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http://www.lfj.jp/lfj_2013/ ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013の公式サイトがオープンしてました。 先週末に開いてたんですね....気が付けば、例年より遅いような? 今年で9回目。一応10年が一つの節目とかいう話はあったけれど、さて、どうなるんだろう? そういうこともあるので、今年も盛り上がって欲しいものではあります。 ま、まだ殆どコンテンツはないですけどね......
2013年01月29日
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新国立劇場 14:00〜 3階正面 よく調べたら、やっぱりもう一日買ってあったので、都合3回観に行くことに... 行き過ぎだろ...... そのせいか、ついプログラムを買いそびれてしまいました。次回は必ず買おう。 さて。 今回は最初から観ました。 基本的に、初日と同じですね。ただ、やはり、端の方で観るのと、正面で観るのとでは、結構違う。 オーケストラは、基本的に、悪い出来ではないと思います。ただ、くどいようですが、粘りが足りない。もう一粘りして欲しいんですよね。フレーズの一つずつを、最初から最後まで、フレーズの繋ぎまで含めて、気を配り、疎かにせずに伝わるようにする。勿論、前提には、適切なフレージングというのはあるけれど。 難しいところだというのは分かります。うっかりすると過剰になってしまう。それに、今回聞いていても、よくある「力み返ってテンション掛けまくって演奏する」というのは極力抑えているので、その上で更に粘りを効かせるのは、確かに(特に、標準的な日本のオーケストラである、力んだ演奏に陥りやすい)東響としては、むしろこれでもいい出来だと思います。加えて、3幕ではついに管が力尽きて、ヘロってたし。 でも、それはそれ、これはこれ。 合唱は、評価が難しいですが、やはり私はちょっと....ブラボーは飛んでたし、確かに幕切れは力入ってましたけどね。 問題は、むしろ歌唱の出来ではなく、解釈にあります。 先にも書いた、第3幕前半の帰還した巡礼の合唱の一言「ハレルヤ!」です。 やはり、この日もあの部分は抑えた、つまり前後との関係ではほぼ平坦な歌唱になっています。これが、やっぱり、はっきり言って「おかしい」と思うのです。 今更ですが、このタンホイザーのストーリーには、巡礼が組み込まれています。この「巡礼」というものが身体感覚的にどれほど理解されているのか。 私はキリスト教徒ではない純正日本人なので、はっきり言ってそれほど正しく理解しているかどうかは分かりません。その上での話ですが、巡礼、ローマに行く、というのを、このオペラを観、上演する上で、どのように理解されているのか。 タンホイザーがヴェーヌスベルクから戻って来たのは、牧童の歌からみても、春、5月でしょう。一方で、巡礼達が帰って来たのは、木の葉も落ちた秋、ということは、恐らくは9月末から11月初めくらいにかけてのいつか、でしょう。まず恐らくは4、5ヶ月は掛かっている。 中世に於いて、旅というのはそれ自体が特殊なことでした。そもそも旅をする為のインフラが整っていない。つまり、旅宿というものが整備されていた訳では無い。交通機関だって、郵便馬車の整備が進んだのは精々16世紀。そもそも旅をするという需要が無かった。今のように旅は娯楽ではなかった。しかも、庶民の巡礼者は、目的の所為もありますが、徒歩で行きます。路銀も限られている。その上、庶民が5ヶ月も(それも春から夏、秋にかけての!)仕事をせずに家を空けるということは、その間収入が途絶えるということ。巡礼というのは、人生の一大事なのです。 にも拘らず巡礼に向かったのは、日々の些細な罪の積み重ね(本当に、キリスト教というのは、仏教なんか比べ物にならないくらい、ただ生きているだけでも犯すことになってしまうようなレベルの罪を殊更に苛むようなドSな宗教だと思います)により、魂が救済されずに死後地獄に堕ちるのではないか、という恐怖から突き動かされて行ったから、なのでしょう。 日々雨露を凌げる所に寝られるとも限らない。賊に襲われないとも限らない。ヴァルトブルクのあるアイゼナッハからローマを目指すなら、恐らくブレンナー峠あたりでアルプス越えをするでしょう(ローマ語りでタンホイザーが「雪と氷に身を横たえ」と言っているのはアルプス越えの時でしょう)。危険も多い。旅の身で病に仆れないとも限らない(パリの空にモーツァルトの母が仆れたのは18世紀後半です)。それらを乗り越え、人生の一大事として、やっとローマに辿り着き、無事救済を約束されても尚帰り道がある。 無事巡礼を終え、故郷の地を見た時、救済を約束され、無事帰り着けたことへの神の恩寵へ感謝する。この身を限りに神を讃えんとする。そのハレルヤ!なのです。 抑えた表現で行こう、それこそがここでの全身全霊を以て神を讃える言葉だ、というのなら、それも一つの解釈でしょう。でも、それならそれで、そこで抑えた表現であることが何を意味するのか、それが伝わるような歌唱でなくてはいけない。記号的な「抑えた表現」ではダメなのです。 何故ここがそれほどに大事かと言えば、そもそもこのタンホイザーというオペラは、「エリザベートによる救済」という体裁は採っているけれど、その実カソリック的な神の恩寵がテーマだからです。ちなみに、舞台の展開上、エリザベートによってタンホイザーは救済されたように見えるけれど、ロジカルには、それ以前に神のタンホイザーへの恩寵は約束されているわけです。だって、ローマから木の葉の生えた杖が一瞬で届くわけ無いでしょ?そういう意味で言うと、エリーザベトは、強いて言えば、再び迷ったタンホイザーを救済する為の犠牲みたいなもの。そのエリーザベトの犠牲にしても、つまりは神の恩寵を得んが為。(そりゃ神が一瞬でアイゼナッハに杖を出現させるという奇蹟を成さしめた、という設定は可能かもしれんけど) しかも、その神の恩寵を、神の代理人たる教皇は見誤った、という、物凄くラディカルな話でもある。カソリック的な話でありながら、事実上カソリック批判でもある。このオペラに坊主が全く出て来ないのはその点でも示唆的です。 そんなに宗教的なものか、だって?タンホイザーは物凄く宗教的なオペラですよ。パルジファルなんかよりよっぽどベタです。聖杯の騎士なんて居たのかどうかもわからんけど、教皇は居たし、巡礼だって居たわけですから、よほど設定的にはリアルだし。 そこまで読み込まなくても、まぁ、タンホイザーというオペラは上演可能でしょう。でも、元々はそういう話ではないのかと。そのくらいの読み込みをやった上での演出・演奏であるべきだと思うのだけれど、演出はともかく演奏としてはどうなのか... そうは言っても、実のところ、今回の演出、初演の時はどうだっけ、と思ってブログを読み返してみたら、当時は「幕切れでやってくれました」みたいなことを書いているので、こっちも解釈が変わってる訳で、まぁ、偉そうなことは言えないんだよなぁ... 閑話休題。 歌手の話。 ヴェーヌスのエレナ・ツィトコーワが随分力の入った歌唱で、初日3幕の歌唱はやはりそれだけじゃなかったようで、これは重畳。 ヘルマンとヴォルフラムはやはり良い。安定した歌唱、でしょうか。ちょっとヴォルフラムが2幕いまいちピリッとしなかったけれど。一方、エリーザベトは、2幕冒頭、少なくともこの日は、ヴィヴラートがかかりまくり。これで力が無いと「ちりめんビブラート」って呼ばれる類いの、良く言えばナチュラルな、悪く言えばコントロール出来てないヴィヴラート。後々それなりに安定はしてきましたけれど、ちょっと宜しくないですねぇ。少なくとも私の好みではない。 不思議だったのは、タンホイザーにブーイングが掛かったこと。確かに、ワーグナーを歌うテノールとしては、比較的力の弱いタイプではあるのでしょう。圧倒的に場内を圧倒するような歌唱ではない。ただ、そもそもタンホイザーってそういう役柄じゃないし、ローマ語りあたりはそれなりに出来ている。上手いとは思わないけれど、これでブーイングというのなら、基準は何なんだ?というのを明示しろよ、と思います。個人的には、ブーイングってのは、歌手に対する限りは、解釈が変とか、手抜いてるとか、よっぽど不出来とか、そういう時に出すもので、この程度の、まぁ厳しく言っても「凡庸」というくらいで出すもんじゃないと思います。そういうことされると、ブーイングの意味が訳分からなくなって、即ち聴衆と演奏者との間のコミュニケーションが阻害されるから、困るんですよね。やたら連発されるブラヴォーもそうだけどさ。 後は、まぁ、牧童の國光ともこの声が、清澄感の割に大きかったかな、というくらいか。 長くなりましたが、演出。 基本的に2007年演出の再演なので、改めてどうこういう話はないのだけれど、先に書いたハレルヤ!の話が一つ。それはそれ演出の問題でもあるので。それはそれとして。 初演時のブログでは、タンホイザーの衣装がちょっとね、みたいなことを書いていて、ああ、同じこと思ってるな、と(笑)同じ衣装だったかどうかは覚えてないですが、少なくとも今回のあの下着だかパジャマだかみたいなのはどうなんだろう... 特にヴェーヌスベルクの所で、映像を多用しているのは、前回あったかなぁ。ヴェーヌスを後ろに大写しにする、というのは、恐らくはヴェーヌスを女神として具現化する方策、なのでしょう。そりゃあまぁ、曾ての紅白に於ける小林幸子みたいなのをやる訳にはいかんだろうし、まぁいいんじゃないでしょうか。 まぁ、強いて言えば、一種のショボさ、でしょうかね。反射する板組の、隙間の見える円筒が幾つか立って、それが色々なものを表象する、筈なんですが、あんまり具体化した感じではない。舞台としての説得力がいまいちなんですね。それでも、タンホイザーというオペラは話がはっきりしているし、この演出も新解釈を施す類いのものではない。タンホイザー以外の人物の衣装はこちらの割と典型的なイメージを裏切らない程度のもの。つまり、全般的にはノイズが少ない。だから、これはこれで一応成立はしていると思います。 つまらないって言えばつまらないんでしょうけど。去年の春に観た、神奈川県民ホールでの、びわ湖ホールと共同で出したミヒャエル・ハンペ演出のは、もっとベタだったけれど、ある意味落ち着きはいいかも知れません。 一つだけ苦言を呈すると、2幕の歌合戦、大荒れの中ヴォルフラムが再び立って事態を収拾しようと歌うのだけれど、ここでビーテロフが荒れて暴れるのですね。まぁそれは演出だから仕方無いのだろうけれど、手に持った剣を乱暴に置く、椅子を蹴飛ばして倒す、と、随分と物音が立っていて、これじゃぁ折角のヴォルフラムの歌が聞こえないじゃないか、と。歌手の暴走なら止めて欲しいし、演出指示ならば、少々見直して頂きたい。このキャスティング、ヴォルフラムは「聞きたい方」に入るので、邪魔しないで欲しいのですよ...暴れていいから、静かにお願いします。
2013年01月27日
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新国立劇場 17:30〜 3階右側 ワーグナー:タンホイザー タンホイザー:スティー・アナセン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコーワ エリーザベト:ミーガン・ミラー ヴォルフラム:ヨッヘン・クプファー 領主へルマン:クリスティン・ジグムンドソン 新国立劇場合唱団 東京交響楽団 指揮:コンスタンティン・トリンクス 演出:ハンス=ペーター・レーマン 年明け最初の演目は、2007年初演のタンホイザーの再演。これが初日ですが、しかし、平日の17:30なんてまともに仕事してる日本人は間に合うわけないわけで。結構無理して2幕から。 とはいうものの、暇人が多いよな世の中、と思っていたのだけれど、思った以上に2、3階に空席が目立つ。平日公演だから当然とは思うけど、それにしても、タンホイザーで初日でこんなもんですか、という意味ではちょっと意外。 ま、結局人のことは言えないのですけどね。 というわけで途中から観ているのでなんともですが、まぁ、取り敢えず、悪い出来ではなかったと。ただ、やっぱり、あれだなぁ。オーケストラには、もうちょっと粘って欲しかったかなぁ....それなりにいい演奏ではあるんですけどね。でも、もう一息の粘りが欲しいよなぁ、やっぱり.... 合唱は、なんともですが、きっとそれなりには良かったんだとは思います。でも、こちらもやっぱりもう一粘り欲しいなぁ、と。3幕の前半、巡礼達が戻って来ての合唱、2度の「ハレルヤ」の所は、むしろ抑えた歌唱にして、幕切れの合唱を唯一のクライマックスに据えた形。まぁ、いっそこの方がいいと言えばいいのかも知れませんが......でもねぇ、スコアにはffって書いてあったと思うんですけどねぇ......... 歌手は、まぁ、一応及第点。結果的にはヴォルフラムが良かったのかなと。タンホイザーは、ローマ語りはまぁ聞けたけれど。ヴェーヌスは、1幕聞いてないので何とも言えないですね。エリーザベトは、どうだったんだろう....頑張ってはいたと思うけど.....むしろヘルマンの上手さが際立ってしまったかと。歌合戦の他の出場者は皆日本人だったけれど、まぁそもそもあの役はいずれもやられ役(しかも歌合戦でやられ役)なので、こっちもそんなに真面目に聞いてなかったし....足は引っ張ってなかったとは思います。 風邪でもひかなきゃもう一回聞くつもりなので、次はもうちょっとちゃんと聞こうかと。
2013年01月24日
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東京芸術劇場 14:00〜 3階右手 モーツァルト:フルート協奏曲第2番 K.314 マーラー:交響曲第5番 フルート:上野由恵 東京都交響楽団 指揮:エリアフ・インバル インバル=都響[新]マーラー・ツィクルスと銘打ったシリーズ。 基本的に都響は信用してません。裏切られるというか予想通りの出来というパターンが多いので。マーラーの交響曲も基本的に好きではない。にも拘らずこんなコンサートに行ったのは、このシリーズの評判が妙にいいから。正直、何処がいいのかよく分からない、というのはつまり具体性のある説明があまり無いんだけど、「いい」という声が結構聞こえてくるので、んじゃどんなもんなのか聞いてみましょうか、ここ最近都響は聞いてないし、というわけ。 大して期待はしていなかったのは、「インバル、インバル」騒ぐ割には、去年の春に聞いたストラヴィンスキーが、微妙に残念な出来だったので。 で、どうだったか? 正直言って、お前ら普段からこういう演奏しろよ、というところ。いや実際これが「あの」都響なの?なんで普段からこういう演奏しないんだよ、やれば出来るじゃん、という感じ。マーラー故なんですかねぇ。このツィクルスの前半最後だから、特に気合い入ってたとか、そういうこと? 特筆すべきは、フレージングの取り方。このところ残念な演奏を聞かされていたのもあるけれど、基本的にフレージングをきっちり取っている。そして、フレーズの入りと出がしっかりしている。だから、聞いていて、きっちり最初から最後まで歌えているんですね。ちょっとくっきりし過ぎているくらい。 その一方で、マーラー特有の次から次へと繰り出される性格の違う音楽が、はっきりコントラストを持って聞こえてくる。当然、この間の連続性はありませんが、ここはむしろ繋がなくていい部分。繋いで歌われるべき所とそうでない所がはっきりしているので、元々形式性の弱いマーラーではあるけれど、音楽の造りは比較的はっきりしている。 もう一つ、都響を筆頭に(と敢えて言うのですが)日本のオーケストラにありがちな、力み返った演奏が無い。それも、最後まで無い。終楽章、流石に乱れはありましたが、アダージェットも含めて、力の入った所はあっても、力みは感じさせなかった。だから、金管はもとより、弦も最後までなんとか歌うような音楽を維持出来ていた。少なくとも、アダージェットまでは、きっちりした演奏が出来ていた。 それと、アダージェットの後、ほぼ切れ目なく、殆どアタッカ同然に終楽章に繋いでいったのだけれど、そこの経過句の自然で魅力的なこと。 言えば、当たり前じゃないか、ということではあるんですよね。ただ、日本のオーケストラは、これがなかなか出来ない。特に、フレーズをきちっと弾き/吹き切る、それでいてフレーズを切らない、そういう演奏ってなかなか無いものです。 新日のメッツマッハーの演奏が、演奏効果は上がるけれど音楽としてどうなんだ、というところだとすれば、この演奏は、その音楽の方をどのように作っていくか、その根本を疎かにしなかった演奏なのだと思います。 なるほどねぇ........ だからといって、マーラーの交響曲を好きになるかと言われると、それはちょっと違うんだけど...... とはいうものの、これだけの演奏を聞けるのであれば、後半の公演も聞いてもいいかな、と思うのではありました。7番とか、9番とかね。まぁ、今回だけ特別だったのかも知れないけれど、個人的にはこれは「当たり」だったので、それであればもう1、2回張ってみてもいいかな、と。 「オーケストラの演奏」を聞くんだったら、こういうのを聞かなきゃ。金管ドヒャー、で喜んでる場合じゃないのよ。いや、このマーラーの5番も、そういう曲ではあるんだけどさ。でも、それ以上に、弦がいいのですよ。 前半のモーツァルトは、今時にしては普通の現代オーケストラが演奏したモーツァルト。それが悪い訳では無いのであって、ただ、聞いてる時は良かったけれど、全部終わってみれば「あれ?なんだっけ?」という感じになってしまうのが、ちょっとプログラム的に....(苦笑) 前日の横浜でのプログラムはマーラーの歌曲だったと思うのだけど、そっちの方がいいんじゃないかしら。ちょっとソリストに気の毒やも。
2013年01月21日
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サントリーホール 14:00〜 2階右手 シューベルト:交響曲第8番 D.759 「未完成」 ブルックナー:交響曲第9番 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:インゴ・メッツマッハー 忙しくて、気が付いたら木曜日の東フィルに行くのを忘れていたことにさっき気付くという.....スケジューラーには入れていた筈なのに..... 先週に続いての新日フィル。先週はR.シュトラウスを聞かされ、今週はブルックナー。まぁ、ブルックナーの方が管弦楽としては幾分マシだと思うけど.... それでも買ったのは、次期Conductor in Residenceなるタイトルを持つメッツマッハーが聞きたかったのと、前半が「未完成」だから。 で、どうだったか? がっかりです。その一言。 まず、オーケストラが、ざっくり言って「雑」。 何処をどう言えばいいのか....まぁ、今日、或いは新日に限った話ではないけれど、例えば弾き/吹き終わりの処理が曖昧だったり、弾き/吹き始めの入りがはっきりしなかったり。アインザッツが合わない、とかいうのとはちょっと違うんですよね。ボソボソ喋ってる感じ、とでも言うのでしょうか。 他にもあって、結局それらは皆細かい所であって、ただ、問題は、そういうことを考え抜いてやってるとは思えないということなんですね。 その上での、メッツマッハーの問題でもあるのが、フレージングの取り方が短い上に、それらが連続しているように聞こえない。つまり、ぶつ切りに聞こえてしまう。 これをシューベルトでやられてしまうと、シューベルト好きとしては、がっかりなんですよね。 妙に音を大きく取っていたり、妙に速かったりするのは、それはまぁ取り敢えず解釈の問題としていいでしょう。私はそういうの嫌いだけれど、でも、それはあくまで好き嫌いの問題。でも、その上で、演奏されるフレーズがどうしてこんなに連携しないのか。一体、オーケストラも指揮者も、この音楽を全体としてどのように捉えているのか。それが全然分からない。 シューベルトもブルックナーも、繰り返しが多い作曲家だと思われていると思います。ただ、シューベルトとブルックナーのそれは、何故そうなるかが全然違う。端的に言えば、シューベルトは、古典派で確立された形式がそれを要求するから繰り返す。ブルックナーは、まぁ言ってみれば作曲者がおかしいから繰り返す。 だから、実は、シューベルトの繰り返しは、例えば提示部に対する再提示や再現なので、同じように聞こえて、実は同じものだがもはや全く同じものではあり得ない。一方、ブルックナーのそれは、むしろ異常なまでにまるで同じものとして聞こえるべきものもある。そうすることで見える狂気というものが実はブルックナーでもあるのではないかと思うんですけどね。 で、シューベルトで言えば、その辺が殆ど感じられない訳で.... まぁ、あれは前座、問題はブルックナーだ、ということなのかも知れんけど。 でも、そのブルックナーも決していいとは思えないんですよね。まぁ、私はあんまりブルックナーはよく分からんから(別にブルックナーは異常だけど俺まともだからさ、と言いたい訳では無い。ただ、私が異常だとしても、ブルックナーの異常さは変わらないと思う。ただ、私と違うタイプなのは確かだな。。。)そんなに偉そうには言えないんだけど。でも、このブルックナー、それなりに音響的に迫力はあるのかも知れないけど...... 如何なる種類にせよ、ある種異形の狂気とでもいうものがブルックナーだとするならば、そういうものが感じられないのですよね。 指揮台でメッツマッハーは随分と身振り手振りで奮闘していたようだけれど、そういうことではないのですよ、きっと。 正直、メッツマッハーを眺めながら、改めてアルミンクって得難い指揮者だったなぁ、と思ったのであります。結局、メッツマッハーは、日本のオケで本当に必要な(でも困ったことにあまり求められていない)能力を有していないのだと思います。つまり、オーケストラ・ビルディング能力が無いに近いくらい弱いのではないかと。 前にも書いた気がしますが、日本のオーケストラは、演奏者のベースに、どう歌わせるか、どう鳴らすか、音楽をどう組み立てるか、の共通土台となるようなものが実は整っていないのじゃないかと思うのです。無論、皆一応一廉の楽器演奏者だから、音は鳴らせるし、人によってはある程度土台があるのかも知れないけれど、共通土台になっていないのではないか。だから、本来であれば、日本のオーケストラはそうした土台を、そのオケの共通土台を作らないといけないと思う訳です。そして、それは放っておけば維持出来るものではない。それがある程度分かって、ビルディング出来る指揮者が本当は必要なのだろう、と。オーケストラ・チューニング以前の問題です。 で、アルミンクは、少なくとも相当厳しい状況だった新日にそれをなんとか作り上げた人だったと思うのです。でも、コンマスあたりは結構そのへん分かってないのか、嫌いなのか、アルミンクはもういいや、みたいなことを言ったらしいけれど、まぁはっきり言ってメッツマッハーで聞く限り、逆戻りしつつあるようですね。 このままだったら、数年の内に、新日の定期会員はやめるかな.... ハーディングは悪い指揮者ではないけれど、そこまではやってくれなさそうだし、メッツマッハーはこの調子じゃねぇ。ブリュッヘンももう来なさそうだし。
2013年01月19日
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オリンパスホール八王子 11:00〜 1階後方立見席 J.シュトラウスII:美しく青きドナウ ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 <独奏アンコール> ショパン:小犬のワルツ ラフマニノフ:前奏曲「鐘」 ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」 <アンコール> J.シュトラウスI:ラデツキー行進曲 ピアノ:中村紘子 東京交響楽団 指揮:秋山和慶 行くのを絞ろうと言いながらこんな所にまで顔を出したのは、「立見席」があったので。安いというのもありますが、それ以上に、日本では消防法の関係で立見席を予め想定しているクラシック向けのホールは少ないんですよね。事実、都内のホールで立見席のスペースを持ち、チケットを売っているホールはありません。新国に遅れて行くと立見になるのは、あれは別次元の話だし。ところが、このオリンパスホール八王子は、座席表に「立見席」としたスペースの表示がある。どうせ予定入れてないし、安いし、中村紘子も久々だし、行ってみっか、というわけ。 コンサートのタイトルには「八王子市の新成人をお祝いして」とあったので、或いは立見席はそうした若者向けか、おっさんが行くのも申し訳ないなぁ...と思いつつ行ってみれば、何のことはない立見席どころか場内是皆新成人と思しき姿など皆無、客層の主流はどうみても新成人のトリプルスコアの世代(爆)うっかりすればカルテットスコアの向きまで、と、まるでコンサートの趣旨と違うじゃないですか、ってダブルスコアのあんたが言うな、と言われますよね。ハイ。ごめんなさい。 ま、今時の若いもんがこんなとこそうは来ないか....それに、八王子市の新成人の多くは近隣の大学に通う連中、となると、田舎に帰って成人式か、年度末試験の準備があるしな。 件の立見席は、割とあっさりしたもので、最後部の席の後ろに金属製の細い手摺りが走っていて、それだけ。恐らくは、消防法上申請はしていても、常設ではないんでしょうね。今日は、そのレールに、指定席を示す印刷した紙切れが貼ってあるという状態。ウィーンやバイエルンのオペラのように、上演中も凭れられるように設えてあるという感じではないですね。 このオリンパスホール、いつ出来たのか詳しくは知らないのですが、比較的新しいホールの筈で、又の名を八王子市民会館という、つまりは基本的には多目的ホールの筈ですが、内装はクラシック向きの焦げ茶で統一された、木使いのもので、音響も悪くない。正直、専用を謳っているすみだトリフォニーとかオーチャードホールと比べても遜色ないのでは。ただ、まぁ、狭めですけどね。でも、座席数1,869席+立見、だそうなので、立派なものです。常時コンサートをやってるわけではないので、勿体無いくらい。正直、同じ内容だったら、サントリーホールあたりよりこちらで聞きたいくらい。 曲目はと言えば、見ての通り、見事なまでの名曲シリーズ。実はこの公演、首都圏一円で全4回行われるもので、今日が3日目。但し今日だけ協奏曲がベートーヴェンで、他はチャイコフスキーだそうで。 通俗的?そう、通俗名曲集ですね。でも、通俗というのは、人口に膾炙し過ぎたが故に、手垢、耳垢が付いてしまって、やる方も聞く方も「こういうものでしょ」といわんばかりに手を抜くからつまらなくなるのであって、元はいい曲。だから、きちんと演奏すればいい音楽なのです。そこいくと、昨日の「アルプス交響曲」みたいなのは、平たく言えば低俗。元の出来が違うのであって、低俗は救いようがありません。 指揮は秋山和慶。東響の桂冠指揮者ですが、この年末年始は専らこの方の指揮で第九からジルベスター、このニューイヤーコンサートシリーズとやっていたようで、よく統制が取れています。正直言うと、スダーンより秋山和慶の方がオケは締まるような気がします。ついでに言うと、コンサートマスターも大谷康子より今回のグレブ・ニキティンの方が、力みが出ないような気が..... ただ、秋山和慶という人、微妙に秋山節みたいなのが出るんですよね。字余りというか、ちょっとコブシが回ってるというか、微妙に節回しが違う、みたいな。それがなんというか、こう.... 今回も、美しく青きドナウからして、結構ルバートが。何と言いますか、確かにテンポを自由に揺らして演奏するとそれっぽく聞こえますけど、でも、この曲はやっぱり舞踏会用のワルツなんだから、そんなに揺らしちゃうと流石に踊れないと思うんですが...... ただ、弦の音はいい。一貫して最後まで、いや、新世界の終楽章はちょっとアレでしたが、基本的にピアニッシモを大事にして、力まない演奏をしていました。これは日本のオケにはあまりない、東響では稀有なこと。 二曲目は中村紘子独奏の「皇帝」。 中村紘子ですが、久々でしたが、ちょっと左手が弱くなったか?左手のアタックが来るな、というところでちょっと肩透かしにあうようなところがあったりして、ちょっと「あれ?」という感じだったか。元々ミスタッチが皆無という人ではないので、その辺は気にならないのですが、来るべきものが思うようには来ない、というのは流石に....悪い演奏ではないんですけどね。 といったところに、アンコール。これが「小犬のワルツ」。これを結構な速さで弾き飛ばすといった趣き。これはちょっと....確かにショパンだし、中村紘子だし、そういう選曲もありだろうけれど、「皇帝」の後に「小犬のワルツ」、しかもこういう態の演奏というのもどうなんだ、むしろやらない方が....と思った所に、なんとまぁもう一曲アンコール。これがラフマニノフの前奏曲、「鐘」。これが凄かった。聞き知ってはいるけれど、後で「あれ?ひょっとしてショパンの「革命」だっけ?」みたいな程度の認識力しかない私ですが、この演奏は凄かった。それこそ左手でバス声部の和音が叩き付けるように力強く繰り返し奏されるこの曲を、十分にドスを利かせて見事に弾き切ってみせたのでした。まぁ、考えようによっては、力任せに叩けばなんとかなるじゃん、という曲かも知れませんが、そういうのとは違って十分音楽的。決してヤケクソではない、いい演奏。申し訳ないけれど、この日の中村紘子の演奏の中では一番良かったんじゃないかという感じです。 休憩を挟んでの後半は、「新世界より」。これが良かった。 前述した通り、弦が力まずに鳴らしていたのと、ピアニッシモがよく統制が取れていたのが非常に良かった。前半、特に第2楽章は、これまで聞いたこの曲の演奏の中でも、1、2を争うかという程の素晴らしい出来映え。第2楽章のコーダでは、我知らず背筋を走るものがあった程。正直、こういう演奏は、滅多に聞けません。日頃いい席で聞いてればそういうことももっとあるんだ、とか言われそうですけどね。 ただ、この絶品にして空前絶後(まぁちょっと大袈裟ですが、日本のオケの演奏ならそのくらいのレベルです。震災直後のチェコ・フィルの演奏とか、上回るのはあると思うけど。)の第2楽章で緊張の糸が切れたのか、第3楽章以降はそこまでではなかったかなと。悪くなかったけど、この集中力のまま最後まで行ってくれたら、私は間違い無く熱狂してブラヴォー掛けてたと思いますよ。惜しかったなぁ.... とはいえ、これだけ聞かせてくれれば十分、という内容でした。弦もやや力みが入ってしまったとはいえ、最後まで「これが東響?」という感じの出来でしたし、第4楽章のクラリネットの節回しは素晴らしかった。 これで終わって良かったと思うのだけれど、なにせ「ニューイヤーコンサート」ですからね。「アレ」はやらなきゃいかんのでしょう。というわけで、突然にアンコールの「ラデツキー行進曲」。まぁ.....無くても良かったと思うけど.......「ニューイヤー」ですもんねぇ........まだ、松の内と言えば松の内だし........首都圏じゃ門松残してるところはもう無いですけど..... まぁ、正直、お値段以上のお値打ちものでした。 明日も同内容、但し協奏曲はチャイコフスキー、という公演が横須賀であるようです。天気悪そうですから、ちょっと行くのはしんどそうですが、今日くらいの集中力があれば面白いんじゃないかと。まぁ、あそこの箱はオーケストラのコンサートにとってはちょっと鳴りにくいので、微妙ですが。力みが出なければいいんですけどね....
2013年01月13日
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すみだトリフォニーホール 14:00〜 3階正面 J.シュトラウスII:ウィーンの森の物語 ヤナーチェク(マッケラス編):「利口な牝狐の物語」組曲 R.シュトラウス:アルプス交響曲 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:インゴ・メッツマッハー 久々の新日定期ですが、ハーディング以降、目に見えて客の質が下がっている気が.... 要するに、コンサートとか、公共の場に出て来る準備の出来ていない人が増えてるわけですね。これは、やれ静かにしろとかそういう類いの話ではない。むしろ、私はクラシック音楽ファンで御座いといった態の者が、そもそもこういう場でどのように振る舞うべきなのか、そういうことが分からないままに、自分の部屋からそのまま来てしまうようなのが増えている気がします。 つまりは、「コンサートとは他の人が居る場所だ」という認識が無いんでしょうね。 その影響が本日は最大限に。風邪っぴきがなんでこんなに多いの、というほどにマスクをした連中が。あのですね。マスクしてりゃいいってもんじゃないんです。風邪を引いたら外出は控えて、インフルエンザだろうがそうでなかろうが、菌やらウィルスやらをバラまくような真似はやめろというのですよ。食料の買い出しに、みたいな、生きる上で已むを得ないようなのとは違うんだから。マスクする必要があるくらいなら、家で寝てなさい。まぁ、そんな連中に、勿論社会性を期待する事も出来る訳も無く..... やれやれ。 さて。 ある意味変なプログラムです。 最初のJ.シュトラウスは、まぁ、序曲とか何か小品をやるところ、1月だし、ここは一つニューイヤーコンサート気分でも、ってところでしょうね。これはこれでまぁいい。 2曲目が、ヤナーチェクの「牝狐」組曲。これはまぁある意味マイナーな... これが不思議な程ウケが悪い。まぁ、「ハーディング」組にはあまりに馴染みの無い曲なんでしょうかね。ヤナーチェク自体、あまり聞いたことない、って人が多いんでしょうか。 実際にはこれはなかなか腰の据わった演奏。今日は全般的に弦が落ち着いていて、曲目もあってか、出来の良い演奏でありました。ただ、「牝狐」組曲は、元々曲自体がオペラからの管弦楽のパッチワークみたいな曲で、そういう意味ではちょっと落ち着きどころがはっきりしない曲ではあるので、まぁ呑み込みにくいのではあるでしょうけれど。でも、これは音楽としてはやっぱり面白い。最初の「ウィーンの森の物語」の人懐っこい、でも小洒落た音楽に続いて、モダニズムと田舎臭さとが同居したような音楽、というコントラスト。まぁ、でも、こういう音楽は難し過ぎるんでしょうね。 じゃあ、どんなのがいいのか、というと、後半のこういう曲なんでしょうね。つまり、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」。 まぁ、正直言って、凄く下らない音楽だと思います。 公平に言って、演奏そのものは良かったと言っていいと思います。特に後半は、管も落ち着いて来て、面白い演奏になっていた。それは確かです。だから、確かに、響きの面ではとてもいいものではあったのでしょう。 でもねぇ。結局、音楽そのものが下らないと思うんですよね。なんでこんなの聞いて楽しいのかしら.... この際だから言ってしまうのですが、そもそも、R.シュトラウスという人は、確かに音楽としては面白い響きを作る能力には長けていたと思うのですが、創造者として、他人のインスピレーションの助けが必須だった人だと思うのです。 つまり、オペラの場合、確かにR.シュトラウス自身も関わったとはいえ、台本作家が別に居て、物語がそこにある。だから、どのような音楽にするかは彼の選択であったにせよ、その音楽が示すものは別に作り上げられていた。歌曲の場合、作曲する詞自体は誰かが書いたものだった。 ところが、彼が得意とした「交響詩」なるものは、皆、彼が題材を選んで、音楽の「中身」を決めたものだけれど、そうなると迷走して行くのですね。このアルプス交響曲にしても、管弦楽法の大家と見なされるだけあって、演奏効果は上がるのだけれど、3分も聞くと飽きて来る。 分かりやすく言うと、まぁ確かに「描写」は結構なものかも知れないけれど、それなら本物を見た方が早い訳で。最初、「アルプスの威容が姿を現す」なんて言って大音量で鳴り響くけれど、それなら映像を見た方が早い訳です。もっといえば、現物を見た方が早いし、何より飽きない。つまり、言わせて貰えば、「アルプス」なんてのはデカい音出す為の言い訳なんですよね。 もう一つ。R.シュトラウスの「描写」は、効果は上がるけれど、幼稚、稚拙なんですよね。それがすぐ飽きてしまうもう一つの理由。何が稚拙かというと、R.シュトラウスは「コピー」しているだけなんですね。自然を描写した音楽として、先達にベートーヴェンの「田園」がありますが、これと比べると、「アルプス交響曲」はとてもつまらない。何故かと言うに、「田園」は、「田園」を「田園に訪れた(恐らくは)都市生活者の視点」で描写している。だから、あの曲の冒頭は、田園の情景描写ではなくて、田園を訪れた者の気持ちの高揚をも表現している。第2楽章で、かっこうやらの鳥の鳴き声を模写するけれど、そこには「それを聞く私」の視点も描写されている。 今日の公演では、カウベルを持ち込んで鳴らしていて、それはそれで立派な努力だと思うし、間違ってないんだけれど、そもそもあそこで本物のカウベルを鳴らすという指示を書いたR.シュトラウスのセンスの無さよ。そこには、見る者の視点は入らない。言ってみれば、テレビで「わぁ、すごいですねー」を連発するレポーターレベルの視点でしかない。だから、まぁ、「現代日本の聴衆」には受けるんでしょうけどね。精々そんなもんだよ。 実は、去年だったか、ザルツブルクでウィーン・フィルがティーレマンの棒でこの曲をやったのを聞いたのですが(他のが聞きたかったよ。本当に。演目がこれだから聞くしかないんだもの)、その時、カウベルは確か録音でした。勿論、カウベルなんて、その気になればザルツブルクなら周辺で幾らでも手に入りそうなもの。それを録音で?と当時は思ったのだけれど、今にして思えば、そんなものどうでもいいだろ、問題はオケが何聞かせるかなんだから、という事だったのか。ま、分かりませんけどね。 R.シュトラウスを擁護するならば、それでも、曲が書かれた当時は、これだけの活写をやったというのは、それはそれで意味のあるものだったとは思うのです。でも、現代にあってこれをわざわざ有り難がって聞く意味が全然分かりません。要するに「オケの性能を聞く」?まぁ、それも結構かも知れないけれど、それって物凄く下らない事ではないですかね。それだったら、俺ぁオペラやってくれと思うよ。きちんとした歌手がきちんと歌えば、オケの演奏効果なんか屁の突っ張りにもならないものが生まれるのだから。 と、随分と乱暴な事を書きましたが、なんでここまで虚仮にするかといえば、いい加減演奏効果でオケを聞くのはやめたらどうかと思うから。下らないですよ、こんな音楽。でも、商売になるから、こういう曲目が入るんでしょうかね。マーラー然り。まぁ、マーラーの方がまだマシだとは思うけど。 少なくとも、味わいとしては、前半のJ.シュトラウスやヤナーチェクの方が遥かに音楽としての充実度が高かったと思います。それをスルーして、わかるものだけ異様に有り難がる、このおかしさ。 演奏が悪くないだけに勿体無いんですよ。もっと内容のある曲をやっておくれよ、と思うのでね。
2013年01月12日
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サントリーホール 19:00〜 ピット席 J.シュトラウスII:「こうもり」序曲 ワルツ「芸術家の生活」 ポルカ・シュネル「浮気心」 ワルツ「加速度」 ポルカ・シュネル「観光列車」 ヴェルディ:オペラ・メドレー ("椿姫" 前奏曲〜"リゴレット" あれかこれか〜花から花へ〜 女心の歌〜パリを離れて〜プロヴァンスの空と海〜乾杯の歌 (多分)) ツィーラー:ワルツ「天国の幸せ」 J.シュトラウスII:ポルカ・フランセーズ「クラップフェンの森で」 ツィーラー:ワルツ「ウィーン娘」 ぶどう畑のギャロップ J.シュトラウスI:ケッテンブリュッケ・ワルツ J.シュトラウスII:「こうもり」チャールダーシュ ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」 <アンコール> J.シュトラウスI:フリオーソ・ギャロップ J.シュトラウスII:ワルツ「楽しめ人生を」 美しく青きドナウ J.シュトラウスI:ラデツキー行進曲 ウィーン・リング・アンサンブル ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル、ダニエル・フロシャウアー ヴィオラ:ハインリッヒ・コル チェロ:ロベルト・ナジ コントラバス:ミヒャエル・ブラデラー フルート:ヴォルフガング・シュルツ クラリネット:ペーター・シュミードル、ヨハン・ヒントラー ホルン:ヴォルフガング・トムベック 松の内も今日までというのがお江戸の決まり事らしいですが、お休みも今日まで。 というわけで、って訳でもないですが、ニューイヤー系のコンサート聞き納め。ウィーン・リング・アンサンブルは去年に続いての2年連続です。9人編成とちょっと寂しいですが、キュッヒルやらシュミードルやら、ウィーン・フィルの顔みたいな面々でやっているので、まぁ、気分的にはヘタなウィーン・なんちゃらみたいなのを聞くよりはいいかなと。その割に結構高いんですけど... で、高いので、ピット席を買っていました。こういう編成だと、ピット席は美味しいです。うかつに2階正面後ろの方とか座るよりは、こっちの方がよく聞こえる。 演奏は、まぁ、やっぱり、9人編成だと、限りなく室内楽的ではありますね。でも、管が割合多い編成なので、結構楽しめます。特に、アンコールの「美しく青きドナウ」!ピット席だと、ホルンはこっち側を向いているので、ウィーン・フィル第1ホルン奏者による、冒頭のあの音がしっかり飛んで来る訳で.....これだけでも来た甲斐があろうというもの。 「こうもり」序曲もやってくれたし。今シーズンはもう聞かず仕舞いでお預けか、と思っていたので(二期会なんぞ聞きに行く気もしないしねぇ)、満足です。 ヴェルディのオペラ・メドレーは、まぁ、ヴェルディ・イヤーだし、ということなんでしょうけれど、そりゃ流石にいつもピットに入ってる連中だから上手いもんですが、椿姫とリゴレットだけ、てのは....うーむむむ。まぁ、難しい事言っちゃいけないんでしょうけれど。 プログラム最後の「雷鳴と電光」では、太鼓とシンバルが用意されたので、誰かゲストを呼んでたのかな?と思いきや、なんとキュッヒルが担当!(いや、ヴァイオリンは置いて、ですよ)これが堂に入ったもので、余技とはいえ見事見事。「クラップフェンの森で」ではシュルツとシュミードルが鳥笛で掛け合いをやらかすし、遊び心満載の演奏会でありました。 正月気分の最後に丁度いい演奏会、ってとこでしたかね。
2013年01月07日
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サントリーホール 14:00〜 P席 J.シュトラウスII:「ジプシー男爵」序曲 / "生まれつきやり手の俺は" 「こうもり」〜"侯爵様、あなたのようなお方は" ヨーゼフ・シュトラウス:ディナミーデン・ワルツ J.シュトラウスII:「ウィーン気質」〜"これがなくちゃぁ許せない" ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「騎手」 ヨハネス・ホリク:一月一日〜ヨハン・シュトラウス風 グイド・マンケージ:新幹線ポルカ J.シュトラウスII:皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 救出祝賀行進曲 「ウィーン気質」〜ほろ酔いの歌 J.シュトラウスI:幻想曲「エルンストの想い出、またはヴェネツィアのカーニバル」 レハール:「パガニーニ」〜"僕は女性達に口づけしたけれど" J.シュトラウスII:ルシフェル・ポルカ 「こうもり」〜シャンパンの歌 美しく青きドナウ <アンコール> レハール:「メリー・ウィドウ」〜"ときめく心に唇は黙し" ヨーゼフ・シュトラウス:憂いもなく J.シュトラウスI:ラデツキー行進曲 ソプラノ:アンドレア・ロスト テノール:ティベリウス・シム ウィーン・フォルクスオーパー・バレエ団メンバー ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 指揮:グイド・マンクージ 新年早々はやっぱりこういうものが最初になります。 今年は海外に出なかったのと、アンドレア・ロストが出ているので、とはいえ高い席を買う気にはなれず、で、ピット席、と。 まぁ、なんですね。ウィーン・フィルみたいにはいかないとか言い出すとキリがないのであって、この種の「ニューイヤーコンサート」としては、やっぱりこれはまぁいい方ではないかなと。押さえる所は押さえてくれてるし、贅沢は言えんよなぁ、ということで、それなりにお気楽に楽しんで来ました。 お目当てのロストは、正直、ピット席だからなんとも言えませんが、アンコールのメリー・ウィドウなんかで、こちらに半身で歌ってるところなど聞くと、やっぱり流石だなぁ、と思います。この辺は、ピット席なのはちょっと惜しかったかな、と思わなくもない。でも、まぁ、二重唱3曲にソロ2曲じゃ、ちょっと、ね。そこまでは、ね。 残念を言うなら、「こうもり」序曲は聞きたかったな、と。大晦日のジルヴェスターの方は、もうちょっとオペラ仕立てだったのね....と。残念と言えばそのくらいかな、と。 まぁ、このあと聞いたNHKのニューイヤーに比べると随分と点が甘い気もしますが、やっぱり、お気楽な内容なりに音楽的には充実してるし(つまりスカスカではないのですよ、演奏が)、ロストは聞ける内容だったし、文句の出所が少ないのです。要はそういうこと。
2013年01月04日
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NHKホール 19:00〜 3階正面 ヴェルディ:「ナブッコ」〜行け、我が想いよ、金色の翼に乗って ジョルダーノ:「アンドレア・シェニエ」〜ある日、青空を眺めて プッチーニ:「ボエーム」〜愛らしい乙女よ ヴェルディ:「リゴレット」女心の歌 「シチリアの晩禱」〜ありがとう皆さん ビゼー:「カルメン」セギディーリャ レハール:「メリー・ウィドウ」〜ヴィリアの歌 / グリゼットの歌 / "唇は黙して" / フィナーレ ヴェルディ:「アイーダ」凱旋行進曲(オルガン編曲) マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(オルガン編曲) ワーグナー:「ローエングリン」第3幕への前奏曲(オルガン編曲) ワーグナー:「ワルキューレ」ワルキューレの騎行 / ヴォータンの別れ ジョルダーノ:「フェドーラ」〜君は愛さずにいられない コルンゴルド:「死の都」マリエッタの歌 ヴェルディ:「オテロ」第1幕冒頭 / イアーゴのクレド ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」イゾルデの愛の死 ロッシーニ:「ランスへの旅」〜皆さん手紙です J.シュトラウスII:「こうもり」〜葡萄酒の燃える流れに 桂文枝、藤村実穂子、妻屋秀和、高橋薫子、林美智子、中嶋彰子、木下美穂子、小林沙羅、その他大勢 オルガン:井上圭子 新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:下野達也 はい、そんな訳で新年早々ダブルヘッダーです。<っておい!<昨日のエントリー そう。去年も買っていたけれど、去年は横須賀でウィーン・リング・アンサンブルを聞いて、その後無理すりゃ行けたけど、結局鎌倉で降りて鶴岡八幡宮へお参りに行ったのでした。 つまり、人は、必ずしも歳経る毎に学習したり、賢くなったりすると決まってる訳ではないってことなんですよ。ええ。 えーっとですね。「メリー・ウィドウ」の抜粋で執事役を演じた桂文枝がとっても良かったです(^-^) 以上。 それ以上は訊くな。 贔屓目も入るけれど、一応名を挙げた人はまぁいいけれど、後は印象が無いか、悪い印象かのどちらか。 まずもって、歌えてない人が多過ぎます。特に、敢えて悪い方で実名を挙げるけれど、福井敬。声は確かに出る方ではある。でも、シェニエ然り、オテロ然り、声が出りゃいいってもんではないのよ。他のテノール陣は、ほぼ全滅。声は出るけど歌として問題があるか、聞こえないか、ヘロってるか、その他大勢状態か、のどれか。それはまぁテノール以外もそうですね。 それと、名を挙げた人達にしても、問題が多い。例えば、恐らく一番まともだった藤村実穂子が歌ったのはイゾルデの愛の死。それは、さぁ、やっぱり無理がありますよ....決して「いい」とは言えない。妻屋秀和はヴォータンを歌った訳で、まぁ、それなりに歌えてはいるんだけれど、この両名にしたところで、恐らく決して実際にこの役を歌う事は無いと思う訳で。高橋薫子(このへんが贔屓目)はいいんだけど、如何せん最後のランスへの旅とシャンパンの歌だけじゃぁ.....林美智子のカルメンも、チャレンジは結構だし、それなりにいいんだけれど......中嶋彰子のハンナ然り、小林沙羅のヴァランシェンヌ然り。砂川涼子は声はでかいけどミミを大音声で歌って、一体何しに来たの?という感じ。大村博美のエレーナは、どう聞いてもエボリ公女向きだし...... 要するに、全体にミスキャストな気がするのですよ。結局桂文枝が一番良かったなと。 オケはスカスカ。下野達也、本当に、応用力が効かないっつーかなんつーか。まぁ、この人ワーグナー全然だめですね。まるで粘りも無いし、音もスカスカ。これはオケではないと思うな..... まぁ、年始の縁起もんだから、いいんですけどね。
2013年01月03日
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というわけで、あけましておめでとうございます。 今度の年末年始はずっと日本には居たんですが、年末は旅行に出ていたりして、これがまたゆっくりする筈が、食い道楽で忙しくて忙しくてやーもー年末のコンサートの記事も書けずじまいという.......何しに行ってたんだろ........ 今年は、とにかくコンサートの数を減らしたい!(おひ) 結局、昨年は年間100公演を越えました。まぁ、芝居も入れてですが、海外とラ・フォル・ジュルネを員数外としてですので、実質はそれ以上。基本的に、行った公演については、ここに記事として上げるつもりなのですが、それすらままならず、書いてないのが多数。Twitterで呟いてるのはマメにやってるのですけどね。まぁ、ともあれ、行こうと思えばそれだけ行けるんだなこれは、というのが分かったのはいいのですが(?)、流石に資金が続かないし、やっぱり忙しい。その割に、それほどいいコンサートに巡り合えたかと言えば.....ごにょごにょ..... いや、昨年それだけ通ったもう一つの理由は、やはり一昨年の東日本大震災の影響で、公演の変更やキャンセルが相次いだ事。その反動で、行ける時に行っておこう、来るものは聞いておこう、というのはやっぱりあったと思います。 なので、そろそろ通常運行に戻してもいいのかなと。 そう言いながら、早速明日はダブルヘッダー予定が.... あと、CDとDVDの調達数も減らそう....BOXは毒だな....やっぱり....(謎) 何はともあれ、今年もよろしくお願いします。
2013年01月02日
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