2013年07月05日投稿。
※子育て関係ありません
※リクエストで「鴉」と「梅雨明け」を目指しました(むしろ梅雨じゃないかというツッコミはなしで/爆)
ここ数日耳を撫でる音に、鴉は布団の中で溜め息を吐いた。
自慢の長い黒髪さえ整えることをせず、鴉はもう一度布団の中で寝返りを打った。
しかし、眠りはやって来なかった。
だからこの季節は……。
悪態を心の中で吐いて、鴉は目を瞑る。するとより一層音が耳につくもんだから、救えない。
仕方がないので、のそのそと立ち上がり、髪を軽く団子にしてから、寝着のままふらふらと離れへと歩いていった。
「なんだい、酷い顔だねぇ」
部屋に入るなり、第一声がそれだった。
少しの苛立ちを覚えるも、返す気にもなれず、そのままどっかり、鞠を弄ぶ仙次郎の横へと腰を下ろした。それを見た仙次郎は、いつものようにひょいと鞠を投げるが、それを鴉が取ることはなく、そのまま落ちて床を転がった。
重症だね。
仙次郎は溜め息を吐いた。
仙次郎はもそもそと動き、そっと鞠を拾う。そして鴉の背にもたれるようにして座ると、独り、また鞠を弄ぶ。
そんな仙次郎の様子を横目で見て、鴉はまた溜め息を吐いた。
「仙次郎、お前よくもまぁそんな元気でいられるな」
雨だぞ。
鴉は自身の胡坐に肘をつき、両手で頭を抱えた。
「そうさねぇ、だからこうして部屋で大人しくしているじゃあないの」
そんな仙次郎の声を聞いているのかいないのか、鴉からの返事はない。
しかし、この一座の中で雨の苦痛を分かち合えるのはたった二人しかいないので、なんとなく、考えていることは判らなくもない。だから仙次郎は、特に何も言わなかった。
そうして暫く、何も言わずに二人は背中合わせで座っていた。
沈黙を破ったのは、意外にも鴉の方だった。
「かなんわぁ、」
それを聞いて、仙次郎はやっと立ち上がった。
「そんなに痛むなら、部屋で大人しく横になってりゃいいじゃないか」
そして部屋の隅にある鏡台の上においてある丸薬を手に取って、鴉の傍へとそっと置いてやった。
それを見た鴉は、溜め息を吐いた。
「薬ねだりに来たんやない。これは自分にとっときよし」
「でも、痛いんだろう?」
仙次郎が言うのを聞いているのかいないのか、鴉はごろりと寝転がった。そして結わえた団子も解いてしまって、そのままここで寝てしまうんじゃないかと思えるほどだ。
そんな様子を見て、仙次郎はまた溜め息を吐く。
「鴉、お前、布団敷いてやるから、」
「仙次郎、お前、お前は今日はどうなんさ」
寝転がったまま、睨むように鴉は言った。その吐き捨てるような物言いに、また、仙次郎は溜め息を吐く。
「もうすぐ梅雨も明けるんじゃないかね。私はそこまで酷くないよ。まぁ、本調子には遠いけどねぇ」
言いながら部屋の隅に片してあった布団を引っ張り出す。
「ほら、そんなところ寝転がってないで、」
そうして声を掛けるも、鴉は気怠げに息を吐くだけで。
それを見て、さすがの仙次郎も苛立った。
元々苛立つ時季なのだ。
それを、この餓鬼は。
そう思うと同時、仙次郎は徐に鴉の首根っこを掴み、自分より大きなそれをぐいっと引っ張り、布団の上に投げ飛ばした。
「なんさ! なにするんさ!」
一瞬何が起こったのか理解できなかったのだろう、鴉が戸惑って声を上げた。
「人が心配してやってんだから布団で寝てろっつてんだ」
びくっ、久しぶりの仙次郎の怒号に、鴉の肩が図らずも震える。
そしてその凄みにたじろいで、掛け布団代わりの麻布を引っ張って顔まで掛けて、そのまま潜り込んでしまった。
それを見て、仙次郎は鼻を鳴らした。
「最初からそうしてろってんだ馬鹿野郎が」
「……、」
言ってから、鴉がまさか布団の中に潜り込んでしまうなんて思わなくて、やってしまったと後悔した。
仕方ないね。
仙次郎は溜め息を吐く。
そして、ぽこんっ、小さな猫の姿になると、もぞもぞと布団の中に入っていった。
「……、」
鴉は何も言わない。言わないくせに、入ってやるとそれを何も言わずに抱き寄せるもんだから、本当にこの子は可愛いねぇ、と、仙次郎は苦笑いした。
「すまんの」
鴉がぽつりと漏らす。
そんな鴉に、なぁー、と一声鳴いて、仙次郎は鴉の腕の中で目を瞑った。
そんな仙次郎の様子に安心したのか、鴉はホッと息を吐いて、また漏らす。
「堪忍な、仙次郎。あと……、」
言い掛けて、腕の中の猫が既に寝息を立てていることに気付き、鴉は声を落とした。
「おおきに、ありがとうな」
そうして雨音を聞きながら、鴉はゆっくりと意識を手放した。
「うおぉおおおぉ! 洗濯日和だなぁ!」
長かった梅雨が明けた。
紀伊とお愁が催促するもんで雨の中紀伊を背負って紫陽花を見に行ったり、雨漏りの度に手桶を持って走ったり、梅雨は何かと忙しかった。
銀は清々しい陽光に、思いっきり伸びをした。
「さらば、部屋干し!」
そう言って洗濯物の山に手を出した時、ばさばさばさっ、激しく翼を羽ばたかせる音がして、銀は思わず振り向いた。
しかしもう、その影は見えない。
「鴉?」
一座の中で翼を持っているのは鴉だけだ。ここ数日全く姿を見なかったのに、どうしたんだ。
銀は首を傾げたけれど、次の瞬間に、また着物を部屋に持ってくるのが遅いと小言を言う鴉を想像して、慌てて洗濯を始めた。
久しぶりの空は気持ちが良かった。
雨で羽根は湿気るし、それ以前に鴉はあまり飛ぶのは好きでなかったから、もうかれこれ数ヶ月ぶりだった。
「あぁも雨が続いたら本当頭は痛いしじめじめするし、かなんわなぁ」
ばさばさと宛てもなく空を翔けながら、鴉は言った。
陽の光は気持ちいいな。
鴉は思った。
眼下を見下すと、街では皆が忙しく行き来している。
もう随分洋装の者が増え、上から見ると蟻が行き来しているようである。
こんな陽が暖かな日に、よくもまぁあんな暑苦しい恰好をしてられるもんだな。鴉は鼻を鳴らした。
天狗に堕ちてから長く生きた鴉にはやはり、洋装の良さはあまり解らなかった。
太郎のじいさんは前から仕事で洋装を着ているのを見たが、思い出してみてもやはり似合わなかったと思う。
日本人は少しよれた黒の着物で煙管を蒸かしとんのが、やっぱり似合う思うで。
そんな懐古に浸りながら、鴉暫く、翼を打って、久々の空の散歩を楽しむのであった。
鴉が帰ってきたのはもう夕方だった。冬であれば夜になっている頃だ。
帰ると、梅雨が明けて元気になった仙次郎にお妲がじゃれついているところだった。また、日常が戻ってきたということだ。
「おや、鴉じゃないかい」
鴉の存在に気付いたお妲が嬉しそうに声を掛けてきた。
それに対して軽く手を揺らしてあっちに行けと示すと、お妲は口を尖らせた。
「なんだい、元気になったようだから喜んでやったのに、その態度は」
「いちゃつくなら部屋行きぃさ。見てて暑苦しいだろが」
それに、
言い掛けて、あぁ、遅かったと鴉は溜め息を吐いた。
「ねねねねね、姐さん! あ、あのっ、洗濯物っ、」
声の主は今にも泣きそうである。
「洗濯物っ、部屋に置いておきましたからっ!」
そしてそう言ってから、そのまま走って何処かへ行ってしまった。
そんな後姿を見ながら、お妲は楽しそうにくすくす笑う。
「銀の字ったら可愛いねぇ」
そんなお妲に、本当この女狐は、と心の中で悪態を吐いてから、鴉はその場を後にするのだった。
終わってしまう
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