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新国立劇場 14:00〜 4階右手 ロッシーニ:ウィリアム・テル ギヨーム・テル(ウィリアム・テル):ゲジム・ミシュケタ アルノルド・メルクタール:ルネ・バルベラ ヴァルテル・フュルスト:須藤慎吾 メルクタール:田中大揮 ジェミ:安井陽子 ジェスレル:妻屋秀和 ロドルフ:村上敏明 リュオディ:山本康寛 ルートルド:成田博之 マティルド:オルガ・ペレチャッコ エドヴィージュ:齊藤純子 狩人:佐藤勝司 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:大野和士 演出:ヤニス・コッコス ウィリアム・テル。新国初どころか、なんと原語フル上演は本邦初だそうで。実際、アマチュアで2,3度やってるのも訳詞上演だったりピアノ伴奏だったり、そんな感じらしいです。あとは、東フィルの定期演奏会でゼッダが振った2010年の抜粋版演奏会形式なんだとか。これは聞きましたっけ。 言われりゃ、確かにやるの大変なオペラではあるしね。海外でもそうそうお目には掛からない気はします。とはいえ、私はペーザロでの2013年の公演を観ましたから、むしろよくお目に掛かってる方なのでしょう。それかあらぬか、今回の公演は普通の公演よりも高い模様。S席で31,900円、C席で13,200円とからしいので、ワーグナーより高いのでは。理由は、確かに昨今のインフレもあるでしょうけれど、この公演、新制作の割に最近には珍しく共同制作じゃないんですね。新国独自の演出。最近は費用を抑える為に複数の劇場で共同制作して制作費を抑えるものなのだけれども、これは買う人いなかったんですかね。まぁ、確かに演出は決して非凡なものとは言えない感じでしたが....... あ、一応言うと、色々ネタバレはあるので、気をつけてくださいな。 .............一応ちょっと空けとこうかしらね。 ................................. ..............もういいかな。 さて。 そんなわけでということか、満員に近い感じです。4階席だったのもあるけれど、割と入っていた模様。珍しさも手伝ってなのでしょうか。 で。 なんというかですね..................まず、良し悪しというのとは別に、妙にこう、落ち着かない雰囲気を私は感じていたのですが............どうなんでしょう...........あれはなんだったんだろう.......... 変な話ですが、今回のキャストは、めんどくさいから新国のサイトからコピってきて、体裁を合わせてます。で、見ての通り、外題役が「ウィリアム・テル(ギョーム・テル)」なんですね。で、公演のタイトルは「ウィリアム」。プログラムの表紙にも堂々とそう大書きしてます。でも、この日の上演は原語、即ちフランス語上演。だから「ギョーム・テル」というのが理屈は正しいと思うんですが、ウィリアム。どうしてこうなったのかな。 まぁこれは与太話みたいなものなのですが、敢えて続けると、そもそも「ウィリアム・テル」は妙なんですよ。何故かというに、「ウィリアム」は英語読みだから。フランス語台本だろ、ということで「ギョーム」ですが、ロッシーニの母語イタリア語なら「グリエルモ」。原作はシラーの戯曲ということになってますが、ドイツ語なので「ヴィルヘルム」。因みにスイスの公用語はドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語ということになってますが、テルのいたウーリ州界隈は、一応ドイツ語圏ということになるでしょうか。大体が悪逆代官はハプスブルク家の代官ですしね。だから強いて言えば「ヴィルヘルム」じゃないかと思うんだけど、「ウィリアム」。どうなの.... なんでこんな与太話を長々してるかというと、なんかこの辺の「知ってるようで知らない、わかってるようでわかってない」感じがつきまとってる気がするのですね。落ち着かない雰囲気、の一因をちょっとこの辺に感じてしまうというような..... 身も蓋もない言い方をしてしまうと、音楽的には、まずはハイF出なかった、と言っておきましょう。それが全て。あとは良くも悪くも、可もなく不可もなく、と言ったところかと。そもそもフランス語なのでこっちもあまりよく分からず、というのはありますが、それにしても歌唱陣は格別何処がどうということもなく。ハイF出なかったのはがっかりですけどね。でもまぁなかなか出ないから珍重されるわけで。残念だけどだからって罵倒するもんでもなかろうし。合唱も含め一応違和感を感じるということはまぁ無かったってことで。 どちらかというとこの日はオケの勝利。まずもって序曲。そう、「ウィリアム・テル序曲」。思えば東フィルのウィリアム・テル序曲ってどれだけ聞いてきたろう......30年くらい前には、毎月、いや毎週のように東フィルを聞いていたことがあります。歌手のリサイタルで東フィルが伴奏に入った時ですね。歌手の合間にオケ演奏が入る。まだバブル崩壊後数年で、歌手の来日はそこまで廃れていなかった。歌手も、今から思うと玉石混交とはいえ数が多かったので玉もそれなりにいた。なのでリサイタルも数多かった頃です。定番の「繋ぎの曲」はといえば、カルメンの前奏曲、椿姫の前奏曲、運命の力序曲、で、ウィリアム・テル序曲もよく聞きました。懐かしい。こんなに真剣に演奏してるのも、聞いてるのも、30年ぶりじゃなかろうか......いや、ゼッダの時にもやってるか......でもその時はあまり記憶なくてね....... で、本編に入ってからも、オケがそこそこ締まった演奏をするので、割と最後まで聞けました。 ただ、正直、ちょっと飽きたというか退屈したというか、だったのも事実。これはむしろ曲が悪いというか。アリアとかそれなりにあるにはあるんだけど、全体にちょっと飽きるんですよね。長くても飽きないオペラはあるんだけど、ちょっとメリハリが微妙というか。 演出。これは、ある意味問題というか......... まず、これはいわゆる現代演出だったのか、というと、そうなるんだろうと思います。ただ、雑なことを言ってはいけないと思っていて。 そもそも「ウィラム・テル」というのは、13世紀のスイス独立運動という史実に材を取った、実在したと言われているけれどちょっと伝説上の人物っぽいよね、という人の話です。つまり、ト書きに忠実に、と言うなら、13世紀のスイスを舞台上に再現する必要がありますが........13世紀のスイス人ってどんな格好してるものなのよ....... で、今回の舞台では、人々は概ね近世から近現代の服装をしている、と言っていいでしょうか。民衆は近代からそのちょっと前くらいの、うっかりすると近世って言われそうな感じの、「民衆の服」という感じ。一方、敵方、即ち権力の側の人々は、近現代。警官は現代の治安警察みたいな雰囲気だし、軍人は軍服。近代フランスの軍服とか警察の制服とかですかね。ハプスブルク側でありながら心情的には民衆側という役のマティルドは現代のスマートでシックな感じでしょうか。 ただ、プロットは、殆ど変わってません。その意味では読み替えはほぼない。そういう意味では、拒絶反応みたいなものは起こしにくいでしょうね。こういうのが気に入らない!って人もいるでしょうが、そういうタイプの人は結局何観ても文句言うし、そもそも「13世紀のスイスの人々の服装」なんてろくに説明できないですよ、きっと。 そういう意味ではほぼ冒険の無い舞台ではありました。凡庸、と言ったのは、まぁ、そういうこと。ただ、一方で、このオペラのセインシティヴさというのは改めて思うことでもありました。それをちゃんと出せたという意味では、凡庸だが悪くはないのかも知れません。 演出の話は後日。実は次の週末も行く予定なので.....
2024年11月26日
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すみだトリフォニーホール 15:00〜 3階正面 <チェンバロ> J.S.バッハ:トッカータ ト長調 BWV 916 L.クープラン:シャコンヌ ハ長調 / パヴァーヌ 嬰ヘ短調 J.デュフリ:クラヴサン曲集第3巻 〜 フォルクレ ヘ短調 A.フォルクレ:クラヴサン組曲第2番 〜 ラ・ルクレール G.H.ヘンデル:組曲第5番(クラヴサン組曲第1巻)ホ長調 HWV 430 - プレリュード、アルマンド、クーラント、エア、変奏曲 - 組曲第3番(クラヴサン組曲第1巻)ニ短調 HWV428 〜 プレスト <オルガン> 作曲者不詳:バッターリア ハ長調 P.ブルーナ:聖母のための連祷によるティエント ト短調 D.ブクステフーデ:プレリューディウム ニ長調 BuxWV139 わが魂よ、今ぞ主をたたえよ ト長調 BuxWV 214/215/213 J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ハ短調 BWV 546 <アンコール> J.S.バッハ:主 イエス・キリストよ、我汝に呼ばわる BWV639 D.スカルラッティ:ソナタ ト長調 K.328 D.ブクステフーデ:フーガ ハ長調 BuxWV174 チェンバロ / オルガン:トン・コープマン もう先週の話ですが、トン・コープマンのリサイタルがあったので行ってきました。本当に、ちょっと気ぃ抜くとすぐ書き忘れちゃう...... 実のところチケット買ったのは割と最近でした。割引じゃないんですけどね。たまさか調べてたら、この日トン・コープマンがやるな、と。え?来るの?知らなかったけど....てなもんで、買ったんですがね。 実際行ってみたら、そこそこお客は居るようではあるのですが、まぁ、ガラガラの態。確かに、1階や2階はそれなりに入っていたようなのですが、3階になると前半分が6割くらい入ってるかな、という感じで、後ろ側は殆ど人が居ない状態。全体で半分も入っていたのかどうか。確かにもう老境のトン・コープマンではありますが、ここまで人が来ないのかと。この公演主催はすみだトリフォニー(の管理者)らしいですが、それにしてももう少しやりようがあったんじゃ....こっちはのんびり聞けたから有難いけれど、流石にそれは本意じゃないでしょうと。 ただ、まぁ、やはり3階席、特に後ろ半分は敬遠されたんでしょうね。なにしろフルオーケストラ向けのホールで、オルガンはともかくチェンバロですからね。 で、前半はチェンバロ。 うん。確かに距離を感じる。感じるけれど、悪くはない。このホール、基本的には響き過ぎの類(まぁサントリーとかに比べるとまだいいけど)とは思ってますが、チェンバロくらいになると、音の絶対量が小さいので気になりません。こういうのを「デッドだ」っていうかも知れないけれど、3階席で物足りないのはやはり距離の問題でしょうね。でも、それを含めて響きとしては悪くない。 プログラム自体は見ての通りで、バロック期の鍵盤楽器曲作曲家の作品を色々に集めてきて聞かせるというもの。ここに出てこないところだとあとはラモーくらいですかね。プログラムに曰く、チェンバロとオルガンを同じリサイタルの中で弾くというのは珍しいそうで、それもあってか、いわば「バロック・キーボードのポプリ」みたいなプログラムにしたのかと。 演奏自体はとてもいい。ミスタッチは、まぁ、特にチェンバロではあったけれど、普通にミスタッチなだけで、あ、ここは本来こういう音だよね、と思ってしまう程度のこと。むしろそれとわかるのが自然。何を言いたいかというと、その前の週に聞いたピリスのよりはよほど音楽としてしっかりしてるということ。わざわざ言うことか?とも思うけれど、本当に聴いていてそう思ってしまうんだもの、しょうがない。 後半はオルガン。 これも面白かった。特に最初のバッターリアなど、素朴に標題音楽というか描写音楽をやっていて、ここからの入りというのが楽しい。描写音楽自体はクープランなんかにもあって、有名どころ?では、「恋のよるうぐいす」だったか、ああいうのも彷彿とさせるけれど、オルガンなのでこれが迫ってくる感じの聞こえ方でもあって、なるほどと。 このホール、前述したように、私は響き過ぎとは思っているけれど、確かに他所に比べればマシとも言える。で、このオルガンで3階席で聞いていると、実は結構響かないんですね。いわゆる残響時間が短いというか。ヨーロッパの石造りの教会でオルガンを聞くと、かなり長く響きが残るんですよね。唸っているといってもいい。あれは、そういう風に聞こえるように作っているからなんだけど、確かにあれでオーケストラとか聞くとキレが悪いということになる。で、日本のホールはやはりこのくらいの大きさだとオケが鳴るように作っていて、オルガンがずっと響いてるようには作ってない。そうすると、こういうの聞くと、あれ?っていうくらいスッと終わっちゃうんですよね。これはなかなか、オルガンとしては、厳しいんじゃないかなと思うけれど、まぁ、それもそれで持ち味とはすべきなのかも知れないけれど。 で、小言を言うんだけれど、この日、どうにも少なめのお客があんまり音楽聞いてない感じで、チェンバロでもそうなんだけど、オルガンでも、弾き終わるなり拍手始めるんですよね。でもさぁ、これ、前述の通り、教会で聞いてると、暫く残響が残るわけで、だからそのタイミングで拍手しちゃうのは明らかにフライングだと思うんですよね。というかさ、もうちょっと余韻を聞きなさいよっての。 アンコールは3曲。雰囲気的には3曲めはおまけだったようですが。1曲めのバッハのコラールは良かったですね、特に。スカルラッティのソナタも良かった。普通我々がこれを聞くのはチェンバロかピアノってところで、オルガンではあまり聞かないのだけれど、これも新鮮な感じで良かったです。あんまりアンコールばっかり褒めるのもどうかと思うけど......まぁ、実際そうだったんだし。 トン・コープマンは80になったのかな?老境ながら達者な演奏で楽しませてくれました。最後にはサイン会もやってて、なかなかに良いトン・コープマン・デイといったところでした。 もう一つだけ余計なことを言うと、プログラムに使用楽器、というのはもちろんチェンバロの記載があって、それはいいんだけれど、「協力:バッハ・コレギウム・ジャパン」ってわざわざ書いてあるんですよね。 確かにこの楽器鈴木雅明所有のものらしく、だから間違いじゃないんだろうけど、楽器貸しただけだろと。それで協力とかサイン出したいんだろうけれど、そういう時はプログラムの前面に出すんじゃなくて、プログラムの後ろの方に書くとか、せめて()書きにするとかするもんじゃないの?この書き方だとこのリサイタルに全面的に協力したみたいにも読めなくないじゃん。大体が主催者の表記は、プログラムの表紙とはいえもっと小さく書いてるんですよ。コープマンにちょっと失礼。 元々私は鈴木一派は嫌いなんだけど、こういうとこやぞ。出しゃばりというか....品性がなぁ......
2024年11月17日
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https://www.lfj.jp/lfj_2025/release/ .......だそうです。ともあれ、やるということは決まったようで、まぁ、なにより。 内容は12月下旬から順次、ということのようなので、最近のパターンよりは早めにアナウンスされる予定みたいですね。 テーマはMémoires メモワール、ということだそうですが、具体的には楽都とその時代にスポットを当てるそうで、ヴェネツィア、ロンドン、ウィーン、パリ、ニューヨークが挙げられてますが、さてさて.....? 楽都ということなら、ローマ(なんといってもカソリックの総本山なので音楽も充実)、ナポリ(バロック期のもう一つの楽都)、マンハイム(前古典期の楽都)、ベルリン(フリードリッヒ大王!)、ライプツィヒ(バッハとメンデルスゾーンとシューマンの街)、アイゼナハ(バッハとルターとタンホイザーの町)と、いくらでも出てくる気が..... まぁ、正式な発表を待ちましょうか.......
2024年11月08日
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みなとみらいホール 15:30〜 2階右横 ウェーバー (ベルリオーズ編) :舞踏への勧誘 op.65 ショパン:ポーランド民謡による大幻想曲 op.13 リスト:死の舞踏 S.126 <独奏アンコール> モンポウ:歌と踊り 第9番 ビゼー:カルメン組曲 (キンボー・イシイ版) <アンコール> ビゼー:アルルの女 第2組曲 〜 メヌエット ピアノ:福間洸太朗 NHK交響楽団 指揮:キンボー・イシイ 順序は前後することになりますが、日曜日はダブルヘッダー。オーチャード定期をみなとみらいでやるので、聞きに行ったわけです。 今期のオーチャード定期は<Dance Dance!>というテーマなんだそうで。全4公演なのですが、確かにワルツだとかバレエ音楽とか、何某か踊りの音楽が入っているという態。 指揮はキンボー・イシイ............確か、以前はイシイ=エトウさん、でしたよね。何かあったのかしら。まぁ、今はこのお名前でやってるようです。ピアノは福間洸太朗。この人も時々引っ掛かります。若手ではありますよね。クリーブランド国際で優勝してるとか。そういう人若干食傷気味ではありますが.......まぁ、人気があるのは悪いことじゃないですよね。うん。もう日本でデビューして20年なんだそうで、30代ではあるのかしら。 面白いというかなんというか......なプログラム。舞踏への勧誘とか、昔の通俗名曲に入るんでしょうか。最近はあまり聞かない。メロディを聞くと「ああ、あれか!」と何処かで聞いてそうではある、ちょっとキャッチーなものではありますが。テーマ絡みで引っ張って来たんでしょうか。その後2曲はピアノが入る曲。最後はカルメン組曲ですが、キンボー・イシイ編の11曲からなるもの。カルメンはよく知ってるけど、勿論この編曲は初めて聞く。 舞踏への勧誘。まぁ、オケが硬いですね。序奏に当たる勧誘の部分はともかく、舞曲、まぁワルツですが、に入ると、突然弦の音が硬くなっちゃう。力み返ってるまではいきませんが、ちょっと優雅さに欠けるよなぁ、という。そして華やかに舞曲が終わると案の定拍手が。これ、ウェーバーがピアノ版でもう具現化してる引っ掛けなんで、お約束ですがね。まぁ、コンサートの導入部だから、こんなもんでしょう。 ここから2曲はピアノが入ります。が、1曲目のショパンは、正直あまり面白くなかった。演奏がどうとかいうより、曲自体があまり面白くなかった。ピアノ協奏曲を書く前の曲だそうですし、若書きなんでしょうかね。 それよりも面白かったのはリストの「死の舞踏」。この曲久々に聞きました。そもそも生では聞いたことあったかどうか。この曲も前のショパンもそうですが、15分程度の短い曲なので、中途半端なんですよね。だから今回もこういうプログラムになったんでしょうけれど。短くても、ラプソディー・イン・ブルーみたいなのならピアノのインパクトもあるし、1曲でいいんでしょうけれど。なのであまり演奏機会は多くないんじゃないかと。 でも、この曲、面白いんですよ。変奏曲形式で、主題はよく知られているグレゴリオ聖歌のDies Iraeの旋律。あちこちで使われてるアレです。これをモチーフに、主題と6つの変奏とコーダ、といった形なのですが、これが面白い。オーケストレーションが多彩でインパクトも十分なのだけれど、ピアノがそれと渡り合って余りあるような存在感を持ってます。このへんはリストの面目躍如ってところでしょうか。私は、レコード時代に、確かオーマンディー指揮のを持っていて、それで知ったのですが、独奏はアントルモンだったか、面白かったです。勿論これがメインではなくて、何かのカップリングというか穴埋めだったと思うんですが、相手の曲は忘れてしまった。 この日の演奏はピアニストが良かった。ショパンの方は不完全燃焼気味だったかと思うのですが、こちらは気合十分、火の出るような、と言いたくなるような熱演。まぁ、あの旋律、どこで出てきてもちょっと熱くなる気はしますけどね。個人的には本当は熱演みたいなのって一般的にはあまり好きではないんですが、こういう曲はこれでいいんだと思います。特に後半、第5変奏あたりからの演奏は一気呵成にコーダに向けて雪崩れ込む。技術と熱量のバランスが取れていて、良かったと思います。 その後独奏アンコールにモンポウ。これ、聞いてる時は分からなくて、あとでそうと知ったのですが、聞いている時は「なんだか近代的というかポピュラー的な響きで、中途半端かなぁ」と思っていたのですが......なるほど。モンポウね。私はモンポウよく知らないのですが、この後マルティン・ガルシア・ガルシアで聞いたのと考え合わせると、別に追っかけなくてもいいかな、という気はしました。ガルシア(いろいろ略)の方はプログラムの中で、全体の構成としてもちょっとどうかと思いましたが、アンコールピースとしてなら、まぁ、いいかな。演奏は良かったですよ。 後半はカルメン。なんかさぁ、最近こういう「指揮者が編曲したのを演奏する」ってパターンあるんですけど、すんごいゲスなこと言うと、これって著作料目当てなの? 前にバッティストーニが自作曲をやったのは、あれはまぁあくまで自作曲、自分で作曲したものですからね、そういうのはそこまで思わないんだけど、既存の曲の編曲みたいなのを指揮者が手掛けて演奏するのって、どうなんだろう.......別にお前の編曲いらんよ、とか思ったりね..................うん、もうやめます。ゲスの勘繰りだわ。自分から己を貶めることもあるまい.........(.....もう堕ちるとこまで堕ちてる?アウアウ...) 気を取り直してキンボー・イシイ編のカルメン。なんかそんな風に思ってしまうのは、ちょっと違和感を禁じ得なかったからではあります。悪くはないですよ。でもねぇ......カルメンの組曲は2つあって、そこにもともと入ってるようなのはあまり違和感ないんです。でも、そうでない曲がね。 そう言っちゃなんですが、こちらはカルメンならソラで全編歌えそうなくらいには覚えてます。何度も聞いたし、何度も見たしね。で、この編曲だと、たとえば「闘牛士の歌」が入ってます。で、このエスカミーリョが歌うパートを、トランペットで吹かせるんですね。それが違和感ありまくりで........トランペット奏者が悪いんではなくて、そもそもここをトランペットに吹かせるのがね。発想は悪くないけど、ちょっと。 で、その後にセギディーリャ、これは1幕でカルメンがドン・ホセを誘惑する"リーリャス・パスティア"の歌。これも、カルメンの歌をトランペットが吹く。トランペット好きなんですかね。気持ちは分かります。トランペットって人の声に近しいところはある。チェット・ベイカーなんて歌ってるのか吹いてるのかシームレスなところはあったし。でも、原曲を知ってると、違和感あるんですよ。最後はロマの踊りとなってますが、これは第2幕冒頭、件のリーリャス・パスティアでカルメン達が歌い、演出によっては踊りが入る曲。これなんかはさ、もうそのまんまの方がよっぽどインパクトあるしね。 まぁ、なんというか........これやるなら歌手呼んで来てよ、とは思ってしまったのではありました。 アンコールにアルルの女。うん。ファランドールやって欲しかったなと思うけど、それは無理ってものなんでしょうね。 でも、まぁ、全体として、悪くなかったと思いますよ。一番はやっぱり死の舞踏かな。あれが良かったから全体的に良かったな、という感じだったと思います。 しかし、連休だからというのはあるにせよ、みなとみらいは凄い人出でしたね。ちょっと疲れちゃう。渋谷だっていつも人出は多いんだけど、なんかみなとみらいだと疲れるんだよね......なんでだろ.......なれの問題かな........
2024年11月04日
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サントリーホール 19:00〜 2階正面 ショパン:ポロネーズ第7番 変イ長調 op.61 「幻想ポロネーズ」 即興曲第1番 変イ長調op.29 / 第3番 変ト長調 op.51 / 第2番 嬰ヘ長調op.36 幻想即興曲 嬰ハ短調op.66 ピアノソナタ第1番 ハ短調op.4 モンポウ:ショパンの主題による変奏曲 アルベニス:ラ・ベガ(草原) イベリア第3集 〜 エル・ポーロ / ラヴァピエス <アンコール> リスト:ハンガリー狂詩曲 S.244 No.10 ホ長調 シューベルト:楽興の時第2番 op.94-2 ピアノ:マルティン・ガルシア・ガルシア 珍しく連日のサントリーホール。実はダブルヘッダーの2つ目です。 で、アレなんですけどね、これも連日で、あんまりいいこと書きません。昨日とは方向性違うんだけど、特に今回はお客に絡む話。なので、読みたくない人はここでそっと立ち去って下さい。..................................................................もういいかな。 まぁ、言うたらそんなに気ぃ使う話でもないんですけどね。 今回これ買ったのは、そもそも昼間N響のオーチャード定期の予定があって、そういや夜何かあるかな?と軽い気持ちで安売りサイトを見てみたら、安いチケットが出ていたので。この人時々名前は見るし、ショパンコンクール絡みなのはなんとなく知っていたけれど、安売りチケットが出るということは売れてないのかな、じゃぁ聞いてみようか、と思って買ったのです。演目も「ああ、ショパンがあるのね」くらいのもんで。 で、行ってみたら、満席とは言いませんが、8割くらい入ってるんじゃないかくらいの勢い。なんで安いチケットが出るの?と思ったのですが、アサインされているのは2階の右側。多分、ピアニストの手元が見えないって敬遠されて、空いてたんじゃないですかね。で、埋めに行ったと。そんなとこじゃないでしょうか。まぁ、それはともかく、結構な入りです。なんなら前日のゲルネ&ピリスより埋まってる。しかもあちらは声ものとあってピット席にお客を入れてませんでしたが、こちらはピットも入れて、流石にそちらはそこまで入ってませんでしたが、でもそれも含めての盛況ですから、昨日の悪天候と違っていいお天気だったのはあれども、まぁ、よく入ってます。 で、どうだったか? 一言で言うと、私は気に入らなかった。いい演奏ではあると思います。いや、言い訳でなく。ただ、平たく言うと、飽きちゃった。食傷した、ということですかね。演奏自体は、私の好みのアプローチとは言えないけれど、決して悪くないと言っていいんだと思うんですけどね。 この人、2021年のショパンコンクールの第3位だそうで、夏に聞いたアレクサンダー・ガジェヴと反田なにがしが2位を取った時の3位。この時1位はいなくて、日本じゃ「2位が事実上の最高位」とか言ってるみたいだけれど、コンクールで優勝者を出さない、というのは、むしろ「皆それに値せず」ってダメ出ししてるということなのでしてね..........ま、いいんだけど。なので、それなりに売れてて、ショパン弾きってイメージなんでしょうね。この日のお客は、正直言うと7割方はピアノを弾くのが趣味のお嬢さんとピアノを聞くのが趣味のお嬢さんと言ったところ。私なんざまぁ闖入者みたいなもんで。 で、前半はショパンプログラムってところなのですが.......これ、要約すると、即興曲を主体にしたプログラムですが、ほぼ似たような感じなんですよね。幻想ポロネーズって、ポロネーズの中でも一番ポロネーズっぽくない、正直即興曲たちとテイストの似たような曲。ピアノソナタの第1番というのは、少なくとも私は生では初めて聞くのですが、これは若い頃の作品なので、やや生硬な感じもあるけれど、全体的には構成とかよりも雰囲気で聞かせる感じの曲。つまり、全部同じような感じなのですよ。言ってみればフワフワしたような。私は、ソナタのあたりでちょっと飽きてしまいました。似たような曲ばかりだなぁ、と、ね。 演奏は悪くはないんです。この人、ちょっとクセのある感じで、加えてピアノ弾きながら唸る癖があって、それは後半の方が酷かったけれど、まぁそれはいい。響きは悪くないし、腕もある。こういうの大好きだったら飽きないと思います。でも、私は、正直ショパンはそれほど好きというわけではないし、似たような曲で1時間聞かされると - そう、この前半で1時間くらい掛かりました - 、ちょっと辛い。でも、まぁ、ショパンコンクール入賞者って触れ込みなんだし、ある程度はしょうがないけど....という感じだったのです。 で、後半。この辺はほぼ初めて聞く感じ、なのですが.... モンポウのはこれまたショパンの主題による変奏曲。ショパンの主題というのは、24の前奏曲の第7番。太田胃散のアレです。これが結構長かった。20世紀後半まで活躍した人なので、そこそこにモダンな響きもあり、ではあるのですが.........結局、前半とあまりテイストが変わらないんですね。 いや、かなり響きも何も違うんですよ。でも、なんというか........本質的なところで、音楽として、響きと雰囲気で聴かせに行ってしまう、という音楽になってしまってるんですね。ふわっと、ほら、いい音でしょう、気分いいでしょ、という音楽が続く。モンポウはそういう意味で勿論ショパンなんかよりよっぽど尖ったところのある音楽なんだと思うのですが、でも、やっぱりそういうふわっとしたところに落ち着いてしまう。食傷してしまった、というのは、そういうことなんです。 きっと上手なんだと思いますよ。ピアニストとしては。そういうのも悪くない。でも........ 正直に言って、私はこれ聞きながら、ブーニンを思い出してたんですね。私はブーニンは直接聞いたことはなくて、彼がショパンコンクールで優勝して後の日本でのフィーバーぶりは自分とは関係ないものという目線で見ていたのだけれど、いろいろ理由はあるにせよ、ショパンコンクール優勝後の彼が順風満帆の音楽活動を送れたとは言い難いし、あれだけ日本でもフィーバーしたのに、数年で退潮していったのもなんだかなぁと思っていた記憶があります。 今のこの人は、言ってみればショパンコンクールの波のおこぼれで売れているところはあるのだと思います。おこぼれって言うのは失礼かも知れないですけれども、だって、3位ですからね。優勝したって成功が約束されているわけじゃないんですから。まして1位なしの2位二人の次とあっては....... 優勝したって成功が約束されてるわけじゃない。言い換えれば、3位だから成功しないと決まってるものでもない。所詮コンクールなんてそんなもの、きっかけに過ぎない、と、外野の野次馬だから言えるわけですが、まぁ、実際、演奏そのものは、唸るのはちょっと気になるけど、悪くない。ただ、このプログラムはねぇ...........これ、本当に彼が弾きたい音楽なんだろうか。 後半のモンポウやアルベニスは、彼自身がスペイン出身ということもあって、同郷の作曲家を弾きたい、ということで取り上げているのかとも思うので、その意味では弾きたいもの弾いているのかも知れないけれども、でも、こんなに、聞かせ方として同じような傾向のものを弾くのが本意なのかなぁと。正直、私は飽きました。最後のアルベニスは、多少は毛色は変わっていなくもないけれど、聞かせ方はやはり似た方に寄って行くので、正直に白状すると、私はもういい加減終わってくれ、くらいの気分でいました。そんなに悪い演奏でもないのにこういう気分になるのは初めてじゃないだろうか。 アンコールも、結局、同じような感じに。最後のシューベルトは、流石にシューベルトだけあって、響きと雰囲気だけでは終われない感じでしたが、まぁ、そのくらい。ただ、シューベルトを聞きながら、やはり、この人もっと違うプローチ出来る筈だよね、と思ったのは事実。 実は今回思ったことがもう一つ。これ、宝塚みたいだな、と思ったのですよ。 私は宝塚、何度か行ってみようかと思いつつ、結局一度も見たことはありません。理由はいろいろあるけれど、率直にいうと、あれは私がいつも見たいと思っているオペラ、歌劇とは全く別物だよな、というのが先に来るから。そして、それと同時に、あれは本来的に一定の枠内で飼い慣らされた、人畜無害なものだよな、という認識があるので。 そういうと「見てもいないのに!」と怒られるんでしょうね。だからこれはあくまで偏見なのですが。でも、あれは「嫁入り前の娘を安心して見に行かせられる」ものが原点であって、その本質は今も変わってないと思います。一言で言うと、そこにはある種の「毒」がない。 いや、今の宝塚は毒だらけだろ、というのはあるでしょうし、ありゃ下手なオペラ歌手なんかよりよっぽど訓練されているのは確か。でも、あの世界には、本質的にある種の「毒」がないんだと思います。まぁ、今はまるで無いってこともないんでしょうけれども。 ピアノを弾くのが趣味のお嬢さんとピアノを聞くのが趣味のお嬢さんが聞きにくるこのコンサートのプログラムにも、そう言う毒が慎重に避けられている気がするのです。毒と言って悪ければ、ある種の翳。或いは強烈な光。同じショパンでも、そういう構成は出来る筈。でもしない。 私は多分この人もう聞かないと思うのだけれども、もし聞くとするなら、たとえばベートーヴェンとかシューベルトのソナタや、シューマンとかでプログラム組んだらどうなるのかな、と思わなくはないのです。或いはラヴェルもいいかも知れない。それっぽい雰囲気だけではちょっと手に負えない曲、何某かの毒を含んだもので聞いてみたいと思うのです。 聞かない、でいうと、2021年のショパンコンクールの登場者は、日本ではちょっと騒がれ過ぎな気はします。個人的にはガジェヴは後々もう一度くらい聞いてみてもいいかなと思うけれど、あとは別に聞かなくてもいいや、という気はします。
2024年11月04日
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19:00〜 サントリーホール 2階右側 シューベルト:歌曲集「冬の旅」 D.911 バリトン:マティアス・ゲルネ ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス 文化の日絡みの3連休の初日の土曜日、午後から大雨で這々の体でサントリーホールへ。まぁ車で行きましたけどね。 正直言うと、良くなかったです。残念至極。具体的にどう駄目だったのか説明しますが... ちょっと下世話な話をすると、この公演、私一応先行で一番安い席を買ってました。1万円。歌曲のリサイタルで1万円はまぁ普通ありません。オペラ歌手、と言う切り口で言えばなくはないですけどね。多分こうなっているのは、ゲルネというよりはピリスが出るからなのでしょう。日本で一回だけの公演だとか言われてますし、ピリスが他のリサイタルをキャンセルした中で唯一の演奏会になるそうで。幾つかサイトを見ていたら、「ピリスが共演に選んだのがゲルネ」とかいう書き方してるところもありましたし。 この記事では多分幾つか暴言が出て来るのですが、率直に言うと、私の理解では、ピリスはかなり有力なピアニストの一人。ゲルネは、ドイツ歌曲歌いの最高峰の一人。個人的には存在としてはゲルネの方が稀有だと思ってます。それでなくても歌曲は、冬の旅は、まずもって「歌」なのですよ。だから、ピアニストが先に来るイメージははっきり言ってかなり勘違いだと思っています。でも、これが、この演奏会に対する認識なのかも知れませんが。実際、自分だってゲルネだけで1万円って言われたら躊躇すると思いますから、ピリスがそれなりに存在感あるのは事実ですけれども。 因みに、本当にたまたまなのですが、再来週シンガポールでクリストフ・プレガルディエンがミヒャエル・ギースと水車屋をやるそうです。一番安いところは完売で25シンガポールドル。大体3千円くらい。高い方で1万円くらいらしいです。それで、高い方はまだそこそこチケットがあるとか。いや、行かないんですけどね。たまたま故あって調べたら出てきたんですけれども。 それはともかく、この日のサントリーホールも、完売ではなかった様子。そこそこ埋まってましたけれどね。まぁ、この値段で冬の旅でこれなら分からなくはないけれど。 既に出オチで良くなかったって書いてるんですけれど、正直、そこそこ拍手喝采だったようです。でも、こちらとしてはそりゃ違うんじゃないの、と言うストーリーな訳ですが。 何がダメかを簡単に言うと、準備不足です。主にピリス。ただ、それで舞台に出てしまうのだから、それはゲルネも問題。もう一つは、ピリスのアプローチ、というところでしょう。 準備不足というのは、まず、ピリスにミスが多過ぎるということ。ミスタッチではないです。ミス。具体的には音符を飛ばしてしまう。私の理解では、ミスタッチというのは、本来弾くべき音でない別の鍵盤を弾いてしまうこと、その結果本来鳴らない音が鳴ってしまう事だと思っています。それで乱れるとしても、音価はズレないのが基本。リズムも崩れないのが基本。ではなくて、音符を飛ばしてしまって、結果崩れちゃうんですよね。一人で弾いていれば自分でフォローすればいいのだけれど、歌曲というのは旋律線を担当する歌手がいるので、これやられるとグダグダになる。 この日は、前半で4回くらい崩れてました。うち一回は、あれはゲルネがしくじったと思うのだけれど、残りはピリスが音飛ばしてました。それは凄く困るんですよ。後半で、ゲルネが曲の途中で出をしくじったのもありましたが。16曲目の最後の希望。アレは確かに出にくいんです。私も自分で歌っててここは厳しい。でも、ゲルネなんだからさ、ど素人のアマチュアと同じミスしてちゃいかんでしょうよ。実際、ここでしくじったの聞いたの初めてです。ただ、だからといって、前半でのピリスのグダグダっぷりは帳消しになるものではない。 ただ、それは、必ずしもピリスだけの問題ではない。恐らくこの二人、詰め切ってなかったんじゃないかと思うのですね。前半を聞いていると、そもそも出が合ってない、或いはテンポ感が合わない感じがあったと思います。時々、ゲルネのやりたいこととピリスのやりたいことが噛み合わない。だから、空中分解までいかないにせよ、何処に行こうとしているのか分からなくなる。 もう一つは、ピリスのアプローチ。というか、私に言わせると悪い癖なのですが、まぁ、これ、わかるかなぁ..... ピリスはシューベルト弾きとしても定評があるようです。ただ、私は、決してピリスは嫌いではない、むしろ好きな方のピアニストではあるけれど、ちょっと癖があると思っていて、つまり、時々、アレンジとまではいかずとも、表現の幅の内、と言いたいのでしょうが、楽譜通りでない進行をすることがあると思っています。特に、シューベルトで。モーツァルトはあまりないんだけれども。 私は、シューベルトというのは、演奏者ごとき - 敢えて「ごとき」と言いますが - が余計に脚色せずとも、愚直に演奏するだけでもう十分歌になっている音楽というのがよくあると思っています。特に、ピアノソナタなんかはその典型で、むしろ形式に拘って書いたシューベルトを信頼して余計に手を加えない方がよほど歌に満ちた音楽になるケースが多いと思っています。即興曲とかは、単独で弾かれることもありますし、自由度は比較的高いと思うんですけれども。 で、冬の旅も、伴奏のピアノはあまり必要以上に捏ねくり回すべきではないと思っています。なにしろ主旋律は基本歌の方で担当してますから。表現の工夫というのはあるにせよ。 今回のピリスは、つまり、捏ねくり回しちゃうんですね。その結果、伴奏が表現して欲しいものが何処かに行ってしまう。一つ例を挙げれば、4曲目の「かじかんで」。この曲は、1曲目で夜人目を偲ぶように旅に出てから初めてと言っていいテンポの速いリズミカルな曲。大きく言うとA-B-Aの形で、短調で激しい嵐を表すようなAの部分に対して、長調を交えながらかつての幸せだった日々とそれが失われた嘆きを描くBの部分のコントラストが特徴的な曲。この後には「菩提樹」が続きます。だから、ここは、テンポとリズムが大事なのです。まぁ、一般的にはね。 これを、ピリスは、テンポを揺らしてしまうのです。そして、一気呵成に行けない。音楽の大きな流れがつっかえてしまう。こうなると、聞いている方も、歌う方も、この曲の全体の中での焦点がボケてしまうのですね。 そう。これはゲルネの問題ではあるのですが、そもそも、この「冬の旅」という歌曲集をどう構成するか、というところがさっぱり分からなかった。 一般的には、この歌曲集をやるなら、まず最初の5曲が一塊で、さっき書いたように「おやすみ」から「菩提樹」までは一つの流れとして続いているように意識すると思います。そこで一区切り、ざっくり言うと12曲目までは一連で、13曲目の「郵便馬車」からまた別の一塊が始まる。私は19曲目までが一塊で、20曲目の「道しるべ」からの5曲が最後の塊と意識してます。21曲目の「宿屋」がポイントという考え方もあると思いますが。で、その中で、どういう構成をしていくか、というのは考え所だし、1曲1曲の表現も方向性もそれに拠って決まる部分もあると思います。 でも、この日の演奏は、言ってみれば全然繋がりが感じられないんですね。各々一曲づつを演奏するので手一杯で、全体をどう構成するかというイメージが感じられなかった。 その一曲一曲もムラが多くてあまりいいとは思えなかった。一つ一つ挙げていくとキリがないのだけれど、一つ挙げれば、21曲目の「宿屋」。この曲は、或る意味「冬の旅」はこの曲で終わりでもいいんじゃないか?というくらいの曲。主人公が教会の敷地内にある墓場にやってきて、憩う場所を求めようとする。つまり、死を希求しているわけですね。しかし、ここにお前の入る場所はないと拒絶される。それならば、忠実な杖を供に旅を続けよう、と歌う。 これ、解釈は如何様にも出来る曲です。キリスト教では自死は罪なので、死を希求するのを拒絶される、というのをそこに重ねて見ることも出来れば、教会の墓に入ることを拒絶される、つまりは社会から最後の関係性すら疎外されている、という見方も出来る。他にも色々ありますが、ともあれターニングポイントと言っていいと思う重要な曲。「旅を続けよう」と歌う、それをどう歌うのか。元々冬の旅はあまり速度を揺らすような曲ではないと思うのですが、この曲の場合デュナミークで表現をしていく歌なので、尚更余計なことをすべきではないと思うのですが... この日のアプローチは、かなりゆっくりした入り。これは歌手殺しのテンポ...と思っていたら、後半部でテンポが上がってしまうんですね、どうやら。ま、こちらの聞き間違いの可能性もありますが、それはちょっとどうだろうと。遅過ぎるから速くさせたのか。それとも、そういうやり方なのか。でも、結果、後段での表現はやや散漫としたものになってしまったように思います。後段2節でどうしたいのか。表現がはっきりしなかった。個人的には、テンポの変化に伴って、どう歌い上げればいいのか決めかねているように感じました。 ゲルネの冬の旅は、何年前だったか、紀尾井ホールで聞いたことがあります。10年以上前かも知れませんが、その時の冬の旅は素晴らしかった。細かいところまで覚えているわけではないけれど、王道を行くが如きで、21曲目はなるほどこれが終わりかも知れない、と思わせるような歌い上げ方だったのを覚えています。 それに比べると、今回は全体にまとまりのない印象。一曲一曲のムラもあるけれど、それ以上に一連の歌曲集という感じが希薄だった。言わせれば、この曲集は元の詩集の配列とは違っているし、この並びが必然ではなかった、という言い方はされるのだけれども、それは言えばそうなのであって、現実に成立しここにある歌曲集という形態を認めるならば、やはりこの一連の曲集でどう表現するかが問われるのであって、感性に従って自由にやればいいのだ、というのはアナーキズムに過ぎないと思います。 やはり、練り切ってないな、という感想です。ゲルネは以前ピエール・ロラン=エマールと「詩人の恋」とかやってますし、別にピアニストに位負けするわけではないと思うので結局は詰め切れてない、練り切れていないということなんじゃないかと思うんですけどね。 ピリスは、確かにピアノの音は綺麗ではあったけれど、ただ、それだけではこの曲集は無理なのですよ。そもそも24曲、この日の演奏で1時間15分くらいでしたが、個人的には交響曲1曲に優に匹敵すると思ってます。そういう音楽で、しかも一応流れがある以上、よく練らないと音楽の構成が作れないと思うんですよね。やはり今回は準備不足だったと思います。こういうのをスリリングだとか斬新だとか言う向きもあるのかも知れないけれど、私は、「冬の旅」として未完成だったと思います。 まぁ、「次」はないんでしょうけれどもね。こんな日もあるさ。
2024年11月03日
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