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むかしダーク系のミュージシャンがインタビューで、雨の日は妙に気分が落ち着くんです、これは性癖なのかもしれないけどと言っていたのを思い出す。何ダーク気取りやがって!とその時は思ったけど、今はほんっと落ち着くのがわかる!(笑)雨の音が背景音となり余計な音を消し去ってくれて昼間でも静けさを感じる。雨の日はみな家にいるのだろう近所もとても静かだ。僕はこれから眠るのだからこの環境はありがたいのだけれど、たぶんまだ寝ないだろうな。せっかくのこの雨の日の静けさを楽しみたいから。「僕は寝るときはいつも必ず耳栓をして眠る。起きてからも外さずにそのまま過ごすこともある。まわりの音がとても攻撃的に感じてしまって敏感になり落ち着かない。だから遮断する。それに僕にとってそれは情報過多であり処理能力をゆうに超えている。壊れそうだ。繊細というよりただ弱っているだけなのかもしれない。耳栓をして遠くで聞こえている音はぜんぶ僕に無関係で意味も消え、ひとり静かな世界に孤立し始めて自由になれた気がする。雨は詩にもよく使われるように嫌なものを洗い流してくれる。汚れきった世の中や人のこころも洗い流され清められていく。ずっと病んだ僕のこころも少しだけ静めてくれる。あぁ(笑)」
2007.04.25
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この地区の歴史を学ぼうと市民講座に参加した。100人位の席が用意されほぼ満員。60代以上の退職したような人がほとんどで若い人は数人でした。皆熱心にメモを取り真面目に勉強している様子で感心しました。この辺りは鎌倉時代の合戦があったところで、その後も幾たびの闘いの場になった。旧街道と多摩川が交差する戦略的重要地点であったらしい。その歴史をその後の江戸時代の地元文化人が編纂したらしいのだが、結構自分達に都合のいいように書かれていて面白い。その当時残っていた遺跡や資料も拡大解釈されていて、地元がいかにも名所ばかりで伝説の地であるかのように書かれているんです。今も昔も考えることは同じなんですね。この地区の江戸幕府からの扱いが良くなるように作り上げているんです。地域における歴史の伝承や伝説の信憑性は疑わしいものだということを知りました。合戦の◯◯塚とか言っていて掘ってみたら古墳時代のものだったり。。ちょっと夢がなくなる感じがするけど。大人になってからの勉強は楽しいですね。興味をもったものをより知ろうとする。退職した後にたっぷりある時間をそのように使い勉強する人達。それを見れたのが一番よかったな。
2007.04.24
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左足を作業中に怪我してしまい痛くて足を引きずって仕事をしていた。トラックのクラッチを踏み込む度に痛みが走る。もう十日も経つというのに治る気配がない。 患部の腫れはだいぶ引いてきたのだが、筋なのか足の甲を傘の先でグリグリ突かれているような痛みがある。気温が低いとより痛む。治療院に行きたいがお金がねぇ(泣!) 仕事中の怪我なのでもしやと思い会社に相談したら、労災は駄目だけど治療費は出してくれると言う。でも完治するまでは出社しないで静養することと言われた。 僕らアルバイトドライバーは休業保証なんかないから有給休暇を替わりに使う。早速今日から休んで治療院に通うことになりました。 今は一日でも早く治して出社したい気持ちです。なぜなら二十日から仕事が忙しくなるのを知っているので他にも人員の補充が必要と話していたところだからです。なのに僕自身が休んでしまうなんて‥。 いつもは仕事なんてしたくねぇと言ってるけど、仲間に負担させてしまうことは本当に申し訳ないと思う。仲間あっての自分と感じているから。それに会社なんかクソだ!と思っていた昔と違い、さすがに最近は働かせて貰える有り難さを感じるし、幹部や上司が会社をより良くしようとしていることがどうゆうことかわかってきた。金を稼ぐことは大変なことだし、生きていくことは困難だと。 ずうっと小さい頃からアンチで反抗して生きてきたから、はい!と素直に言えなくて、そして全体も見えてなかったな。 この文章なんか嘘くせえなぁ。(笑)
2007.04.17
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昼過ぎ頃、家で寝ていたら「ドーン、ドーン」と家が揺れた。何?大家が外で何かやっていやがる。そしたら、でっかい声で俺の家を挟んだ隣りの家のおばちゃんと話しをしている。「あーんだけ言ったのにやってない!だから**してやるんだ。」隣りのおばちゃんは「いつも夕方位に出てきますよ。」・・俺のことか。なんかしらねえけど、うちの大家が頭おかしくて俺を敵視してやがる。入居する前から「ちゃんと庭の掃除してくれますか?」「窓開けて換気してくれますか?起きてる時は雨戸ちゃんと開けてください!」とうるさい。話しを聞くと以前に住んでいた人が雨戸は閉めっぱなしで、庭は雑草だらけで家賃も滞納していたらしく、独身男性には貸したくねえんだと言っていた。始めは老夫婦で住んでいて奥さんが倒れて亡くなってから、じいさんが独りでずっと暮らしていたようだ。だから自分も雨戸は閉めないし毎日窓を開けていたんだが・・。庭がクソ大家の所有する畑に面しているため不用意に庭に出ると遭遇してしまう。だから夕方とかになんないと出られない。というか出たくない。つーか利用価値なしだろ!掃除だけを強いられた庭なんて。いらねえー!だからそんな手入れが出来ない。俺は頭に来て、速攻外に出て行って「なんか用かよ?」と言った。大家は「畑に棚を作ってるんだ!」と。どんどんうるさい理由を言った。「なんか言いたいことあるなら言いなよ!」と言うとあぁ書くの止めた。ここ半年大家の存在は忘れてて幸せに暮らしていたのに・・。大家様は以前は市役所勤めで休みの日しか畑に来ていなかったが、3月いっぱいで定年退職したらしく最近は毎日朝6時半から日が暮れる夕方までいやがる(苦笑)俺に干渉するな!と入居初日に念を押しておいたから直接は文句言えないもんだから、でっかい声で聞こえるように言いやがった、ほんと嫌なやつだよ(泣)いっつも苦虫を潰したような顔してやがる。俺の仕事が早朝から夕方までの勤務なら静かに暮らせるのになぁとか最近考える。毎日の夜勤はただでさえ不眠ぎみなのにさ。夜はほーんとに静かな場所でいい住まいなんだよ。いいとこあれば悪いとこもあるっつうことだ。(悪すぎるけど・・)気分悪いこと書いて申し訳ないです。これをどうプラス発想にもっていくかが楽しみなんです(笑)すべてなーんか意味あって起こって次に繋がっていくからさ。それに凄いパワーが出るしね!
2007.04.17
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6日間も仕事を休んでしまった。インフルエンザと足の怪我で数日間は動けず。1日が早く過ぎた。3日目には熱も下がりずっと家で曲を作っていた。夜に寝て朝目覚めるサイクルはとても気持ちがいい。この間はお酒も飲まずに済んだ。病気だけれど健康的な生活を送れた。仕事に戻るのが少し嫌になる。今日から仕事再開です。夜の生活に戻ります。昨日はお友達と約束していた日帰り温泉に行ってきました。足の怪我が治らずにいたので温めるとやばいかなと思ったけど、ずっと足を上げて浸けないようにしてました。なんとも景色の素晴らしいところでこころが癒されました。桜が美しく彩っていました。露天風呂ではとろとろと注ぐお湯の音と季節の爽やかな風、たまにおじさんが「ふわぁ~」とお湯に浸かるときにつくため息でまるで天上の世界にいるようでした。なんかさー焦らずゆっくりと暮らしていく事を考えてしまいました。あくせく働き一杯使う生活がなんなのさ!と思えた。けれどそれから抜け出すことはどーすればいいの?わかっちゃいるけどやめられない人間の性。あぁ・・
2007.04.11
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風邪っぽくて熱をはかったら38℃あったけど出勤し仕事してたらもうフラフラでして、からだのバランス感覚もおかしく調子が悪い。なのにとても重い荷物を扱わなくてはならず、気をつけようもなく300キロ近くもある台車を倒してしまい、自らの左足を挟んでしまった。 一瞬視界から色が消え去りその後猛烈な痛みがやってきた。そこは取引先だったので、のたうちまわり叫ぶことも出来ず我慢しそのまま仕事を終わらせた。(現場の人は僕の足よりも倒れた商品のことを気にしていた。。) 次の積み地へ移動する途中あまりに痛いので薬局へ寄って店のおばちゃんに湿布してもらった。血がひどく出ていた。 その後も仕事を続けていたが足に力が入らず(トラックのクラッチを踏む度にひどい痛みが)それに極上の!悪寒。これは相当にやばい予感。左足を湿布しているので南極の氷に足を浸しているようで、もう寒くて寒くて‥。少し早めに帰宅させてもらった。 熱は39.5℃にもなっていた。足もヤバいし医者に行こうとしたけれど、力が入らず長いあいだ自宅の床に倒れて動けなかった。 結局トリップ状態のまま車を運転して先日左手を怪我したときに診てもらった整形外科へ行った。 インフルエンザA型だった。やった!仕事が休める。相当な理由がなければ仕事を休む気にはなれないので、自分をも納得させるもので安堵した。足は骨折を免れたが、怪我はひどく湿布して包帯で固定された。僕としてはもっと派手に杖とかも必要だったが、インフルエンザひとつで充分であった。 極上のトリップ状態で闘病に供えてコンビニで食料を買い込んだ。普段は絶対に食べないようなフルーツ入りゼリーとかをね。 熱も出過ぎると楽しい! 昔ある病気で入院していた時は42℃越で体温計が計測不能だった。たぶんその辺りで僕のあたまはイカレだしたのではないか?と思う。 今日は38℃くらいだったのでもう治った気分でレンタルビデオ屋へ行ってきました(笑) 職場のみなさんすみませんしばらく休みます。 灰田より
2007.04.06
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テレビでも新聞でも名前の後にはかならず年齢が書いてある。まるで商品の値札のようである。それにより価値の判断基準がなされるように。それ自体が良いかどうかより値段が気になるのだ。ショップで値札を隠すようにディスプレイされている商品に出会うと戸惑う。それが自分に関係があるのかどうかがわからない。年齢がわかるとなるほどとわかった気になる。僕もそうである。値段も年齢も気になってしまう。そんなの当たり前じゃないか!とは思ってほしくない。なぜにそんなに年齢を気にするようになったのか。商品の場合はもちろん買えるかどうかが重要なわけだけど、もしお金を気にせずに選ぶならば全く見方が変わるはずだ。人も見たまんまで判断していったらおもしろいと思う。その人の内面が表れ出るところを見たいと思う。マスメディアは人の考え方や見方に大きく影響を与えている。知らず知らずにそう当たり前になっていること。それが余りに凄いことであるのに、僕らは無知でいることの怖さ。人の意識に無意識に刷り込むこと。操作が可能なのだ。みんなと同じだから安全、安心と思うのは危険だ。考え方の同じ人達の集まりは、それ全体が誤った方向へ向かっているとき、気付くのが遅れ、修正のための行動が遅れてその時期を逸してしまう。そう社会全体のリスクが上がるのだ。だから異なるものの存在、他と同調しない者の存在は必要であると言える。いま僕らは新しい感覚を身につけ、企業や経済優先のこの世の中を、持てる者と持てない者の格差が広がるこの社会を、人という存在自体を敬いながら個人個人が生きていかなければならない。「数字に変えられない価値がある。」あれ!?
2007.04.01
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