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2020年12月04日
除霊とは周波数を整えること、霊も病気も自分が創りだし、自分の問題を投影した結果。
除霊とは周波数を整えること、霊も病気も自分が創りだし、自分の問題を投影した結果。
群馬県でほほえみ整骨院の院長をされている大森裕介さんが、来院される患者さんと相対していく中で、体感として「病」との関わりを見出した「霊」というもの。
大森さんはおっしゃいます。「今の日本で問題に思っているのは、それは「霊」について何か?と考えることがないということです」。
大森さんの捉え方としては“「霊」とは、生きている人や亡くなった方の念で目に見えないエネルギー帯”という定義。
大森さんは特に霊を見ることのない子ども時代を過ごされ、現在の業界に入るまでは「死」について興味はあったものの、「霊」とは何か? ということに関しては全く知識がないまま過ごされたそうだ。ただ、20代になって霊障は何度か経験したそうです。
そして、柔道整復師の世界に入り、西洋医学、東洋医学、オーソモレキュラーなどを学んでいき、最後に出会った治療技術がなんと「除霊」でした。
大森さんがそのとき教わった先生によると、身体に起こる症状は
霊によって起こされる症状が90%
精神的、心理的な問題で症状が起きるのが9%
肉体的な問題で症状が起きるのが1%
大森さん(のみならず、他の誰もがだと思われるが)は、この数字には当初、疑問を抱きます。
しかし、日々患者さんに触れていると「霊」によって起こされていることの方が多いことを実感することになり、そのパーセンテージを納得するに至ったとか。
実は朱鷺(shuro)も、最初は「はあ?」と感じた9割「霊」説に、徐々に「そうかも知れない」という実感を抱くに至ることになります。
また、内海式カウンセリングを学ぶと、肉体的な問題で症状が起きることなどほとんどなく、精神的、心理的な問題で起きていることを当たり前として理解できるようになるとのことです。
人によっては複雑に原因が絡まっている(もしくは複雑に本人がしている)場合もよくあるとの事。
除霊では大森さんは基本的には音叉を使うそうです。大森さんはおっしゃいます。除霊をするということは「周波数」を整えることです。と。
つまり、霊が憑きやすい人は、霊がもっている周波数に勝手に同調してしまう人、合わせやすい人です。
ですから、霊障を取りさり、霊に振り回されないような人生を歩みたい場合は、自分の発想を転換して、自分の持っている周波数を変えることです。これは、病気や症状を治す時と一緒です。
病気や症状が出るような生活とは、自分の生き方食べ方考え方という周波数が病気や症状を出すようになっているだけだから、自分の生き方食べ方考え方を180°ひっくり返すように変えないと病気や症状が変わることはありません。
これは事業でも人生でもうまくいっていない時にも応用できることであり、霊や霊障は周波数なのでどちらかといえば物理(学)だということ。
そして、周波数を整える手段として、大森さんは音叉やまれに般若心経という音を選んで施術しますが、鍼灸や石などでも周波数を整える方法であればなんでも良いといいます。代替療法というのは「周波数」を整えるための技術の集合体なのかもしれない。
大森さんの施術にかかる患者さんの中で「霊の影響かな?」と思う人の多くは年齢を問わず、第6チャクラ(印堂)が非常に疲れていることが多いといいます。
第6チャクラ(印堂)は第3の目にあたり、その奥には松果体という内分泌器があり、メラトニンというホルモンを分泌し、体内時計に関わる働きをします。松果体の働きは、霊を感じたり、オーラを感じたり、見えないものを感じる器官ではないか、と大森さんの見解。
意識している、していないに関わらず、霊を感じ、見ているところは第6チャクラを通して松果体で周波数の乱れを感じて、それが松果体の周波数の乱れを生じて、症状として現れるのではないか。
さらに考えると第6チャクラは第6感を周波数として捉えているのではないか?と推測しています。
第6感とは、5感を越えた感覚であり、直感や霊感、虫の知らせや勘など説明不能なこと、または電場などを感知することもある。とあります。
大森さん自身の第6感の体験としては、初対面の人でも、話しているとふいに懐かしい感覚になることがあり、それはとても初対面ではなく、遠い昔に兄弟とか、夫婦とか、親友とか、仕事仲間とか、比較的近い関係であったという思いを抱くことがあるそう。
さて、大森さんはおっしゃいます。悪霊はいない。霊障は悪いものではない。と。
だから、「悪霊がついている」とか言って法外な値段をとったり、大して価値も力もない石などを高額な値段で売ったりするような自称霊能者などは霊のことなど何もわかっていない代表格であるので嫌いだと。
霊に良いも悪いもありません。霊はただそこに存在していたり、その土地に縁があって存在していたり、自分の存在を忘れて欲しくないと思っていたりと、霊はただの霊です。
霊が良い悪いと判断をしているのはあくまで人間の方で、自分の問題を棚に上げて、霊が悪い、霊が怖いなど自分の思い込みに溺れている人間がこの世界でもっとも怖いです(笑)
ですから、決して「霊」と戦い、排除しようとしないでください。
しかし、と大森さんは続けます。前述の「人間がもっとも怖い」に通じる例として、「霊は霊でも、生霊だけは別格です」。なぜなら、生霊とは今、生きている人の念であり、基本的にネガティブな念を出しているからです。構ってほしい。喋ってほしい。憎い。呪いたい。等。
「霊」は、目には見えないけど確かに存在するエネルギーであり、周波数をもっています。
そして、霊は過去生や先祖からの因縁を表す指標の1つであり、自分の肝を据えておかないと、闇雲に拾ってきたり、憑いたからって怖がったりしてしまうものでもあります。
「私も昔はよく拾いに東京までいっていたものです(笑)」と大森さん。「そんな私も前ほどではないにしろ、いまだに霊障はあります。そんな時は、自分の生き方食べ方考え方を見直すように心がけています」。
霊に限らず、病気もそうですがあくまで自分が創りだした(自分の問題を投影した)結果です。そして、霊障も病気の症状も自分が出したくて出しているものです。言うなれば、必要があって出ているのが症状。
つまり、その状況を変えたければ自分を変えるしか方法はありません。除霊をできる人に頼ったところで、根本解決するためには、観たくない自分自身を見つめ直さなければなりません。
この社会で最も恐ろしく、残虐なのは、生きている人間の「私は正しい」「私は間違えていない」という思い込みです。そして、その思い込みに溺れ、自分の主張している事以外は「間違えている」「悪だ」と決めつけ攻撃し、より多くの人を巻き込み「周波数」の混乱を起こして、この社会をバラバラにしている事です。
最後に心温かき治療師、大森さんの言葉。
「そうそう、霊を感じて、観かけたら怖がらずに優しくしてあげてください。霊はかまってちゃんなので(笑)」。
ヒトは、死んだからといって聖人君主になるわけではない。霊ももとは生きていたニンゲン。生きている我々と同じ感情を持っているし、話しを聞いてあげればそれだけで気が済んで成仏出来る霊もいるという。
群馬県でほほえみ整骨院の院長をされている大森裕介さんが、来院される患者さんと相対していく中で、体感として「病」との関わりを見出した「霊」というもの。
大森さんはおっしゃいます。「今の日本で問題に思っているのは、それは「霊」について何か?と考えることがないということです」。
大森さんの捉え方としては“「霊」とは、生きている人や亡くなった方の念で目に見えないエネルギー帯”という定義。
大森さんは特に霊を見ることのない子ども時代を過ごされ、現在の業界に入るまでは「死」について興味はあったものの、「霊」とは何か? ということに関しては全く知識がないまま過ごされたそうだ。ただ、20代になって霊障は何度か経験したそうです。
そして、柔道整復師の世界に入り、西洋医学、東洋医学、オーソモレキュラーなどを学んでいき、最後に出会った治療技術がなんと「除霊」でした。
大森さんがそのとき教わった先生によると、身体に起こる症状は
霊によって起こされる症状が90%
精神的、心理的な問題で症状が起きるのが9%
肉体的な問題で症状が起きるのが1%
大森さん(のみならず、他の誰もがだと思われるが)は、この数字には当初、疑問を抱きます。
しかし、日々患者さんに触れていると「霊」によって起こされていることの方が多いことを実感することになり、そのパーセンテージを納得するに至ったとか。
実は朱鷺(shuro)も、最初は「はあ?」と感じた9割「霊」説に、徐々に「そうかも知れない」という実感を抱くに至ることになります。
また、内海式カウンセリングを学ぶと、肉体的な問題で症状が起きることなどほとんどなく、精神的、心理的な問題で起きていることを当たり前として理解できるようになるとのことです。
人によっては複雑に原因が絡まっている(もしくは複雑に本人がしている)場合もよくあるとの事。
除霊では大森さんは基本的には音叉を使うそうです。大森さんはおっしゃいます。除霊をするということは「周波数」を整えることです。と。
つまり、霊が憑きやすい人は、霊がもっている周波数に勝手に同調してしまう人、合わせやすい人です。
ですから、霊障を取りさり、霊に振り回されないような人生を歩みたい場合は、自分の発想を転換して、自分の持っている周波数を変えることです。これは、病気や症状を治す時と一緒です。
病気や症状が出るような生活とは、自分の生き方食べ方考え方という周波数が病気や症状を出すようになっているだけだから、自分の生き方食べ方考え方を180°ひっくり返すように変えないと病気や症状が変わることはありません。
これは事業でも人生でもうまくいっていない時にも応用できることであり、霊や霊障は周波数なのでどちらかといえば物理(学)だということ。
そして、周波数を整える手段として、大森さんは音叉やまれに般若心経という音を選んで施術しますが、鍼灸や石などでも周波数を整える方法であればなんでも良いといいます。代替療法というのは「周波数」を整えるための技術の集合体なのかもしれない。
大森さんの施術にかかる患者さんの中で「霊の影響かな?」と思う人の多くは年齢を問わず、第6チャクラ(印堂)が非常に疲れていることが多いといいます。
第6チャクラ(印堂)は第3の目にあたり、その奥には松果体という内分泌器があり、メラトニンというホルモンを分泌し、体内時計に関わる働きをします。松果体の働きは、霊を感じたり、オーラを感じたり、見えないものを感じる器官ではないか、と大森さんの見解。
意識している、していないに関わらず、霊を感じ、見ているところは第6チャクラを通して松果体で周波数の乱れを感じて、それが松果体の周波数の乱れを生じて、症状として現れるのではないか。
さらに考えると第6チャクラは第6感を周波数として捉えているのではないか?と推測しています。
第6感とは、5感を越えた感覚であり、直感や霊感、虫の知らせや勘など説明不能なこと、または電場などを感知することもある。とあります。
大森さん自身の第6感の体験としては、初対面の人でも、話しているとふいに懐かしい感覚になることがあり、それはとても初対面ではなく、遠い昔に兄弟とか、夫婦とか、親友とか、仕事仲間とか、比較的近い関係であったという思いを抱くことがあるそう。
さて、大森さんはおっしゃいます。悪霊はいない。霊障は悪いものではない。と。
だから、「悪霊がついている」とか言って法外な値段をとったり、大して価値も力もない石などを高額な値段で売ったりするような自称霊能者などは霊のことなど何もわかっていない代表格であるので嫌いだと。
霊に良いも悪いもありません。霊はただそこに存在していたり、その土地に縁があって存在していたり、自分の存在を忘れて欲しくないと思っていたりと、霊はただの霊です。
霊が良い悪いと判断をしているのはあくまで人間の方で、自分の問題を棚に上げて、霊が悪い、霊が怖いなど自分の思い込みに溺れている人間がこの世界でもっとも怖いです(笑)
ですから、決して「霊」と戦い、排除しようとしないでください。
しかし、と大森さんは続けます。前述の「人間がもっとも怖い」に通じる例として、「霊は霊でも、生霊だけは別格です」。なぜなら、生霊とは今、生きている人の念であり、基本的にネガティブな念を出しているからです。構ってほしい。喋ってほしい。憎い。呪いたい。等。
「霊」は、目には見えないけど確かに存在するエネルギーであり、周波数をもっています。
そして、霊は過去生や先祖からの因縁を表す指標の1つであり、自分の肝を据えておかないと、闇雲に拾ってきたり、憑いたからって怖がったりしてしまうものでもあります。
「私も昔はよく拾いに東京までいっていたものです(笑)」と大森さん。「そんな私も前ほどではないにしろ、いまだに霊障はあります。そんな時は、自分の生き方食べ方考え方を見直すように心がけています」。
霊に限らず、病気もそうですがあくまで自分が創りだした(自分の問題を投影した)結果です。そして、霊障も病気の症状も自分が出したくて出しているものです。言うなれば、必要があって出ているのが症状。
つまり、その状況を変えたければ自分を変えるしか方法はありません。除霊をできる人に頼ったところで、根本解決するためには、観たくない自分自身を見つめ直さなければなりません。
この社会で最も恐ろしく、残虐なのは、生きている人間の「私は正しい」「私は間違えていない」という思い込みです。そして、その思い込みに溺れ、自分の主張している事以外は「間違えている」「悪だ」と決めつけ攻撃し、より多くの人を巻き込み「周波数」の混乱を起こして、この社会をバラバラにしている事です。
最後に心温かき治療師、大森さんの言葉。
「そうそう、霊を感じて、観かけたら怖がらずに優しくしてあげてください。霊はかまってちゃんなので(笑)」。
ヒトは、死んだからといって聖人君主になるわけではない。霊ももとは生きていたニンゲン。生きている我々と同じ感情を持っているし、話しを聞いてあげればそれだけで気が済んで成仏出来る霊もいるという。
2020年12月03日
出雲大社と因幡の素うさぎ 〜歴史は常に勝者によって編纂されていく〜
出雲大社と因幡の素うさぎ
〜歴史は常に勝者によって編纂されていく〜
教科書では縄文時代が終わってもっと進んだ弥生時代が始まった、という風に習った。しかし、当時すでにその論に疑問を投げかけていた友人がいた。
縄文時代の土器が弥生時代の土器より時代が古く劣っているなんてそもそも間違っている、縄文時代の土器の方が技術的にずっと優れている、と友人はそのとき言った。
そのときはあまりピンとこなかったが、どちらが優れているかどうかは別として、時代が変わったために土器が変わった訳ではなく、そもそもまったく別の人たちが作ったものが残っているから時代が変わったと看做されていたのだろうと思う。
縄文時代:狩猟採集社会(紀元前145世紀〜10世紀)
弥生時代:農耕社会(紀元前10世紀〜紀元後3世紀)
135世紀も継続した縄文時代は平和な時代でもあったのだろう。自然と一体化した精神性の高さはアイヌに名残を留めているように思われる。それから、東北のアテルイの時代も。
その太平の日本に、九州北部あたりに外から入ってきたのが稲作文化を持つ弥生人だ。フロー(流れる)文明にストック(資本蓄積)文明が入ってきた。ストック文明は土地がほしいので、弥生時代になると一転、争いの国土となっていく。
国譲り神話では、大国主神は、「私には何の異存もありません。ただひとつ、国を譲る代わりに私の住居として、大きく立派な御殿を建てていただきたい。自分の子供たちは、事代主神が率先して天つ神(あまつかみ)の子孫に仕えるのであれば、それに従わない者はいない」と、自ら退いたように語られている。
素ウサギ神話というのは。
オオナムジ(大国主命)は、スサノオ命の子のひとりで、80人もの兄弟神(八十神)がいた。兄弟神たちは、皆、稲羽の八上神を妻にしたいと考え、連れだって稲羽に向かった。オオナムジは袋を背負わされ、従者のようなかっこうでつき従っていった。
やがて一行が気多の前にさしかかると、そこに赤裸に皮をむかれたウサギが伏せていた。
赤裸にむかれて苦しむウサギに向かって、兄弟神たちはいった。
「おいウサギよ、海の塩水を浴びたあと、風にあたってみたまえ。高い山の尾なら、風もずいぶんふきさらしだろうから、そこに伏せているとよくなるだろう」
いわれたとおりにしたウサギは、一層ひどい痛みにもだえ苦しんだ。そこにオオナムジが通りかかり、わけを問うた。
「私は於岐の島のウサギでございます。かの島からこちらに渡りたいと思いましたが、方法がございません。そこでワニをだまして彼らをズラリと岸まで並べ、その背を跳びながらこの岸に渡ったのですが、そのときついた嘘がバレて赤裸に皮をむかれ、おまけに八十神の教えに従ったらこのざまです」
そこでオオナムジは、真水で身を洗い、蒲英をまき散らしてその上を転がると癒えることをウサギに教えた。いわれたとおりにしたウサギの体はもとどおりになり、稲羽のウサギ神となった。そのウサギ神の申すよう—。
「あなたの兄弟神は八上姫を得ることはできますまい。袋などかつがされているとはいえ、八上姫と結ばれるのは貴神です」
という物語である。
ウサギは月と結びついている。これは広く東アジアの伝説中に見ることができる。中国では月を「玉兎」という。また、ウサギを「名月の精」ともいう。中秋の名月を楽しむ風習は、もちろん日本だけのことではない。中国では「兎児爺(トルイエ)」という牡ウサギの土人形を月神に見立てて飾った。月の中に住むウサギはオスだ。このオスが月を定期的にはらませる。というのも、月は女性、あるいは無意識の普遍的象徴だからだ。
このことから、ウサギは無意識世界と意識世界を結ぶ動物だということがわかる。
さて、九州に上陸した外来の弥生人が、土着の縄文人を支配していく。そして支配がなった後に、それを正当づけるために編まれるのが歴史書(「古事記」(712年)や「日本書紀」(720年))だ。
記紀の中で、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)は、高天原(たかまがはら)を拠点とする天津神(天の神:弥生勢力?)によって平定されている。国津神(国の神:縄文勢力?)の最後の抵抗勢力は大国主(スサノオの子、出雲大社の祭神)だったようだ。記紀の中では、その大国主が国を譲って天津神は正当な統治者となる。これが権威の根源である。
縄文日本には津々浦々まで龍神が祭られていた。伊勢の地にも、ニギハヤヒ(別名:天照大神アマテルオオカミ:男神)と一対で祭られていた龍神(女神)がいた。それが瀬織津姫である。
持統天皇は、全国的に勢力を持つ瀬織津姫を封印しなければならなかった。それが縄文(国津神)の女神だったからだ。そこで、伊勢神宮の祭神を天照大神(アマテラスオオミカミ)の女神(一神)とし、記紀から瀬織津姫の名を省き、地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令した。
持統天皇は、「千と千尋の神隠し」で千尋の名を奪った湯婆婆のごとく、瀬織津姫の名を全国から奪っていった。抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようだから容赦はない。命まで奪っていく非常さの裏に、凄まじい孤独と不安の闇が見える気がする。
この、持統天皇は女帝でありその生い立ちは数奇なものだった。
大化の改新(645年)の中心人物である天智天皇(中大兄皇子)は、蘇我入鹿を打ち破ったときの同志である蘇我石川麻呂の娘遠智娘(おちのいらつめ)を嫁(の一人)としてもらう。が、右大臣となり勢力を増す石川麻呂に脅威を感じたのか、「裏切り」の濡れ衣を着せて攻め滅ぼす。夫に両親を殺された遠智娘は悲嘆のあまり亡くなり、2人の娘が残された。
その次女が13歳の時に天智天皇の弟大海人皇子に政略結婚させられた。その次女が後の持統天皇である。
夫(父の弟)に祖父母及び母の仇である父を討たせた持統天皇は、天武崩御後、実権を掌握。子に先立たれたが、孫のバックについて日本初の上皇(太上天皇)となって政治を支配し続けた。
このように見ると、家庭崩壊、一族滅亡、国家滅亡までも見せられてきた持統天皇は、何が何でも安定した強い国作りをしようとしたのではないだろうか、と家族カウンセリングを行うカウンセラーさんは見ている。法治国家を推進したのも(「大宝律令」を完成(701年))、中国に倣って日本で初めて都城制による城郭都市を建設(藤原京)したのも、不退転の決意と執念を感じさせる。
策略家と言われている持統天皇だが、内実は、怯えた女の子(外から見ればブラックホール)が完璧な安心を得るために、自分を守る城塞、人を罰する刑罰など、あれもこれも整備していったのかもしれない。
生まれてこの方、人の裏切りを見過ぎてきた持統天皇。壁を作り、罰則を作っても安心できない。問題は人の心の中にあるからだ。そこで、人々が決して自分に向かってこないように、自分の権力を絶対的なものにする必要があった。そして人々の心を権威に向かって統一する必要があった。悲しい人生である。
素ウサギは、出雲と深い関係があり、ウサギが無意識に関係するということは、魂の故郷にも通じているのではないかと思われます。
神話の世界を旅してみると、日本人のルーツにも思いを馳せることが出来ます。各地に残る伝承、文字を持たなかった地域の歴史を探ってみると思わぬ宝物が埋もれていることに気付くかも知れません。
〜歴史は常に勝者によって編纂されていく〜
教科書では縄文時代が終わってもっと進んだ弥生時代が始まった、という風に習った。しかし、当時すでにその論に疑問を投げかけていた友人がいた。
縄文時代の土器が弥生時代の土器より時代が古く劣っているなんてそもそも間違っている、縄文時代の土器の方が技術的にずっと優れている、と友人はそのとき言った。
そのときはあまりピンとこなかったが、どちらが優れているかどうかは別として、時代が変わったために土器が変わった訳ではなく、そもそもまったく別の人たちが作ったものが残っているから時代が変わったと看做されていたのだろうと思う。
縄文時代:狩猟採集社会(紀元前145世紀〜10世紀)
弥生時代:農耕社会(紀元前10世紀〜紀元後3世紀)
135世紀も継続した縄文時代は平和な時代でもあったのだろう。自然と一体化した精神性の高さはアイヌに名残を留めているように思われる。それから、東北のアテルイの時代も。
その太平の日本に、九州北部あたりに外から入ってきたのが稲作文化を持つ弥生人だ。フロー(流れる)文明にストック(資本蓄積)文明が入ってきた。ストック文明は土地がほしいので、弥生時代になると一転、争いの国土となっていく。
国譲り神話では、大国主神は、「私には何の異存もありません。ただひとつ、国を譲る代わりに私の住居として、大きく立派な御殿を建てていただきたい。自分の子供たちは、事代主神が率先して天つ神(あまつかみ)の子孫に仕えるのであれば、それに従わない者はいない」と、自ら退いたように語られている。
素ウサギ神話というのは。
オオナムジ(大国主命)は、スサノオ命の子のひとりで、80人もの兄弟神(八十神)がいた。兄弟神たちは、皆、稲羽の八上神を妻にしたいと考え、連れだって稲羽に向かった。オオナムジは袋を背負わされ、従者のようなかっこうでつき従っていった。
やがて一行が気多の前にさしかかると、そこに赤裸に皮をむかれたウサギが伏せていた。
赤裸にむかれて苦しむウサギに向かって、兄弟神たちはいった。
「おいウサギよ、海の塩水を浴びたあと、風にあたってみたまえ。高い山の尾なら、風もずいぶんふきさらしだろうから、そこに伏せているとよくなるだろう」
いわれたとおりにしたウサギは、一層ひどい痛みにもだえ苦しんだ。そこにオオナムジが通りかかり、わけを問うた。
「私は於岐の島のウサギでございます。かの島からこちらに渡りたいと思いましたが、方法がございません。そこでワニをだまして彼らをズラリと岸まで並べ、その背を跳びながらこの岸に渡ったのですが、そのときついた嘘がバレて赤裸に皮をむかれ、おまけに八十神の教えに従ったらこのざまです」
そこでオオナムジは、真水で身を洗い、蒲英をまき散らしてその上を転がると癒えることをウサギに教えた。いわれたとおりにしたウサギの体はもとどおりになり、稲羽のウサギ神となった。そのウサギ神の申すよう—。
「あなたの兄弟神は八上姫を得ることはできますまい。袋などかつがされているとはいえ、八上姫と結ばれるのは貴神です」
という物語である。
ウサギは月と結びついている。これは広く東アジアの伝説中に見ることができる。中国では月を「玉兎」という。また、ウサギを「名月の精」ともいう。中秋の名月を楽しむ風習は、もちろん日本だけのことではない。中国では「兎児爺(トルイエ)」という牡ウサギの土人形を月神に見立てて飾った。月の中に住むウサギはオスだ。このオスが月を定期的にはらませる。というのも、月は女性、あるいは無意識の普遍的象徴だからだ。
このことから、ウサギは無意識世界と意識世界を結ぶ動物だということがわかる。
さて、九州に上陸した外来の弥生人が、土着の縄文人を支配していく。そして支配がなった後に、それを正当づけるために編まれるのが歴史書(「古事記」(712年)や「日本書紀」(720年))だ。
記紀の中で、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)は、高天原(たかまがはら)を拠点とする天津神(天の神:弥生勢力?)によって平定されている。国津神(国の神:縄文勢力?)の最後の抵抗勢力は大国主(スサノオの子、出雲大社の祭神)だったようだ。記紀の中では、その大国主が国を譲って天津神は正当な統治者となる。これが権威の根源である。
縄文日本には津々浦々まで龍神が祭られていた。伊勢の地にも、ニギハヤヒ(別名:天照大神アマテルオオカミ:男神)と一対で祭られていた龍神(女神)がいた。それが瀬織津姫である。
持統天皇は、全国的に勢力を持つ瀬織津姫を封印しなければならなかった。それが縄文(国津神)の女神だったからだ。そこで、伊勢神宮の祭神を天照大神(アマテラスオオミカミ)の女神(一神)とし、記紀から瀬織津姫の名を省き、地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令した。
持統天皇は、「千と千尋の神隠し」で千尋の名を奪った湯婆婆のごとく、瀬織津姫の名を全国から奪っていった。抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようだから容赦はない。命まで奪っていく非常さの裏に、凄まじい孤独と不安の闇が見える気がする。
この、持統天皇は女帝でありその生い立ちは数奇なものだった。
大化の改新(645年)の中心人物である天智天皇(中大兄皇子)は、蘇我入鹿を打ち破ったときの同志である蘇我石川麻呂の娘遠智娘(おちのいらつめ)を嫁(の一人)としてもらう。が、右大臣となり勢力を増す石川麻呂に脅威を感じたのか、「裏切り」の濡れ衣を着せて攻め滅ぼす。夫に両親を殺された遠智娘は悲嘆のあまり亡くなり、2人の娘が残された。
その次女が13歳の時に天智天皇の弟大海人皇子に政略結婚させられた。その次女が後の持統天皇である。
夫(父の弟)に祖父母及び母の仇である父を討たせた持統天皇は、天武崩御後、実権を掌握。子に先立たれたが、孫のバックについて日本初の上皇(太上天皇)となって政治を支配し続けた。
このように見ると、家庭崩壊、一族滅亡、国家滅亡までも見せられてきた持統天皇は、何が何でも安定した強い国作りをしようとしたのではないだろうか、と家族カウンセリングを行うカウンセラーさんは見ている。法治国家を推進したのも(「大宝律令」を完成(701年))、中国に倣って日本で初めて都城制による城郭都市を建設(藤原京)したのも、不退転の決意と執念を感じさせる。
策略家と言われている持統天皇だが、内実は、怯えた女の子(外から見ればブラックホール)が完璧な安心を得るために、自分を守る城塞、人を罰する刑罰など、あれもこれも整備していったのかもしれない。
生まれてこの方、人の裏切りを見過ぎてきた持統天皇。壁を作り、罰則を作っても安心できない。問題は人の心の中にあるからだ。そこで、人々が決して自分に向かってこないように、自分の権力を絶対的なものにする必要があった。そして人々の心を権威に向かって統一する必要があった。悲しい人生である。
素ウサギは、出雲と深い関係があり、ウサギが無意識に関係するということは、魂の故郷にも通じているのではないかと思われます。
神話の世界を旅してみると、日本人のルーツにも思いを馳せることが出来ます。各地に残る伝承、文字を持たなかった地域の歴史を探ってみると思わぬ宝物が埋もれていることに気付くかも知れません。
2020年12月02日
精神科が原因の自殺。抗精神病薬の副作用という死。
精神科が原因の自殺。抗精神病薬の副作用という死。
2009年春、四国地方の児童養護施設。面会に行った精神科医は、2人のあまりの変わりように愕然とした、から始まる記述が〜『精神医療ダークサイド』佐藤光展 著 講談社現代新書〜にあり、読んでいるこちらも衝撃を受けた。
中学2年の兄はよだれを垂らし、小学6年の弟は失禁でズボンを濡らしていた。その子ども達の母親は精神疾患の悪化で入院していた。兄弟はほかに身寄りがなく、一時的に預けられたのがこの施設だった。母親が退院するまで、母親を長く診てきたクリニックの精神科医が、施設を定期的に訪問する役を引き受けていた。
「どんな薬を飲まされたんだ。色は。形は」
近くにいた職員に詳細を尋ねても「個人情報なので」の一点張り。その場で携帯電話を取り出し、この施設が提携する精神科病院に問い合わせたが、身分を明かしても担当医にはつながらなかった。
だが、副作用の出方で薬の見当はついた。「抗精神病薬。2人は鎮静させられたんだ」
抗精神病薬は、主に統合失調症の幻聴や妄想を抑える目的で使われる。適量の服用で効果を発揮するが、過剰に投与したり、この病気でない人が服用したりすると、過度の鎮静や筋肉の硬直、認知機能の低下など、重い副作用が現れやすい。健康な人が服用すると、少量でも動けなくなるほど鎮静作用が強い薬なんだそうだ。
こちらとしては、小説の悪役に登場していただくためには恰好のネタになるわ、って感じで読み進めた。精神医療は、薬物中毒と虐待に次ぐ社会のダークサイドだ。(ドラッグと精神薬って成分は同じだというしな)
精神科医でも、良心的な…というか、ここに登場する先生のようにヒトとしてマトモな医師もいる。それでも、精神疾患などない、という視点に立てば精神医療は根底から間違っていることになるのだが、カウンセラーや臨床心理士という方々がいらっしゃる限り、全面的には精神医療を否定はしない。鍼灸師にしても、経営を考えて施術していたとしても、予防医学の軸がブレない限りはマトモな部類だと信じている。
結局、何故、この養護施設で精神薬などが処方されるに至ったのかというと。
兄弟は、この施設に入って寝付きが悪くなった。母親と突然引き離され、見知らぬ施設に入ったのだから無理もないが、深夜も落ち着かず動き回り、職員を困らせた。年長の子どもからは露骨ないじめを受け、兄弟は理不尽な暴力に反撃し、その結果、精神科病院に連れて行かれ、そして薬が処方されたのだという。
人手不足が災いしているのか、愛情の欠落か、無知の成せる業なのか。これが、児童養護施設の実態。これが精神医療の実情なのかと唖然としてしまう。
もう一つ。
「精神科が原因の自殺がある。自覚すべきだ」
2013年5月、福岡市で開かれた第109回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで、北里大学病院救命救急センター医師の上條吉人さんが語気を強めた。福岡国際会場メインホールを埋めた精神科医たちは、厳しい指摘をどう受け止めたのだろうか。
相模原市で三次救急を担い、24時間体制で重篤な患者に対応する北里大学病院救命救急センターでは、運び込まれる人の10〜15%が自殺企図および自傷行為の患者で、このうち半数(全体の5〜7%)を処方薬の過量服薬者が占めている。救急医の奮闘を尻目に過量服薬者を次々と生み出し、処方内容などを問い合わせたくても夜間や土日には電話もつながらない精神科医たちに対し、救急医の怒りは治まらない。
上條さんは、このシンポジウムで二つの事例を取り上げた。1例目は、心臓に影響が出る恐れがある三環系抗うつ剤を大量に飲み、深刻な不整脈を起こした患者で、迅速な救命措置で命は助かったものの、瀬戸際だった。「この患者はうつ病の診断を受け、三環系抗うつ薬が30日分、3g処方されていた。この薬の致死量は体重の1kgあたり20mg。体重50kgだと1gで死ぬ量に達する。致死量をはるかに超える薬が1回の処方で出ていたことになる」と上條さんは指摘した。
2例目は20代の女性で、うつ病の診断で大量に処方されたバルビツール酸系の睡眠薬を56錠飲み、低酸素脳症で死亡した。バルビツール酸系は、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬が登場するまで盛んに用いられた薬で、依存性も副作用も強い。女性が飲んだ薬の致死量は40錠だった。
大量服薬する患者の多くは処方薬依存・乱用の状態で、複数の医療機関を回って薬を入手している。医療につながりすぎるほどつながっているのに、医師たちはだれも乱用に気付かず(あるいは指摘せず)、まるで乱用の手助けをするかのように依存性の高い薬を長期処方しているのだ。
さらにもう一つ。
医師に診断されたうつ病が鍼治療で消えた、という事実もある。
いやいやいや、本当にそう書かれてたんだって!
2006年、東京に住む当時50代の女性会社員のタカコさん(仮名)は、精神科クリニックで「うつ病」と診断された。几帳面な性格が管理職になって強まり、部下の仕事に細かく口を挟んだ結果、職場で孤立して落ち込んだ。同世代の男性に負けまいと若い頃から仕事一筋でやってきたのに、人が変わったように何も手につかなくなった。
薬物治療を続けたが仕事への意欲は戻らず、抗うつ剤のほかに抗不安剤、抗精神病薬などが追加されていった。定年退職まで欠勤を繰り返した。
2008年のある朝、頭が前に傾いたまま上がらなくなった。整形外科で検査を受けたが骨や筋肉に異常はなく、整形外科医は、「精神科の薬の影響」と判断した。(これは、精神科の多剤大量投与された人が起こしている典型的な斜頚らしい。)
だが、その時点まで2年近く薬を飲み続けていたタカコさんは「薬を減らすとうつがもっとひどくなるのではないか」と不安で減薬に踏み切れなかった。悩みを知人に打ち明けると「首の筋肉を鍼灸でほぐしたら楽になるのでは」と勧められ、東京都杉並区の鍼灸院に行った。背中のツボに灸を施し、首などに浅く鍼を刺す治療を受けた。
数回通うと頭が上がるようになった。(他の症例では、斜頚は結局治っていない。やはり早い段階で鍼灸治療を受けると治るのだ!)以後も「ほかでは得られない心身の心地良さ」にひかれて定期的に通ううちに、自信や気力がよみがえってきた。周囲の勧めで適度な運動を始め、それで気分転換ができるようになると、薬に頼る気持ちが薄らいだ。少しずつ減薬を進めて新たな職を得た。以前よりも心に余裕ができたことで職場の同僚に気を配れるようになり、良好な職場環境で仕事が楽しくなった。(これがすべての答えだ。病は生き方を見直すためのもの)
タカコさんの「うつ病」は鍼灸で治ったのだろうか。元共同通信記者で鍼灸ジャーナリストの松田博公さんは「鍼灸には全身状態を整えて心身をリラックスさせる効果はありますが、精神疾患は治せない」と断言する。(おいおいおい! アメリカで臨床をしている松本岐子先生はちゃんとうつ病を治してるぞ!)だが、「最近は心の不調をすぐに病気にしてしまう安易な診断が増えたためか、鍼灸で改善する『うつ病』が目立っている」という。
抗うつ剤では改善しないのに、鍼灸で回復する「うつ病」は本当に病気なのだろうか。安易な診断と投薬が、落ち込んだ人に過剰な病者意識を植え付け、かえって不調や服薬を長引かせているのではないか。と結ばれている。
最後に。
2011年秋、東京の40代の男性がまるで高齢者のような言葉を口にしたのだ。
「最近また友達を失いました。心臓発作による突然死です。同世代の友人が4人、5人と亡くなっていく」
彼は20代で統合失調症を診断され、多剤大量投薬に苦しんだ経験がある。だが病院を変え、抗精神病薬を1種類にしてから症状が落ち着き、会社勤めができるまでに回復した。
亡くなった彼の友人たちは、死に至る病を抱えていたわけではない。統合失調症と診断され、治療を受けていただけだ。ただ、亡くなる直前まで大量の抗精神病薬を服用していたという共通点があった。
2009年春、四国地方の児童養護施設。面会に行った精神科医は、2人のあまりの変わりように愕然とした、から始まる記述が〜『精神医療ダークサイド』佐藤光展 著 講談社現代新書〜にあり、読んでいるこちらも衝撃を受けた。
中学2年の兄はよだれを垂らし、小学6年の弟は失禁でズボンを濡らしていた。その子ども達の母親は精神疾患の悪化で入院していた。兄弟はほかに身寄りがなく、一時的に預けられたのがこの施設だった。母親が退院するまで、母親を長く診てきたクリニックの精神科医が、施設を定期的に訪問する役を引き受けていた。
「どんな薬を飲まされたんだ。色は。形は」
近くにいた職員に詳細を尋ねても「個人情報なので」の一点張り。その場で携帯電話を取り出し、この施設が提携する精神科病院に問い合わせたが、身分を明かしても担当医にはつながらなかった。
だが、副作用の出方で薬の見当はついた。「抗精神病薬。2人は鎮静させられたんだ」
抗精神病薬は、主に統合失調症の幻聴や妄想を抑える目的で使われる。適量の服用で効果を発揮するが、過剰に投与したり、この病気でない人が服用したりすると、過度の鎮静や筋肉の硬直、認知機能の低下など、重い副作用が現れやすい。健康な人が服用すると、少量でも動けなくなるほど鎮静作用が強い薬なんだそうだ。
こちらとしては、小説の悪役に登場していただくためには恰好のネタになるわ、って感じで読み進めた。精神医療は、薬物中毒と虐待に次ぐ社会のダークサイドだ。(ドラッグと精神薬って成分は同じだというしな)
精神科医でも、良心的な…というか、ここに登場する先生のようにヒトとしてマトモな医師もいる。それでも、精神疾患などない、という視点に立てば精神医療は根底から間違っていることになるのだが、カウンセラーや臨床心理士という方々がいらっしゃる限り、全面的には精神医療を否定はしない。鍼灸師にしても、経営を考えて施術していたとしても、予防医学の軸がブレない限りはマトモな部類だと信じている。
結局、何故、この養護施設で精神薬などが処方されるに至ったのかというと。
兄弟は、この施設に入って寝付きが悪くなった。母親と突然引き離され、見知らぬ施設に入ったのだから無理もないが、深夜も落ち着かず動き回り、職員を困らせた。年長の子どもからは露骨ないじめを受け、兄弟は理不尽な暴力に反撃し、その結果、精神科病院に連れて行かれ、そして薬が処方されたのだという。
人手不足が災いしているのか、愛情の欠落か、無知の成せる業なのか。これが、児童養護施設の実態。これが精神医療の実情なのかと唖然としてしまう。
もう一つ。
「精神科が原因の自殺がある。自覚すべきだ」
2013年5月、福岡市で開かれた第109回日本精神神経学会学術総会のシンポジウムで、北里大学病院救命救急センター医師の上條吉人さんが語気を強めた。福岡国際会場メインホールを埋めた精神科医たちは、厳しい指摘をどう受け止めたのだろうか。
相模原市で三次救急を担い、24時間体制で重篤な患者に対応する北里大学病院救命救急センターでは、運び込まれる人の10〜15%が自殺企図および自傷行為の患者で、このうち半数(全体の5〜7%)を処方薬の過量服薬者が占めている。救急医の奮闘を尻目に過量服薬者を次々と生み出し、処方内容などを問い合わせたくても夜間や土日には電話もつながらない精神科医たちに対し、救急医の怒りは治まらない。
上條さんは、このシンポジウムで二つの事例を取り上げた。1例目は、心臓に影響が出る恐れがある三環系抗うつ剤を大量に飲み、深刻な不整脈を起こした患者で、迅速な救命措置で命は助かったものの、瀬戸際だった。「この患者はうつ病の診断を受け、三環系抗うつ薬が30日分、3g処方されていた。この薬の致死量は体重の1kgあたり20mg。体重50kgだと1gで死ぬ量に達する。致死量をはるかに超える薬が1回の処方で出ていたことになる」と上條さんは指摘した。
2例目は20代の女性で、うつ病の診断で大量に処方されたバルビツール酸系の睡眠薬を56錠飲み、低酸素脳症で死亡した。バルビツール酸系は、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬が登場するまで盛んに用いられた薬で、依存性も副作用も強い。女性が飲んだ薬の致死量は40錠だった。
大量服薬する患者の多くは処方薬依存・乱用の状態で、複数の医療機関を回って薬を入手している。医療につながりすぎるほどつながっているのに、医師たちはだれも乱用に気付かず(あるいは指摘せず)、まるで乱用の手助けをするかのように依存性の高い薬を長期処方しているのだ。
さらにもう一つ。
医師に診断されたうつ病が鍼治療で消えた、という事実もある。
いやいやいや、本当にそう書かれてたんだって!
2006年、東京に住む当時50代の女性会社員のタカコさん(仮名)は、精神科クリニックで「うつ病」と診断された。几帳面な性格が管理職になって強まり、部下の仕事に細かく口を挟んだ結果、職場で孤立して落ち込んだ。同世代の男性に負けまいと若い頃から仕事一筋でやってきたのに、人が変わったように何も手につかなくなった。
薬物治療を続けたが仕事への意欲は戻らず、抗うつ剤のほかに抗不安剤、抗精神病薬などが追加されていった。定年退職まで欠勤を繰り返した。
2008年のある朝、頭が前に傾いたまま上がらなくなった。整形外科で検査を受けたが骨や筋肉に異常はなく、整形外科医は、「精神科の薬の影響」と判断した。(これは、精神科の多剤大量投与された人が起こしている典型的な斜頚らしい。)
だが、その時点まで2年近く薬を飲み続けていたタカコさんは「薬を減らすとうつがもっとひどくなるのではないか」と不安で減薬に踏み切れなかった。悩みを知人に打ち明けると「首の筋肉を鍼灸でほぐしたら楽になるのでは」と勧められ、東京都杉並区の鍼灸院に行った。背中のツボに灸を施し、首などに浅く鍼を刺す治療を受けた。
数回通うと頭が上がるようになった。(他の症例では、斜頚は結局治っていない。やはり早い段階で鍼灸治療を受けると治るのだ!)以後も「ほかでは得られない心身の心地良さ」にひかれて定期的に通ううちに、自信や気力がよみがえってきた。周囲の勧めで適度な運動を始め、それで気分転換ができるようになると、薬に頼る気持ちが薄らいだ。少しずつ減薬を進めて新たな職を得た。以前よりも心に余裕ができたことで職場の同僚に気を配れるようになり、良好な職場環境で仕事が楽しくなった。(これがすべての答えだ。病は生き方を見直すためのもの)
タカコさんの「うつ病」は鍼灸で治ったのだろうか。元共同通信記者で鍼灸ジャーナリストの松田博公さんは「鍼灸には全身状態を整えて心身をリラックスさせる効果はありますが、精神疾患は治せない」と断言する。(おいおいおい! アメリカで臨床をしている松本岐子先生はちゃんとうつ病を治してるぞ!)だが、「最近は心の不調をすぐに病気にしてしまう安易な診断が増えたためか、鍼灸で改善する『うつ病』が目立っている」という。
抗うつ剤では改善しないのに、鍼灸で回復する「うつ病」は本当に病気なのだろうか。安易な診断と投薬が、落ち込んだ人に過剰な病者意識を植え付け、かえって不調や服薬を長引かせているのではないか。と結ばれている。
最後に。
2011年秋、東京の40代の男性がまるで高齢者のような言葉を口にしたのだ。
「最近また友達を失いました。心臓発作による突然死です。同世代の友人が4人、5人と亡くなっていく」
彼は20代で統合失調症を診断され、多剤大量投薬に苦しんだ経験がある。だが病院を変え、抗精神病薬を1種類にしてから症状が落ち着き、会社勤めができるまでに回復した。
亡くなった彼の友人たちは、死に至る病を抱えていたわけではない。統合失調症と診断され、治療を受けていただけだ。ただ、亡くなる直前まで大量の抗精神病薬を服用していたという共通点があった。
2020年12月01日
依存から始まる心の不調。発達障害という病名が生み出す本当の病。
依存から始まる心の不調。発達障害という病名が生み出す本当の病。
断薬後にずっと長く続く不調の原因は『心の病の延長』です。そもそも心の病というものは、『病気』ではありません。
と語るのは、家庭問題・心理・断薬カウンセラー工藤史惠さんです。
工藤さんがカウンセラーとして関わってらっしゃる相談は、『断薬のご相談』『断薬のアドバイス』ということになっているが、実は一番多い内容は、「断薬したい」という相談ではなく、『すでに断薬は果たしている。でもしばらく経っても体調がなかなか戻らない』という相談なのだとか。
つまり、精神病院に行くほどの心の病になってしまった問題の根本的解決ができていないので、そこから脱することができないということ。
誤解して欲しくないのは、その人に出ている症状を否定しているのではなく、症状とは出る必要があるから出ているものであり、病気だから出ているものではないという理解が必要。
自分が分かっている心理のもっともっと奥深く、深層心理の部分でその病気が必要で、自ら病人という立場を選んでいる。これが心の病のメカニズムです。
そして精神薬を断薬しても、元々精神科に通うようになるほど体調を崩してしまった原因、薬漬けになってしまった原因に気づかないと、今度は『後遺症』というものにしがみつき、いつまで経っても具合がよくならない、社会復帰ができないということになってしまう。
この根本的原因に気づけると、何年も苦しんだ人が3ヶ月〜半年で別人のようになってしまい、気づくと働きだしてしまっているという嬉しい驚きがある。
『依存』という言葉を辞書で引くと「他のものによりかかり、それによって成り立つこと」と書かれています。
依存自体は多かれ少なかれ、どんな人でも何かにしていると思います。
でも、心の病になってしまう人、薬漬けになってしまう人はみんな極度な依存体質です。
薬漬けになった人はたまたま病院や病気、薬に依存しただけ。
ギャンブル依存も買い物依存も、そして恋愛依存も、依存する対象が違っただけで、実は全てが同じです。
そういう『依存』というものを生み出すのはどうしてか?
その原因は『生まれ持った性格 + 育ってきた環境』これだけでしかありません。
育ってきた環境で満たされないものが大き過ぎた。それを大人になっても無意識のうちに埋めようとして埋められるものを探して歩く。
その、埋められるものが依存するものなのです。
しかし、ほんとうの意味で満たされることはないので、苦しみ続ける訳です。
さて、精神科につきましては、病名という落とし穴があると工藤さんはおっしゃいます。
たとえば、『精神科で診断される病気』『精神薬が必要な病気』と聞いて連想する病名とは?
うつ病・統合失調症・パニック障害・不安障害・摂食障害・不眠症(睡眠障害)・双極性障害・起立性障害・人格障害・発達障害……
等まぁ、色々なものがあります。
ここにいくつか並んだ病名を見て、もう、おかしいなと思いませんか?
最初のうつ病、統合失調症を覗いて、その後ろにあるものすべて『○○障害』という名前がついています。
『○○病』ではなく『○○障害』です。
因みに、障害という言葉を辞書で引いてみると「正常な進行や活動の妨げとなるもの」と書いてあります。
つまり、妨げとなるものなだけであって、病気ではないですね?
たとえば、「発達障害」という病気があります。しかしそもそも、この発達障害って一体何なのでしょうか?
ここにも『障害』という言葉がついていますから、前述の理屈で言うと『発達の妨げになるもの』です。
それだったら発達障害って病気ですか? 薬で治るものですか?
工藤さんは2018年まで、カウンセリング業の傍ら、2年半の間、地元のソロバン塾の講師をしていたそうです。そのときに出会った子ども達の話。
そこに通って来ていた何人もの子が、学校から発達障害の疑いがあるからと病院に行くことを勧められていたとこのとでした。
確かに、学校側から勧められたその子たちは、個性が強いです。でも、55分もある授業中、ずっと座っていられるんです。学校から「病院に行って診てもらって」と言われている子たちは、どの子も私から見たら全く病気ではなかった、と工藤さんはおっしゃる。
だって、薬を飲んでいなくてももっと落ち着きのない子はたくさんいましたからね(笑)と。
お子さんが病人になるかならないかは親御さんの意識の差。
同じような症状でも、病院に行く子・行かない子、病気として扱われる子・扱われない子は、周囲の環境によって大きく異なってきます。
学校に言われても「ん〜。確かに落ち着きがないんですけれどね〜。でもこの子、生まれたときからそうだし、そういう子なんですよね〜」と笑って済ませてしまえるかどうか。
結局、子どもをどう育てたいか、親子でどう向き合っていくか。
つまり、病名がマーケティングであるということは、内海先生はもちろんのこと、有名な精神薬を作っている製薬会社の人や、有名な海外の医師なども口にしていたりするそうです。
たとえば、神経質な親御さんに対して「あなたの子どもは病気かもしれません。その病気のせいで他人にも迷惑を掛けてしまうのですよ。でも薬を飲ませれば、今困っている症状は抑えられ、他人に迷惑を掛けることもなくなります」そう言えば、迷わず病院に行かせることには成功するでしょう。
発達障害ビジネスとはそういうものです。
決して、子どもに「障害?」と思われるような症状がないと言っているわけではありません。どうしても集団に入れない子、異常に落ち着きのない子はいます。
でもそれは薬で治せるもですか?生まれつきのとても強い個性・特性なのに、薬で何ができますか?
最後に工藤さんは「精神薬」について、このようにおっしゃっています。
それでも、もし、親御さんが薬を飲ませると決めるのであれば、それすら全て受け入れる覚悟を持って飲ませる決断をして欲しいのです。断薬には強い覚悟が必要ですが、子どもに薬を飲ませることにも強い覚悟が必要だということを知って欲しいのです。
何も考えずに、学校が言ったから、医師が言ったから、と周囲のせいにすることだけはしないよう、もっと学んで、じっくり考えて、自分と相談して、覚悟を持って、子どもと家族の未来を考えて行って欲しいと願います。
断薬後にずっと長く続く不調の原因は『心の病の延長』です。そもそも心の病というものは、『病気』ではありません。
と語るのは、家庭問題・心理・断薬カウンセラー工藤史惠さんです。
工藤さんがカウンセラーとして関わってらっしゃる相談は、『断薬のご相談』『断薬のアドバイス』ということになっているが、実は一番多い内容は、「断薬したい」という相談ではなく、『すでに断薬は果たしている。でもしばらく経っても体調がなかなか戻らない』という相談なのだとか。
つまり、精神病院に行くほどの心の病になってしまった問題の根本的解決ができていないので、そこから脱することができないということ。
誤解して欲しくないのは、その人に出ている症状を否定しているのではなく、症状とは出る必要があるから出ているものであり、病気だから出ているものではないという理解が必要。
自分が分かっている心理のもっともっと奥深く、深層心理の部分でその病気が必要で、自ら病人という立場を選んでいる。これが心の病のメカニズムです。
そして精神薬を断薬しても、元々精神科に通うようになるほど体調を崩してしまった原因、薬漬けになってしまった原因に気づかないと、今度は『後遺症』というものにしがみつき、いつまで経っても具合がよくならない、社会復帰ができないということになってしまう。
この根本的原因に気づけると、何年も苦しんだ人が3ヶ月〜半年で別人のようになってしまい、気づくと働きだしてしまっているという嬉しい驚きがある。
『依存』という言葉を辞書で引くと「他のものによりかかり、それによって成り立つこと」と書かれています。
依存自体は多かれ少なかれ、どんな人でも何かにしていると思います。
でも、心の病になってしまう人、薬漬けになってしまう人はみんな極度な依存体質です。
薬漬けになった人はたまたま病院や病気、薬に依存しただけ。
ギャンブル依存も買い物依存も、そして恋愛依存も、依存する対象が違っただけで、実は全てが同じです。
そういう『依存』というものを生み出すのはどうしてか?
その原因は『生まれ持った性格 + 育ってきた環境』これだけでしかありません。
育ってきた環境で満たされないものが大き過ぎた。それを大人になっても無意識のうちに埋めようとして埋められるものを探して歩く。
その、埋められるものが依存するものなのです。
しかし、ほんとうの意味で満たされることはないので、苦しみ続ける訳です。
さて、精神科につきましては、病名という落とし穴があると工藤さんはおっしゃいます。
たとえば、『精神科で診断される病気』『精神薬が必要な病気』と聞いて連想する病名とは?
うつ病・統合失調症・パニック障害・不安障害・摂食障害・不眠症(睡眠障害)・双極性障害・起立性障害・人格障害・発達障害……
等まぁ、色々なものがあります。
ここにいくつか並んだ病名を見て、もう、おかしいなと思いませんか?
最初のうつ病、統合失調症を覗いて、その後ろにあるものすべて『○○障害』という名前がついています。
『○○病』ではなく『○○障害』です。
因みに、障害という言葉を辞書で引いてみると「正常な進行や活動の妨げとなるもの」と書いてあります。
つまり、妨げとなるものなだけであって、病気ではないですね?
たとえば、「発達障害」という病気があります。しかしそもそも、この発達障害って一体何なのでしょうか?
ここにも『障害』という言葉がついていますから、前述の理屈で言うと『発達の妨げになるもの』です。
それだったら発達障害って病気ですか? 薬で治るものですか?
工藤さんは2018年まで、カウンセリング業の傍ら、2年半の間、地元のソロバン塾の講師をしていたそうです。そのときに出会った子ども達の話。
そこに通って来ていた何人もの子が、学校から発達障害の疑いがあるからと病院に行くことを勧められていたとこのとでした。
確かに、学校側から勧められたその子たちは、個性が強いです。でも、55分もある授業中、ずっと座っていられるんです。学校から「病院に行って診てもらって」と言われている子たちは、どの子も私から見たら全く病気ではなかった、と工藤さんはおっしゃる。
だって、薬を飲んでいなくてももっと落ち着きのない子はたくさんいましたからね(笑)と。
お子さんが病人になるかならないかは親御さんの意識の差。
同じような症状でも、病院に行く子・行かない子、病気として扱われる子・扱われない子は、周囲の環境によって大きく異なってきます。
学校に言われても「ん〜。確かに落ち着きがないんですけれどね〜。でもこの子、生まれたときからそうだし、そういう子なんですよね〜」と笑って済ませてしまえるかどうか。
結局、子どもをどう育てたいか、親子でどう向き合っていくか。
つまり、病名がマーケティングであるということは、内海先生はもちろんのこと、有名な精神薬を作っている製薬会社の人や、有名な海外の医師なども口にしていたりするそうです。
たとえば、神経質な親御さんに対して「あなたの子どもは病気かもしれません。その病気のせいで他人にも迷惑を掛けてしまうのですよ。でも薬を飲ませれば、今困っている症状は抑えられ、他人に迷惑を掛けることもなくなります」そう言えば、迷わず病院に行かせることには成功するでしょう。
発達障害ビジネスとはそういうものです。
決して、子どもに「障害?」と思われるような症状がないと言っているわけではありません。どうしても集団に入れない子、異常に落ち着きのない子はいます。
でもそれは薬で治せるもですか?生まれつきのとても強い個性・特性なのに、薬で何ができますか?
最後に工藤さんは「精神薬」について、このようにおっしゃっています。
それでも、もし、親御さんが薬を飲ませると決めるのであれば、それすら全て受け入れる覚悟を持って飲ませる決断をして欲しいのです。断薬には強い覚悟が必要ですが、子どもに薬を飲ませることにも強い覚悟が必要だということを知って欲しいのです。
何も考えずに、学校が言ったから、医師が言ったから、と周囲のせいにすることだけはしないよう、もっと学んで、じっくり考えて、自分と相談して、覚悟を持って、子どもと家族の未来を考えて行って欲しいと願います。