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プロフィール

隼四郎
一度都会に出てみると地元のことが気になってくるものです。 そういう自分の体験から、鹿児島を散策しながら「あっとらんだむ」にいろんなことをお伝えできればいいなと思っています。 どうぞお気軽におつきあいください。
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2014年12月08日
☆海ゆかば…軍神横山正治少佐顕彰の碑
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今日は2014年12月8日です。

1941年12月8日、日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、

開戦しました。

横山正治少佐は、その時、特殊潜航艇で作戦に参加しました。

戦死されましたが、軍神として、翌年映画が製作されました。

東映の「海軍」です。

また、戦後も再び松竹映画で製作されました。

また、三年ほど前、NHKテレビで、横山少佐の潜航艇が真珠湾の海底

で発見されたと報道され、海底に沈んでいる様子が映し出されました。

「海ゆかば」の碑は、鹿児島市の天保山公園の奥に建てられています。

少佐のプロフィール、少佐に捧げる詩、十一勇士鎮魂の碑文を以下に

紹介します。

……………………

昭和十六年十二月八日 あゝ壮烈!!
眞珠湾の華と散る

横山正治海軍少佐
片親なるも極めて明朗にして薩摩の
気風に満々た淡白なる性格にて而も
責任感強く事に当る士であった。人
格円満微笑ましき人物で到る処で持
てはやされたるも意に介せず高き自
己の職務に対し邁進し面目躍如たり
大正八年十一月十八日生 鹿児島市
下荒田町に出生
鹿児島市第二中学校卒業
昭和十一年四月一日 海軍兵学校入学
(六七期生)
昭和十六年十月十五日 任海軍中尉


……………………

横山正治少佐の霊に捧げる

黎明の中に微睡(まどろ)む大隅の連山
遥かなり北東を望めば
雲海に聳立つ高千穂の霊峰
瞳を転じて南西を指差せば
白扇を逆さにしたるが如し薩摩富士
暁の陽光、櫻島の頂を深紅に染め
山際より燦々と降り注ぐ光茫に
紫紺の海面華麗なり波渚に戯れ
色調燦爛として岩礁に踊る
城山の端に朧なり有明の月
濃紺の山頂にけたたまし明烏の一声
大西郷の精神を心の要とし
櫻島の息吹の中に
育成されし薩州健児
日本悠遠栄光の為、盡忠報国
歓喜の中に護国の鬼とならん
生を受けて艱難辛苦十幾星霜
時は昭和十六年十二月八日
怒涛逆巻く大洋の彼方
千里の波頭を乗り越え
真珠湾に遊弋する米艦艇に
一身一艇巨弾に転じ微塵となる
横山少佐の壮絶無比の闘魂
一億日本国民の肝胆を震撼す
身は千尋の海底に藻屑たるも
櫻吹雪の如く散りて尊し
其の勲功永遠に称えん
身を鴻毛の軽きに置き
国恩に報いる心底
薩摩隼人の権化たり
国破れても櫻岳昔日の如く
何故に怒るぞ噴煙今尚激し
日本人の心、頽廃の色濃く
日本列島、将に荒廃寸前にあり
塵埃の如く忘却されし少佐の幽魂
何を訴え、何を語るや
自己の一切を放擲し無我
国家安泰の為、国難に殉ず
日月流水の如し三十有余年
顧みる人も今は全くなし
少佐の心に何をもって償わん
魂魄櫻島の直中にあり
万代不易、悠久日本の
行手に燦然たり

昭和五十年十二月八日

作詞 大迫 亘


……………………


海ゆかば十一勇士鎮魂之碑

海軍中佐   岩佐直治

 群馬県前橋市天川原

海軍少佐   横山正治

 鹿児島県鹿児島市下荒田町

海軍少佐   古野繁實

 福岡県遠賀村虫生

海軍大尉   廣尾彰

 佐賀県三養基郡旭村

海軍特務少尉 佐々木直吉

 島根県那珂郡上府村

海軍特務少尉 横山薫範

 鳥取県東伯郡古布庄村

海軍兵曹長  稲垣清

三重県一志郡川合村

海軍兵曹長  上田定

 廣島県山県郡川迫村

海軍兵曹長  片山義雄

 岡山県赤磐郡五城村


シドニー湾攻撃

海軍中佐   中馬兼皿

 鹿児島県薩摩郡上東郷村

海軍少佐   松尾敬宇

 熊本県山鹿市大字谷原


……………………

以上です。

Posted by 隼四郎 at 21:35 | 歴史 | この記事のURL
2014年12月08日
☆記念日 桜島
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2014年12月8日の朝です。

1941年12月8日、日本海軍はハワイの真珠湾

に奇襲攻撃をかけ、開戦しました。

今日は、桜島も少し噴煙を上げています。

当時、ルーズベルトはすでに日本海軍による真珠湾攻撃

を知っていましたが、参戦の契機とするため、黙認

していました。

チャーチルは「これでアメリカが参戦できる」と

小躍りしたそうです。

そうです。完全に我が国は嵌められてしまっていたのです。

それ以降の多大な被害を考えるにあたって、いかに情報が

大切か、状況分析が大事かということを歴史の教訓として

私たち日本人は肝に銘じ、歴史から学ばなければならないと

思います。

今現在の自分の生活には関係ないからと、国際情勢に無関心であっては

ならない、ひとつ間違うと、たとえ一般庶民であろうと全てを失うことに

なるのです。

隣国には凶暴な軍事独裁国家が世界覇権を目論み、虎視眈々と我が国

の国土を狙っています。

こういう危機的な状況のもとで、憲法9条を守り抜いたら、日本という

国家が中国に呑みこまれ、日本国憲法そのものが消滅してしまいます。

中国の侵略行為は、未然に防がねばなりません。

そのために、国土防衛を強力に進める政権が、今の日本には必要なのです。





Posted by 隼四郎 at 11:14 | 歴史 | この記事のURL

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