そこからなかなか脱することができなかったが, 何とか落ち着いたので覚え書きとして書いておく.
入江悠監督作品『あんのこと』は香川杏 (河合優実) という 20 代の女性の物語である.
杏と母親の春海 (と祖母) は団地に住んでいる.
父親はいない. ごみだらけの部屋の様子は明らかなネグレクトを示す.
春海は, 杏が体を売って稼いだ金をよこせと詰め寄る. 挙げ句にキレて暴れる.
杏を取り調べたことをきっかけに助けようと尽力する刑事の多々羅 (佐藤二朗) と, その友人で同じく彼女を支える週間誌記者桐野 (稲垣吾郎) を軸に話は進んで行く.
映画の序盤から, この杏の母親と刑事の多々羅を見るのがしんどかった.
自分は多々羅のような男とかつて一緒に仕事をしていたことがある.
声が大きく義理人情に篤い. 善意と義務感のひとである. 仕事もできる.
しかし恫喝と面罵で部下を従わせ, ひとの領域に平気で土足で入り込んでくる.
一緒に仕事を始めた当初は自分も仲間として受け入れられたが, 無能であることがわかってから変わった.
直接または電話・メールによる恫喝や罵倒, 強引に恩や負い目を押し付けられて上下の支配関係が築かれていった.
杏の母親は一緒に歩んでいた当時のパートナーに重なる.
生活の中で, 普通の人なら当たり前にできることさえ自分はできないことがわかって以来, 日常的に罵倒され暴力を振るわれるようになった.
罵り, 殴り, 支配しようとした.
これらに堪えられず自分は連絡先を断って逃げ出し, 現在も隠れるように生きている.
自らの愚鈍から生じた結果だが, 世界にはそういう何もできない人間がいるのだ. 逃げる以外ない.
映画の後半で, シェルターの中で隠れるように生きていた杏が, とうとう母親に見つかってしまうシーンがある.
どうやっても逃れられない. 恐怖を感じた.
ある日, 家を出たとき誰かに待ち伏せされていたりはしないだろうか.
ある日, 郵便受けにいきなり裁判所からの告訴状が届いてはいないだろうか.
自分はそのような不安と恐怖の中にいる. 他人事ではない.
映画の中盤では, 杏の生き直しが描かれる.
シェルターへの入居, 老人介護の仕事, 薬物依存の自助グループ, 夜間学校, そして多々羅や桐野からの応援と支え.
生活に希望が見えてくる.
杏は売春を止め薬も断ち, 介護の仕事をし, 自助グループで発言するようになり, 夜間学校に通って勉強し, 多々羅と桐野と一緒に温かい食事を食べる.
彼女は, 世界には色や輪郭があり奥行きがあるということの喜びを感じたに違いない.
環境はひとの生を変える.
だが後半になって物語は暗転する.
多々羅が自助グループの女性メンバーとの関係を桐野の記事で報道され, それをきっかけに逮捕される.
コロナ禍に陥ったことで, 老人介護の施設が杏を含む非正規職員を雇い止めにし, 夜間学校も全面休校になる.
杏の社会との繋がりが無くなる.
心を支えているものがいきなり消えてしまう状況は, そのような環境に支えられている者には堪え難い.
かろうじて杏を世界に繋ぎ留めていたものは, シェルター施設で彼女の隣に住む女性から緊急の事情で預かった幼児だった.
だが母親がとうとう杏を見つけ出し, 元の団地に連れて帰り, 子どもを強引に児童相談所に預けてしまう.
そして絶望的な結末に至る.
この作品の結末は見る者への問い掛けにもなっている.
救いとは何か? 救いはあるのか?
自分はまだ答えを持っていないし, 果たしてそのようなものを求めていいのかどうかもわからない.
しかし確かなこととしてひとは回復する. ゆっくりとだが進んで行ける.
杏は果たして「私はここまでやった」と一度でも思えたろうか.
自分にとって過去の記憶を堀り起こされて苦しい印象を受ける映画だったが, 小さな希望も残った. 傑作である.
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