人に対しての付き合いで考えることがあった。
以下は自分の考えであり、かといって自分が人に対して何か優れた付き合いができることでもない。所詮弱さをいっぱい持っている人間だ、感情的になることも多い。
これまで色んな人と知り合い、人それぞれの傾向や持って生まれた性根を理解しようとして付き合ってきた。その中で「表面的な付き合い」←——→「心から信頼した付き合い」を自分なりに判断。これまで多くの人と知り合ったゆえに、その判断についてはある程度の自信もあった。そして自分が付き合う深度を測ってきた。
自分の理解の範疇を超えた人もいたが、それぞれの人の持つ傾向の種類はそれほど多くない。何に対してどう考えるかという複数の価値判断の組み合わせ。
そんな風にばかり思いながら人と付き合う訳ではない。新しく人と知り合うと、この人はどんな人なんだろうということを思うのは当然のことだ。
接点が多くなるほど色んなことに対する価値判断が見えてくる。その中で自分が好きなことの価値判断が近かったら仲良くなれるし、自分と全く違う判断でもなるほどと思えることがあれば理解が深まる。
仮に自分が嫌いな価値判断を持っていたとしても、それを上回って共有できることがあれば付き合いは深まる。
でも人は色々だ。なかなかこれまでの自分の経験で理解できない人も多い。
環境・考え・性格の違いがあっても自分なりの人を評価する尺度は持っている。根本的に差別的な考えというものは持っていない。
人付き合いに対してだけでなく、他のことに対しての向き合い方も似ている。
何かを盲目的に信じたりすることはまずない。全て疑いと否定から入るタイプなのだろう。自分なりの裏付けがあって初めて信じるという面倒くさいタイプか。
そういう自分でも色んな判断を見誤ることがたくさんある。
判断を間違ってもそれも経験だ。見誤った原因を考えその傾向と対策。それをこれまでの人生で繰り返してきた。
今は会社には属しているものの、現役時代と違って新しく多くの人と知り合うことはめっきり減った。この状況の中で知り合う人を大事に思おうと思った。人生の後半の社会生活において、そんな許容できない人と知り合うことはなかったこともある。
今は寂しいからこれまでの自分なりの価値判断が緩んでいるのだろう。
自分は全く嘘をつかないわけでもない。ただ殆ど嘘はつかない、誰に何を隠すのだ。有休申請の時の理由に嘘を書くくらいか。
ついた嘘を忘れてしまうということもあるが、どちらかというと自分をさらけ出すタイプなのだ。自分をさらけ出した中で、お互いの価値観の共通点を探りたいのだ。だから正直なことを良いことも悪いことも口から出る。お上手も言わない。
嘘をつきながらお上手をする人はたくさんいる。自分は関わりたくない人種だ。
そういう人と関わっても心から仲良くなれることはないのだ、悲しみしか感じない。
身体の状態。
何故だか判らないが調子は良い。晴天が続いて気圧が上昇しているからだろうか。
前脛骨筋をフットローラーに当てるのも良いようだ。足首の状態が良い。