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『保育園落ちた日本死ね』というブログに対して表現が良くないという声を耳にするのでつい擁護したくなります。というのも、待機児童の問題は今に始まったことではないにもかかわらず、抜本的な解決にはほど遠い対策しか取られてこなかった、これは紛れもない事実です。何よりこれを物語っているのが、全産業における平均賃金が保育士のそれは月額11万円も低い、というところに表れていると思います。今回この「日本死ね」のインパクトが強かったからこそ、国会でも取り上げられたし、与党の方達にもこれは何とかしなければ、とやっと保育士さんたちの待遇改善が進みそうな話になっているのではないでしょうか?普通に保育園落ちた・・だけでは今までと何も変わらなかった可能性があると思います。国会で取り上げられることもなかったかも。。為政者は今までの延長上でお茶を濁して、はい、精一杯やってます、と言い張ることもありえたように思います。こんなに働く育児世代の親たちが困っているなんて、いや、困っているなんてもんじゃない、社会の損失にすらなっているなんて、想像できない方達のようでしたから。その理解力のなさにこれだけ怒りが集まるなんて、予想外だったのではないでしょうか。死ねなどという言葉は、特定の団体なり人間なりを貶めるため、あるいは傷つけるために言われるとき、責められるべきで、今回のように、こんなこともできないような国は国家としてどうか、というような意味の場合はヘイトスピーチとは全然違うものと思います。しかも街頭で大声でわめいているわけでもなし、激しいつぶやきになったとしても、読む方は内容を確認することが可能なわけだし。内容がひどければ無視すればいいし。結果的にこれが待機児童の問題解消につながることを大いに期待します。
2016年03月19日
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「保育園落ちた日本死ね」のブログに対してやれ、匿名だから真実かどうか私にはわからない、だとか本人を出せとか実に情けない。その人達の想像力はその程度のものなのか。それともそれが真実であると知っていてわざと知らないふりをしているのか?保育園に落ちたからといって働けないはずはない、と本気で考えているわけでもありますまい。落ちた人たちはどうしているのだろう?さぞ仕事ができなくて困っているだろうと考えてみることもしないのか?おそらくそんな心配をするくらいならあのような発言は出て来ないでしょう。保育行政が本気で向き合ってくれないために、泣く泣く働くことを諦めざるを得ない、また、仕事を辞めざるを得ない状況に陥っている人たちのことはまるで眼中にないのでしょうか?毎年待機児童は何人と数えてはいても、数えるだけ?その子の親達一人一人に仕事があり、子どもを預かってくれるところがなければ働けないなんてことは自明のことだと思っていたのに、国会議員の方達はいや、首相まで、真実かどうかわからない、ですって。あきれてものが言えない、と思いつつ、こんなことを言っていますが。【保育園を増やしたとして、これから少子化が進むなら新しく作っても何年かしたら余ってしまう。そういう事態になるとまずいので、ここ何年か持ちこたえられれば無理に増やすことはないし、保育園で働く人たちはやりがいのある仕事についていて責任感も強いので、待遇が悪くてもそうそうはやめないだろう。そうしたら待遇改善もする必要がないし】とでも考えているのではないか?というふしもなきにしもあらず、では・・・少し違う話になりますが、認可保育園でない、無認可保育園でも保育ママさんでも、とにかく預けられればいいじゃないか、不十分でも働くことはできるという考えもあります。しかしそうした場合、その子ども達は良い保育を受けられなくてもいいのでしょうか?親が働いているいないに関わらずどの子も良い保育を受けられる権利があると考える私はどの子も認可保育園で受け入れられるような環境を整えてこそ、あるべき社会の姿だと信じます。少子化が進み、子どもが大きくなって保育園という器が必要なくなったら、と心配する前に、今の子ども達の幸せを考えないでどうするのでしょうか。将来を作っていくのはその子ども達なのです。より良い将来を築くために必要なことは今の子ども達、これからの子ども達をいかに大事に、幸せに育てていくかにかかっているとさえ言ってもいいくらいに思います。保育園という器が他の役に立つことだっていくらでも考えられるし、それは将来考えればいいことであり、原発のどうしようもないゴミを量産するつもりの今の行政に保育施設が将来無駄になるなどと言って欲しくないものです。
2016年03月04日
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