この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2016年04月13日
自閉症児の芸術的感性
我が家の自閉症の子供達の中で
どうも芸術志向の子供が1人いる。
例えば、音楽はクラシックを非常に好み
現在のお気に入りは、
フランクのヴァイオリンソナタ
ラヴェルの「ダフニスとクロエ」より「夜明け」
ショスタコーヴィチの「革命」
プッチーニの「私のお父さん」 など
これは、入院先の病院で流れていたビデオやCDの影響だ。
よくわからないのが、美術系。
マチス、ミロ、ゴッホ、ルソー、カンディンスキー等は
わからないでもない。
作品にもよるが、色使い的に 好む子供はいるだろう。
我が子は、さらに
レンブラント、ダヴィンチ、クールベなどが加わる。
これも、病院にあった美術雑誌が影響しているとは思うが
親ながら、その好みに 若干首をかしげることがある。
病院へ行くと 美術雑誌を持ち帰ろうとして 大騒ぎとなるため、
我が家では、この子供のために、
美術館の図録や 美術雑誌 、 アートブック 、 名画カード など
少しずつ購入して 与えた。
すると、毎日欠かさず それはすごい熱中ぶりである。
ただでさえ 寡黙な我が子だが、
幼いながらも 近寄りがたい雰囲気を醸し出すほどだ。
今夜も、夕食後は 早々に本棚へ向かい
レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」(wikipediaへ) を
熱心に眺めていた。
一体、何をそんなに見つめているのか。
・・・もしかして、襟(えり)?
趣味があるのは、良いことである。
どうも芸術志向の子供が1人いる。
例えば、音楽はクラシックを非常に好み
現在のお気に入りは、
フランクのヴァイオリンソナタ
ラヴェルの「ダフニスとクロエ」より「夜明け」
ショスタコーヴィチの「革命」
プッチーニの「私のお父さん」 など
これは、入院先の病院で流れていたビデオやCDの影響だ。
よくわからないのが、美術系。
マチス、ミロ、ゴッホ、ルソー、カンディンスキー等は
わからないでもない。
作品にもよるが、色使い的に 好む子供はいるだろう。
我が子は、さらに
レンブラント、ダヴィンチ、クールベなどが加わる。
これも、病院にあった美術雑誌が影響しているとは思うが
親ながら、その好みに 若干首をかしげることがある。
病院へ行くと 美術雑誌を持ち帰ろうとして 大騒ぎとなるため、
我が家では、この子供のために、
美術館の図録や 美術雑誌 、 アートブック 、 名画カード など
少しずつ購入して 与えた。
すると、毎日欠かさず それはすごい熱中ぶりである。
ただでさえ 寡黙な我が子だが、
幼いながらも 近寄りがたい雰囲気を醸し出すほどだ。
今夜も、夕食後は 早々に本棚へ向かい
レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」(wikipediaへ) を
熱心に眺めていた。
一体、何をそんなに見つめているのか。
・・・もしかして、襟(えり)?
趣味があるのは、良いことである。
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
2016年04月11日
自閉症児と奇声と外出と
我が家の自閉症児の子供達。
外出において、問題となるものの一つが
奇声。
いつもながら、どこの怪鳥か と思うような声である。
しかも、長くて大音量だ。
そして、一人が奇声をあげると
他の子供達も 連鎖することさえある。
まさに、「奇声のハーモニー」である。
カッコウは、他の鳥の巣に卵を産み、 「托卵」する習性 がある。
・・・私は、見知らぬ怪鳥に「托卵」されたのか?
そう 思いたくなる時すらある。
普段は、お互い無関心な自閉症の子供達。
なぜ 奇声だけマネするのか。
どうせなら 全てに無関心を貫いて欲しいところだ。
このような子供達を連れていく場所として
よく訪れるのが 動物園 と 遊園地 だ。
なぜか。
奇声をあげている動物や子供が他にいて
少しは 目立たないと思うからだ。
現状では、奇声をあげさせないのは 難しい。
かといって、家に閉じ込めてばかりでは発達上も良くないだろう。
児童館も、公園も、水族館も、外食も、公共交通機関も
思いつきで連れていくことは 絶対にない。
それなりの事前準備と人手と覚悟が 必要だ。
そうして行っても、誰かに謝らずに帰ることはない。
言葉をなかなか覚えられないはずの子供が、
教えてもいないのに 「すみません」を言い始めるような状況だ。
この前の休日も、時間と場所を選び
動物園に連れて行った。
初めて名前を知る動物たちを見ながら、ふと思った。
・・・それで、我が家の雛たちは、何という鳥になるのだろうか。
将来、「おり」いれて暮らさせるようなことは したくない。
仮に「托卵」されていたとしても 育ての母の切なる願いなのだ。
外出において、問題となるものの一つが
奇声。
いつもながら、どこの怪鳥か と思うような声である。
しかも、長くて大音量だ。
そして、一人が奇声をあげると
他の子供達も 連鎖することさえある。
まさに、「奇声のハーモニー」である。
カッコウは、他の鳥の巣に卵を産み、 「托卵」する習性 がある。
・・・私は、見知らぬ怪鳥に「托卵」されたのか?
そう 思いたくなる時すらある。
普段は、お互い無関心な自閉症の子供達。
なぜ 奇声だけマネするのか。
どうせなら 全てに無関心を貫いて欲しいところだ。
このような子供達を連れていく場所として
よく訪れるのが 動物園 と 遊園地 だ。
なぜか。
奇声をあげている動物や子供が他にいて
少しは 目立たないと思うからだ。
現状では、奇声をあげさせないのは 難しい。
かといって、家に閉じ込めてばかりでは発達上も良くないだろう。
児童館も、公園も、水族館も、外食も、公共交通機関も
思いつきで連れていくことは 絶対にない。
それなりの事前準備と人手と覚悟が 必要だ。
そうして行っても、誰かに謝らずに帰ることはない。
言葉をなかなか覚えられないはずの子供が、
教えてもいないのに 「すみません」を言い始めるような状況だ。
この前の休日も、時間と場所を選び
動物園に連れて行った。
初めて名前を知る動物たちを見ながら、ふと思った。
・・・それで、我が家の雛たちは、何という鳥になるのだろうか。
将来、「おり」いれて暮らさせるようなことは したくない。
仮に「托卵」されていたとしても 育ての母の切なる願いなのだ。
2016年04月10日
自閉症児の母親になった日のこと
我が子が初めて受けた新版K式発達検査の結果、
お世話になっている小児科医師より
自閉症の診断を受けた。
cf.「 我が子が初めて発達検査を受けた時のこと 」
診察室を出て、我が子の病棟へ向かう間、
歩きながら スマホで検索し
自閉症に関する基本書のような定番書籍を探した。
診断前に、事前に下調べし、
自閉症の可能性も頭にはあったが、
時間的にも 心情的にも
自閉症について 本格的に調べることは難しかった。
しかしながら、可能性がある以上
身内に頼んででも 調べるべきだったと
自分の甘さを後悔していた。
検索は思うように進まなかった。
私が 見つけられないのか。
それとも ないのか。
嫌な 嫌な 予感がした。
病院の売店へ寄り道して、書籍を探したが
欲しいと思っているものは、見つからなかった。
・・・仕方がない。とりあえず、これにしよう。
薄そうだし、すぐに全体を把握するためには使えるだろうと考え
まずは、 自閉症の入門書
を
翌日届くように、注文した。
結果的に、入門書としては良書だったと思う。(特に、前半部分)
わかりやすいTEACCHの記載があったことも、
その後の家庭療育で役立った。
注文後も、そのまま書籍を探し続けた。
頭と目と指が一体となり これ以上ないほど動いていた。
その一方で、体の他の部分は 感覚がなかった。
ふいに、肩を抱かれ、ぐぃーんと引き寄せられた。
いつもお世話になっている看護師さんの一人だった。
私は、病院の廊下の真ん中で、
立ち止まって検索をしていたのだった。
「だいじょうぶですか。少し端の方に寄って。」
我が子の診断のことを知っている様子だった。
壁際に寄せられたあと、体が揺れている感じがした。
・・・粘弾性流体。
なぜか、そんな言葉が浮かんだ。
今、思い出すと 笑ってしまう。
きっと私は、この時、
「まさか」の坂にいたのだろう。
cf.私達家族の「坂の上の雲」
お世話になっている小児科医師より
自閉症の診断を受けた。
cf.「 我が子が初めて発達検査を受けた時のこと 」
診察室を出て、我が子の病棟へ向かう間、
歩きながら スマホで検索し
自閉症に関する基本書のような定番書籍を探した。
診断前に、事前に下調べし、
自閉症の可能性も頭にはあったが、
時間的にも 心情的にも
自閉症について 本格的に調べることは難しかった。
しかしながら、可能性がある以上
身内に頼んででも 調べるべきだったと
自分の甘さを後悔していた。
検索は思うように進まなかった。
私が 見つけられないのか。
それとも ないのか。
嫌な 嫌な 予感がした。
病院の売店へ寄り道して、書籍を探したが
欲しいと思っているものは、見つからなかった。
・・・仕方がない。とりあえず、これにしよう。
薄そうだし、すぐに全体を把握するためには使えるだろうと考え
まずは、 自閉症の入門書
を
翌日届くように、注文した。
結果的に、入門書としては良書だったと思う。(特に、前半部分)
わかりやすいTEACCHの記載があったことも、
その後の家庭療育で役立った。
注文後も、そのまま書籍を探し続けた。
頭と目と指が一体となり これ以上ないほど動いていた。
その一方で、体の他の部分は 感覚がなかった。
ふいに、肩を抱かれ、ぐぃーんと引き寄せられた。
いつもお世話になっている看護師さんの一人だった。
私は、病院の廊下の真ん中で、
立ち止まって検索をしていたのだった。
「だいじょうぶですか。少し端の方に寄って。」
我が子の診断のことを知っている様子だった。
壁際に寄せられたあと、体が揺れている感じがした。
・・・粘弾性流体。
なぜか、そんな言葉が浮かんだ。
今、思い出すと 笑ってしまう。
きっと私は、この時、
「まさか」の坂にいたのだろう。
cf.私達家族の「坂の上の雲」