から気になっていたが、いまだ読んだことが無かった。新聞の広告でよく目にするが、なんだか、難しい漢字が並んでいて、読む気にならなかった。今回初めて短編を読んだ。宮城谷さんの小説に出てくる主人公は、いずれも、ひとかどの人物である。そのひとかどの人物のさわやかな活躍を描写する。私など、とても、登場人物のようなさわやかな快男子ではないが、他人事としても、そのような活躍の描写を読むのは楽しいものである。ちっとは、そんな人物に近づけるかもしれない、と思いながら。
2005.11.01
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これも、タイ自由ランド NO170 からの連想です。ご存知のように、タイはおかまのメッカだそうで、そのショーがありますね。バンコクで有名なのがアジアホテルにある「カリプソ」とスクムビットにある「マンボー」です。このショーは、良く言えば宝塚の反対。男が女の役を演じる。ところが、その男の主役級は確実に手術で男に有るべきものを切除し、女性の特徴の豊胸手術を受けている。彼ら?彼女ら?は、この手術に全財産を投入、まさに命をかけている。さて、カリプソとマンボーとどっちが良いか?私はカリプソ派だ。だって、私のアパートはアジアホテルの横だもんね。皆さんのご意見を伺いたいですね。なお、入場料は1000B ですが、旅行代理店で予約すると、確か500Bになります。まだ、見ていない方は是非ご覧下さい。全然エッチではなく、まさに宝塚ですよ!!
2005.11.01
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