非常に綿密に出来たストーリーですが、一つ、引っかかった部分がありまして、それが 「ロボットは人を殺せない」という設定でした。と言うのも、実際には、 現実の世界では、ロボットやAI兵器は、戦場で、ガンガン人を殺している からです。
もっとも、この現実との乖離は、浦沢氏の着想が悪かったからじゃなくて、そもそも、 手塚治虫 氏の描いた原作マンガ 「鉄腕アトム」 が、すでに そう言う設定なのでした。そして、「鉄腕アトム」の設定は、ロボットSFの権威・ アシモフ の考案した 「ロボット三原則」 に準じているのであります。
なぜ、SFの中のロボットが、「ロボット三原則」の 「ロボットは人間に危害を加えてはならない」を厳守できるのかと言うと、それは、多分、これらのロボットが、 そのようにプログラミングされている か、 制御装置のたぐいが組み込まれている からなのでしょう。
にも関わらず、 人を殺せるロボットが現れたから、「PLUTO」の作品内では、深刻な問題にされたのだとも考えられそうなのです。
普通に考えたら、人を殺せるロボットと言うのは、 最初のプログラミングの時点で殺人を許可されていた か、あるいは、 制御装置が壊れていた と言う事になるのでしょう。
しかし、そうじゃないのに、人を殺せるロボットがいたとすれば、そのロボットは、 自我がプログラミングや制御装置すらも超えていた と言う事になります。つまり、 その電子頭脳は標準のロボット以上の域に達しており、人間とも同質だったと言う事になるのです。
大体、人間自体が、生物の中では、かなり特殊な存在なのであります。 生物の本能には、自殺的行動はあっても、明確な自殺 (死なせる意図で、直接的に自分に暴力を加える行為) はありません。 それでも、 自分の意思で自由に自殺ができるのは、人間だけなのであります。 人間の知能、自我は、神が与えし本能をも超えている のです。
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