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2024/11/30/土曜日/今日もあつい〈DATA〉出版社 新潮社著者 島崎藤村昭和29年12月25日 発行平成24年6月20日 75刷改版平成28年2月20日 77刷〈私的読書メーター〉〈この小説の主人公、主体は「道」と思う。昼なお暗い木曽路を貫き、歴史を貫き、江戸へ京へと籠も人馬も駆け抜ける思惑の、人の心情、考えも貫く、道。攘夷、佐幕討幕、公武一体、金子に卑しい京の公家大寺の御一行も国学の理想に身を投じる実践家もこの道を踏みしめた。武士階級ではなく村々の庄屋や医家から輩出された彼らは百姓の課役に苦しむ姿を目の当たりにして街道を守って来たからこそ、権力が移るだけの変化ではない太古の自然の一新を夢見た。若き外国奉行山口駿河の忍び泣きも木曽に降る雨に包まれ、半蔵ばかりか道も確かに聞いたろう。〉大政奉還の3年前の元治元年の夏、筑波山の方を両国橋の上から眺める半蔵の姿があった。思いの先には筑波に籠る水戸浪士への恐れ相半ばする共感と同情だ。烈公への忠義を貫き、水戸藩佐幕派との騒乱に敗れた彼らのいる、その筑波山。馬籠は筑摩と呼ばれる地方の西にある。 筑波と筑摩、大波か小波か、その摩擦で磨かれる、或いは消耗されるのは時代か、人心か。参勤交代撤廃で、武家六部、町民四部と言われた江戸市内は空き家が目立ち不景気に襲われ、今や政治の中心も京都へ移りつつあり、家茂もその相談役慶喜も京都滞在を繰り返していた。そんな折、攘夷に血道を上げる長州方が御所周辺でついに戦乱に突入、その影響で京都市内は灰燼に帰したと、江戸の半蔵に当てて平田門人友人から文が届く。前年の四国艦隊爆撃で、太刀打ちできない現実を知り、結局振り切れた長州は攘夷から一転、討幕へエネルギーを激らせ、薩摩と手を結び急進派の公卿らと権力掌握を謀るのだが、それは後日談。余りにも早く時代が展開されていたのである。昨日の敵は今日の友秋深まる頃、ようやく奉行からのお達しを得て急ぎ郷里を目指す半蔵ら。というのも水戸浪士およそ900名が信州街道を抜けて西へ行くという情報が江戸市内を賑わせていた。幕府からすれば逆賊、これを追討するべく街道沿いの諸藩に命令が下る。水戸藩浪士は諏訪松本勢を打ちまかし、西へ西へ、馬籠にほど近い飯田の御関所に近づく。中には素通りさせる藩も。飯田藩とても籠城の構えではあった。城下町は焼き払われ戦乱の巷となっては民はどうか。苦慮した平田門人の北原稲雄兄弟の意見書が飯田藩を動かす。一戦交えず街道を通行させ、あろうことか物心で浪士を保護したとして、飯田藩家老切腹が言い渡されるの事態になった。しかし。幕府、田沼侯は追討軍であるに関わらず、強者揃いの浪士から20里の距離を保ち自らは戦わず。諏訪松本方に加勢すらしない卑怯者が、民を憂えた飯田藩家老を死なせた、とあってはもはや人心も幕府から離れるばかり。幕府のご威光地に落ちて、誠をもつ水戸浪士への同情は、歴史から間も無く消失される武士の琴線にも触れたに違いない。半蔵の述懐する人が激しい運命に直面した時は身をもってそれに当たらねばならない。という声。しかしまた、一藩の任の重さがありながら切腹という事態に陥ったは、強大な権威を振りかざす幕府閣僚の権威を見せつけるためだとも反芻する。かたや帝からは決裁が下りない英仏らへの開港。武力で圧倒しようとする諸外国に外交するのもまた幕府の奉行らである。そのじりじりとしたやり取りの様、よほどの人間力が備わってなければとても交渉はまとまらなかった。人斬りが横行した殺気立った幕末。今現在の我々ではとても武士も奉行も百姓も庄屋も務まるまい。「何でも疑って見なけりゃ兄さんは承知しませんからね」「ご覧な、こう乱脈な時になってくると、いろんな人が飛び出すよ。世をはかなむ人もあるし、発狂する人もある。上州高崎在の風雅人で、木曽路の秋を見納めにして、この宿場まで来て首をくくった人もあるよ」「そんなこと言われると心細い」「まあ、賢明で迷っているよりかも、愚直でまっすぐに進むんだね」何やら下巻を予感させるではないか。慶応三年、すなわち1867年、あくまで公武一和を念じられ、王政復古を急ぐ岩倉公らを諌められた孝明天皇崩御はこのタイミングである。私的には、それで誰が勢いついたのか、そこを平らな目で見るのが歴史の肝心と思う。慶喜は意を決した。朝威を輔け、諸侯と共に王命を奉戴して、外国の防海に力を尽くさなかったら、この日本のことは如何ともすることができないかもしれない。十月十三日、政権返上を列藩に通じ、十四日にはその事をご奏聞に達した。そしてこの大政奉還と、引き続く将軍職の拝辞とによって、まことの公武一和の精神がいかなるものであるかを明らかにした。あたかも高く飛ぶ事を知る鳥は、風を迎え翼を収めることをも知っていて、自然と自分を持って行ってくれる風の力に身を任せようとするかのように。この段、実に素晴らしい描写だ。胸が熱くなる。当時不当に貶められていた慶喜の深い理解者がここにいた。そう思う。今の為政者に求めるべくもない。自分の腹を肥やすものが落ちてないか地面を突いている姿が目に浮かぶ。高いところを飛ぶ力量のある者などいるはずもなく、まして風を知る者など一人もいない。民は幕末の物事が激しく転倒するさなか、ええじゃないか騒動に身を投じる者も多く、殆どヒステリー状況だった。寺仏を焼き討ちする者も後を絶たず今、私たちはどうか。
2024.11.30
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2024/11/29/金曜日/爽やかに晴れ渡る❻手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦もり ¥1080肌寒い雨模様の当日は珍しく並ばず入店最近ではすっかり蕎麦の打ち方も安定して来た。温度湿度、蕎麦粉の具合など調整の鍛錬?いつの間にやら蕎麦は夏新蕎麦から秋新蕎麦へふじやさんでは茨城、北海道の産が多い。ところで。もう少し蕎麦湯を熱くしてくれないかな?冬に向かってどうだろう、このぬるさ。◼️かすった件/えもり渋谷区えー∑(゚Д゚)何となく悪い予感が!的中。わざわざの途中下車の禍い、臨時休業(T-T)うーむ、この度は十割蕎麦注文の予定で口腹共にその設定でマインドが動いています〜間も無く1時とあっては、千歳船橋で十割蕎麦供給のそば一仁は間に合わないだろう。以前1時過ぎに行ったら、本日蕎麦売切れの貼り紙が。思案のすえ、経堂の新しい蕎麦屋で前に十割蕎麦を食べたことを思い出し、そちらへ向かう。もはや蕎麦難民である。❼蕎堂 壮世田谷区せいろ¥900以前食べた時は、十割蕎麦粉が繋がらず、短くちょん切れてすすることが出来なかった。おや、今日はつながっているではないか。九割蕎麦とのこと。なるほど、そこで手を打ちましたか。量は平均の150g玄ソバに近い粉を用いているためか色も濃く、コシが強い田舎風。わさびの量も申し分なく、ツユはやや薄味。蕎麦湯はてらいのない、サラリとしたもの。隠れ家風の店内は小さく静かで、一人で食べやすい。自家製粉です。
2024.11.29
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2024/11/28/木曜日/今日も軽めジャケット日和毎年ながら11月は知り合いの展覧会や発表会の多い月。慌ただしく二つの会場に足を運んだ。◼️自由学園明日館でここは建物を見るだけでも楽しい。連続性の美しさ↓基本設計はライトウォルドルフ人形で有名なが主催されている、スウェーデン羊の詩舎の作品展羊毛の色、ふわふわ感は幸せになる。お母さんお父さんと小さな女の子男の子がワークショップに夢中になっている姿もほほえましい。動物ぬいぐるみの本は絶版になってしまったらしい。残念!私もブタさんを縫いました。娘はバムセと呼んでいつも枕元に。↓奈々子先生の作品。なんて瑞々しいのでしょう。◼️神楽坂パルスギャラリー求心編なる言葉を知ったのは、今年6月のイサガーワークショップでYさんが着ていた、とってもおしゃれなサマーセーターを見たのが最初。それがキュウシン編み。漢字で求心と書く、というのも後日知った。↑この編み方を創作された先生と生徒さんの作品集なんと!展覧会で頂きました。感触!ヨーク編みのような初歩的な作品から、一体どこが編み始めなのかさっぱり分からない迷路のような編み地まで多岐に渡る。残念なことに撮影は禁止。師範でもあるYさんはInstagramに上げていられるので、ここでも小さくその作品を。すごーい!一体どうやったら破綻なく、こんな編み物が仕上がるのでしょう⁈とてつもない時間が掛かっていること、製図が緻密であることぐらいしか理解できません。
2024.11.28
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2024/11/27/水曜日/何ですか、の暑さ戻る今月の、いきなり寒くなった日の夜に、知り合いの知り合いというご縁でヒーリングタッチを受けた。公共施設の机が簡易的寝台に早変わり、居心地よくマットが敷かれ、そこはかとなく穏やかなハーブの香り。明かりは消され、間接照明かキャンドルか?心地よい音楽も静かに流れ、温かい。事前に少しの説明や、痛いところや触ってほしくない所など簡単な質問があった。終始身体には触れない。始めにシーツ越しに、施術者の両の手で、手をくるまれ、足をくるまれ、最後に頭を包まれたくらいが触れた、といえるかな?目を閉じていたのでどういうことが起きていたかは判然としないが、身体から少し離れたところで施術者の手で温められていた印象。いつの間にか気を失うようにストンと眠っていた。目が覚めた時、家だと勘違い。とても短い時間だったはずだが、信じられないくらい深い眠り。一体私はどこに行ってたのだろう。その後、額のあたりに風が吹いてきたような感触とか、内蔵がすごく活発に動いている感覚が残った。小一時間、得難い身体の体験をした。その後3日間ぐらい腸がぐるぐる動いてた。
2024.11.27
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2024/11/25/月曜日/晴れ、初冬の〈DATA〉出版社 中央公論新社著者 藪本勝治2024年7月25日 初版2024年8月10日 再版〈私的読書メーター〉〈平家物語後のリクエストが今頃。本居宣長からご一新の時代を600年遡る。とはいえ、歴史のダイナミズムよ。黒船来航と蒙古襲来、度重なる自然災害、帝を頂点とする都人の興亡、鏡映し。幕府の正史であれば民衆宗教語らず、されど新仏教、新興宗教と世情不安の折に栄える。著者曰く「蒙古襲来という未曾有の事件」は東海の小島の我らご先祖さまを震撼させ、上から下まで「寄って立つアイデンティティ」の補強なり創設を促した。本願は権力者の正当性だが、その仕付け糸を解けば異なる紋様を目の前に展開させ、解く前から想像力裏打ちの知性を説く。〉潤色、曲筆という言葉がリフレインされる。著者は灘高国語教師である。ナイーブな歴史甘受を戒める。知性は反権力モーメントで時代を平衡するのであるなあ。自己の肯定に資する情報を選択的に信じようとする我々自身の姿に対する自覚を促す。覚園寺の開基目的は異国降伏だが、その裏の貞時の意図は得宗家の先祖義時を追慕するため記念建造に絡め、源氏将軍時代に遡り、その正当性を語り直すこと。泰時と貞時の徳政フィクションは韻をふむ。頼朝の奥州合戦は幕府の強い影響力が奥羽に及んだ、また泰時の承久の乱はそれが京都に及んだ画期。そんなふうにメリハリが効く。幕府の西国出先機関、六波羅探題東海道、東山道、北陸道頼朝以来幕府と密接な関係をもつ諏訪明神の助力宇治川渡河の合戦で名を馳した春日貞幸、彼は諏訪氏某系、諏訪明神に加護されたと神掛かり義時と比企家の姫の前の間に生まれた長子、名越朝時、極楽寺重時兄弟はなぜ義時を継げなかったのか。実家では名越を祖とする過去帳があるというが、はて。あまり褒められた人物でないのが曲筆抜きではどうか。時宗の母は重時の娘なので、執権北条とは何かと寄り合っている。頼家、実朝の悪王化も度を越している。実朝暗殺を三浦義村とする魅力的な解釈が永井路子から出たが、今は公暁とその一味の単独が通説という。後鳥羽院の祟りこそ仏教繁栄のよすが。権力者は祟られる。その自覚がある、脛のキズどころか。
2024.11.25
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2024/11/22/金曜日/季節は冬へ、の小雪↓ブロッキング中お嫁ちゃん親族が大勢で日本観光に。中にはご高齢のおばあちゃんも!それに合わせ、冬を知らない方へのプレゼント兼タイでも肌寒い場所で使えるようにと考え、結局8月に編んだショールと同じ糸で、先行の反省を活かしつつ編んでみた。↓この糸に関わり始めの季節この2本のコーン巻とのお付き合いは8月半ば過ぎから始まり、延々と続く。小さいショール、スカート、七分袖のチビセーター↑雲も風も水もお日さまも、巡り動くよそれでとうとう。リストウォーマーを編んだら糸もここまで細った。↓最後の萩の花が寒そうになりつつ、の少し前↓元はこんなに福福しかった!その身を削って役立ってくださいます。糸さん、ありがとう。消しゴムさんありがとう。ところで!地域の施設の手芸クラブでアテンドしてくださってるステキなお若い職員さんも実は編み物フリーク某ブランドで7万なりのキャミ、手が出ない彼女はそのデザインを目に焼き付けてなんと再現してしまった!すごい!オシャレ、似合う!眼福でござります。クロシェとニットの合体!欲しければ作れば。を合言葉に私もせいぜい励みます!オス!↑今年6月のTversted のイサガーブティックで見たキャミソール。彼女に教えてあげよう。
2024.11.22
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2024/11/20/水曜日/本日の最高気温8度!影向寺と書いてヨウゴウジとよむ。正しくは、威徳山 月光院 影向寺 薬師三尊像が十日まで見学できるれる聞き、好天に恵まれた中、散歩がてら出かけた。ここはなかなかの古刹である。寺縁起によると夢告を受けた聖武天皇が、目を患った光明皇后のために、この地に行基を使わし祈願させたところ平癒したという。それで翌年お堂を建てたのが始まり、というもの。ところが発掘調査で、その起源は百年近く古い、7世紀半ばから後半には既に古代影向寺は既に創建されていたという。今は江戸時代に再建された薬師堂に前立仏がいらして、ご本尊の薬師如来さまは、その裏の庫リに保管され、折々の記念に開陳されている。薬師瑠璃光如来印象は、お顔の優しさの割に身体は奈良時代の仏像のようにがっしりとしていること。古代と平安時代が混ざり合っているような。角度によってお顔も変化する。説明では11世紀後半の制作で、おそらく地元では武州の仏師の手によるものだろう、とのこと。この仏さまの中に胎蔵仏があったそうでそれも展示されている。仏像制作を発心した女人像であろうか。展示には胎内女神像、とある。青銅器文明、すなわち、お互いを殺戮するような武器が発明されるまで、人類信仰の対象は女神であった。生命を産み出す女性が畏怖の対象であった。そのことを考慮すれば、菩薩の胎内に女神像を宿しているのは歴史認識に即している。しかし、もう一体、これは明らかに仏さま。女神像よりだいぶ小さい。薬師如来はお一人ではなく、日光、月光の菩薩さまを脇に従えている。お顔の感じは如来に近く、身体はほっそりとした立像で、背後には十二神将立像などの眷属が控えて迫力がある。これらも平安後期の作。力のある新しいであったことが理解される。寺内には太子堂が新築なって、中に南北朝時代、14世紀作の木造聖徳太子立像が安置されていた。小さいながら非常に優れた太子像で、こちらもお堂に合わせ修復されたらしく、何というか近代的ともいえるようなお姿を見せている。
2024.11.20
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2024/11/18/月曜日/昨夜は蚊に悩まされる!❸ 手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 もり ¥1080並ぶことが当たり前に。いつもの十割、蕎麦産地案内が九月のままそろそろ新蕎麦じゃないの?と聞くと早速厨房に尋ねてくれる。今日から新蕎麦とか!なら、夏新蕎麦の案内を替えるなりしてほしいもの。コシあり十割、ツユも濃いめで量もたっぷり。よそで食べてはここに戻る、こちらふり子。❹蕎麦おさめ ← 空振り新宿区下落合 最寄り目白駅100%予約。コースのみ、因みに昼¥5500ふらっと寄れるお店じゃなかった。玄蕎麦に惹かれたんだけどねえ。にしても、注文の多い蕎麦店。で、仕方なく街の蕎麦屋典型のような⑤さんへ。⑤吉祥庵 目白店 初訪問豊島区大モリ ¥980新蕎麦、二八。モリは140gと聞いて、大モリを注文。小麦が入ると気のせいか甘みの印象が強くなる。十割はもっとほのかで清潔感を覚えるのは香りに引っ張られるから?蕎麦はまあそこそこ、としてツユが出汁の香りが少なく甘めで残念。2階、小さめの店内は落ち着けるけど。
2024.11.18
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2024/11/17/日曜日/はれ横山大観記念館は不忍池西、岩崎邸の北、東大附属病院の東にあり、ゆったりしたよい土地柄だ。上野に出かけた折、少し足を伸ばして自宅兼画室の旧宅を見学した。↑こちらは要人訪問時の正門↓二間構えの、数寄屋振りの玄関は料亭でもなければ旅館でもない、住居である、何かを志す者の住まう所である、が一目で分かる。品性が伺われる。お代を払い見せて頂く観覧者は、しかしこちらから入るのである。こんな企画展が住まいの一画で催されていた。大観は本来建築を志したのだ、とか。この住宅にはそんな彼の志が垣間見える。撮影は2階の画室のみOK ここで大観は画を描いた。なんと清潔なことだろう。↑ビデオから。財界人、文化人、大使ももてなしたサロン鉦鼓堂は中左。↓パンフレットから。床に掛けられているのは霊峰飛鶴。見る角度で鶴の輝きが変わる。照明器具も大観のデザイン。ノエミ・レーモンドが彷彿。同時代。しかし、この部屋で私の目が吸い寄せられたのは不動明王像だ。素晴らしい。大観はこの像のために、サロンを作ったのではないだろうか。壁に繰り抜かれた厨子に鎮座する。硝子面が無粋、当初は無かったろう。明治41年から昭和33年に没するまで、戦災で全焼した後、ほぼ同じに復元しここで暮らした。
2024.11.17
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2024/11/15/金曜日/晩秋から初冬の雨風景が心の糧になる尾瀬ヶ原東電小屋辺りから青空が見え始めた。ヨッピ川の水面が朝日にきらめく。↓これは池塘に映った空である。なんとうつくしい交通要所の牛首まで来たら、もう尾瀬ヶ原は残りわずかになりつつあるのだ。おや、至仏山にかかる雲が見ている内に腫れ上がってゆく。撮影していると向こうから大きな荷物の歩荷さんが。朝の挨拶をした後に声をかけないのがマナーだと娘に注意される(´;Д;`)撮影をするのは大丈夫らしい?腕を前に組んで俯きがちに足元を見ながら歩く菅田が近くなり、遠ざかっていく。見晴まで運ぶのか。昔日の歩荷は200k近い荷物を背負って山のガレバや渓流をとんでもない早さで歩いたと聞く。そうやって黒部ダムだってできたのだ。歩荷さんは燧ヶ岳ヒウチガタケに向かって小さくなっていく。ここ尾瀬ヶ原で二つの日本百名山は対峙するように向かいあう。その山容から至仏は女性、燧ヶ岳は男性に例えられるのだとか、これも娘から教わる。↑逆さ燧ヶ岳の撮影スポット風景に見惚れながら娘の写真を撮影してしているとまたまた歩荷さんが。あら、画像に入っちゃった。すみません!というと、なんとニコニコしながら、写真、一緒に撮りましょうと言ってくださるではないか!早く早くと娘をせかして一枚パチリ尾瀬で有名な、ホトケの五十嵐さん、であった。彼と仲良しのユーチューバぽっかのまーくん、の話なども娘から教えてもらう。ステキなプレゼントを頂き、気分は上々。次の休憩地、山ノ鼻ではお待ちかね、花豆ソフトクリームを食べるのだ!山ノ鼻は別荘地のような賑わい。これから見晴辺りまで日帰りハイキングのような軽装の人が沢山。うっすらアズキのような味わい、優しい甘さ。ほぐれる〜一本だけ、みごとに紅葉。ここにはビジターセンターがあるので、目にした💐の名を再確認。小動物には出会えなかった。幸いにクマにも。この後は少し山の中を上り下り歩いてお昼前には鳩待峠に辿り着く。お土産屋さんでぽっかのまーくんは養蜂家でハーブ栽培、加工もしていることを知った。すごい!まーくん、天晴れこれからのモテ男子のライフスタイルだねえ。あ、でももう結婚してるって。一泊二日のハイキング終了また来年ぜひ来たい。そうそう、尾瀬ではなぜか楽天モバイルが絶好調で他のキャリアを羨ませたのも心地よい。こんなケース、レア過ぎて笑
2024.11.15
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2024/11/14/木曜日/曇り空① ゆき庵 台東区ここではお昼に出される海鮮丼が出色。 しかし12時では既に終わってる。それが食べたきゃ、開店同時に入る勢いですよね?と聞くと、そうねえ日によっては二つくらいしか用意できない時もあるって⁈もちろん本日も食べ損なう。もりにする。180gあるというから十分。800円、ありがとう。しかし二八。喉越しよし、ツユは好み。聞くところによると田舎蕎麦は十割らしい。次回また海鮮丼が外れたら十割にします。② えもり 渋谷区 初訪問知らなかった。代々木上原はたまにお蕎麦で立ち寄る駅なのに!この駅ではここが一番私好み。新蕎麦は来週からですとー残念だけど、せいろ十割、嬉しいな。蕎麦粉だけで面に延ばすのは難しい。蕎麦打ちを教えてもらった時、蕎麦粉だけて打つ時は水と空気でつなぐので、ともかく手早く空気を含ませると聞いた記憶があるが確かだろうか?なので?水分多めにして繋ぎやすくするのだろうけれど、その塩梅が難しい。また水もちのある十割蕎麦は独特のヌメリ感?が増す。それとは逆に、すごく歯応えがあって、翌日の餅の如き硬い十割蕎麦もある。そこまでいくと、喉越しが懐かしくなるのである。当店の蕎麦は前者に近いややユルだが、ぎり、コシも保つ。いい塩梅である。ネギなど余分なものは無し。本わさびのみ、というのがキッパリしている。私的に許せるのはネギまで。でも実はワサビだけの方がうまい。本当に蕎麦それ自体がうまければ。オロシやゴマは蕎麦湯で割って飲むときに頂く。なので当店のようにワサビだけ、というのは新鮮意外や深鉢。量も160gはありそう。せいろ、千円。代々木上原でお蕎麦を食べる時はここにします。
2024.11.14
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2024/11/13/水曜日/少し暑くなるらしい晩秋お風呂開始時間から少し経って行くと既に浴槽前に三人待ちだ。脱衣カゴが満杯になると浴室前に並ぶのがルールみたい。浴槽は小さめが二つあるので、8人くらいいけそうだけど、セーブしてくれていて落ち着ける。お風呂で手足を伸ばせる有り難さ。韓国人グループの方も説明に耳を傾け、それでもいいじゃないとばかりに仲間に入るよう促す人、笑って待つ人、それぞれ。韓国人グループとはハイキング中に沢山出会った。どうやら韓国で尾瀬がブーム?私なんぞが知らない日本の良いところを海外の人の方が知ってる時代なんだろう。宿には小学校低学年くらいの子どもたちや若い親御さんも数組。子どもらは元気いっぱい大騒ぎだったり、疲れたのか不機嫌気味でも、宿で働く人にきちんと挨拶する。自然を大切にすることも身についている。眩しいなあ。親から子へ、山の楽しみがリレーされていく。夜は早々と床につき、朝は一早く食堂に降りて、普段以上にご飯をしっかり頂く。お昼ご飯を鳩待峠の食堂で食べる予定。見晴十字路から西北へ、東電小屋をとおりヨッピ川沿いに尾瀬ヶ原を一周するルート7:00 小屋を出る。尾瀬ヶ原にはモーニングデューが降りている。徐々に霧が上がり始める。霧がすっかり腫れ上がり、9月末なのにアケボノソウが姿を見せてくれた。
2024.11.13
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2024/11/12/火曜日/日差しが暑いニットでお世話になっている西村先生も出展される、編み物師範の先生方8人によるフリマ主催は大魔女の丸山先生初日の昨日、仕事を早引けして訪れたら既に作品がまばらな感じ。お昼頃、小さなギャラリーが人でいっぱいで動けないほどだったらしい。私は残りものに福あり、で布とニットのキャスケット↑帽子デザイナーの福井章子先生作品。デンマークの伝統的なケープ↑望月先生もイサガーワークショップでご一緒(^^)クロシェケース↑古谷美智子先生リストウォーマー↑やれやれ西村先生の最後の一点!ユニークなデザインです。感覚的にはケープ一つ買えない価格で全部購入した感じ。とってもお得!あまりに商品が無くなり、再度先生方に緊急取り寄せするらしい…何より先生方のニット編み地はしっかりした、淀みない手の運びを感じさせる。うーん、遠い目標だー↓西荻窪のギャラリーステラさんで
2024.11.12
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2024/11/11/月曜日/午後には晴れ間竜宮小屋が見えて来た。この辺り、尾瀬歩きの交通要所だ。私たちはトレッキングシューズのストック持ちだが、この辺りのみを日帰りハイキングらしきの人たちはスニーカーの軽装。老若男女が俄然増える。竜宮を直角右へ、今夜お世話になる弥四郎小屋へ向かう。この辺り、地名どおりに広々とした平野、気候も丁度よい具合でみなで気持ちいいねえ、を繰り返す。真正面に、本日のお宿。ダークチョコとペパーミントグリーンが愛らしい。随分大きな建物、これが満室。中央の大きな階段を上がった、ワタスゲが私たちのお部屋。八畳くらいの和室に三人で床を延べます。荷物を置き、お風呂まで時間があるので、3時のお茶をしに、隣接の尾瀬小屋へ。尾瀬小屋に行く前に弥四郎清水、冷たく凄烈なお水が飲める。尾瀬ヶ原の美しさに魅せられ、清水の湧くこの地に川漁師の橘弥四郎さんが初代山小屋を建てた聞く。魚を求め川の上流へと渓谷を行けば、幾らでも美しい風景が眼前にあったと想像される。それでも尚、尾瀬ヶ原の美しさが格別だったのだ。自然に生きる人の美の享受、高尚な気分もどこらやら。尾瀬小屋のカフェメニューが素晴らしい。美味しい!鳩待峠からここまで歩荷さんが背中に背負ってやって来る事を考えれば、とてもお安いと思う価格で提供されている。ビールの向こうには尾瀬ヶ原。最高だ。
2024.11.11
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2024/11/10/日曜日/曇天この辺りから池塘チトウが現れる。鳩待峠から4キロ、尾瀬のイメージの木道続く高い所に台地が開けて見晴らしがひろがる。曇天につき、強い日差しが遮られ歩きやすい。アヤメ平まで来る。とても好きな風景だ。なんとなくアイルランドが思い出される。共に泥炭の沼がある。わずかに葉紅葉が始まっている。ゆっくり風景を愛でながら歩く。あー来て良かった。アヤメ平を抜けて富士見峠までの道は、今までの景色と打って変わり、ここが随分な高度であることを認知させる。絶景かな。天気の良いときは文字通り富士山が見えるのだとか。そこのスポットでお昼ご飯タイム。おむすび、ゆで卵、ぶどうなど。とにかくゴミを最小にする。少し休憩なったところで、これから今回尾瀬歩きの難関?中級者向けの道を竜宮まで辿る。高度ほぼ1900m地点から1400m地点までの500m分を4.2k下る。2時間目安。↓サルノコシカケ?ナメコみたいな色とヌメリの美味しそうなキノコが共生中急な下り坂を適切な石を踏んでは降りる。これは上りは辛い。こんな道標を見ると、やれやれ。クマ目撃!こんな開けた所をゆうゆうと横ぎるとはこの先、竜宮。雨も心配されたけれど、少し薄日もさして予定より1時間も早く山小屋に着けそう。
2024.11.10
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2024/11/08/金曜日/穏やかな初冬九月末に念願の尾瀬歩きを楽しんだ。知人曰く、秋の尾瀬が最高。新宿バスタから尾瀬戸倉←尾瀬の上り口である鳩待峠までマイカー禁止のため、尾瀬を目指す人はここでマイクロバスに乗る。今回の私は、高崎で前泊して娘夫婦の車に同乗し、やはり尾瀬戸倉近接の大きな駐車場にパーキング。ハイシーズンでないためか早朝のためか、駐車場は空間が沢山あり、それほど待たずにマイクロバスにも乗られた。東北や関西方面のナンバーも。予め券売機でチケットを買い、順ぐりで人数調整しながら乗車する。30分ほど揺られて鳩待峠のバス発着エリアへ。これ以降トイレは有料、宿においても凡ゆるゴミは持ち帰ることになる。トイレ用小銭も用意。↓鳩待峠小屋は新築なるらしい。小屋の裏方から細く急峻な登りがいきなり始まる。私もついて来れるよう娘が考えた、この度のルート鳩待峠→アヤメ平→富士見峠→竜宮→見晴(山小屋宿泊)翌朝、山小屋を出て、見晴十字路を北上、東電小屋をすり抜けてヨッピ川と付かず離れず、牛首分岐から山の鼻へ寄って鳩待峠へもどる。これから紅葉が始まる、あと2週間で山仕舞いというところ。でしたが。尾瀬は素晴らしかった。沢山の人を惹きつける、ということがよく分かった。また是非訪ねたい。今回は寄れなかった所も見たいけれど、何といってもアヤメ平から富士見峠の景観の素晴らしさ。思い出すたび、クマ避けの鈴と共に心の鳴る尾瀬
2024.11.08
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2024/11/07/木曜日/もう立冬〈DATA〉出版社 幻冬舎著者 柴田哲孝2024年6月20日 第1刷発行2024年7月27日 第8刷発行〈私的読書メーター〉〈フィクションというよりは仮説、英語でハイポシーシス?オリジンラテン?な小説か。政治家暗殺は歴史事件と見なす時代を安楽に生きていたら石井紘基さんや赤報隊事件にぶつかり、背筋を冷たいものが流れるような感触を覚えたものだった。戦前からミャクミャク←大阪万博やあらしまへん←と繋がる何やら禍々しい実体は敗戦で消滅するどころか、岸、安倍三代に絡みついて養分をやり取りする奇態な生命の如し。真実を口にして消される、そんなことが罷り通るのか。報道の自由度72位、甘んじるのかわれら。知識人がまともに皇室を論考しないツケも。〉扉を開くと目次。次に開くとタイトル。次に開くと 「この物語はフィクションである。」の断り。更に開くと 序文 十二単みたいな作りの果ての序文を読んで、私なんぞは鼻白らむ。しかし、朝日新聞阪神支局襲撃事件のプロローグで引き込まれる。またあの事件をなぞらされる。あれ以来日本から徐々に報道が変化し後退しているではないか。誰だって命は惜しい。ましてや暴力的に奪われるなど恐怖以外の何物でもない。だからこそ警察も検察も何としても犯人を挙げて、法の元に裁いてほしい。しかしそれができなかった。できなかった?もちろんこの事件だけではない。薮入りの事件被害者のご家族の事を考えるといたたまれない。著者は統一教会犯行説をほのめかす。そして第一部へ。本編は意外なシーンから始まる。新しい元号、令和を掲げる原官房長官。とあるのは菅氏のことだ。固有名詞である姓名は変えられているが、文中生じている社会の動きはそのまま日本の現代史だ。そして当時の総理といえば その3年後に‘’暗殺"された安倍首相だ。本文中の彼の名が何と驚いたことに 田布施、である。これは田布施システムからの転用だろう。そうしてみると、安倍元総理を麗々しく持ち上げた序文こそフィクションだ、と作者は言ってるように感じられるではないか。転倒している。しかし田布施システムまで行き着くと、明治以降の日本が根こそぎ転倒する。長州人、おそろしや。現弟宮家がどこの血筋だろうと、明治以降、ハナっからそんなものありはしなかった。という顛末を迎えてしまう、そのシステム。もの言えば唇さむし。
2024.11.07
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2024/11/07/水曜日/もう冬立つ当日券はなし。人気者だ。大ホールが彼一人で埋まる。噺家独特の、のんひゃらりんみたいな足取りで高座に着く。サービス精神も豊富で枕が長め、これがまた面白い。オオタニ選手をディスって笑いをとるたぁ、いいねえ、そのディスりがどこか心優しいンだなあ。ツーと来てルッ止まるっ声色と半座立ちが、何というかドリフとか吉本漫才を子どもン頃に聞いて育っちゃったフリで、客席もそうだし、打てば響く。夢見の八兵衛これ、久本雅美サンがTVでやらなかった?ドギモ抜かれましたけど。あ、エクソシストだったかな?大家と店子のおばあさんと、抜作八兵衛とぶら下がりのホトケと。一人四役で見事な芝居を見てるような。うどんやホトケが出て来たところで、数年前亡くなった柳家小三治が得意?にしたこのネタへ続ける。こんな所が愛される所以なんでしょう。うどんをすする芸がそれは見事で、今度は蕎麦が見たいねえ。
2024.11.06
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2024/11/05/火曜日/秋はやって来た〈DATA〉出版社 新潮社著者 藤岡陽子昭和29年12月25日 発行平成24年6月20日 91刷改版〈私的読書メーター〉〈本居宣長関連で続けて本書の引用あり。寄り道気分が引っ込む程に重要な読書である。これから先の分量に一体いつになれば宣長その人に辿り着けるのか。日暮れて道通し。木曽路も幕末もまた暗夜の道の如し。安政の大地震、黒船来航、桜田門の変、尊王攘夷、和宮降下、公武合体、江戸で京都で或いは伊那谷で時代が沸騰する。有意な若者を熱狂させる平田神道に藤村の父がモデルとされる半蔵もまたその門人となり、惟神の太古が信条思想である。にも関わらず父の平癒願いの御嶽参籠。宿で、篤胤『静の岩屋』の一文に吸い寄せられた半蔵、はてどうなる。〉
2024.11.05
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2024/11/4/月曜日/小春日和30余年、この辺りを徘徊している。こちらは近所に関わらず初めてやって来たのは 片山健さんの油絵が見たくて。八ヶ岳小さな絵本美術館とあるので、ここが絵本作家のさとうわきこさんの私立美術館とはツユ知らずいつも通り過ぎていた。小淵沢周辺の似たような施設が入場料のわりにぴんと来る所が少なく以後、絵本と名のつく施設を避けていたきらいもあり。ところがこちらは違った。ランドスケープを活かした施設は子どもも大人もついワクワクしてしまう楽しさと明るさがある。施設内には、こもれり浸れる図書室があり、さとうさんの収集絵本が惜しげもなく手にとれる。絵本の名作が揃っているので、小さな子どもとゆっくり一日楽しめるだろう。館では読み聞かせも。今年は随分沢山の児童書に係る人が亡くなったが、さとうさんもその中にいる。聞けば、さとうさんは岡谷に住んでそちらにも美術館があるそうだ。何と武井武雄美術館のすぐそば。お二人で切磋琢磨されたらしい。さとうさんが東京から岡谷に住まいを移されたことは、幼い頃に体が弱く、療養のため武蔵野に移り住み、手付かずの自然に心身が健康になった原体験がある事も当美術館で知った。主なきあと、私設の美術館はどうなるのだろう。心配をよそに館長さんはじめスタッフのみなさんは存続の工夫を凝らしながら、素敵な企画や展覧会を発信している様子。年会費一万円で、館長自ら手もぎの敷地の林檎付き!心惹かれますねえ〜他にも面白そうな企画が沢山さて、片山健さん。彼はゴッホが大好きなのに、油絵の具の匂いがダメで、好きになれなかった、なんていうエピソードを読みながら、絵本と油絵をゆったり眺める贅沢さそんな時間がここにある。わさわさしていない。片山健さんに実にふさわしい。絵と共に絵本を子ども用のちいちゃい椅子に展示しているのもほのぼのする。油絵を観ていると、我が子はもちろん自分の中の子どももとても愛おしんでいることが分かる。それを引き寄せてくれた奥さまへの崇高な感情も福音館HPで読める、長谷川摂子さんとの対談からはそのまんまの片山健さんが現れている。
2024.11.04
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2024/11/03/日曜日/晴れる。田中一村。小さな画集が我が家にあって、いつかは奄美で、と願っていたのだが、上野に来てしまった。観たい展覧会もいつの間にか終了、ということがママある。そんな訳でとりあえず予約を入れたのだったが、ようやく金曜日に行くことができた。館内は平日午前に関わらず、団塊世代と思われる年代の方がたで混み合っている。意外に修学旅行生の姿も。女性のおしゃべりグループとリュック姿で前を横切る男性に閉口しながら、主に心惹かれるもの、観たいものを中心に立ち止まる。これだけの規模の回顧展は初めてであるらしく、初公開作品も幾つも見られた。出品は311点、足かけ60年にに及ぶ。一村は恐ろしく早熟な画才の人だった。ピカソの幼年時代と共通している。一村の父親は彫刻家、ピカソの父親は宮廷画家。いわば職業技芸家の親元で英才教育を早くから強いられた。そしてそれに二人とも過分に応えることができた。何の屈託もなく描けた少年期を経て 、描けてしまうことへの幻滅をかこつ青年期の葛藤が両者にはあるように感じられるのだ。。様式美から芸術へ、工人から一つの魂へ。そんな道程が二人から伺えるのだ。芸術という新領域が革命的に振動したヨーロッパと異なり、日本画の世界は師匠の筆を継承することが重んじられた近代。没個性。その違いが二人の絵師にはあったろう。一村の道はより険しい。一人は金も名誉もほしいままに、一人は貧しさの中に。もちろんどちらが幸福であったかは他人には知れぬこと、だ。自分がこれは!と思うものが周囲から評価されないもどかしさ。カメラに新しい表現スタイルを見出して、当時の日本最南端、奄美に赴く。彼の被写体である姉の美しさ。彼女の死に顔のスケッチ。姉は一村のミューズならん。染色工場で賃労働をしながら画材を買い寄せ、自身の表現を極めていった。奄美で見出した彼の芸術の上に、私はなぜか「戦艦ポチョムキン」のモンタージュ理論の実践を見る思いがした。まるでカメラアイが捉えたようなスケッチの連続、それら奄美の自然のアイコンのモンタージュ。確かな、を超える超絶技巧な筆使いが、見るものをして呼び起こす感情。一つの到達点「閻魔大王えの手土産」コノ デモーニッシュ コソ
2024.11.03
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2024/11/2/土曜日/一日雨です〈DATA〉出版社 光文社著者 藤岡陽子2023年7月30日 初版第1刷発行2023年9月30日 2刷発行〈私的読書メーター〉〈著者の『手のひらの音符』を読んだ年に学校司書を辞めたことが思い出された。長江優子さんの味わいだなぁ、こんな作家が続くのだから子どもたちは大丈夫と安心させられたのだった。子どもの問題は須く家族、家庭の問題なのだ。その事を子どもと大人の両側から老いと死も含め描く。人の命ばかりか北海道の獣医大を舞台に動物の尊厳や酪農経営の問題、新たな医療研究、或いは鳥、草花に至るまで作者の目は行き渡る。本気で生きているかと読む者に問う。人は人によって人になっていくが、その軋轢もある。動物バディがどれだけ私たちを慰めることか。〉花言葉❶ナナカマド 「私はあなたを守る」❷ハリエンジュ 「頼られる人」❸ラベンダー 「不信感」❹マリーゴールド 勇気だね、勇気❺クリスマスローズ 「私を忘れないで」❻白のガーベラ 「希望」*母への供花❼シラカバ 「あなたを待っています」*祖母チドリの遺言と残雪が語る『大造じいさんとガン』❽リラ 夏の時期に翌年の花芽を育てる*祖母チドリの遺言「もしなにかあったら、おばあちゃんが必ず助けてあげるから安心しなさい」
2024.11.02
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