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それでは、肝心の司書さんは読書週間の今、何を読んでいるのか?と言いますと、一昨日買ってきた『コミックビームfellows!(2)』(なんで表紙画像がないんじゃ~!Am●zonにはあるのに・・・)の『シャーリー・メディスン』を読んで悶絶している状況です。何しろ『エマ』の森薫さんが6年ぶりに描いた新作で、13歳少女メイドが主人公という作品ですからね。買ってきて38ページを一気に読んでから、単行本の『シャーリー』を引っ張り出してきて、あぁ、ベネットさんの顔が変わってる、とか「6年間の間に腕をこんなにも上げたのか~」と時の流れを改めて感じたりして、しみじみと何度も読み直ししているところです。なにしろ、『コミックビームfellows!(2)』の表紙にドッカンとシャーリーとベネットさんの絵が描かれていて、表紙中央下部には「待望。」との1文字が書いてある状態です。この「待望。」という言葉は、多くの森薫さんのファンの方々の心境を代弁しているものだと感じましたが、どうですかね?それでは、『シャーリー・メディスン』の物語の中身をさらっと紹介してみましょう。まずは、物語の構成から。最初は、初めて『シャーリー』を読む人用にシャーリーとベネットさんとの関係を紹介したイントロ部分が7ページあります。「ベネット・クランリー(28)が営むカフェ“モナ・リザ”は近所でも評判の店である」と花と葉っぱで縁取られた表題から始まる『シャーリー・メディスン』。近所の「気の向いたときに開けるんだろ?」とか「けっこう早仕舞いだよな」とか、警棒を肩に当てたボビー(巡査)に「ああ、あのじいさん達の店?」言われ、新聞売りの子どもに「キレイな人ですよね!」とこぶしを握って力説される、色々と「曰く」のあるカフェを経営しているベネットさんは、この後色々と反論、「朝は9時には開けてるし・・・」云々としていますが、それは常連のパイプを噴かした爺さんに「最近は な」と言われるように、つい最近間では評判の通りの経営をしていたのです。そう、メイドを雇うまでは。そのメイドさんが、シャーリー・メディスン、13歳だったわけです。なぜ、歳の若い彼女がベネットさんの家で働く事になったのかといいますと、メイドを雇おうとたまたま出した新聞広告にベネットさんがうっかり年齢制限を書き忘れたので、13歳のシャーリーが応募してきたわけなのです。そして、ベネットさんにとって運が良かったのが、シャーリーが年のわりにはよくできた子であったので、今ではすっかり家事全般を任せて頼り切っている状態になっている、そんなふたりの日常を描いたのが、この作品であるわけです。次は、本編第1話になるのですが、食品庫(パントリー)を掃除していたらシャーリーが古いレコードをいっぱい見つけて、ベネットさんが屋根裏部屋から蓄音機を出してきて、レコードをかけてそれを聞いているうちにベネットさんがひとり軽やかに踊りだして、シャーリーにも踊り、ステップを教えてふたりで調子にのって一晩中踊りまくった、と言うお話です。さすが、よいお家の出のベネットさん。ステップも軽やかに、シャーリーに上手にダンスを教えています。ただ、調子に乗りすぎたベネットさんは、翌朝、足が痛くて立ってられなくなってしまい・・・。一方のシャーリーは、レコードをかけながら昨晩習ったステップを軽やかに踊りながらはたきをかけたいたりしています。その様子が、可愛らしくて、モウ!と言う感じです。そして、第2話の間に、interludeは2ページ挟まれていて、食料品を仕入れているお店のおじさんからベネットさんがワインの入っていた空き箱をシャーリーのためにもらってくる、と言うお話が描かれています。この木箱、その食料品店で一番高いワインが入っているそうなのですが、シャーリーがその上に立つと、台所の机で仕事をするのにちょうど良い高さになるので、ベネットさんがもらって来ているわけなのですよね。第2話は強い風の日のこと。雨でも降ってきそうな雲行きなので、シャーリーは慌てて洗濯物を取り込むのですが、雨が降ってきて嵐になったのに2階の窓が立て付けが悪くてシャーリーひとりではでは閉まらなくて・・・、というお話です。嵐で、早めにお店を閉めて帰ってきたベネットさんを鍋蓋を両手に持ったシャーリーが出迎えて、窮状を説明するのですが、何故シャーリーが鍋蓋を持っていたかと言いますと、風で書類が飛んでいったのを押さえるためだったのですよね。人間、あせると濡れないように、まとめて他の部屋に濡れてはいけない物を避難させるということが頭に思い浮かばないものです。幸い、窓は内側からふたりで思いっきり叩いてどうにか、閉めることが出来たのですが、その時には部屋はグシャグシャ、ふたりはずぶ濡れ、という有様で、ベネットさんが「・・・まずは、着がえかな」と言って、シャーリーが「はい」と答えています。この話は最後「次までに窓をなんとかしないとね…」というベネットさんの言葉で終わるのですが、その時のベネットさんの髪をおろした姿がなんともいえません。また、ふたりしてそれぞれの部屋から嵐がおさまり満天の星空を眺める姿がまたなんともいえない良い雰囲気をかもし出しています。どの話もどうということはない日常のお話ですが、森薫さんのどの作品にも言えることなのですが、何ともいえない味わいがあります。あと気になるのは巻末のコメントです。「久しぶりのシャーリーでしたが、ぜんぜん久しぶりな感じがしませんでした。やっぱりちょっと描き足らなかったので、こんな感じで時々描いていけたらと思います」だそうです。ファンとしてはぜひともなるべく短い間隔で『シャーリー』を描いていって欲しいと願う次第であります。あと、この『コミックビームfellows!(2)』。『シャーリー』目当てで購入したのですが、他の漫画、佐野絵里子さんの『嵯峨野の月影~竹取物語絵伝』や湯浅ヒトシさんの『剣姫』、えなまなえさんの『なつのさかな』など、他の漫画も結構面白くて、その他収録されている作品の内容でこの価格は「安いな」と思いました。それにしても、森薫さんの新作『シャーリー・メディスン』。6年間待ったかいがありました。いや本当に!久々に、コミックを読んで充実した気分を味わえました。皆さんも、是非『シャーリー・メディスン』をお読みになってください。
2006年10月28日
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今日は、「文字・活字文化の日」で学校図書館にとっては夏休み前の貸出と並んで最も重大な行事でもある「読書週間」の始まりの日でもあります。そして、今日はこの濫読屋雑記を開いてからちょうど1年目に当たる日であるのですよね。いや~、この1年間、パソコンが壊れたり、鬱に罹ったりと、散々な目にあってきましたが、なんとか1周年を迎えることができ、来訪者も2万人を越える事ができました。これもひとえに私の乱雑で適当な文章にお付き合いくださった皆々さまのおかげであり、深謝する次第であります。さて、今年の読書週間の標語はこれまでと少し趣が変わって「しおりいらずのいっき読み」というものです。なかなか、良く出来た標語だと私は思っているのですが、皆さんはどう思われるでしょうか?この読書の秋の夜長に文庫などのかるい本を、という事で図書室では『キノの旅』や『しにがみのバラッド。』のような短期間で読めるライトノベルや、星新一さんのショートショートに、芥川龍之介などの古典の短編集を並べてテーマコーナーを作って展開しています。ラノベは、元々人気のあるジャンルですが、『半分の月がのぼる空』の作中に出てくる森鴎外とかの作品と並べて展示しておくと、意外と小難しい本でも興味を持って借りていってくれる生徒がいるので「シメシメ、狙い通りに引っかかってくれてるな」と密かにほくそ笑んでいる今日この頃です。 〈次ぎに続きます〉
2006年10月27日
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夜中に急に目が覚めてしまい、ちょっと寝付けそうに無いので、最近手を付け始めながら鬱の所為で中々読み進める事ができない本の一覧を並べてみる事にしました。まずは、飛び道具、とくに鉄砲大好きな私にとっては魅力ある題名なので購入した、アルフレッド・W・クロスビー著、小沢千重子訳『飛び道具の人類史 火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで』(紀伊国屋書店、2006年5月)です。この本では、人間は直立二足歩行や火を扱う能力だけでは無くて、「ものを投げる能力」によって人類が今日の発展を得る事ができた、と説いています。つまり、飛び道具(投石、弓矢、大砲、銃、ロケット、原爆、人工衛星、惑星探査機などなど)をつかって遠く離れた場所に変化を生じさせること、(まぁ要するに狩の獲物や戦いでの敵を殺したり、防御施設を破壊する事ですね)への飽くなき探究心こそが歴史を形成してきたのだと、この本では述べられているのです。本の帯には「人類進化の足跡から、戦争のスタイルと軍事技術の変遷、惑星探査や宇宙開発まで(ロケットも飛び道具ですからね)、壮大なスケールで描く画期的な人類史」と謳っています。「ものを投げ、火を飛ばすことで人類はかくも繁栄した!」という主張はなかなか面白くて、読み応えがあるのですが、如何せん、集中して読むことが出来る日が少ないので、まだ本の半分、ようやく火薬が出てくるところまでしか、読んでいません。次は、藤田昌雄著『激戦場皇軍うらばなし』(光人社、2006年4月)です。この本では、極限の状況下に置かれた帝国利軍の第一線の将兵たちの不屈の戦い―物資の補給が途絶えた最悪の戦場で、創意工夫をこらして究極の戦術、戦法、兵器を考案し、奮闘をかさねた日本兵たちの、本当に涙ぐましい努力を紹介し解説した本です。そこには今まで語られることのなかった糧食の現地生産・調達、兵器の現地製造、山岳戦闘の研究、渡河方法、対戦車戦闘、現地輸送の詳細を未発表のマニュアル・図面、未発表史料、未発表データ一覧によって明らかにする帝国陸軍の戦場での知られざる真実を暴き出した秀作です。それにしても、この本を読んでいくと、帝国陸軍は第二次世界大戦前の旧式な兵器でよくまぁ、あの最新式(最も本当に最新式の装備は対独戦へ投入されたのですが)の兵器と装備で武装し、大量の物資を補給する事ができた米軍相手に戦争が出来ものだと、感心するばかりです。この想像を絶する悲惨な帝国陸軍の状態を紹介したこの本については、読み終えたところで切々と紹介&解説をしていきたいと思います。続きましては、今の状態からするとなかなか良いペースで読んでるが兵頭二十八・別宮暖朗著『技術戦としての第二次大戦(日本vs中ソ米英篇)』(PHP研究所、2005年10月)です。これは、公立図書館で取り寄せをしてもらった本なので、期日の15日以内に読み終わらないといけなので、せっせと読んでいるのですが、いや~、本当に日本陸軍は参謀以上の高級将校の硬直した思考で前線の将兵たちや、現場の意見を無視した兵器の開発をしていたのかが、良く分かる一冊ですね。当時の日本陸軍の装備では、何とかドイツ式に訓練された中国の国民党軍相手なら勝負が出来たのですが、ノモンハンでは日本の戦車隊の勇戦も空しく、高級将校たちの第1次世界大戦以降の軍の機械化を理解していない硬直化した思考が原因で、それにソビエト側の物量(とくに戦車!)の前にあっけなく1個師団が壊滅的打撃を受けたのかが良く分かりました。他にも、米軍や英軍との日本の軍事技術力対比を陸戦兵器を中心に詳細に検証してあり、日本の敗因は一体どこにあったのかということを、軍学者を称する兵頭さんと歴史評論家の別宮さんの該博な知識と知識が対決する白熱の対談によって、帝国陸軍という組織と大日本帝国が如何にして戦争に負けざる得なかったのかを明らかにしていく過程が面白い1冊です。とまぁ、今このような本を読んでいるのですが、他にも、前回紹介したコミック『パンプキン・シザーズ』や、本を眺めているだけで癒される『“グロースドイッチュランド”師団写真史』(大日本絵画、1995年5月)、『パンプキン・シザーズ』に触発されて、今日図書館から借りてきた『ドイツ装甲部隊全史(1)』(学習研究社、2000年3月)に、これもツイツイ今日借りてきてしまった、『トム・クランシーの海兵隊(上)(下)』(東洋書林、2006年8月)などがあって、貸出期限内に読みきれるのかな~、と思いつつ、今から夜明けを眺めながら先に紹介した本の中からどれか1冊選んで読書をしようと思います。鬱に罹ってから、夜中に目が覚めると本当に眠れなくなってしまうものですから。
2006年10月24日
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はい、昨日は重苦しいお話をしたので、今日は軽い話でいきましょう。今日、家に帰ってきたら楽天ブックスより、注文したコミックとCDが届いていました。コミックの方は、岩永亮太郎さんの『パンプキン・シザーズ』の既刊5冊を買いました。我が家では幸いアニメの方の『パンプキン・シザーズ』が視聴できるので、歴史物・軍隊物は必ずチェックしている私にとっては、すご~く気になる番組でしたので、早速第1話を録画したを見たのです。そして、中々良く出来ているアニメだったので、原作の方はどんなものなのだろう?と思い、早速発注をかけたのが今日届いた、という次第です。アニメの方は、作っているのがGONZOだったので、その辺りからもこれは「当たり」の作品かな、と思って第1話を見たのですが、いや~、良かったですね。第二次大戦前夜のいかにも「戦車」というような戦車といい、陸情3課の面々が使用している偵察車両がフォルクスヴァーゲンのシュヴァイムヴァーゲン(第二次世界大戦中、ドイツ軍が使用した四輪駆動式の水陸両用偵察車両)だったり、持っている小銃がこれもドイツ製の軍用小銃(正式名称を忘れました)そっくりだったりと、戦争モノ大好き人間にはたまりません。この『パンプキン・シザーズ』のあらすじは、帝国と血と血で争う永きに渡る戦乱が「薄氷」の停戦により終結した3年後。帝国各地には飢餓・疫病・野盗と化した兵士たちの略奪行為等で国民の困窮は一向に解消されない状況が続いていました。その事態を重視した軍上層部は「戦災復興」を任務とする部隊、陸軍情報部第3課を設立して対応に当たることになります。この『パンプキン・シザーズ』の主役は、陸情3課の実働部隊小隊長にして、名門貴族の第三公女である戦災復興に熱血猪突猛進で挑むお嬢様、アリス・L・マルヴィン少尉と、戦時中には「不可視の9番」と呼ばれた極秘部隊のひとつ「901ATT」に所属し、停戦後行き場を失い放浪中の身であったところに、アリス少尉たちに加勢したのをきっかけに陸情3課に配属となった、戦車に単身で挑み「排除」したという驚異の戦闘能力持ち主、ランデル・オーランド伍長の2人です。この陸情3課は、社会を覆う欺瞞と腐敗の分厚い皮をカボチャに見立て、それを切り裂き中身を暴き出すハロウィーンのジャックランタン作り用のカボチャ抜きバサミのような頑健で強大な刃を振るう部隊、それが「パンプキン・シザーズ」なんだそうです。この『パンプキン・シザーズ』には結構ネタが詰まっていそうなので、それについてもシリーズを読み進めていく過程で、紹介&解説をしていきたいと思います。 CDの方は、WOWOWで放送中のアニメ『シュヴァリエ』の壮大なOPソング、奥田美和子さんが歌う『BORN』です。この『シュヴァリエ』というアニメ、まずはWOWOWの開局記念で気合を入れて作っていることと、私の好きな作品を多く手がけているプロダクションI.G(『人狼』とか『イノセンス』とかをね)が制作しているというので、毎回視聴して録画もしているこの秋の新番組(ちょっと放送時期は早かったですが)の中のお気に入りの作品のひとつです。なにしろ、設定が18世紀、フランスに実在した美貌の天才騎士、デオン・ド・ボーモンの波乱万丈の生涯を描いた歴史物語です。なにしろ、このデオンという人物はフランス国王の命を受け、ヨーロッパ各国を飛び回った外交官として史書に名前が記される事になるのですが、その彼の最も特異な特徴が「女装の騎士」であったということでしょう。そんなミステリアスな人物を主人公に、歴史上に実在した様々な人物、ルイ15世やその王妃マリー、当時の宮廷を影で動かしていたポンパドゥール夫人などが登場し「歴史の闇に消えた真実の行方―想像を超えた一大叙事詩が明らかとなる!」と銘打った作品で、初回、第1話を見て一発で嵌まってしまった作品です。これについても、また、長々とウンチク話をしていきたいと思いますので、ご期待のほどを。それでは。
2006年10月19日
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え~、ご無沙汰ぶりになります・・・。更新がこの1週間、満足に出来ない状況に陥りました。全く以って、自宅のパソコンにすら寄り付けない状態でした・・・。諸々の事情による、鬱の悪化のお蔭です。つい最近までは、昼間に眠くて眠くて仕方が無かったのですが、今度は日が暮れると瞼が落ちてきてそのまま朝まで「おやすみなさい」状態です。眠くなったら最後、ヒッパ叩いても目も覚まさない状態だそうで(親の証言)、昨日、医者にこの状況の事を話したところ「鬱には寝るのが一番の療養です」と言われました・・・。と言っても、書道のお稽古もしたいし、読みたい本は溜まっていて一冊でも早く読みたいし、ブログも気になるし、と言う事で今日は1992年もののフランス産赤ワイン一本の力を借りて、溜まっていたメールを処理してようやく、ブログの書き込みまでたどり着いたところであります。それにしても、この1週間、なんという健康的な生活をおくっていた事か・・・。成人男子が毎日21時前に寝て、朝の7時前に目覚めるという、なんと時間の勿体無いことよ・・・、という生活を過ごしていました。今日は、アルコール様の力を借りて久々に22時以降まで起きている次第であります。まぁでも、医者に「この状態を何とかして欲しい」と懇願して、処方箋を変えてもらったので、その効果かもしれませんが。ともかく、何をするにしても、土日のお日様の出ている時間ではとても始末できないような諸々を抱え込んでいるので、平日の夜、せめて23時まで起きていられような状況に身体をもっていきたいところです。さて、このような鬱の悪化を招いた要因のひとつは、多分、このごろ小学生と中学生が自殺してしまった不幸な事件が影響しているのでは、と疑っています。まぁ、私も片一方の当事者、中学生がいる職場に勤めているので、いじめの問題は職場の問題でもありますし、第一、私自身も中学生時代の一時期、いじめの被害者となった事があるので、他人事ではなく、昔も今も大いに私自身の身に関係する話です。今、現在の中学校の現状をお話しすることは、一応公務員なので「守秘義務」というものがあるためにアレコレとネタはいっぱい転がってはいるのですが、オフレコとなるためお話しすることは出来ません。ですので、私が過去に自分の身に降りかかったいじめに関するお話をひとつ、書くことでこのいじめに対する問題がどのようなものか、想像していただきましょう。私がいじめられ始めたのは、中学に入ってすぐのことで、まぁ、色々やられましたわ・・・。殴られるは、蹴られるは、物は隠されるは、壊されるは、無視、仲間ハズレは当たり前。酷いものでした。最初は、先生に相談していたのですが、全然、その効果は無くて(今の職場にいると、なんて無駄なことを、自分でいじめの火を煽っていたことが良く理解できます)、本当に転校ができないか、果ては、自殺まで考えたこともありました。当然、両親には話すことも出来ませんし、話したところで、肝心の学校が役に立たないことは、身を以って思い知っていたので、話すし気さえ起こりませんでした。それが、中学校に入ってから秋になった調度今時分、体格の良い同級生に殴られて顔を真っ赤に腫らして帰ってきたところ、その顔を腫れなんだと、母親の聞かれて、泣く泣く現状を説明してから、お習字の稽古に行って帰って来た所、玄関に見慣れない靴が2足。お客かな、と思って家に上がったところ、居間に学年主任と生徒指導担当の先生が・・・。実は、私がお稽古に行っている間に、親が方々に電話をかけて(当然、その中には学校も入っていますわね)その結果、先の両名が飛んできた訳なのです。何故、そんなに素早く駆けつけたかと申しますと、その時は、伯父が「警察」のOB(それも上の方)だったので、警察のお力かな?と子供心に思っていたのですが、その後、話を聞くと母の伯父が学校の校長を勤めて、さらに県の教育委員会に在籍していたこともある「人間」だったので、「警察」と「県教委」という権力の前に今迄、いじめの話しか聞かなかった「学校」が家まで飛んで来た訳なのです。この後、学校に私と母親、それに殴った当事者の親と本人、担任と先の学年主任と生徒指導の計7名が集まって、「話し合い」がもたれたのですが、その時の母親の剣幕といったら・・・。途中で学年主任が逃げ出す勢いでした。最初は強気だった殴った当事者の親も「親戚」「警察」「教育委員会」「校長」「被害届」という言葉に前に顔が青ざめ、泣き出す始末。何だか被害者の自分が相手を気の毒に思うほどの剣幕でまくし立てていたことが今更ながら、記憶の中で浮かんできます。考えてみれば、私は幸せな人間でした。親がキチンといじめに対応してくれましたし、親戚に「権力」のある人間がいたことで、その後、「身体に危害を加える」いじめ行動はなくなりました。それに、自分自身、いざとなればまた「誰かが助けてくれる」と言った安心感というか「逃げ場所」が確保されていたのですから。なんだか、酔いに任せて要らぬ事まで書いてしまいましたが、最後に余計な事を書くなら「いじめは犯罪である」であるから、学校に相談してもどうしようもない時は「警察に相談しに行くこと」です。別に、警察に行って被害届を出したりその他諸々、と言うことは良いのです。ただ、「警察に相談しに行きました」という事実が必要なのです、学校を脅すには(学校に勤めている人間が書くのも変な話ですが)。なぜなら、先生にはいじめを防ぐのに十分な「権力」が与えられていません。恐ろしいことに、正当防衛すら怪しいのが現状なのです。それに、学校と言えども所詮はお役所です。一番権力を行使する「ところ」へ話を持って行ったとなれば、悲鳴モノです。強調しますが、学校には生徒を指導するだけの「権力」が無いのです。それを保障する法律も最高裁判例も無いのです(いくら、文部科学省が細かな「指針」とやらを作っても現場では役に立ちません。確か、授業中に暴れた生徒を平手打ちした教員に対する裁判で、東京高裁が教員側に有利な判決を出した、と言う話は学部時代に講義か何かで聞いたことがあるのですが、そのくらいなものです)。ですので、正直言って今の学校に「素直」に頼っていては「駄目」です。いくら、真面目な教員が対応しようとお話したように限界がありますし、第一、親から躾しないといけないような時代です。そんな、話しても分からない人間に対しては、「力の行使」が最大の防御となるのです。と言うような毎度のことながら長く、そして「重い」話になりましたが、ともかく、いじめ自体が「犯罪」であるという認識を世間一般が持つことが大切ですね。そしてこんな、自殺騒動まで発展しながらどうしようもなく硬直化したGHQ、つまり進駐軍が押し付けた「子ども=性善」という前提での教育行政と法体制を見直さないと駄目です。子どもほど、時に真っ直ぐに残忍なれる「人間」いませんよ。経験上申し上げますと・・・。
2006年10月18日
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え~、しばらくぶりの更新になりますか・・・。このブログが書けなかった原因は、ひとえに鬱の症状の悪化と、その根本要因である「文字・活字文化振興法」に関する講習を受け持たされた事によるものです。そして、今日の夕方5時からやってきましたよ、講習会を・・・。結果は、こうしてブログを書くことが出来る精神状態であることから推察できますように、なんとかかんとか無事にこなす事ができました。でも、本当にキツかった、この1週間。もう、針の筵に座らされているような感じで、家に帰ってきたら講習会の用意をするのに全神経を使い果たし、後は寝るのみ・・・。ブログどころではない、追いつめられた状況下に置かれたいたのですが、これも、今日でお仕舞い。やっと、心の平安が訪れました。講習をアレコレと手伝っていただいた教委の担当者さんに、感謝する事、山よりも高く海よりも深く、であります。そんなこんなな状況でしたので、この「AGBしらせ乗艦記」シリーズの続きを書くのに、1週間以上の間が空いてしまいました。それではこのシリーズ、再開といきましょうか。前回は、海面から18メートルの高さにあるしらせの艦橋の様子を紹介して終わりました。今回は、しらせのしらせの左舷艦橋を下りて、艦首へと進み、それからヘリ甲板とヘリ格納庫、そして搭載しているヘリコプターの紹介&解説まで一気に進めて、このシリーズをサッサと終わらせてしまいたいと、思います。ではまず、艦橋の左舷側の出入り口から後方を捉えた1枚から始めましょう。ご覧の様に、艦の手すりには、転落防止用のネットが取り付けられていて、写真には写っていまっせんが、階段などの要所要所には、案内の隊員がいるという安全対策がとられていました。船の階段は、客船以外の船ではどれも急で幅が狭くて、結構下る時には注意が必要な箇所なのですよ。続いては、階段をふたつ降りて甲板へ降り立ってから艦橋の真下から船首方向を撮った1枚です。風にはためく日章旗がいいですよね♪ちなみに、艦橋より船首までの区画は、物資の輸送用の船倉になっています。そこから荷物を降ろすために、下のようなデリック(起重機)が必要になるわけです。南極大陸には、当然のことですが港湾設備とかは無く、物資は全て艦のデリックによって氷上に下ろしてから輸送するそうです。ただ、気温が高いと、氷が薄くなって物資の重さに氷が耐えられなくなるので、場合によっては、夜間の気温が下がった時しか輸送できなくなることもあるそうです。燃料については、パイプラインが昭和基地からしらせが氷泊する地点まで延びていて、それによって燃料を基地へ送るようにしているそうです。続いては、艦首から左舷の甲板を通して撮った1枚です。写っている階段で艦橋から降りてきました。ちょうど、陰になっている所の真上が艦橋となります。しらせは、艦首からヘリ甲板まで段差無しの平甲板となっていました。ついでに、一般公開の様子も分かるかと思います。で、この甲板を艦尾に向かって歩いていきますと、ヘリ甲板と格納庫に行き当たるわけです。まずは、ヘリ甲板に展示されている多様機S-61Aヘリコプターとマスコットのペンギン君、そしてここでも風にはためく勇壮な自衛艦旗(旧軍艦旗)が綺麗に収まった1枚をご覧下さい。そして、今度はそのヘリコプターが格納される格納庫です。まずは、その大きさを目で見て確認していただきましょう。お分かりいただけたでしょうか?格納庫入り口にいる人の高さや、格納庫の左舷側にある自動販売機の大きさなどから、如何にこのしらせの格納庫がいかに広大であるかという事が。ここに、S-61Aヘリコプター2機が格納され、南極へ向かうのです(昔はここにさらにOH-6ヘリコプター1機をさらに搭載していました)。格納庫内にいた飛行科の隊員さんに「しらせの格納庫は大きいですね~。こんなに高さが必要なのですか?」と質問したところ、煙突と格納庫の間にも、貨物倉があってそれに格納庫の高さもあわせて作られているとのことでした。それでも、ヘリ2機を格納するには広すぎるなぁ、と思うぐらい、広くて高さのある空間でした。隊員の方も、「なんでうちの艦はこんなに広いのだろう?こんなに広くなくてもよいのになぁ」と話されていました。たしかに、これまでに乗艦した事のある、しらゆきやきりさめと比べると数倍のデカさがあります。そして、その上にあるレーダーの白いドームの下にあるのが、航空機運用に欠かせない管制室で、その管制室を挟む形で、後部の船倉から物資を運び降ろすための起重機が左右に1機づつ配置されています。そんな感じで、今日は最後まで行こうと努力はしましたが、デジカメの画像を楽天の許容内に納める為の画像の編集が面倒になってきたので、今日はここまでにしたいと思います。次回こそ、最後の最後、S-61Aヘリコプターの紹介&解説をして終わりたいと思います。では最後にしらせのヘリ甲板に展示されたいた「南極の石」なるものを紹介して今日は終わります。それでは。こちらは解説が書いてある看板です。おまけに、格納庫に展示してあった南極で観測隊員が着ている防寒着も紹介しておきましょう。もうひとつ、「南極の氷」なるものまで展示してあったのですが、「南極の氷」という看板が無ければ、製氷室で出来た氷と変わらないので、写真を載せるのは止めておきます。
2006年10月13日
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はい、私が「文字・活字文化振興法」の件でウンウン唸っている間に昨日、北のお馬鹿さんたちがどうやら地下核実験をやってしまったもようですね。でも、私はこの地下核実験を本当に核爆弾でやったのか?実行したにしても「不完全爆発」ではなかったのか?と疑問視しています。何しろ、核爆弾は作るのは材料さえあれば作れないこと無いのですが、その管理には相当な手間暇が必要な代物ですし、あの宣伝大好きな北朝鮮が地下核実験をやったぞー!と世界に訴えるのに絶好の証拠となる映像を流さないのも、おかしな話です。某情報筋によると、今回の核実験による地震波には、核実験とは言い切れない波形も含まれているらしく、米軍も自衛隊も未だ核実験によって放出されるはずのアイソトープなどの自然界に無い放射性物質を検出していない事を考えると、本当に核実験をしたのか?という疑問は拭い切れません。まぁどちらにしろ、北朝鮮は最悪のカードを切った訳でありまして、なにしろ、一番始末が悪いのが、面子というものを何より重んじる中国の顔に泥を塗った事が一番の大失態だったと思います。話は少しずれますが、私は、阿部首相が就任直後に、中国を公式訪問したのは実に上手い外交戦術だと、感心していてます。中国人は何より体面・面子を重んじる民族です。ですので、自分から下手に出ることはまず外交上ありえません。そこへ、就任の挨拶と関係修復というお題目を掲げて、わざわざ日本側から「よろしくおねがいします」と打診して、中国へやってきたのですから、中国の面子は立つは、ややこしい靖国問題や歴史認識などの諸問題は、北のお馬鹿さんの核実験実施発言で脇に追いやられて、双方とも、まぁ満足のいく会談をし終わった後、その翌日にいきなり(事前通告は20分前にあったそうですが)ドッカーン!ですから中国の面子は丸つぶれです。ですので、これから中国が国連の安保理の一員として、経済封鎖と準戦時体制とも取れる船舶の海上臨検を含む決議にどのような対応を示すかが、実に興味深いですね。私としては、経済封鎖までぐらいなら賛成に回ると思いますが、海上臨検となると難しいと思いますね。中国はあくまで六者協議の枠組みの中で、議長国として取り仕切っていきたいはずでしょうから。それにしても、北はもう一度核実験を行うのか?というのが、今日のニュースでの一番の話題でしたが、もし、本当の核爆弾だったら絶対に2度3度と核実験を行って各種データを取得し、核爆弾の安定性を確認しなければならないので、「確実」に行うでしょう。でも、こけおどしの「核実験もどき」ならば、そのようなことはしないと考えられます。ともかく、独裁体制のわけの分からない理屈で動いている国なので、どのような行動に出るのか、さっぱり分からないのが困ったところですね。それにしても我国も、万が一に備えて、海上臨検やゲリラ・コマンドの襲撃に対処すべく急いで法整備と各関係機関の指揮命令系統の一本化を進めなければ、極東アジアの展開の速い外交情勢に追いついていけなくなるのではないかと心配です。そういう不安や、政府・各自治体の対応に不満をお持ちの方は、以下のような本を参考されては如何でしょうか。 ともかく日本人は、「国防」問題に本当に疎い民族ですので、この北の地下核実験を契機に、もっと真剣に国防問題を考えて欲しいものです。というような感じで、今日は北朝鮮の核実験について、思うところを簡単に書いてみました。明日からは、中断していた「AGBしらせ乗艦記」の続きを書いていきますので、よろしくお願いしますね。
2006年10月10日
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え~、本当はブログを更新している場合ではないのですが、ちょうどこの忙しい最中に、20,000のキリ番を達成してしまったので、トップ自由欄の更新のついでに、木曜日からなぜ急に忙しくなったのか、文句を少し書いておきたいと思います。その理由は、読書週間と文字・活字文化振興法の為なのです!昨年、この文字・活字文化振興法と文字・活字文化の日(10月27日、読書週間の真っ最中)の件で、学校の会議で議題にあげて「どうしましょう」なんて事を言ってしまったのが運の尽き・・・(だと、おもうのですが)。ちなみに、文字・活字文化振興法とはどのような法律かと言いますと、文字・活字文化振興法(平成十七年七月二十九日法律第九十一号)(目的) 第一条 この法律は、文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに健全な民主主義の発達に欠くことのできないものであることにかんがみ、文字・活字文化の振興に関する基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、文字・活字文化の振興に関する必要な事項を定めることにより、我が国における文字・活字文化の振興に関する施策の総合的な推進を図り、もって知的で心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。 (定義) 第二条 この法律において「文字・活字文化」とは、活字その他の文字を用いて表現されたもの(以下この条において「文章」という。)を読み、及び書くことを中心として行われる精神的な活動、出版活動その他の文章を人に提供するための活動並びに出版物その他のこれらの活動の文化的所産をいう。 (基本理念) 第三条 文字・活字文化の振興に関する施策の推進は、すべての国民が、その自主性を尊重されつつ、生涯にわたり、地域、学校、家庭その他の様々な場において、居住する地域、身体的な条件その他の要因にかかわらず、等しく豊かな文字・活字文化の恵沢を享受できる環境を整備することを旨として、行われなければならない。 2 文字・活字文化の振興に当たっては、国語が日本文化の基盤であることに十分配慮されなければならない。 3 学校教育においては、すべての国民が文字・活字文化の恵沢を享受することができるようにするため、その教育の課程の全体を通じて、読む力及び書く力並びにこれらの力を基礎とする言語に関する能力(以下「言語力」という。)の涵養に十分配慮されなければならない。 という風に定義されていて、この後に、国の責務・地方公共団体の責務・関係機関との連携強化・地域における文字・活字文化の振興と条文が続いてお次が問題の、(学校教育における言語力の涵養) 第八条 国及び地方公共団体は、学校教育において言語力の涵養が十分に図られるよう、効果的な手法の普及その他の教育方法の改善のために必要な施策を講ずるとともに、教育職員の養成及び研修の内容の充実その他のその資質の向上のために必要な施策を講ずるものとする。 2 国及び地方公共団体は、学校教育における言語力の涵養に資する環境の整備充実を図るため、司書教諭及び学校図書館に関する業務を担当するその他の職員の充実等の人的体制の整備、学校図書館の図書館資料の充実及び情報化の推進等の物的条件の整備等に関し必要な施策を講ずるものとする。 (この後に、文字・活字文化の国際交流・学術的出版物の普及・文字・活字文化の日・財政上の措置等・附則と続きます)とあり、この部分の「教育職員の養成及び研修」を「君、やって頂戴」と命令されてしまったのです!この話を教頭先生から聞いた時、「ちょっと、待て~!!」と心の中で叫びましたね!何しろ相手は、各小・中学校の図書担当の先生方相手なのですから。ただでさえ、今の図書担当とは仲が悪くて苦労しているのに、なんで私が文字・活字文化振興法の趣旨を説明して、そのた必要な解説を行わなくてはいけないのでしょうか?もっと他に適任者、というかもっと年配の司書の方がいらっしゃるし、どちらかというとこういう研修は公立図書館の司書さんや教委がやるべきことでしょう。なんで、若輩者の私のところに回ってきたのか、本当に理解に苦しみます(はっきりとその場で「出来ません」と言ったのですが、やっぱり無理でした・・・)。研修を受け持つ理由が院を修了しているから、なんて事だったら怒りますよ、全く。それとも、あの図書担当の陰謀か?と真剣に疑いたくなります。でもまぁ、院時代からの歴史の研究会にちょくちょく出席していて、研究発表も身内だけの会の時はやっていましたので、資料作りは何とかのなるのですが、「おはなし」の方が・・・。何しろ、やる相手はほとんど全ての先生方が目上・年上の方々ばかりなのですから(おまけに例の図書担当も来る訳でして・・・)。あ~、今からどうすれば良いのやら。ともかく資料だけは仕上げねばならないので今、セッセと作成中です。そんな理由で、月曜日までにアンチョコを仕上げて教委に提出しなくてはいけないので、「AGBしらせ乗艦記」は上手くいけば日曜日に、下手をしたら月曜日からの再開になると思いますので、あしからずご了承ください。本当に、今年は次から次へと災難が降りかかってきて・・・厄年です!全く以って!!!
2006年10月06日
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はい、文字数がまた許容量を突破してしまったので、艦橋内部の話はここから始めます。それでは、艦橋へと入ってみましょうか。まず艦橋に入ってすぐ目に付いたのが、右舷側にある赤いカバーが掛けられている艦長席です。この席、自衛艦(軍艦)なので、よっぽどの貴賓の方以外は腰掛けることができない、艦長の特権を示すものの一つです。ちなみに、反対側の左舷にある副長席には自由に座る事ができて、皆さん、パチパチ記念撮影をしていました。お次は、これぞしらせが自衛艦であることの証明、軍用ラッパです。ちなみに、しらせは一応、自衛艦籍に入っているので、陸自のお古の64式小銃も搭載しているとのことでしたが、さすがにそこまでは見せてくれませんでした。続いて、艦橋全体の様子を右舷側から撮影した写真をご覧戴きましょう。この写真を見てお分かりかと思いますが、しらせの艦橋は他の自衛艦と比べるとやたらと長くて広いです。艦橋にいた案内の海曹さんに聞いたところ、やはり広すぎるとの事で、本来ならこの3分の1程度の大きさで十分なんだそうです。なにしろ、艦長席と舵機の間に指令を伝えるために伝令が2人も必要との事。声がちゃんと届かないぐらい広いのです。では、なんでこんなにしらせの艦橋が広いかと言いますと、本来、自衛艦にあるはずの艦橋の両脇にある固定式の双眼鏡や手旗信号や信号灯を使ったモールスでの通信その他の作業を行う露天艦橋が無いからなのです。それらの固定式の双眼鏡や信号灯は艦橋の頭の上に設置されているので、使いづらいと海曹さんは話してくれました。これは、極寒の南極へ行くため、なるべく艦内で作業が出来るように配慮された設計だそうで、そのおかげでしらせでは年中半袖、つまり夏服で過ごせるそうです(赤道直下は冷房で、南極では暖房をガンガンに効かせているので)。それから、写真にある艦橋の天井にあるパイプは、荒天の際にこれに捉まりながら移動したり、作業するために備え付けられているそうです。それでは艦橋に設置されている機材を順番に見ていきましょうか。最初はレーダーです。このレーダー、昭和57年(1982)にしらせが建造されて以来、ズーッと使われ続けているそうです・・・。海曹さんは、近くに停泊している民間船の方がはるかに性能の良いレーダーを使っていると言っていました。最も、氷山などの見張りは目視が一番で、レーダーは荒天時や夜間など視界が悪いときにしかあてにしていないそうです。次は、動揺計です。これで艦体が何度まで傾斜しているのか測定するのですが、写真を見てお分かりのように、しらせはこれまで最大左に53度、右に41度傾斜した事があるそうです。そして、これはあくまで横だけの話。船はピッチング・ローリングと言って前後左右に揺さぶられるのですから・・・。酷い時は波に向かって突っ込んでいくような状況になるそうです。ちなみに、しらせは船体が90度まで傾いても復元が出来るように設計されているそうです。もっとも、キチンと艦の開口部を閉鎖して海水が入らないようにしておいた場合の話なのですが・・・。で、その後ろにあるのが艦を動かす要の操舵コントロールです。操舵コントロールの前に見えるのがジャイロコンパスというもので、これを見ながら艦の進路を確認しつつ、舵を執るわけです。その次が、速力通信機(テレグラフ)です。ここから機関の出力、前進・後進などの指令を出すのです。ちなみに、しらせは3軸艦(スクリューが3つある艦)なので、テレグラフも3つあります。それぞれ、真ん中が停止で向かって左右とも最微速・微速・半速・原速・第1強速・第2強速・第3強速・全速と船の速度が書かれています。ちなみに後進には全速はありません。次は、しらせの艦橋独特の装備と言える、艦橋操縦装置です。本来、操舵は艦中央部の操縦室で操舵されるのですが、しらせではこのほかに、艦橋とマストの上にある上部操縦所の3箇所で操舵が可能となっています。これは、砕氷航海中などの特殊な環境化で目視による監視が常時必要なために設けられている装備です。さて、今度は昔ながらのローテク、海図を広げるための机です。ローテクの次はしらせで唯一の最新機器、GPSを使った電子海図装置です。海曹さんとも話をしていたのですが、このGPSシステム。アメリカがサービス(と言う表現は正しいのでしょうか?)を止めてしまうと、全くの役立たずになってしまいます。日本もせめてフランス並に独自の世界規模のGPSに代わるシステムを構築するまでといかなくても、日本近海、200海里周辺ぐらいまでは独自のGPSが使えるような体制を整えて欲しいものです。まぁ、そんなお金があれば多分、弾道ミサイル防衛へお金がまわってしまうのでしょうね。しかし、弾道ミサイル防衛、本当に当てになるのでしょうか?なにしろ、発砲されたライフルの弾を同じようにライフルの弾で打ち落とすようなものですからねぇ。西南戦争の時の田原坂の戦いでは、官軍・薩軍共に無茶苦茶な銃撃戦を演じて、「かち合い弾」という銃弾と銃弾が空中でぶつかって見事にひとつになったという嘘のような本当の話があるぐらいですから、弾道ミサイル防衛にも可能性はあるのでしょうが、鉄砲弾と違い、一発何億もする迎撃ミサイルを何十発も打ち上げて迎撃する事は予算からいっても不可能でしょうから、難しいでしょう。私はいっそのこと巡航ミサイルをアメリカから買って潜水艦に配備して、一朝有事の際にはそこから反撃できるようにした方が、ミサイル防衛よりはるかに抑止力になると思っているのですが、如何でしょうか。それにしても、電子海図装置のモニターがDELLとは・・・。そこまで予算が無いのか、自衛隊・・・。さぁ、ようやく艦橋の紹介&解説もこれで最後です。今度は、これもしらせの特徴的な装置である、ヒーリング装置です。これは、艦に搭載されている左右の燃料を移動させる事により、艦を左右に自由に傾斜させることが出来るシステムのことです。氷海などに閉じ込められた際に、この装置を使って艦を揺さぶって氷を割って脱出します。こんな感じで、今日は色々と脱線もしましたが、何とか艦橋部分まで終わらせました。この次はヘリ甲板と格納庫について書いてこの「AGBしらせ乗艦記」シリーズがあと1回で終われるように努力していきたいと考えています。が、「予定は未定」と言う言葉があるように、どうなる事やら。〈つづく〉
2006年10月04日
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え~、今日で4日目となりますますが、まだまだ終わりが見えてこない、AGB(砕氷艦)しらせの一般公開に関する紹介&解説。昨日は。うっかり更新しないまま寝てしまいました。ヤレヤレです。仕事と人間関係、それと欝で疲れが溜まっているのでしょうか?ホント、だ~れもいない南極へでも、全てをおっ放り出して逃げてしまいたいです。でも、南極なんぞに行ったら寒さに耐えられないでしょうね。きっと・・・。やっぱり、日本が一番良いか。それなら、人気のない山の中に篭ってみるのもひとつの案か。なんて、くだらない事を帰りの電車の中でツラツラと考えていました。まぁ、そんな話は脇に置いておいて、しらせの艦内についての紹介&解説を進めていきましょう。前回は、ちょうど艦内で公開されていた最後の施設、医務室まで紹介&解説をしました。その後、艦内の狭く(船の中では客船以外はどこも必要な場所以外は、省スペース設計ですからね)急な階段を昇って、飛行科(ヘリコプターを運用する隊員の集団)の部屋の前を通り、ちょうど煙突のましたの右舷甲板へとでました。するとそこにはちょうど、救命艇があるではありませんか。この救命艇も、しらせの船体と同様、鮮やかなオレンジ色で塗られています。普通の自衛艦だったら青みがかったねずみ色のペイントなのですがね。ちなみにこの救命艇、極寒の南極海でも耐えられるように、艇全体がしっかりと羽状部まで保護されていてます。乗員は救命艇ひとつにつき140名!も収容できるそうです。で、この救命艇を見てフッと思い出した本があります。それは、第1次世界大戦開戦直前に南極大陸横断の探検へと出発し、南極大陸へ上陸する直前に氷海に閉じ込められて、氷の圧力で船体が破損し沈没したエデュアランス号の遭難とその後、乗り組み員を全員生還させたシャクルトン隊長の以下の漂流生活を描いた図書室にある小説、エリザベス・コーディー・キメル著、千葉茂樹訳『エンデュアランス号大漂流』(あすなろ書房、2000年)です。エンデュアランス号遭難の時は、本当に木で出来た普通のランチ(救命艇)で極寒の南極海を1年近くさまよったのに、1人の犠牲者を出さなかったというのは、まさしく「奇跡」と言えるでしょう。今日、こんな重装備の救命艇でも「まだ安全ではない」そうなのですから、エンデュアランス号の乗組員と彼らを率いたシャクルトン隊長のリーダーシップには驚くばかりです。ちなみに、大人向けの作品としては、ジェニファー・アームストロング著、灰島かり訳『そして、奇跡は起こった!』(評論社、2000年)とか、文庫ですと、アルフレッド・ランシング著、山本光伸訳『エンデュアランス号漂流』(新潮社、2001年)やアーネスト・ヘンリー・シャクルトンが自ら自身の体験を書いた、木村義昌訳『エンデュアランス号漂流記』(中央公論新社、2003年)があります。 話が脇道に逸れたので、元に戻しましょう。救命艇が吊り下げられている甲板から階段を昇ると、そこは海面から高さ18メートルの艦橋です。下にある写真は艦橋から右舷後方を撮影したものです。煙突の形状や各種アンテナ、観測機材に後部の起重機の配置が良く分かる一葉だと思います。文字数が、また許容量を突破したので、艦橋の解説&紹介はこの次へまわします。あしからずご了承下さい。
2006年10月03日
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はい、今日も土曜日から引き続いてAGB(砕氷艦)しらせの一般公開に関する紹介&解説を書いていきたいと思います。昨日は、艦内に展示されいた寄港地や交流のあった艦船、そして部隊などの記念プレートの紹介と、しらせが受け取った感謝状や賞状の紹介&解説までしか書けませんでした。そこで、今回は記念プレート等が飾れていた船体中央の通路の左舷側にある観測隊公室から見ていきましょう。はい、写真を見てわかるように大変広くて、明るい部屋ですよね。この部屋は、南極観測隊員約60名の食事を摂る場所として、また休憩や会議、研究会などに使用するための大部屋です。左舷半分ほどの幅があり、机が3列、床に固定される形で並んでいます。また、室内も観測隊員用の個室と同じように木目調の壁や、木でできた椅子などが置かれ、室内も明るい雰囲気で長期の航海でもくつろげるような工夫がされています。次は、観測隊公室を出てすぐにT字の突き当たりにぶつかり、順路に従って右手に折れるとなんと街でお馴染みの理髪店のクルクル回る電飾が・・・。そして中を覗いてみると・・・、やっぱり理髪店と同じ設備がしっかりありました。ここで、する事はただひとつなので紹介も解説も要らないでしょうが、ただひとつ、専任の理髪師が乗り込んでいるのか?という疑問があります。この疑問、隊員さんに聞こうと思って忘れていたので、謎のままです。でも、散髪する時はきっと海が凪いでいる時にするのでしょうね。でないと、船が傾いた際に、剃刀が・・・。あなオソロシや。ちなみに理髪室の右手には扉が開いていなかったので写真に撮りませんでしたが、酒保がありました。さてお次は、理髪室の次はあの理髪店のシンボル関係のお部屋が続けて登場します(理髪店のあの赤と青の回転等の意味をご存知でしょうか?あれは、赤は動脈、青は静脈〈を流れる血〉をイメージしたものなのです。中世ヨーロッパでは理髪師が医療行為、主に瀉血〈静脈を切って悪い血を外へ流しだす事。当時は、まともな治療法として体の弱った病人にそんな事をさせていたのです〉を行っていた当時の名残なんだそうです。つまり、外科医のご先祖は理髪師だったわけなのです)右舷側の通路にはいって即、右側にあった歯科室です。さすがは長期の航海をする船だけはあって、もう至れり尽くせり、なんでもありですね(それから、半年の越冬生活を終えて帰国する越冬隊員を向かい入れなければなりませんからね)。今度は、歯科室の隣にある医務室です。どの護衛艦にも医務室はあるのですが、さすがは長期航海をして観測隊員や海自隊員約230名を抱えるAGB(砕氷艦)しらせだけはあって、凄い設備です。「医師が2名の他、看護士が乗艦して治療にあたっています」と近くにいた案内の隊員が説明しているのを小耳に挟みました。こちらは、医務室と歯科室の配置図です。処置台や診察台はともかくとして立派な手術室やレントゲン装置が装備され、遠隔医療システムも完備。さらに、病室には病床が3床も設置されていて、その隣には、患者用の風呂とトイレまで整備されているという充実振りです。ちょっとした診療所並みの設備が一式そろっているというわけです。ということで、昨日・今日としらせの艦内の様子をご紹介してきました。いよいよ明日は、しらせの頭脳、艦橋をご紹介したいとおもいます。ご期待のほどを、よろしくお願いします。
2006年10月02日
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はい、昨日に引き続いてAGB(砕氷艦)しらせの一般公開に関する紹介&解説を書いていきたいと思います。昨日は、乗艦する前に岸壁から撮ったしらせのデータと外観を紹介&解説してみました。今日はいよいよ艦内の様子について紹介&解説をしていきます。乗艦したのは、艦尾のヘリコプター甲板の下、曳航用の機材が設置されている艦尾甲板からです。乗艦する前に、まずは艦尾の自衛艦旗と艦橋に向かって帽子を少し上げて一礼してから乗艦です。そして、艦尾から艦内に入ってまず目に入ったのが、しらせの乗員の胃袋を支える調理室です。写真で見ると狭く感じるかもしれませんが、実際はかなりの広さがあります。また、艦の中央を通る通路を隔てた反対側にも調理室がありました。ここで乗員の料理を3食作るのですが、艦が南極に入る前に常時海が荒れている暴風圏を通過しなくてはならない時は、きっと調理は大変な作業となるでしょう。なにしろ暴風雨の中、艦が横向きに左53度、右40度も傾斜するのですから。それに縦ゆれが加わるとなると・・・。よくそのような状態の中で包丁を握って調理が出来るな、と不思議に思いますね。次は、乗員の個室です。基本的に2名部屋となるそうです。写真では、2段ベットと引き出しのある書き物机しか写っていませんが、ベッドの写真に向かって右側の奥にも部屋が広がっていて、椅子2脚と机1脚、それからクローゼットが置いてありました。本当は写真に撮っても良かったのですが、アングルが気に入らないものとなってしまったので、止めておきました。ところで、この部屋の様子をみて特徴的だな、と感じることはありませんか?それは、木目調の壁や木で作られた家具やベッドです。普通、軍艦ではフォークランド紛争の戦訓から火災の危険性を少しでも減らすために、可燃性の調度品はなるべく搭載しないようにしているのですが、しらせでは、航海が長期間にわたることから乗員の心理状態を考慮して、このような木製品を搭載しているそうです。続いては、通路に飾られている様々なプレート類の写真です。これらはしらせがこれまで寄港した港や交流を持った各国海軍の軍艦や砕氷船などから進呈された記念品だそうです。これはHMAS(Her Majesty's Australian Ship=女王陛下のオーストラリアの軍艦)DE(Fscoat Vessel=護衛艦)スワン号のプレートです。随分昔の船で、もう廃艦になっているはずです。お次は、しらせの前にAGB(砕氷艦)として活躍したふじのプレートです。そして最後は、しらせの建艦プレートです。しらせが何時、何処で作られたのかを証明する大切なプレートです。それから、面白いものが飾ってあったので、これも紹介しておきましょう。まずは、この表彰状です。表彰状を撮った時、フラッシュが焚かれたので読みにくいの内容を書いておきます。「表彰状 砕氷艦「しらせ」殿 貴艦は平成十年十二月氷海に 閉じ込められ 航行不能状態に あったオーストラリア国観測船 オーロラオーストラリスの救助に尽くされ その功績は誠に顕著であります よってこれを表彰します 平成十一年九月一日 内閣総理大臣 小渕恵三 印」また、どのような賞状がしらせに与えられたかを記したプレートもありました。プレートには、「第40次南極地域観測協力活動におけるオーストラリア砕氷船「オーロラオーストラリス」氷海離脱支援(平成10年12月13日から12月18日)により、次の賞状を授与された。平成11年3月27日 オーストラリア連邦環境大臣から感謝状 及びオーロラオーストラリスの所属するP&Oマリンタイムサービス社からオーロラオーストラリス水彩画 平成11年4月13日 駐オーストラリア大使から氷海離脱支援時の写真平成11年4月14日 防衛庁長官から1級賞状」と書かれてあります。下の写真は、それら贈呈された感謝状や水彩画、写真などです。こんな感じで、まだまだしらせの艦内の様子に今週は長々と写真を交えながら語っていきたいと思っています。それでは!
2006年10月01日
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