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多言語の効用 先月、ドイツ語、イタリア語、フランス語の翻訳講座を1日でやってしまおうという懸案の構想が実現した。 受講者を募った当初は、大きな教室を借りて2~3人で細々とやることになりはしないか、不安だった。もっとも、受講者はそれ以上に不安だったようで、万一「指し」になったらどうしようかと生きた心地がしなかったようだ。 幸い、受講者は予想をはるかに上回り、ドイツ語9人、イタリア語6人、フランス語7人の参加があった。 なかには、この講座に向けて一から参考書と辞書を注文した者までいた。 自信があるから受講しようと思ったわけではない。 多くは、こんな機会はめったにないから、ぜひともこの機会に受講してみようと思ったそうだ。 今回、実はこの各国語講座には「裏番組」を用意した。医薬翻訳者に必要な化学の基礎を固めてもらおうと、化学講座を初級、中級と実施した。 それがなければ、受講者はさらに増えたであろうことは想像にかたくない。 これだけの受講者があったことはもちろん、機会さえあれば英語以外の言語を勉強したいと思っている人が意外に多いことがわかったのは、実に大きな収穫であったと言える。 では、それほどやりたいと思っているのに、これまでなぜ二の足を踏んできたのか。 身につけたところで、それが収入につながるのだろうか。もしも、そう思わせているのだとしたら、それは政治が悪いと言うほかない。「英語ですら、四苦八苦しているのに、ましてそれ以外の外国語なんて」と、野暮なことを言うのはやめにしよう。受講者の動機や感想を聞いてみると、「英語の行き詰まりを打開するのに、もうひとつ別の言語をやってみるのがいいと思ったからです」というのもあった。「フランス語をやってみると、英語だけでは理解できなかった翻訳の原理というか、本質的なものがおぼろげながらわかるようになってきた」という発言もあった。 それこそがまさに、今回の「3言語講座」の目的でもあった。 生物学者の大半が、自分たちの種のほかに、イヌとネコしか知らなかったとしたら、いったいそこからどれだけのことを導き出すことができただろうか。 本当はそれは言語についても言えることなのだ。 英語だけをもって、英語の理屈を基準にして翻訳を語る人があまりにも多い。白人を見たらアメリカ人だと思う人の言うことだと思って聞き流してはおくが、翻訳の世界ももう少し風通しがよくなるように、来年もぜひ、この多言語講座をやらなくてはなるまい。←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2007年12月28日
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翻訳者のほとんどが、行き当たりばったりの訳語を選択していることは言わずとしれた事実であるが、日常生活の場でも、ことばの選択がままならないことは「案外知られていない」 以前、自転車操業をしていて、なかなか翻訳料を払ってくれないアルコンという某翻訳会社に、「いついつまでに支払わなければ、法的手段に訴える」と書いて送ったところ、「なにやら脅迫めいた文面があって」などと言ってきた。 さいわい、翻訳料そのものは支払ってもらったが、脅迫というものは不当なことを不当な手段で要求することを言うものであって、正当なことを正当な手段で要求することは、脅迫とは対極にあるものである。一応「めいた」をつけているとはいえ、いやしくもことばを仕事とする人間が、そんないい加減なことばの使い方をするべきではない。 いい加減といえば、上には上がある。天は人の上に人をつくらずと言うが、卑しさ、あさましさという点では、天は福沢諭吉の理解をはるかに超えたことをする。 現在、日本中の翻訳者が注目し、行方を見守っているブログがある。有志が集まって「顰蹙まんじゅう」まで用意し、このブログを読んだ人はぜひともこの「顰蹙饅頭」を買ってくださいと、大声で呼びかけている。 なにしろ、ある会社から試用期間を設定して仕事をもらっていたのに、そのあと本格的に仕事が出るようになったら、自分のやりたいことができなくなるから、「試用」のうちにさっさとやめてしまったという話が「堂々と」書かれている。使う側にすれば、「試用」期間中はいわば掃き出し、現時点では戦力にならないが、そこは育てていこうという親心。まさに、恩義も義理も、何もあったものではない。 ところが、このブログの主、cara dura(厚顔)というかなんというか、そのことを指摘した書き込みに対して、自分も別の翻訳会社から不当な理由で突然仕事を切られたことがあるから(あんたの日本語じゃ、仕事を切られるのは当たり前)、弱い立場の翻訳者が自分を守るために、「やられたからやり返す」のは当たり前だと主張する。 それって、自転車を盗まれたから、他人の自転車に乗って帰るという理屈と同じではないのか。 しかも、この主、大切なことを教えてくれて本来感謝するべき書き込みに対して、「誹謗中傷は許しませんよ」と来た。 書き込みには少なくとも、次のような段階がある。 感想 意見 苦言 注意 説教 批判 警告 抗議 非難 誹謗中傷というのはさらにその上にあるもので、先に書いた書き込みの内容など、せいぜい意見程度のもの、辛くみても苦言にしかならない。それを一挙に「批判」、「抗議」、「非難」を通り越して「誹謗中傷」でくくってしまうのだから、現実を掬う網の目の粗さは半端ではない。 いつまでも、こんなことを続けていると、そのうちに顰蹙まんじゅうではすまなくなる。 日本全国津々浦々で顰蹙みかんが売られる日が来ないうちに、自分の足元を見つめなおしてもらいたい。←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2007年12月23日
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久々に東京に来て、山の手線に乗ると、車内の画面に何やら怪しげな英語講座が映る。 何なに、英語の形容詞にはちゃんと決まった順番がある。 それで、、。 数量 → 大小 → 色 なるほど、 だから、たとえば、four big red balls となる。 これを「知識」と捉えれば、実に陳腐。バカバカしい。 ところが、「モノの考え方」と捉えれば、アインシュタインの相対性理論に匹敵する大発見だ。 なぜって、このことは、英米人がたとえどのような順序でモノを考えようと、言い方を変えれば、最初に赤いボールが頭に浮かんで、その大きなやつというのが次に浮かび、最後にそれを4つほしいと思ったとしても、red big four balls とすることはできないことを証明することになるからだ。 これは「英米人は前から考える。だから前から訳せ」という理屈と矛盾する。 それなのに、英語を教えている人間というのは実に不思議な人種で、「英語では、数量、大小、色の順ですよ」と言った舌の根が乾かないうちに、上の英語を「赤いボールの大きなやつを4つ(ほしい)」と訳すと、「英語はその順番になってないでしょう」とたしなめる。 まさに、政治家よりもウソつき。吉兆よりも偽善。社会保険庁よりもいい加減。 英語の偽装をそのまま放置して、世の偽装に口出しすることなかれ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2007年12月21日
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