あけやんの徒然日記

あけやんの徒然日記

PR

お気に入りブログ

北関東の旅 東海村(… New! MoMo太郎009さん

【旅先スケッチ】北… Tabitotetsukitiさん

はやみねかおる 書… 幹雄319さん

zikomo days in Mala… あばぷひ★さぶさん
ごきげんいかが? サクランボ2008さん

プロフィール

あけやん2515

あけやん2515

2020年01月08日
XML
先日のブログでも少し紹介しましたが、先日の信貴山へのお参りの際に歩いたのは、1983年に廃止されたケーブル線の跡地でした。正確には、近鉄東信貴鋼索線といって1922年に信貴生駒電鉄(今の近鉄生駒線を運営していた会社でのちに近鉄に吸収された)が開業させたのですが、1930年に信貴山の西側にも同じようなケーブル線が開業するとそちらのほうが大阪に近いこともあって、利用客が減少して1983年に廃止されてしまいました。



 そのケーブル線の跡地は、このように道路に転用されているところもありまして、ケーブル線当時の面影は残っていません。写真の奥が近鉄生駒線の信貴山下駅で、ケーブル線はここから出発していました。



 山側をみるとこんな感じ。急坂がずっと山のほうに伸びています。



 その道路に沿ってこのような道路も並行して走っています。こちらが元々の道路なんでしょうね。だから、前出の広い道路をケーブルカーが走っていたのかと思われます。



 上り坂をひたすら上ってきました。はるか下のほうに信貴山下駅がありまして、車でも結構きつい上り坂となっています。登りきったところはT字路となって別の道路と接続しています。ケーブル線の跡地は、ここで一旦わからなくなるのですが、このような表示を目印に歩いていきます。



 「ケーブル跡ハイキング道」と書かれれていて、ここからはかつてのケーブル線の面影が残っていました。



 現役当時の枕木かどうかはわかりませんが、このような木がたくさん埋まっていました。



 木々が大きく育っていて見通しの悪いところもありました。



 上り坂ばかりで、振り返ると見通しはよくありませんがケーブルカーが通っていたように感じる直線の道がよくわかります。




 その木柱にこのような金属の拍子木のようなものがありました。なんの役に立つんだろう?
 イノシシを追っ払うためのもの? なわけないか・・・。



 谷を越えるための小さな鉄橋のようなものもありました。かつてケーブルカーが通っていたところは、コンクリートで舗装されていますけど、キャットウォークのところはそのまま残されています。



 先ほどの小さな鉄橋からさらに急な坂を上ると、かつてのケーブル線の山上駅があった信貴山駅の跡地に着きました。1983年にケーブル線が廃止された後は、写真に写る奈良交通の路線バスが信貴山下駅(一部は王寺駅)からこの信貴山バス停までバスが運行されています。



 私は、信貴山下駅から歩いてきましたが、この信貴山バス停近くにはこのような立派な案内がありまして、山を下る方が一般的なのかな。実際にも下から上がる人は、この日は私だけしかいませんでした。逆に山を下ってくる人は何人かすれ違いました。

 先日のブログにも書きましたが、私の家から約1時間くらいで行くことができるので、またチャレンジしてみたいと思います。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年01月08日 23時54分51秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: