2024年08月24日
君の雫を拭えないから
君の雫を拭えないから
せめて
君の悲しみを唄に乗せて
空の果てに飛ばしたい
君の悲しみを唄に乗せて
空の果てに飛ばしたい
そんなことしなくても
君は一人で羽ばたいていけるんだ
僕のいない場所を
涙を越えて
一人で羽ばたいていけるんだ
2024年07月04日
2024年02月08日
君が青空に消えてしまいたいように、僕は草木に侵されて朽ちていきたい
朽ちていく世界の片隅で
割れてしまった僕の破片を握りしめて
傷付けてしまった全ての人に
さよならを言える場所を
ずっと探している
Bluesky(@otto1217)に登録しました。
一番思い入れのあるIDなので、誰かに使われる前に取っておきたいと思ったので。
ヘッダー用に写真と詩の創作を、と、作ったのですが、ヘッダーが上手くいかなかったので、こちらに載せておきます。
詩は自身の小説、「 いつか辿り着ける場所で植物と同化してしまいたかったのに、あの日、君に、出会ってしまった (外部リンク/pixiv)」のイメージで書きました。
※続編ではないですが、同じ世界観での作品も執筆中
Blueskyは創作の話をするために作りました。
「音と狭間の写真館」という名前で運用し、創作の告知等をしていこうと思っています。
今はこちらと同じで告知のみになるかと思いますが、創作の途中過程等もBlueskyでは載せやすいのではないかと思っているので、そちらもよろしければ、よろしくお願いします。
さまにゃんこでした。
割れてしまった僕の破片を握りしめて
傷付けてしまった全ての人に
さよならを言える場所を
ずっと探している
Bluesky(@otto1217)に登録しました。
一番思い入れのあるIDなので、誰かに使われる前に取っておきたいと思ったので。
ヘッダー用に写真と詩の創作を、と、作ったのですが、ヘッダーが上手くいかなかったので、こちらに載せておきます。
詩は自身の小説、「 いつか辿り着ける場所で植物と同化してしまいたかったのに、あの日、君に、出会ってしまった (外部リンク/pixiv)」のイメージで書きました。
※続編ではないですが、同じ世界観での作品も執筆中
Blueskyは創作の話をするために作りました。
「音と狭間の写真館」という名前で運用し、創作の告知等をしていこうと思っています。
今はこちらと同じで告知のみになるかと思いますが、創作の途中過程等もBlueskyでは載せやすいのではないかと思っているので、そちらもよろしければ、よろしくお願いします。
さまにゃんこでした。
2023年02月28日
ニコニコ超神社CFを応援したいなってお話 其の伍
『ニコニコ超会議』内開催のお祭り【超神社サミット】に本物の神社様をご招待したい!
を応援したいなと思って、微力ながら宣伝をしたいなと思って記事を書かせていただくことにしました。
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力のお話
其の参 文化を残そうと進み続ける存在に出会えたんだ、というお話
其の四 いつでもお前はきっとそばにいる、というお話
其の伍 別の好きは別の好きに繋がっているもんだ、というお話
※02月25日に訪れた大阪天満宮の梅の写真は後日追記します
中の人は北野天神縁起絵巻が好きで、京都に住んでいる。北野天満宮が一番好きと言えばそうなのだが、全国にある天満宮はいつか全て巡りたいと思っていた。
刀剣乱舞をしていたので、大阪天満宮で梅花祭の時季に盆梅と刀剣の展示をしていることを知って、しかも大好きな梅酒祭りも併催されていると聞いて、行ってきた。2019年のことだ。
疫病が流行り出したのは2020年のことだった。
奇しくも、最後になってしまった天満の梅酒祭り。それに行ったことになってしまった。
2019年02月10日大阪天満宮
※梅酒祭りで配っていた柿の種
※この後用事があったため梅酒を飲んだり買ったりはしてなかったと思います
2019年02月10日大阪天満宮
2019年02月10日大阪天満宮
ついなちゃんと出会ったのはその後、数ヶ月経って、11月にボイスロイドが発売されてからだった。
神社仏閣を本気で応援していること、お供の前鬼後鬼がめちゃくちゃ好みだったこと、当時の連れが作っていた動画の声が好きだったこと、ついなちゃんにハマる理由は十分にあった。
そんなわけで、何度も挫折を繰り返している自分でも、もう一度DTMに挑戦してみるきっかけがほしくて、ついなちゃんSynthesizer V化クラウドファンディングに課金した。
(絵が下手というツッコミは受け付けない)
音源が製作されるのが決定してからクラウドファンディングに課金したのだったと思う。
当時のことはよく覚えていなくて、確実にSynthesizer Vが欲しくて課金した、だから、その後の進捗は特に気にしてもいなかった。
けれどその数ヶ月後、ついなちゃんのクラウドファンディングに課金したお蔭で、天満の梅酒祭りが疫病でできないけれど、どうにかして存続させたいな、みたいなクラウドファンディングを知ることができたのである。
「おうちで天満天神梅酒大会」新しい梅酒大会のカタチをスタートしたい
※こちらに課金
「天満天神梅酒大会」全国の梅酒を多くの人に飲んでもらいたい!
こうして見てみると、Synthesizer Vクラウドファンディングから二ヶ月ほどのスピード感である。
けれどこのクラウドファンディングに出会った時、初めて「今まで行われていた梅酒大会のような神社仏閣での催し事が存続の危機にある」という事実を思い知ったのだ。
疫病が流行って、好きだった飲食店の閉店や自殺率、マスク警察、そういう話題ばかりに気を取られて、神社仏閣で行われていた催し事に関しては、どこか、いつか再開されるとぼんやり思っていたところがあった。
それが、こうしてクラウドファンディングをしてでも存続を模索しているというのを知って、課金することにしたのだ。
天満梅酒大会のクラウドファンディングの梅酒は北野天満宮の梅酒まつりに一緒に行ったことのあるいつもの酒飲み友達な友人宅で飲んだ。
シンプルな瓶で、やいやい言いながら酒を飲むのは楽しかったし、また全国での梅酒まつりがどんどん復活していくといいね、そんなことを喋っていた気がする。
2021年06月19日友人宅にて
2021年06月19日友人宅にて
それから数年経って、先日、大阪天満宮に行く機会があった。
大阪でのイベント事のついでに、今年もやっているという盆梅と刀剣展を見に行きたいと思っていたからだ。
残念ながら、まだ、情勢やいろいろな事情があり、今年も梅酒大会は開かれなかった。
けれど着実に、疫病や情勢はよくなってきていると思っている。
盆梅展は今年もとても美しくて、梅の時季限定の御朱印は予定枚数終了して戴けず、人が溢れ、神社で願い柏手を打つ。着実に、よくなってきていると思っている。
今回、ついなちゃんが超神社のクラウドファンディングをまた同じプラットホームで行ってくれたことで、そういえば天満の梅酒祭りはどうなったんだろうと、気になって、そして行くことにした。
梅は綺麗だ。
疫病流行の間大阪天満宮に行ってはいなかったけれど、神社に活気が戻ってきているのは、いろんな神社仏閣を訪れてすごく実感する。
ついなちゃんが神社仏閣を盛り上げるためにいろいろやってくれているお蔭で、昔の好きと不意に出会うことがある。
昨年の今頃、足利に山姥切国広を見に行った時に訪れた足利織姫神社も超神社のクラウドファンディング参加の神社で、こうやって、全然別の界隈のように思えていた好きなものと好きなものが、「日本文化」を基礎にして、繋がっているんだな、と、感じるのだ。
それが、とても楽しく思う。
そしてそれこそが、「日本文化」を基礎として作られたサブカルチャーを愛する醍醐味なのだと思う。
刀剣乱舞を追う時、かつて好きだった遙か3に出会ったり、ついなちゃんを追う時、刀剣乱舞にも出会う。
それは、どの作品も、形は違うけれど「日本文化」を残すため、「日本文化」を伝えるため、「日本文化」への想いが詰まった作品を作っているからなのだろう。
たぶん、今年の超神社で神社仏閣に初めて興味を持つ層がいると思う。興味はあったけれど足が遠のいていた層もいると思う。
そういう人のきっかけになればいいな、と、切に思っている。
一人でも、神社仏閣を気に掛ける人が増えれば、きっと、神様も喜ぶんじゃないかな、そう、思うからだ。
大阪天満宮がつい先日のことだったので先に書いてしまったが、次こそは、静岡か足利の、超神社に参加される神社仏閣のどちらかについて書けたらなと思う。
最後に一言だけ。
また善哉食べたかった!!
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力のお話
其の参 文化を残そうと進み続ける存在に出会えたんだ、というお話
其の四 いつでもお前はきっとそばにいる、というお話
其の伍 別の好きは別の好きに繋がっているもんだ、というお話
※02月25日に訪れた大阪天満宮の梅の写真は後日追記します
中の人は北野天神縁起絵巻が好きで、京都に住んでいる。北野天満宮が一番好きと言えばそうなのだが、全国にある天満宮はいつか全て巡りたいと思っていた。
刀剣乱舞をしていたので、大阪天満宮で梅花祭の時季に盆梅と刀剣の展示をしていることを知って、しかも大好きな梅酒祭りも併催されていると聞いて、行ってきた。2019年のことだ。
疫病が流行り出したのは2020年のことだった。
奇しくも、最後になってしまった天満の梅酒祭り。それに行ったことになってしまった。
2019年02月10日大阪天満宮
※梅酒祭りで配っていた柿の種
※この後用事があったため梅酒を飲んだり買ったりはしてなかったと思います
2019年02月10日大阪天満宮
2019年02月10日大阪天満宮
ついなちゃんと出会ったのはその後、数ヶ月経って、11月にボイスロイドが発売されてからだった。
神社仏閣を本気で応援していること、お供の前鬼後鬼がめちゃくちゃ好みだったこと、当時の連れが作っていた動画の声が好きだったこと、ついなちゃんにハマる理由は十分にあった。
そんなわけで、何度も挫折を繰り返している自分でも、もう一度DTMに挑戦してみるきっかけがほしくて、ついなちゃんSynthesizer V化クラウドファンディングに課金した。
(絵が下手というツッコミは受け付けない)
音源が製作されるのが決定してからクラウドファンディングに課金したのだったと思う。
当時のことはよく覚えていなくて、確実にSynthesizer Vが欲しくて課金した、だから、その後の進捗は特に気にしてもいなかった。
けれどその数ヶ月後、ついなちゃんのクラウドファンディングに課金したお蔭で、天満の梅酒祭りが疫病でできないけれど、どうにかして存続させたいな、みたいなクラウドファンディングを知ることができたのである。
「おうちで天満天神梅酒大会」新しい梅酒大会のカタチをスタートしたい
※こちらに課金
「天満天神梅酒大会」全国の梅酒を多くの人に飲んでもらいたい!
こうして見てみると、Synthesizer Vクラウドファンディングから二ヶ月ほどのスピード感である。
けれどこのクラウドファンディングに出会った時、初めて「今まで行われていた梅酒大会のような神社仏閣での催し事が存続の危機にある」という事実を思い知ったのだ。
疫病が流行って、好きだった飲食店の閉店や自殺率、マスク警察、そういう話題ばかりに気を取られて、神社仏閣で行われていた催し事に関しては、どこか、いつか再開されるとぼんやり思っていたところがあった。
それが、こうしてクラウドファンディングをしてでも存続を模索しているというのを知って、課金することにしたのだ。
天満梅酒大会のクラウドファンディングの梅酒は北野天満宮の梅酒まつりに一緒に行ったことのあるいつもの酒飲み友達な友人宅で飲んだ。
シンプルな瓶で、やいやい言いながら酒を飲むのは楽しかったし、また全国での梅酒まつりがどんどん復活していくといいね、そんなことを喋っていた気がする。
2021年06月19日友人宅にて
2021年06月19日友人宅にて
それから数年経って、先日、大阪天満宮に行く機会があった。
大阪でのイベント事のついでに、今年もやっているという盆梅と刀剣展を見に行きたいと思っていたからだ。
残念ながら、まだ、情勢やいろいろな事情があり、今年も梅酒大会は開かれなかった。
けれど着実に、疫病や情勢はよくなってきていると思っている。
盆梅展は今年もとても美しくて、梅の時季限定の御朱印は予定枚数終了して戴けず、人が溢れ、神社で願い柏手を打つ。着実に、よくなってきていると思っている。
今回、ついなちゃんが超神社のクラウドファンディングをまた同じプラットホームで行ってくれたことで、そういえば天満の梅酒祭りはどうなったんだろうと、気になって、そして行くことにした。
梅は綺麗だ。
疫病流行の間大阪天満宮に行ってはいなかったけれど、神社に活気が戻ってきているのは、いろんな神社仏閣を訪れてすごく実感する。
ついなちゃんが神社仏閣を盛り上げるためにいろいろやってくれているお蔭で、昔の好きと不意に出会うことがある。
昨年の今頃、足利に山姥切国広を見に行った時に訪れた足利織姫神社も超神社のクラウドファンディング参加の神社で、こうやって、全然別の界隈のように思えていた好きなものと好きなものが、「日本文化」を基礎にして、繋がっているんだな、と、感じるのだ。
それが、とても楽しく思う。
そしてそれこそが、「日本文化」を基礎として作られたサブカルチャーを愛する醍醐味なのだと思う。
刀剣乱舞を追う時、かつて好きだった遙か3に出会ったり、ついなちゃんを追う時、刀剣乱舞にも出会う。
それは、どの作品も、形は違うけれど「日本文化」を残すため、「日本文化」を伝えるため、「日本文化」への想いが詰まった作品を作っているからなのだろう。
たぶん、今年の超神社で神社仏閣に初めて興味を持つ層がいると思う。興味はあったけれど足が遠のいていた層もいると思う。
そういう人のきっかけになればいいな、と、切に思っている。
一人でも、神社仏閣を気に掛ける人が増えれば、きっと、神様も喜ぶんじゃないかな、そう、思うからだ。
大阪天満宮がつい先日のことだったので先に書いてしまったが、次こそは、静岡か足利の、超神社に参加される神社仏閣のどちらかについて書けたらなと思う。
最後に一言だけ。
また善哉食べたかった!!
2023年02月19日
ニコニコ超神社CFを応援したいなってお話 其の四
『ニコニコ超会議』内開催のお祭り【超神社サミット】に本物の神社様をご招待したい!
を応援したいなと思って、微力ながら宣伝をしたいなと思って記事を書かせていただくことにしました。
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力のお話
其の参 文化を残そうと進み続ける存在に出会えたんだ、というお話
其の四 いつでもお前はきっとそばにいる、というお話
※今回はクラファンで超会議に呼ばれる金長神社についてです
※今回の写真は昨年金長神社クラファン応援のためについなちゃんが行っていたスペースの賑やかしのためにみくちゃにて作成した「旅ついな」な写真になっています(元ツイートは こちら )
※後日、写真も追記に載せさせていただきます
→02/23 写真追加しました、追記をご覧下さい
其の壱で書いたが、中の人は愛媛県民である(現在は京都府民)
子供時代、自然をテーマに描いたジブリ作品が好きで、ナウシカ、もののけ姫、そして平成狸合戦ぽんぽこがめちゃくちゃ好きだった。
なので、2015年、四月に刀剣乱舞を始めてその半月後に日野に和泉守兼定を見に行くという衝動的な行動をしていたのだが、その時、多摩モノレールに乗ってめちゃくちゃ感動した。
奥多摩の都市開発…!
これが狸達が守りたくて守れなかった場所…!
(守れた守れてないの解釈は個々の感性にもよるので深くは書きませんが、つまりぽんぽこの舞台となった土地をモノレールで走れたのは感慨深かったという意味です)
そんな自分がぽんぽことまた出会うことになったのは、ついなちゃんと出会った後である。
まさかまさか、新しく応援したいなと思っていたキャラが、四国の、阿波金長狸の金長神社さんと既にコラボしていたなんて、目ん玉が落ちそうになった。
(前回、ボイロ化直後に代行してもらって手に入れた方相氏のガイドブックのおまけに金長神社のCDがついていた)
そんなわけで、2020年11月14日、諸般の事情で車で四国に行った際に金長神社に行ってきた。軽率に。
当時、金長神社は普段は人がいないので御朱印は地蔵寺での授与。
去年、新しくお社を新調するためのクラウドファンディングを行い、今春落成式が行われる。めでたいことだ。
なので、それ以降御朱印のいただく場所に関して変動があるかもしれないので、この記事を見て地蔵寺にいただきに行ったのに違った、みたいなことのないように。
ただ個人的な意見としては、地蔵寺も素敵な寺なので、神社仏閣が好きな人は是非行ってみてほしい。
金長神社に話を戻そう。
ぽんぽこを鮮明に覚えているかと言われると子供の頃の記憶なので曖昧なのだが、それでも好きだった作品に描かれたものが残っている場所というのはすごく感動するものだ。
当時は、グラウンド再整備だかなんだかがやっと決着がついて取り壊さない方向性になるのが確定した頃だったと思う。
この取り壊しの問題に関しても、自分はそんなことになっているなんて知りもしないで、危機を免れた後に知った。
悲しいことに、どんなに好きな作品の聖地だったとしても、その聖地が今どうなっているのか、そこまでずっとアンテナを張り続けることなんてできないし、そもそもその聖地がどこにあって行けるのかというのも、詳しく調べるのには時間が掛かる。
問題が起きている時に、その問題を知れるかどうかは、正直、こんなに情報が溢れているインターネット社会においても、運でしかないのだ。
金長神社。
金長神社にある貫禄のある絵。
行ってみた感想としては、正直なところ、こりゃ取り壊しと言われても仕方ないわ、という印象だった。
自分は神社仏閣が好きだし、好きな作品の聖地でもあるから、安易に文化を取り壊せとは思わないのだが、例えば都市開発の観点から考えて、ここまで老朽化して常時人がいるわけではない建物は、危険極まりないからである。
子供が訪れて倒壊して、という可能性も十分ある。
取り壊しは免れたけれど、このままだと自壊してしまいそうだな、そう思わせるほどボロっちいお社だった。
それだけ古くから地元の人に愛されている神社と言えば聞こえはいいが、存続させるにはこの老朽化問題にいつかぶち当たるだろうな、と。
金長神社で存分に写真を撮った後は、地蔵寺に御朱印をいただきに。
ちなみに、中の人の感覚では、金長神社から地蔵寺までは歩いてそんなに掛からない距離にある。
というより、駐車場がないので、もしかしたら公共交通機関を調べた方がよかったのかもしれない。
自分は、金長神社から歩いた。近かったので。
※個人の感想です
地蔵寺は小さいながら見所の多い寺で、御朱印をさくっといただくつもりだったのだが、いろいろ写真を残したくなった。
寺務所は呼び出し式。
ついなちゃんがボイスドラマでコラボした縁もあり、ついなちゃんのグッズも売っていた。
お土産に狸のキーホルダーを買った。かわいい。
御朱印をいただいて、金長神社方面に戻って、再度車に乗って、次は日峰神社へ。
この日峰神社のある山に、金長神社の本宮があるのだ。
日峰神社では夕暮れ時ということもありとても綺麗な写真を撮れたが、疫病の関係で社務所はしまっており、御朱印をいただくことが叶わなかった。
日峰神社はちょうど鳥居越しに夕陽が見えて、更に登ると小松島が一望できる。
車で駐車場まで一気に上がったから登れたものの、金長神社から地蔵寺まで往復歩いた後にここまで登っていたらこんな素敵な時間には着かなかっただろう。
日峰神社の境内にある金長神社本宮は昔映画の阿波狸合戦が流行った際に建立されたものらしい。
次こそは御朱印もいただきたいし、もう少しゆっくり日峰神社を散策できるよう早い時間に行った方がいいな、と、自らの計画性のなさに呆れたのもいい思い出である。
自分は、自分が神社仏閣に対してやれることは一つしかないと思っていて、自分が実際行って、お賽銭して、御朱印をいただいて、少額でもその神社仏閣にお金を落とす。
けれど、一人一人の額が少なくても、人数が集まればそれなりの額になる。そういうことを続けていきたい。
逆に言えば、人が集まらなければこれは上手くいかない。
そこで自分ができるもう一つのことが、自分の楽しかったを伝えること、だと思うのだが、こうしてエッセイを何作か書いてみて、上手いこと自分の感動を散文にできてないというもやもやの方が大きくなってしまった。
それはまぁ、実力不足なだけなので、これから精進するしかない。
それでも、こうして書いたものを見て、何にも知らなかった人がちょっとでも行ってみたいなと思えたなら、本望である。
最後に当時いただけたことが嬉しくて地蔵寺で撮った御朱印とキーホルダーの写真を共有しておく。しておくのだが…、
ちょうど光が当たって素敵な御朱印が見えてないやないかーい!
まぁ、現地での写真を撮り直すことは今更できないので、写真が下手なのは目を瞑っていただきたく。
御朱印が季節や干支によって変わるので是非いろんな季節に行ってみてほしい、と、結へと繋げる予定だったのだが、結というか、オチが付いてしまったような…、
これでは判別しづらいが、2020年のねずみ達がちゃんとおり、しかも一匹は後ろ向いてたりと芸が細かく可愛いので、また新しいお社がお披露目されたらその時の御朱印を楽しみに行ってみようと思う。
写真が下手というオチが付いたところで、今回はこれにて〆させていただく。
次は、静岡か足利、どちらかについて書けたらなと思う。
(今、水星の魔女を見てしまった後なので、静岡について書いてしまいそうだな…、)
零れた記憶の写真館
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力のお話
其の参 文化を残そうと進み続ける存在に出会えたんだ、というお話
其の四 いつでもお前はきっとそばにいる、というお話
※今回はクラファンで超会議に呼ばれる金長神社についてです
※今回の写真は昨年金長神社クラファン応援のためについなちゃんが行っていたスペースの賑やかしのためにみくちゃにて作成した「旅ついな」な写真になっています(元ツイートは こちら )
※後日、写真も追記に載せさせていただきます
→02/23 写真追加しました、追記をご覧下さい
其の壱で書いたが、中の人は愛媛県民である(現在は京都府民)
子供時代、自然をテーマに描いたジブリ作品が好きで、ナウシカ、もののけ姫、そして平成狸合戦ぽんぽこがめちゃくちゃ好きだった。
なので、2015年、四月に刀剣乱舞を始めてその半月後に日野に和泉守兼定を見に行くという衝動的な行動をしていたのだが、その時、多摩モノレールに乗ってめちゃくちゃ感動した。
奥多摩の都市開発…!
これが狸達が守りたくて守れなかった場所…!
(守れた守れてないの解釈は個々の感性にもよるので深くは書きませんが、つまりぽんぽこの舞台となった土地をモノレールで走れたのは感慨深かったという意味です)
そんな自分がぽんぽことまた出会うことになったのは、ついなちゃんと出会った後である。
まさかまさか、新しく応援したいなと思っていたキャラが、四国の、阿波金長狸の金長神社さんと既にコラボしていたなんて、目ん玉が落ちそうになった。
(前回、ボイロ化直後に代行してもらって手に入れた方相氏のガイドブックのおまけに金長神社のCDがついていた)
そんなわけで、2020年11月14日、諸般の事情で車で四国に行った際に金長神社に行ってきた。軽率に。
当時、金長神社は普段は人がいないので御朱印は地蔵寺での授与。
去年、新しくお社を新調するためのクラウドファンディングを行い、今春落成式が行われる。めでたいことだ。
なので、それ以降御朱印のいただく場所に関して変動があるかもしれないので、この記事を見て地蔵寺にいただきに行ったのに違った、みたいなことのないように。
ただ個人的な意見としては、地蔵寺も素敵な寺なので、神社仏閣が好きな人は是非行ってみてほしい。
金長神社に話を戻そう。
ぽんぽこを鮮明に覚えているかと言われると子供の頃の記憶なので曖昧なのだが、それでも好きだった作品に描かれたものが残っている場所というのはすごく感動するものだ。
当時は、グラウンド再整備だかなんだかがやっと決着がついて取り壊さない方向性になるのが確定した頃だったと思う。
この取り壊しの問題に関しても、自分はそんなことになっているなんて知りもしないで、危機を免れた後に知った。
悲しいことに、どんなに好きな作品の聖地だったとしても、その聖地が今どうなっているのか、そこまでずっとアンテナを張り続けることなんてできないし、そもそもその聖地がどこにあって行けるのかというのも、詳しく調べるのには時間が掛かる。
問題が起きている時に、その問題を知れるかどうかは、正直、こんなに情報が溢れているインターネット社会においても、運でしかないのだ。
金長神社。
金長神社にある貫禄のある絵。
行ってみた感想としては、正直なところ、こりゃ取り壊しと言われても仕方ないわ、という印象だった。
自分は神社仏閣が好きだし、好きな作品の聖地でもあるから、安易に文化を取り壊せとは思わないのだが、例えば都市開発の観点から考えて、ここまで老朽化して常時人がいるわけではない建物は、危険極まりないからである。
子供が訪れて倒壊して、という可能性も十分ある。
取り壊しは免れたけれど、このままだと自壊してしまいそうだな、そう思わせるほどボロっちいお社だった。
それだけ古くから地元の人に愛されている神社と言えば聞こえはいいが、存続させるにはこの老朽化問題にいつかぶち当たるだろうな、と。
金長神社で存分に写真を撮った後は、地蔵寺に御朱印をいただきに。
ちなみに、中の人の感覚では、金長神社から地蔵寺までは歩いてそんなに掛からない距離にある。
というより、駐車場がないので、もしかしたら公共交通機関を調べた方がよかったのかもしれない。
自分は、金長神社から歩いた。近かったので。
※個人の感想です
地蔵寺は小さいながら見所の多い寺で、御朱印をさくっといただくつもりだったのだが、いろいろ写真を残したくなった。
寺務所は呼び出し式。
ついなちゃんがボイスドラマでコラボした縁もあり、ついなちゃんのグッズも売っていた。
お土産に狸のキーホルダーを買った。かわいい。
御朱印をいただいて、金長神社方面に戻って、再度車に乗って、次は日峰神社へ。
この日峰神社のある山に、金長神社の本宮があるのだ。
日峰神社では夕暮れ時ということもありとても綺麗な写真を撮れたが、疫病の関係で社務所はしまっており、御朱印をいただくことが叶わなかった。
日峰神社はちょうど鳥居越しに夕陽が見えて、更に登ると小松島が一望できる。
車で駐車場まで一気に上がったから登れたものの、金長神社から地蔵寺まで往復歩いた後にここまで登っていたらこんな素敵な時間には着かなかっただろう。
日峰神社の境内にある金長神社本宮は昔映画の阿波狸合戦が流行った際に建立されたものらしい。
次こそは御朱印もいただきたいし、もう少しゆっくり日峰神社を散策できるよう早い時間に行った方がいいな、と、自らの計画性のなさに呆れたのもいい思い出である。
自分は、自分が神社仏閣に対してやれることは一つしかないと思っていて、自分が実際行って、お賽銭して、御朱印をいただいて、少額でもその神社仏閣にお金を落とす。
けれど、一人一人の額が少なくても、人数が集まればそれなりの額になる。そういうことを続けていきたい。
逆に言えば、人が集まらなければこれは上手くいかない。
そこで自分ができるもう一つのことが、自分の楽しかったを伝えること、だと思うのだが、こうしてエッセイを何作か書いてみて、上手いこと自分の感動を散文にできてないというもやもやの方が大きくなってしまった。
それはまぁ、実力不足なだけなので、これから精進するしかない。
それでも、こうして書いたものを見て、何にも知らなかった人がちょっとでも行ってみたいなと思えたなら、本望である。
最後に当時いただけたことが嬉しくて地蔵寺で撮った御朱印とキーホルダーの写真を共有しておく。しておくのだが…、
ちょうど光が当たって素敵な御朱印が見えてないやないかーい!
まぁ、現地での写真を撮り直すことは今更できないので、写真が下手なのは目を瞑っていただきたく。
御朱印が季節や干支によって変わるので是非いろんな季節に行ってみてほしい、と、結へと繋げる予定だったのだが、結というか、オチが付いてしまったような…、
これでは判別しづらいが、2020年のねずみ達がちゃんとおり、しかも一匹は後ろ向いてたりと芸が細かく可愛いので、また新しいお社がお披露目されたらその時の御朱印を楽しみに行ってみようと思う。
写真が下手というオチが付いたところで、今回はこれにて〆させていただく。
次は、静岡か足利、どちらかについて書けたらなと思う。
(今、水星の魔女を見てしまった後なので、静岡について書いてしまいそうだな…、)
零れた記憶の写真館
2023年02月14日
ニコニコ超神社CFを応援したいなってお話 其の参
『ニコニコ超会議』内開催のお祭り【超神社サミット】に本物の神社様をご招待したい!
を応援したいなと思って、微力ながら宣伝をしたいなと思って記事を書かせていただくことにしました。
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力のお話
其の参 文化を残そうと進み続ける存在に出会えたんだ、というお話
※ついなちゃんと神社仏閣に対しての中の人の思い入れ具合は、顧問Pが主催した ボイロ化一周年オフ会 の蛇足でも語っていますので気が向いたら読んでみてください
ついなちゃんという存在との出会いは、2019年の秋、ついなちゃんがボイスロイド化した時だった。
可愛い声だし、当時の連れが動画で使っていたこともあり、気になってはいた。ただ、自分は動画を作る側の人間ではなかったので、いまいちピンと来ていなかった。
それが、一気についなちゃんを応援する方向性に傾いたのが、即売会で方相氏のガイドブックを出しているというのを知ったことがきっかけだった。
当時のことはあまり覚えてないけれど、人生が最高にバグっていたので、連れが即売会に行くと言うのに便乗して、方相氏のガイドブックを代行してもらった。
そしてそれを手にして、読んだ時。
すごくわくわくした。
萌えキャラがメインなのかと思っていたら、しっかりと各神社仏閣での追儺式を比較しており、研究対象として、とても興味深い内容で、忘れかけていた大学時代に文献や先行研究を漁る楽しさがまた蘇ってきたのだ。
そして同時に悔しかった。
自分はただ毎日をこなしているだけなのに、こうやって作品として研究を続けられる情熱が。
当時、人生が最高にバグっていたのだが、その反面、仕事関連に病みに病みまくっていた。
病み過ぎて、詩作も、小話も、二次創作も、何もかもしなくなっていた。
働いているもんで金があるものだからいろんなところに行ってはいたし、その経験あってこそ今の創作に繋がっているところもある。
けれど、あの何も創作しない時に戻りたいとは思わない。
そう思えたのは、ついなちゃんだけでなく、他のキャラ含めて音声合成ソフトで紹介動画を作っていた連れのお蔭だった。連れと出会ったことで、創作がどうしようもなく好きだった自分を思い出してしまった。
ついなちゃんに積極的に関わるようになったのは、方相氏のガイドブックを手に入れてからだった。
知っている場所が、昔見たあの行事が、追儺式と呼ばれるもので、一時期途絶えていたものが徐々に復古しているということ。
知らずに写真に残していたもの。ガラケー時代なので画素は悪いけれど、ガイドブックのそれを自分が見に行っていたという事実がとても嬉しかった。
それと同時に、神社仏閣が好き、好きで出掛ける、そうしていくといろんな文化が連なっているということも改めて再確認でき、それをもっと見に行きたいと思った。
平安神宮 2009年02月03日
連れがきっかけで一時期音声合成界隈に居たわけだが、その即売会がきっかけで、いや、正確に言うと、疫病で中止になった2020年春の即売会の代替えで出掛けた宝蔵寺がきっかけで、ついなちゃんを使った創作にも関わっていくことになる。
宝蔵寺に、伊藤若冲の髑髏の御朱印帳をいただきにいった。
そこで、御朱印を集める自分の姿に、連れは思うところがあったのだろう、そうしてついなちゃんの御朱印帳(非公式同人・前述のボイロ化一周年記念オフ会での頒布物)ができることになった。
ついなちゃんの御朱印帳ができたのだからと、連れと、または一人で、ついなちゃんや節分関連の御朱印を集め始めた。
宝蔵寺 2020年04月05日
そこで気が付いたのは、現在追儺式を行っている神社、昔行っていたけれど今することができない神社、そのどれも小さくて、言い方は悪いが、あまり知られてなさそうで、人もまばらなところが多いということだった。
京都に住んでいると、吉田神社や平安神宮などの大きい神社が堂々と追儺式を行っている印象を受けていたのだが、小さな神社が必死に文化を残そうと頑張っているというのが、実情のようだった。
節分行事だけじゃない。行事事が大きく取り上げられる神社仏閣というのは、そもそも知名度が高い場所ばかりだ。
知名度の高いところは放っておいても人が来る。
けれど、それだけだと文化を残していくことはできないのだ。
ついなちゃんはSNSなどで積極的に神社仏閣のことをPRしているけれど、今年の正月にニコニコ動画内で放送された超神社では、ついなちゃんは可愛い存在、という認識で、神社仏閣を盛り上げようとPRしたり、コラボしたり、神社仏閣と深い繋がりがあると知っている人の方が少なかった。
自分がついなちゃんを追い掛けている一番の理由である「神社仏閣、追儺式と真剣に向き合っている」ということを、多くの人は知らない、その事実に衝撃を受けた。
だから、超神社がきっかけで、少しでも現実世界で、自分達の神社仏閣を残そうと、文化を残そうと頑張っている神社仏閣があること、ついなちゃんという存在がそれに力を注いでいるという事実を、多くの人に知ってもらいたいと思った。
そもそも神様というのは人間が好きなのだ。
だから、多くの人が、神社仏閣に少しでも興味を持つきっかけの、そんなお手伝いがしたいなと思った。
ただまぁ、中の人は万年金欠なので、クラファンに課金するだけじゃなくて、他の応援手段がないかなと、考えた結果が、今書いている、神社仏閣への愛を叫ぶエッセイだ。
この記事を読んで、ちょっとでも気になった人が一人でも多くいてくれたら、本望である。
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力のお話
其の参 文化を残そうと進み続ける存在に出会えたんだ、というお話
※ついなちゃんと神社仏閣に対しての中の人の思い入れ具合は、顧問Pが主催した ボイロ化一周年オフ会 の蛇足でも語っていますので気が向いたら読んでみてください
ついなちゃんという存在との出会いは、2019年の秋、ついなちゃんがボイスロイド化した時だった。
可愛い声だし、当時の連れが動画で使っていたこともあり、気になってはいた。ただ、自分は動画を作る側の人間ではなかったので、いまいちピンと来ていなかった。
それが、一気についなちゃんを応援する方向性に傾いたのが、即売会で方相氏のガイドブックを出しているというのを知ったことがきっかけだった。
当時のことはあまり覚えてないけれど、人生が最高にバグっていたので、連れが即売会に行くと言うのに便乗して、方相氏のガイドブックを代行してもらった。
そしてそれを手にして、読んだ時。
すごくわくわくした。
萌えキャラがメインなのかと思っていたら、しっかりと各神社仏閣での追儺式を比較しており、研究対象として、とても興味深い内容で、忘れかけていた大学時代に文献や先行研究を漁る楽しさがまた蘇ってきたのだ。
そして同時に悔しかった。
自分はただ毎日をこなしているだけなのに、こうやって作品として研究を続けられる情熱が。
当時、人生が最高にバグっていたのだが、その反面、仕事関連に病みに病みまくっていた。
病み過ぎて、詩作も、小話も、二次創作も、何もかもしなくなっていた。
働いているもんで金があるものだからいろんなところに行ってはいたし、その経験あってこそ今の創作に繋がっているところもある。
けれど、あの何も創作しない時に戻りたいとは思わない。
そう思えたのは、ついなちゃんだけでなく、他のキャラ含めて音声合成ソフトで紹介動画を作っていた連れのお蔭だった。連れと出会ったことで、創作がどうしようもなく好きだった自分を思い出してしまった。
ついなちゃんに積極的に関わるようになったのは、方相氏のガイドブックを手に入れてからだった。
知っている場所が、昔見たあの行事が、追儺式と呼ばれるもので、一時期途絶えていたものが徐々に復古しているということ。
知らずに写真に残していたもの。ガラケー時代なので画素は悪いけれど、ガイドブックのそれを自分が見に行っていたという事実がとても嬉しかった。
それと同時に、神社仏閣が好き、好きで出掛ける、そうしていくといろんな文化が連なっているということも改めて再確認でき、それをもっと見に行きたいと思った。
平安神宮 2009年02月03日
連れがきっかけで一時期音声合成界隈に居たわけだが、その即売会がきっかけで、いや、正確に言うと、疫病で中止になった2020年春の即売会の代替えで出掛けた宝蔵寺がきっかけで、ついなちゃんを使った創作にも関わっていくことになる。
宝蔵寺に、伊藤若冲の髑髏の御朱印帳をいただきにいった。
そこで、御朱印を集める自分の姿に、連れは思うところがあったのだろう、そうしてついなちゃんの御朱印帳(非公式同人・前述のボイロ化一周年記念オフ会での頒布物)ができることになった。
ついなちゃんの御朱印帳ができたのだからと、連れと、または一人で、ついなちゃんや節分関連の御朱印を集め始めた。
宝蔵寺 2020年04月05日
そこで気が付いたのは、現在追儺式を行っている神社、昔行っていたけれど今することができない神社、そのどれも小さくて、言い方は悪いが、あまり知られてなさそうで、人もまばらなところが多いということだった。
京都に住んでいると、吉田神社や平安神宮などの大きい神社が堂々と追儺式を行っている印象を受けていたのだが、小さな神社が必死に文化を残そうと頑張っているというのが、実情のようだった。
節分行事だけじゃない。行事事が大きく取り上げられる神社仏閣というのは、そもそも知名度が高い場所ばかりだ。
知名度の高いところは放っておいても人が来る。
けれど、それだけだと文化を残していくことはできないのだ。
ついなちゃんはSNSなどで積極的に神社仏閣のことをPRしているけれど、今年の正月にニコニコ動画内で放送された超神社では、ついなちゃんは可愛い存在、という認識で、神社仏閣を盛り上げようとPRしたり、コラボしたり、神社仏閣と深い繋がりがあると知っている人の方が少なかった。
自分がついなちゃんを追い掛けている一番の理由である「神社仏閣、追儺式と真剣に向き合っている」ということを、多くの人は知らない、その事実に衝撃を受けた。
だから、超神社がきっかけで、少しでも現実世界で、自分達の神社仏閣を残そうと、文化を残そうと頑張っている神社仏閣があること、ついなちゃんという存在がそれに力を注いでいるという事実を、多くの人に知ってもらいたいと思った。
そもそも神様というのは人間が好きなのだ。
だから、多くの人が、神社仏閣に少しでも興味を持つきっかけの、そんなお手伝いがしたいなと思った。
ただまぁ、中の人は万年金欠なので、クラファンに課金するだけじゃなくて、他の応援手段がないかなと、考えた結果が、今書いている、神社仏閣への愛を叫ぶエッセイだ。
この記事を読んで、ちょっとでも気になった人が一人でも多くいてくれたら、本望である。
2023年02月12日
春立つ前に君を思う
「no-title」
誰かを想ってその場所へ
もう
その誰かとの道が交わらなくても
同じ場所に立てなくても
それでも
想える誰かがいることは
きっと僕の未来を照らしてくれるんだ
「no-title」
生きるはいつも別れ道
誰かと過ごしたこの場所に
僕は一人で立っている
それでも心が暖かいのは
思い出と
小春日に見る綻びが
暖かくて優しいからだよ
「no-title」
動かなくても旅に出ようよ
いつかの夢を追い掛けて
きっと辿り着く場所は
夢の夢のその先だよ
「no-title」
僕の記憶から消えてしまった物語を
それでも誰かが愛していて
いつかまた出会えたら
だから、物語は、永遠だね
一月末日、吉田神社に福豆をいただきに行ってきました(まだ抽選番号確認してないです)
二月二日、一粒万倍日に栃木県真岡市にある大前神社と、埼玉県久喜市にある鷲宮神社に聖地巡りしてきました。
大前神社は去年の二月末に足利旅行に組み込んで行ってきたので、節分の時季の御朱印をいただけなかったのですが、今年リベンジできたので嬉しいです。
皆が曖昧三センチ踊ってた時代が記憶より昔でビビっているアラフォー手前です…、(大学時代に流行ってたんだもんな…、)
それでも十何年経っても町興しの面影が残っていたり、未だに推し続けてくれているというのは、本当に素敵なことだなぁと思うのです。
さまにゃんこでした。
誰かを想ってその場所へ
もう
その誰かとの道が交わらなくても
同じ場所に立てなくても
それでも
想える誰かがいることは
きっと僕の未来を照らしてくれるんだ
「no-title」
生きるはいつも別れ道
誰かと過ごしたこの場所に
僕は一人で立っている
それでも心が暖かいのは
思い出と
小春日に見る綻びが
暖かくて優しいからだよ
「no-title」
動かなくても旅に出ようよ
いつかの夢を追い掛けて
きっと辿り着く場所は
夢の夢のその先だよ
「no-title」
僕の記憶から消えてしまった物語を
それでも誰かが愛していて
いつかまた出会えたら
だから、物語は、永遠だね
一月末日、吉田神社に福豆をいただきに行ってきました(まだ抽選番号確認してないです)
二月二日、一粒万倍日に栃木県真岡市にある大前神社と、埼玉県久喜市にある鷲宮神社に聖地巡りしてきました。
大前神社は去年の二月末に足利旅行に組み込んで行ってきたので、節分の時季の御朱印をいただけなかったのですが、今年リベンジできたので嬉しいです。
皆が曖昧三センチ踊ってた時代が記憶より昔でビビっているアラフォー手前です…、(大学時代に流行ってたんだもんな…、)
それでも十何年経っても町興しの面影が残っていたり、未だに推し続けてくれているというのは、本当に素敵なことだなぁと思うのです。
さまにゃんこでした。
2023年02月10日
ニコニコ超神社CFを応援したいなってお話 其の弍
『ニコニコ超会議』内開催のお祭り【超神社サミット】に本物の神社様をご招待したい!
を応援したいなと思って、微力ながら宣伝をしたいなと思って記事を書かせていただくことにしました。
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
前回 其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力の話
大学で京都で日本文学を専攻したくて京都にやって来た。古典をやるのにここまでいい場所は他にないし、何より自分は天満宮が好きだった。
なので、大学時代に北野天満宮の近くに住めたのはとても恵まれていたと思う。
※地元の氏神さんも天満宮を合祀している
※北野天神縁起絵巻が好き
大学時代、人がこんなに溢れている京都であっても、人の往来の少ない神社と、人が多く活気に溢れている神社があることに気付いた。
そして、人の往来の少ない神社は、どんなに頑張っても建物の補修なんてできやしないのだ。
自分は大学時代に遙かなる時空の中で3にハマったこともあり、京都の聖地は自転車で巡りまくっていた。
そこで、雰囲気がめちゃくちゃ気に入ったのが、建勲神社である。
そもそも遙か3で平敦盛を推していたので、玄武の甲羅である船岡山に愛着があった。夜の船岡山はデートスポットで気が滅入ったけど、昼の船岡山のあの木漏れ日がすごく好きだった。
船岡山は玄武の甲羅だし、建勲神社は織田信長を祀っているし、木漏れ日が心地好いし、好きにならないわけがない。
建勲神社にはずっと打ち捨てられているかのような社があった。
大学時代から卒業して数年、ずっと、それはそのままで、そんなもんなんだと思っていた。
自分はたまに行ってお賽銭入れてお願い事をする程度しかできなかったし、そもそも自分のお金がかつかつなのに、この社が建て直されるだけのお金なんてどうしようもないもんな、と、思っていた。
船岡妙見社(玄武大神を祀る) 2013年05月12日
船岡妙見社 2015年05月21日
刀剣乱舞がリリースされた年の五月、推し刀剣が推し神社に居ると聞いて早速訪問。
リリースから五ヶ月ほど、まだ、そこは今まで訪れていた建勲神社だった。
強いて言えば手入れされていない玄武の社が倒壊し掛けているのか覆われていたことくらいだった。
上記二枚の写真を見ても、あまり打ち捨てられている感じはしないかもしれないけど、ガラケーなので解像度が悪く判別しにくいが社を構成する木材はだいぶ朽ち果てていた。
補修されていないのは、玉垣のボロさを見る方が判りやすいかもしれない。
その日は推しがこの蔵の中にいるのかとわくわくして、帰った。
これは只事ではないと思い知ったのは、四社で刀剣御朱印を始めた時のことだ。
御朱印は前から気になっていたし、これを機に集めてみようくらいの軽いノリだった。
平日、粟田神社。
正直舐めてた。
粟田神社 2015年07月25日(刀剣御朱印第一弾開始日)
粟田神社 2015年07月25日
開始時間に行ったのかどうだったかは覚えていないが、そんな遅くもなかった筈だ。
小さな神社に人が溢れることなんてお祭りごとでもないとない。そう思っていた。
いや、その刀剣御朱印が開始すると言うのは、刀剣乱舞クラスタにとってはお祭りのようなものだったのかもしれない。
その後、四社を巡ったけれど、どこも人が溢れていた。
これをきっかけに自分も御朱印を集め始めたし、推しが関係している場所に行ってお金を落とせる「御朱印」という方法を知った。
今までは行くだけで、御朱印集めは気になるけど……、何となく一歩を踏み出せずにいた。
けれど、この日の行列を見て確信したのだ。
これは、「金になる」と。
その後も何度も建勲神社に訪れていたが、年明け、とんでもないものを目にした。
あの打ち捨てられたかのような社が、復活していたのである。
船岡妙見社 2016年01月14日
本当に興奮した。
嬉しすぎて普段人と喋らないのに神社の人(当時は知らなかったが神主さん)に「あの社綺麗になったんですね!」と、喋った(そして顔バレした、もうだいぶ会ってないからそろそろ顔忘れてくれてると思う)
リアルタイムではなかったけれど、暫く経って、大学時代の先輩にも報告した。
それほど嬉しかったし、この、一人一人の額が少なくても、こうやって目に見える形で神社が潤っていく様子が判るのが、すげぇ! と、思ったのだ。
刀剣乱舞の数の暴力の件は、文化財保護のクラウドファンディング、神社仏閣の復興、城、美術館、ここ数年で他の界隈に居る人も知るところとなっていると思うが、きっかけがあれば、朽ちていくはずの文化は救えるのかもしれない、諦めきっていた自分の中に希望が湧いた。
そして同時に、いろんな場所に行ってみて、刀剣乱舞だけじゃなく他の作品やキャラクターを押し出してなんとか持ちこたえようとする神社仏閣の存在も知った。
それらの神社仏閣全てが認知されているかというと、そうでもなくて。
だから、きっかけを作ろう頑張ってくれている人がいるなら応援したいと思ったのだ。
次は、そうやって頑張り続けていた存在を発見したよ、というお話を書こうと思います。
ここから今回のクラウドファンディングの話に繋がっていきます、実は。
さまにゃんこでした。
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
前回 其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
其の弍 刀剣乱舞で思い知った数の暴力の話
大学で京都で日本文学を専攻したくて京都にやって来た。古典をやるのにここまでいい場所は他にないし、何より自分は天満宮が好きだった。
なので、大学時代に北野天満宮の近くに住めたのはとても恵まれていたと思う。
※地元の氏神さんも天満宮を合祀している
※北野天神縁起絵巻が好き
大学時代、人がこんなに溢れている京都であっても、人の往来の少ない神社と、人が多く活気に溢れている神社があることに気付いた。
そして、人の往来の少ない神社は、どんなに頑張っても建物の補修なんてできやしないのだ。
自分は大学時代に遙かなる時空の中で3にハマったこともあり、京都の聖地は自転車で巡りまくっていた。
そこで、雰囲気がめちゃくちゃ気に入ったのが、建勲神社である。
そもそも遙か3で平敦盛を推していたので、玄武の甲羅である船岡山に愛着があった。夜の船岡山はデートスポットで気が滅入ったけど、昼の船岡山のあの木漏れ日がすごく好きだった。
船岡山は玄武の甲羅だし、建勲神社は織田信長を祀っているし、木漏れ日が心地好いし、好きにならないわけがない。
建勲神社にはずっと打ち捨てられているかのような社があった。
大学時代から卒業して数年、ずっと、それはそのままで、そんなもんなんだと思っていた。
自分はたまに行ってお賽銭入れてお願い事をする程度しかできなかったし、そもそも自分のお金がかつかつなのに、この社が建て直されるだけのお金なんてどうしようもないもんな、と、思っていた。
船岡妙見社(玄武大神を祀る) 2013年05月12日
船岡妙見社 2015年05月21日
刀剣乱舞がリリースされた年の五月、推し刀剣が推し神社に居ると聞いて早速訪問。
リリースから五ヶ月ほど、まだ、そこは今まで訪れていた建勲神社だった。
強いて言えば手入れされていない玄武の社が倒壊し掛けているのか覆われていたことくらいだった。
上記二枚の写真を見ても、あまり打ち捨てられている感じはしないかもしれないけど、ガラケーなので解像度が悪く判別しにくいが社を構成する木材はだいぶ朽ち果てていた。
補修されていないのは、玉垣のボロさを見る方が判りやすいかもしれない。
その日は推しがこの蔵の中にいるのかとわくわくして、帰った。
これは只事ではないと思い知ったのは、四社で刀剣御朱印を始めた時のことだ。
御朱印は前から気になっていたし、これを機に集めてみようくらいの軽いノリだった。
平日、粟田神社。
正直舐めてた。
粟田神社 2015年07月25日(刀剣御朱印第一弾開始日)
粟田神社 2015年07月25日
開始時間に行ったのかどうだったかは覚えていないが、そんな遅くもなかった筈だ。
小さな神社に人が溢れることなんてお祭りごとでもないとない。そう思っていた。
いや、その刀剣御朱印が開始すると言うのは、刀剣乱舞クラスタにとってはお祭りのようなものだったのかもしれない。
その後、四社を巡ったけれど、どこも人が溢れていた。
これをきっかけに自分も御朱印を集め始めたし、推しが関係している場所に行ってお金を落とせる「御朱印」という方法を知った。
今までは行くだけで、御朱印集めは気になるけど……、何となく一歩を踏み出せずにいた。
けれど、この日の行列を見て確信したのだ。
これは、「金になる」と。
その後も何度も建勲神社に訪れていたが、年明け、とんでもないものを目にした。
あの打ち捨てられたかのような社が、復活していたのである。
船岡妙見社 2016年01月14日
本当に興奮した。
嬉しすぎて普段人と喋らないのに神社の人(当時は知らなかったが神主さん)に「あの社綺麗になったんですね!」と、喋った(そして顔バレした、もうだいぶ会ってないからそろそろ顔忘れてくれてると思う)
リアルタイムではなかったけれど、暫く経って、大学時代の先輩にも報告した。
それほど嬉しかったし、この、一人一人の額が少なくても、こうやって目に見える形で神社が潤っていく様子が判るのが、すげぇ! と、思ったのだ。
刀剣乱舞の数の暴力の件は、文化財保護のクラウドファンディング、神社仏閣の復興、城、美術館、ここ数年で他の界隈に居る人も知るところとなっていると思うが、きっかけがあれば、朽ちていくはずの文化は救えるのかもしれない、諦めきっていた自分の中に希望が湧いた。
そして同時に、いろんな場所に行ってみて、刀剣乱舞だけじゃなく他の作品やキャラクターを押し出してなんとか持ちこたえようとする神社仏閣の存在も知った。
それらの神社仏閣全てが認知されているかというと、そうでもなくて。
だから、きっかけを作ろう頑張ってくれている人がいるなら応援したいと思ったのだ。
次は、そうやって頑張り続けていた存在を発見したよ、というお話を書こうと思います。
ここから今回のクラウドファンディングの話に繋がっていきます、実は。
さまにゃんこでした。
2023年02月07日
ニコニコ超神社CFを応援したいなってお話 其の壱
『ニコニコ超会議』内開催のお祭り【超神社サミット】に本物の神社様をご招待したい!
を応援したいなと思って、微力ながら宣伝をしたいなと思って記事を書かせていただくことにしました。
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
今回は、其の壱。クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
※後日、地元の神社の写真、御朱印等を追記にて載せさせていただきます
→02/08 写真追加(また後で御朱印の写真を追加します)
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
小さい頃から神様は見えなくても居るものだった。
水か豊かなのも、作物が美味しいのも、神様のお蔭だと思っていた。
それは五穀豊穣を感謝する祭りがずっと根差している地域で育ったからだと思う。たかだか祭りというかもしれないけど、それだけ地域に根差しているもので、文化の根源なので、自分は地元の祭りにも、よその祭りにも、それぞれの良さがあると思っている。
まぁ、氏神さんが好きなので、地元の祭りが一番じゃけん、と、思うのは、当然のこととして、それとは別に、どの地域にも神様や地域の繋がり、文化、心の根源として祭りがあると思っているので、どの祭りも楽しめればいいなと思っている。
神様は人が集まるところに成るものだ。
信仰があるから力を保てるのだ。
日本文学のこの考え方が好きだし、実際にそういうものだと思っている。
神社は人が集まれば集まるほど、活気付く。
そうやって紡がれてきた数多の物語や、歌、神話、いろんな作品へのリスペクトと、神様は人間が大好きで、だから、人間が気付かないだけで、そこかしこに居るんだよ、そういう気持ちを自分も作品として残したくて、文字書きをしている。
※別名義で数年前に書いた水の神様のお話「 失うことが怖いカミサマのお話 (Pixiv)」、こういう神様と人間がそこにある物語を書いていきたいというのが創作の根源となっている
自分は氏神さんの神社が好きだったし、お旅の神社も好きだったし、山を祀る神社も好きだった。
地元にはたくさんの好きなものがあって、その神様に触れ合える祭りもあって、それができる場所が神社だった。
建築物が好きなのもある。
建物が好きだから、神社仏閣を巡るのが好きだったというのもある。
けれどそれ以上に、そこに行けば何となく落ち着く、そんな心の拠り所として、神社というものがすごくすごく好きだった。
大学で京都に来てから、神社仏閣巡りができるのが楽しかった。
大好きな天満宮がすぐそこにあるのも嬉しかった。
京都だけでもいろんな祭りがあって、それに関わる人のいろんな想いに触れたりもして、そういう、神様と触れ合うための祭りというものだけれど、妙に人間臭いところがあるのが、祭りの本質だと思っている。
目には見えないけれど、神様と一緒に、人間が思いっきり楽しむためのもの、それが祭りなのだ。
けれど、それがいつまでも続くわけではない。
十年と少し前のこと。大学時代後半から卒業してすぐの頃、世の中では後継者のいない神社や寺が廃れて廃墟となり、倒壊し、社会問題になっていた。
当時の知り合いに地方に住んでいた人がいて、荒れた寺、管理されてない神社なんてそこかしこにあると言っていたし、正直、どんな職種でも後継者がいなくて文化など消えていくのだ、と、日本文学を専攻して文化を伝えていくべき自分でさえも思っていた。
近年消えていった神社仏閣、信仰、そして祭りは数えきれないのだろうなと思うし、そういうものをまず知ることもないままだろう。それが、現実だ。
逆に、日本文学を専攻していたからこそ、諦めみたいなものがあったのだ。
お金と需要は永遠ではなくて、たった一人のために技術は残ったりしない。技術を残すのにはお金が必要で、技術を残すためにサブカルチャーなどの多方面に訴えかけて頑張って需要を取り戻そうとする人達がいることを学んでしまった。
だが、お金は無限ではない。
だから、消えていくしかないものは、たくさんある。例えどんなに頑張っても。
そんな諦めを覆したのが、刀剣乱舞という作品だった。
刀剣乱舞と神社仏閣については後の回で詳しく書くとして、その時、「数の暴力が荒れた社や寺を救うのだ」と、思い知らされた。
だから、残していきたい文化があるなら、残していきたい場所があるなら、大切なものがあるなら、それを一人でも多くの人に知ってもらう、たったそれだけでも、自分にできることはあるんじゃないかと思った。
今回のニコニコ超神社は、ニコニコ動画というコンテンツに触れ合っていない世代にとってはピンと来なかったり、関係のない話に思えるかもしれない。
けれど、自分にとっては、自分が訪れて残していきたいと思った場所が、これからも残っていけるかどうか、その命運が掛かっているのだ。
大袈裟な話ではなくて、認知度が上がって、例えばたった一人でもそこに訪れてくれて、その場所に感動したり、御朱印をいただいたり、新しい場所を知れたり、そういう連鎖が、忘れ去られてしまう場所を残し続ける道なのだ。
自分は残したいものがたくさんある。残したい場所がたくさんある。
今回、ここに関わる神社仏閣は四社だけかもしれないけれど、こうして「自分達がどういう信仰と神様と共にあるのかを知ってもらう」ために行動している神社があることをいろんな世代に知ってもらうことは、すごく、すごくすごく、重要だと思っている。
一人一人が少額の支援しかできなくても、その想いの数が多ければ多いほど、金額は大きくなる。
金額だけじゃない。
神様は、人間が集まるところが好きなのだ。
自分は地元が好きだ。
地元が好きだからこそ、全国各地にあるいろんな場所が好きだ。
そしてそこで、その場所を残そうと頑張っている人達を応援したい。
だから、少しでも「こういうことがあるよ」と、知ってもらう手助けをしたい。
自分が伝えられる人数は少なくても、違う界隈の人達の目に少しでも触れれば、その想いと、自分の神社仏閣への愛を込めて。
最後に、以前投稿した地元の写真で作ったポスターを再度貼っておきます。
水が豊かで五穀豊穣を感謝するお祭りがある地域で育ったさまにゃんこでした。
※ポスターの記事「 Twitterでの応援ポスターコンテストの作品 」
零れた記憶の写真館
クラウドファンディングに関してはサイトに飛んでいただいて、支援云々を決めていただくとして、このシリーズでは、どうしてこのクラウドファンディングを応援しているのかというのを、「神社仏閣と、自分」というエッセイにして書いてみようと思います。
今回は、其の壱。クラウドファンディング終了まで数回に分けて自分の中の神社仏閣などの日本文化愛を書いていけたらなと思います。
※後日、地元の神社の写真、御朱印等を追記にて載せさせていただきます
→02/08 写真追加(また後で御朱印の写真を追加します)
其の壱 水が豊かで五穀豊穣のお祭りがある地域で育ったのだ、というお話
小さい頃から神様は見えなくても居るものだった。
水か豊かなのも、作物が美味しいのも、神様のお蔭だと思っていた。
それは五穀豊穣を感謝する祭りがずっと根差している地域で育ったからだと思う。たかだか祭りというかもしれないけど、それだけ地域に根差しているもので、文化の根源なので、自分は地元の祭りにも、よその祭りにも、それぞれの良さがあると思っている。
まぁ、氏神さんが好きなので、地元の祭りが一番じゃけん、と、思うのは、当然のこととして、それとは別に、どの地域にも神様や地域の繋がり、文化、心の根源として祭りがあると思っているので、どの祭りも楽しめればいいなと思っている。
神様は人が集まるところに成るものだ。
信仰があるから力を保てるのだ。
日本文学のこの考え方が好きだし、実際にそういうものだと思っている。
神社は人が集まれば集まるほど、活気付く。
そうやって紡がれてきた数多の物語や、歌、神話、いろんな作品へのリスペクトと、神様は人間が大好きで、だから、人間が気付かないだけで、そこかしこに居るんだよ、そういう気持ちを自分も作品として残したくて、文字書きをしている。
※別名義で数年前に書いた水の神様のお話「 失うことが怖いカミサマのお話 (Pixiv)」、こういう神様と人間がそこにある物語を書いていきたいというのが創作の根源となっている
自分は氏神さんの神社が好きだったし、お旅の神社も好きだったし、山を祀る神社も好きだった。
地元にはたくさんの好きなものがあって、その神様に触れ合える祭りもあって、それができる場所が神社だった。
建築物が好きなのもある。
建物が好きだから、神社仏閣を巡るのが好きだったというのもある。
けれどそれ以上に、そこに行けば何となく落ち着く、そんな心の拠り所として、神社というものがすごくすごく好きだった。
大学で京都に来てから、神社仏閣巡りができるのが楽しかった。
大好きな天満宮がすぐそこにあるのも嬉しかった。
京都だけでもいろんな祭りがあって、それに関わる人のいろんな想いに触れたりもして、そういう、神様と触れ合うための祭りというものだけれど、妙に人間臭いところがあるのが、祭りの本質だと思っている。
目には見えないけれど、神様と一緒に、人間が思いっきり楽しむためのもの、それが祭りなのだ。
けれど、それがいつまでも続くわけではない。
十年と少し前のこと。大学時代後半から卒業してすぐの頃、世の中では後継者のいない神社や寺が廃れて廃墟となり、倒壊し、社会問題になっていた。
当時の知り合いに地方に住んでいた人がいて、荒れた寺、管理されてない神社なんてそこかしこにあると言っていたし、正直、どんな職種でも後継者がいなくて文化など消えていくのだ、と、日本文学を専攻して文化を伝えていくべき自分でさえも思っていた。
近年消えていった神社仏閣、信仰、そして祭りは数えきれないのだろうなと思うし、そういうものをまず知ることもないままだろう。それが、現実だ。
逆に、日本文学を専攻していたからこそ、諦めみたいなものがあったのだ。
お金と需要は永遠ではなくて、たった一人のために技術は残ったりしない。技術を残すのにはお金が必要で、技術を残すためにサブカルチャーなどの多方面に訴えかけて頑張って需要を取り戻そうとする人達がいることを学んでしまった。
だが、お金は無限ではない。
だから、消えていくしかないものは、たくさんある。例えどんなに頑張っても。
そんな諦めを覆したのが、刀剣乱舞という作品だった。
刀剣乱舞と神社仏閣については後の回で詳しく書くとして、その時、「数の暴力が荒れた社や寺を救うのだ」と、思い知らされた。
だから、残していきたい文化があるなら、残していきたい場所があるなら、大切なものがあるなら、それを一人でも多くの人に知ってもらう、たったそれだけでも、自分にできることはあるんじゃないかと思った。
今回のニコニコ超神社は、ニコニコ動画というコンテンツに触れ合っていない世代にとってはピンと来なかったり、関係のない話に思えるかもしれない。
けれど、自分にとっては、自分が訪れて残していきたいと思った場所が、これからも残っていけるかどうか、その命運が掛かっているのだ。
大袈裟な話ではなくて、認知度が上がって、例えばたった一人でもそこに訪れてくれて、その場所に感動したり、御朱印をいただいたり、新しい場所を知れたり、そういう連鎖が、忘れ去られてしまう場所を残し続ける道なのだ。
自分は残したいものがたくさんある。残したい場所がたくさんある。
今回、ここに関わる神社仏閣は四社だけかもしれないけれど、こうして「自分達がどういう信仰と神様と共にあるのかを知ってもらう」ために行動している神社があることをいろんな世代に知ってもらうことは、すごく、すごくすごく、重要だと思っている。
一人一人が少額の支援しかできなくても、その想いの数が多ければ多いほど、金額は大きくなる。
金額だけじゃない。
神様は、人間が集まるところが好きなのだ。
自分は地元が好きだ。
地元が好きだからこそ、全国各地にあるいろんな場所が好きだ。
そしてそこで、その場所を残そうと頑張っている人達を応援したい。
だから、少しでも「こういうことがあるよ」と、知ってもらう手助けをしたい。
自分が伝えられる人数は少なくても、違う界隈の人達の目に少しでも触れれば、その想いと、自分の神社仏閣への愛を込めて。
最後に、以前投稿した地元の写真で作ったポスターを再度貼っておきます。
水が豊かで五穀豊穣を感謝するお祭りがある地域で育ったさまにゃんこでした。
※ポスターの記事「 Twitterでの応援ポスターコンテストの作品 」
零れた記憶の写真館
2022年04月29日
2022年04月29日の誰かへ
2019年04月29日の君へ 、2022年の僕より。
※写真 2021年04月24日 弘前駅のアップルパイ
※みくちゃ編集 2022年04月29日
十年以内に曲を付けます!
と言って三年経ってしまっているので、たぶんあと七年以内に曲が付くと思います。
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