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2017年05月11日

糖質制限を始めたいきさつ(10)

前のエピソードは こちら

糖質制限を始めて2日目。
低血糖状態だったせいだと思うのだが、実はほとんど記憶がない。飛んでしまっている。
ただ、娘の証言によると、その日の夕食で肉や豆腐などお腹いっぱい食べた私は、いきなり「お腹が空いたよーっ!!」と突っ伏して泣いたという。
糖質恐るべし。
お腹はいっぱいのはずなのに、糖質が入って来ないことに反応してしまっている。

そうなのだ。
糖質制限を始めて戸惑ったことのひとつが「満腹感がわからない」ことだった。
今まで47年間、「満腹」=「血糖値の上昇」だったため、
血糖値が上がらないのにお腹がいっぱいという感覚が理解できなかったのだ。
しかし2か月ほど経つと、ようやくわかるようになった。
何事も「習うより慣れろ」というのは真実のようだ。

それはともかく、何か「糖質制限の教科書」的なものが欲しくなってきた私は、
江部康二医師の「主食を抜けば糖尿病は良くなる!実践編」をアマゾンに注文した。

読んで、すべてが腑に落ちた。
血糖値を上げるのは「糖」であること。
だから「カロリー制限」をしてもカロリーの6割を炭水化物で摂る今の食事療法では空腹感が募るばかりで効果がほとんど出ないこと。
糖を制限し、カロリーはしっかり摂ること。
また、糖尿病というのは高血糖に対応するために膵臓から絶えずインスリンを出し続けた結果、膵臓が過労死してしまった状態だということ。

知らないことばかりだった。
もっと早く知る努力をするべきだったのに・・・。
後悔の念が押し寄せる。
しかし、過去を悔やんでも何も解決しない。
私はこの悔しさをバネにして、糖質制限に取り組むことに決めた。

これが糖質制限を始めるまでのいきさつである。









2017年04月29日

糖質制限を始めたいきさつ(9)

その夜(2017年1月5日)は、おでん、ざるそば、そしてごはんを少量。
ごはんは娘が赤ちゃんのころ使っていたミッフィーのお茶碗に3分の2ほどだ。
本当は炭水化物は食べてはいけない、と頭ではわかっていたが、
どうしても食べたくて、なんとか自分で折り合いをつけ、少量食べた。
(この時点で、まだそばが炭水化物と気づいていない)
それが夜7時頃。

夜11時頃、ふとあたりが白くもやがかかっていることに気が付いた。
娘に
「わー、この白いもやは何?」と聞くと、
娘は怪訝な顔で、
「えー、何のこと?」
と言う。
「白いもやがかかってるやん」
「かかってないよ。どうしたの」
ここで、どうやら自分だけの問題らしいと気が付いた。
頭もぼーっとしている。
低血糖かな?
朝までは今まで通りの食生活だった。
昼から急に糖質制限を始めたので、少々の炭水化物を食べたとはいえ、
今までの糖質摂取量とは比べ物にならないくらい少ない。
たぶん低血糖だと考えて間違いないだろう。

体に異変が出て、少々焦った。
しかし、ここで糖質を摂ってしまったら元の木阿弥である。
胃袋がぐうぐうなって「炭水化物、Щ(゚Д゚щ)カモーン」と
激しく主張しているが、無視することに決めた。

ベッドに横になっても、頭の中は
「おにぎり・・・トースト・・・なんか食べたい・・・」
と食べることでいっぱい。
眠れずに(あれだけ昼寝したのだから当たり前)、
キッチンをうろうろ。
悩んだ挙句、冷蔵庫にたまたまあった「キャンディチーズ」を
2つばかり口にほおりこみ、
何とか眠りについた。

次のエピソードは こちら




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タグ: 低血糖

2017年04月22日

糖質制限を始めたいきさつ(8)

前のエピソードは こちら

家に着くと、激しい疲労感で、もうふらふらだった。
とりあえず購入したものを冷蔵庫にぶち込み、
和室に敷きっぱなしのマットレスのうえに倒れこんだ。
そのままほとんど気絶のように眠り、夕方頃に目が覚めた。

(お腹空いた。何か食べよう・・・)
とキッチンに向かって、ハッとした。
(そういえば、炭水化物食べたらいけないんだった)
では、何を食べればいい?
・・・・・・・・・思いつかない!
今までの私なら、もう面倒くさいことは考えないで
トーストか、納豆ご飯でも食べているところだ。

でも、「糖尿病の恐怖」に目覚めてしまった今となっては
食欲より恐怖のほうが勝っている。
いろいろ考えて、とりあえずゆで卵を作ることにした。
20分後、ほかほかのゆで卵を2個ほおばった。
私は極度の塩分恐怖症なので、塩を振るのもいやで、
ただの茹でただけの卵だが、「空腹は最高のソース」で
おいしかった。

食べ終えると同時に夕食のことが心配になった。
(夕食は何をたべようか・・・)
とにかく何か「安心して口に入れられるもの」を用意しなければいけない。
早急にだ。
さっき買ってきたものを早速活用することにして、
こんにゃく、厚揚げ、卵をおでんのように煮ることにした。
おでんといえば下ごしらえが大変なのだが、
今はとにかくだし汁にぶちこんだ。
(主食として、ざるそばを作ればいいや)
夜食べられるものを確保して、ちょっとホッとした。

こうして「糖質制限食のサバイバル」が静かに始まった。

続く。







2017年04月21日

糖質制限を始めたいきさつ(7)

前のエピソードは こちら

ドクターの言っている「主食を抜く」ということを果たして実践できるだろうか。
(とにかく、スーパーに行ってみよう。何が食べられるのか、食材を見て回ろう)
と決心し、やっとの思いで車を発進させた。
その時は、まだ「糖質制限」と言う言葉に出会っていなかったので、
何が食べられて、何が食べられないのか、よくはわかっていなかった。
ただ、「主食=ごはん、パン、麺」はだめだということだけが唯一の情報だった。
(でも、芋類とか・・・とにかく、でんぷんはだめだよなぁ・・・)

家の近所のスーパーに着き、店内に入った。
(あれも、これもだめだ・・・)
店内を見渡して、私は衝撃を受けた。
(食べられるものがないーー!!)
そんな馬鹿な。落ち着け。
戦時中でもあるまいし、
この飽食の日本で、食べるものがないはずがない。

そう。
私の目が、今まで無意識に除外していたもの。
それがこれからの私の食べ物なのだ。
そして、これまで私の視界が積極的に捉えていたものが
もう私が食べられないものになってしまったのである。

私は泣きそうになるのを必死でこらえた。
たかだか炭水化物が食べられなくなったくらいで、
いい年をした大人が泣くわけにはいかないではないか。

入口のベーカリー。いつもお世話になっていた。
ここには大好きなパンが何種類もある。
でも、もう食べられない。

フルーツコーナー。
バナナは毎週購入するくらい好きだった。
でも、ドクターが「バナナはだめだもんね」と前にちらっと言っていた。
よくわからんが、だめらしい。

麺コーナー。焼きそばが好きでよく作っていた。
うどんも大好物。これもおさらば。

小麦粉。これで今までいろいろなお菓子、パン、料理を作ってきたけれど、
これも炭水化物。

総菜コーナー。美味しそうなお弁当がいろいろある。
特に大好きなおにぎりも。
でも、もう食べられないんだなぁ・・・。

女々しく、未練がましく、スーパーの中を行ったり来たりした。
でも、いつまでもそうしているわけにはいかない。
とにかく食べられそうなものを買って帰るしかない。

とりあえず、炭水化物以外で、甘い味付けがされていないもの・・・
思いついたのは、
・こんにゃく
・豆腐
・厚揚げ
・ウインナー
・卵
・10割そば
これでいいか、とひとまず手を打って、店を出た。

気づいた方もおられるだろう。
「そば」は、たとえ「10割」だろうと、アウトなのだが。
そうとも知らず、3袋も買ってしまった。
(そばが食べられるなら、なんとか我慢できそう・・・)
と自分を慰めながら、私は家路についたのだった。

次のエピソードは こちら







タグ: 主食を抜く

2017年04月19日

糖質制限をはじめたいきさつ(6)

前回のエピソードは こちら

さらに、ipadで糖尿病について調べてみた。
もちろん、今までもその気になれば調べられるネット環境にあったのだが、
真実を知るのが怖くて目を背けて今日まで来てしまった。
糖尿病、それ自体は痛くもかゆくもない。
だから気づかないふりをするのは簡単なことだった。

ネットによると、糖尿病が進行すると3大合併症が起こるという。
1.糖尿病性腎症による透析
2.失明
3.下肢切断
これだけではない。あらゆる血管障害、認知症なども深い関わりがある。
特に認知症は「第四の糖尿病」という別名まであると言う。

正直に言おう。
私はここまでで、震え上がった。

1について。私は祖母を腎臓病で亡くした。その闘病生活は壮絶で、私は10代のころから腎臓病におびえ、減塩生活を続けてきた。
それなのに、糖尿病によっても腎臓病になるという。
私の30年以上に亘る減塩生活の努力は一体どうなるのだ。
まさに、「聞いてないよ!」状態である。

2について。私はこの3年以上、左目の涙腺が頻繁に感染症になり、抗生物質入りの目薬が欠かせないものとなっていた。ある薬局では、「これ以上この目薬をお売りするのは・・・。眼科に行っていただけませんか?」と言われたほどである。
私の目にはすでに異常が始まっている。

3について。私は2016年の秋頃から、自分の足の異様なにおいに悩んでいた。単ににおうというわけではなく、まるで腐臭のようなとてつもない悪臭なのだ。私はとても気になり、ひざから足指まで丁寧に洗っていたが、お風呂上りに足にクリームを塗ろうとすると、もう悪臭が漂う。何が悪いのかと思い悩んでいたのだが、これは糖尿病と関連があるのではないのか。下肢切断という治療は、足が腐るから切るしかないということなのではないのか。この悪臭は生きたまま腐り始めているからなのではないのか。

私は病院の駐車場からなかなか車を発進させることができず、ipadを抱えて震えていた。

続く。

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2017年04月17日

糖質制限を始めたいきさつ(5)

前の記事は こちら

そして2017年、新しい年を迎えた。
といっても、1階の和室に敷きっぱなしになっているマットレスの上で、ほぼ寝たきりの状態で迎えた新年だった。
もう何年も年賀状は書いておらず、それでも送ってくださる数人の方にやっとの思いで返信している状態だった。
でも、今年は年女なので、「今年は羽ばたきたいです」と書き添えた。
言葉のパワーはすごい。
本当に「羽ばたく年」になったのだから。なんでも言ってみるものだ、と思う。

年明け早々、膀胱炎の症状で苦しんでいた。
15分おきにトイレに行きたくなる。
でも病院は1月4日までお正月休みなので、ひたすら耐えた。幸い熱は出なかったので、なんとか乗り越えることができ、病院が開くと同時に駆け込んだ。
尿検査の結果はやはり膀胱炎。抗生物質を処方すると言われ、ほっとした。
「ただねえ・・・尿糖が500も出てるわよ。お正月にちょっと食べすぎたのかな?」
とドクター。
検査結果の用紙を覗き込むと、「500」の文字が目に飛び込んできた。
「ああ・・・そうかも、しれません」
「そう・・・。主食さえ抜けば、なんでも食べていいのにねぇ。」
「・・・はい。・・・、ちょっと考えてみます」
重い気持ちで病院を出た。
「500」という数字が、何かを私に迫っていた。
ここで引き返すか、このままレッドラインを超えるのか。
ipadで調べてみると、尿糖は49までが正常ラインだという。
正常値のおよそ10倍の数値。これを簡単に考えてはいけないという気がした。

次のエピソードは こちら







2017年04月08日

糖質制限を始めたいきさつ(4)

前のエピソードは こちら

確かに、そんなに急激には糖尿病は悪化しなかった。
あの頃の生活を振り返ると、食べ物は普通に(なんのストレスもなく)
摂取していたし、運動どころか、家事もろくにできない状態。
そんな生活を送りながら糖尿病が悪化しなかったのは、偏に薬のおかげであることは明白だ。

ただ、私の生活のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)は本当にひどかった。
ひどい頭痛、めまい、耳鳴り、倦怠感、慢性疲労。また、ちょっとしたことで、気が遠くなるような感覚があった。月のうち半分以上、風邪や何らかの感染症で苦しみ、医師から安静を命じられることもよくあった。

薬が増えて、
少しは楽になるかと思っていたが、だんだん悪くなるばかりで、
何一つやりたいことはやれなかった。
自分の人生が、自分のものではなくなっていく感覚。
自分の体が、自分のものではなくなっていく感覚。
今でも思い出すと、本当にゾッとする。

そんな状態で2016年の年末を迎えた。
ほとんど自分の人生に絶望していた。
HbA1cは7.6になっていた。
「なんだかじわじわ悪くなってるわね。」
ドクターの言葉に「はあ・・・。」と答えるしかなかった。
そんなにカロリーのあるものは食べていないのだ。
肉や卵はなるべく避けて、おにぎりや雑炊などでおなかを満たすことが多かった。
あと根菜が大好きだったので、煮物はしっかり食べていた。
低カロリーのものしか食べていないのに、血糖値がコントロールできない。
(どうしようもないのか・・・。)
暗いトンネルの中を歩いているような気持ちで年を越したのだった。

次のエピソードは こちら

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2017年04月03日

糖質制限を始めたいきさつ(3)

前のエピソードは こちら

その間にも、様々な体調不良が私に襲い掛かってきた。
まず、慢性的な肩こり。
整体の先生からもびっくりされるものすごい「こり」だ。
揉んでもらっても、翌日にはコリコリである。
後でわかったことだが、肩こりなども糖尿病の影響があるらしい。
「糖化」というものらしいのだが、
詳しいことはまた後日書きたいと思う。

それから、不眠が始まった。
体中が痛くて、寝ようにも眠れなくなった。
昼間は眠いのに、夜になると目がギンギンにさえて、眠れない。
また、頭痛・めまい・耳鳴り・体のだるさ。
原因不明の歯(神経)の痛みやしつこい歯周病。
ヘルペスや膀胱炎を繰り返す。
足の指にひょう疽ができたり、とにかく感染症にかかりやすい。
2か月に1度は抗生物質を処方されるような状態だった。
なぜ、こんなにも体調が悪いのか。
実は、この時点では、まったく見当もつかなかった。
まさか、糖尿病が原因だったとは・・・。

とにもかくにも、糖尿病にとって運動不足は深刻な問題である。
私なりになんとかしようと思い、スポーツクラブに入会していた時期もある。
でも、何しろ頻繁に何かの病気にかかっているので、
行く回数より休む回数の方が圧倒的に多くなり、もったいなく感じてやめてしまった。

もちろん、ドクターも手をこまねいていたわけではない。
グラクティブは50mgに量が増え、
追加でメトグルコ250mg、ボグリボース0.2mg(×1日3回)。

私は祈るような思いだった。
薬よ、なんとか効いてください、お願いします・・・。

次のエピソードは こちら






2017年03月31日

糖質制限を始めたいきさつ(2)

前のエピソードは こちら

こうして始まった糖尿病ライフ。
少し甘いものを控え、毎日30〜40分大股早足ウォーキングを始めた。
半年以上、雨の日も酷暑の日も歩き続けた。
運動は確実に効果があった。
血糖コントロールも良好で、ドクターからも「いいですね」と褒められた。

しかし、秋の初めにひどい風邪を引いてしまい、
肺炎一歩手前まで悪化し、1ヶ月以上寝こんでしまった。
そのまま冬に突入し、再び風邪を引くのが怖く、また体力も落ちていたので
家で暖かく過ごすようになってしまった。

言い訳になるが、私は飲酒・喫煙は一切しないので、
食べることが唯一の楽しみである。
そのため、家にいることが増えると、どうしても食べることで憂さ晴らしをしてしまう。
この辺りから、血糖コントロールが怪しくなってきた。
食べることを我慢できないから運動してきたのに、
運動ができなくなってしまったのだ。
試しにカロリー制限の真似事もしてみたが、
強烈な空腹が襲ってきて、意志の弱い私にはとても続けられなかった。

夫の父は30代後半から糖尿病に罹り、義母が1日のカロリーを厳しく管理していた。60代前半で亡くなられたが、透析にもならず、失明もせず、足の切断もなく、普通に生活できていたのを見ていたので、カロリー制限に一定の効果があることは実感していたが、続けられないのでは意味がない。

どうすればいいのか、決め手を見つけられないまま、
時間だけが過ぎて行った。

次のエピソードは こちら





2017年03月29日

糖質制限を始めたいきさつ(1)

糖質制限をはじめたのは、2017年1月5日。
糖尿病と診断されてから、およそ3年が過ぎていた。

3年ほど前、ある日テレビをみていたら、
「次の6項目のうち当てはまるものはいくつありますか?」
という設問があった。

なにしろ3年前に一瞬見ただけのものなので、細かい項目は覚えていないのだが、
その時私は6項目すべてが当てはまった。
テレビでは「3問以上当てはまる場合は境界型糖尿病のおそれがあるので、病院へ」
との案内があった。
一緒に見ていた娘が、
「病院へいった方がいいよ」と言ってくれたのだが、
そのまま忘れていた。

数週間後だったと思うのだが、
たまたま風邪をひいて熱が出たので、
かかりつけの内科に行った。

ふとテレビのことを思い出し、
ドクターに糖尿病の検査をしてほしい、と頼んだ。
しかし、ドクターは
「え、必要ないでしょ。まさかロカボさんは糖尿じゃないわよ」
との返答。(ちなみにドクターは女医さん。)
「ええ、私もそう思うんですけどね・・・。
 でも気になるので、血液検査お願いしたいんです。」
と頼むと、検査代かかるわよ?と言われたので一瞬ひるんだが、
何かの予感があったのだろうか、
それでもいいからと押し切って検査していただいた。

結果はクロ。
HbA1cが6.0。
境界型どころか、立派な糖尿病だったというわけだ。
その診断結果を聞いたときは、正直、落ち込んだ。

ドクターは
「主食さえ食べなければ、薬を飲まなくてもいいかもしれないかもしれないけど」
と言ったのだが、
私はその言葉を受け入れる余裕がなかった。
「えー、絶対嫌です!
 主食を食べられないなんて、そんなの食事じゃないし」

考えても見てほしい。
ごはん、パン、麺を食べられない生活。
それをすんなり受け入れることができる人が、どれほど居るのだろう。

しかも私は、人一倍炭水化物が大好き。
ある意味、肉や魚が食べられなくても、炭水化物さえあれば我慢できるタイプである。
逆に、どんなにおかずでお腹いっぱいになっても、最後は炭水化物で締めないと、
満足できないのだ。

というわけで、先生の「主食を抜く」という提案をはねつけてしまった。
ドクターも、無理強いはせず、
ではとりあえず薬物療法をやってみましょう、ということになった。
まずはグラクティブ錠25mgを1日1錠。

こうして私の糖尿病ライフが始まった。
たらればになってしまうが、
もしこの時、せめて1日2食だけでも主食を抜いていたら、
もしかしたら今でも「ゆる糖質制限」で過ごせていたのだろうか。
たまには付け合わせのポテトサラダ位は食べれたのだろうか。
もちろん、誰にもわからないのだが。

続きは こちら












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ロカボさんさんの画像
ロカボさん
こんにちは!ロカボさんと申します。 2017年1月5日より、手探りで糖質制限を始めました。 3年前に糖尿病(HbA1c6.0)と診断され、投薬治療を始めましたがじわじわと悪化し、2016年12月には7.6になっていたため、一念発起して糖質制限を開始しました!
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