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駄目駄目でいい。自己主張もできない。成果も出せない。一人では何もできない。人を育てることもできない。コーチングもできない。赤ちゃんのままの自分でいい。何にもない自分でいい。みんなに色んなものをいただいているから。出来ない自分でいい。その自分で生きてみようと思う
2012年03月07日
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孤独を受け入れていなかったんだなって気付きました。孤独っていうのは一人で生きるしかない状態のことで人に助けを求めても、居場所を求めても拒絶、虫をされる状態のこと。自分は孤独でなければ孤独になってしまう。孤独になりたくないという気持ちになっていたんだなと思います。まず、自分がイメージしている孤独になってみる=我ままを言っていく。我ままを言うとどうなるかを、自己主張をするとどうなるかを知っていく。そこから始めていこうと思います。
2012年03月05日
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感情整理。
2012年01月03日
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中学生が自殺。いじめ。人間関係が人を自殺まで追い込む。想像できてたのかな。いじめをしていた生徒も傍観していた生徒も先生も。僕だったら出来てたかな。自分がいじめられる側になるかもって思って傍観者だったかな。悲しいな。
2011年11月27日
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ありがとう。感謝感謝です。
2011年09月30日
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結婚に向けてお金が稼ぎたいなぁ。そんなことを日々思います。この考え方ではお金が入ってこないだろうなぁ。そんなことを日々思います。答えの出ない葛藤をしているなぁ。そんなことを日々思います。甘えんぼさんでしっかり屋さんの世話焼き上手さん。この人と家庭を築いていくのは安心感があるなぁ。そんなことを日々思います。挑戦したいことに挑戦したいなぁ。そんなことを日々思います。ただ、挑戦したいしたくないで、行動の選択をしたくない。感じるままに、成果に、欲望に、評価に左右されている自分を知りながら毎日をすごしたいなぁ。そんなことを日々思います。川の流れに気付く。流れに身を任せるために今を知る。
2011年09月20日
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楽しいという感覚がわからない。和太鼓の研修生をしているときもそうだったけど、感情を偽りなく感じること、感情を偽りなく表現することが今の仕事でも達成のカギを握っている。怒りを感じないようにしているからか?最近和太鼓をたたいてないからか?わからないからとりあえずそのままで。
2011年09月16日
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ストレスや疲れからか。気力がなえている。どうでもいい。なんでもいい。やり過ごせばいい。やりたくない。そう言った言葉が出てくる。ちょっと軽めの運動でもしてこようかな。ストレスを溜めないで発散するのは大切だね。
2011年08月01日
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ほぼ一年くらいもしかしたらそれ以上かも。間接的にだったらずっと。親に愛されているのかを追いかけてきた。親に愛されていないかもしれないという苦しみを、親に愛されてきたという幸せに変えるため。そして昨日、母親に怒りを伝えて、気付いたことがある。ほぼ全ての親に言えることなんだろう。「愛しているし、愛せていない。その両方を含めて愛したい。」コーチから頂いたものがある。絶対的なポジティブ。「全ての親は子を愛したいにきまっている。」だが、子を授かった時期が未熟な時期で、愛したいのに愛せない親もいるだろう。自分のことが嫌いで、自分の遺伝子を持つ子が嫌いになってしまい、愛したいのに愛せない親もいるだろう。先天的に脳の構造が違い、他人に関心を持つのが難しく、愛したいのに愛せない親もいるだろう。お金の恐怖に支配され、子と一緒にいる時間を減らしてでも働く親。恐怖と闘い続けるために愛したくても愛せない親もいるだろう。子どもの持つ愛されていないかもしれないという恐怖。親の持つ愛せていないかもしれないという恐怖。これはイコールだ。愛したくても愛せない苦しさと愛されたいのに愛されていない。この苦しみもイコールだ。そして、子どもが親に愛されているという確信を持つためにしなければならない事がある。それは、親に愛されたいという気持ちを手放して、親の愛したいのに愛せなかった苦しみを受けてること。この苦しみを子が受け取り、親が手放すことで親は初めて子を愛することが出来る。そして、子は親の愛を受け取ることが出来る。そして、親に愛されたいという気持ちを手放すために大切なことがある。この世に生れてきてよかったと、親以外に思わせてくれる人がいること。僕にとってそれがまんちゃんだった。僕は本当に運がいい。まんちゃんがいたから、僕は親の「あなたを愛せなくてごめんなさい。」という気持ちを受け取れたのだろう。「愛したいのに愛せなくてごめんなさい。」凄く悲しくなるけど、僕はこの気持ちを受け取る決意をした。その奥に親からの愛がなくても、見つけられなくても、愛している人の苦しみは受け取ろうと思う。今日は、淋しさと悲しさと苦しさと脱力感でいっぱいだ。
2011年06月13日
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生まれてきてよかった。命を与えられたことがうれしい。この喜びを感じて欲しい。そう思えたから、親になりたいと思った。裏も表もある。仕事をすることで気付かせてもらえる。1対1だけじゃ味わえない感覚がある。僕の意図が明確になっていく。
2011年06月12日
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朝起きて僕の心に響く声。ズル休みしたい(笑)どうやら予定通り運んでいない自分の仕事から逃げ出したいみたいですね。今回チラシは諦めて、まず配る。その後、チラシが出来たら改めて配る。それが僕のベストでしょうね。うん。
2011年06月01日
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気付きのまとめ。子どもの僕は、淋しさ、悲しさ、それと憎しみを感じていた。母親は、お金がなくなる不安、生活を豊かにすることが親の使命として自分を犠牲にしていた。父親もそう。爺さん、ばあさん世代も同じ。その頃は時代と価値観があっていたと思う。僕は、親の抑圧を少しでも軽くしようとネガティブな気持ちを一緒に持ち続けていた。だから僕は、働くこと、お金に憎しみ怒り恐怖を覚えた。でも、じいさん世代からの家族愛を教えてもらって、働くこと、お金を受け取ることは愛情を受け取ることだと教えてもらった。じいさんから。これから僕は働くことと親子関係の因果関係を学んで、セミナーやっていく。というわけで、7月か8月にサポステで働くこと親子関係のセミナーをやっていく。それが僕の次のステップ。学びたいですね。
2011年05月31日
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今までは、母親と仕事とお金が憎かったんです。僕をほったらかしてお金のために働くお母さんが。淋しさや哀しさを受け取ってくれないお母さんが。僕よりお金が大切なの?僕より仕事が大切なの?僕より生活が大切なの?僕より大切なものがあるの?インナーチャイルドの自分はずっと母親にこの質問を投げかけると同時に、淋しさ悲しさ憎しみを母に投げかけていた。なかなかそれに気付いてあげられなくて、その気持ちを受けとめてあげられなくて、自分のことがよくわからなくなっていた。でも、自分のインナーチャイルドの声が聞こえて、母の無意識が分かって、出てきた答えは「父も母も僕も必死で家族を守ろうしていた」辛い気持ち、苦しい気持ちを押し殺して必死に働いていた両親。押し殺された抑圧された両親の気持ちを、両親がつぶれないようにと必死に持ち続けていた自分。家族みんなで必死に守り続けてきた。3人で凄く頑張って生きてきたんだなって心の底から腑に落ちた。その根っこには愛し合っている家族を感じる。戦後、じいさんたちの代は必死に働くしか生きるすべはなかったかもしれない。その子供は、必死に働く親のコピーで生きているのだろう。そして僕たち孫の世代。築きあげられた豊かさを土台に、受けとめ続けた気持ちを解放して戦後に爺ちゃんばあちゃんまでをも幸せにする時代。ポイントはただ受け取るだけだったんだなぁって昨日、死んだじいちゃんが教えてくれました。
2011年05月31日
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5月病です。久しぶりになりました。OKです。なることは予想してました。気を張る頑張り方をしてきていたので長期連休で反動が来るだろうなと思ってました。時間を気にせず寝ていたい。そんなことを思ってます。明日からは、気を張らずに仕事が少しでもできるように、気を張ってるな。と緩めようって思いながらやります。明日からはゆるゆるです。あるがままにやっていきます。おやすみなさい。
2011年05月05日
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大すきな和太鼓を仕事にしていた時期があります。人生でずっと悩んでいたコミュニケーションを今仕事にしています。不思議なんですけど、今の方がしっくりきています。一番の違いは「仲間」です。僕は今の仲間が大好きです。望む人間関係が手に入っているかと言ったらまだわかりません。凄く手に入っている気もするし、まだ全然手に入ってない気もしています。本当に不思議な世の中です。ただ、仲間で人生が変わるのは本当だと思います。気を許せるとかだけじゃなく、ピリリとするような関係。とても不思議ですね。
2011年05月03日
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みんなが安心できる場をつくる。そんなことを言っていた気がする。時が流れ、意識もしなくなった今、僕は場づくりをする仕事をしている。心・技・体・場 心 ありのままでいられる安心感技 社会生活を送る技術体 健康に毎日を過ごす体力場 場との一体感をもつコミュニケーション能力この四つを養う場を今つくています。
2011年05月03日
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癒したい。その奥にあった「もっと頑張りたい。」という気持ち。毎日毎日ゆるゆる癒したい。
2011年04月27日
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人とかかわると気づかされる。僕は人に承認されるのを嫌ってきた。もしかしたらそれが人に承認して欲しいと見えているのかもしれない。承認はされたかった。人の中に自分の居場所を作るのが嫌だった。もしかしたら人の中に自分の居場所を作りたいのかもしれない。人の中に自分の居場所がある安心感。そんな安心感もあるのかもしれない。人の中に居場所を求めたしまうと自分が壊れてしまう。断られた時、その人の中に僕の居場所がなかった時、居場所を作りたいそんな気持ちが自分の中に引きこもってしまう。でも今、自分の中に自分の居場所を作る。人の中に自分の居場所を作る。それもまた人の成長にかかわる部分だ。
2011年04月17日
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毎日毎日の積み重ねの処理が間に合ってないからか、気分と体が思い。その日の感情の整理をしていくのはすごく大切で、僕の場合お風呂に入るのが大切だなと思う。やるべきことのリストアップだけでなく静かに自分の声だけを聴く時間を作る。失敗をして自分のことを責めたり、している。疲れて振り返りをせずに寝てしまったり、毎日の対応にただ追われている。人とのやり取りを大切にする。自分のその時その時の感情に気付く。後からでもいいので言葉にしてやる。自分との対話の時間を大切にしていく。
2011年04月14日
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自分がやりたいと思うことを出来る環境を整えていこう。結局はそれが一番早いと思う
2011年04月06日
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今年度に入り、4日が経ちました。正月より年が変わった気がしています。一番変わったのは仕事環境。職場は変わってないんだけどね。役職が変わった。それともう一つ、家庭教師が終わった。縁とは不思議なもので、4家庭をみさせてもらいましたが、全てが僕にとって必要な家族だったと思います。父子家庭。母子家庭。再婚家庭。家庭。ちょうど1年前から始めた仕事でした。時間に余裕があったらまたやりたい仕事です。4家庭を見て思ったことは、同じ子はいない。当り前ですが、驚きです。中学生の一人の人としてみんな真剣に生きていた。自分が中学の時は勉強から目をそむけていたので、彼らとの出会いを通じてその頃との自分と寄り添うことが出来ました。感謝です。成績が内申29から34に上がった子。特定の教科だけが2上がった子。成績が悪くてもテスト結果を自信もって親に見せれるようになった子。受かる可能性が0に近くても第一志望でその高校を受験し落ちて、第二志望の学校に行くことになった子。でも、その第二志望も一年前は4割くらいだって模試判定が出てましたね。本当にみんな成長しました。なぜだか知らないけど、どんな結果が出てもみんな充実しているだろうなって思ってました。出た結果を、ありのまま受けとめれるだろうって。だから、一緒に安心していられた。本当に感謝です。転職かもしれないと思えるくらいです。コーチングと学習と家族。家庭教師は全てが混ざっていた。もしかしたら今の仕事の、これからの仕事の集大成になるかも。自分で法人にしてもやっていけるんじゃないかって思ってしまったりしています。一緒に勉強した家族から、服のプレゼント。鯛のプレゼント。甘いお菓子のプレゼントなどを頂きました。今そのお菓子を食べながら書いてます。この一年間、人の変化に出会えて本当に良かった。変化を強要しないで彼らがしたい変化を目の当たりにできたのが何よりうれしいです。
2011年04月04日
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仕事をしっかりしたい。そんな悩みが出てきます。しっかりできていないと思い込んでいるのです。僕のしっかりできているのは「気がかりzero」状態です。不透明感zero未完了zero不安zeroそんな状態が望ましい。人からの影響に左右される感覚や、中身のないインデックスを渡されている感覚。そんなインデックスがあるから、未完了がたまっていく感覚。消化できるものから消化して、消化したいものは消化できていない。なんとか消化したい。気がかりzeroの中で生きていけてらいいな。
2011年03月20日
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あなたは今何を分かち合いたいの?あなたの安心感てなに?応援される人ってどんな人?応援てなに?応援する人ってどんな人?あなたの恐怖はなに?前向きになるのは自由にして。前向きになろうとしなくていい。恐怖から目をそむけるための前向きは恐怖と隣合わせだよ。恐怖は今までの愛情だよ。受け取ればいい。受け取っても恐怖に支配されることはないから。期待にこたえる。人に好かれる。いい人になる。手放しても愛され続けるんだよ。恐怖につくった自分で応えなくてもいいんだよ。少しだけ、少しづつ楽に行こう。愛情はもらえるから。
2011年03月18日
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安心感がどうしたら手に入るか。不安な場面や事柄が浮かんできて「働きたくない」って自分の中から言葉が出てきた。責任感と安心。責任をとると安心だが無責任は不安。責任が取れるか不安。責任と無責任の間にいる僕は、いつも不安が付きまとい、その二極の世界から逃げてしまう。未知との出会いだけが恐れではなく、無責任という恐れも僕を安心感から遠ざける。
2011年03月04日
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仕事は休日なんですが、外部スタッフの人への挨拶をしに行きました。 その時に、自己啓発セミナーへの参加を勧められたというか、求められたというか「あなたは受けるべきですよ」といわれました。 受けて受けなくてもどっちでもいいんですけど、なんか疑っちゃうんですよね。お茶を濁しながら断ったけど、この先も一緒に仕事続ける人だしやりづらいなーという出来事がありました。後は、太鼓のDVDみて、感性刺激されてウキウキワクワクです。明日もあいさつ回りですね。
2011年02月28日
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やっぱり、一日一日振り返りが大切ということで、ブログを書いていこうと思います。今日は、午前中に車のメンテナンス、お昼に和太鼓、夜にコーチングセッションでした。車のメンテナンスは、洗車と車内清掃、エンジンオイルの交換です。洗車をした後に、bodyをタオルで拭くのですが、これが気持ちいい。車にねぎらいの言葉をかけながら拭いていると、とても幸せな気分になれます。タイヤのホイールを拭くときは最高です。丸みを帯びたところや拭きにくいところを丁寧に拭いて綺麗になると、車を大切にしている気になり最高です。最後にエンジンオイルの交換。スタンドのお兄さんにやってもらいました。ブラッシングオイルでエンジンの中を綺麗にしてもらって、その後エンジンオイルを入れます。車が、bodyも車内もエンジンルームも綺麗になって絶好調です。お昼は和太鼓。プロの演奏が見れてとても楽しかった。アマチュアの演奏はまあそんなもんかって感じだった。練習をもっと頑張ろうって思った。夜はセッション。セッションまで少し時間があったので「モシドラ」を読んだ。青春ですね。次はドラッカーを読もうと思う。そしてセッション。テーマは「仕事場の運営引き継ぎについて」僕にできるのかなという不安との直面でした。事務所の運営を任されることになったので、それなりにプレッシャーを感じてます。でも「安心感」どうやったら手に入るのかな?を大切にやっていこうと思います。そして最後に「責任感」と「無責任」とは?ですね。しばらく内観作業が続きそうです。
2011年02月27日
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久しぶりの更新。一昨日目標設定のセミナーをやりました。テーマは目標設定なんですけど、内容はほぼ「承認」。話す機会がないが、生活を共にしている人たちへのセミナーだったのでとってもいい刺激になったかなと思います。目標設定なのでチャンクアップ・ダウンもやりました。スキルテクニック講座みたいになったのは反省です。深い部分をシェアし合う。日常を共に過ごす仲間だからこそ大切だったみたいです。
2011年02月18日
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22歳から社会人になり、27歳になりました。社会人歴5年です。色々ありましたね。今の仕事がとっても好きです。自分の過去から自由になっていくことが、人への理解につながり愛を実感して幸せな気持ちになれます。働くことがとても気持ちいいです。しかし、同時に働きたくない。この思いは明らかに僕の中に存在しています。何故か、働くことで幸せになるというイメージが湧かないんです。仕事、働くとは?自分から自由になること。人の喜びに触れながら自分の喜びに触れること。自分の意識の幅が広がる。本音にアプローチできる。人との出会い生きがい自分の中にある本物との出会い生命維持活動辛い義務家族に淋しい思いをさせる人の言いなりになる責められる結果を出さねばならない失敗したら責任を押し付けられる苦しい人と比べられる世界否定される世界楽して生きたい僕の中に人と本気の意見交換をしたい。という願望があるようです。母親は、正論を武器に論理的に父を責めます。正論が存在するかは置いておいて、日本人ならばこうでなくてはならないといった感じでしょうか。幼いころから、お経の意味を教えられ、母の受け取った価値観に沿うよう頑張って生きてきた人です。お経に書いてあることに沿うか沿わないかで判断し、沿わないときはとても素晴らしそうに聞こえる説教文句で相手をおいたてます。僕にも考え方の影響が出ているでしょう。人に追い詰められることを極端に嫌います。追い詰めるときは反論の余地がないくらい徹底的に逃げ道をつぶしてから追い詰める時もありました。中学の時ですね。今でも母に対して反論は許さないという気持ちで向き合ってしまっているのでしょう。小学3,4年生の頃3人組で行動してました。その中に口の上手い奴がいて、喧嘩になるたびに言いくるめられていました。腹が立つので手が出ます。口で泣かされて暴力で泣かし返していました。振り返るとなぜ友達だったのかわかりません。何か惹かれあうものがあったのでしょう。僕の怒りはそいつからもあったろうし、母の嫌いなところを見せてくるそいつが嫌いでした。母親を感じるからそいつと居たのかもしれませんね。相手に親を感じたり、自分に親を感じると心の奥底は安心感につながるのでしょうね。嫌いなのに一緒にいたり、嫌いなのに同じ行動をとるということは。仕事は本気になります。自分の中にいる本物を探したい欲求があるのでしょう。その時僕の中にある、否定感が邪魔してきます。でも、同時に教えてくれます。人を愛せる状態を。仕事のネガティブに向き合うのは難しいですね。自分は、積極的に前向きに向き合う人間だ。というアイデンティティが形成されているので、逃げている言葉と後ろ向きな言葉は拒絶します。しかし、ニュートラルな状態でいたいので今回は思い切って見ていきましょう。
2011年02月07日
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仕事って自分の思いから自由になれますよね。
2011年02月01日
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最近ずっと夢がかなっている。セミナーやったり、和太鼓教室や和太鼓の演奏。セッションで「夢は叶ってるんですけど、お金がついてきていない。」とぼそっと口から出た。今日演奏をしてきたらお金がついてきた!ボランティアって聞いてたんだけどな?と思いながらも、嬉しかった。1時間の演奏と教室をしてそんなにいただけるんだ!感動した。
2011年01月31日
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寛平さんゴールお帰りなさい後はがんを完治させて元気な姿をまた見せてもらいたいですね。
2011年01月21日
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人と一緒に仕事をする。場づくりを大切にしているので、他の意図が入ってきて違う場にされるのがやりづらいですね。早いとこ意思疎通をしなければと思ってましたが、しばらく相手が無意識にどんな場を作ろうとしているか観察していきます。まず生徒より、一緒に仕事する人の無意識ちゃんを理解する方を選んだことに変化を感じますね。
2011年01月21日
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過去を愛し始めたのか?4月から一緒に仕事をしていくだろう女性。物腰柔らかいけど、ダブルバインドが多いなと感じる。理想が強く、理想から離れている自分へのジャッジ。人を信じ切っている心の広さというか温かさ。この人好きだな。と感じる。同時に過去の自分を好きだなと感じる。何より家族関係で悩んでいる人が僕はめっちゃ好きらしい。
2011年01月20日
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目がさえて眠れない。空腹でラーメンが無性に食べたい。我慢すると寝たいのに眠れない。
2011年01月18日
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最近、人への評価や判断、またその人を変えたい。なんで変わらないんだ。という気持ちが強く出てきます。 全部自分へのメッセージなので一人一人へメッセージを書いて自分で受け取っている状態です。 今までこんな気持ちになったことはなかった。こんなにも関心を持って相手を変えたいと思うことは。 人への愛情が深まってきていることは感じますが、伝える準備が出来ていない状態です。自分の価値観を通して見ていることが違和感をとっても感じる。 コーチングで習ったことを崩していく。そんな時期に来ている気がします。
2011年01月18日
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第二回目標設定セミナーが近づいています。一回目は右も左もわからないその状態でやっていたので自然と初心でやってます。「このワークをやって時間が流れて、あれをやればいっか。」なんて考えでシートを作っています。初心を忘れている。目的を見失っている。考え方が型にはまっている。そんな状態です。目的は自立支援。そのための「ワクワクする目標設定をする。」そのための「ワクワク発見。」人がワクワクするために何が必要か。ワークは今まで習ってきた継ぎはぎになるかもしれないけど、初心に戻ってやってみよう。
2011年01月16日
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成るように成ると思い、寝て起きた自分へ自然とわいた質問。「最悪の場合どうなる?」最高の質問が来ました。4月から、ある施設の責任者として任されることになりました。地域との連携。スタッフとの連携。外部講師の人たちとの連携。施設の場づくり。今は、全体が見えていない。自分を頼みにすることもできていない。心の中は「自分がしっかりやらないと。」でいっぱいです。理想は自分を信じ切った他力本願。全体が信頼関係で回っている。扇の要になること。でも、今そこへの気持ちで容量オーバー。歯車がかみ合わず、不安と一体化して自分と周りが見えていない。そんな感じです。「上手くいってない上手くいってない」ただそれだけが連呼されている状態。最悪の場合「今の利用者は誰も来なくなり、スタッフ同士の仲が悪くなり、毎日毎日粗さがしをされてダメ出しをされ、職場の雰囲気が悪くなり、利用者がさらに誰も来なくなって、何にも上手くいかない。行事もイベントもボランティアも講座も誰も何も利用しなくなってつぶれてしまう。自分への信頼が無くなり、自分を嫌いになり、どん底人生が始まる。」そんな感じ。苦しくなるはずだ。最悪の状態から浮かび上がってくるもの。地域との連携嫌だな。見えてないな。スタッフへの責めている気持見てないな。理想の関係になってないな。自分のダブルバインドといてないな。外部講師の人と上手くできるかな。先任スタッフと比べられたらいやだな。比べてるの自分だな。利用者への責めている気持を見ていないな。自分のネガティブに向き合ってないな。裏側を見て理想を知る。これが最後の仕事になってもよい。社会全体に無意識に刷り込まれている当り前の裏側と向き合える事業をしていくのだ。本当の意味で能動的に生きる一歩がまた始まる。幸せな人生だ。ありがとう。成るように成るよう動いてみるよ。
2011年01月15日
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吐き気、頭痛、背中の張り、肩こり。火曜日から体調がすぐれない。ゆる体操や柔軟をしてバランス整えようとしてたけど、なるようになってみよう。体調管理は気をつけたいけど、成るように成るという感じで感覚を見つめよう。心当たりは容量オーバーなんだろなと思っている。
2011年01月14日
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僕は宗教や哲学への偏見があることがわかりました。決まった時間に決まった方向へ祈りをささげる。週末には教会に行く。海外では当り前のように神に感謝を表している人たちがいます。根拠なくおかしな人たちだ。と決めつけていた。哲学もどこか懸念している。自分で答えを見いだせない人たちのためにある、人からの答えだ。という考え。当り前になっていることに対して、多面的に見つめる質問にもなる。むしろ答えを持っている人にとって、答えになってしまっていることを見つめるための質問かもしれない。本当の意味で能動的に人生を生きていきたい。2極化。善し悪しになっている事に気付く。偏見やダブルバインドを解き放ちたい。この動機も既に2極化だ。
2011年01月11日
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第二回目標設定セミナーが迫っています。二回目は、内部対話を利用して目標が叶った状態になってしまおうです。ドキドキしますね。
2011年01月10日
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もはや、ブラックサンダーじゃない。ホワイトサンダーでいいじゃん。
2011年01月09日
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なるほどの対談ミラーワールドの奇跡2冊の本を読んだ。進められた本。なるほどの対談は、僕の鼻をへし折ってくれたり、本物志向の大切さを教えてくれた。ミラーワールドは、死んだ爺さんを許せる気付きがあった。まさか、両親のけんかを僕が引き寄せてたなんてとビックリした。世界に一つしかないとても大切な贈り物があるとします。あなたは誰に上げたいですか?この本を読むまで僕は母親だった。この本を読んで、まだとっておこうと思った。
2011年01月07日
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お正月の親戚集まりでの気付き。従兄が独立すると言っていた。それを見て僕は「こんなに意気込んですることかな?やりたいことをしていく中での通過点でしょ?」って思った。自分に気付けた。「いつの間にか独立が目的になってるな。こんなに肩ガチガチじゃ、流れに乗れないな。」ついでに独立するのが意識が高い店長のつもりで行動もっと自分を追い込む人間的成長をすると言ってた。沢山気付かせてもらった。僕は何だか変わった。確かにそう思っていた時期があった気がする。2年前はそうだったであろう。今はそうでもない。楽しくいこうと思う。理論的に考えれば何のための独立、店長意識、追い込み、成長なのかが大切。今の自分を否定して、苦行を乗り越えた自分こそ良しとするための変化は自分で自分から離れていく。従兄からはこれを感じた。何のためにが本当に腑に落ちていれば、独立や意識、追い込みや成長なんてちっさいちっさいことである。独立なんてちっさいこと考えんと、人生の流れに乗ったらええのに。気づかせてもらった。
2011年01月07日
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親戚一同が集まりました。僕は、明日のセミナーの準備のため半分くらい集まりを抜け出してました。話の内容を聴いていると、すっげー過去の人たちが沢山いる。って感じです。やらねばならぬ。の塊が沢山いる。首と咽が閉められていきます。独立するからやらねばならぬー。家族のためにやらねばならぬー。好きなことしながら仕事なんて出来ない。独立するためには今のままではだめだー。無意識のそんな声が聞こえてきてとっても肩が凝りました。親族が異世界に見える。でもこれは、全部自分がそう見ているだけ。そう見えていても影響を受ける必要はないのに、何故か影響を受けている。つまり、心の奥に古い観念がいてその観念と否定し合っているのです。親族から感じるこの気持ち、受けとめられるようにしていきます。
2011年01月03日
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一年前の今頃と今を比べて気付いたことがある。AKBってこんなにメジャーではなかったよな?見慣れたからか?メジャーになったからか?AKBへの認識が明らかに去年とは違う。去年はみんな同じ顔に見えた。今は、何故か「かわいいな」って思うことがある。この変化はなんだろう?無邪気にテレビ出演を楽しんでいるように見える機会が増えたから?僕の中のこの変化は驚きです。変えたくて変えたわけではないし、消えていてもあまり気にならない存在だったでしょう。知らぬ間に変化している自分に気付きました。
2011年01月02日
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NHKでやってるハーバードの講義の放送を見た。「これからの正義の話をしよう。」という本になったものです。内容の理解には程遠いけど、収入の違いが出てくる理由なんかは伝わってきた。読んでみたい、そして、見てみたいDVDですね。
2011年01月02日
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「なるほどの対話」という本を読んでいます。読んでいると、自分についている垢と言うか、思い込みの様なものが浮き上がってくるんです。例えば「偶然はない。全ては必然だ。」とか「相手の心を受けとめる。」とか。仕事でも「実は、スタッフの方が深刻にとらえちゃっているのではないだろうか?」って思ったりも。偶然もあっていいし、受けとめたいものと受けとめてもらいたいもの違ってたのかもとか、下手に腫れもの扱うようにさわってたのかもとか。なんでそういうことに気付けたかっていうと、僕の中に相手を変えてあげよう、変えてやるっていう気持ちがあったから。心のどっかで相手は正しくないって思っている節がある。どこら辺だろう。働いてない事。コミュニケーションに苦しみすぎて逃げていること。働くということを直視していない事。一人ひとりと、自分と望み通りのコミュニケーションになってるのか。そこが一番気になる。流れに乗っている感じはあるんだけど、何かもっと繊細に生きていい気がする今日この頃です。
2010年12月31日
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チハラトークというDVDを最近見てます。純粋で軸を曲げないあの二人が好きですDVDの影響もあって、最近僕の周りにも「なんでやねん」な出来事が増えてきました。郵便局に年賀状を出しに行き、駐車場から出ようとしたら正面から郵便局の車が迫ってきました。郵便局の車が避けるかなと思いきや、直進してきます。チキンレース状態です。何故か僕が車をよけることに!!「なんでやねん」まず、ぼくお客さんです。郵便局職員何考えとるんじゃ。お前がよけろって」そして次に、駐車場には左側通行の矢印が引いてあり、ご丁寧に中央線まで引いてあります。「お前らが決めたルールにこっちが従っとるんじゃ。なんで、お前らがルール破っとんのだコラ。避けるために一旦右側通行にならなイカンくなるだけどどうしてくれるんだ。ルールを守った気持ちを踏みにじりやがって貴様ら。ぼけ。」ということがありました。昔なら、小さいことで怒ったらいかん。って気持ちを抑えていましたが、最近は開放的なのでしっかり怒ります。でも郵便局員に言いに行くのはやめました。早朝は寒かったそして今日。家の近くのリサイクルマートが家庭用のゴミステーションに企業ゴミを捨てて行きました。「やりやがったなテメー電話で注意しました。」それを見つけた時は、親と家の前を歩いていましたそのまま店に乗り込んで気持ちを激しく伝えようと思い、店に早足で近づいて行きました。そしたら「やめなさい。」と。雰囲気で僕が何をしようとしたかわかったのでしょう。「止めてくれるな。おっかさん」と思ったのですが、怒りのままに行動するのもやめようと思い、店の電話番号を調べて、電話で注意。市のごみの収集は終わっているので、今年はゴミステーションにゴミがあるまま年越しになります。次、奴らがやったら市役所通報です。それでもやったら、警察通報です。それでもやったら、営業できなくしてやりたいです。でも、欲しいもの安く売ってるんです。というわけで、最近のなんでやねんでした
2010年12月30日
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とっても不思議な夢を見た。コースが決まっていないマラソンをしている。でも、エネルギーの流れは存在している。その流れには逆らっても違和感を感じるだけで、流れを感じるままに進んでいくと、とても自然にどんな道も進んでいく。夢の中で進んできたコースはまるで自分が「もののけ姫」であるかのように凄い大自然の中をすごいスピードで進んできていた。少し足を滑らせるだけで谷底へ真っ逆さまの様なところを走ったり、神社の境内の様なところを走ったり、お地蔵さんが点々と並んでいる石畳を走ったり。その時の風景も神社のような感じだった。ただエネルギーを感じながら進んでいく。途中で僕は、流れを気にしないで生きたい方向へ行ってみた。そしたら沢山の人とすれ違い、急に流れが気になり、流れに乗ってみようと思った瞬間、記憶が走馬灯のようによみがえるスピードと同じくらいの速さでエネルギーを感じるままの道を進むことになった。2週目だったのか。似たような風景だったのか。見覚えがあるような違うような気がする景色に差し掛かった。そこには土偶様がいて一緒に遊んでくれているような、何かを教えてくれているような、流れに沿ってやってきたことを歓迎してくれているような。そんなやり取りをしながら走っていた。土偶様に祝福されているような感じだった。ふと「この土偶様はなんだろう?」と疑問が走った。そしたら土偶様は何か定位置の様な場所に着き、その定位置から飴が落ちてきた。細長い丸の楕円を立体にしたような、長さ5センチくらいだった。色は水色だったような気がする。落ちたものを食べてはいけないのは、夢の中でも同じだった。しばらく飴を眺めていたら、所長がやってきた。土偶じい様の飴だよと教えてくれた。僕はその飴を拾って口に入れ、なめながらまた走って行った。目が覚めた。目が覚めた時はちょっと怖かった。突然目が覚めるときは金縛りにあう傾向だと思い込んでいたので、またか!と思ったからだ。恐怖と痛みを感じるのが嫌だったのだろう。今日はそれもなく、いったい夢の土偶様が何だったのか?何かしら僕を護ってくれているというか、祝福してくれている存在なのだろう。今度ちょっと土偶様について調べてみようと思う。宇宙的な存在に少しワクワクする。 ただ夢から覚めて出た結論は、意識を手放して、エネルギーの流れに沿ってただ生きてみようかなという結論だった。もしかしたら僕は親の集いをやっているかもしれないな。僕は僕の流れのままに。正直、独立の方が怪しいかげろうに感じてきた。天下無双の男になるみたいな(笑)というわけで、大きな(おおいなる)意思の流れを感じながら生きていこうと思う。
2010年12月29日
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たまに、人が出来ない事を絶対やり遂げてやる。って無意識が言ってきます。最近は「え?なんで?」ってなります。チャンクアップしてったら「家族とほのぼの夕食が食べられる時間を作りたいから。」と。なるほどねー。家族が自由になれば一緒にいられる。と思ってたみたいです。家族が自由になったら両親何してるかなーってイメージしてみました。二人ともいまにも増して生き生き仕事してますね(爆)幸せを両親にねだるのではなく、自分の幸せに気付く大切さを教えられた気づきでした。
2010年12月24日
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