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2014年10月09日

カンボジアの旅2

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プノンペンのメインストリートがモニボン通りと言う。
安宿は、この目貫通りにある有名な安宿の「キャピトル・ホテル」に泊まった。1泊2ドルと安く泊まれる事が出来た。ホーチミンとは全く違う世界であり、さらに貧困差が一目で分かる。未だ内戦の爪痕を感じさせるように、足がない人が多く見受けられた。おそらく、地雷や虐殺にあった人達であろう。地面を這いつくばって空き缶を持って、外人の集まる「キャピトル・ホテル」に来る。今日生きられるかどうかのような人達が多い。可哀そうになるが、1人にお金をあげてしまうと違う人もたかって来るので無視するしかない。交通ルールもあってないようなものであり、車が自転車・オートバイを引いたりぶつけても車両価格が高い方が勝ちとなる。日本とは全く逆の事である。ぶつけられたオートバイなんかは泣き寝入りするしかない。ちょっと道をショートカットしようとすると軍人が銃を持って監視している。その軍人がたかりの軍人なのか、守ってくれる軍人なのかは分からない。何回か遭遇したが、お金をたかって来る軍人でなかったのは幸いだった。
夜になるとモニボンの大きいストリートでさえ、誰もいなくなる。地元のギャングや、軍人、警察などが銃で撃ちあっているとの事であった。夜中に銃の乾いた音が町中に響きわたる。宿の方も安全の為に鉄格子で閉めてしまう。これが、当時のプノンペンの状況でもあった。朝は、氷をノコギリで切る音で目覚める。まだ、冷蔵庫が普及していないせいか、氷を入れて保存するのが主流であり、昔の日本みたいにタイムスリップした感じになる。食事は宿の1階にレストランがあり、そこがメインになるが、ちょっと足を伸ばせば中華料理もたくさんある。支払は1ドル以下の物に関しては、リエルだが1ドル以上になるとアメリカドルの支払いが多い。
これは、自国の通貨(リエル)の信用がないので仕方ない。旅に行く時には、1ドル札を沢山持っていくのが正解である。アメリカに住んでいた時のドル紙幣とカンボジアのドル紙幣は色が、ちょっと違った。それは、紙幣の色が茶色に変色していた。色んな人が使っているせいか色褪せたりして変色していたのだ。


2014年10月08日

カンボジアの旅1

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カンボジアの入国手続きが終わり、外へ出た。ベトナムの国境の町のモクバイまでは舗装された道路であったが、ここからは未舗装に変わった。国が変わればと言うが、こんなに変わるもんなのか。タクシーが数台いるだけで、どうやらバスは走ってないみたいなので、運転手と交渉したらプノンペンまで1人4ドルだと言う。高いのか安いのか分からないけど、こんな所にいても仕方ないのでタクシーに乗り込んだ。タクシーはガンガン未舗装の道を飛ばす。危険を感じてシートベルトを装着した。30分ほど走ったら、港に着いた。オバちゃんが1人増え、しかもオバちゃんの荷物が多いので後ろは狭くなった。ジャンケンで勝った西森さんが前の助手席を取ったので羨ましかった。しかし、この悪路はプノンペンまで続くのかと思うとウンザリさせられる。さらに、30分ほど走った所で検問に引っかかった。政府軍なのか、ポルポト派なのかで全く違う。恐怖で言われるままにするしかない。運転手は、通行料を払う為に外へ出て行った。機関銃を持った若くて背の高い兵士が近づいて、車の運転手席に座った。こっちをジロジロ見ているが、目を合わせないで下を向いて黙っていた。兵士は、運転手席にあるタバコとダッシュボードに入っていた紙幣を取り、トランクを開けて見ている。どうやら政府軍らしいが、やる事がヒドイ。自分達はトランクから自分達の荷物を取られるかと心配だったが何もなく終わった。武装兵士が、これからもいるのかと思うと怖くなってきたが、これが現在のカンボジアだと受け入れるしかない。所々にドクロマークの看板があり有刺鉄線で広大に囲われてる。地雷が相当埋まっている証拠であった。タクシーが快調に走っていると当然渋滞にはまった。全く動かずに、物売りが車と車の間を歩いて売っている。炭酸飲料や果物などが多いが、一体どうなっているのか分からなかったが、川に差し掛かったらしく渡し船を待っていた。橋が架かってないから当たり前だが、かなり不便に感じた。メコンの国なのに橋を作れる技術がないのには残念であり、この先に川があれば都度止まってしまうのかとガッカリした。ようやく船が到着して車を乗せ始めた。ゆっくりと川を渡って対岸に着き、そこから1時間ほどでプノンペンに入った。プノンペンの主要道路は舗装されているが、やはり未舗装が目立つ。
来たぜ!プノンペン!タクシーは安宿の前で止まった。


ベトナムの旅33〜さよならサイゴン〜

カンボジア大使館でビザの発給を受けた。これで、やっとカンボジアに行けるんだ。と思うと逆にベトナムの旅も楽しかったが終焉になるのか。と、ちょっと寂しくなるのもあった。ファングラーオに戻り、モクバイ(カンボジア国境の町)へのバスチケットを購入。カンボジアは、内戦が終わった所で政府も機能していなく危ないと情報では入ってきている。ここで、引き返す訳にも行かないので、実際に見てみないと分からない好奇心と不安が混じる中、カンボジアを目指す。モクバイへ行く日が来た。バスはホーチミン郊外へと出て、モクバイを目指した。そして中国からカンボジアへの陸路3ヶ国目になる。ベトナム側で出国手続きを終えて、カンボジア入国まで草原を歩かないといけない。ちょうど真ん中まで来た時に、国境を示す石碑が立っていた。ここで記念撮影!カンボジア側から2人の男が歩いてきたと思ったら日本人のバックパッカーであった。この国境のど真中で日本人に巡り合うとは・・・。どちらも知らない国への入国となるので、レートの情報交換をして持っていたベトナム・ドンとカンボジア・リエルを交換した。別れを告げ、いざカンボジアへ入国手続きへと向かった。
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2014年10月07日

ベトナムの旅32

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ホーチミンに来て、4日が経ったが飽きはなかった。宿の部屋にエアコンが付いているのも快適に過ごせたのだろう。カンボジアのビザ発給までは、まだ時間があるので、クチツアーに参加してみた。1970年代前半のベトナム戦争で、サイゴン陥落になった場所まで行ってみた。そこは地下が蟻の巣のように張り巡らせれており、人間1人がようやく通れる場所や食事が出来るほどの広いスペースがあったり、炊事場の煙は敵に分からないようにする為に、全く違う場所から煙が出る仕組みになっていると説明を受けた。旅をしていて観光らしい観光をしていなかったので、かなり面白く勉強になった。小さい頃は、アメリカが負ける戦争はないとは思っていたが、アメリカ国内での反戦運動と北ベトナムの底力が重なり、北ベトナムが勝利を収めた事を知るとベトナムは未だ戦争の傷を負っている所もあるのかな。と考えさせられた。あと、カオダイ教の寺院を訪れるのもツアーに入っていた。カオダイ教?と少し分からなかったが、とても綺麗な寺院で観光客に開放されているとなると、かなりオープンな宗教なんだろうと思。中々味わえないツアー参加し感動して、ファングラーオに戻ってきた。
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ベトナムの旅31

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ホーチミンで有名?なバクダンアイスクリームを食べに行ってみた。
日本語で「バクダン」なんて恐ろしいネーミングだが、面白そうなので3人で食べようとなり、ファングラーオから歩いて行ってみた。結構、時間が掛かり、その日は湿度も高くアイスを食べるには絶好の日だった。
店に着いてみると外人が多く、かなり期待出来そうなバクダンアイス!早速、バクダンアイスを注文。
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出てきました^^かなりデカイ!!味も美味しく、これは日本で出せば、かなり売れるんじゃないかと思うほど。暑さと歩いてきた疲れで、一気に食べ干してしまいました。宿にいてもする事がないので、その足で久々に日本食を食べようとなり、ファングラーオで仕入れた情報を基に、日本食ドラえもんに行ってみた。
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門構えが派手なレストランなので、すぐに見つける事が出来て、自分はカツ丼を注文。
久々の日本食だったせいか、凄く美味しくいただけました。海外で食べる日本食は当たり、ハズレが多いのですが、ここは当たりでした。


2014年10月06日

ベトナムの旅30

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ホーチミンのファングラーオ通りは夜も賑やかで楽しい。治安も悪くなく、屋台やカフェの食べ物も日本人好みである。ファングラーオ通りから5分ほど歩いた所に、大きいレストランがあり繁盛していた。値段も安く、蟹など魚介類もメニューにある。ファングラーオ通り近くのバーに入った時に、日本語が少し出来る店員に教えてもらい、早速行ってみた。出てきた料理は、日本だと1万円はするだろうと思うほどの豪華さ!これで、2千円ほどだと1人あたり700円くらいだ。おまけにビアホイ付き。最高の贅沢な蟹料理、炒飯、牛肉の炒め物、海老のガーリック炒め、玉子スープ、ビアホイだ。どれも量が多いし最高の食事であった。食べ終わった後にバーに戻り、店員にお礼を言って宿に帰ろうとした時に、店員が女の子と話して飲みたいか?と聞いてきた。その話に、自分と西森さんは酔った勢いでキャバクラだと思い、行こう!とシクロに乗った。てっちゃんは宿に戻って手紙を書くと言って宿に戻った。シクロのオジさんは自転車を走らせ、自分達はホーチミンの夜の風が気持ちよく店へと向かった。20分経っても着かなくて苛立ってきた。しかも、街外れに来たので運転手に文句を言ったら、着いたと言う。そこは、ちょっとしたネオン街であったが、運転手は、この店がいいと言うので勧められるままに入ってみた。店に入ると女性店員が10人ほどいて客はいない。奥の部屋に通されると、女性店員が一斉にビールを1ケース、氷を大量に持ってきて、氷にビールを入れ始めた。その瞬間、ここはボッタクリの店と脳裏をよぎったので、西森さんに店を出ようと促した。2人店を出ると女性が騒いでいるので、シクロの運転手に違う店にするか、ファングラーオに帰せと言って、うるさい女性に100円ほど(ビール1本代金)を投げて帰ってきた。シクロの運転手も、知っていたのか自分達が怒っていたので、シクロの料金も100円で言いと言った。当たり前の話だ!バーに入り、店員に酷い所を紹介したな!もう、ここにも来ないと告げると、あっさりと分かりました。と言う。まぁ、グルでやっているような臭いがしたので、二度とバーには行かなかった。


ベトナムの旅29

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ホーチミンシティをブラブラとしてみたが、ハノイのノンビリ感はなくて、都会でありエネルギッシュに感じる。高層ビルも多くて、ホーチミンの方が海外の投資も進んでいるように見える。社会主義なのに、どこか資本主義に見えるところが面白い。ホーチミンは市場が中心となっており、その市場も凄く大きい。これもハノイと比較しても全然規模が違う。市場の中に入ってみたが、自分には不要だが、ホーチミンに住んでいたら、ここで必要な物は、すべて揃うだろう。市場の北東には一流ホテルやオフィス街のビル群が建っている。主要なところを周るのにも1日では足りないので、3日に分けて歩く事にした。最初にやっておくべき事は、カンボジア大使館に行ってビザの申請をする事だったので、その足で大使館へと向かった。綺麗な戸建な大使館で、インターホンを鳴らして、中へと入れてもらう。ビザの申請に、なんと5日間も掛かると言うので驚き!と言うか、5日間も何をしようかと言う感じになった。仕方ないので、5日間はノンビリ過ごすしかなかった。


2014年10月05日

ベトナムの旅28

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ダラットからバスでホーチミンに着いた。途中、キムカフェのバスと出会う時があったが、シンカフェのバスは大型車、キムカフェのバスはワゴンとハノイからホーチミンまでのチケットは、ほとんど同額だがバスには差があった。シンカフェにして良かったと思ったのは、大型バスで動くシンカフェだと空きがすぐに見つけられて椅子を確保出来た。急いでいる時に便利だが、ワゴンのキムカフェだと人数が限られて来るので不便があったと、ホーチミンで出会った日本人旅行者から聞いた。ホーチミンではバックパッカーの聖地、ファングラーオ通りで降ろされた。
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ここでは、夜中になろうと宿に困る事はなし。安宿、カフェと沢山あるからだ。タイのカオサン通りに似ているからだ。カオサンの小さくした感じだが、宿はすぐに見つかった。昼間に到着したのもあるが、客引きが凄かった。バスから降りたら、東南アジア特有の高温多湿の40℃くらいあった。客引きの中で、エアコン完備で安い宿を聞いて決めた。1人3ドルほどの部屋で快適であった。早速、昼ご飯を食べるためにファングラーオ通りに出てみたら、屋台が出ていた。それも、ステーキの屋台!1ドルでステーキとパンが付いている。早速、注文して食べてみたが、かなり美味しい。ベトナムも南下して来るとハノイと違い、値段交渉もなくなってきた。食べ物に関しては値段表示されているので、やはり民主主義に近い教育を受けている所は買い物が楽になる。


ベトナムの旅27

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ダラットの朝は更に肌寒かった。ベトナムとは思えないほど寒い。ホーチミンは近いのに、この寒さは防寒着が必要な寒さなので、バックパックの一番下から引っ張り出して外に出た。街の中心の大きい市場の中を見たり、市場の前には車道が一周出来るようになっており、大きな階段が幅広くあるので階段に座りながら街と車の往来を眺めるには最高だった。バックパッカーが避暑地に来てもする事はなくて、美味しい屋台や土産屋をブラブラするくらいだった。ハノイとサパに長いしてしまったせいか、急いで南下して来た所もあるが、南に行くにつれてベトナムが面白くなくなってきたのも事実。ハノイ、サパ、ホイアンの3箇所がベスト3だったかな。と振り返った。あと残すはホーチミン。これでベトナムは終わってしまうが、自分なりにはダラットまでの道のりで充分だった。ホーチミンにはカンボジアに入る為にビザを取得しないといけないので、それだけの街にすぎなかったが、ダラットに長いしても意味がないので2泊したあとにダラットを後にした。


2014年10月04日

ベトナムの旅26

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不味い炒飯の話で盛り上がりながら、バスはダラットの中心地まで来た。大きい市場がメインになっており、市場を取り巻く形で街が形成されている。バスは市場近くではなくて、提携しているであろう安宿の前に止まった。ダラットの地図を見ながら、市場付近まで歩いてきた。市場の裏にも安宿街があったので、3人部屋を探してみた。何箇所か部屋を見せてもらい、ようやく決めた部屋は3つのシングルベッドとシャワー、トイレ、テレビ付き。今では泊まった宿の中で1番広かった。綺麗な部屋でもあったので決めた理由でもあった。バスを降りた時に感じたが、ダラットは肌寒かった。ニャチャンからダラットへ向かっている時に、標高は高くなってきているのは感じていたが悪い寒さではない。久しぶりに暑くないのも嬉しかった。部屋に入るとバックパックの下から長袖を出して、3人で食事に出掛けた。宿の前にフォーの屋台があったのでフォーを食べた。そうしたら、西森さんがフォビロン(鳥が産まれる前の卵を茹でた物)を見つけて注文した。てっちゃんも経験だからと言って注文した。中身を見せてもらうと、頭や足がはっきり分かる。2人は美味しい!と食べていたが、自分には無理だった。でも、フォビロンは初心者が食べても美味しいと必ず言う。この先にフォビロンを見る機会が増えるかもしれない不安が脳裏をよぎった。


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15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
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