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人はこの地球上に生を受けて、この地球上でその「地球」の恩恵に預かり、「隣人」と支え合って生きているものだと思います。人類の始まりと共に国があったわけではなく、国というものがこの先、なくても困らない、いや、ない方が地球にとっていい、という風にならないとも限らない、と思います。人類にとって何が大切か?地球にとって何が大切か?21世紀―より先?―を生きる人々にとって国という柵にしがみついていたのでは生きにくい、という時代が来るかもしれません。国と国との対立があるとすれば、利己的な対立の延長線上のものと考えられます。国家という枠は絶対的なものではありません。その枠があるために見えないこともあるかもしれません。人類の将来を明るいものするためにその枠が人間を押しつぶさないでほしい。子どもたちの未来のために可能性を無限のものとするために大人は社会の懐を大きく、深くしていかなくてはいけないと思います。国旗国歌にとらわれていては、本当のことは見えないのではないか?というのは、面従腹背を強要するお薦めするようなことになりそうで・・・それは全然、教育的に間違っていますし。。学校で教えることはもっと大切なこと「人の命」「人の心」を大切にすることではないでしょうか?それこそが自分を大切にすることであり、隣人を大切にすることであり、自分たちの社会を―ひいては地球全体を―大切にすることになると思います。
2006年09月30日
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今朝のNHKラジオは対国際テロ戦争というお題でした。アメリカがやったことで、民主化が進み、世界はより安全になったとブッシュ大統領は自画自賛してますが・・・どうも3大テロ戦争―アフガン、イラクそしてレバノンにおける戦争―を戦ったあとに残されたものは、そういったバラ色の世界ではなさそうです。解説では、その戦争で逆に新たなテロの種をまいてしまっている不安が語られていました。彼らがテロリスト(と呼んでいる勢力)に共感する人たちを増やしてしまった、と・・・「テロリストとは何か」をよく考えてみた方がいい、とのことでした。そういえば、テロとの戦いを叫ぶ人は、「テロリスト」とは「無条件に唾棄すべきやから」とのみ考えているようです。確かにそういう面もあるかも、ですが、では「テロとの戦い」という名の下に、無辜の民を空襲でムシケラのように殺している自分たちはどうなのでしょうか?憎しみの種をまくだけでなく、”肥やし”までやっている、そう思いました。できるなら、微笑みの種をまきたい、助け合いの種をまき、それにこそ、”肥やし”をやりたい、真剣にそう思います。
2006年09月26日
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豊かな自然、豊かな資源を蓄えているように見える地球ですが・・・実は急速にその豊かさを失っているのではないか?『大江戸リサイクル事情』(石川英輔著1997年刊)を読んでから、「地球上に生きる理性的な生物としての人間」が今のままの生活をしていていいのか?という疑問に苛まれています。前書きにある箇条書きを抜書きすると1.短期的に合理的なことほど、長期的には不合理な結果をもたらしやすい。2.長期的に合理的なことほど、短期的には不合理に見える。3.ただし、短期的に不合理なら、長期的に合理的とは限らない。これは便利な方法は短期的には合理的に見えるけど、それは厄介ごとがなくなることを意味しているのではなく、見えないところに押しやっているだけのこと。どこかから借金をして楽をしても、いずれは利息と共に返済を迫られるのと同じでいずれは厄介ごとは廻り廻ってより複雑な形で舞い戻ってくるという意味のようです。早い話が、何億年という時間をかけて地球が育んできた化石燃料は何億年という時間をかけて費やされるなら循環が可能であると言えますが、実際にはあと何百年、下手をすると何十年かで使い切ってしまう勢いです。そうなると、リサイクルは不可能で、だから今代替エネルギーの開発に人類は一生懸命なわけですが。。。江戸時代は去年と今年、1~2年の間の太陽エネルギーですべてを賄えていたということです・・・すべてのものがリサイクルされ、循環していた時代、そういう時代はもう不可能だということはないと思います。ただそういう社会を目指すにはかなりの変革が必要になるのではないか?という覚悟がいるような気もします。一番の問題はなんといっても戦争するための仕掛け、これが人類にとって最も無駄なエネルギーの支出である、と全世界の人々が気がついてほしいです。こうしている間にも、貧しいものたちの武器である地雷が次々に生産され!、埋められている!今埋められている地雷を掘り起こすのにどれだけ苦労しているか、分かりきっているのに!!核兵器だって使われれば地球の、人類の悲劇だとわかっているのに、捨てるのをやめないどころか、新たに作ろうという情けないものたち。。戦争の多くは資源の取り合い、自国の利益に固執する醜い国々同士の争い、ではないでしょうか?地球の資源をめぐる争いは人類の知恵で克服しようではありませんか!
2006年09月23日
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コンビニのミニストップで割り箸を有料化するとのこと。二酸化炭素の排出量を6%減らすのに、その内3.9%が日本の森に期待されているのだそうで、その森が元気でないと目標に到達しないのだとか。そこで、割り箸に5円払って森を元気にしようということのようです。そうなると、マイ箸を持参ということで5円を節約するより、5円お支払いして割り箸買う方が環境に役立つのかしら?と疑問が・・・というのも、割り箸はもともと建築廃材端材で作られているから、環境負荷が少ないという話を聞いたような気がしまして。有料化といっても国産のものだけ、ということなので、環境に配慮しようという心意気は持ってほしいという発信なのかな?とも思ってみたり。マイバッグ持参というのもあまり進んでいないようですし。というか買い物の時、「袋は結構です」と断っている人をあまりお見かけしないのです。かくいう私も時々忘れますm(__)m―直接行く時は持参しますが、そうでない時つい。気をつけます(>_
2006年09月19日
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”小学3年生の男の子が女の先生を20回もけりとばし・・”という記事を読みました。(最初5年生としましたが記事を読み返したら小学3年生!でしたm(__)m訂正しました。すみません)教室の中であらゆるものを蹴り飛ばしているので、応援の女性教員が外に連れ出し―担任の先生は他の子どもにかかり切り―、「そんなにけりたいなら、私を蹴りなさい」と言ったところ本当に蹴りはじめ!隣の男性教員が助けに来るまで蹴り続けていたとのこと・・その心の中の「荒れ」とはどういったものなのか?とても気になりました。その子はけりながら、心の中で泣いていたということはないでしょうか?ただの「苛立ち」だけでしょうか?子どもを育てるのは親(だけ)ではない、社会だ、とこういうとき、強く思います。子どもの心をそういったところに追いやるのは、広く、深く、社会状態が影響を与えていると考えてしまうので・・・本来楽しくて仕方ないと言うくらいでちょうどいい、はずの小学校生活が、なぜ、こんな悲しい「心の荒れ」を拭い去ることができないのでしょう?記事では、別の女性教諭の言葉として「学校の先生は事務の仕事が多くて、子どもに向き合う時間がない、そういった時間を確保してほしい」といったことが書かれていました。先生も、子どもの心に寄り添うようにはできていない―許されていないというべき?―、それが学校教育の現実。学校をそういう窮屈な状態に追いやっているのが、今の社会。「いじめはいけない」とお説教をするエライ政治家の方々―その人たちがやってること―消費者金融の弱いものいじめを見てみぬふりしていませんか?額に汗して働くことは美徳だとかいいながら、天下りをしてうまい汁を生涯吸い続けて弱いものから搾り取っている方々の味方をしていませんか?楽をしてお金を稼ぐことが素晴しいことだと、実は奨励していませんか?お金をたくさん稼ぐことがいいことだと、実は教えていませんか?そんな大人の社会の汚さが全然子どもに見えていないと思ったら大間違いです。子どもの心の中に起こってしまった”荒れる”心があるとしたら、それは子どもの責任ではなく、全面的に大人の責任だと思います。
2006年09月14日
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社用で外出した際にラジオから聞こえてきたのは、どうやら赤ちゃんを育てるのにどこからも助けが得られないような状態におかれた方へのメッセージ?のようでした。”助けを求める”ことも一種の能力なんだ~と目からうろこ状態の私です。孤立させられた育児が問題だと言われ続けていますが、まだまだその解消には程遠いようです。そんな時大事なのは、一人で抱え込まないで、誰かに助けを求めてほしい!その助けを求める行為って実はなかなか難しいことだと気がつきました。第一に誰に助けを求めればいいのかという問題があるし、どういう助けが必要なのかもわからなかったり、助けを求めてもいいのかどうかさえも??わが身を振り返っても、人に助けを求めること自体が「いいことだ」なんて思えなかった―それどころか人様を頼るなんて悪いこと?―のように、自分で解決するのが正しいように思わされていた?ように感じます。実際にはそんなことできっこなくて、誰かの助けは必要で、だから素直に、助けてくださいって言える「力」が必要なんですね♪それは個人のためじゃない、みんなのために必要なことなんだと思います。
2006年09月13日
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9・11テロの被害者の遺族の方の言葉です。こういう思いは人として尊いもの、と思います。その後、”テロとの戦い”と銘打たれた戦争によって”私たちのような思いをする人たちがどれだけ増えてしまったか?”とその方は嘆きます。もうそんな思いは誰にもさせたくない!!そういった叫びはなんとしても、実りあるものにしたい・・・ところがラジオでは、”テロはどんなに撲滅しようとしてもなくならない、だから、テロに対する対策=身の回りの検査とか、盗聴!とかには、(少しは人権が軽んじられようと?自由が奪われようと?)甘んじて協力するように”云々。。とそこまでは言ってませんでしたが、それに近いことが・・・「テロとの戦いによって、テロはへるどころか逆にその危険性が増えてしまっている」という現実は認めつつ、テロ対策は仕方ない、と受け入れるしかないのでしょうか?「テロとの戦い」そのものがテロの危険性を高めているというのに、それに対する対策はなく、ただ身の回りが窮屈になることだけを押し付けてくるなんて、おかしい。大国の横暴をこのまま見逃しておいていいのか?それこそが最も危険なことではないでしょうか?このことをこそ、大いに問題にしてほしいと思うのですが・・・
2006年09月11日
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というのは、江戸時代のことを少~しだけ考えてみたからで・・・江戸時代は、見事にリサイクルのお手本のような社会だったようです。鎖国をしていたのだから、必要なものを国内で調達するしかなかったのは当然として、ごみを全く出さなかった!というのが素晴しい!!環境に負荷を与えることが皆無だった!!それが300年近く続いて、その後の100年ちょっとで、どうでしょう、地球はごみの山!!と化してはいないでしょうか?目の前からなくなれば安心といったことではなく、いつまでも分解されずに永久に残るごみがどんどん増えていないでしょうか?エネルギーの消費について特に思うのは、地球が何億年もかけて育ててきた、化石燃料、それをたった数100年で使い果たそうと言う勢いなのです。。それをまた使った後のごみがたまる一方・・地球はあと100年もしたら、化石燃料に替わる新しいエネルギーを作り出すから大丈夫!心配するな?なんて誰にも言えません。そうでなくても人口爆発という予測は、新しいエネルギーの創造以上に確実に起こることでは??しかも昨日も触れましたが、90億人になるという話は100年後ではなく、44年後なのです。100年後は遠い話ではなく、子どもの孫くらいの世代。。その時代をどういう時代として残してやれるのか?(ちなみに私の曽祖父は江戸時代の生まれです!!)対策をいますぐ考えていかなくては、エネルギーはなくなり、ごみはたまり、人は増えの循環はとどまるところを知らず・・・これからの為政者は特に、狭い日本のことだけを考えていていいのか?地球のことを第一に考えないと、この後何年地球が無事でいられるかわからない、と本気で心配しているのです。
2006年09月08日
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きのう、地球の人口が65億人を超えたと聞きました。私が?十年前学校で習ったのは36億人ですから、1億人とはいわず、8000万人ほどが毎年増えているような状況?でしょうか・・・そして2050年頃には90億人を超えそうだと言う観測・・・「食料は?」という心配の声が聞かれました。地球の人口は「これがベスト」という目安はあるのでしょうか?地球が養える許容範囲ともいうべきものが?問題は発展途上国で爆発的に増えていることだと言われています。確かに8000万人の新たな命は、全員が!大事に育てられることが可能か?(生まれる人数は1億4000万人でした!!すみません)という不安が拭い去れません。まさに昨日、やんごとなきおかたのところに男の赤ちゃんが生まれましたが、まさか全員をその子と同じ位に手をかけて育てなくてはいけない、ということはありませんが、健康で安全に、一生をまっとうできるような育てられ方が許されるのはそのうちのどのくらいなのか?心許ない感じです・・・先進国では人口の伸び率は低くなっています。もし、低い伸び率が理想なのであれば、発展途上国の経済の状態を先進国の状態に近づけるということに先進国の経済力を割いてもいいのではないでしょうか?それこそ、地球の明日のために必要なことではありませんか?生まれてくる赤ちゃんが全員豊かに生活できることが人類の目標ではありませんか?人殺しのために使うお金があるなら、それを全部”人生かし”のために使ってほしい!!
2006年09月07日
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呼びかけているのは、停戦3週間のレバノンで活動する女性フォトジャーナリストの方。(今朝のラジオです)停戦となったとはいっても、復興はまさにこれから。こわされた橋や家の瓦礫を取り除いたり、その再建、修理等、気が遠くなるような作業が目の前に立ちはだかっています。壊した当の張本人のイスラエルが責任をもってやるべきと思うのですが・・もう70歳を越えたような方が、「イスラエルに攻撃されるのはもう5年に一度という位で、どうにかしてほしい。他に行く所もない」別の方は「なんでこんなに大勢死ななきゃならなかったのか、非常に腹が立つ」”どうして私たちがこんな目にあわなくちゃいけないのか?”という疑問に、誰が答えられるのでしょう?国際社会がもっとこの問題に関心を持ってくれたら、こんなに大勢の犠牲を出さずにすんだのではないか?この地上に起こっていることは、同じ地球の住民として無関心でいてはいけないのではないか?彼女のこの言葉はとても痛い・・・!
2006年09月06日
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自民党が出そうとしている改正案を例によって聞きかじりました。(ラジオ夕刊)―「利息制限法」では最大20%しか利息をとれないのに=この法律には罰則はない、「出資法」では29%以上が認められている=こちらは罰則あり―それで世の高利貸の皆さんは罰則がないぎりぎりの20%台後半の利率を適用して、か弱い庶民から暴利を貪っていらっしゃる、それが可能となっている。この状態を少しでも改善しようと言う案らしいのですが、どうも、『本気でグレーゾーンをなくそうという意欲』が感じられるものではなさそうなのです。急激な変化は商売に差し支える?ということなのかどうか、実質9年間の猶予期間が考えられているそうで・・・今すぐにでもやられてしかるべきではありませんか?もう発表されなくなりましたが、納税者番付の高位に高利貸の名が続々~というような事態は、恥ずべきことではありませんか?その利益はどこから来たかと言えば、法律に違反して、しかも、払いすぎている人々までをも泣かせて得たものではありませんか?人を泣かせて得られたような所得が誇らしげに語れる所得でしょうか?傍を楽にするために働く人たちの尊い労働こそが高い所得の源泉であるなら言うことはありませんが、現実にはそういう方たちの労働は(現業とか言われたりしますが)とても低い評価しか受けていないことがとても多いと思います。社会を底辺から支えるようなそういう労働に携わる人たちがえてして、高利貸の”餌食”になったりするような気がします。政治は前者の味方か、それとも後者の味方か?自民党さん、いつまで、高利貸の方ばかり大事にするおつもりですか?
2006年09月01日
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