江戸時代のお伊勢参りをテーマにした本で、それをテーマに長年研究をしてきた奈良大学元教授によって書かれています。
江戸時代には多くの家出が有り、家出の理由として伊勢参りが使われたことや、抜け参りと呼ばれるこっそりと伊勢参りをすることが行われていたこと、また伊勢講と言う伊勢参りの為の講が各地で作られ、そこから伊勢参りを行うこと、講では伊勢に近いところは概ね全員だったものの、江戸などの講は一部が行くと言うパターンが多かった等。また伊勢に行くときは往路と復路で別の道をとおり、道中を堪能してきたこと等が書かれています、土産は買ったら持っていられないので故郷に送っていくのが基本的なスタイルだったとも。
ある意味最大の本体部分と言えるのが、五章に書かれた「宝来講」と呼ばれる、ゼミ生らを使って奈良大学から伊勢神宮までを歩いてみるというもので、25にわたって続けられてきたようです(調べたところ最終は2010年、著者の引退に伴って中止)。既に茶屋なんてものは存在しないご時世に、茶屋があるはずの場所に車を使って先回りして茶屋のような事をしたり、服装は江戸時代のモノを使ったり(草履を履くとアスファルトでは足の裏が痛いと言う事)、距離実測機を作ってみたりといろいろして、また講と言う事で、かつて講がになった様々な業務を分担していたとのこと。
とは言え体調不良がよく出たり、また道中ではトイレの確保ができなかったりといった事があり、そんな中で道中にある民家からの大きなサポートを受けられたと言うこと。江戸時代の伊勢講もまたこれらの道沿いの民家のサポートがあってこそ成り立ったのであろうと。
また泊まった宿でも30人を収容できる規模の宿ではない中で、なんとか収容させてくれたと言う話なども乗っており、伊勢講と言うものはこれら街道沿いのサポートがあって成り立っていたと言うことだろうと言う話が。
現在も伊勢神宮は多数の参拝客で賑わっており、時代に合わせた開発を続けていると言うような内容で締めています。
当時の歩き旅での1日の旅費は著者の換算だと1日1万円程度のものらしいです、これはしっかり宿を取る場合は今でもそんなに変わらない数字(やり方によっては下がるものの、しっかりと宿を取って食事をする場合それくらいにはなる、私は自転車までで徒歩オンリーは今のところ経験なしですが大体そんな感じ)。
伊勢か・・・ちょっと遠いなぁ。
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