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ことしも異動はなりませんでした。 ここで仕事をするようになって6年が経ち、時期ではあったのですが、希望が合わずというか、縁がなかったんだろうね。 希望がかなったら、家を建てるべく準備をしていたのだけれど、それも昨年同様ちゃら。 でも、どこか吹っ切れるのは、長男のおかげかもしれない。 前回も書いたが、長男はスクールバンドでチューバを吹いている。 最近、5年生が教えてくれるのは、「Tちゃん(長男)チューバうまいよね。」 「そうなの?」とあまり気にしていなかったら、他の子ども達も同じように言ってくれて、「ほー、そうなんだ・・・・。」 何の、先生方や先輩の皆さんのおかげだよ。 ピアノは6年もやっているけど、やめたいってずっと言ってる。でも、チューバは絶対やめないんだって。本人なりに、自分が認められているって感じているのかも。 異動がかなわなかったと話したとき、真っ先に、 「良かった。スクールバンドやれるんだ・・・。」 その言葉で私も、「ま、いいか。」って。 パートナーがまた1年1時間30分も自家用車で通勤することになったけれど、決まってしまったからには仕方がない。これまでどおり、安全に気をつけて通ってもらうしかないもの。 まあ、来年はちょっと条件をゆるくして、少しでも希望がかなうよう、譲歩しましょうか・・・・。
2004年03月27日
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長男の通っている小学校(つまり私の職場)は、良い指導者に恵まれたスクールバンドがある。ここ数年でメキメキと上達したのだが、そこで長男はチューバを担当している。体格のいい長男にピッタリ! 年中さんから習っているピアノはやめたいけれど、スクールバンドは絶対にやめたくないのだそうだ。 ピアノを練習しながら、去年はずっとそう言っていた長男。「でもね、スクールバンドの先生はあんたが一番4人の中で、しっかり音をとっているって言ってたよ。どうしてだとおもう?」「あんたはピアノをやめたいかもしれない。でも、その嫌いなピアノが、あんたのチューバには一番役立っているんだよ。」 今まで長男が「ピアノを辞めたい」というたびに繰り返してきたその言葉。事実だもの。 最近長男はピアノに自主的に向かっている。自分の好きな曲調ということもあるが。少しはわかってくれたかな? 音楽を生業にしたいと言い出した彼の将来に、都合いいようにしてやるのも親の勤めだね。夢は、ないよりあったほうがいいもの。
2004年03月05日
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医学は進んでいる。 遺伝子上の父母が父母でないわけがない。 たとえその母が「産みの母」ではなくても。 今夜向井亜紀のテレビが放送された。 私ははじめから彼女達の姿勢や活動に賛同している。 なぜか? 「高田の遺伝子を残したい」 きわめて生物の本能的な意思に忠実にいるから。 生殖は根本的に「自らの遺伝子を残したい」というもの。 こんなに正直に生きる彼女を否定できますか? この少子化の時代に。 確かに、妊娠・出産にはリスクは伴うもの。 下手をすれば妊婦の命も失えかねない。 生みの母が子供に愛着を持っても当然・・・というのも含め、様様な問題もある。 それでも・・・・ 遺伝子的には彼と彼女は、この子供たちの両親なのだ。 倫理なんて、時代によって変わる。 倫理に忠実でない大人なんて五万といる。 自分達の行き方に正直になろうとしているあの家族の勇気。 望まれて生まれて来た子供たちの幸福を最優先に考えるのが、この時代のこの国の「大人」に出来る最大限の手伝いじゃないか。 遺伝子検査が必要なら、したらいい。 親子関係をはっきりさせるためにあるのが、遺伝子検査の役割じゃないの? 失った子供に思いを馳せる時、その子に恥じない生き方をしたいと考える両親の思いは大切にしたい。 腹をいためなくたって親子は親子。
2004年01月23日
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今日は始業式 私がいつも一番に確認することは、全校朝会のときの子供たちの様子。咳はしていないかな・・・・・?鼻をすする子は多くないかな・・・・? とりあえず始まりはいい感じ。・・・・でも気は抜けないのだ。去年は3月に入ってから学級閉鎖があった。 さて、うちの子は、予想していたとおりの結果となった。 長男は前回の日記のとおり大方済ませてしまったので、楽々過ごしていたが、次男は漢字の練習にこだわった割に他のことを忘れ、昨日の夜、やっと最後の宿題の絵日記を終わらせた。 しかし、ここからである。 次男は筆箱を無くし、鉛筆もほとんど行方不明。消しゴムも例外なく。どのようにしたらこんなに無くし物をするんだろうと思う位。 お父さんと一緒に探していたけれど、こんな時は出てこないものだ。(それにお父さん探し物するの苦手なの。一番上しか見ないから。)案の定今日になって出てきた。 まず、短い3学期だけれど、大事な3学期。 1年の整理とまとめは出来るのだろうか・・・・?
2004年01月20日
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今日は終業式。 長い二学期が、やっと終了。子供たちもほっとした表情で、学校を後にしていった。学芸会をはじめ、たくさんの行事をこなしていった子供たちと、教師達には本当に頭が下がる。「ご苦労様。いい年越ししてね。」 最近の学校は、長期の休みに宿題をたくさん出すわけではなくなっている。「普段出来ないような活動を家族とともに過ごす中で行う。」 ということで、必要最低限のものを各学年で話し合って「冬休みの課題」とする。 「課題」以外は、必ずやらなくてはいけないというものではない。しかしきっと大部分の親は、「課題」以外のものを準備しているんだろうと思う。改めて買わなくても、「こどもちゃれんじ」とか、塾に行っていたり。 長男は今日のうちに、国語算数の課題は全部済ませてしまった。次男は、算数はやってしまったが、漢字は残した。「先生が、「毎日やりなさい」って言ったから、一度にやったらだめなんだ!」って。 兄弟でも違うもんだ。・・・・1月19日、わらって迎えられるのだろうか・・・・?
2003年12月25日
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二日続けて小学校内への不審人物により、けが人が出た。怪我を負った児童は、命に別状はなかったようだが、精神的にもダメージを負ったことと思う。心の傷が早く癒されるよう祈るのみ。 池田小学校の事件の時以来、各学校ではそれぞれの対策をとっていたかと思うのだが、それでも事件は起きる。塀やフェンスがあっても。 札幌や旭川は例外だと思うが、北海道の多くの学校では、敷地をぐるりと囲うような造りにはなっていないほうが多い。よって、山間の学校ではグランドや校庭に、キタキツネや、エゾシカなどが自由に出入りする。時には、近所のご老人が近道にすることもある。 息子の学校は非常にオープンではあるけれど、逆に非常に危険なつくりとも言える。玄関には、「来校者は職員室にお立ち寄りください。」と張り紙があるのみで、入ってきた人物を確認できる造りではない。しかも、増築増築で、3ヶ所も玄関がある。 たいていの来校者は職員玄関から入校するが、その他の玄関から入ろうとすれば可能なところが危ない。 玄関ごとに、来校者を確認できるようなシステムになればいいのだろうけれど、多分予算の関係で、無理。こんなところに税金を使って欲しいんだけどな・・・と思うのは、私だけではないはずだ。 これまでよりも、職員の巡回の回数を増やすことしかないか・・・。 「人的貢献」・・・・学校にこそ必要なんだけどな・・・・小泉さん!
2003年12月20日
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祖母が亡くなった日の午後。翌日の通夜へ行く準備のために、家へ帰ってきた。玄関から部屋へのドアを開けた瞬間「バタバタバタ・・・・」驚いて中の様子をうかがうと、隣の部屋で、何かが動いている。そーっと覗くと、一羽の鳥。すずめより大きく、すらりと尾が長い鳥目の前を反対側の部屋へと横切った。なんで、なんで?どこから入ったの?頭の中で入り口探し換気扇や戸締りや、絶対にありえないストーブの煙突までも確認したけれど(・・・だって、ここら辺りでは、もう春まで消さない。)絶対に入るわけない。台所や風呂などへ飛び回る鳥を追いかけながら、何とか外へ逃がす方法を考えていた。ベランダをあけ、カーテンを手繰る。鳥はリビング横の子供たちの机のある部屋のじゅうたんの上を、しきりについばむ仕草。お腹すいたのかな・・・・?「!!!!!おばばちゃん?」そう思った瞬間、鳥はベランダの外に一直線に飛んでいった。あっけに取られながらも、妙に納得してしまった。こういう時は、こういう事ってあるのかもしれない・・・と。
2003年11月14日
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先週、父方の祖母を天に見送った。 9月に入院してから1ヶ月と少し。穏やかに眠るように、息を引き取ったそうだ。91歳の天寿を全うしたかのように。 私は手仕事が好きだ。編物も、縫い物も小物作りも。 私に手仕事の楽しさを教えてくれたのは、この祖母だった。 小さなキューピー人形に毛糸で洋服を編んだ。 カギ針1本から色々な網目が出来、様様な形に生まれ変わる1本の糸。 入院した父の枕もとの壁に飾ってあった、広告で作られた大小の蝶々。初めて手にしたお手玉。 魔法だった。 白内障で手術をしたり歳をとったりで、視覚に障害をもつようになってからは、そんな姿も見られなくなったが、今ごろは、高い高い空で、37年前に亡くなった祖父のために、針を持っているかもしれない。 これまでも、心の師と思いたい人には何人も出会ったが、ある意味では私の趣味に関わるドアを開いてくれた師が、この祖母なのだと思う。
2003年10月31日
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4時30分 この時期 この時間ぐらいの雨上がりの夕焼けって いいよね ずっとハンドルを握っていたくなる 色とりどりの木の葉が そよそよと揺れて 永遠ではない この一瞬の美しさを輝いている 現実を忘れて 遠くへ もっと遠くへ 思い出? ・・・いい思い出だよ 最後のほかは
2003年10月04日
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朝は山に雲がかかっていて気がつかなかったが、夕方雲の切れ間から見えた雪。 いつの間に山も化粧をしたのか。 朝、道路沿いの木々の美しさに見とれながら、パッチワークのような畑の色合いに深まり行く秋を感じたばかりだったのに・・・・。 色とりどりの秋を終え、高地ではすっかり冬支度。 ちょっと歩けば、そこここにゴロゴロと「カントリー」なこの地。いつの季節も景色はいいけれど、私にはカントリーな秋が一番「目のご馳走」 蜂蜜色の夕日に照らされて、いつまでもどこまでも行けそうなドライブがこの季節の楽しみのひとつ。
2003年10月03日
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今朝早く、北海道は結構大きな地震に見舞われた。 御盆の仲の水を動かすかのごとく、ゆっくりと回るような揺れ。 南西沖地震よりは振幅が小さかったとはいえ、結構長い時間揺れていた気がする。 いつ治まるかな・・・・と思うと同時に、今たんすが倒れたら危ないのは私と3番目・・・などと考え、揺れと同時に起きた長男に、「ベッドの中にいきな!」と指示し、夫には戸を開けてといい・・・・。 こんな時は一瞬、聖徳太子のごとくいろんなことが考えられるものなのだ(太子は「聞いた」んだっけ?)と後から思った。 うちでは被害はなかったのが幸いだが、震源地に近い地方では、店舗などに被害が出た模様。 揺れている最中夫に「3番目をベッドに移したら?」といったら、「起きちゃうんじゃない?」と。 ・・・おいおい地震より、子供のお目覚めのほうが怖いんかい?ま、いいか。
2003年09月26日
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毎月購入している健康雑誌がある。 仕事上便利に利用させてもらっている本なのだが、数ヶ月前「閉鎖療法」という事で紹介されていた治療法が、私の疑問をすっきりさせてくれた。 簡単に説明すると、「消毒薬も、ガーゼも使わず、傷を乾燥させない治療法」・・モイストヒーリングともいう。 この仕事をしてもうすぐ20年になろうとしているが、ずっと疑問に感じていたことがあった。 「傷に当てたガーゼを交換する時、せっかく再生させた皮膚が壊されてしまう・・・・」「膝やひじはカサブタが割れやすいんだよね・・・だから治りにくいんだけど・・・・」 同業者の多くはきっと「傷を乾かしてね」「カサブタを無理に取らないでね」と子供たちに言っているだろう。 しかし、手当てをしながら思うのだ。 「この元気者たちがおとなしくしているわけがない・・・。」 結果カサブタは何度も割れることとなる。 それが先に書いた手当てをすることによって「早く、しかもきれいに治る」のだ。 こうできたらいいのにと思ってはいたが、細菌感染や化膿することを考えると、現場では「乾かして」としかいえなかった。でも理論的に説明がつくこの治療法に納得した。 でも現場では出来ない。あまりにも従来の考え方と対極なので・・・つまりまだ一般的ではないのだ。 しかしその方法を試す機会は意外と早くやってきた。 ・・・・自分がスライサーで指先をスライスしてしまった。 結果は、驚きと納得。 皮下組織まで剥き出しとなった私の親指の先は怪我をしてから翌々日には全く普通に料理が出来るほどに回復していた。勿論外見的に全く元通りになったわけではなかったが、驚異的スピードで皮膚が再生した。 この方法が一般的なものになれば、不自由な時期はあるがこれまでよりはずっとはやくきれいに傷は治る。しかもそれは、痛む期間も短くしてくれる。 現場では使えないが、少しずつ啓蒙活動はしていきたい。
2003年09月05日
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行方不明だった小学6年4人が発見された。 詳しいことは取調べ中ということらしいが、起きるべくして起きた事故と考えることも出来る。 テレビの取材では、ブルセラの主役が低年齢化しつつあり、いまや小学生専門もあるという。 需要があるから提供者を探すわけで、簡単に報酬を得られるという言葉に誘われて物品を提供する子が出てきても不思議ではない。 ましてや、小学生に人気の雑誌のモデルの格好にあこがれて、同じ格好がしたいがために、「ちょっとバイト」という感覚で安易に提供者となってしまう場合もあると思う。 雑誌の子供と同じ格好が出来る子供というのは、そんなにいないはず。高額な洋服や雑貨を次々と買い与える親なんて、早々いないはず。そこにつけ込む「需要」側の人間。 ちょっと前まではこんなの高校生や中学生が主役だったはず。それも良くないが、小学生が主役になりつつあるという事態は絶対正常とはいえない。 だいたい、何で小学生を? 確かに現代の小学生は体格も向上して大人並みのスタイルを持つ小学生だってたくさんいる。 初経(初潮)年齢だって、3年生からという子供も珍しくない位だ。 でも勘違いしないで欲しい。 体の成長度と心の成長度は違うんだって。むしろ、心は幼児化していっていると私は思っている。 そういうアンバランスな部分に付け入って、子供たちを商売の対象にして欲しくない。 言葉巧みに誘って、だまして、子供たちの心に体に、一生の傷を残さないで欲しい。 この調子なら、小学生専門の売春斡旋業者が現れても不思議ではない気がする。 グラビアアイドルも低年齢化しているし。 タブーと言われてきた事を、人気役者を主役にして取り上げるドラマはこれまで数多くあったが、問題を取り上げ視聴者にぶつけるつもりが、「一般化」してしまったり、こんな事していいんだと「勘違い」してしまった女性教師がいたり・・・・。 そんなことが続くと、報道する側も視聴率は確かに大事かもしれないけれど、「倫理観」は大事にして欲しいなと思う。 倫理に反することは、時に麻薬のように人をひきつける物だけれど、報道する時間帯、表現の方法、映像、言葉に気をつけて報道して欲しい。耳年間の思春期の子供たちは、敏感に反応して、そ知らぬふりをしているだけなのかもしれないんだし。 今回のことで、もしかするとまた、「親も子も安易だ、注意が足りない」と馬鹿な発言をする奴が出てくるかもしれない。 違うんだって。 被害者側の不注意を責める前に、加害者の罪の大きさを責めろよ! 今回の件では、中心人物が亡くなってしまっているので、どれだけ真実がわかるかは見当がつかない。もしかしたら、一緒に自殺してくれる人を探していたんだろうかとも思えるし。 いずれにしろ、こんなことが二度と起きないようにしなければならないと思う。 親として、人間として。
2003年07月18日
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この日 その時 私は最初に生まれたいとしい我が子を抱っこして、半分うとうとしながら揺れていた。 「お姉さん!(と、当時夫は私を読んでいた)地震!」 と緊張した夫の声に自身の動きを止めてみて、ただ事ではない揺れの大きさに思わず子供を抱きしめる。 時どきあった小刻みなゆれとは全く違う。今まで経験したことがない。さながら「お盆に入れた水をこぼさないようにしながらゆっくり回している」かのように。 北海道が地盤から揺れている・・・・・ 急いでNHKを入れると既に北海道が丸ごと「津波警報」。 海のそばにすむ両親や妹一家、弟一家はどうなってしまうかという不安。どうしようも出来ない苛立ちに、落ち着いて休めなかった夜。 朝、テレビから流れた映像に、再び驚く。 島の岬が壊滅状態。 被害の大きさ、失われた命の多さに、ただただ息を呑む。「島にもこの子のような小さな子もいただろう、その子の親も・・・」と思うと涙が出る。 親戚一同に大事はなかったが、同僚の母がたまたま遊びにいっていて、ホテルごと生き埋めになってなくなった。 あれから十年 島の自然は戻り、安全宣言もされ、復興は順調に進んだようだ。 しかし、いまだに行方不明のままの方もいる。どこで眠っているのか、遺族の気持ちを考えると「過去のこと」としてはいられない。もしそれが「我が子だったら」私は一生あきらめられずに想いつづけるだろう。 この日、そして1月17日・・・私は子供たちに命の尊さを話さずにはいられない。
2003年07月12日
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久しぶりに・・・・ 本当に久しぶりに自宅でパソコンを開いた。 最後の日記を書いてからはや2ヶ月が過ぎていたとは・・・。 この2ヶ月の間には、修学旅行の引率で小樽に出かけたり、長男の10歳の誕生日があったり、その他もろもろのことでなんだか忙しかった。「子供を寝せてからやろう・・・」と思っていたのに起きられなかったり、目がさめても気力がなかったり。・・・・体力の低下を感じるんだよね。 仕事が忙しいということもあるけれど・・・。 この間のいろんなことは、また機会があった時に・・・。 ちなみに今週は、宿泊研修の引率・・・・。山に登ります。
2003年07月05日
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3月からこの地方では「りんご病(伝染性紅斑)」が流行している。 明らかな症状(頬に境界線のはっきりした、かゆみを伴った「赤み」が出る。手足にもレース状の赤みが出る)が出た頃には周囲に移しきったと考えられ、学校伝染病でありながら本人の体調がよければ登校は可能とされている病気。 最初にかかったのは次男、その1週間後に長男今週に入って三男が「りんごちゃん」になった。長女は今のところ症状としては出てないが、時間の問題・・・だって、私がどうやら感染した様子。 私の周りでは大人の感染者がいないので、「大人がかかったら「おたふく」のようにひどくなるか・・・?」という疑問があったが、定石どおり赤くなるちょっと前に風邪のような症状があっただけ。熱は37度程度。 終生免疫のため、一度かかれば2回目はないけれど、もしかしたら職場のみんなにも移しているかも。日常子供たちと関わっている先生方だから、感染ルートは教室で・・・ってこともあるけど・・・・・。 まあ、高い熱が出る病気でなくて良かった。来週は、修学旅行の引率なんだもんね。
2003年05月09日
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新学期が始まり、忙しい。 仕事柄、この時期はなんとなく気が抜けないのだ。 長男のクラスは40人の大所帯でスタート。先日の参観日では、予想はされたものの半分近くの保護者は廊下でのぞくしかない・・・・という始末。こんなに多いと担任も子供たちも大変だよな・・・・・・。 翌日の次男の参観日では、余裕の教室にほっとするものの、気持ちが急いていて、我が子はチラッとしか見えなかった。 3月末からこの地方では「りんご病」というのがポツポツ出ている。 怖い病気ではないのだが、一番ウィルスを撒き散らしている時の症状が風邪とほとんど変わらないので、ほっぺが赤くなった(だから「りんご病」)ころには出席停止にしても仕方がない。医者が「体調悪そうだね、今日明日は休んだらいいよ。」とでも言わない限り、絶対休まなければならないというわけではない部類の病気。 それでも学校には、感染症に弱い児童はいるので、その保護者には、逐一お知らせはする。風邪が流行の時期はその児童が欠席したりもする。 去年のこの時期は、インフルエンザで学級閉鎖になったクラスも出た。昨日薬局で、隣町で今年もこの時期インフルエンザが増えてきたと聞いた。気をつけなければ。
2003年04月19日
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今日がリミット。 1番目の学年は、あと一人と言うところで、編成替えになった。 やっと落ち着いてきたと思ったのに、残念と言うよりほかはない。 1番目(3年生)の担任は、新採用。去年は聾学校で臨時教員をしていた。 1学期。私の代替をしている先生から、息子の「学級が落ち着いていない」ことは聞いていた。保健室に来る子供が多いと。 でも、私からすると予想はついた。 1・2年生の時、保健室にきていた面々が網羅されていた学級だった。 自分の学校ながら、「ここまで集めるかい?。」と思った学級だった。 「なんでこうなるんだろう?」と、彼も思っていたと思う。 その中で、彼は良く頑張ったと思う。 だからこそ、落ち着いてきたからこそ、4年生はこのまま彼に受け持って欲しかった。同僚として、保護者として。 しかし、この街のこの学校は出入りが激しく。・・・・あと一人、・・・あと一人なのに。 ・・・今日、彼は、「保健室のテーブルを使わせて欲しい」とやってきた。 4年生に持ち上がったら、返そうと思っていた印刷物。「持ち上がって欲しいと」思っていた彼の気持ちが、伝わって来る様で。 「ありがとう、先生」 他の誰が何と言おうと、私はあなたの努力を知っているつもり。多くを語らないあなたではあったけれど。外にはなかなか見えないことだったけれど。 明日から新しく40人近くの子供たちを扱うことになるけれど、大丈夫。あの子供たちと付き合ってきたあなただよ。自信を持って。 周りの先生方に、助けてもらうことだって、時には必要だよ。あなたを助けることが出来る先生方はそろっているんだよ。弱音を吐くことは、決して恥ずかしいことではないんだから。多くの先生方に意見を聞くことは、今のうちしか出来ないこと。 転職を考えていない限り、後30数年続く教員生活。あなたの糧になるようなアドバイスが出来ればいいのだけれど・・・・・・・・。
2003年03月31日
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初めて自分で「あなたが好き」と伝えたのは、22才の冬の初め。 同じ職場に勤めていた彼。 その頃わたしは1校目の産休代替を終え、病院の病棟の受付(クラークと言っていた)のアルバイトをしていた。 レントゲン技師だった彼は、わたしより4歳年上。病棟の患者さんのレントゲンの予約その他で、たびたび彼と顔を合わせる機会が多かった私。背が高くがっちりした感じで、白衣が似合っていた。 2校目の産休代替のはなしがあって、私は病院をやめる事になった。最後の日・・・・だったかな、私は意を決し電話帳を調べ、彼に電話をした。自宅からはつながらなかった。出先の公衆電話を持つ震える手。受話器から聞こえた彼の声。 ためらいながら思いを伝える私。ためらいながら、待ち合わせの約束をする彼。待ち合わせの場所にやってきた私服の彼は、妙に大人に見えて。 それから何度か会い、後ろ髪を引かれるように実家に帰った私に年賀状が送られた。産休代替で赴任した先からも何度か会いに行った。・・・でも・・・。 自然消滅。 結局強い結びつきではなかったのだと思う。 ちょっと苦い思い出ではあるけれど、自分ではじめて自分の思いを伝えたと言うことについては、収穫があったのかもしれない。短い付き合いだったけれど、忘れられない思い出。 「純」の字がつく彼。今はどこでどうしているのか。
2003年03月29日
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ここの町には、学童保育がない。その代わりの児童館がある。学童と児童館をどう区別するのか、基準があるのかはわからないが、隣の市の「学童」では、おやつが出る・・・・らしい。 児童館があるだけまし・・・と言えばそうなるが、定員が少なすぎて現実的ではない。1年から3年まであわせて、15人しか登録児童にはならないんだもの。450人以上の児童がいる小学校の受け皿としては、絶対的に少ない。 この施設が出来た頃にはこれでも良かったのかもしれないが、共働きが増えた今、何とかならないものかと思う。施設の広さからして、学校規模にそぐわないのだから、改築も視野に入れて・・・。 児童館については学校ではなく、町の方に意見が行かなければならないのだが、言う場所がなく、学校のPTA総会で意見が出される。「学校の敷地内に・・・」「空き教室を有効利用して・・・・」などさまざまな意見が出される。 働く親の立場としては、低学年・・・特に入学したばかりの1年生は、放課後になって学校の敷地内に児童館なり、学童なりがあるととても安心できる。ここにいる間は、安全はほぼ守られるから。 財政的に、すぐには無理な話と思うけれど、この先共働きは減ることはないと思う。 それなら、この話を進めていくことが必要なのではないかな・・・。 選挙で、児童館の充実を公約にしてくれたら、1票入れたい気持ちになる親って、たくさんいると思うんだけど・・・・・。
2003年03月28日
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今日、美容院へ行った。 帰って来てから、妹に電話をした。 その辺りから、パートナーの機嫌が悪い。まるで、自分だけが疲れているかのような、被害者であるかのような言い草。 私が3時間家を空けたくらいで、そんな態度とるわけ? わたしが妹に電話をかけたくらいで、そんな態度取るわけ? 子供にアイスクリームを食べさせてと言った位で、そんな態度とわけ? つい言ってしまった。 「そんなに子ども達やわたしといていらいらする位なら、お母さんのとこに行ったらいいじゃない。」 いらいらに任せて子供たちやわたしに文句をいうパートナーの姿を子供たちには見せたくはない。自分の経験からすると、子供にとって父親は、一段違ったところにいる人であって欲しい。子供たちには「失望される父親」であって欲しくない。 家族になるのは簡単だけど、家族でありつづけるのは難しい。
2003年03月15日
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先週末から、またパートナーが調子を崩す。月曜日、体調不全のまま出勤。そして、3番目が発熱。行きつけの小児科で、「インフルエンザB型」との診断。ほんの2週間前にA型にかかったばかりと言うのに・・・・。 一般的にB型よりA型のほうが重傷感があると言うが、パートナーは今回のほうがつらいと言い、3番目も今回のほうがぐったりしている。熱は前回のほうが上がっているが、「だるさ」「こわさ(どうにもならないだるさを、北海道、東北地方ではではそう表現する)」は明らかに今回のほうがつらいようだ。 何よりも、今回は吐気がひどく、処方された薬も吐いてしまい、すぐにまた飲ませたのfだが、熱は3日続いた。 やっとインフルエンザが回復したと思ったら、今度は胃腸炎。 13日に受診した午後、おなかを痛がって、トイレにいたら下痢。14日には、再び発熱。15日また小児科へ。夕方には、39度。 熱があるせいか、いつもより甘えん坊の彼。それでも精一杯の笑顔をしてくれる。こんな時に、気を使わなくてもいいんだよと言いたい気持ちはあるけれど、今このときしか、母を独り占めできないとおもう気持ちがそうさせているかと思うと、彼のしたいようにさせるのが一番の薬かとも思う。 4番目は下痢だけで、熱もなく元気なのに・・・・。普段の食の細さが、彼の体力を左右していると実感。 はかないだけいいが、このまま熱が下がらなければ心配。
2003年03月14日
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内示が出た。 2年越しの希望はかなえられず・・・。行きたい先に空きがないんじゃあしょうがない。 定時制にと言う話はあった。でも、子供たちのことを考えると、イエスとはいえなかった。生活時間が朝しか接点がなくなるのは、私の主義に反する。・・・・ 子ども達がもう少し大きくなっているなら間違いなく希望しただろう。でも今は、子ども達のしつけは、夫婦がその中心でありたい。私が定時に行ったら、しつけはばあちゃん任せになるのは目に見えている。 来年度もまた、パートナーの自家用車通勤1時間半は続く。まあ、1年ごとに子どもも成長して楽になるさと自分に言い聞かせながら、嵐のような日々を過ごすことになるのだろう。 パートナーの無呼吸症候群も心配しながらまた1年、頑張ろうと決意する夜。
2003年03月12日
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いま、すっごい気分が悪い。4日目。 月曜日、仕事の事でパートナーに、なんやかんやと。家にも関わることだから、聞いて欲しかったのに。 「そんなの俺に話しても仕方ないしょ」だって。解決して欲しいわけじゃない意見が欲しいわけじゃないただ、聞いて欲しかっただけなのに自分だって、話しても仕方がないこと判ってる変わるわけないこと判ってるでも、いろんなこと、いろんな思い吐き出してすっきりしたかったでも、受け止めてはくれなかった悪意がないから手におえない自分の行為の何が原因でこうなっているのか、判らないらしい事細かく「@@@だから***なんだ」そう言うまでわからないいつもそうだ家族に一番わかって欲しい、聞いて欲しい支えて欲しいのにそれだけでいいのに
2003年03月07日
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・・・なんてつけたら、違う想像をしてしまうだろうカナ?と、思ったけど、続けちゃえ! 今日、パートナーは、久しぶりの出勤。休日をはさんで、6日ぶりの母校です。こんなに長いこと病気で出勤できなかったのは、仕事をするようになって初めてだそうで、「なんだか申し訳ない」と言っておりました。 具合が悪かったとはいえ、こんなに自分も休むことになったら、やっぱり申し訳ないわ。 明日は卒業式。自分の担当の仕事も心配だったらしく、多少の頭痛を引きずったままでかけていきました。 きっと帰ってきたら「仕事に行っているほうが楽だ!」と言うに違いない。 ということで、今日は私がお休み。今朝、小児科と耳鼻科に行って来た。治りかけていた中耳炎はまた悪くなっていた。仕方がないか。 新しい患者が出ないことを祈る日は、もうすこしつづく・・・・ところで、おととい義母から電話があった。「学校に車ないし、携帯にかけても出ないし、なんかあったかと思って・・・。」 義父は健康のために散歩をしているのだが、何キロも先のパートナーの勤務している学校へ時々出かけては、無事出勤しているかを確認して帰ることもあるんだそうな。1時間半も車で通っているんだから、親としては心配だよね。 嫁の立場としては、「ちょっと・・・」と言う気持ちもあるけどね。私が転勤できて、近くに住むことになったら、さぞチェックが入ることだろうと・・・・。ま、意地悪な人たちではないので。
2003年02月28日
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前回の日記でパートナーと3番目が熱を出したと書いた。 インフルエンザだった・・・・・。 パートナーは、土曜日の受診で検査もせずにインフルエンザではないと言われたのだが、状況的にも、これまで彼がひいた風邪のときの様子と比べても、かなり容態がひどく、素人目に見てもインフルエンザ。 タミフルを処方されていないので、まだ頭痛とだるさを引きずっている。 この時期、インフルエンザと疑って検査をしてもよさそうなのに・・・。 3番目は日曜日に40.1度まで上がり、夜間救急へ駆け込んだ。鼻の粘膜の検査の結果は、間違いなくインフルエンザA型。昨日も39度台の熱が出ていたが、こちらはきちんとタミフルが処方され、今日は36度台に下がって元気も食欲もある。ウィルスに直接働きかける薬の有無で、こんなに違うもんなんだと、改めて効果に感心する。 数年前まで許可されていなかったこの薬。その時代はみんな本当につらかったんだね。うちの子は今までインフルエンザにかかった子がいなかったから(予防接種もしてないのに)、机上でしか理解していなかったような気がする。 そして今日10時半、保育園から電話が職場にかかる。4番目が39度。予想していたので驚きはしなかったが、ちょっとあせる。切れのいいところでお迎えに行き、その足でかかりつけの小児科へ。たまたま患者が切れていたのか、すぐに診察。家の状況を離すと、間違いなくインフルエンザでしょうと言うことで、タミフルを処方された。 パートナーと3番目に、4番目が加わり、とうとううちの人口の半分がインフルエンザ。 帰宅して、パートナーに「薬のませて」と頼んだのに、すぐにタミフルを飲ませなかった(処方箋に朝晩と書いていたから・・・と彼は言うが、日曜日に3番目に帰宅後すぐ飲ませているの知っているじゃない!何のためにわざわざ「飲ませて」っていたのさっ!確かに君も具合は悪いかもしれない、一生懸命面倒を見ているのも判るけど、迷ったら電話を頂戴よっ・・・彼の言っていることももっともだけど・・・感情論だね。でも、早ければ早いほどタミフルは効果があるんだもの。)のが、原因ではないだろうが、4番目の熱は下がる様子がない。明日中に下がってくれるといいな・・・・。 夕方、2番目が、だるい(北海道弁?こわいともいうけど)と言っていた。 人口の2/3がやられる日が近いってことかぁ・・・・?
2003年02月25日
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家族の中で高い熱が出る風邪をひいたものは今までいなかったのですが・・・・・。 昨日、帰宅したパートナーが帰ってくるなり「調子悪い、のど痛い」と、食事をした後ベッドに入ってしまった。 今朝目覚めて検温すると、熱はない。しかしどうにも調子がよくないと、病院へ出かけた。インフルエンザではなかったらしいが、その後も徐々に熱は上がりつづけ、午後11時頃は38度。 食欲はあるが、だるさは抜けないらしい。明日は熱が下がっているといいな。 3番目も38度であるのは変わらないのだけれど、子どもは元気。うちの子は、どの子も38度台では寝ていてくれない。でもだからと言って、普通ではないから、用心しつつ過ごしている。幸い薬を嫌がらずに飲んでくれるので、楽だ。 4番目は相変わらず中耳炎の薬を続けているが、なかなか水が抜けないらしい。そのせいか、「アンパンマン」は「アンマンマン」こっちも早くきれいになって欲しい。
2003年02月22日
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先週、日記を更新できなかったのは、結果が気になっていたわけではない。 先日、肝機能検査の結果が送られて来た。 結果は・・・異常なし。 ほっとした。こんな小さな子どもがゴロゴロいるって言うのに、病気になんかなっていられないのだ。 それにしても、脂肪肝もなければ全くなんともないと言うのは、この歳ですごいことかも。だからと言って、調子に乗って呑んでいてはいけないのだけれど。 肝臓にほっとしたら、今度は体重が心配になってきた。これだけは、精進しかないよな・・・・。正月太りが定着してしまった・・・・らしい。
2003年02月21日
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これについては昨日の日付で書いたけど、書いているうちに本題とずれてきたので、改めて書いていると言うわけ。 なぜ、コンビ二検診をしようと思ったか。1、去年私は育児休業中だったので、職場の検診を受けていない。2、ほとんど休肝日がない。1日350ml缶2・3本3、最近ビールがおいしくない。4、コーヒーよりお茶が呑みたい。 「ビールがおいしくない」と言いつつビールを飲んでいるが、一番「やばい」と思ったのは「4」 今のとこに転勤する前の上司が肝炎から肝臓ガンになった。手術から回復して職場復帰して、よくみんなに「お茶」をご馳走してくれたのだが、そのときの話を思い出した。 「いやー、よくあんな小さいの(ガン)見つかったよな。あの時、おれ緑茶より、ほうじ茶が口に合ったんだ。」 コーヒー党の自分が、紅茶や日本茶に手が出る。まるで、妊娠中みたいに。(私だけかもしれないけれど、妊娠中は4度とも、コーヒーが飲めなかったのだ。香りは「いいなー」と思うのに。) 「嗜好が変わった」と言うことに少なからず不安を抱いて、でも検査に行く時間が私にはない。パートナーに余計な心配をかけたくない。でも、今年の検診を待つ精神的余裕がない。 それで「コンビ二検診」 昨日の夕方、発送した。結果はどう出るのか、不安でもあり、興味深いものもあり。そのときはまた、ここに書きたいと思う。
2003年02月11日
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今日初めて、コンビ二検診なるものをやってみた。 土曜日に届いたキットの説明書どおりに採血し、検査機関に送るのだが、採血のときの「ちっくん」を自分でやるのに、ちょっと思い切りが必要だった。注射を「してもらう」のはぜんぜんOKなのに、自分で針をさすのは(一瞬のことなのに)「決断」が必要だった。 低血糖で何度かやってきたⅠ型糖尿病の子供のつらさが、ちょっと分かった気がする。頭の中で理解しているつもりでも、それは本当に気持ちだけなんだ。・・・これで患者さんを理解したつもりになっていちゃいけないね。 日々是精進。
2003年02月10日
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私の親は昭和11年生まれの父と、18年生まれの母。 幼少の頃は色々とあったけれど、今はその頃よりは穏やかに過ごしているらしい。 弟の連れ合いのお母さんが先日亡くなった。 彼女は高校生の頃父親を既に無くしている。未婚の弟さんがいる。 私の弟とはいわゆる「出来ちゃった結婚」6年生の女の子と2年生の男の子がいて、看護婦の仕事を再開した。 家族の始まりの形が、その時代の親にとって衝撃的だったので、ずいぶん反対もされ、本人も悩んだ末の結婚だったと思う。新しい命を尊重する立場もあっての結婚だったのかもしれないとも思う。 弟と同い年の彼女は、もしかしたらずいぶん弟のわがままに付き合ってきたのかもしれない。そう思うと、私は彼女に同情するやら、色々複雑な気分。 弟夫婦ということもあり、あまり交流はないのだけれど、心配しつつ見守る立場をとっている私達。小姑の立場である私は、うるさく出るべきではないのだ。 それにしても、両親がなくなったという事実、そのさびしさは私の想像の域をはるかに越える。殊に母親を失ったというのは、耐えがたい苦しみにも似て、彼女の気持ちを思うと、言葉を失う。 祖母を送る母の姿が思い出されて、なんとも切ない。 誰もが、親との別れがやってくる日を想像しつつ、信じられずに過ごしているのかもしれない。自分の死は現実と思っても、親の命は永遠だと。同じく、我が子は自分より必ず後だと。 私のところは夫の親も自分の親も、幸いなことに健在でそれがあたりまえのように過ごしているが、新聞のお悔やみ欄に親と同年代のかたがたの広告を見ると現実を目の当たりにするようで、なんともいえない気持ちになる。 今はただ、弟の連れ合いの悲しみが癒される日が来ることを祈りたい。
2003年02月07日
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先日、姫が怪我をした。 先に入浴をしていた私を追いかけて脱衣場に来た時に、流しに手をかけて、その裏側(こんなところで?って感じ。全くの盲点)で指を切ったのだ。 泣き方がひどかったので、「どうした?」とドア越しにパートナーに叫ぶと、 「あーーーーーーーーーっ、きれてるーーーーーーーーっ。」 左の親指の内側を1センチほど。小さい子どもの指なので、幅いっぱいって感じ。 痛がって泣いているのでパートナーに押さえてもらい、兄1号にマキロンとティシュとバンソウコウを持ってくるよう頼む。後ろから覗き込む兄2号3号。 泣いている姫の手当てをし、バンソウコウの上から抑えているようパートナーに頼む。 この日の姫の入浴はなし。お尻だけ洗う。 実は、パートナーは「血」に弱い。部活でパンチを受けたときに出る生徒のは何ともないくせに、予期せぬ出血には本当に弱い。予期していても、だめなときもある。(昔二人で献血をしていたら、貧血で中止になったこともある。) ましてや今回は、小さな姫が生まれて初めての怪我をした、それも私の目が届かない、「自分だけのときに・・・・・」という思いが、彼を責めたらしく、その日はブルーな気分だったらしい。 それでも、子供という生き物の回復力は驚くほど早く、翌朝は怪我をしたほうの手で、手づかみでご飯を食べていた。 姫の出血を見た瞬間、「お仕事モード」になった私。 とりあえずホッとしたものの、本当に考えられないところで事故はおきるものだな、気は抜けないな・・・と反省も含めて思った出来事。
2003年01月31日
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3番4番と同じ保育園に子どもを通わせているお母さんで、うちの小1の2番目と同じクラスに長男がいるお母さん・・・。 「あなたにあいさつしているのよ!」って距離で話しているのに、反応がない。それがたびたびなので偶然とも思われず、無視されてんのカナ?と思う位。 無理やり視線を話している感じ。でもしっかり視界には入っているっていう目の位置。 私を知らないはずはないんだよ。 無視される覚えはないんだけどな・・・・。 悲しくなっちゃう。
2003年01月25日
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このお正月、ディズニーランドへ行って来た。北海道人がよく選ぶ6日以降コース。 東京方面の新学期が始まっているだけあって、アトラクションは1・2回待てば楽しめると言う状態で、結構スムーズに行動できました。妹夫婦と、実家の母とで総勢12名の団体さま。 上の子チームは存分に楽しんだ様子。下の子チームはずっとおんぶでした。私は2回目だけど、子ども達ははじめて。パレードは私も初めてだったので、オドロキの感激。5年後に、出来ればもう一度行きたいと思います。長男の受験前ということと、4番目が6歳になっていて、自分で歩いてくれるから。 ここからこれだけの人数で異動してあるくのは大変だけど、まあ、何とかなるでしょう。
2003年01月24日
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あの日の「その時」は夜中だった。 私は授乳後寝かしつけのためにいすの上で揺れていたので、隣室の夫が「お姉さん(と当時呼ばれていた。8歳も年下なのに。)地震だ」と教えに来るまで揺れていることに気が付かなかった(寝ぼけていたわけじゃない)。 北海道の真中でも渦を巻くような揺れ方がしばらく続いた。今まで自分が体験した揺れの中でも一番激しい揺れを感じて、「ただ事じゃない・・・・」と感じていた。 すぐにテレビをつけた。 北海道がぐるりと一周、津波注意報だ。日本海側は警報が出ている。揺れが収まった今、とりあえず津波の心配がない私は受話器を取るが、当然つながらない。 時間の経過とともに、実家や妹、弟には被害がなかったとわかったが、島の被害の大きさに、言葉を失った。 北海道南西沖地震 そのときの同僚の母親が、たまたまこの時島の観光に訪れていて命を失った。北海道人には忘れられない出来事。 家族の中で一番震源地に近かった小樽の妹の後日談。 「いきなり揺れがきて、とっさに娘(生後一月とちょっと)の上に覆い被さったら、その上から夫がかぶさって来て・・・。・・・・・揺れながら、この人と娘とこのまま死ぬんだったらそれでもいいやって思った・・・。」 妹を守ってくれた彼に感謝。
2003年01月18日
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朝、テレビをつけてからしばらく動けなかったあの日。 刻々と時間が過ぎていくのに、画面から伝わるのは「大変なことになっている」ということで、なかなか正しい状況がはっきりしなくて。 知り合いの安否も心配だったが、今このときにも消えかかろうとしている命の数々をを想像すると、愕然とするしかなかった私。 二人目の命が宿ったばかりだった私には、さまざまな思いが胸のうちを駆け巡り、涙を流すことしか出来なかった一日。 その後の報道で伝えられる状況は、想像を絶するものばかり。 新婚旅行で訪れた街が跡形もなくなり、通ったであろう高速道路が崩れ、復興は遠いことのように思われた。 子ども達が大きくなった今、テレビで報道されるこの事について、私が知っている限りのことを伝えている。そこには私の想像も充分反映されているのだが、母親が子どもを思う気持ち、兄弟を思う気持ち、親を思う気持ちは痛いほど判る。だから涙を流さずにはいられない。 心の中で、手を合わせるこの日・・・・・・・・・。
2003年01月17日
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竹野内豊・元TMRの西川くん・中尾彬・平井堅などなど。 声フェチなんて使い方があるかは判らないが、私には、お気に入りの声がある。話しているときの声が特にいい。 芸能人ばかりではなく、職場や店員さん、特に親しくなくても、「あ・・・いい声・・・。」と聞きほれてしまう。 「1/fゆらぎ」というか、癒しというか、気分が良くなる声ってあると思う。なんだろうね、これって。
2002年12月20日
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人の前を行くのは苦手。 自分には似合わないって知っている。先頭に立って何かをやるってウツワではない私。 だからと言っては何だけど、幸せそうな人の背中を見るのは好き。なんだか自分も幸せな気分。 もう15年以上も前、卒業式の打ち上げで友達と打ち上げに出かけて、最終の地下鉄に乗るために地下街を歩いている友達のうきうきしてて、寂しさも混じっていて、全く「今だけ」って背中を覚えている。 自分の背中だけは見たことがない。 今の私は、どんな背中?
2002年12月13日
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寒い。 最低気温も最高気温もマイナスだ。窓には完全に花が咲いている。(ガラスに氷が花のように模様を描いていることを、ここではそう言う)二重の窓の外側に、びっしりと。外の景色は見えない位。 10年前、仙台に行った時に、窓が一重だったのにはびっくりした。本州のどこらあたりから窓は一重なんだろう? 北海道人の素朴な疑問。
2002年12月12日
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昨日私はお泊りだった。 一泊の出張でいなかったことはある。しかしその時は、実家の母に来てもらっていた。 昨日は初めて、「お父さんと子ども達の夜」だったのだ。 ちょっぴり心配だったけれど、思い切って出かけた。あえて電話はしなかった。電話口でお互い(特に次男)寂しくなることが判っているから。 帰宅して開口一番、夫は言った「1番2番がとっても頑張って手伝ってくれたんだ。昨日は9時前にはみんな寝ていたんだ。」 知っている。君の出張の日はみんなそうだったんだ。 どちらかがいなければ、子ども達は「自覚」して動いてくれる。時々の事なら「成長のチャンス」と考えていいと思う。本当に頑張ってくれて「よく気が付く子」になっている。 「お父さん、私がこの子達を褒めちぎりたくなる気持ちが、判ったでしょう?君の数々の出張の時に、この子達がどんなに助けてくれたか。・・・私はいいから、子ども達にご苦労さんって言ってあげてね。」
2002年12月05日
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ゴスペルは好きだ。 この日私は初めてVOJAのコンサートに出かけた。 良かった 歌いたくなった もともと合唱が好きだったけれど、なかなかサークルに加入も出来ず。そのうち子どもが出来て忙しくなって。 自分のためだけのコンサートに行ったのはしばらくぶりだったので、気分が良かった。アンコールでみんなで歌った「清しこの夜」も良かった。 やっぱりゴスペルはいいね。 VOJAの皆さん。 上のほうから会場の様子も見ていた私は、はじけたい人たちをたくさん見つけておりました(自分も含め)、しかし、道産子は、いかんせん「恥ずかしがり屋」も多く。 道産子達は、確かにコンサートを楽しんでおりました。ある意味「勉強」もしておりました。響きの美しさに感動もしておりました。楽器の音色に聞き入っておりました。 何度も来て下さい。楽しみ方を、きっかけを与えてください。 また行きたいです。
2002年12月04日
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今朝、パートナーと1・2番が映画を見に出かけた。勿論「ハリー・・・」。本当は私も一緒に字幕のほうを見に行く予定だったんだけれど、3・4番の登園時間を考えるとなるべく早く行った方が良かろうということで、今回は我慢です。 去年のクリスマスに「ハリー」の本2冊と吹き替え版のVDを買ったのですが、読書嫌いの長男はこの秋まで「飾っておくだけ」。VDはよく見ていたのだけれど。 それが、映画の第2作目の宣伝が始まった頃、なんとなく本を開いている。「チャンス!」と思って言いました。 「2冊目を読み終わったら、映画行こうか?」 効いたねこれが。 交換条件といえばそうなるし、本を読ませようとする大人の意図がバンバン感じられるけれど、今まで漫画の本さえ読まなかった彼が、あの2冊を自分から進んで読んだということはすごいと思うし彼の自信になったと思う。 これをきっかけに本が好きになってくれれば言うことはないけれど、そこまで要求はしない。 今ごろは、どの場面なんだろう。どんな顔をして見ているかな・・・? 帰ってきたら、感想を聞いてみよう・・・・。
2002年11月30日
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去年までは極力出張は辞退していた夫。異動した今年は、そんな事も言ってはいられない。 11月の始めには関西方面へ修学旅行5日間。今日からは、約4日(新人戦なので、負けたら「お帰りなさい」)。自分の母校に、自分がやっていた部活を指導するために異動したようなものなので、部活関係は外せないのだわ。 子どもたちも寂しがるけれど、お仕事だからね。 私?私だって同じさ。 先日の関西方面の出張を5人で乗り切った私にとっては、今回の出張もたいしたことないんだけれど、ただひとつ、雪かきが・・・。きっと1番2番が喜んで起きてくるだろうけれどね。日中だけで、今日は10センチ位降った。北海道人だもの、驚かないけど。 もう根雪だね。
2002年11月21日
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今日は、あんまりこれまで登場しなかった次男について。 うちの次男は、小学1年生。きかん気が強く、2歳上の兄には勿論、4歳下の弟にも突っかかっていく。喧嘩で手が出ることもしばしば。納得できないことにはとことん抵抗し、父親にもポカッと蹴りを入れる。激情型というか、血が上ると周りが見えないというか・・・・・。 そんな次男は、今のところ4人兄弟の仲で一番感受性か強いというか、寂しがりや。 今日から来週の水曜まで、パートナーは修学旅行の引率だが、お布団に入る頃から次男は枕に顔をうずめている。ウルウルの顔を見られたくないのだ。飲み会でパートナーがいないときも、私が遅くなる数少ない夜も、必ずといっていいほど彼は涙ぐむ。 今回は駄目押しのように「お父さん飛行機が落ちたら、帰って来れないからな」なんて言われたものだから、もう、日中から墜落の心配をする始末。お布団に入って「お母さんの隣がいい」と、くっついて来る。 思えば、彼は三男の出産で私が入院した次の日から、しばらくの間、緊張するとオチンチンを「ギュッ」と、し始めていた。手伝いに来てくれていた私の母に、「多分わたしがいないストレスだと思うから、ちょっと優しくしてやって。」と、頼んだくらいだ。 長男の幼稚園の卒園の次の日から、それまでしなかった「おねしょ」を始めたのも、びっくりだった。彼は環境の変化に敏感なところがある。 去年の長女の出産のときも、彼は私に抱っこされたくて、でも素直に言えなくて、挙句の果てにパートナーにしかられた。私に抱っこされて、泣いたのは言うまでもない。その時は、私もついパートナーに、「次男だって今くらいしか私にくっついていられないじゃない、家に帰ったら三男が私にくっついて離れないんだから、わかってあげなよ!」と、つっかかってしまった。後から、反省したけどね。パートナーも、私の母がいる事で、少なからず気を使っているのだから・・・と。 どの子どもも同じように大事だけれど、下が出来るとなんとなくかまってあげられる時間が少なくなって。それでも長男は「お兄ちゃん」として、頼られる存在なのだけれど、次男は半端な位置なのだ。「僕も!!!!」と要求されて、「あ、彼も役に立ちたいのだ」と、あえて名指しで用事を頼むこともしばしば。そして、オーバーな位に誉める。勿論スキンシップ付きで。 かまってあげられない分、長男よりも早く独り立ちをしてしまいそうな次男。これからは、「次男だけ」と過ごす時間も多くしてあげたい。 うちのパートナーは、子供はとても大事にするが、子どもの気持ちを推し量って行動することはあまり得意ではない。つい、自分が計画した通りに子どもも動かそうとする。そのあたりが、次男と衝突する原因なのだけれど。
2002年11月09日
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火曜日にやっと4番目の「はしか」の予防接種に行ってきた。一緒に3番目の「風疹」も。3番目はやっぱり、痛いのわかっているから嫌がって、針を刺したときは我慢できたけど、ワクチン入れ始めたら我慢が出来なくって大泣き。4番目は、すぐに泣き止んだけど。 水曜日に4番目が発熱。きっとかぜなんだろうけれど、注射の後の発熱にはちょっぴりビビってしまう。 パートナーが介護欠勤を取ってくれて1日付き合っていたら、私が帰ってきたときは、彼がぐったり疲れていた。私とは気の使い方が違うので、「怪我をさせたら困る」と、気持ちが休まらないんだな・・・・。 切り替えるきっかけに、3番目をお迎えに行ってもらいました。「後片付けをしているほうが疲れない・・・・。」と、晩御飯の片づけまでしてくれて。君の気持ちは良くわかるよ。私も1番目の産休中はそう思った。 今日は夕方4時ちょっと前に、「4番目ちゃんが38度ですー。」と電話が来てお迎え。鼻水がひどくて大変。咳も増えてきたみたい。明日は1番目と一緒に病院。 夜お布団に入って、土曜日から修学旅行の引率に行くという話をしていて、「飛行機落ちたらお父さん帰ってこないんだからな。」と何気なーく言っただけなのに、次男はもう涙ぐんでいる。感情の起伏が激しい彼は、しかられるとパートナーに突っかかっていくのだが、起伏が激しいということは、感受性が強いというか、なんと言うか、誰かがいない(お泊りとかで)と、寂しがってよく泣く。時々手が付けられないくらい怒り狂うが、かわいい奴なのだ。 なんだか雑記帖のような私の日記。
2002年11月07日
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冬が来る前に、庭の鉢を片付けなければ・・・・。ご近所さんは既に片付けは済んでいて、うちだけがジャングルのよう。ごめんね庭よ畑よ。仕事が始まってからは、手をかけられなくなって、悲しかったろう。 ここは四方を山に囲まれた土地で、山頂から中腹まで既に白くなっている。来週のはじめには雪が降るらしい。車のタイヤは、パートナーが交換してくれるだろう。毎年春と秋、自分で2台やってしまう。点検もきちんとやってくれて、私は乗るだけ。ここ数年、燃料はおろか、ウォッシャー液さえ入れたことがない。有り難や。 どうせ雪が降るなら、早いとこ根雪になってほしいな・・・。そうしたら、どこに寝ようと転ぼうと泥だらけになることはないのよ。子どもたちも雪遊び大好きだしね。姫も今年は雪の冷たさや楽しさを感じられるかしら・・・・。 若い頃勤めていた町の隣町の郵便局では、「雪だるまの郵パック」ってのがあって、郵便局の上に大きい雪だるまの模型?がある。「雪だるまのゆうパック」大ヒットしたらしい。 年が明けると、ふるさとには流氷と一緒に「クリオネ」がやって来る。一面流氷というのは結構感動もの。
2002年10月25日
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今日のことではなく、あくまでも私が覚えていたいので。 今週の初め、「おー、これは言い当てている!」という言葉に出会った。 「正しい戦争は、ない」 たったこれだけのことなのに、なんて心に響く言葉。 誰だって夫を、我が子を、恋人を失いたくない。 「第九条」はちょっと難しいけれど、端的に一言 「正しい戦争は、ない」
2002年10月19日
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今日は職場に「児童思春期精神医学」の先生が来て、お話をして下さった。難しい話からはしばらく離れていた身には、少々パンクしそうな内容であったが、やはり専門家の話は勉強になる。ついでにあたしの悩みも聞いて!って感じ。 私も専門性がしばしば問われる職種である。日々反省。新卒は新卒の、中堅は中堅の悩みや反省や迷いがあるわけで。迷いつつ悩みつつ進むしかないのだけれど。 この仕事を知れば知るほど「私がここにいる意義は何?」と悩み、「私でなければならない事」を模索している。ひたすら走ってきた新卒時代とは違う。中堅は「出来て当たり前、あんたでなきゃダメなものを持つ」事が、要求される。 産休に入るときは、「本を読もう」と思うのだけど、やっぱり子供中心の生活になってしまう私。仕事も子育てもバリバリ出来る人って、やっぱり休んでいるときに勉強するんだろうな・・・。 これを読んでくれた人、くだらないことで落ち込んでいるなーなんて思うかもしれないけれど、ごめん、ちょっと吐き出させて。 今自分に足りないもの、専門性を高めるための研修。あたしには勉強が必要なのよ。でも待っていてはくれないの、いつでも現在進行形。 ああ、勉強がしたい・・・・。
2002年10月18日
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髭の男が「かっこいい」と初めて思ったのは、この仕事を初めてすることになって、筋向かいに机があった人を見て。 髭に・・・と言うより、その人が仕事をするときの仕草や雰囲気が良かったのかもしれない。細身色白の「鈴木雅之」って感じだった。多分10歳くらいしか違わなかったんだと思うけれど、「大人の男」って感じだった。 髭の男に初めて恋心をいだいたのは、それから2年位経ってから。これはもう全くの片思い。オーケストラでチェロを弾いていた人。何度か友達と聴きに行っているうちに、自分の中で気持ちがふくらんでいって・・・。しばらく心に思っているうちに自分が遠くに行くことになり、コンサートにも行けなくなり、自然に忘れていた。 結婚しても、髭の男はやっぱり格好良く見える。どんなのでもいいんじゃなく、「鼻の下」限定。一度パートナーにのばしてもらった。やっぱりいいんだなあ・・・これが。うちのパートナーは、元々ほっぺの髭が濃い方ではないので、たいした手入れもいらず、いい感じだったのに、本人は「嫌だ。」ってんで、さっさとさっぱりしてしまった。 先日、結婚後初めてコンサートに出かけた。夫と長男と。 チェロの彼の事なんてきれいさっぱり忘れていたから、指揮者の真ん前にいた彼を発見して、「昔の男(古い・・・)」に会った気分。片思いだったから私だけが密かに懐かしがっていた。「昔より偉くなったんだ・・・。」なんて。 そして、もう一つ気がついた。 私は「指の細い男」にも弱いと言うこと。 でもこれは、パートナーには頼めないよな・・・・。ペンチとドライバーが商売道具だもん。 ひとつ確認して置くけれど、私はビジュアルからはいる人ではありませんよ。
2002年10月17日
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昨日、うちの姫が初めて一歩歩いたそうで。 今日、うちでも見せてくれて、嬉や嬉や。うちではついつい抱っこしてしまって、彼女の「歩く機会」を奪っていたのかもしれない。細身で(これはこれで心配だけど)身軽な彼女なので、とっくの昔に歩くことは可能だったのかもしれない。 暢気な母を許して遅れ・・・・ってかんじ。 姫の保育士さんはとっても信頼できる人。仕事を持つ母が、朝忙しいことをよくわかってくれて、なかなか私から離れない三男を上手く誘って「行ってらっしゃい」を言わせてくれる。この保育士さんが朝いると、ほっとする。去年の担当の人は「見て見ぬふり」をするひとだったから(彼女なりの考えがあったとは思うのだけど、朝は1分でも貴重なのよ。ギリギリになってしまう私も私だけど、どうやっても夜遅くまで眠れない三男を出来るだけ寝かせてあげたい母心を解ってくれよ!・・・って、このことについては今度ゆっくり吐き出したい。)、本当にありがたい。 どんどん歩けるようになって、早く「歩き」のお散歩できるようになればいいな。
2002年10月10日
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