ダイスキだよっ♪
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父の放射線治療は無事?終了しました。10~13回に分けて、照射部位を変えながらの予定でしたが、照射部位を変更するのに長時間同じ姿勢を保つことができず、放射線科医からは10回で終了したいとの話もありました。(治療後一年半以内に脊髄損傷の副作用が起こるため)ところが、父の方より、照射方向を変えなくても良いから、13回までしっかり治療してほしいとの意向があり、先生も了承するしかありませんでした。1年半後の生存の可能性がないからです。治療終了し、1週間が経過した昨日、主治医の方から話がありました。私自身はもう既に聞いた話でしたが父と母と三人で今後の診療計画について説明を受けました。ガンに対しては、放射線治療を行ったが、ほとんど効果がなかったことが告げられましたそれで、今後の方針として、抗がん剤でさらに治療をがんばるか、家に戻ってやりたいことをするか、どちらが良いかと問われました。 父は、迷わず、後者をとりました。ガンとお付き合いしながら、残された時間を誰かのために使いたい。それがあとどのくらいになるかは分からないけれど、一生懸命に頑張りたい。そのように、父は先生に伝えました。母の方は途中で倒れそうになり、退出しました。私は改めて、父の強さを感じました。死を目前にして、それでも人のために何かしたい。父は7月2日に還暦を迎えたばかり。今の父の状態は、いつ急変してもおかしくない状況で、あと1ヶ月くらいしか普通に筆談もできないそうです。(もちろん、この事実は父に伝えていません)それでも、「人のために生きたい」そう願う父の姿に、今、私も動かされています。 7月の父の入院のころから、ずっとメールチェックもしていませんでした。営業活動ももちろん、電話対応くらいで、父と母が落ち着いたらやればいいや。そんな程度に考えていた私は甘いな~って。衆院選も間近に控え、数名からコンサルティングの依頼もありましたが、すべてお断りしてしまいました。新聞の取材の依頼や、執筆など、様々なことに蓋をして、父の看病優先と考えていた自分が恥ずかしいです。ただ、逃げてただけじゃんっ久しぶりに開いたメールの中に、とても大切な友人から来たものもありました。私の仕事は、私にしか出来ないんだから、責任を持たなきゃいけないですよね。今年の4月の母の入院から始まって、7月からの父の闘病、「どうしてわたしばかり背負わなきゃいけないんだろう」そう思いつつ、気ぜわしさを理由に逃げていた私。父のように、人の為にやってきたのか?この数ヶ月、父や母を最優先と言いつつ、自分のラクな道を選んできただけじゃないのか?死と向き合いつつ、これから私自身も大きく変わっていきたいと思います。凹むこともあるかと思いますが、どうぞよろしく
August 19, 2009
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