あけやんの徒然日記

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あけやん2515

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2006年01月02日
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カテゴリ: 野球
 先日の仰木彬さんに続き、プロ野球界に大きな影響を与えた近藤貞夫さんが亡くなられました。ともに、プロ野球に斬新な采配や選手起用でプロ野球ファンを楽しませてくれました。

 近藤貞夫さんは私のひいきチーム、横浜大洋ホエールズの監督時代に「スーパーカートリオ」とネーミングされた足の早いバッターを1、2、3番に置いてその足でバッテリーをかく乱するというなんとも変わった選手起用をしていました。まぁ、なかなか当時の大洋の戦力ではそれをもってしても、Aクラスへあがっていくのは至難の業でしたが。

 それから、近藤貞夫さん自身は投手出身なので、特に審判のボークの判定への「しつこさ」というか「しぶとさ」というか、みていて「もうええのとちゃうの」と思うくらいでした。
 しまいにはブチきれて、「このへたくそ!」の暴言で退場、しかもグラウンドを追い出されるまで暴言を吐き続けているというのが印象的でした。
 いつだったかの「プロ野球珍プレー好プレー」にゲスト出演されていたときに、「あれはボークだったんですか」と聞かれて「はい、ボークです。100%ボークですね」と即答された近藤さん、投手出身らしいこだわりでした。

 斬新な采配がなかなか時代にマッチしていなかったり(時代の方が遅い?)、それが球団首脳の理解を得られていかったり(球団首脳の勉強不足?)という場面もあったそうですが、中日監督時代の1982年のリーグ優勝は斬新な采配と選手起用が見事にマッチしたのではなかったでしょうか。

 ご冥福をお祈りします。





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最終更新日  2006年01月03日 00時21分28秒
コメント(6) | コメントを書く


■コメント

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名前だけ・・  
名前だけは知っていましたけど・・
中日が優勝した時の監督だったからかな?

(2006年01月03日 09時55分52秒)

あけましておめでとうございます。  
tm9797  さん
あまりおめでたくない記事に新年のご挨拶をかぶせてしまいました。ご容赦ください。
私は現在36歳ですが、25年来のドラゴンズファンです。
近藤さんの訃報というのは、そのお人柄もあり、余計に寂しいニュースですね。
この方のような「個性的なアイデアマン」は、ともすれば「異端」「キワモノ」として扱われてしまいます。「右へならえ」の世の中で、人と違うことを押し通そうとすると、そのような扱いになってしまうのでしょうね。馬鹿馬鹿しいことですが。
その点、中日での優勝経験と「投手分業制」というシステムを球界に浸透させた実績からか、近藤さんに対する評価は概ね好意的なようですね。
地元名古屋では、近年まで中日戦のテレビ解説をされていました。よどみなく、スパっと断定する話し方が大好きでした。今朝の中日スポーツ(1~3面まで特集記事!)によると、原稿執筆もご自身の筆で行い、記者まかせにすることはなかったそうです。
中日ファンとしては、「オレ流」落合監督や近藤貞夫に見出された男の牛島監督(この人の野球理論も中日ファンには高く評価されてました)に後継者になって、球界を盛り上げていただきたいものです。
ご冥福をお祈りします。
(2006年01月03日 10時02分00秒)

Re:名前だけ・・(01/02)  
いぶかずひでさん、いつもありがとうございます。

>名前だけは知っていましたけど・・
>中日が優勝した時の監督だったからかな?

中日ファンとか名古屋近辺にお住まいの方ならおなじみかもしれませんね。
普段からいかつい顔ですけど、審判への抗議の時は血管がブチキレそうな表情でした・・・。

(2006年01月03日 16時21分49秒)

Re:あけましておめでとうございます。(01/02)  
tm9797さん、ありがとうございます。

確かに正月からおめでたくない話しですが、私のひいきチームの横浜大洋の監督も勤められたということで、思い出深い方です。

>この方のような「個性的なアイデアマン」は、ともすれば「異端」「キワモノ」として扱われてしまいます。「右へならえ」の世の中で、人と違うことを押し通そうとすると、そのような扱いになってしまうのでしょうね。馬鹿馬鹿しいことですが。

おっしゃるとおりかもしれませんね。
確かに「変わったことするんやなー」って感じでしたけど、彼の考えと実践なくして今のプロ野球はなかったのではないか、なんて思ってしまいます。

>地元名古屋では、近年まで中日戦のテレビ解説をされていました。よどみなく、スパっと断定する話し方が大好きでした。今朝の中日スポーツ(1~3面まで特集記事!)によると、原稿執筆もご自身の筆で行い、記者まかせにすることはなかったそうです。

なるほど、それはすごいですね。やはり、ご本人なりのこだわりが記者任せに出来なかったんでしょうね。

選手起用、特に投手起用は目を見張るものがありましたね。斬新過ぎたところもありましたが。

関西ではなかなか中日戦がありませんので、時折ナゴヤ球場での読売戦や阪神線でその解説を拝聴することができましたが、ものの見事にズバズバ斬っておられましたね。

あんなにズバズバ斬れる方は、近藤さん以外には阪急や近鉄の監督をされた西本さんだけになってしまいました・・・。

くわしいコメント、ありがとうございました。
(2006年01月03日 16時32分19秒)

Re:近藤貞夫さん、死去(01/02)  
anakinsolo  さん
あけやんさん、この話題は私も答えねばならないでしょう。
近藤貞雄さんですね。謹んでご冥福をお祈りします。

さて、近藤さんは、'74年にセリーグ優勝したときのヘッドコーチで、この年にできた板東英二唄う応援歌「燃えよドラゴンズ」にも、♪近藤コーチの作戦に♪と歌詞があり、非常に親しみのある方でした。

今にして思うと懐かしいですね。近藤さんの頃のドラゴンス(近藤さんの解説を聞いていると、そう聞こえる。)は、野武士野球と言われた強力打線で早い回に点を取って、中盤はハラハラ、最後は抑えのピッチャーで逃げ切る。
近藤さんの当時は、ラジオ観戦が主でしたが、ホントハラハラしながら聞いていたものです。

当時が応援が一番楽しかった頃かもしれません。
(2006年01月03日 23時48分47秒)

Re[1]:近藤貞夫さん、死去(01/02)  
anakinsoloさん、いつもありがとうございます。

>あけやんさん、この話題は私も答えねばならないでしょう。

そうですね。中日ファンの方には特に印象深い方ではないでしょうか。

>さて、近藤さんは、'74年にセリーグ優勝したときのヘッドコーチで、この年にできた板東英二唄う応援歌「燃えよドラゴンズ」にも、♪近藤コーチの作戦に♪と歌詞があり、非常に親しみのある方でした。

なるほど。燃えよドラゴンズの全ては聞いたことがないのですが、コーチまで登場するんですね。74年当時の監督はウォーリー与那嶺さんでしたね。
そこに登場する近藤さん、目立ってますねー

>野武士野球と言われた強力打線で早い回に点を取って、中盤はハラハラ、最後は抑えのピッチャーで逃げ切る。

なるほど、74年当時はさすがにわかりませんが、82年当時なら打って打って打ちまくるイメージが強いです。そして、最後は現横浜監督の牛島さんが鋭い目つきで相手打者に立ち向かう・・・。手ごわかったなー
その時の指揮官も近藤さんなんですよね。

>当時が応援が一番楽しかった頃かもしれません。

いつまでも近藤さんのズバッと冴え渡る解説が聞きたかったですね・・・。
(2006年01月04日 00時11分27秒)

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