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先週の土曜の夜、ドアのベルがけたたましく鳴り響いた(余談だけど、韓国のドアのベルってかなりうるさい。うちなんか、部屋にいても、隣のベルがはっきり聞こえる!)旦那が帰って来たと思い、インターホンとかドアスコープを見ないでドアを開けたら、目の前には旦那とは別の男の人が立っていた。あー!サンウアッパだー!!!!!どーしてーっ!?このサンウアッパは、私と旦那がテキサスに住んでいたときに、かなり親しくしていたアジョシで、私たちは家族ぐるみのお付き合いをしていた。このサンウアッパとその家族は、アメリカの永住権が出るまではアメリカから出たらいけないので、かれこれ7年ぐらいの間、1度もアメリカを出ることなく暮らしていた。そのサンウアッパが韓国にいるということは、永住権がでたーっ!ってことだ。おめでとー!で、本来なら、家族全員で韓国に一時帰国できればよかったんだろうけど、飛行機代もバカにならないしってことで、今回はサンウアッパが代表(?)で韓国に帰って来たらしい。サンウアッパの子供2人は私のことを親友だと思っている。旦那のことはサムチョンと呼んでいるけど、私のことはヨピコだ。韓国で年上の名前を呼び捨てにするなんて、こりゃあもう往復ビンタ物なんだろうけど、私は日本の甥っ子姪っ子たちからも呼び捨てだし、ヘタに気を使われて、イモとか呼ばれる方が何かよそよそしくてイヤだから、むしろヨピコって呼んでくれてありがたいぐらい。しかも、妹のハユンは今度の9月で4年生なんだけど、私のことをまだ子供だと思っているらしく、アッパから『ヨピコが赤ちゃんを産んだ』と聞かされたとき、『な~に言ってるの。ヨピコはまだ子供だよ~』と一笑に付したらしい。それでも、アッパが何度か話すうちに、ハユンは私が子供を産んだことは理解できたらしいけど、今度は自分がイモになったと言い出したらしい。韓国では友達が子供を産んだら、自分は『イモ』という立場になるけど、まさしくソレ!そして、しぃのことを『韓国のチョカ』と言っているらしい。ほんと、どこまで行っても、『ヨピコはMY BEST FRIEND!』がハユンの考え。うんうん、それでいいのだぞところで、このハユンの事を聞くと、語学って不思議・・と思ってしまう。お兄ちゃんのサンウ(6年生)は韓国語と英語、2つとも同じように操る。でも妹のハユンは、お兄ちゃんと2歳しか違わないのに、韓国語は聞き取り専門で、話すことができない。片言なら話せるけど、どうしても巻き舌になってしまう。サンウ一家は、両親が韓国人なので、家の中では韓国語オンリーなのにも関わらず、やっぱりこうなってしまったらしい。そうすると、片方が韓国人である我が家の日本語教育はどうなるんだ・・。しかも、将来、できることならインターに入れたいとすら思っているのに・・。目標は、しぃを日、韓、英の3ヶ国語を完璧に喋れるようにすること・・だけど、何かもうすでにヤバイ感じがしてきた。
2006年05月25日
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今日、初めてしぃが声を出して、笑いましたなかなか可愛いやつです、ホント。その時、たまたま出勤前の旦那もいたんですが、しぃの笑い声を聞いた瞬間、ソファーから立ち上がって、口に手をあててしばらくフリーズしていました。その後はもうメロメロで、遅刻寸前になって慌てて出勤して行きました。そう言えば、ブリトニーがまたおめでただそうで。西洋の人はやることが早いですなぁ。ここ最近帰宅がずーっと11時過ぎだった旦那が、中学生の中間テスト期間がやっと終わって、今日から3日間は6時に帰れるようになった。さっそく今日は外食です。何食べよっかな~
2006年05月10日
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去る4月14日で、しぃが晴れて1ヶ月になった。もう新生児とは呼ばせないぜそして、ここ韓国は生まれたその日から予防接種のスケジュールが組まれている。生まれた当日は『B型肝炎(1回目)』。次に、退院から一週間後ぐらいに『BCG』。さらに生後1ヵ月で再び『B型肝炎(2回目)』となっている。で、先週の金曜日。思いのほか寒かったので、しぃをグルグル巻きにして、病院に連れて行った。待合室のソファに座って順番を待っていると、奥の診察室から、『うぎゃー!!』という叫び声が聞こえてきた。声からすると、しぃぐらいの月齢の子らしい。思ったとおり、数分後、看護婦さんに抱かれて診察室から出てきたその子は、しぃとほとんど変わらないぐらいの赤ちゃんだった。そして、しぃの名前が呼ばれた。やっぱりしぃもあのぐらい泣き叫ぶのだろうか・・。そうだよなぁ、注射だもんなぁ、痛いもんなぁ・・。泣き叫んで、暴れたらどうしよう・・。などと考え、暗くなりながら診察室に入り、看護婦さんにしぃを渡すと、さっそく体重と身長を測ってくれた。体重は1.3キロ増。身長は4センチ増。私にとっては、なかなかの増え具合で、『よーっし、このまま完母で行けるぞー』と嬉しくなったんだけど、先生曰く、身長の伸びが足りないらしい・・。足の付け根をまっすぐにするマッサージをしてあげるように言われた・・。平均身長と体重の表を見せられて、説明してもらったけど、今からすでに平均身長とかを気にしなくちゃいけないなんて、ちょっとびっくりしてしまった。私としては、平均から大きく下回っていない限り、大丈夫だと思うんだけど、先生に面と向かって、『背が小さい』と言われると、どうしても気になってしまう。って言っても、平均より1センチ小さいだけなんだけどね。で、背のことで、また暗く落ち込んでしまっている間に、看護婦さんが奥の部屋から、注射器を持ってきた。とうとう、注射だ。生まれてすぐの予防接種は、私が病室で朝ごはんを貪り食っている間に別の処置室のようなところで受けたので、私は見ていない。それに、BCGはハンコ注射だから、注射という感じが全然しない。だから、わが子が注射されるのを見るのは、これが初めてっ!右腕かな?それとも左腕??と、のん気に眺めていたら、なんと、乳児の予防接種って、太ももにするんですねー!!!!しぃはと言えば、射された瞬間一瞬動きが止まって、次の瞬間、『びえーっ!!』で、ピタッ。アラ?それだけ??先生にも、『あらー、大人しくていい子ねー。』なんて褒められていた。太ももに注射なんて、私だって泣くかもしれないって言うのに・・。結構図太い神経してるのね、しぃ・・。
2006年04月17日
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昨日は、仁川に住んでる友達が2人(+子供ひとり)がわざわざ金浦まで来てくれた。妊婦と子持ちのふたりがよく、金浦くんだりまで・・・はっきり言って、仁川からココまではちょっとした小旅行と言えるぐらい、遠く険しい・・・。その子たちの家から、我が家までは、地下鉄で軽く30分+バスで50分の距離。このバスと言うのが曲者で、一番後ろの席に座ると、体が浮く。道が悪いせいもあるし、運転がかなり荒いせいもある。私もいろんな場所でバスを利用したことがあるけど、車内で無重力を感じることができたのは、そのバスを於いて、他に無い。久しぶりに友達に会えたから、イロイロ話したりしたかったけど、しぃが・・・。しぃは11時~2時ぐらいの時間帯は、寝ない。もちろん、本人は10、20分間程度覚醒はしているんだろうけど、本格的に2,3時間ぐっすり寝ることが無い。昨日だって、友達がリビングで楽しげにおしゃべりしてるのに、私は寝室でしぃと格闘してた。で、3時。ようやく就寝。 ε-(*´ω`*) ホッ韓国のテレビ番組の話になったんだけど、みんな、見てる番組は大体一緒だということが判明した。まず、『ウリアイガ タラジョッソヨ』。それから、ドキュメンタリー、情報系は欠かせない。『インガン クッジャン』『アルムダウン ヨヘン』『セサンエ イロンイル』『VJトゥッコンデ』 などなど。そして、バラエティ。『サンサン プラス』『Xメン』あと、タイトルは知らないけど、芸能人が筋トレする番組。韓国に来てから、ドキュメンタリーをよく見るようになった。それも、苦労している家族を取り上げたもの。例えば、両親が離婚して、障害のある母親は仕事をすることもできず、子供たちはいつも同じ服を着て、食べる物も無い・・・みたいな、そういうトピック。いつも、テレビを見ながら、号泣してしまう日本でも、ドキュメンタリーはあるけど、こういう家族系のが少ないような気がする。私が気付いてないだけなのか・・。で、リビングで号泣して、『もし、このテレビの子がしぃだったら・・。』とか考えながら、しぃが寝ている寝室を覗いてみると、↓こんな光景が・・・。 股を閉じないさい! 股をっ!!
2006年04月12日
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旦那が水曜日から『モムサル』と『モッカムギ』にかかった。この男、体が驚くほど弱く、季節の変わり目にはこのように、必ず病気になって、私に迷惑をかける。今回も、2,3日前から、咳が出ていたので、危ないとは思っていたが、やはり・・・。木曜日は起きる時間になってもピクリともしないので、無理やり起こすと、『今日、休む・・。』と小学生のようなことを言い出した。旦那と知り合ってから早7年ちょっと。この間に、私が風邪などでダウンした回数・・・1回旦那がダウンした回数・・・多数・・・とにかく、アメリカ時代も、なぜか韓国人だけが病気になる時期があった。私も一緒にいるのに、なぜか風邪のウイルスは私を避けていたみたい。っていうか、韓国人、体弱すぎっ!小さいころから、少しでも寒くなると慌てておくるみでグルグル巻きにしたり、家の中はポカポカなのに、靴下履かせて、首にはハンカチみたいなの巻いて、おまけに布団で首まできっちり覆う。↑こんなことしてたら、体温調節なんていつまでたってもできなくなりそう・・・今の日本ではどうなのか知らないけど、私が小さい頃なんて、雪が降ってるのに体操服(モチロン下はブルマ)だけ着て、運動場で縄跳びとかしてた。冬の縄跳びはムチみたいで、二重飛びをしていて、失敗すると縄が耳とかに当たってかなり痛かった記憶がある。体育の次の時間は、手がかじかんでノートに字なんか書けなかったなぁ・・(しみじみ)。韓国で、そういうことすると、PTAからすぐさま物言いが来るだろうな、やっぱり。さて、それはさておき、旦那の風邪。木曜日の夜、オンマから電話があって、『マンネ(末っ子。旦那のこと。)が風邪を引いたのか?!今からすぐ行くからっ』だって。それから、30分後、頼みもしないのにオンマはやって来て、早速旦那のおでこに手をあてていた。日本の一般的な女の人なら、↑の行為だけで即離婚だろうな~(へへっ)。大体、もう結婚して、子供までいる30近い息子が、風邪を引いたからと言って、なぜに母親が駆けつけてくるんだろうか。いい加減、子供離れするべきだろう。韓国のこういうベタベタだいっきらいな私。とりあえず、オンマがキッチンで何かを作っている間、私は寝室でボケーっとしていた。その日は、オンマが旦那を病院まで送っていき、旦那は点滴を受けて帰って来た。次の日、また頼みもしないのに、朝9時にオンマはやってきた。朝9時と言えば、我が家はまだ明け方の感覚。こういう風に、自分の都合だけで親切の押し売りをするのオンマが、私は嫌いだよ。日本では、『小さな親切、大きなお世話』って言うすばらしい言葉があるけど、それを教えてあげたい・・。ま、とにかく、またオンマは大きな荷物を抱えてやってきた。うちには、オンマがこの間持ってきたキムチが20キロ近くあるというのに、またでっかいタッパに入ったキムチを持って来やがった何でもかんでも、あげれば喜ぶとでも思っているんだろうか・・。いい迷惑なんですけどね・・。朝っぱらから、起こされた私もかなり不機嫌になって、『もう来ないでよっ!これ作ったら、帰ってよねっ!!』と怒鳴って、また寝室に戻った。旦那が眠そうな声で、『オンマ、何持ってきた?』と聞いてきたから、『またキムチだよ・・。』と答えたら、あきれたように、『またー?持って帰らせろよー。』と言っていた。オンマったら、可愛そうに。愛するマンネにもこんなこと言われてオンマは結局、2時間ほどキッチンで何かを作って、帰って行った。帰るちょっと前に、キッチンから、クチャクチャ音がしていたので、自分も何かを食べていたんだろうと思う。とにかく、オンマといると、精神衛生上良くない。自分がすっごく性格が悪くなるのが分かる。で、タイトルの過労死だけど。ワンコの散歩と家の掃除担当の旦那がダウンしてしまった為、私が全てを担わなければいけなくなった。産後1ヵ月も経っていないのに、朝晩30分ずつワンコの散歩。散歩の後はワンコのブラッシング。その後、部屋をクイックルワイ○ーで軽く掃除して、それから掃除機。しぃが起きたら、オムツ替えておっぱい。ワンコのトイレも、水を撒いてお掃除。洗濯、食事の支度、皿洗い、しぃの沐浴。(これにプラスアルファで、週末にはワンコのシャンプーや、スチーム掃除機での掃除などが加わる。)これを木、金、土、日・・・。正直、今、生きてるのが不思議。土曜日は、ベランダからボケーっと外を覗いていたら、こんなだった↓どうりで、空気清浄機がゴーゴー言ってるわけだ・・。
2006年04月09日
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出産経験のある友達や姉からよく聞かされていたことがある。『子供産んだら、おっぱいがパンパンに張って、四角になることもあるよ~。』そういうことを聞くと、『そっかー、子供産んだら誰でもおっぱい大きくなるんだ~ε-(*´ω`*) ホッ』と安堵していた微乳の私。だけど、出産後、2日経っても3日経ってもおっぱいなんか張ってこない・・・。『もしかしたら、私のおっぱいは不良品?でも母乳は出てるちゃんと出てるみたいだし・・・。』と諦めかけていたら、産後1週間ぐらい経ったとき、おっぱいが急に大きくなった。パンパンに固くなっている。これが俗に言う『おっぱいが張っている状態』なんだなと実感。それにしても、痛い・・(・ω・、)グスン背筋を伸ばしたら、おっぱいの皮が伸びて痛いので、いつの間にか猫背になっている。おっぱいを見ると、授乳用のブラジャーからはみ出ている。そ、そして、確かにおっぱいが四角くなっている!!(平行四辺形だったけど・・。)人生で初めて、私の胸に小細工無しで谷間が出現♪いつも、ルパン三世を見るたびに、その華麗なまでの谷間で私を魅了してくれた峰不二子の胸に一歩近づけた気がして、かなり嬉しかった。でも、母乳を与えた直後はフニャフニャになってて、ちょっとヤダ。
2006年04月04日
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3月14日 午前6時49分 無事に女の子を出産いたしましたぁっ!!13日の午前11時に誘発剤入りの点滴を始めてから、やっと陣痛が起こり始め、それから約20時間後の出産でした。無痛のはずだったのに、全然無痛なんかじゃなくて、普通に痛かったっす。生まれたての我が子は、寝てばっかりで、おっぱいを上げるのに一苦労です。今日は退院の日です。2週間は実家の母が来てくれるので、まだ一人っきりの育児と言う訳ではなくて、気が楽です。何か、自分が子供を産んだなんて、不思議な気分・・。とりあえず、今日はご報告まで。
2006年03月18日
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いよいよ、年貢の納め時です・・・。予定日を過ぎること1週間。先日、おしるしらしきものが2日続けてありましたが、それでも一向に出てくる気配はありません。明日は8時に起きて、ワンコの散歩や部屋の掃除です。入院準備はとっくの昔に済ませているので、安心です。あとは、デジカメのバッテリーを充電しとくぐらい。無痛とLDRを駆使しての分娩なので、全くの通常分娩(?)よりは遥かにラクなお産になるでしょうが、それでも外国で初めてのお産ってことで、緊張はしております。思い起こせば、この妊娠期間中いろんなことがありました。旦那は事故を起こし、経営していた塾は潰れ、義父は亡くなり、旦那の家族全員と3ヶ月間同居し、予定日1週間前にやっと今のアパートに引越すことができました。他にも些細なことはたくさんありましたが、もう忘れました。今はとにかく、明日(か明後日)の出産で頭の中がいっぱいです。不思議と出産に対しての恐怖心は全くありません。(無痛にしたからかな・・。)唯一の心配事は、今現在でも頭がおかしくなるぐらいウザい義母が、それに輪をかけてウザくなるだろうということぐらいです。この前だって、赤子が戌年なので、『○○(←旦那の名前)にとってはものすごく悪い子だ。』とかのたまいやがって・・。そういうのを聞かされるコッチの身になってみろ!って感じだし。おまけに、『いい日にちのいい時刻に産め。』、『名前はお前(←私のこと)が勝手に決めるんじゃないよ。ちゃんとした人に頼まなきゃいけないんだから!』っていうのを会うたびに言いやがる。とにかく、今までに何十回と同じことを言われ続けて、それに対して私も真っ向から反抗してたら体力の無駄遣いだということに気が付いて、最近は横で義母がその話をしてても、きれーいに無視している。精神衛生上、無視するに限るよ、ほんと。でも、どうなんだろうねぇ。『自分の子供の名前は自分で決めるから!』って言う私に対して、『じゃ、あんたはその名前で呼べばいいじゃない。でも、戸籍の名前はちゃんとした人に付けてもらわなきゃいけないんだからねっ!』っていう義母・・。韓国ってコレが当たり前なのかね?だとしたら、私は日本に引っ越すよ・・。まっ、旦那も母親のことはすっかり無視しちゃってるし、義母にはハッキリ言って何の権力も無いから、心配することは無いんだけど、私が子供産んだら病院にも来るだろうし、そこでもまた同じ話を繰り返すだろうし・・・。そう考えたら、もうすでにストレスが・・。ほんと、あの人とは1年に2,3回会うぐらいでちょうどいいよ・・。でも、いかんせん、車で20分の距離なんだよな・・・。
2006年03月12日
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今日、検診だったので行ってきました。12日までに何の音沙汰も無かったら、13日に入院して誘発分娩だそうです。日本では、予定日過ぎても2週間ぐらい待ってくれるらしいけど、ここ韓国では一週間が限界だそうで・・。やっぱり、何でも早くしたがる国民性がこんなところにもって感じです。13日は朝から絶食して、9時半に入院。それからすぐに薬を入れても、結局生まれるのは14日になるのかな~?14日と言えばホワイトデー☆女の子だし、ちょうどいいかも(o^∇^o)ノ今日は検診のついでに、無痛分娩とLDRの予約をしてきました。何でも、陣痛促進剤(?)を使うと、陣痛の痛みが2倍になるそうなので、こりゃもう、無痛に決定です。痛みをある程度無くして、LDRでリラックスして産む。これが私の理想のお産です。できれば会陰切開なんかもしたくないけど、さっきも書いた通り、韓国ではゆっくり時間をかけて会陰を伸ばしていく・・って言うのは不可能なんだろうなぁ・・・。来週の今頃はもうこの出っ張ったお腹ともお別れなんだなぁと思うと、寂しいような気もするけど、その頃になると赤子の世話に追われまくって、引っ込んだお腹を見て寂しく思う余裕も無いんだろうな~。
2006年03月07日
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何事も無く通り過ぎた予定日・・・。一体、いつ生まれてくるのかねぇ、あんた。今日は、日曜日だったので、いつもの様に旦那はワンコのシャンプー。私はその間に部屋の雑巾がけなど。掃除機が弱っていて、どうも吸い込みがいかん。掃除機をかけた直後なのに、まだよく見ると、ワンコの毛がいっぱい落ちていたりする。掃除機もASって来てくれるんだろうか・・。今日はその後旦那が学院(塾)で使う教材の注文をするというので、一緒に学院まで行ってきた。私はヒマだったから、PCを付けたら画面にアダルトサイトの請求書が出てきた。しかも、日本のサイト・・。誰・・?旦那のはずがない。だって、あいつはうちのPCで見てるし・・。すると・・・、義兄か・・・。ちなみに、請求書には39000円を振り込むように書いている。ま、こういうのは無視しちゃってもいいけど、学院のPCのデスクトップにこんな映像が出てくるのはゆゆしき問題なので、とりあえずなんとか削除した。まったく、予定日にこんなことが起こるとは・・。その後、農協に行って卵焼き用のフライパンなどを買う。山芋があったので、それも買ってみた。すりおろして、あつあつのご飯に乗せて、上から醤油かけてズルズルすすったらウマソー!さっそく、明日の朝やってみよう。ところで、先日、上の義姉が卵を買ってきたんだけど、それが36個パックのやつ。確か、妊娠中に卵と牛乳の食べすぎは良くないって聞いたんだけど、そういうのって韓国では知られてないのかな・・?とにかく、『卵、いっぱい食べなさい!』って言って帰って行ったけど、子供にアレルギー出たらイヤだから、1日1個にしてるけど。明日はビデ(ウォシュレット)が来る日。うちはウンジンコウェイで、浄水器、空気清浄機、そしてビデまで契約している。何かソンムルくれてもいいぐらいな貢献度だな。
2006年03月05日
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いえ、実は2月21日が検診日だったんですが、前日にテジカルビを食べすぎで、消化不良を起こしてしまい、21日は1日中寝てたんです・・。で、気がついてみれば2月22日は島根県が制定した『竹島の日』とやらで・・。正直、こんな日に韓国で病院なんて行きたくないっすよ。だって、待合室で待ってたら、『ヨピコ氏~』。問診の先生の部屋の前でもう一回、『ヨピコ氏~~!』やっぱり分かっちゃうよね、私が日本人だってさ・・。でも、昨日は韓国国内でも、竹島関連の騒ぎは全く無かったようだけど、どうなんでしょう?最近オリンピックばっかりで、ニュース見てないしなー。ところで、昨日は初めての内診の日でした・・。コレも『竹島の日に検診』に続いて私の心を暗くしていた原因のひとつ。だって、ヨガのクラスで、『内診って痛いのよ~~っ!!』ってなんっかいも先生に言われたからさ・・。そんなに生徒の恐怖を煽ってどうするっ!?って感じだったけど、他の生徒もみんな初産の妊婦さんたちばっかりで、先生の話を聞きながらみんなで青ざめてたんだから・・。でも、実際やって(やられて?)みたら、ほんの15秒ぐらいで終わったし、確かにイヤなことはイヤだけど、まぁ、誰もが通る道なんだから仕方ないと思えるぐらいのささやかなことでした。久しぶりの外出(と、言っても2時間ほど)のせいで、アパートに着いてすぐにお昼寝を開始して、約3時間ぐっすり♪目が覚めても、ソファの上でゴロゴロしてたら、すぐに日が暮れ始めた。いくら臨月って言っても、こんなに怠けてていいのかねぇ・・。
2006年02月23日
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さて、今日は仁川在住の日本人奥様会(どんぐり会)の日でしたが・・・・・朝起きてみると、雪が積もってて、欠席・・。パッと見は大丈夫そうなんだけど、ワン達の散歩のときに外に出てみたら、雪がじゃんじゃん降ってて、肩に積もるぐらいでした。となると、旦那も仕事お休みです。旦那の塾がある辺りは、田んぼばっかりの田舎なので、雪が降ると生徒の送り迎えが不可能になります。送り迎えに使っているボンゴ車(12人ぐらい乗れるでっかいワゴンタイプ)は田舎の舗装されていない道を走ると凶器になります。すべるんです・・。今まで何度田んぼにはまったことか・・。なので、雪=臨時休業 ってわけです。おかげで今日はソウルまでお出かけしてきました。お出かけと言っても、2番目の義姉に会いに・・です。2番目の義姉は、親戚のおばちゃんの紹介で11月ぐらいに会った男の人と結婚しました(する予定か・・?)。義姉は36、相手は40。韓国では珍しく、超晩婚の初婚です。それはさておき。義姉がオンマの農協の口座のハンコを持っているので、それを受け取りに言ってきました。オンマの農協口座は通帳と暗証番号だけではお金を引き出せません。通帳、ハンコ、それと身分証明書が必要なんです。で、そのハンコを義姉が持っていたので、わざわざ受け取りにソウルまで行ったわけです。オンマの口座から200万ウォンだして、私たちの新居(保証金2000万、月50万のアパート)の契約をしました。これで、再来週には引越しです!!同居を始めて、早2ヶ月。やっとこのアパートを出れることになりました・・。(ノω
2006年02月07日
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先々週、32週の検診で逆子と判明し、このままだと帝王切開になりますと言われ、人生初の切腹(の予感)でかなりブルーになったけど、何とか直りましたー!逆子と言われたその日から、逆子直しの姿勢を1日10分。あとは、ふくらはぎと足の裏のツボを押したり、腹式呼吸で赤子に酸素を送って胎動を活発にしてみたり・・。苦節1週間。先週、何気なくお腹に手を当ててみると、いつも私のヘソのあたりにあった頭がなくなっており、しかも胎動を感じる部分が下腹からヘソのあたりに移動していました。そして今日、2週間振りの検診で見事、逆子が正常な位置に戻っていると証明されましたー!あぁ、よかった♪
2006年01月24日
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ここ数日間、毎日外食です。先週の木曜日、バルサンにベトナム麺(フォー)を食べに行ったことから始まり、金曜日はマックでハンバーガー、土曜日はバルサンで回転寿司。日曜日は地元キンポでジャジャンミョン。今日はイルサンでコプチャン。ちなみに明日は旦那の仕事が終わった後、一緒に病院に行く予定なので、その帰りにも、もしかしたらかる~く外食してしまうかも知れない・・・。お金が無いくせに、食べることに関しては貪欲な私たち。今日のコプチャンだって、旦那と私の全財産あわせて37000ウォンしか無かったのに、2人前24000ウォンのコプチャン食べちゃってるし。それだって、その直前まで私の財布に10000ウォンしか入ってないと思ってたのに、よーく見たら20000ウォン入ってて、急に気が大きくなった旦那が『じゃ、コプチャン食べよう~』って急遽決めたことだし。それにしても、たかだか10000ウォン増えたぐらいで気が大きくなる旦那って・・。いや~、しかし美味しかったなぁ、久しぶりのコプチャン。一応、妊婦であることを考慮して、生のレバーは食べなかったけど、妊婦じゃなかったら、ひとりで一皿ペロリと平らげてただろうなぁ。一緒に出てきたモヤシがまたムチャクチャ美味しくて、もう、これはお代わりまでして食べましたよ、ハイ。でも、やっぱり2人前じゃ私たちの胃袋は満足しないな~。最低3人前は行かなくちゃ。コプチャンの後は、お決まりのポックンパプで〆たけど、やっぱりコプチャンお代わりしたかったな~。でも、お金足りなかったしな~。。。。ρ(-ω-。)イジイジ・・・ダメだ、4時間前にコプチャン食べたのに、もうお腹がすき始めてる・・。もう寝よう。寝て、この空腹をごまかそう。
2005年12月26日
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そうであります。タイトルの通り、土地を売って引越しであります!!亡くなったアボジの土地(占めて5000坪)のうちの800坪ぐらいを今日明日にも売るそうです。そして、そのお金で急ぎの借金を返して、その残りで私たちのアパートの契約をするそうでーっす!!今日、義姉の口から『土地を800坪売れば、あんたたちの引越し費用は解決するね』と言われて、どれだけ嬉しかったことか・・。(ノω
2005年12月14日
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さてさて、同居を始めてひと月が経ちますが、私、体重が増えません。何しろ、旦那以外の韓国人と初めての共同生活なのですから、一緒に暮らし始めてから分かった韓国的な細かい習慣に、驚くやら飽きれるやらの毎日です。まずおかずの作りすぎ。これにはほとほと困ってしまいます。何日も何日もテーブルの上には同じおかず・・。私は食に関してはうるさい方ではありません。味も、相当まずくない限りは食べます。昨日の晩御飯の残りを、次の日の朝と昼に食べるぐらいはします。その私でも、このおかず作り置きシステムには我慢できんとです!!(↑九州弁)そして、食べ物が辛すぎるという点。なぜに・・・、なぜに食べ物を辛くする必要があるんでしょうか・・。未だにその疑問に的確に答えてくれる韓国人にお目にかかったことがありません。私も、コレに関しては、全く努力をしないかったではなく、旦那と付き合い始めたときから、少しずつ辛いものを食べてみるようにしてきました。その努力の甲斐あってか、当初、辛いものに対して乳児レベルだった私の唇と舌が、今では年長さんレベルぐらいまでアップし、少々辛いものでも、ある程度食べることが出来るようになりました。それでもまだ、ほとんどの料理を、辛いと感じることはあっても、美味しいと感じることができません・・。そしてさらに、食べ物に対する神経の無さ。コレは、本当にいかん!まず、食べかけのものを、ラップもせずに冷蔵庫に入れるのを初めとして、みかんやバナナ、リンゴ、梨などの皮はそのままカウンターや机の上に置きっぱなし、半分に切ったリンゴや梨もそのままカウンターや調理台の上に放置されて、切り口のところが干からびてるのにそのまんま。3週間前にサムギョップサルを食べたときのサンチュが、皿にもボールにも入れられず、ラップすらかけられていない状態で、私たちの冷蔵庫の中に入っている。ご飯だって、この家ではラップ無しで冷蔵庫保存している。これは本当にもう、カピカピである。まだまだ挙げればキリが無いだろうけど、もう思い出すのも疲れた。で、私、このひと月、ご飯を食べたり食べなかったりしておりました。だって食べたくないし・・。あんなの食べるくらいなら、腹すかしてた方がマシだと思って・・。それに、ここにいるとお腹が減りません。オンマが料理していても、美味しそうな匂いもしないし、テーブルの上のおかずを見ても、よだれが・・ってことも皆無です。それならば、私が作ろう!という考えも全然ありませんでした。だって、この国では、自分の分だけ作る・・というのはありえませんから。しかも嫁(けっ)が・・。だから、どうしてもお腹がすいたときは、パン屋さんでパン買って食べてました。そうなると、オンマや義姉たちは、あの子は妊娠中なのに全然食べない。子供がやせてしまう・・と、いらん心配を始めました。1日や2日食べなかったぐらいで子供がやせたりすることはないっしょ。子供は私の体から十分な栄養をもらって、プクプクだよ、きっと。でも、その心配のおかげで、昨日義姉に7万ウォンもらって、これであんたが食べたいものを買ってきなさいと言われました。義姉の塾でも、旦那を囲み、なぜヨピコがご飯を食べないのか・・という討論をしたそうです。旦那は、『前、ふたりで住んでたときは、野菜も肉も魚も、イロイロ料理して食べてたけど、同居を始めてからは、いっつも同じおかずしかないし、あいつが食べるわけないじゃない』と私の気持ちを代弁してくれたそうな・・。ありがたや、ありがたや・・。そんなこんなで、昨日は旦那の仕事帰りにホームプラスに行き、私が食べたいものを買ってきました。買ったものは、ホットケーキミックス、メープルシロップ、ホイップクリーム、プレーンヨーグルト、ベーコン、チーズ入りのカニかま、エリンギ、プリングルス(スパニッシュサラダ味)、ミニトマト、レタス、インスタントのうどんとスパゲティ。買ってきたものを見ていた義姉が言った一言が、衝撃でした。『ベーコンってどうやって食べるの?』シーー(-ω-*)ーーン
2005年12月09日
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昨日は、遅れに遅れた旦那の誕生日ディナーの日でした。韓国の人は誕生日を陰暦でお祝いしますが、私の場合、旦那の誕生日は陽暦で12月4日なのであって、それ以外の日に『今日がマンネ(末っ子)の誕生日なんだよ』ってオンマに言われても、全くもってピンと来ません。案の定、オンマは11月の末あたりに『今日が・・』のセリフを言いながら、朝からミヨックッ(ワカメスープ)を作ってましたが、私は食べる気にならなかったのでテーブルにつく事すらせず、旦那に至っては、その日の朝は大急ぎで出かけ、夜は12時近くに帰って来たので、その日が自分の誕生日(陰暦でね!!)ということすら知りませんでした。もちろん、『お腹すいてない』とのことで、ミヨックッは食べずじまい。で、誕生日ディナーですが、12月4日というのが、ちょうど中学生の期末テストへ向けての追い込みの時期と重なったため、誕生日当日は仕事が忙しくて、今の今まで延び延びになっていたわけです。期末テストも終わり、ひと段落ついた昨日、3日遅れの誕生日ディナー。前々から、OUTBACKがいいかねぇ、それともTGI FRIDAYかなぁ~と話し合っていたんですが、なぜか急に旦那が『チーズがたっぷりのって、脂っこいピザが食べたい!』と言い出し、主役の言葉には逆らえなかったので、行き先変更で、急遽ピザハットへ・・。ピザなんていつでも食べれるじゃないか・・(・ω・、)グスンでも、私もピザハットは大好きでありまして・・。店内に入ると、もう、頭の中は、『サラダバーとぉ、あとバッファローウィングとぉ・・』と、早くもメニュー構成の段階に入っておりました。結局、ピザは担当のウエイトレスさんがお勧めしてくれた、新メニューの『栗ピザ』をセットで頼んで、あとはサラダバーだけを追加しました。『栗ピザのラージ』、『リゾット(もしくはオーブンスパゲティ)』、『飲み物2杯』で29000ウォンだったかな?サラダバーは8000ウォン近くするので、2人で4回お代わりして食べまくりました。ピザを残す分には、テイクアウトできるので何にも問題ありませんが、リゾットやサラダバーはその場限りなので、出来るだけそっちを中心に食べておりました。(だから貧乏はいやなものです・・。)私はピザハットのリッチゴールドシリーズが大好き。外側のコグマ(サツマイモ)ペーストとモッツァレラチーズのトロトロがとても美味しい~♪日本のピザハットにもあるのかしらん。日本ではピザハットの配達圏外に住んでいるため、一度も注文したこともなく、お店だってどこにあるのか知りません。何はともあれ、2人でリゾットとサラダを食べあさり、案の定、ピザを半分残してしまいましたが、モチロン『ポジャン(包装)ヘジュセヨ~』ですよ。それから、旦那は私をアパートで下ろして、久しぶりの競馬に出かけました。まぁ、アボジが入院してから今の今まで、一回も行ってなかった(と言うより、行けなかった)ので、昨日は良しとしました。軍資金は、旦那の持ち金3万ウォンと私の投資金2万ウォンです。調子のいい日なら、コレだけあれば20万ウォン近く持って帰ってくるときもありますが、昨日の場合はダメだったそうで・・。普段、私から『調子はどうよ~』と電話されるのを嫌がるくせに(←プレッシャーを感じて、集中できないんだとよっ!)、昨日は帰ってくるなり、『何で電話しないんだよ~!』『電話無かったから心配で集中できなかった~』と言い訳連発・・。結局他人のせいかい・・・・。しかも私、ケータイ料金払ってないから、発信止められてるしね・・。そんなこんなで、昨日の誕生日ディナーの日は幕を閉じました。唯一嬉しかったことと言えば、ピザハットで15%引きのクーポンと来年のカレンダーをもらえたことかなぁ。
2005年12月08日
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俗に言う、おっぱいマッサージとやらをしてみました。本やサイトによって、5ヶ月以降とか、7ヶ月以降とか、はたまた、専門家に頼むほうがいいとか、いろんなことが書いてありましたが、とりあえずもう7ヶ月を過ぎたので、恐る恐るやってみることにしました。4ヶ月の頃から妊娠線対策として、お風呂上りにボディーローションをつけて腹と胸を適当にササッとマッサージしていたので、まぁ今更・・という感じでしたが、昨日、お風呂上りにあったまった胸をガシガシ揉んで、挙句の果てに牛の乳を搾る感じでギュッとしてみたら、あらまぁ、何か出てきました。ジワーっとですけど、白い液体が!!!これがいわゆる『乳腺が開通した』ということなんでしょうか・・。その後もう片方のおっぱいにも同じようにマッサージを施したところ、ジワーっと出てきました。でもマッサージ後しばらく経って、妊娠7ヶ月で初めてお腹が痛くなりました・・。これが、『お腹が張る』ってことなのか?私が思うに、『張ってる』んじゃなくて、もう普通に『痛い』んですけど・・。マッサージ後1時間ぐらいは、波のように襲ってくる腹の痛みに耐え(←ぷっ。そんなには痛くなかったくせに・・。)ながら横になっていました。『我が胸から乳が出るなんて、何かすごいぞ!!』と夜中にひとりで感動した日でした。
2005年12月06日
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今日はアボジのお寺に行かなければいけない月曜日・・・。なのに私ときたら、すっかり、本当にすっかり忘れていた・・。お寺に行く日は9時に起きて、ワンコの散歩に行って、それから身支度を整えて、10時少し前には家を出なければいけないのに、今日目覚めたのは9時半。しかも、それからワンコの散歩に行って、帰って来たのは10時。挙句の果てに、エレベーターを降りたときに、お寺に行くオンマと義兄に、『あら、どこ行くの?』とのたまってしまった・・・。『お寺。』その言葉を聞いたときもまだ私の頭の中には、何で朝からお寺なんかに・・という考えしか無く、『あ、っそう』とだけ言って、家に入ってしまった私・・。家では、旦那が義姉に散々文句を言われたらしくて、ムスーっとしていた。そこで初めて、今日が月曜日であることに気づいた私。遅い・・、遅すぎる・・。でも、本気を出せば私の身支度などものの2分で終わる。歯を速攻で磨き、顔をバシャバシャすれば、ハイ、完了。なのに玄関先ではまだ旦那と義姉がもめていて、結局旦那は『お前は家にいろ!』と私に言って、出て行った。義姉らは、塾の掃除や授業の準備などで、お寺には行かないらしく、別の車で出て行った。結局、家に一人残された私は、もう一眠りするか~とソファに横になっていた。すると、旦那から電話。『行くところがあるから来い。』『行くところってどこ?』と聞いても、『いいから!』の一点張り。どうせお寺だろうと思い、下に下りて行くと、旦那が車で待っていた。『お寺でしょ?』と聞くと、『カンファに行く』と言った。『な・・なぜにカンファ・・?まさか、この期に及んで、うなぎなど食べにいくのでは・・・。』とかなり驚いた私だけど、よーく考えてみたら、アボジの灰はカンファのお墓に撒いたんだったな~。『アボジはお寺じゃなくてカンファにいるんだから、今日はカンファに行く』と言って、急遽カンファまでドライブした。途中、マートに寄って、パンと飲み物とそれからお墓にお供えするお菓子を買って、カンファに向かった。カンファって本当に田舎だ・・・。旦那によると、カンファは高麗時代の首都だったそうだ。だから、昔からのお寺がたくさん残っていて、今でも工場や高い建物などは建てられないようになっているとか・・。道理で、どこをどう見回しても、4階建ての建物が一番高いはずだ。アボジのお墓は、山の上にある。妊婦、雪、山・・。最悪の組み合わせである。でも、こんな状況でなぜかやる気を出してしまうのが、このわたくしなのであります。登りました。途中、そり遊びが出来そうなぐらいの斜面では、横になってカニ歩き。アボジのお墓では、途中マートに寄って買ってきたカルビーのポテトチップス(エビマヨ味)をお供えして、雪の上でチョル。それから、せっかくだからとケータイで写真を撮って、山を降りた。いい加減、自分が妊婦だということを認識した方がいいような気がする今日この頃。
2005年12月05日
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小学生の絵日記のようなタイトルはさておき・・。昨日の夜降った雪が、全く解けないで残っていたので、今日は朝(と言っても10時・・。)から、ワンコ2匹を連れて近くの田んぼに行ってきた。旦那も起きてたけど、すぐに仕事に行かなければいけなかったので、アパートに残して、私一人で出かけた。さすがに7ヶ月の妊婦が雪道をワンコを連れて歩くのはしんどかったけど、久しぶりにワンコを思いっきり走り回らせてあげたくて、テクテクと歩いた。アパートを出て、歩くこと15分。そこは一面雪景色。とっくの昔に稲刈りも終わって、なーんにも無い田んぼに雪が積もって、とてもきれいだった。ルーシーとルーキーは、リードをはずした直後は、まだ私の近くをウロウロしてたけど、自分たちがつながれてないのが分かった瞬間、思いっきり走り出した。そうそう、コレなのよ、犬の本来の姿ってさ。2匹で追いかけっこしたり、雪に顔を突っ込んでふがふがしたり、雪の下から何か見つけてちょっと食べてみたり(コラッ)・・。ルーキーは臆病なので、私が呼ぶと一目散に駆けて来る。近くで顔を見ると、顔が雪まみれになってて可愛すぎるっ♪ルーシーはルーキーの後をついてまわるのが大好き。でも、私が呼んでも自分が何かに熱中してるとかる~く無視。今日は2匹とも、私が呼んだらすぐに来て、とてもいい子だったけど、小一時間遊んで帰るときになったら、ルーシーはそれをすばやく察知して、何度呼んでもなかなか来なかった。仕方ないから、ルーキーを連れてルーシーを捕まえに行ったら、外国人の集団と一緒に、田んぼの向こう側の教会に入って行こうとしているところだった・・。ルーシーッ!!私に怒鳴られて、ハッと我に返ったルーシーはその場で硬直。それから、頭を下げながら私のほうに戻って来た。ルーシーを確保した後、また15分かけてアパートに戻って、それから旦那の甥っ子に手伝ってもらって、2匹のシャンプーを済ませた。今、2匹はフローラルの香りを振りまきながら、ぐっすり熟睡中。久しぶりにワンコと思いっきり遊べてよかった、よかった♪
2005年12月04日
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オンマはハンゲームでゴーストップ(花札)をするのが大好き。オンマ達が使うPCはリビングにあって、そのすぐ隣がうちらの部屋なので、静かにしていると、リビングから花札の効果音が聞こえてくる。何日か前のこと、私が自分の部屋でネットをしていると、花札の効果音に混ざって、『ウッウッウッ・・・ズルズル・・』というすすり泣きと鼻水をすする音が聞こえてきた。ハンゲって最近、効果音がリアルになったな~なんて思いながら、よーく聞いてたら、何を隠そう、それはオンマのすすり泣きの声だった。花札しながら泣いてやがる・・・。たぶん、亡くなったアボジを思い出しながら泣いてるんだろうけど、それにしても花札しながら泣くことないじゃないさ~。そして、すすり泣きの間には、合いの手のように鼻歌すら混じるときがある。それが、夜、シーンとしているアパートの中で聞こえてくるのって、結構怖い。今も、私が6時間のお昼ねから目覚めたら、リビングからオンマの鼻歌混じりのすすり泣きが聞こえていた。真っ暗な部屋で目覚めて、一発目にすすり泣きなんか聞こえてきたら、怖い!怖いよ、オンマ!!
2005年12月03日
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アボジの初七日の日。引越し・・・。そう、私たち夫婦とワンコ2匹は、11月7日から同居を始めたのであります。同居のメンバーは、と言えば。上の義姉とその子供2人(中2、小5)。下の義姉。義兄。そして・・・なぜかオンマ・・・。それに私たち2人とワンコ2匹が加わって、さぞかしゴチャゴチャした暮らしをしているんだろうと思いきや、これが以外に広々としているんです。理由その1:物を捨てたりせず、そのくせ、飾るものも無いくせにヘンテコリンな飾り棚を買ったりして、いろんなものを置きたがるのが韓国人ですが、うちのシテグにはそれが無い。確かに食べ物のストックは多い。が、飾り系、インテリア系の物が無い。唯一飾ってあるのが、下の義姉が可愛がっている熱帯魚ぐらいのものだ。テレビ台や本棚などは、もともとこのアパートを借りたときから付いていたものだけど、変にゴチャゴチャしたアールデコ風とか猫足とか、そんなんじゃないので、助かっている。理由その2:家族が8人と2匹でも、広々と暮らせる理由として、やはり大きいのが、家のサイズだろう。このアパートは65坪もありやがる・・。平均的な日本の一軒屋よりも広いぐらいだ。部屋は4部屋。(本当はリビングの一部を部屋に改造して、5部屋作ることができる。)そのうちの何と2部屋をうちらが使っている。私たち以外の家族は、リビングと主寝室、それに続く小さめの部屋を使って主に生活し、私たちふたりは、あてがわれた2部屋のうち、大きい方をリビング代わりにして、そこでテレビを見たりネットをしたりして、寝るときだけ、もうひとつの小さい部屋に行っている。昼間はみんな外に出るので、私は一人。食事は、オンマがしてくれるので、私は何もしない。掃除も、ほとんど義姉らがしてくれるので、私は自分たちの部屋とその前の廊下のみ掃除機をかければいい(あと、ワンコの毛が玄関に落ちるので、玄関も時々・・)。あら、結構楽じゃない?そう、確かに思ってたよりは同居は楽だ。でも、やっぱり、自分の家という感じではない。下宿という言葉がぴったり来るような気がする・・。それに、日本の場合、いくら同居していても、若夫婦の部屋にズカズカと他の家族が入ってくることは無いだろう。ここにはそれがある。ウチラの部屋で、義姉がテレビを見ていたりする。ウチラの部屋にオンマが来て、『あ~、手が痛い。ミョヌリ(嫁)ヤ~、ちょっと揉んでおくれ』と言ったりする。ウチラの寝室で、義兄が見合い相手と親密な電話をしていたりする。あー、ここはやっぱり韓国なんだなぁ・・。プライバシーって言葉はこの国には無いんだぁ・・。
2005年11月29日
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11月3日最終日とは、文字通り、最終日です。アボジの遺体は、この日荼毘に付され肉体はなくなってしまうのです。朝、9時半。甥っ子、姪っ子を連れて葬儀場に到着。アボジに最後のチョルをしたあと、しばらくしてから葬儀場に向かうバスに乗りました。遺体はバスのお腹の部分に安置されて、私と一緒に葬儀場に向かいました。遺族の中の、男性(うちの場合、義兄と旦那)はバスの最前列に乗り、あとの遺族はその後ろあたりに乗りました。向かった葬儀場は、イルサンから少し行った所にありました。名前は覚えてません。そこで、予約の時間まで1時間ほど待ち、とうとうアボジと最後の別れです。窓が付いた小部屋の中から、火葬用の大きな釜に入れられていくアボジを見て、みんな大泣きでした。私も泣きました。釜のふたが閉じられた後も、しばらくみんなで泣いていました。すると、誰かが私の肩を軽く叩いたので、振り向くと親戚のオジサンでした。オジサンは私の手を取り、近くのソファーまで連れて行き、座って休んでいなさいと言ってくれました。妊婦さんが、そんなに悲しんじゃいけない。泣いてもどうしようもないんだから、もう泣くのはやめなさいと言って、その場に私を残してどこかに行ってしまいました。私もしばらく泣いて、ある意味すっきりとしたので、頭によぎるのは、『おいおい、義理の父が火葬されてるって言うのに、嫁がこんな所で座っててもいいのかよ・・』ってことでした。態度はでかくても、義理の家族とタメ口で話しても、回りから見れば嫁は嫁。やっぱり、みんなのところに行こうと立ち上がると、さっきのオジサンがまたやって来て、あんたはここに座ってなさい、ホラ、コレでも飲んで!ときな粉を溶かしたようなあったかい飲み物を差し出してくれました。さっき、私を残してどこかに行ったのは、これを取ってくるためだったのか・・。今まで、韓国人はベタベタしてて、何にでも干渉してきてウザイと思っていたけど、こういうときに、私みたいな立場の人間にも気を使ってくれる人っていいなーとしみじみ思いました。さて、火葬を始めて1時間ちょっと経ったころ、アボジの遺骨が出てきました。日本のおじいちゃんのお葬式のときは、確か遺族全員で遺骨を箸で拾って、骨壷の中に入れたのを覚えていますが、こちらでは係りの人が全てを任されているようで、私たちは窓越しにその作業を見ているだけでした。その後、アボジの遺骨と共に再び葬儀場まで戻り、そこで解散しました。アボジの遺骨(灰ですが)は、アボジの祖父母のお墓の土の上にまかれました。それを撒いたのは旦那です。結婚していない息子は、その場に行ってはいけないそうなので、義兄は別の場所で待っていたそうです。いろんな仕来りがあるんだなぁ・・。その日はまだ明るいうちにアパートに戻りました。アパートでは、毎週恒例の市場が来ており、甥っ子姪っ子と一緒にトッポッキ、ティギム、スンデを買って帰りました。その後、しばらくしてまた小腹がすいたので、姪っ子に頼んで、ピザの注文をしてもらいました。そうするうちに9時近くになり、義姉たちや旦那が戻ってきました。しばらくみんなで喋った後、義姉たちは甥っ子姪っ子を連れて帰って行き、アパートには旦那と私とワンコ達だけになりました。しばらく旦那と喋ってなかったので、何だか変な気分。次の日は、朝早くお寺に行かなければいけないので、朝5時起きです。その日は久しぶりに旦那と一緒に寝ました。旦那が『アボジが亡くなったなんて、信じられないなー。本当に亡くなったのかなー?』と言ってきたので、こういうときは何にも言わないほうがいいだろうと思い黙っていると、『どう思う?』と意見を求められたので、仕方なく『今は実感がわかないかも知れないけど、亡くなったのは本当だよ。でも、最期に苦しまなくて本当に良かったと思うよ。』答えました。旦那も、『そうだねぇ』としみじみと言って、3分後には盛大なイビキを掻きながら眠りにつきました。これが、私の3日葬体験です。いろんな地方によって、細かい風習もさまざまだろうと思いますが、いざと言うときの為に、簡単な流れを知っておくのもいいかも知れません。
2005年11月26日
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11月2日前日の帰り際に、今日は10時半までに来ればいいと言われたので、アボジのお葬式中なのにも関わらず、朝起きたのは8時半・・。前日預かった姪っ子甥っ子たちは、7時半に起きたらしく、私が起きたときには出かける準備まで全て終えていた・・。それから、ワンコの散歩に行って、シャワーを浴び、できるだけ黒っぽい服に着替えてアパートを出たのは10時。(お腹が出ているため、妊婦用のジーパンしか穿けなかったから、仕方なく下はジーパンで行く。お葬式なのにね。)途中、コンビニでお菓子やジュースなどを買い込む。お葬式のご飯はあまりおいしくないし、小部屋で1日中ボケーっとするのもつまらないので、何かつまめる物でもあったらいいなぁと思い大量に買う。それと、お葬式では、なぜか飲み物がコーラ、ソーダ、水、コーヒーしかなくて、妊婦がこんなのばっかり飲めるか!という感じだったので、レモン系の飲み物も自分用に買う。葬儀場に着いたのは10時25分。ギリギリ。オンマや義姉たちは、例の白い韓服を着ている。『あ、ヨピコ来たの。コレ、着なさい』と私用の白い韓服を渡される。四苦八苦しながら着ていると、姪っ子が手伝ってくれた。何とか着れたのはいいけど、中に着た茶色のTシャツが透けて見えるし、ジーパンもチマの下から出ている。これでいいのか?と思って、義姉たちを見たらみんな似たようなものだった。あとは、小さな白いリボンをつけたピンを髪に留めて、お腹の辺りに白い紐を結んで完成。これが韓国女性の葬式ファッションなんだろうなぁ・・。さて、朝から何も食べてなかったので、早速食事を摂ることにする。いつものメニューだけど仕方が無い。隣のテーブルでは、おじさん達が花札の合間の休憩をとっている。韓国ではお葬式のときに、本当に花札をするんだなぁ・・と驚いた。しかも夜を徹して。あとで、旦那にも、花札したの?と聞いたら、『バカ。父親が死んだのに、花札するやつがどこにいる!』と返された。そうか、遺族はしちゃいけないんだな。オンマは相も変わらず、チョルをする人を見て『アイゴー!』と号泣している。でも、チョルが終わると、『うちの長男にいい女の子はいないかねー』と弔問客に聞いて回っている。自分の旦那の葬式なのに、すごい営業努力だと思った。確かに、お葬式の時は遠い親戚も来るから、見合い話が舞い込む絶好のチャンスだと言えるけど・・・。その営業努力の甲斐あってか、お葬式中に3人の女性とのお見合い話を取り付けたらしい。旦那は葬儀場に泊ったので、タオルや靴下などの替えを持って行ったけど、お葬式中はできるだけ体を洗わない方がいいんだそうだ。モチロン昔の迷信だけど、本人がそうしたいならそうすればいいと思った。私の半径1メートル以内に近づかない限りは・・。小部屋はとても暑くて、私たち(私、義姉2人、甥っ子姪っ子、そしてなぜか旦那)は2度ほど外に涼みに行った。外は寒いぐらいだったけど、サウナのような小部屋に比べたら快適だった。病院の売店でアイスを買って、外で食べて、しばらく休憩してまた小部屋に戻った。弔問客の種類(近い親戚とか、とても親しい友人とか)によっては、私も祭壇のある部屋に出なければいけなかった。弔問客はまず祭壇に向かって3回チョルをする。その間、遺族は立ったままそれを見ている。その後、弔問客は遺族の男連中(うちの場合は、義兄と旦那)にも1回チョルをする。そのとき、男連中は同時にその弔問客に向かってチョルを1回する。遺族の女連中はと言うと、その間、ずっと立ったままそれを見ていればいい。なので、遺族の男連中は弔問客のチョルを全て受けなければならない。おちおち休んでもいられない。とても疲れる仕事だ。2日目は何事もなく終わった。葬儀場を出たのは夜7時半ごろ。一応、出る前に軽くご飯は食べたけど、義姉たちに『夜、これで何か食べなさい』と5万ウォンほどもらったので、アパートに着いてから甥っ子と姪っ子にお腹がすいてないか聞いてみた。すると、少しすいているとのことだったので、私お勧めのBBQチキンを注文することにする。注文の電話は姪っ子にしてもらった。こういうときネイティブがいると助かる。3日目はいよいよアボジを荼毘に伏す日。本当は葬儀場を9時に出発の予定だったのが、予定が変わったらしく、11時出発になったので、明日はちょっと早いけど9時半ぐらいに来なさいと義姉に言われた。9時半って早いですか・・?私にとってはとてもありがたかったけど・・。
2005年11月23日
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11月1日韓国ではお葬式は3日間、ぶっ通しで行われる。その1日目は、とりもなおさず、故人が亡くなった当日である。(亡くなった時間によっては、次の日が1日目になったりするのかな・・?)つまり、日本で言うところの『お通夜』にあたる。アボジはイルサンのミョンジ病院というところで息を引き取った。そこは、地元のキンポからは遠いので、キンポのウリ病院というところに移すことになった。ウリ病院から救急車が来てくれて、アボジの遺体はそれに乗って、キンポに帰ってきた。(ちなみに、救急車の使用料は7万ウォン。)そして、それまで10日間入院していたミョンジ病院を出るときに、義兄が入院費を支払った。特別室だったので、1泊13万ウォン!ウリ病院に到着すると、アボジの遺体はすぐに付属の葬儀場にある遺体安置室に運ばれた。そこで、白い服を着たアボジの胸元に1万ウォン札を何枚か入れた。これは、あの世でのお小遣いということだろうか、それとも三途の川の通行料なんだろうか。そして、その後、妊婦だからという理由で遺体安置室の外に出された私は、中で何が行われていたのかはわからない。20分ぐらいの間外にいて、その後、『チョルをするからヨピコも入って』という義姉に連れられて、横たわっているアボジの前で全員でチョルをした。そんなときはモチロン、私を除いた全員は号泣である。その後、お葬式の事務的な手続きに移る。祭壇に飾る花はいくらのにするか。オンマを始めとする遺族の名前を全部書き出す。お葬式が終わった後、遺体はどうするのか。火葬の場合、どこでするのか。故人の写真はどれを使うか。などなど。そんな諸々の手続きが済むと、あとはしばらく時間が空く。その間も、オンマや義兄は仕出しの注文をしたり、親族に電話をしたりしていたけど・・。そうしているうちに、親戚やドンネのおじさんおばさん連中がどっと押し寄せ、その中の『こういう行事のしきたりに、なぜか異常なほど詳しいおじさん』が私たち遺族を仕切り始めた。私たちは、そのおじさんの言うままに、一人一人祭壇の前でチョルをしたり、盃を線香の上でくるくる回したりしていた。(その際、義兄と旦那は葬儀場で貸してくれる喪服(黒のスーツ)に身を包み、それ以外の遺族は、朝、病院に駆けつけたままの普段着。)私は、妊婦と言うことで、奥の小部屋で休むことを許される。その小部屋には、私と、旦那の甥っ子姪っ子しかいなかったので、堂々とゴロゴロする。時々、親戚のおばちゃんたちが入って来るので、その度に起き上がっていたけど、みんな私が妊婦だということを知っているので、『いいから、いいから、寝ときなさい!』と強く言われ、仕方が無いからまたゴロゴロする・・というのを繰り返していた。その小部屋は小さ過ぎるのが災いしてか、オンドルが異常なまでに効き、私、甥っ子、姪っ子の3人はアボジのお葬式の最中だというのに、何度も夢の世界へ引きずられて行った。そして、オンマが隣の部屋で『アイゴーーー!!!』と泣き叫ぶ声で目が覚めると、『寝ちゃいかん!』と自分に渇を入れてみるんだけど、数分後にはまた夢の中・・・・。でもやはり驚いたのは、旦那が小部屋に入ってきて、いびきをかきながら寝たとき。いくら、その日の睡眠時間が2時間だったとは言え、自分の父親のお葬式の最中によくもそこまで・・と呆れる。でも、故人の息子は、弔問客が来てチョルをしてくれるときには必ずその場にいなければいけない。盛大にいびきをかきながら熟睡していた旦那だけど、弔問客が来るとすぐに飛び起きて、何食わぬ顔をして祭壇の横に座っていた。午後になると、ドンネのおばさんたちが仕出しの料理を出してくれた。メニューは、ユッケジャン、各種ジョン、ミッパンチャンなど・・。ジョンしか食べれなかった・・。お昼になると、ワンコのことが気がかりでしょうがなかった。韓国のお葬式なんて初めてな上に、亡くなったのはアボジである。今日はうちに帰れるのかどうか・・、それすらもわからない。それどころか、3日間、ここで寝泊りなんてことになったら・・。30分でも家に帰れたら、ササッと散歩に連れて行って、ワンコのトイレを掃除することができるのにと考え、抜けるタイミングを見計らっていた。本格的に弔問客が押し寄せるのは5時過ぎと聞いていたので、できるだけ早いうちに抜け出したかった。さすがに、『ワンコが心配なのでちょっと様子を見に行ってきます』とは言いにくいので、義姉が『ヨピコ、体大丈夫?きつくない?』と聞いてくれたときにすかさず、『おなかが痛いから、ちょっとうちに帰って薬飲んで来ていい?』とつらそうに言ってみた。(実際、硬いオンドルの上で数時間座ったり寝転んだりを繰り返していると、腰とおなかにすごい負担が来る。)義姉はすぐに『そうね、そうしなさい。』と言ってくれたから助かった。その後すぐにオンマにも一応了解を取り、旦那の車で一路アパートへと向かった。当初は30分で全てを・・と考えていたけど、もしかしたら今日はもうワンコに会えないかも・・と一人で感傷に浸ってしまい、別れを惜しむうちにアパートに帰って45分が経過していた。アボジのお葬式を途中で抜けれることだけでも大目にみてもらってるのに、その上遅れたら大変だと思い、心を鬼にしてアパートを後にする。葬儀場を出て、戻って来たのは1時間半後。義姉に、『今帰った』と報告すると、『あら、早かったのね!』と驚かれる。なんだ、もうちょっといればよかった・・と後悔。そのうち、5時を過ぎると、弔問客がひっきりなしに来るようになる。私が驚いたのは、オンマのメリハリの利いた号泣だった。私たちと話をしているときは、うっすらと笑顔さえ浮かべる余裕すらあったのに、弔問客がチョルをすると、『アイゴー!アイゴー!!』と大号泣だった。そして、その弔問客が帰ると、また通常のオンマに戻る。とても不思議だったので、『もしかしたらウソ泣きかも・・』と疑って、大号泣の真っ最中にオンマの顔を覗いてみたら、本当に涙を流している。やっぱり、正真正銘の大号泣だった。弔問客の花札でにぎやかになった7時ごろ、義姉らの口から願ってもない言葉が飛び出した。『もう、疲れただろうから、ヨピコはアパートに帰りなさい。犬もいるし。』『えっ!!いいの?!』とりあえず、何度か聞き返してみたけど、やっぱり私が妊婦ということで、体に気を使ってくれているんだろうか、とてもありがたかった。上の義姉に、甥っ子と姪っ子も一緒にアパートに連れて帰って、泊まらせてくれないだろうかって言われたけど、そのくらいのこと、朝飯前である。『うん、いいよ』と二つ返事でOKして、その日はそのままうちにつれて帰った。一応、『明日は7時ぐらいまでに来ればいい?』とかなり早めの時間を指定してみたら、『明日は○×○×(←聞き取れなかった)があるから、それが終わってから来た方がいいから、10時半までに来ればいいよ。』と言われた。マジ?そんなにゆっくりしていいの?とかなり心配だったけど、旦那の『本当は12時ぐらいに来ればいいんだけど、一応ちょっと早めにってことで10時半って言ってるんだから、いいのいいの。ゆっくり来いよ。』の言葉に安堵する。その後、葬儀場でお昼ご飯とまったく同じメニューの晩御飯を食べ、甥っ子姪っ子、私の3人で帰宅。3日葬の1日目はこのようにして終わりました。
2005年11月19日
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11月1日 明け方 アボジが亡くなりました。その日の深夜までアボジに付いていた旦那がアパートに帰って来たのは午前3時半。それから少しだけ寝て朝6時半過ぎに、アボジに付いていた義兄からの電話で飛び起きました。『アボジが息をしていない!!!』旦那と私は、とりあえず速攻で着替えてアボジの病院に向かいました。病院に着いて、エレベーターに乗り込むと偶然、オンマや義姉たちが乗っていました。みんなでアボジの病室に行くと、そこにはベッドの上で息絶えているアボジがいました。私を除いた全員が泣いていました。私も泣こうと思えば泣けましたが、無理に泣く必要は無いと思ったので、黙っていました。私はただ、『アボジが解放されてよかった』とだけ思いました。中期の肺がんと申告されてから2年と少しの間、いろんな病気を併発しながら、つらい治療に耐えて、最後は自力で起き上がることもできずにいたアボジが、やっと楽になれたんだと感じました。いろんな癌の中で、最期の痛みが一番激しいとされる肺がんを患いながらも、寝たまま息を引き取ることができたということが、とてもありがたいと感じました。病室に先生が来て、アボジの死亡を確認したのが7時半でした。それから、アボジの遺体を旦那の実家がある金浦の病院に移しました。韓国では、病院に葬儀場があるので、そこでアボジの三日葬を行いました。三日葬のことは後日書きます。
2005年11月16日
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15日に日本に帰って24日に戻って来るはずが、旦那の『もう少しいたら』の言葉に飛び乗って、29日まで日本にいた私。その間に旦那の実家は大変なことになってました。アボジがやばいらしいです。家族全員、『これが最後の入院だ』って覚悟してます。一時、『今夜が峠です』っていう状態になって、それから一応持ち直してはいるんですが、もうほぼ寝たきりです。税金対策(?)でアボジの友達名義にしておいた土地も、その時が来る前に売ってしまうことにしたそうです。そうしないと、後々、その友達が何か変な考えを起こすかもしれないから・・だそうだ。日本に帰る直前に勃発した『一時同居問題』は、結局本決まりになりました。同居するにあたって一番のネックだったアボジのことも、義姉の『もう家に戻ることはないから』という言葉で片付きました。同居する期間は2ヶ月ぐらいだけど、ワンコが好きでもない人たちとワンコ連れで同居するのは大変そうです。とりあえず、極力、私がワンコから離れないようにするつもりです。もともと、家でゴロゴロしているのが三度の飯よりも大好きな人間なので、別に苦ではありません。ワンコ問題がうまいこと処理できれば、同居っていうのはぐうたらな私にとってはとてつもなく美味しい話です。何てったって、ごはんを作らなくていいんだもの~♪一応、ワンコをかかえた居候の身なので、掃除はしっかりさせて頂きますよ、ハイ。
2005年10月30日
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そうです。警察に引っかかってしまいました・・。妊婦にとって、ムショ暮らしはつらいものです・・。って、うそですよおっっ!!警察に捕まったのは本当。でも、すぐに解放されました。罪名(←大げさ|ω<)プッ)は『無断横断』朝っぱらから、焼きたてのパンが食べたくなり、すぐそこのパリバゲッ(パリバゲット)まで行こうと、6車線の道を真横に突っ切ったのですが、運悪くそこにパトカーが通りかかりまして、ご丁寧にサイレンまで鳴らされて、それでも無視してたら、スピーカーから、『そこの緑のジャンパーのアジュンマー、ちょっと待ってください!』と放送までされて、御用となりました。『はい、身分証明書見せてー』という警官に素直に外国人登録証を差し出したら、『あら、外国人なの?日本人だねぇ。日本でも横断歩道でもないところを渡ったらダメでしょう。』と警官様。一応、『だってみんなしてるじゃないですか~!何で私だけ捕まえるんですか?!』って抗議してみたけど、『みんなやってるからって、それが許されるわけじゃないでしょ~』という警官様のごもっともな意見にあえなく撃沈。『外国人ってことで、今回は見逃すけど、もうこんなことしちゃダメだよ~』うふふっ。私、コレが聞きたかったのさっ↑こんな金欠状態の我が家に、警察に払う金なんて1ウォンも無いのさっ!ってことで、無事パリバゲッにたどりつけました。皆さんも、パトカーの前では無断横断しないように気をつけましょう。(反省の色、無し)
2005年10月14日
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昨日、一時同居問題に100%NOを突きつけた私の前に、譲歩案が出された。それは、今はほとんど使われていない旦那の実家に私たちだけで何ヶ月か住むというもの。この実家と言うのがものすごく田舎にある。うちから車で40分ほどかかる。うちだって、そんなに都会にあるわけじゃないのに、そこからさらに40分だなんて・・・。バスだって、20分に1本。それも2000ウォンもするやつ!!しかも、昨日のオンマの話では1,2ヶ月ということだったのに、今日上の義姉に聞いてみたら、2ヶ月は超えるよ~と言っている。ホラ見たことか・・。こうやって、私の英語の授業だってのびのびになってるのさ。けっ。旦那の実家は、今私たちが住んでいるアパートよりも狭いけど、それはガマンできる。ただ、ものすごく古いし、ものすごく田舎にあるので、子供が生まれるまでには絶対出て行きたいと思っている。それを伝えたら、『じゃ、子供生んだらヒョンデ(今、旦那の両親と兄弟が住んでいるアパート)に来ればいいじゃない。』って感じだし・・。子供連れてヒョンデに帰ったら、あのオンマがどれだけ口を出してくることか・・・。やれ、厚着させろ。やれ、靴下を履け。やれ、これを食べろ。やれ、子供は寝たか。やれ、布団をちゃんとかけろ。やれ、コレをあーしろ、こーしろ。目に浮かぶね。しかも、子供を生んだら、うちの母親が日本から面倒を見に来てくれることになっている。面倒を見にって言うか、孫を見にって言う方が正しいんだろうケド・・。それを今から楽しみにしてる母親に、来るなって言えるかね・・。言えないし、言いたくないよ。だって、本当は子供だって日本で生んで欲しかったと思うよ。未だに、日本の我が家では赤子並の扱いを受けている私が子供を生むんだからさ・・。それをさ、『あんたが日本で子供生んだら、りー君(旦那の呼び名。なぜに苗字?)と御両親が子供を見れなくなっちゃうから、韓国で生むべきだよ。』って言ってくれた母親だぜ。そんな母親に、『生んだ後は、旦那の母親に世話になるから、来なくていいよ』なんて言えないよ。世話になりたくもないしさ、オンマには。なので、私は、子供がいつ生まれてもおかしくない時期(2月)になるまでには、イルサン(新居の予定地)に引っ越したいと言っておいた。オンマに話してもらちが明かないので、上の義姉に話しておいたから、今晩には旦那の実家を事実上取り仕切っている下の義姉にも話が行くだろう。あ~、今週末に日本に帰るのにこんな問題抱えてたら、日本で遊びモード全開になんて出来やしない・・。いや・・、そもそも妊婦が遊びモードを全開にしていいのかどうかって言うのも疑問だけどね。
2005年10月11日
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オンマが2ヶ月ぐらい一緒に住むことが出来ないかと言っている。その理由は、義姉たちが塾の場所を移すらしくて、その際リフォーム代とか引越し代とかがかかるので、私たちのアパートを引き払って、その保証金(1000万ウォン)でやってしまおうというわけらしいのだ。で、その間、私たちは住むところが無くなるので、今義姉たちが住んでいるアパートに一緒に住んだらどうだろうか・・ということだ。まぁ、それはよしとしよう。だって、このアパートの保証金は旦那の家族に出してもらったものだから、それを義姉たちが塾の経営の為に使うのは理にかなっていると言える。でも、ちょっと待って。肺がん末期の人とワンコ2匹。一緒に住むなんて、暴挙に等しい。って言うか、暴挙だ。オンマは、その問題を『犬を部屋に閉じ込めればいい』という、かる~い考えで解決しようとしている。そこで私が物申した。『ワンコを部屋に閉じ込めたら鳴くよ。閉じ込めてなくても、人が帰ってくるたびに、喜んで吠えるよ。アボジは確か、うるさいからって皿洗いすら自由にさせてくれないよね?そんなに音に敏感なアボジが、あんなに弱った体でワンコの鳴き声をガマンできると思う?とにかく私は反対だね。アボジとワンコを同居させるなんて、もってのほかだよ!』コレを聞いて、しばらく黙っていたオンマだが、何を勘違いしたのかバカなことを言った。『もう1度考えてよ』オンマーー!!!私がもう一度考えたからって、何かが変わるのか??!!えっ?!!私はどうでもいいんだよ。2ヶ月ぐらいの間、義姉たちと暮らすのなんて、構わないよ、私は。だってその間食費、電気代、アパートの家賃、ガス代、なーんの心配もしなくていいんだもん。しかも、食事だってオンマか義姉が作ってくれるし。私がしなきゃいけないことと言ったら、自分たちの身の回りのことぐらいでいいんだからさ。全く、オンマの浅はかな考えにはほとほと困ってしまう。そう言えば、彼女、何を勘違いしたのか、私が自分に子供の面倒を見てもらいたいと思っていると思い込んでいる(うぅ・・ややこしい)。先週、みんなで話していたときに、嬉しいような困ったような顔で、『ヨピコは私に、赤ちゃんの面倒を見ろって言ってるし・・』とのたまっていた。慌てて否定したけど、オンマは私の発言のどこをどう解釈して、そのような結果を導いたんだろうか・・。今まで、私が子供の世話のことでオンマに言ったことと言えば、ただひとつ。『子供の面倒は私とオッパで見るよ。自分たちの子供の面倒も見れないぐらいなら、私は子供なんて生みたくないからね!!』ちなみにそれを聞いていたアボジは、『この子(私のこと)はちゃんとした考えのある子だ。(。・ω・)(。-ω-)ぅんぅん』と感動していたけど、自分の子供の面倒を見るのは、当たり前ですよ、アボジ。とにかく、↑の同居問題がどうなるのか・・・。自分のことながら、他人事の様な感じがするのが、不思議。
2005年10月10日
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昨日、ベッドに入って横になっていたら、お腹がグリグリと動く感触がした。先週末、食中毒になってしまったので、その余波がまだあるのかと思っていたら、急にへその下のほうがポコンと出てきた。このときも、大腸の動きとしか考えておらず、『今日の腸は、またすごい活発だな~、トイレ行っとくか~』などと考えていたら、またポコンとなった。はて・・?そのとき、頭の中に以前読んだたまひよの記事がよぎった。確か、胎動ってグリグリとかポコンとかって感じじゃなかったか・・?まんまじゃないかっ!そっくりそのままの感触を、たった今感じたじゃないかっ!で、確かめるために、ズボンとパンツをちょっと下ろして、へその下あたりをげんこつで軽くジャブしてみた。すると、またポコンとなる。(ノ´▽`)ノオオオオッ♪私のジャブに赤子が反応しておる。結構ウキウキしたので、5分ほどジャブってポコン遊びをしていた。旦那はすぐ横のリビングにいたけど、面倒だったからわざわざ起きていって胎動を感じたことを伝えはしなかった。今日、朝昼兼用のご飯を食べながら、軽く伝えたら、『えっ、本当!?』って言ってた。そっか、この男も一応、胎動とかに興味があるんだなぁと思った。
2005年10月06日
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このところ、ずっとご無沙汰だったオークション。日本への一時帰国が近づいているので、ここらでひとつイロイロ落札してみようと思ってます。とりあえず、メインは私の妊婦用下着です。見てみたら、イロイロあるのね~。昨日、妊婦用パンツを8枚1000円で落札。妊婦用ハーフトップ5枚(古着)を5枚1210円で落札。入札するまで、ハーフトップって何?って感じだったので、ネットで調べてみたら、あれって家にいるときとか、寝るときにつける乳バンドなのね。私はてっきり、スポーツブラみたいな感じだと思ってました。でも、いいや。外出するときにつけたって、他の人にはわかりゃしないしね。今、入札してるのは、バッグです。決してマザーズバッグとやらではありません。でも、大量に物が入り、なおかつ外や中にポケットがついているものを選んでます。来月の15日に一時帰国予定ですが、そのときには、赤子のものではなくて、私のものを買いそろえてこようと思ってます。例えば服、例えば本、例えば調味料などなど・・。そして、12月にも一時帰国する予定なので、赤子のものはそのときに・・と思ってます。こうやって見てみると、赤子って生まれる前から親に金使わせてますね。たまひよとか読んでると、出産準備品に20万ぐらい使ってるみたいですね、みなさん。それだって、ママの下着やマタニティー用の服なんかのお値段は含まれてないから、それまで入れちゃったら軽く30万近くになっちゃうんじゃないでしょうか・・・。ちなみに、日本に帰ったら、産婦人科に行ったり、母子手帳をもらいに市役所に行ったりするつもりです。赤ちゃん本舗とやらにも行ってみたかったんですが、長崎には無いらしいので、その辺のあかちゃんグッズを売っている店で値段を調べてこようと思ってます。出来ることなら、全てレンタルで済ませたいと思っとります。ベッドなんて、買ったら4万ぐらいになっちゃいますからねー。この間、韓国の赤子用品レンタルサイトを何件が調べたら、ベッドが1年間80000ウォンでした。思わずガッツポーズ。足元でワンコ達が、散歩の時間を今か今かと待ち遠しそうにしているので、ちょっと行ってきます。バッグ、落札できますよーに。
2005年09月27日
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先日、久方ぶりの旦那とのデート(らしいもの)だった。イルサンのほうまで出かけて、ご飯を食べてお店をぶらぶら見て周り、最後に映画館に入った。見たのは『アフターサンセット』(邦題はわからん)主演は007の人。映画が始まる前にはCMがあるけど、それがすごいものだった。CMはアニメーションで、まず海が出てきて、そのど真ん中に小さい島が2つ浮かんでいる。それを見たときは、私にはまだ何のことかわからなかった。そして、2つの島を挟むようにして、両側から船が何隻も島に向かって進んでいる。片方の船にはイスンシン的な韓国武将が乗って、指揮を取っている。ここで、もうお気づきだろうが、もう片方の船には、日本の武士、相撲取りともう一人侍のような人が乗っている。そのどれもが、かなり性格が悪そうにデフォルメされて描かれていた。そして、当然のように、日本の船からの攻撃は、韓国船にかすりもしない。慌てふためく日本チーム。そして、韓国チームからの攻撃が始まった。まず、韓国船から日本船に投げられたのは、ウ○チ。それを顔面に受けて、よれよれになる日本チーム。そして登場したのは、明らかにマジンガーZや鉄人28号(?)の雰囲気を漂わせている巨大ロボット。そのロボットの攻撃を受けて、日本チームは慌てて逃げる。そして、CMのキャッチコピー。『ガーブルミョン ホンナンダー』(あんまり調子に乗ってると、怒られるぞ!的な意味)そして、今度は2つの島を遠くから見ると、何と、海の中で島を支えているのは先ほどの巨大ロボット。そして、一言。『トクトヌン ホンジャガ アニダー』(独島はひとりじゃない。)----------the end-----------正直言って、あっけにとられた。こんなVTRを作って、それを不特定多数の人が見る映画館で流していいのか。確かに、VTR中にははっきりと『日本』を示すものが出ているわけではないけど、見たら明らかに『日本』ってわかっちゃうもの!でも、日本のアニメのキャラ、そのままパクって、それで竹島支えてるんだから、何か笑っちゃったよ。でも私が、もっと笑ったのは、その問題のVTRの次にあった、他の映画の予告編。その映画のBGMが日本のドラマ『空から降る一億の星』のBGMをほぼそのままパクっていた。あのドラマを一度でも見た人がいたら、すぐにパクリとわかるレベルで。だって、初めの部分は全く同じで、最後の何小節かをちょっとアレンジしているぐらいな感じだったから。しかも映画の内容も、チョット難しそうなミステリー系。もちろん、刑事と犯人との間に何らかのドラマも起こる。そのままや~ん!しかし、いまさらながら、この国のレベルの低さを見せ付けられた気がして、ちょっと落ち込んだ。私はこれから先、旦那との間に何の問題も無ければ、おそらく何十年もココに住むことになるだろう。そして、何より問題なのは、この国で子供を育てなければいけないということ。どうなるんだろう・・。
2005年09月25日
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今週から16週に入って、腹が妊婦ってます。初めは、食べすぎだろうな~って軽く考えてたんですが、お腹が減っても出てるし、何か、食べすぎにしては出方もチョット異常だし。やっぱりこれは赤子が大きくなったから出てきた腹なんだな~と、しみじみしております。最近、体重のことが気になります。妊娠してから、4ヶ月の検診までは±0だったのに、今日の検査で一気に2.7キロ増!!!!!ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!季節が変わって、ハーフパンツ+タンクトップという超軽装から、ジーパン+Tシャツ+カーディガンという秋スタイルになったのも原因かも知れないけど、服装の差を差し引いても2キロは増えとる!!自分なりに何が原因か考えてみたけど、原因なんて見当たらない。肉の食べすぎかなぁ・・(ズバリ)。あ、やっぱり・・?とりあえず、自分の中で、出産までに7キロ増というのが目標だったのに、早々とダメ出しされた気分。野菜中心の低カロリーな食事を心がけたいけど、サラダを食べるときにドレッシングやマヨネーズを大量にかけるクセがあるので、こういうのも改善していかなければ・・。あと、生活サイクルの改善も必要だな。今のところ、どうしても旦那のスケジュールに合わせて生活しているので、起きるのは11時。寝るのは3時ぐらいになってしまう。ダイエットには向かないな。せめて、9時起床、1時就寝ぐらいにしないと。そうそう、そういえば、私を担当してくれている看護婦さんも妊婦さんだ。お腹の出具合から察すると、7ヶ月ぐらいかな?妊婦さんなのに、看護婦というハードな仕事をこなすなんて・・、ご立派(。・ω・ノノ゙☆パチパチ私は、1日3時間の労働でグチグチ言ってるのにねぇ。見習わなきゃね。
2005年09月22日
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↑見たいな事言ったら、在韓日本人奥様会からクレームが来そうだなぁ・・。現在、アボジ(義父)が生死に関わる病気の為、チュソク、ソルナル、その他のチェサなどは一切行っていない。私も、これは韓国に来た後に知ったんだけど、家族の中に病人がいる場合はチェサなどの人が集まる行事をしたら縁起が悪いんだそうな・・。アボジには悪いけど、心の奥底で小さくガッツポーズをしたよ、私は。でも、オンマ曰く、このチュソクがアボジと過ごす最後のミョンジョル(名節:お盆とかの法事がある連休)になるかもだそうだ。そんなに悪いのか・・。さて、それはさておき、問題のチュソクの当日、前日にオンマからあれほど『朝早く来い!』と言われていたにも関わらず、目が覚めたら12時だった。それから、ワンコの散歩に行き、シャワーを浴びて、旦那が運転する車でアパートを出たのが1時少し前。結局、アボジのアパートに着いたのは、1時過ぎだったけど、別になーんにもお小言を言われなかった。オンマは小さくぶつぶつ言ってたけど、どうせ私にも旦那にも直接文句を言えるほど気が強くないので、聞こえない振りをしてやり過ごした。チェサをしないので、ご飯はいつものご飯に毛が生えたような感じのものだった。唯一、私の大好物であるチャプチェがあったので、バカみたいに貪り食った。ご飯を食べて、チョットゆっくりしてたら旦那のいとこたちが数人来て、あいさつして帰っていった。それを見送った後、旦那が『帰ろう』と言うので、私たちも帰った。滞在時間わずか3時間の短いチュソクだった・・・・。しかし、私たちだって連休の3日間を遊んで暮らしていたわけではない。チュソクが終わった月曜日、3時間かけて大掃除をした。旦那:ワンコのシャンプー、冷蔵庫内の整理、ゴミ(生ゴミ含む)捨て、掃除機など私:ソファー、本棚、テレビ台、床磨き、本の整理、山のような皿洗い、冷蔵庫磨きなどそれが終わって、近くの本格中華料理店にご飯を食べに行ったあとホームプラスでお買い物。でも、お腹がはち切れそうなとき、食料品の買い物なんてムリだ・・。食べたいものが浮かばないのに・・。結局、基本的な牛乳、卵、ウィンナーなどだけ購入。最近、お腹が急に出てきたのでネットオークションで妊婦用のジーパンを探している。今までのジーパンでもまだボタンは止まるけど、椅子に座ったとき、特にお腹がいっぱいのときなどは苦しくて苦しくて、とてもじゃないけどボタンなんて留めている場合ではない。普段、家ではジーパンではなく、ゆるゆるの室内着を着ているけど、昨日友達が遊びに来た時にジーパンを履いていたら、お腹の辺りがきつくなって、パンツが見えるのもお構いなくボタンとファスナーを全開にした。案の定、真っ赤なパンツまでまる見えになったけど、友達もわかっているので、見て見ない振りをしてくれた。さて、今日からほとんどの会社でも仕事を再開したはずです。私も、今日からまた仕事でした。でも、2:30からの小学生3人のうち、2人(兄弟)は親戚の家に行って、まだ帰ってきてないし、もう一人の子はあまりにも眠そうだったので、上の義姉が家に帰した。そうだよね~、まだ1年生だもんね~。連休明けに塾で2時間授業なんて疲れてたまらんよね~。おかげで、まるまる1時間、あだち充の『H2』に捧げた。(義兄が日本に8年ほど住んでいたので、日本の漫画が山ほどあるのさっ♪)
2005年09月21日
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うちのオンマ(お義母さん)ははっきり言ってムシカン(学が無い、常識が無い)サラム(人)だ。韓国の60代ぐらいのアジュンマ(おばちゃん)たちは大体こういう人が多い。教育も満足に受けられず、早々と結婚して、家事と子育てに終われていたから仕方ないんだろうけど。オンマはとにかく何でも占いに頼り、迷信を本当のことのように信じる。特に、私の妊娠が発覚してからは、会うたびにあることを言う。1:私が産む子供は戌年になって、うちにはワンコが2匹いるので、家庭内に犬が3匹になり、運勢的に犬に弱い旦那が犬の気に負けて死ぬ。→だから、早い話が、ワンコを捨てろということ。2:私の出産予定日が3月で、旧暦だと2月になり。でも旧暦で1月(陽暦だと2月)に生んだ方がチェース(運勢)がいいから、2月中に注射してでも生め。ハイ、皆さん、笑ってやりましょう。あの女(今だけはオンマのことをこう呼びたい)、一体何を考えて生きてるんだ・・?”1”に関しての私の意見というと、『確かに子供の干支は戌年になるけど、干支で判断するのなら、うちのワンコどもは2匹とも午年である。そして、種類で判断するのなら、うちのワンコどもは確かに犬だけれど、私が産む子供は人間であって犬ではない。結局オンマは自分のいい様に事実を曲げて解釈しているだけである。』”2”に関しては、『生死に関わる理由で、手術や陣痛誘発剤を使って出産の日時をコントロールするのは仕方ないけど、母子ともに何の問題も無いのに、ただバカみたいな迷信の為に、まだ生まれる準備が整っていない子供をムリに生むなんて、バカバカしいにも程がある。子供が自然に生まれる日が、一番いい日なんだぞ。』この2つを見ると、オンマにとって、私たち家族って何なの?って不思議になる。バカらしい占いや、わけのわからない迷信に左右されて、しかもそれを私たちにまで強制しようとする。結局そこには、オンマの意思は存在しても、私たちの意思なんかこれっぽっちも存在しないんじゃないの?オンマが”2”の発言をしたときは、上の義姉が一緒にいて、オンマのその発言を聞いて、『コッチの都合で日にちを決めて産むなんて、出来るわけないでしょ!』って反論してくれたから助かった。それでもオンマはめげずに、私に何度も『2月に生まなきゃ』って言ってたけどね・・。大体、オンマの占いの通りに実行して、いい結果が出たためしが無いんだよね。上の義姉の結婚相手もオンマが見つけてきて、家族全員で反対したのにも関わらず、占いでイイって出たからというだけの理由でわずか3ヶ月で結婚させ、14年後、夫の暴力やその他諸々が原因で離婚。先日、全然お金が無いのに、無理やり借金して義兄の車を購入。それも、見合い相手が、『車も持ってないんじゃね~』と言ったのがきっかけ。で、オンマは占いの結果、白い車を買えば結婚できる、白以外は買うな!と言い放ち、その言葉を信じた義兄はイヤイヤ白を購入。結果、当然のように見合い相手は逃げて行き、あまり気に入らない色の新車と借金だけが残った。それなのに、まだオンマは占いにこだわる。迷信を信じる。コッチはただ、あきれ返って、開いた口がふさがらないと言うのに・・。
2005年09月15日
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8月末から働き始めた私。初めは1,2ヶ月だけのはずだったのに、初日に『12月までお願いね』って言われた。やっぱり、韓国人って口だけだよな~。最初に頼むときは、1ヶ月半か、長くても2ヶ月だから・・とか言っておきながら、平気でコロッと変えてるもんな~。その間の家賃払ってくれて、私が日本に行くときのチケット買ってくれるんならいいんだけどさっ。私の送り迎えをするオンマは、前日しつこいまでに『1時45分に来てね』って言っといたのに、当日12時半に電話かかってきて、『今、来てるから』とか言うしさ~。こういうのがイヤなの!前日の話とか約束とか全く無視じゃない!!なんで言ったとおりに出来ないのかね・・・。イヤになるよ、まったく・・。まっ、その日は私もカッチーンと来たから、オンマに『1時45分に来るって言ったでしょ!1時45分に来てよね!』って怒鳴って、電話切ってやったよ。仕事は、月~木の2時半から5時半まで。初めの2,3日は本当につらかったよ。つわりは治まってたけど、それまで家で1日中だらけてたのが、1日3時間(正味5時間)外に出ているだけでも、体にはこたえるもんだねぇ。おまけに、ガキどもは言うこと聞かねぇし。でも、どういうわけか、体が仕事モードに慣れてくるにつれて、ちょっと張り合いが出てきたのも事実。ほとんど毎日料理なんてしちゃってるし。前は大きいおかず1品作って終わりだったのに、最近はメインのおかず1品と小さめのおかずを1,2品作っちゃってるし。汁物だって、お味噌汁だけじゃなくて、洋モノも作ってるし。お肉なんて、日曜日に買ってきて、味付けして冷凍してあって、いつでも食べれるように準備なんかしちゃってるし。洗い物も、すぐに片付けて、その後シンクもちゃーんと拭いてるし。ゴミもきれいにまとめて、虫が来る前にこまめに捨ててるし。ふー(すっきり)。27年間眠っていた、A型おとめ座の血が今ふつふつと煮えたぎっているのを感じる。
2005年09月13日
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何か情緒あるタイトルだなー(しみじみ)。いや、ただ単に、先週末の日記を今日書こう~みたいな感じなんですけどね。さて、金曜日。久しぶりに仁川に住んでる友達と会った。妊娠して、初めての一人外出。バスで酔ったらどうしよう。地下鉄の匂いで吐いちゃったらどうしましょう・・。それどころか、友達の家でゲロっちゃったら、もう二度と遊んでもらえない・・。などなど、心配は尽きなかったけど・・。バス。乗って酔うどころか、久しぶりの荒いバスに、転ばないように棒につかまっているのがやっとだった。地下鉄。考えてみたら、私の駅って始点(終点?)だった。だーれもいなくて、快適。エアコン、浴びまくり。友達の家。トイレでさえも、長居できるぐらい清潔な家。しかも、久々に日本語マシンガントーク。なおかつ、コロッケ+春巻き。美味。しかも、なんと、前の日(いや、その日の朝)まであったつわりが、この日を境に無くなった!すっごい、友達効果。今、思えば、それまでは家でじっとしてたら、『あ~、つわりだ~、もうすぐお腹がすく~、お腹がすいたらまた吐き気がする~』って思っちゃうから、余計に、病は気から的な”思い込みつわり”があったのかなーって思ってしまいました。そして、土曜日。とりあえず、2ヶ月ぶりにアボジに会いに行く。車で20分の距離に住んでるんだけどさ、今まで車が故障してたから全然行ってなかった。は~、車があると、こういうのが面倒だな・・(悪嫁)。で、義姉たちがサムギョップサル(カタカナで書くと変)の準備をしてくれて、旦那と私で平らげる。あとは、桃と巨峰をもらって辞去。あとは、家でゴロゴロ。旦那がワンコのシャンプーをしたので、その間に家中掃除機をかける・・・・、が、10分後にはもうワンコの毛が・・。そして、日曜日。ふふっ。誕生日だもんねー!私の、27回目の誕生日~~!!先週から、TGIフライデイに行きたい!って旦那に言ってて、旦那もそのつもりだったんだけど、金浦空港の近くのバルサン(ダニ殺すほうじゃなくて、地名ね、地名)に行ったら、TGIが見あたらなくて、代わりにでっかい回転寿司のお店が!!もう、私も旦那もベイビーバックがどうした、テキサス祭りだ!とか言ってられないぐらい胃袋が寿司モードになって、急遽Uターンして、その回転寿司に行ってしまいました。その名も、すし友(すしどもになってたけどね・・(≧ω≦;)アチャ)韓国で寿司って、実は初めての体験だったけど、結構美味しかったー!韓国の人ってサーモン食べないから、サーモンが次から次に回ってきて、サーモン大好きな私は、ハイよっ、あらよっって感じで山のように食べたよ。あとは、メニューから納豆、ネギトロ、キャタピラロール、てんぷらをオーダーして食べまくったぞ。日本には、アメリカチックな○○ロールって言うのは無いけど、韓国はそれがあるから私は気に入ったなー。日本の伝統的な寿司もいいけど、外国人の発想がふんだんに取り入れられた○○ロール的な新しい寿司も大好き。時々失敗もあるけど、へぇ~コレも寿司ネタになれるんだね~っていう新しい発見もあったりして、それはそれで面白いけどな。ところで、日本人の皆さん。朝ごはんに納豆を食べたくありませんか?私はものすごく食べたいです。仁川、金浦近辺で納豆買えるところないですかね・・?
2005年08月29日
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今日は1ヶ月ぶりの検診の日でした~!旦那は仕事が午後からなので、午前中一緒に病院に行ってきました。静かな待合室で、よく見ると旦那の顔が引きつっているので、『ココに来るのってイヤなのか?』とダイレクトに聞いたところ、『病院って所はだいっきらいなんだ~!!』って言ってました。もともと、田舎の生まれで、子供のころから健康そのもの、風邪すら数えるほどしか引いたことがない健康優良児の旦那は、病院にいると言うだけで体がゾ~っとするらしい。(その割りに、私が問診から戻ってきたら、ソファの上で奥様雑誌の料理特集を食い入るように見てて、私が隣に座ったことも気づかなかったけど・・。)でも、仕方ないよね。うちらの子供なんだしさっ。あんただけのほほんとしてる場合じゃないんだぜ、おい。先週、結構つわりが軽くなったので、いえ~い、つわり終わったーー!!って喜んでたのもつかの間、つわりが終わったわけじゃなくて、種類が変わっただけでした。前のつわりは、とにかく体がだるくて、眠くて、四六時中船酔い気分だったけど、今度のつわりはお腹がすいたら吐き気がして、やばいっ何か食べなきゃって思ってキッチンに立つと、おえ~っとなってしまう。本当につら過ぎる。それも、3時間ごとにそういう状態が続いて、そのたびにアイスやお菓子なんかの手軽に食べられるものを食べていたので、太るんじゃないかな~って気になってたけど、今のところ体重の変化は見られない。最近は、何にもつけないバゲットとココアで空腹を満たすようにしている。ちなみに、ココアは黒豆ココア(アイス用)。ココアを飲むようになってから、便秘が解消された。牛乳たっぷりだからカルシウムも摂れるし。
2005年08月25日
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私には、間一髪!という思い出がひとつある。それは、忘れもしない小学校1年生のとき。朝は、近所に住む友達のMちゃんと一緒に学校に行くのが日課になっていた。いつもの通り、Mちゃんが私を迎えに来て、うちの前の、車1台がやっと通れるぐらいの幅しかない下り坂を2人で下りていた。すると、ずーっと後ろのほうからいやーな声がしたので振り返ってみた。そのいやーな声の主は、小学5年生の女の子を筆頭とする、悪がき軍団で、いつも4人でつるんでいたグループだった。幸い、奴らは私たちに気づいていないようだったので、近所の家の門の影に隠れて、奴らをやり過ごした。見つかったら殺される・・。実際に殺されるわけ無いけど、当時、7歳だったうちらにとって、小学5年生でなおかつ体格がいいその子は、まさに殺し屋に見えていた。門の影から、そーっと顔を出したら、ちょうど奴らが目の前を通り過ぎていくところだった。その後ろから、軽自動車が来ていたので、私たちはその自動車が通り過ぎるのを待って門から出た。坂は途中で大きくカーブしているので、もう奴らも車も見えなくなっていた。私たちは、朝っぱらからちょっとしたスパイごっこをしたような気分になって、いい気分で坂を下りていった。私たちが坂を下りると、たくさんの人が目の前にいた。登校途中の小、中学生。近所のおじさん、おばさん。子供が泣き叫ぶ声が聞こえる。ふと横を見ると、さっきの悪がき軍団のリーダーの女の子が血だらけになってお母さんを呼んでいた。軍団のほかの子達も、怪我をしたのか、足や頭から血を流しながらわんわん泣いていた。そのすぐ前には、さっき私たちの前を通り過ぎた軽自動車が止まっていた。車に轢かれたんだ!たぶん、Mちゃんもそう思ったんだと思う。私たちは、顔を引きつらせながら、その場から逃げ出した。もし、私たちが隠れなかったら、あの時、血だらけになっていたのは私たちだったのかもしれないと気づいたのは、あれから何年も経ってからだった。あの、悪がき軍団がその後どうなったのかは覚えていない。
2005年08月24日
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最近よく上の義姉(人はいいが、気が弱い)から電話があった。その内容と言うのは、またコッチに来て、英語の授業してくれない?というもの。はっきり言って私、子供に英語を教えることは結構好きだし、1日に3時間程度ならいいって思ってたんだけど、またあの中(←旦那の家族)に混じって働かなきゃいけないっていうのがどうしてもイヤだった。私が直接断るよりも、旦那のほうがいいだろうと思って、旦那に頼んで断りの電話を入れてもらった。聞き入れねー。向こうは、とにかくやってくれの一点張り。ってことで、私が直接電話してみた。もちろん、断る気100%で。何と電話を取ったのは下の義姉(←独裁政権。推定体重80キロ。)だった。でも私だって負けちゃーいられない。『私、昼間は本当からだがきつくてきつくてダメなんだよ。いっつも横になってるの。だから、英語教えるのなんて無理だよ。』と悲しげに言った。ココまで言われたら、返す言葉もないでしょうと読んだ上でのこと。『きつくても、出て来れない?1,2ヶ月だけでいいから・・。』おーい!妊婦がきついって言ってるんだから、ちょっとは言うこと聞けー!体の心配をしてくれー!!『でも日によってどうしても起きられないときとかがあるかも・・・』私の口調はかなり弱くなってきた。だって、義姉の考えがわかったから。この女・・・・何が何でもやらせる気だ・・・。私が今、何を言っても結局、『それはわかってるけど、お願い!』って感じで、返してくるに決まってる。忘れてたけど、義姉は自分の考えは何が何でも押し通す人間だった・・・。正直、泣きたいくらいイヤだ。でも、ココでもっと強く断ったらどういうことになるだろう・・。義姉という独裁政権にはむかう者に、ばら色の人生が訪れることは、まず無い。が、しかし、これから2ヶ月の間ガマンすれば、とりあえず英語からは開放される。そして、私が義姉に忠誠を尽した分、義姉も私に恩を返すはずだ。そしてそれが、お金という形で返されるであろうことは誰の目にも明らか。たとえ、英語の授業自体はタダ働きだったとしても、後々、子供が生まれたときの準備金や、出産前の私の里帰り費用という形で、2ヶ月の労働ではとても手に出来ない金額のお金が転がり込んでくるであろう。義姉はさすが独裁政権だけあって、お金も湯水のように使う。コレを利用しない手は無いだろう(ケッケッケ)。ココはひとつ、長いものに巻かれてみるのも、結構なことだという気になった。義姉との電話での会話中、↑のような結論をたたき出した私は、義姉の『最後の一押し』の前に自ら言った。『私、やる』するとどうだろう、そう、やってくれるの~、よかった~という言葉の次には、今度の日曜日、○○を食べに連れて行ってあげるからね~、それからお腹が大きくなったら服も新しく買わなきゃね~、英語がある日は、ご飯もコッチに来て食べたらいいよ~などなど。出てくる、出てくる・・。おそらく義姉も、多少は私に悪いという思いがあって、私が引き受けたことによって、ホッとしているのであろう。はー。(ため息)でも、ガマンガマン。いつかこのガマンが、自分にいい形で帰って来るのを待つことにしよう。
2005年08月17日
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9時ちょっと過ぎ、旦那が仕事から帰って来た。何と、着替えてそのまま遊びに行くそうな・・。『ちょっと~、そんなんで明日起きれるのーー??!!仕事でしょー!』って言ったら、『はっ?!明日、土曜日だけど・・。』だと。てっきりまた私をだましてるんだと思ったから、ケータイを見せながらこう言った。『なーにバカなこと言ってるの、ホラ見てごらん!今日は・・・・金曜日だ・・・・・。』オーマイガー!!!!てっきり今日、木曜日だと思っておりました。おかしい・・。記憶が飛んでるぞ・・。何はともあれ、つわりがすっかり無くなった今、私は日々、恐ろしいまでの食欲と戦っております。1人分の食事をしても、3時間も経たないうちにまた小腹がすいてきて、食べ物があるとぜーんぶ食べてしまいます。そんなんじゃいけないとわかってはいるんですが、食欲って結構えげつないものですね・・。だって、お腹すいてきたら、悲しくて悲しくてどうしようも無いぐらい惨めになってしまいます。そんなとき、いつもの我が家には熟れ熟れの完熟トマトが常備されているんですが、今日に限って青いのしかなかった・・・。青いトマトは美味しくありません。実は硬いし、甘さもすっぱさも中途半端だし。そこで、冷蔵庫を漁っていたら、インスタントのスパゲティが出てきたので、お昼ご飯の変わりにペロリ。夜は豚そぼろご飯と茶碗蒸しとサツマイモの味噌汁。6時半に食べたんだけど、9時になるとまたお腹がすいてきて、結局ガマンできずに10時に食べてしまった。実は、食べている途中にも、十分なぐらいな満腹感を感じでいるんだけど、目の前に食べ物があるのに・・と思ったら、手が止まらない。もう、一種の義務みたいになってしまって、ガツガツ食べてしまう。まだ3ヶ月の半ばでこの調子だったら、安定期に入ってしまったらどうなるんだろう・・。不安・・。余談だけど、ただいまの時刻午後11時9分。開けっ放しの窓からは、ガキンチョたちが外でキャーキャー騒いでいる声が聞こえる。いくら夏休みとは言え、6,7歳の子達がこの時間まで起きていて、しかも外で騒ぎまくっているのはどうかと思うぞ。
2005年08月12日
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昨日、ここ韓国仁川市では雷雨・・・だった。うちにはルーシーというビーグル(♀ 4歳)と、ルーキーというミニピンミックス(♂ もうすぐ4歳)がいるんだけど、このルーキー、雷にめっぽう弱い。遠くで稲光が光って、かすかにゴロゴロ・・・と聞こえ始めた時点で、もう体の振るえが止まらなくなり、息が荒くなる。こうなると、風が強くふいただけでも、ウロウロして落ち着きが無くなり、しまいには寝室のバスルームに隠れる始末。このバスルームは、アパートの一番奥に位置していて、窓も無いから雷や風の音が全然聞こえなくて、ルーキーにとっては雷雨時の避難所の役割を果たしている。でも、困るのは私がシャワーをするとき・・。昨日、雷がなっているなんて知らない私は、夕方シャワーを浴びようとバスルームに入った。なぜかルーキーがついて来た。『ルーキー、ココにいたらぬれるから、向こう行ってなさい』と、言ってもその場を離れようともしない。よく見ると息が荒く、体がガタガタと震えている。あら、どうしよう。ルーキーがバスルームに隠れていたいという気持ちは、痛いほどわかる。でも、私だってシャワーを浴びたい。『仕方ない、お前ココにいろ。』私は、そう言って、ルーキーに水がかからないように、ものすごく弱い水流でシャワーを浴びた。だって、ルーキーがぬれちゃったら、後で乾かすのが面倒なんだもん。でもルーキーは水に対しての恐怖心が無いので、私の体の下に隠れようとしてもぐってくる。びしょぬれになるのもお構いなしで・・。シャワーの後、ワンコ用の小さいタオルでルーキーの体をくまなく拭いてあげているとき、ルーキーの顔に『ひとっ風呂浴びた後のサッパリ感』が垣間見えた様な気がしたのは、私の思い過ごしだろうか。全く、困った息子だ。
2005年08月11日
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去年はノービザで韓国に滞在してたから、お盆の時期に合わせて日本に帰ることが出来たけど、今年はうちの経済状況を考えたら、とてもじゃないけど日本になんて行けない・・。やっぱなー、独立記念日だからなー、韓国にとっては。すごいんだろうなー。なんか、元水泳選手が、親子揃って例の島まで泳ぐそうじゃない。あれってもう終わったの?それとも、当日に挑戦するの?そんなのとかさー、何の意味があるんだろって思っちゃうよねー、日本人の私としてはさ。日本にいたらさ、夏祭り行ってリンゴ飴食べたり、お盆の当日はお墓で爆竹三昧で、家に帰って冷やし中華でも食べながらテレビ見たりしてさ・・・。やめよっ。これ以上日本のことを考えたら、韓国から脱出したくなってしまう・・。
2005年08月10日
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へへっ。豚しゃぶ食べちゃった。あ、写真撮っとけばよかった・・Σ(ノ∀`)ペチッ今日はお昼12時ちょうどに起きて、ものすごい暑さの為に旦那もろとも、4時ぐらいまで食欲が出なかった。でも冷たくてさっぱりしたものなら食べれるかなーってことで、我が家初の豚しゃぶにチャレンジしてみました。近くにマートが出来たので、旦那と2人で繰り出して、冷凍の豚肉(moksal部分)をものすごく薄くスライスしてもらって、あとは巻いて食べる用にサンチュと、一緒に巻く具(今回はもやし、カニかま、カイワレ大根)なんかを買って帰って来た。あとは~、もやしを茹でて~、カニかま割いて~、カイワレとサンチュ洗って~、豚肉茹でれば、ハイッできあ~が~り~♪ラッキーなことに、うちには日本から持ってきたゴマたっぷりのドレッシングもあるし、おろしがたっぷり入ったお肉用の醤油ソースもあったので、2種類のタレで食べた。旦那も私も我を忘れて食べつくした。旦那は、茹でた肉を冷水に通して冷やして食べるなんていう斬新な食べ方があったのを初めて知ったので、感動していた。夏にはちょうどいいね!また来週もしようよ!!と興奮気味に言い放っていたところを見ると、本当に気に入った様子。私も、久しぶりに心の底から食べたい!と思って準備した料理だけに大満足だった。ただ、豚しゃぶを目の前に興奮してしまった私たちは、ご飯を食べるのをすっかり忘れてしまい、食後1時間しか経っていないというのに、もう小腹がすいてきてしまった。仕方ない、ヨーグルトでも食っとくか・・。
2005年08月06日
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やっとつわりからほぼ開放されたと思ったら、この暑さ。うちは16階だからいつもは涼しい風が吹いてるんだけど、昨日から風がピタっとやんで、うだるような暑さが続いています。ワンコも涼しい場所を求めて右往左往しております。この時期、お腹が大きい妊婦さんはさぞかし大変なことでしょうな~。義理の母親からの『犬をどうにかしなさい!』攻撃で爆発寸前です。こうなったら、『私がかわりに出てってやるよ!』攻撃で迎え撃つしかなさそうです。まったく、聞く耳を持たない義母を持つと困りものです・・。つわりがほぼ収まったといっても、エレベーターやバスなどの密室では、他人のにおいで吐き気を催してしまうので、まだお出かけはできません。一番近い友達の家まで行くのも、バスと地下鉄を乗り継いで1時間かかるので、今の私にとってはまさに命がけです。それに、まだ眠気やだるさが多少残っているので、友達の家に遊びに行っても迷惑をかけるだけのような気もするし・・。早く、このつわりが完全に消え去ってくれることを祈るのみです。
2005年08月05日
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今週初め、私宛てに来た小切手を現金化するために、近所の銀行に行ったときのこと、受け付け嬢の『奥さんは日本の方なんですね~。このアパートにも日本の人が何人か住んでますよ。時々、銀行に来ますから。』と言う言葉を、いつもの『不確かなことを、さも現実であるかのように表現する、韓国人の典型的話術』故のことと話半分で聞いていたら、あらまっ、本当だったのよ、奥様!旦那がワンコの散歩をしていたら、『ホラ、犬だよ~、ナントカカントカ』と子供に話しかける女の人がいたそうだ。旦那は、本当にいるんだ!と驚いたらしく、『ヨギ サセヨ(ここに住んでるんですか)?』と聞いてみたところ、『ネー(はい)』と答えたと興奮気味で帰ってきた。『何で、何棟の何号か聞かなかったんだよー!』と私が言うと、『だって、ちょっと年上だったよ。子供も2人いたしさ~』とのこと。なるほど、ちょっと世代が上なのかも知れないな。でもさー、今、あんまりウロウロ動けない状態のときにさー、こんなにご近所に日本人の奥さんがいるってわかったらさー、知り合いになりたいじゃないさー・・・。だって仁川に住んでる友達の家まではバスと地下鉄乗り継いで1時間もかかるからさー、ホイホイ気軽に行けないんだよー。しかも病院の先生には、出来るだけ安静にしてくださいって言われてるからさー。来週、その1時間かかるところに住んでる友達の家に遊びに行く予定だけど、バスと地下鉄の匂いに耐えられるかどうか・・・・。今日は、オープンしたばっかりのスーパーに行ったんだけど、とにかく人が多くて、人間と食べ物の匂いで何度も負けそうになって、しまいには鼻つまんで買い物してましたから。
2005年07月30日
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今日は病院に行って来て私にも胎児にも何の異常もなかったので、そろそろ潮時だろうと言う事で、旦那の家族に私の妊娠を伝えた。オンマ(旦那のお母さん)のおめでとう~という言葉の後に、やっぱり待っていたのは、『犬を捨てなさい!!』だった。それでまた喧嘩。オンマは『犬は汚い。毛が落ちる。赤ちゃんを噛む。』と言って聞かない。それに対して私は、『ワンコは4日に1回シャンプーしてるから汚くもないし、抜け毛もブラッシングするときにほとんど取れるし、毎日掃除機かけてれば問題ない。人間と一緒に暮らして、人間が大好きな犬が、大人であろうと赤ちゃんであろうと噛むはずがない。』と反論しても聞き耳持たず・・。まっ、いいです。ワンコを手放す気など毛頭ありませんので!大体、オンマの頭にある『犬』って言うのは、普段は家族の残飯を処理し、夏場になるとオヤジどもの精力剤になってしまうような犬であって、室内で生活しているワンコとは違うのだ。コレだからどっぷり田舎の人間はイヤなんだよな~。オンマの世代(60代)だったら無理もないけどね・・。さてさて、つわりのほうですが、今週に入ってからと言うもの、ほとんどその影を見せてない。相変わらず、匂いには敏感なままだけど、それ以外の『突然の吐き気』とか、『めまい』とかそういう症状はほっとんど消えうせてくれた模様。そういった、割と派手めなつわりの症状がなくなった今、私に残されたのはこの異常なまでのサボり癖。まだまだ体がだるいって言うのも少しはあるけど、とにかく動きたくない。洗濯だって、皿洗いだってやりたくないし、実はシャワーですら浴びたくない。そういうことを気兼ね無く任せられる家政婦さんがいる状況っていうのがベストだけど、現実はそんなに甘くないから私が重い腰を上げて何とか少しずつ家事をこなしている状態。しかし、ココ最近、旦那を見直してしまった。旦那だって、掃除とかは好きじゃないはずなのに、私が何か言う前から掃除機をかけたり、ワンコのシャワーをしたり、花壇の水撒きをしたり、床を磨いたり・・・。正直、大丈夫かなー?って不安だったときもあったけど、旦那も段々父親としての自覚が芽生え始めたのかなぁと嬉しくなった今日この頃です。
2005年07月27日
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先週突然、私の元にアメリカから手紙が届いた。開けてみると、500ドルの小切手が!!!!なんと~!去年の5月に卒業した大学からの手紙で、最後の授業料を500ドル多めに払っていたので、それを返金するってさ~~~っ!!まっ、素はと言えば私が500ドル多めに払ったから返してもらうんだけどさ、なんだか得した気分~♪早速、昨日アパートの前にある第一銀行に行って、換金してもらったってわけさっ。でも、旦那がネットで調べたら、外国からの小切手は換金するのに1ヵ月かかるって書いてあったらしいんだけど、それがなんと即日!係りのお姉ちゃんにも、ハイ!手数料を引いた金額を口座にお入れしておきました~って笑顔で言われて、マジ?!って感じで、残金を確認に行ったら、あらまっ、ちゃーんと46万ウォン入ってる~。さっそく10万ウォン引き出して、キョトンカードを充電したり、八百屋のトラックでプラムを買ったり大忙し。いいね~、金があるって♪でも、ネットには1ヵ月かかるって書いてあったんだけどな~。こういう例外なら大歓迎だけどさっ。
2005年07月26日
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どうも~。昨日、久しぶりに体調が良くなったので、コロッケでも作ろうと思ってジャガイモの皮をむいていたら、左手の小指の皮までむいてしまったヨピコです。わが身の不運を呪ったね・・。さて、タイトルの『爪がはがれた』ですが、アレは3日前のこと、布団の中で足を動かしていたら、左足のつま先にちょっと異変を感じた。痛くはないし、かゆくもないんだけど、何か変・・。そーっとその部分を見てみたんだけど、表面的には何の異常も無かったので、そのときはそれで終わった。で、今日。カーペットの上を普通に歩いていて、つまづいた拍子に、また3日前の変な感覚がよみがえった。左足のつま先を入念にチェックしてみると、なんと、人差し指の爪が浮いてるじゃないかー!!脱皮・・?爪の面積の約9割が浮いてる・・。残りの1割がかろうじて爪と、のりしろの部分をくっつけている。こうなったら、9:1だから、1割のくっついてる部分をはがすしかない!と思ったけど、何しろ私は腰抜けなので、9割の部分を爪きりで切り取ることにした。あらまぁ、どうでしょう。切り取った爪のしたに、赤ちゃん爪が生えている。爪の先の白い部分なんて、紙みたいにやわらかくて、ちょっと触ると簡単にひっくりかえったりする。こんなことってあるんですねぇ~(しみじみ)。
2005年07月22日
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