自分からネットにアクセスするのは iPhone か Mac によってである.
iPhone は主に電話, Twitter, Instagram のために使う.
電話は自分から掛けることはまず無い.
掛かってきた電話を取ることもまず無い. 掛けてきた相手がわかっていて留守番電話にメッセージを残してもらっていたら後からそのメッセージを聞く場合がある.
恐怖のために体が電話でのコミュニケーションを拒絶してしまう.
これはこの 2 年間まったく変わらない症状である.
Twitter は少しでもネット恐怖を克服しようと思ったのがきっかけで時々タイムラインを追いかけ始めた.
世の中の流れがわかる. 長時間は見ることができない.
先日思い切ってツイートもしてみた.
激しく動揺したが, ちょっとずつ慣れてきていると思う.
まだ怖い.
Instagram も描いた絵を投稿するために使っている.
絵が描けたら投稿するので, 使用頻度は Twitter より低く, その分少しは気楽である.
その他の SNS はまだ使えない.
メールを開くこともできない.
恐怖感が非常に強いのだ.
それから情報の検索で使うことも多い.
これはやはり便利なので, 今はほとんど抵抗無く使えるようになった.
Mac はこの文章を書く時と, 数学の練習問題の回答を LaTeX で清書する時に使う.
長い時間 (現在は 1 時間半から 2 時間くらいが限界) 使っていると気分が鬱になってくるのは相変わらずだ.
しかし, 少しずつだが Mac に向かっている間, ネットに接続している恐怖を感じない時間というのも増えてきた.
ネットに接続してはいるが, 自分だけの空間で作業をしているという感覚が芽生えてきたというか...
ネットの中に自分だけの小さな空間を確保できている感じ.
これは大きい.
これまでは一個の巨大なコミュニケーションの場としか認識できなかったネットの空間を, 普遍的なコミュニケーションの行われる空間と, 自分だけの静かな空間の 2 つに分けて認識することができるようになった.
プログラミングができるようになるのはまだ先だろうが, 焦らずに根気よくネットと付き合っていこうと思えるくらいにはなっている.
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image