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前回書いたように、同僚たちから文句を言われたことはなかったのだが、問題は利用者の方だった。介護される側にとっては、頼りない職員、きちんと動けない職員では不安なのは当然である。それでも大抵の利用者さんは、初めのうちは慣れないんだから仕方ないと思ってくれている。ただ、人一倍覚えが悪く、動きも悪い私・・・。何ヶ月経ってもできていないことに我慢の限界がきたようで、「いい加減にしろ」とこっぴどく怒られたこともあった。普通だったら当たり前に気付いていることでも、私の場合言われなくてはわからないことがあるので、かなりショックで落ち込んだけど、言ってくれてよかったとも思った。その後は私なりには気をつけるようになったから。そんなふうに、単発で怒られることも何度かあった。でも、それだけではなかったんだよね。「その1」で「私はあまり人に非難された経験がない」と書いたけど、実は、この身障施設にいる間だけは例外で、ずっと特定の利用者に非難され続けていたのである。てきぱきと効率よく動くことを第一と考えているので、動きがモタモタしている上に「あ、あれ持ってくるの忘れた」なんてことが年中の私は、どうしようもない職員だと思っていたのだろう。その利用者の介護に入った日は、怒られなかったことの方が断然少なかった。また、介護が特殊な上に、やり方も順番もその利用者が決めた通りにしなくてはならないのだが、「次は何をするんだっけ?」と動きが止まることも、「これでいいんですよね」と当人に確認することさえも嫌う(覚えているのが当然だから)頭が真っ白になって次に何をしたらいいかわからなくなったり、動きを間違えた時は、罵声を浴びせられた。ただ、非難され続けても、自分のことを全否定することはなかった。この利用者が職員に一番に求めているのが、私が最も苦手とする部分だとわかっていたからだ。利用者によって職員に求めるものは違う。テキパキ動く職員には、思っていることを言い出しにくいという方もいるし。なかには「くらげさんが夜勤なら安心だわ」とありがたいことを言ってくださった方もいた。だから、何かをやり忘れて怒られても、「『ついでに何かをする』というのはADHDには難しいんだぞ」と内心開き直っていたし、「もっと仕事に集中しろよ!」と言われても、「集中ときたか~。それができないのが障害なんだよ」と頭の中ではつっこみを入れていた。もちろん行く度に怒られるのは嫌だから、できる限り集中して失敗のないようにと努力はしてたけど。それでも、その利用者の満足のいく動きができるわけではないから、その方の介護に入るのは本当に気が重かったし、時によっては情緒不安定になった。自分を全否定せずに済んだもう1つの理由は、異動前にある程度の実績を残せたということだ。「何もできないわけじゃない」と実感できていたし、他者にも(少なくともある程度は)認めてもらえていたから。だから、もしも私が新人の時にこの施設に配属されていたら、今のように仕事を続けていられたんだろうかと思う。ADHDも知らず、経験もなく、「私なんてダメな奴だ」と思ってしまっていたことだろう。二次障害になっていても不思議じゃない。自分の特性を自覚して、経験を積んで自分を認められるようになってからだったのは、本当に運が良かったんだなぁと思っている。
2007.09.28
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何があったのかというと、身体障害者の入所施設に異動になったのである。だから、「その7」で書いた同僚に意見を言うというのも数ヶ月しか実行できず、あと1年異動せずにいたかった・・・というのが本音。1つの施設しか知らないと視野が狭くなるので、ある程度経験を積んだら異動があるというのが、私の勤めている法人の方針。ADHDを知る前になかったのは単なる偶然なのだが、診断後、職場でも上の方の人にカミングアウトをした時に、仕事の立て直しをしたいから今は異動をしたくないと伝えていた。それから1年以上が過ぎ、異動の内示。自分でも「今ならどうにかなるかも・・・」と思えるようになったので、覚悟を決めた。学生時代に介護技術を勉強していなかった私は、現場で基本から身につけることに。もちろん基本だけではなく、障害の部位、種類、利用者の特性等により1人1人介助方法は違うし、変則勤務なので各勤務形態ごとの業務内容も頭に入れなくてはならない。新しいこと、慣れないことが苦手な私には、コピー機の使い方が違うというようなことすら混乱の元。初めの頃は休日でも不安に押しつぶされそうになっていた。不安の一番の原因は覚えるのが苦手だということ。頭も混乱するけれど、体で覚えるというのもできないんだよね。体を動かすのが下手だし、画像の記憶も弱いので、見て覚えることもできない。上手くいっても、今回は何が良かったのかがわからなくて、次回に生かせないということもある。いつまでも職員が付いて教えてくれるわけではないので、わからないことだらけで、内心いつでもビクビクしていた。仕事に多少は慣れてきてからも、不安はつきまとっていた。大変だったことの1つがスピードを求められること。利用者の日課はゆったりしているのに、介護は本当に多いのだ。「その4」で書いたように、動きが遅い私。1人の介助に時間がかかると、他の利用者さんを待たせたり、一緒に組んで現場に入っている職員に負担がかかることになる。利用者や同僚たちにどう思われているのかが、すごく気になってしまった。それまで一緒に働いた経験のない職員がほとんど。私のいい面はわからず、悪いところが目についてしまう可能性も充分ある。でも、実際には同僚たちには助けられていて、面と向かって文句を言われたことはなかった。内心どう思っていたかはわからないけど・・・。余裕は全くなかったけれど、やらなきゃいけない最低限のことはどうにかできるようにはなっていたから、許容範囲だったのかなぁ?私なりには頑張っていることは伝わっていたと思うので、何か言ったところでどうしようもないと感じていたのかもしれないけどね。
2007.09.23
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「その4」~「その6」で書いてきたように、ADHDを知ってからの変化や、他職員の評価を聞いたこと等を経て、少しずつ自信がついてきた。自分を過小評価しなくなってきて、よくよく考えてみると、ADHDを知る前だって得意分野を生かしてなかったわけではないことにも気付いた。(例えば作品制作とか。でも、働き始めて数年経ってからかな。 新人の頃は何もわからなかったので、アイディアも浮かばず技術もなかったから。)毎日良いことばかりではなく、イライラしたり落ち込んだり不安になったりすることも結構あったけど、自分が少しずつでも前に進んでいるという実感があった。上司の指摘&本で読んで表情に気を配るようになったし、(つまり、それまではできていなかった。人と接する仕事なのに^^;)担当の大きな仕事が重なったことがあったのだが、スケジュール表を活用して何とか乗り越えられたことも自信につながった。そして、今まで自信がなくて避けていたけど、もうそろそろ同僚たちへ気になることを指摘をしていこうと決心したのである。ADHDの存在を知って3年、診断されてからも2年ちょっと経った頃のことだった。職員の意識改革をしたいとずっと思っていた。これはあまりにもひどいんじゃない?というような利用者対応もあったし・・・。ただ、そんな職員たちにしてしまったのは私の責任でもあるんだよね。同僚たちが新人だった頃にもっといろいろと教えなくてはいけなかったのに、先輩である私が「仕事もろくにできないのに偉そうに」と思われるのを恐れて言えなかったから。実際にやったのは意識改革というほど大げさなものではない。でも、会議での問題提起と、個人的に「これはよくないと思う」ということを数人の職員に話した。恐くもあったけど、自分が少しでも施設を良くしようと動いていることにわくわくしていた。こちらから一方的にいろいろと意見を言っても、相手が受け止めてくれなくては意味がないから、言う内容も言い方も選んで、しかもはじめに思っていたように話が進まなくて、伝えたいことが10あっても、実際に伝えられたのは1か2くらいだけど・・・。多少でも行動できたということと、相手もわかってくれたことで、さらなる自信になった。上司も私のこの行動を認めてくれた。役職者からだと指示と受け止められてしまうので、同僚という立場からの意見、助言は大切だとのこと。いろいろと足を引っ張ってきた私だけど、ようやく私もここまで来られたんだなぁとしみじみとした気分になった。「自分がADHDだから利用者のことがわかる」というのも職場での存在意義の1つかもしれないけど、ADHDとは全く関係なく、中堅職員としての役割を果たすことができたから。でも、そのまま現在に至る、というわけではなく、大波乱(?)が待ち受けていたのである・・・。
2007.09.19
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ADHDを知ったことも大きかったけど、自己肯定にもう1つ大きな影響を与えたのは、他職員の私に対する評価を聞いたことである。職場である問題が起こり、全職員が上司との面談を行ったことがあった。問題に対する説明が主だったんだけど、職員関係等の情報収集もしていたようで、上司が同僚(後輩)たちに、私についてどう感じているか聞いたということを、私との面談の時に教えてもらったのである。(良い職場にする為にはチームワークが大切だし、 特に経験の長い職員の働きや評価も重要だからか? カミングアウト済みだから、私のことを心配してくれていたのかもしれないけど)さてその結果だが、Aさん(先輩職員)に比べて、決して私の評価は悪くないとのこと。誰かとの比較というのは、本来ならあまりいいことではないのかもしれないけど、その時の私には具体的にイメージするのに役立った。Aさんは私より仕事がこなせるし、知識だってある人だ。だから、問題は仕事ができるかどうかだけじゃないってことなんだよね。仕事以外でも、私は同僚たちと特別仲がいいというわけではなく、好かれる、認められる要素があるとは思えていなかったので、聞いた時は意外で嬉しかった。結局何が良かったかというと、人に対する批判をあまりしていなかったことのようだ。周りに対して文句ばかり言っていると、いくら経験があって仕事ができても、人はついていかないということだな。私は自分に自信がないあまり、人に対して意見が言えないと「その3」で書いたけど、実はそれが良い結果につながっていたらしい(^^;自分としては「言うべきことも言えない・・・」と自己嫌悪の種でもあったのだが。また、Aさんは何かがうまくいかなかった時に、Aさん自身にも問題があったとしても、「周りが動いてくれなかったから」と、自分のことは省みずに不満を言うようなこともあったようである。私だって周りの人たちに不満を感じることはあった。内心では文句も言っている(笑)でも、自分にも悪い点はなかったかと考える。新人職員ではないから、相手にきちんと行ってもらうよう働きかけなかったり、フォローにまわらなかったりしたら、それは私の責任でもあるのだ。(だから自己嫌悪の種^^; でも、自分が100%悪いとはもちろん思わない。そのへんは冷静に判断できるタイプ)当時、そういう姿勢が行動として表に現れていたかはよくわからないのだが、少なくとも「私は悪くない。周りが悪いんだ」ということを力説したことはない。そして、それだけではなく、私なりには仕事を頑張っていることもわかってくれていたのだと思う。夜勤明け等でいつも職場に遅くまで残っているというのは有名(?)で(仕事が遅いからなんだけど)「まだ残ってるの?」「早く帰った方がいいよ」と年中言われていたし。あと、実は苦手な面では手を抜いていることが多いのに、丁寧にやっているから遅いと誤解してくれている人もいたようだ(^^;(真面目に見られがち。ある意味お得?(笑))上司との面談をして少し経った頃、私のことを「利用者に冷静に対応できるところがすごい」と言ってくれた後輩がいた。本当は感情的に接してしまうことも結構あるんだけど、できる限り冷静になろうと気をつけていた。自分ではまだまだだと思うけど、認めてくれていたことを嬉しく思った。その後輩はとてもテキパキ動く人で、実はコンプレックスを感じていたのだが、自分の得意分野を生かせればいいんだなと思えるようになってきた。悪い評価ではないことを知り、自信がだんだんついてきたところで、ふと気付いたことがある。人に悪く思われているんじゃないか、陰で何か言われているんじゃないかという不安が強い方だったのだが、意外と他の人も陰ではいろいろ言われてるんだよね。私自身だって、同僚たちに不満を感じることはあるわけだし。きっと私も何か言われているだろうけど、私だけが特別なわけじゃない。人にどう思われているのか気にしすぎる必要はないと思えるようになったのだ。ある意味、開き直りだな。
2007.09.14
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ADHDを知って変わったことはもう1つある。それは、発達障害について詳しくなったことだ。「片づけられない女たち」の訳者ニキリンコさんのプロフィールに、「高機能自閉症=アスペルガー症候群」と書かれていたことがきっかけだった。私が働いている知的障害者施設の利用者にも自閉さんが何人もいる。当時(2000年末)はまだ高機能自閉の存在を知らなかったので、その利用者さんたちと翻訳業をされているような方が同じ障害だなんてどういうことだ?と興味がわいたのだ。リンコさんのHPは隅々まで読んだ。当時の日記は自閉エピソード満載で「なるほど~」ということも多かったし。それを読んで、自分では説明できない利用者さんたちの感覚がわかってきたんだよね。そして、そこから発達障害関係HP巡りが始まったのだった。特にお子さん(当事者)のちょっとしたエピソードが載っている日記を好んで読んでいて、「勉強」というのではなく、自然に発達障害について詳しくなっていった感じ。ま、関連書籍もそれなりに読んだけどね(ADHD関係は自分の為にだけど)詳しくなったことで、利用者対応での「これでいいのかな・・・」という不安が減った。それまで本当によくわからずに人の様子を見て動いていたという感じだったから。(しかも人によって考え方が違うから混乱していた)でも、発達障害の知識という核になるものができ、自己判断が前よりは楽になった。(優先順位をつけるのが苦手という特性の為、あくまでも「前よりは」^^;)それに、自分のADHDを自覚したことで、利用者の気持ちがよりわかるようになった。「なんでそんなことでパニくるの?」というようなちょっとしたことで躓いている人もいる。私は特性がそれほど重くなかったり、知的障害がないことで理性で表に感情を見せないでいるから、それほど目立たないだけ。他の職員にはピンと来ないようなことも、実感としてわかるのだ。私はそれまで職場での存在意義について悩んでいた。これだけは人に負けないぞというような取り柄もなく、足を引っ張っていることも多い。元々対人関係に問題を抱えていた人間なので、明るく話し上手でしかも対応も上手い職員のような人気もない。「生きているだけで意味がある存在」という持論があるので、この世における存在意義について今更悩んだりはしないが、仕事ではそうはいかない。自分の役割を果たすことで給料をもらっているわけだから。経験年数で多少給料も上がっているのに、それに見合った仕事ができていないという罪悪感のようなものもあったし、同僚たちに本当は必要とされたいのに・・・という願望もあった。こんな私でもここにいる意味を見つけることで安心したかったのだ。でも、利用者のことがわかるようになって、「自分にもできることがある」ということに気付いたのは自信になった。しかも、それは私がADHDだからなのだ。他の職業の人には直接参考にならないかもしれないけれど、私にとってADHDは単なる悪者ではなく、長所の1つでもあると実感している。
2007.09.10
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ADHDを知ったことは転機の1つだった。「片づけられない女たち」を読んだのが28歳の時。メディアで「片づけられない女」が取り上げられるようになる少し前くらいのことだ。初めは「私はADHDだったんだ!」とピンと来たというよりは、自分ももしかしたらそうかもしれないけど、書かれていること全てが当てはまるわけじゃないしどうなんだろう?という程度。その後、他にも本を読んだり、成人ADHDの集まるサイトに出入りしてみたりしたことで、たぶんADHDだという思いを強くし、診断を受けたのはADHDを知ってから7ヶ月後だった。薬も飲んでみたけど著しく効くタイプではなく、飲み忘れが多かったこともあり、結局今は飲んでいない。では、診断前と何が変わったかというと、まずは、自分がどんな人間なのか、特性をより細かく自覚することができた。それまで漠然としていた苦手なことが、具体的にわかってきたのだ。例えば、どうして仕事が遅いのか。ひと言で言えば、不注意が原因で効率よく動けないんだよね。「あれを忘れた」「これを忘れた」と無駄にあちこち動いている。何から行ったらいいのか混乱して動きが止まってしまうことも多いし、1つ1つのことを終わらせないで、他のことを始めてしまったり、ふと目に入ったものに気がそれ、関係ないことを考え始めたり・・・。あと、現場ではあまり関係ないけど、デスクワークの時は人の話し声が気になって集中できない。音は大丈夫なんだけど、会話の内容をつい聞いてしまうので。これらを自覚することで、できるだけ気をつけるようにしたり、対策を考えたりして、多少は改善された部分もあるけれど、行動として変わらなくても、「何でできないんだろう・・・」と悩み落ち込むのではなく、卑下することなく「ADHDだからなんだな」と思えるようになってきた。上手くできないことに関して、前よりも精神的なダメージを受けなくなったのだ。また、一部の上司にはADHDであることをカミングアウトしている。(「この人になら話しても大丈夫だな」と確信できた人にのみだけど)自分が仕事を上手くこなせないこと、気が利かないこと等についてどう思われているのかビクビクしていたのがなくなり、とても気が楽になった。(仕事を溜め込んでいたことも言い出せたし^^;)もちろん、障害だからできなくてもいいんだというわけではない。上司の1人には、職員として雇っているのだから、障害だからと全て配慮できるわけじゃないと言われた。ボランティアではなくビジネスだと。これは私も当たり前のことだと感じた。その上司も私のことを理解してくれた上での言葉なので。大切なのは私にも職場にも不利益にならない道を探ることだと思っている。
2007.09.05
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