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2020年01月30日
会津若松のソウルフード(ソースカツ丼)を食べました。
飯盛山を後にして野口英世記念館に向かう前に、腹ごしらえをすることにしました。
会津若松では、煮込みソースカツ丼が有名なようです。事前に調べた中では、「なかじま」と言う店が評判が良さそうなので、そこに行くことにしました。
丁度12時半を過ぎた頃だったので、ひょっとしたら満席で入れないのかなと思いましたが、すんなり入ることができました。
平日でどの店も閑古鳥が鳴いていましたが、「なかじま」は我々が入った後も、そこそこ席が埋まるくらいは客が来ていたので、この辺ではやはり客入りが良い店なのでしょう。
一番のお勧めメニューはやはり、煮込みソースカツ丼なので、奮発してヒレカツの煮込みソースカツ丼を注文しました。
メニューの写真を見ても、我々が日頃食べているカツ丼と変わりがないのですが、この辺の煮込みソースカツ丼は、その名の通り、基本はソースカツ丼なので、和風だしの味ではなく、秘伝のソースで煮込んで卵とじをして仕上げています。
見た目は普通のカツ丼ですが、だしの甘さではなく、少し酸味が効いたソース味ですが、ほんのり甘さもある僕には初めての味でした。
全国的に有名な店だけあって、カツもとても柔らかくて美味しかったです。
多分歴史も古く、1948(昭和23)年創業の「元祖煮込ソースカツ丼の店 なかじま」は、洋風のソースカツを和風に卵とじにした、ハイカラな味なんだと思います。
飯盛山に行きました。
鶴ヶ城の次はやっぱり飯盛山ですね。
鶴ヶ城城址公園の駐車場を出て僅か5分程度で、飯盛山の入り口まで着いたのですが、駐車場が見つからず少し辺りをうろついてしまいましたが、やっと市営の駐車場らしき所に入ることができました。
入り口にトイレがあり、駐車スペースには重機らしい働く車が一杯並んでいたので、最初は市営の駐車場とは分かりませんでした。
しかし、その車両を良く見てみると、除雪車でした。本来この時期はフル稼働しているはずですが、今年は出番がないらしく、寂し気に待機していたのでした。
会津若松の人たちは、この光景を見てほっとしているかどうかは分かりませんが、観光客のおやじとしては「除雪車さ〜ん。元気に働いているところをと〜ちゃんは見たかったぞ〜。」と叫びたい気分でした。
観光客のエゴかも知れませんが、冬は冬らしくないと寂しい気がします。
すみません。つまらないおやじのつぶやきとして、聞き流してください。
さて、本題の飯盛山に着きました。
観光としてはオフシーズンでしかも平日だったため、旅行客はまばらでした。
小学校の修学旅行の時の記憶として残っているイメージは、川と水門でしたが、はたしてそれらしきものが有るのでしょうか。
こんなに寂しいところで、若き戦士たちが自害を果したのですね。自害という言葉を知ったその頃(小学校)の僕は、状況を全く想像できませんでした。
そして還暦を迎えた今は、正義を信じて戦ってきた末に自分の軍が破れてしまった。全てを失いつつあるその時に、大いに悲嘆することはよく理解できます。
しかし、自分は自害を選ばないと思います。それは生きていれば何とかなると思っているからです。
皆さんも自殺する人の気持ちが分かる人は少ないと思います。
でもそれは心身ともに健康な時は、正常な判断ができるからであって、多分自殺する人の頭に中は、もはや正常な判断ができないのだと思います。
つまりそれは、病気であったり、過度の疲れや、精神的なショックが、正常な判断を妨げているのだなと感じます。
だから常に正常な判断ができるように、ストレスや疲れを貯めないように健康的に過ごしましょう。
すみません。また話がそれてしまいました。
若い白虎隊の戦士は、大いなる落胆と負の集団心理が働いて、自決の道を選ぶしかなかったのでしょう。とても不幸で残念な話です。
人気(ひとけ)のない冬の白虎隊の戦士の墓は、とても寒々としていました。
また、イメージに有った川と水門は「戸の口堰洞穴」(とのくちせきどうけつ)と呼ばれていて、かんがい用水を猪苗代湖から引くための穴でした。
猪苗代湖から豊富な水は今も流れていて、観光案内の資料には、「白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴をくぐりました。」と記載されていましたが、実際の用水路の流れを見ていると、こんなところを通ることが可能なのかと思えます。
寂しげな飯盛山でしたが、一応建築を専門としている僕を熱くさせた建物が有りました。
「さざえ堂」と呼ばれるこの建物は、修学旅行での記憶は全くありませんが、観光用の公式サイトの説明は以下の通りです。
その形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋(らせん)通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。
白虎隊の戦士のことを思いながら、何の前知識もなく建物に入りました。
すると入るなりスロープで、延々とらせん状に続いていました。なるほどそれでサザエか〜と思っているうちに、今度は登りから下りにらせん状のスロープ変わりました。「え」
そして「あっ!!」
そこでようやく今まで何気なく歩いていた僕の頭の中に『さざえ堂』の構造が浮かんできました。頭の中は、白虎隊から『さざえ堂』に切り替わった瞬間です。
このらせん状のスロープは一方通行で、入り口〜登りスロープ〜頂上〜下りスロープ〜出口となっていて、一回も交わることなく、1本のらせん状のスロープで繋がっていました。
「凄い!!」いつ作られたかは分かりませんが、こんなにユニークな建物が、遥か昔から有ることに、とても驚いたと共にとても感動しました。
不謹慎かもしれませんが、白虎隊の戦士の悲しいイメージは吹き飛んで、興奮してしまいました。
下に降りて、慌てて観光用の小冊子を見てみると、『さざえ堂』は『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』といい、寛政8年(1796年)に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺(せいそうじ)第12世郁堂和尚(いくどうおしょう)によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。
と記載されていました。230年以上も前に建立されていたことを知り、改めてその素晴らしさに感激しました。
そして僕もやっぱり建築家の端くれなんだなと、少し嬉しくなりました。
皆さんも飯盛山にお越しの際は、『さざえ堂』を是非、体験してみて下さい。
野口英世記念館へ続く。
鶴ヶ城に行きました。
滅多に行く機会のない郡山に仕事で行くことになりました。郡山は兄が大学時代に住んでいたので、何度か行ったことがあります。また、約50年前の話ですが、小学校の修学旅行で訪れたことがあるので、とても楽しみにしていました。
加えて大学時代の友人がたまたま郡山で仕事をしていると聞いたので、本来なら日帰り出張ですが、翌日休暇を取り、一晩泊まることにしました。
出張の当日は市内で一杯飲んで、翌日は友人の運転で福島観光をすることにしました。
今年は暖冬ですが、出張の2〜3日前に寒波が来て雪が降っていたようなので、冬のこの時期に車で、しかも太平洋側でも豪雪地帯で有名な会津方面に出かけるのは、危ないからのではないかと、友人に事前に打診したのですが、「車は4WDで雪道も慣れているから大丈夫だよ。」「それに走れないほど雪ないよ。」とのことだったので、そんなに気にせずに出かけることにしました。
友人は卒業してから土木関係の会社に勤めて、現場で長く施工管理の仕事をしているので、安心して運転を任せることができそうです。
朝8時に郡山の駅前ロータリーで待ち合わせをして、先ずは鶴ヶ城を目指しました。
郡山中央スマートICから高速道路に入り、新潟に向かう高速道路に乗りました。友人が言っていた通り、雪は遠くの山の上の方に微かに見えるだけで、道端には全く雪はありませんでした。
途中、磐梯山SAで休憩をしました。平日の9時過ぎなので、人影はほとんどありませんでした。お土産屋さんを眺めていると、この地方では有名な張り子の赤べこが置いてありました。
懐かしさを感じながらしばらく眺めていると、丁度いい大きさで千両箱を背負った赤べこが有ったので、お土産に買いました。
我が家にも千両箱をもたらしてくれると良いのですが…。
この辺りに来ると、数日前に降った雪が軒先に集められていて、雪国に着た感じがしてきました。
そして車で走ること30分ようやく鶴ヶ城に着きました。駐車場は貸切状態で、会津若松市内には全くと言っていい程、雪はありませんでした。
雪景色の鶴ヶ城を想像していたのですが、その風景は春間近かの鶴ヶ城でした。
お堀や桜に囲まれて城址公園として、今は綺麗に蘇っている鶴ヶ城ですが、昔は難攻不落の名城とうたわれていました。
戊辰戦争の時に新政府軍の猛攻を受けて籠城すること一ヵ月、旧幕府派(東軍)として最後まで抵抗したのですが遂に敗れて、白虎隊の悲劇を生みました。しかし、その時も城は崩壊しなかったそうです。
後にボロボロになったお城は、石垣だけ取り残して解体されました。そして寄附金により何度かの改修工事を行い、今に至っています。
お城の一番上まで上がって行くと、周囲を一望することができました。
今でも高い建築物がないこの場所は、とても見晴らしが良く、お城としては立地の良い場所なのだなと感じました。
また、飯盛山も近くに見えて、その当時十代の若い戦士が、自決しなければならなかったことに、深い悲しみを感じました。
その後下に降りて、春になったら桜が満開できれ公園を歩いて、茶室燐閣(りんかく)に行きました。
苔むした簡素な庭と茅葺屋根の茶室は穏やかな空気が流れる空間で、庭の隅に作られたテントを改造したスペースで抹茶を飲んで休憩しました。
その抹茶についていたお菓子がまた上品な甘さで、抹茶の苦みと良く調和していました。
そのお菓子のおかげでパワーが一気に回復して今度は飯盛山に向かいました。(続く)
2019年09月16日
大阪旅行
道頓堀
今年は還暦で厄年にあたるので、厄落としとパワーを貰いに、大阪の行って太陽の塔を見てきたのですが、大阪に限らず旅行をする時に一番安上がりな方法は、新幹線とホテルがセットになったツアーです。ネットで比較すれば一目瞭然ですが、ツアー代と新幹線チケットを単品で購入した金額が同じくらいです。従って宿泊代が丸々浮いた計算になります。ただし新幹線の種類によって金額の差はかなり違います。ビジネス客(出張するサラリーマン等)が多い時間帯に、のぞみに乗ろうとするとツアーの金額は上がります。また、ビジネス客がひとしきりいなくなる9時以降で、こだまを選べばツアーの金額は相当安くなります。ポイントは新幹線が空いている時間帯に、ひかりやこだまに乗ることでツアー代金をかなり節約することができます。これから私たちは急ぐ旅ではなく、時間に余裕ができるはずなので、リーズナブルな旅行をたくさん楽しむ方が、良いと私は思っています。
大阪城
また、大阪旅行で一番重宝したのが、大阪周遊バスでした。このパスは大阪の中心部のJR以外の私鉄、地下鉄に乗ることができて、1泊2日の場合は2日券(3600円)が断然お得です。また、大阪城をはじめとする施設や公園、道頓堀のクルーズ等、観光スポットが無料または割安で利用できるため、あっという間に元を取ることができます。本当に価値あるパスだと思います。旅先の情報を事前に得ると意外にお得な情報を得ることができると思います。知っていると知らないとでは大きく差が出るのでは、同じ旅行でもでもありがたみが違うので、事前に情報をつかんで、懐に優しい旅行を数多くできると良いですね。
2019年09月02日
富士山に行ってきました。
宝永山馬の背から富士山頂上付近
昨年富士登山をツーリング仲間のTさんと計画していたのですが、台風のため中止となってしまいました。そしてそのリベンジと還暦の大厄落としを兼ねて、今年こそ富士登山を成功させようと、何カ月も前から計画し、準備してきたのですが、残念ながらTさんは膝に水がたまり、1週間程前にリタイヤ宣言が有りました。今年の富士登山のメンバーは、昨年と同様で登山歴が長いS氏(A社)がリーダーとなり、K氏(A社)と、筑波山に練習登山に行ったソフトボールチームのメンバー5人(私を含む)の合計7人で行くことになりました。今年は9/1(日)の天候が若干心配でしたが、9/2(月)は晴れそうなので、計画通り富士登山を決行することになりました。しかしながら、私は前々日の金曜日からお腹の調子が悪く、土曜日に少し良くなったので、なんとか行けるかなと思ったのですが、当日の朝からまたお腹が下り坂で、私が計画に便乗して行く立場なら、間違いなくその日は富士登山に行かなかったと思います。ですが今回の計画は、私の会社関係で富士登山に詳しいA社のS氏をリーダーとして、我々ソフトボールチームの未経験者を富士登山に連れて行って頂く計画なので、私が行かないとこの計画は中止となるため、ストッパーや正露丸を持って取り合えず、合流地点の水ヶ塚公園まで行くことにしました。
水ヶ塚公園でA社のS氏(リーダー)とK氏に合流して早速、シャトルバスに乗って、富士宮口五合目まで行きました。富士登山をするには、最もポピュラーな吉田口と須走口と我々が今回トライした富士宮口が有りますが、五合目の標高(2400m)は富士宮口が一番高いので、初心者にはお勧めのコースだと思います。私は今回3度目の富士登山ですが、1回目は10年程前に吉田口から登り頂上まで行くことができました。2回目は7年程前に富士宮口から登りましたが、八合目の山小屋から上は、同行者が体調を崩したため、山頂をあきらめてみんなで下山することにしました。そして3回目の今年はどうだったでしょうか…結論から申し上げると、私を除く全員が山頂まで辿り着いたのですが、私だけ六合目の宝永山荘に待機することになりました。今回のルートはプリンスロードと言うコースで、トイレが六合目から八合目まで全くないルートなので、内心どこまで頑張れるかなと思っていました。また、私は普通の人よりも高山病になり易い体質のようで、今回も携帯酸素のお世話になっています。五〜六合目辺りでもっと体を慣らしてから、登山を開始すれば多少は良いのかもしれませんが、慣らしたところで同じかも知れません。しかし今回は高山病より、もっと深刻な問題を抱えていました。宝永火口を過ぎて、馬の背辺りまで着た時に、そのピークが着ました。遂に決断をするしかありません。高山病を上回る腹痛が容赦なく襲い掛かってきて、3時間登ってもトイレがないコースを選択することは難しくなりました。今来た道を戻れば1時間以内にトイレに辿り着くことができるので、もはや私には選択の余地は残されていませんでした。また、腹痛が仮に収まっても、もう既に私が全員のペースをダウンさせてしまっているのは明確なので、自分だけ六合目の山荘に引き返すことにしました。そしてもう少し早く決断すれば良かったなと後悔しました。
宝永山荘
その後私は六合目まで下山し、宝永山荘に宿泊することにしました。宝永山荘の人たちはとても親切で、私がお腹を壊して一人だけ下山した話をすると、山小屋の夕食は本来カレーライスが定番ですが、私のために特別にきのこ雑炊を作ってくれました。また特別に山荘内にあるトイレも使わせてくれました。宝永山荘の皆さんありがとうございました。涙が出るほど感謝しています。そして緊張がほどけた私は、下山して来る仲間と合流する翌日の昼過ぎまで、殆ど寝て過ごしました。頑張れば六合目でもご来光を見ることができるのですが、起き上がることができませんでした。
こうして今年の富士山登山は私だけ失敗に終わりましたが、他の仲間が成功した喜んでくれたので、無理してでも行った甲斐が有りました。私は来年の後厄の厄落としにまた挑戦したいと思います。一年間トレーニングをして、登山1ヶ月前から体調コントロールをしっかりして、またチャレンジしたいと思います。今回のお世話になった、リーダーのHさん(A社)、宝永山荘の皆さんありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
六合目から見た箱根連山
2019年03月25日
大阪に行ってきました。(2)
太陽の塔に入るのは完全予約制で、土日または休日に見学しようと思ったら、最低でも1カ月前には予約しないと難しそうですが、春、夏冬休み以外の平日については、前日でも予約できそうな感じでした。入場料は大人700円、小中学生が300円ですが、太陽の塔に入るためには先ず、万博記念公園に入る必要が有り別途入園料が、大人250円、小中学生70円かかるので注意して下さい。また、万博記念公園をとても広くて、自然にあふれており、日本庭園、民芸館、博物館等見どころ満載なので、せっかく万博記念公園にいくのなら、半日ほど余裕を持って出かけて、太陽の塔以外も見学することをお勧めします。
黄金の顔
さて、太陽の塔の話題に戻ります。太陽の塔には4つの顔が有ります。その内、外から見えるのは3つで、一番上が黄金の顔、胴体部分の表側が太陽の顔、その裏側に黒い太陽が有ります。
太陽の顔
黒い太陽
また、第4の顔は内部にあり、地底の太陽と言われています。太陽の塔に入場して最初に入ったところに地底の太陽があり、色々な色でライトアップされており、とても幻想的でした。
地底の太陽
そしてそこから先は、入場する人数が制限されており、生命の樹が有ります。生命の樹の根元から上を見上げるのが、このイベントの最大の圧巻だと思いました。この1階では太陽の塔の内部を撮影しても良いのですが、生命の樹の階段を登り始めて以降は撮影禁止のため、皆さんにお伝え出来ないのがとても残念です。
地底の太陽
ですから是非足を運んで実際に見てきてください。生命の樹は、内装がリニューアルされており、新たに生まれ変わった、生命の樹を見ることができます。テレビ等で何度か見ましたが、実際に自分の目で見たらとても感動しました。この太陽の塔は、一生に一度は実際に見てみたいものの一つだったので、今でもその時の感動は忘れることができません。
2019年03月24日
大阪に行ってきました。(1)
今年は還暦で厄年にあたるので、厄落としとパワーを貰いに、大阪の行って太陽の塔を見てきました。太陽の塔は、1970年に開催された大阪万博のシンボルとして建設されました。その斬新なデザインに当時小学6年生だった僕は魅了され、いつか必ず実際の目で見てみたいと思うようになりました。しかしその後しばらくは思い出すこともなかったのですが、近年リニューアルして、昨年から一般公開されていることを知ってからは、この日が来るのをとても楽しみにしていました。万博記念公園駅を降りてから、高速道路越しに太陽の塔が見えた時のときめきは、今でも鮮烈に残っています。そして、公園内に入り目の前に太陽の塔を見にした時は、長年思い描いていた光景を実感することが出来て、とても感激しました。1970年当時、作家の岡本太郎がCMで「芸術は爆発だ!」と言ってましたが、当時はその意味が理解できませんでした。しかし50年の時を経て太陽の塔に触れた時におぼろげながら理解できた気がしました。