こんにちはぁ(^^ゞ
これまで当ブログで何度も私自身がコロナに感染することは、特異体質的なことも手伝ってアリエナイと言い切っていたのも確かです!
一体どういうことだ?!と思われる方もいらしゃるかも知れませんので、一応の釈明と流れをお伝えしておきたいと思いますm(_ _)m
実はコロナウィルス検査会場内で臨時スタッフとして手伝ってもらうか?それかコロナ対策特別措置法に基づく各施設の撤去作業をお願いしたい!というお誘いの話がありました!
もちろん場所も条件面も文句なしだったため快諾した訳です(*'▽')/
そして早速…5月3日に出向きまして、大阪市内で催される予定だったはずの行事に関連する設備や器具などを撤去しつつ、終えた作業に目を通してチェックしておりました↓
思いの外アッサリと手伝うこともなくなりましたので、コロナ対策出向チームのリーダーに声をかけて、帰宅することを告げた後に伝票と出向票へのサインも終えました故、その場から立ち去ったのです!
次回予定の会場は今回より少し距離が離れているものの、概ね要領も掴みましたし何と言っても好待遇ですので、気分は上々でしたが・・・その日の夜に異変が起こります↓
まず食欲が一気に失せてしまい、横になろうが布団に入ろうが何をしようがシンドイのです↓ もちろん風邪を疑い総合医療薬や漢方薬も服用しましたが全く効果ありません。そこで急遽…体調が悪化したため明日以降のメドも立たないので仕事は根こそぎキャンセルしまして、結局コロナ対応スタッフは一日限りという結果でした↓
しかしながら翌日の4日、そして5日、6日になっても相変わらず食欲がなく何をしてもシンドイだけで、眠ることすら出来ない毎日が過ぎました↓そして、それだけでは飽き足らずしてか、今度は空咳が始まり咳が止まらない状況にまで悪化したのです。
これは本格的にオカシイと思い、これまでに経験のないシンドさも加わり自分で救急車を呼びました!
それは9日の昼でしたが、思った以上に救急車の到着が早く助かった…と呟いたことを覚えております。
でも救急隊員の方に「とにかく入院OKの病院を探しますが期待はしないで下さい」と言われまして、体温も計ってもらい確認しましたが何と41℃でした(^-^;)
救急隊員の方が「そりゃあシンドイわ…41℃って今年見た中で一番の高熱やで」と小声で言っておりました。
救急車に乗り込んでから約30分後ぐらいに、サイレンを鳴らして救急車が動き始めた様子です。
それから10分程度で病院に到着しまして、病院の担架に移され即行で点滴を注入されたのでした。
そして間髪入れず太腿の付け根あたりに注射をされて採血している様子です。こちらは思考回路が殆ど機能せず、なすがままの状態で鼻の穴の奥深くまで金属らしいモノも突っ込まれました。
その後も聴診器を胸元へ当てたり、あれやこれやと検査されましてCTスキャンにも通されたはずです。
ようやく少し落ち着いたところで、担当医と思わしき方から「まずコロナ陽性やね!あと検査で肺気腫が確認された!70代の人と同じ水準の肺なんで今日もし病院に来てなかったらアウトやったな!」と明るく告げられました↓
アウトって…死んでたってこと?と聞くと「その他に何があんの?とにかくラッキーやったことは間違いないよ!たまたま当院もコロナの専用部屋を先週設置したばかりで、それまではコロナ患者の受け入れは一切拒否ってたから。多分やけど運営者側的には手続きとかウザいんやろな。まぁとりあえずそんな感じで君は入院や!」ということで入院していたのです(・_・)
以前より私個人の体質的に菌は体内に侵入しても、生まれつき全ウィルスには自身の抗体性が無意識的に働くので、今回の新型コロナウィルスも感染しないことを前提にノーマスクも実施し続けていました♪
ところが今回は生まれて初めて“ウィルス”に感染してしまい、先天的にウィルスへの抗体性を持つ者という称号を失った訳です!
というより自分自身が根拠のないウィルス抗体性を持つ人間として誇らしく思ったこともなく、どちらかと言うと少し寂しさも感じていたぐらいでした↓
しかし一応は数十年以上も自分はウィルス抗体性を持つ人間と信じてきたのに、当時の医者は何をエビデンスとして筆者にウィルスは無関係だと伝えられたのでしょうか?
そこが気になり今回、入院することになった場所以外でも色々と調べたり問うてみたりしました('_')
そこで非常に興味深い話を医療関係の有識者から聞けたので簡素に説明します!
まず今まで日本国内でも多くのウィルスが有名になった歴史もあります。例えば、Oー157やノロウィルスなどです。
もちろん、この度の武漢ウィルスも含めてですが、それまでのウィルスでしたら確かに感染する可能性は無かったかも知れないことが判りました!
ただ今年のコロナウィルスは変異株がメインであり、しかも段階別に存在しているウィルスということで、もう議論の余地など必要ないぐらい鉄板の“生物兵器型ウィルス”です(-_-)
つまり、先天的にウィルス抗体性を持つ人であろうと、感染したことのあるウィルスであれば免疫性を発揮するはずの人であっても、そんなロジックなど無関係で感染する人工的緻密ウィルスが現在主流の変異株コロナウィルスでございますm(_ _)m
従いまして緻密度を途中で向上させることも理論上は可能でして、人種やDNA、地域や血筋などで感染者のターゲットを特定したりも出来るでしょう。
どのような連中が、この変異株コロナウィルスを開発して、都合の良いようにマッチポンプで感染者の増減を図りながら、色んなビジョンを企てているのか想像できます。
率直に言いますと…本当にツマラナイしクソみたいな上級市民気取りのクズどもが、一般市民の人が掴める小さな幸せすら理不尽に奪うだけの卑怯なボードゲームです。
さて今回は救急車で運ばれて咳をするたびに喉元あたりから胸元にかけて激痛が走り、呼吸困難に陥ることも幾度かありました。
そんな状況でも…コロナ患者は隔離病棟であることが理解できます。それほどに看護師たちも厳重装備だからです。でもコロナ患者と相対する看護師や医療従事者の方々には感服しました。朝・昼・晩の食事の管理、便の回数チェック、血圧や体温のマメな計測、体調や不具合の確認、睡眠時間や室内温度の調整、定期的な身体拭き作業、不自由なことはないかと尋ねてくれるなど…抜かりなくキッチリ患者に対する施しが成されておりました。
もちろん今まで経験したことのない苦しさや不安などから強いストレスを感じる時が入院中は誰でもあるでしょう。僕は40年以上も生きてきて初めて入院しました。
それから人付き合いの有無関係なくコロナ患者への接見は一切遮断です。その昔…結核患者は辛い余生を過ごしたことでしょう。夢も希望も動画も楽しみもなく、ただ日々やつれていく体を見過ごしながら死を待つのみなのです。
ところが…どうでしょう!僕が入院していた病院は、退院した際に知りましたけど非常に立派で大きなホスピタルです。それにも関わらず…僕の我が儘や気儘を看護師や医療従事者の方々は受け入れ続けてくれたのです。
アイスクリームが食べたいとか、微糖のコーヒーが飲みたいとか、歯が痛いとか、脱走を試みたりとか、どんだけウザい患者でしょう。しかもバリ陽性コロナ野郎です。
僕なら『お前もう死ねや!』とブチ切れてるかも知れません!
例え仕事であっても最後の最後まで「大丈夫ですか?シンドかったらスグに連絡して下さいよ!」と医療従事者の方々は声をかけてくれました。比較的若い男性と女性の方が担当でしたけど、常に笑顔で接してくれて笑い話もしました。
大阪府松原市の河内天美駅近くに存在している病院ですが、僕は一生忘れることのない感謝を心に刻みました。コロナリスクと隣り合わせの職場で大変だと存じますが、貴方たちの人柄は不安な患者たちの唯一の心の支えです。是非とも続けて頂きたいと心底願います。短い期間でしたが、心身ともにお世話になりましたm(_ _)m
=END=
これまで当ブログで何度も私自身がコロナに感染することは、特異体質的なことも手伝ってアリエナイと言い切っていたのも確かです!
一体どういうことだ?!と思われる方もいらしゃるかも知れませんので、一応の釈明と流れをお伝えしておきたいと思いますm(_ _)m
実はコロナウィルス検査会場内で臨時スタッフとして手伝ってもらうか?それかコロナ対策特別措置法に基づく各施設の撤去作業をお願いしたい!というお誘いの話がありました!
もちろん場所も条件面も文句なしだったため快諾した訳です(*'▽')/
そして早速…5月3日に出向きまして、大阪市内で催される予定だったはずの行事に関連する設備や器具などを撤去しつつ、終えた作業に目を通してチェックしておりました↓
思いの外アッサリと手伝うこともなくなりましたので、コロナ対策出向チームのリーダーに声をかけて、帰宅することを告げた後に伝票と出向票へのサインも終えました故、その場から立ち去ったのです!
次回予定の会場は今回より少し距離が離れているものの、概ね要領も掴みましたし何と言っても好待遇ですので、気分は上々でしたが・・・その日の夜に異変が起こります↓
まず食欲が一気に失せてしまい、横になろうが布団に入ろうが何をしようがシンドイのです↓ もちろん風邪を疑い総合医療薬や漢方薬も服用しましたが全く効果ありません。そこで急遽…体調が悪化したため明日以降のメドも立たないので仕事は根こそぎキャンセルしまして、結局コロナ対応スタッフは一日限りという結果でした↓
しかしながら翌日の4日、そして5日、6日になっても相変わらず食欲がなく何をしてもシンドイだけで、眠ることすら出来ない毎日が過ぎました↓そして、それだけでは飽き足らずしてか、今度は空咳が始まり咳が止まらない状況にまで悪化したのです。
これは本格的にオカシイと思い、これまでに経験のないシンドさも加わり自分で救急車を呼びました!
それは9日の昼でしたが、思った以上に救急車の到着が早く助かった…と呟いたことを覚えております。
でも救急隊員の方に「とにかく入院OKの病院を探しますが期待はしないで下さい」と言われまして、体温も計ってもらい確認しましたが何と41℃でした(^-^;)
救急隊員の方が「そりゃあシンドイわ…41℃って今年見た中で一番の高熱やで」と小声で言っておりました。
救急車に乗り込んでから約30分後ぐらいに、サイレンを鳴らして救急車が動き始めた様子です。
それから10分程度で病院に到着しまして、病院の担架に移され即行で点滴を注入されたのでした。
そして間髪入れず太腿の付け根あたりに注射をされて採血している様子です。こちらは思考回路が殆ど機能せず、なすがままの状態で鼻の穴の奥深くまで金属らしいモノも突っ込まれました。
その後も聴診器を胸元へ当てたり、あれやこれやと検査されましてCTスキャンにも通されたはずです。
ようやく少し落ち着いたところで、担当医と思わしき方から「まずコロナ陽性やね!あと検査で肺気腫が確認された!70代の人と同じ水準の肺なんで今日もし病院に来てなかったらアウトやったな!」と明るく告げられました↓
アウトって…死んでたってこと?と聞くと「その他に何があんの?とにかくラッキーやったことは間違いないよ!たまたま当院もコロナの専用部屋を先週設置したばかりで、それまではコロナ患者の受け入れは一切拒否ってたから。多分やけど運営者側的には手続きとかウザいんやろな。まぁとりあえずそんな感じで君は入院や!」ということで入院していたのです(・_・)
以前より私個人の体質的に菌は体内に侵入しても、生まれつき全ウィルスには自身の抗体性が無意識的に働くので、今回の新型コロナウィルスも感染しないことを前提にノーマスクも実施し続けていました♪
ところが今回は生まれて初めて“ウィルス”に感染してしまい、先天的にウィルスへの抗体性を持つ者という称号を失った訳です!
というより自分自身が根拠のないウィルス抗体性を持つ人間として誇らしく思ったこともなく、どちらかと言うと少し寂しさも感じていたぐらいでした↓
しかし一応は数十年以上も自分はウィルス抗体性を持つ人間と信じてきたのに、当時の医者は何をエビデンスとして筆者にウィルスは無関係だと伝えられたのでしょうか?
そこが気になり今回、入院することになった場所以外でも色々と調べたり問うてみたりしました('_')
そこで非常に興味深い話を医療関係の有識者から聞けたので簡素に説明します!
まず今まで日本国内でも多くのウィルスが有名になった歴史もあります。例えば、Oー157やノロウィルスなどです。
もちろん、この度の武漢ウィルスも含めてですが、それまでのウィルスでしたら確かに感染する可能性は無かったかも知れないことが判りました!
ただ今年のコロナウィルスは変異株がメインであり、しかも段階別に存在しているウィルスということで、もう議論の余地など必要ないぐらい鉄板の“生物兵器型ウィルス”です(-_-)
つまり、先天的にウィルス抗体性を持つ人であろうと、感染したことのあるウィルスであれば免疫性を発揮するはずの人であっても、そんなロジックなど無関係で感染する人工的緻密ウィルスが現在主流の変異株コロナウィルスでございますm(_ _)m
従いまして緻密度を途中で向上させることも理論上は可能でして、人種やDNA、地域や血筋などで感染者のターゲットを特定したりも出来るでしょう。
どのような連中が、この変異株コロナウィルスを開発して、都合の良いようにマッチポンプで感染者の増減を図りながら、色んなビジョンを企てているのか想像できます。
率直に言いますと…本当にツマラナイしクソみたいな上級市民気取りのクズどもが、一般市民の人が掴める小さな幸せすら理不尽に奪うだけの卑怯なボードゲームです。
さて今回は救急車で運ばれて咳をするたびに喉元あたりから胸元にかけて激痛が走り、呼吸困難に陥ることも幾度かありました。
そんな状況でも…コロナ患者は隔離病棟であることが理解できます。それほどに看護師たちも厳重装備だからです。でもコロナ患者と相対する看護師や医療従事者の方々には感服しました。朝・昼・晩の食事の管理、便の回数チェック、血圧や体温のマメな計測、体調や不具合の確認、睡眠時間や室内温度の調整、定期的な身体拭き作業、不自由なことはないかと尋ねてくれるなど…抜かりなくキッチリ患者に対する施しが成されておりました。
もちろん今まで経験したことのない苦しさや不安などから強いストレスを感じる時が入院中は誰でもあるでしょう。僕は40年以上も生きてきて初めて入院しました。
それから人付き合いの有無関係なくコロナ患者への接見は一切遮断です。その昔…結核患者は辛い余生を過ごしたことでしょう。夢も希望も動画も楽しみもなく、ただ日々やつれていく体を見過ごしながら死を待つのみなのです。
ところが…どうでしょう!僕が入院していた病院は、退院した際に知りましたけど非常に立派で大きなホスピタルです。それにも関わらず…僕の我が儘や気儘を看護師や医療従事者の方々は受け入れ続けてくれたのです。
アイスクリームが食べたいとか、微糖のコーヒーが飲みたいとか、歯が痛いとか、脱走を試みたりとか、どんだけウザい患者でしょう。しかもバリ陽性コロナ野郎です。
僕なら『お前もう死ねや!』とブチ切れてるかも知れません!
例え仕事であっても最後の最後まで「大丈夫ですか?シンドかったらスグに連絡して下さいよ!」と医療従事者の方々は声をかけてくれました。比較的若い男性と女性の方が担当でしたけど、常に笑顔で接してくれて笑い話もしました。
大阪府松原市の河内天美駅近くに存在している病院ですが、僕は一生忘れることのない感謝を心に刻みました。コロナリスクと隣り合わせの職場で大変だと存じますが、貴方たちの人柄は不安な患者たちの唯一の心の支えです。是非とも続けて頂きたいと心底願います。短い期間でしたが、心身ともにお世話になりましたm(_ _)m
=END=
タグ: 変異株