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ノギさんと久しぶりにデートしてきた。土日出勤があったので、平日に休みをとったのである。ノギさんと一緒に2人で映画を観るのなんて、何年ぶり、いや、十何年ぶり?初めて一緒に行った映画は、パク・サンミン主演の「将軍の息子」だった。今回行った映画は、その「将軍の息子」の実際の人物の娘?キム・ウルドンの出演したマパド(麻婆島)。キム・ウルドンは、水木ドラマ「海神」で活躍している、かっこいいソン・イルグクのお母さん。 左母親。右息子。似ていない・・・父親似なのだろう。良かった。マパドの主演は、「若き日のヨン様に似ている」と密かにウワサされている、イ・ジョンジン。 比較してみよう。 上がイ・ジョンジン。下がヨン様。キム・ウルドン母子より似ている。この映画、キム・ウルドン女史が「マパ島をたった5人のハルモニ(婆)が力を合わせて守ったように、独島も我々が力を合わせて守らなければならない。」とかいうようなことを、試写会の時に言ってから、俄然、人気が上昇したそうだ。ここでも独島・・・・・・・・在韓のみんな、放心状態かも・・・・・・・まあ、そういうことを考えなければ、ほのぼのしていい映画だったと思う。ノギさんの感想は、「制作費のものすごくかかっていなさそうな映画。」確かに、トップスターも出ていないし、制作費かからなかったかも。ちょうどいい時期に、キム・ウルドンが韓国人にピッタリの宣伝文句を言ったもんだから、このまま大ヒットして、ガッポリ儲かるかもね。でも、トップスターは出ていなくても、悪人も出てこない、いい映画でしたよ!独島のことを考えなければね!!^^;
2005/03/31
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はんらマンションの隣のマンションには、はんらが慕っている日本人のお姉さんがひとり住んでいる。孤独な異国生活で、このようなお姉さんが近所にいるのは、とっても心強いことである。勿論、ちょくちょく遊びに行ったり、電話したりしている。(ストレスが晴れるぅ)きょうははんらの誕生日なので、そのお姉さんの家で誕生パーティーをした。というか、させた。^^;「まあ、はんらさんったら、土曜日くらいから誕生日だと言って どこかに行ったり、何か食べたりし続けて・・・」と、呆れている人や不愉快になっている人もいるかもしれない。が、はんらは祝い事やお祭り事が好きなのさ~~~^^北の日成はんや正日はんは誕生日のお祝いを1ヶ月くらいやるらしいが、はんらだってそれくらいやっていたい気もする。結婚記念日も、はんらのように国際結婚していると、韓国で結婚式をした日、日本で披露宴した日、韓国で入籍した日、日本で入籍した日、一緒に住み始めた日、などが全部違っているという人がほとんどだろう。はんらは最初のころは、その全部の記念日をチェックしていて、何かしらお祝いしようとしていたが、ノギさんに呆れられてしまい、特別な日だけに絞ることにした。何かに加入するときなど、「結婚記念日」を書かなければならないことが多いので、書くたびにバラバラではまずい。それで、韓国で披露宴をした日をはんら家の統一した「結婚記念日」と呼ぶことにしている。それは、5月。はんらの誕生日で、11月から始まったはんら家全員の誕生日はひとまず終わってしまったので、次の記念日はこの結婚記念日。^^今から楽しみにしている。
2005/03/30
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土曜日はノギさん抜きで遊びに行ったはんらたち。日曜日は、家族みんなで過ごした。天安の隣のアサン市には、たくさんの温泉がある。天安から一番近いのは、「温陽温泉」はんらが育ったのは、日本のとある温泉町である。子供の頃から、毎日温泉の湯につかって育った。だから、温泉と言っても特別な感情が無い。しかしノギさんは、温泉というと、目の色が変わるほど温泉好きだ。温泉に入ると何時間も出て来ない。はんらたちは、毎日温泉に入っていたもんだから、入っても20分くらいで出てきてしまう。ノギさんと一緒に日本の実家に行って、両親たちと銭湯(温泉だよ~ん)に行くと、ノギさんを待つのにみんなくたびれてしまう。まあそういうことで、日曜日はノギさんの好きな温泉に行ってきた。そして、夜ははんらの誕生祝いということで、外食に。以前天安在住のゆうこさんが日記に書いていらっしゃった激ウマ豚カルビを食べに行こうと、はんらは数日前からこの食堂の位置をチェックしていた。親切なゆうこさんの上手な説明のおかげで、はんら一家は無事、この激ウマ豚カルビの店に到着。ゆうこさんの日記にあったように、BOAやピ、WAX、イ・ヒョリを始め、十数人の芸能人のサインや 社長と一緒に写した写真が貼ってあった。おブタは、勿論、激ウマだった。牛さんは高いが、ブタはそれほど高くもなく、大食漢のはんら一家も充分腹いっぱい食べてきた。しかし、はんら家で唯一痩せている次男のよしくんは、温泉疲れが出て食堂でずっと寝ていたため、お肉を一口も食べられなかった。どすこいコーちゃんは、小さい頃から「食堂で食べずに寝ている」なんてことは一度も無かったのだが。。。やっぱり、太っているにも痩せているにもワケがある。
2005/03/29
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土曜日、はんらはコーちゃんとよしくん連れて、ソウルにおのぼりしてきましたよ!^^コーちゃんがどこか博物館のようなところに行きたい(ス・・スゴイ。秀才みたい^^;)と言ったので、ソウルナビで検索して、韓国刺繍博物館に!今の時期、「戦争博物館」とか「歴史博物館」というところは、ちょっと行けないもんね・・・サイトのクチコミのところを読むと、抱きついてきたり肩を組んできたりする、すけべじじぃ・・・いや、フレンドリーな守衛さんがいるとのことがちょっと気になったが、まさか息子2人連れた中年おばんに抱きついては来ないだろう(それに、コーちゃんはテコンドー2段さっ!)と思い、行った。こじんまりしているが、なかなかきれいな展示品がいっぱい。ウワサの守衛さんは、お昼時だったためか、ちょっとめんどくさそうな顔をしていたが、「アジョシ、日本語がお上手なんですってね?日本のサイトに載ってましたよ。私も日本人です。」と話しかけると、とたんにフレンドリーになった。そして、いそいそといろんな資料や冊子を見せてくれた。はんらは博物館に行くと、記念に、ほとんど何かしらパンフレットを買って帰るが、ここのパンフレットは全部 3万~5万ウォン!刺繍やパッチワークの好きな人にはいい買い物なのかもしれないが、はんらには買う気になれなかった。ふと、5千ウォン、という安価(でもないけれど)の冊子が目に入ったので手にとって見ると、ナント昭和61年とか平成3年とかの、とってもレアな日本の冊子。でも、中にはきれいな写真もいっぱいあり、記念になるかと思って1冊購入した。守衛さんは、ますますフレンドリーになってきて「はっはっは。^^イェップダ、イェップダ(めんこい、めんこい)。」と言いながら、何度も何度もはんらの肩を叩きだした。(^^;)誤解が無いように言っておくが、守衛さんは、とってもいい人だった。ただ、フレンドリー度とスキンシップ度の高い人なので、韓国人には抵抗が無いかもしれないが、日本人はちょっとビックリするかも。^^;それから、はんらたちは「東ソウルターミナル」に行った。バスに乗るためじゃなく、見学のため。コーちゃんのおかげで、はんらたちの旅行には必ずこういうコースが入っている。「ターミナル」「駅」「飛行場」などに寄らないと、コーちゃんは夜も寝れなくなってしまうのだ。そのあとで、はんらたちはインサドンへ移動。インサドンでは、楽天仲間のたかこさんのバイトする陶磁器やさんへ!このたかちゃん、ネット(楽天ではない)で1年くらい前に出会った。そして、今回はじめてのご対面~~~ここではたかちゃんだが、最初に知り合ったときの彼女のハンドルネームは、すごくシブい名前だった。それで、はんらの中のたかちゃんは、すっごくシブいイメージだった。おお!ところが!!たかちゃんは、ものすごいカワイイ女の子だったんだなぁ~。びっくり。^^ネットで知り合った人というのは、写真を見ていない限り、頭の中で勝手にイメージを作り上げているものだ。名前の感じとか、文章の雰囲気で。陶磁器やさんで、コーちゃんに誕生日プレゼントを買ってもらい、たかちゃんからはバースディケーキならぬバースディ餅をいただいた。(^^)楽しい1日は、このように過ぎたのだった。
2005/03/28
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いろんな人と話をしてみると、自分の生まれた季節を好きだという人が多いようだ。はんらは、春に生まれた。春が大好きである。小さい頃から、今くらいの季節になると、心がフワフワして、ウキウキソワソワが止められなくなる。春の花も大好きである。桜、れんぎょう、もくれん、チュ-リップあたりが、一番好きな花である。はんらが生まれたのは、3月30日。生まれたとき、お医者さんが「学校に入るとき可哀想だから、4月生まれとして届けますか?」と聞いたそうだ。はんらの両親は、女の子だから、少しでも若いうちに卒業したほうがいいだろうと、そのまま届けた。そのおかげで、はんらはいつでも学年で一番若かった。小学校低学年の間は、やはり大変だったらしい。動作も遅く、何をしてもみんなみたいにうまく出来なかったそうだ。でも、中学生くらいからは、一番遅くまで年をとらないので、みんなに羨ましがられるようになった。しかし・・・・・はんらの誕生日は春休みなので、いつも学友から誕生日プレゼントをもらえなかった。はんらがプレゼントをあげた友達でも、新学期になりクラスが変わるとスッカリ忘れてしまい、はんらはいつも悲しかった。TT損だなあ~と、いつも思っていたものだ。今では、こんな季節に生まれたことがとても嬉しい。はんらの好きな「赤毛のアン」のアンも3月生まれなのだが、カナダの3月はまだまだ寂寥としているらしく、アンが3月生まれであることを嘆いているくだりがある。日本や韓国の3月末が、美しい季節で良かったと思う。お祭り好きな はんら家では、陰暦誕生日と陽暦誕生日 両方を祝っているが、陰暦では2月17日、今年は明日(3月26日)が誕生日となる。春になると、あちこち出かけたくてウズウズするはんら。明日は、コーちゃんの学校が休みになるので、ソウルに遊びに行こうと計画している。明後日は、外食。^^
2005/03/25
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はんらは、ノギさんの仕事の関係で、1994年~1995年、慶州という韓国の古都の田舎に住んでいた。その頃はまだ貧しかったが、1994年のクリスマスイブに、ノギさんははんらに「慶州コンコルドホテル」で行われた「クリスマスイブのディナーショー」をプレゼントしてくれた。ディナーショーとは言っても、バイキング形式で、有名な歌手が来るとかそういうものでもなかった。一人3万ウォン程度で、合唱団がキャロルを歌ったり、マジックショーがあったり、という感じだった。その途中で、「主婦のど自慢を行いますので、参加希望者は申し込んでください」と司会者が言った。ノギさんが、「ちょっとトイレに」と言って席を立ち、戻ってきたときに「日本人が歌いたいって言ってるけど、って司会者に言ったら、ぜひ歌えってさ。申し込んできたよ。」と冗談っぽく言った。「冗談でしょ?」とはんらが聞くと、ノギさんは笑っているだけだったので、冗談だと思っていた。それで、即席のど自慢が始まり、少し経った時、司会者が「次の出場者は・・・おお!これはこれは!!日本から韓国に嫁いできた、は・ん・ら・さーーーん!!!」と言ったときには、本当に驚いてしまった。司会者が「さあ!はんらさん!!どうぞ。どうぞ!!」と叫んでいるし、みんなも拍手してるので、日本人のはんらは「司会者の人、あんなに盛り上げようと一生懸命なのに、ここではんらが出なくてシラけさせたら、悪いなあ。」とか「みんなも、3万ウォンも払って来て、シラけるのはイヤだろうなあ。」と思い、仕方なく、舞台に上った。(こういうところが日本人らしい。)ホントに、即席のど自慢・・・はんらは、その頃 唯一歌詞を見ないで韓国語で歌えた、大ヒットドラマ「嫉妬」の主題歌を歌った。司会者も、客席のみんな(200人くらい集まっていたか?)も、ドキドキハラハラ、という感じではんらを見守ってくれていた。そして、無事歌い終わったとき、みんなの「ハァァァァーーーーー」という、安堵のため息と共に、大きな拍手が沸き起こった。あとの出場者はさすがにみんな、半分プロ。韓国人ののど自慢はスゴイ。難しい歌を歌うし、みんなフリもついてる。舞台の上で踊りまくっている主婦もいた。さて、結果発表。はんらは、もしかしたら、人気賞くらい・・・?と、密かに期待したが、人気賞は、やっぱり踊りまくっていた主婦だった。ノギさんが、「はんらのとき、結構盛り上がっていたんだけど・・・残念だったね。」と言ってくれた。ところが、そこに「3等賞、だれそれ。さて、2等賞は・・・・・おお!これはこれは!^^日本からお嫁に来た、は・ん・ら・さーーーん!!!」という司会者の声!ひょえ?!?2等賞!その時の賞品が、これです!! ↓ コーちゃんじゃないよ。掃除機!!それも、当時のブランド、Gold Star(今のLG電子)の掃除機。ここで、一言も二言も言っておきたいのは、はんらは、歌は全然上手じゃないのよ!と言うこと。みんなが、日本から来たはんらに、クリスマスプレゼントをくれたようなのである。それは、もしあの場にいたら、よくわかると思う。韓国人主婦はみんな、プロのように上手だったのだ。韓国人には、そういうところがある。可哀想な人、大変な人、苦労している人を見ると、同情心というか、「何とか手伝ってあげたい」「何かあげたい」という気持ちがフツフツと湧いてくるのだ。外国人が「ウリナラ(韓国のこと)」の言葉で「ウリナラ」の歌なんか歌ってくれちゃうと、その気持ちは、激情となってほとばし出るようだ。(^^)韓国で、正月になると毎年必ず外国人を招待して「外国人のど自慢大会」だの「外国人クイズ大会」なんかをテレビでやっているのは、そのためだろう。もし日本だったら、はんらが2等賞をもらったら、絶対「これは公平な審査ではない」とか「審査の点数を発表しろ」などと言って納得しない人からのクレームが出たはずだ。帰り際、掃除機を持っているはんら一家を見て、みんな口々に「頑張ってね」「幸せにね」「歌、上手だったよ」と声をかけてくれた。はんらには、そのみんなの顔がサンタクロースに見えた。当時、貧しかったはんら家には掃除機さえ無かったので、この掃除機は本当にうれしいプレゼントで、ずっと大切に使ってきた。今年、11年目になる掃除機。最近、時々動かなくなってしまうが、はんらには、捨てられない。最近、竹島の問題で両国がぶつかるたび、はんらは、これまで韓国人のみんなから受けてきた温かさを思い出したりしている。
2005/03/24
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突然の美少年?の登場に驚いた人もあるかもしれない。これは、はんらの夫、ノギさんが2歳半頃の写真である。ノギさんは、はんらより3歳ちょっと年上なだけだが、韓国の田舎出身なので、幼い頃の写真は何枚も無い。これは、残っている一番幼い頃の写真である。韓国でウリ二つのことを「たい焼き」と言う。たい焼きが機械で同じ形に作られるからである。そして、うちのノギさんと長男コーちゃんは、この「たい焼き親子」である。田舎に行って、はんらがコーちゃんを連れて散歩していると、知らないお年寄りたちに必ず「おお、こりゃ、ノギの子供だね?」と声をかけられたものだ。コーちゃんが行った床屋に、たまたまノギさんが行くと、「ああ、この前息子さんが来たよ。」と言われるそうで、ノギさんも苦笑いしていた。別々に行くのだから、親子だとは知らないはずなのだ。はんらが、長く会っていない友人に久しぶりに会いに行くとき、コーちゃんを連れて行くと「そ~いえばご主人、こんな顔してたよね。^^」と言われる。韓国で昔、産婦人科で新生児がすりかわってしまったという事件があった。子供達がかなり大きくなってからそれに気付き、裁判沙汰になっていた。日本でもそんな事件があったと思う。そういえば、ソン・スンホンとソン・ヘギョの「秋の童話」(オータム・イン・マイ・ハート)も、そんな話だった。はんらも大きな病院でコーちゃんを産んでいるが、そんな心配はない。最近は、妻の不義を疑心して、子供のDNA鑑定を密かに依頼するなんていう父親もいるそうだ。うちの場合は、そんな疑心も絶対湧かないだろう。病院に行って「DNA鑑定を」などと言えば「ご冗談でしょう。^^」と大笑いされるだろう。よく似ているというのは、父親にとっては、とても嬉しいことのようだ。「たい焼き父子」であることを、よく自慢しているようである。はんらは、ちょっと悲しかったけど・・・コーちゃんを連れて歩いていると、遠慮の無い韓国人から「あれまあ?実の母親かい??」「なんでこんなに似てないんだ?」と言われて、ショックを受けることも多かった。魔の2歳、3歳の頃、道でかんしゃくを起こして泣き叫ぶコーちゃんを無理矢理連れて帰る時など、周りの目が気になった。「誘拐犯か?と疑われてるんじゃないか??」と、気が気でなかった。(^^;)外で叱っている時も「みんな、継母だと思ってるんじゃ・・・?」と、気になっていた。そんなたい焼きコーちゃんの2歳半の頃の写真はこちら。 ホントはもっとよく似ている写真があったのだけど、写りが悪くて、きれいにスキャンできなかった。実物をお見せできれば、一目瞭然なのだけど・・・髪の毛が固くて立ってしまうので、角刈り以外の髪型に出来ないところまで、ソックリな2人である。
2005/03/23
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はんらは小さいころ、三重県だの東京都だのに住んでいたが、小学校にあがる前に、石川県のド田舎に引っ越した。だから、都会の思い出はほとんど無くて、小さい頃の思い出と言うと、田舎の思い出ばかりである。田舎のはんらの実家の横の小道は、坂道になっていて、そこをず~っと上がっていくと、丘の上には中学校があった。その手前で左側に折れて行くと、我らが「はげ山」の登り口だった。山道は木が生い茂っていたが、頂上付近には何もなくハゲていたため、みんな「はげ山」と呼んでいた。高さは、80メートルくらいあったのだろうか・・・?頂上までの道は、季節によっていろいろな花が咲き、いろいろな実が実っていた。ふもとの方には 小さな小川があり、そこにもおたまじゃくしやメダカやヒル?や、いろいろな生き物がいた。子供のはんらたちには、花を摘んだり、木の実を取ったり、メダカをすくったりというのが、本当に楽しいことだった。女の子たちは、葉っぱのお皿に木の実のご飯を乗せ、おままごとに余念が無かった。小学校1年生から6年生くらいまで、年齢を超えて、男の子も女の子も混じって、毎日暗くなるまでよく遊んだ。みんなで隠れ家を作ろうとしたことがある。何で作ったかよく覚えていないのだが、高学年のお兄ちゃんたちが中心に、板や布などで作ったんだと思う。大人にはヒミツで、本当にスリルあふれることだった。隠れ家には、みんなで宝物を隠したりなんかしていた。可愛いピンとか、交換日記とか、そういったものである。誰かが子犬を拾ってきて、親たちにはヒミツでそこで飼っていたこともある。みんなでお菓子を持ち寄って、子犬に食べさせていた。はんらは子供の頃から重度の方向音痴であったため、ひとりで子犬にお菓子を届けようと入山して、あやうく遭難しかけたこともある。(^^;)はげ山のことを思い出すと、今でもはんらは胸がいっぱいになる。その頃の友達は大半が就職や結婚で都会に出てしまっている。みんな、今頃どうしてるんだろうな~?みんなも、はげ山のことを思い出したりするんだろうか。はんらの実家は、はんらが大学生の頃、はげ山からちょと離れた町内に引っ越してしまい、それ以来、里帰りしてもはげ山を見ることはなかった。両親が、古い友達を懐かしがって はげ山のふもとの町に家を建て、もう一度はげ山のふもとに戻ってくることになった。一昨年 帰省した時、その建築中の家を見に行きがてら、はげ山の方にも行ってみた。はげ山は削られて、新しい団地が建っていた。はげ山で撮った写真など無いので、はげ山は、今、はんらの記憶の中にのみ残っている。記憶の中で、とても大きなウェイトを占めている。素晴らしい思い出である。
2005/03/22
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きのうの日曜日、コーちゃんはテコンドー教室主催で、「ソウル市民安全体験館」というところに見学に行った。火事、地震、台風、竜巻、事故など、いろんな災害から身を守ることを、体験学習するところなんだそうだ。ソウル・オリニ大公園の近くにあるらしい。子供は入場無料らしいが、予約制だと言うので、テコンドー教室などで連れて行ってもらえるのはありがたい。朝、コーちゃんを送り出し、はんらたちも出かけた。まだ風はちょっと冷たいが、すっかり春の雰囲気だ。韓国人は、「薬水」という、湧き水みたいなのが好きだ。元々、カラダにいいというものは、何でも好きな人々なのだ。この「薬水」は、あちこちに湧いているようで、韓国の人たちはよく、水タンクやペットボトルを持って、この水を汲みに行く。はんらたちがいつも行くのは、天安市郊外のソンナム面というところにある、変な形の石像のある「スンチョン寺」というところの薬水。ちょっと炭酸が混じっていて、おいしいとは思えないが、カラダに良さそうな予感はする。薬水を汲み、今年ももうすぐ始めようとしている週末農園を少し耕して、帰宅した。ニュースを見ると、九州で大地震があったと言う!はんらもノギさんもビックリ!はんらが「韓国人は これ見て、ざまあみろなんて思ってるんだろうね?!」と言うと、ノギさん、「とんでもない。韓国人は情が厚いから、こういうの見ると、同情心が湧いてくるものなんだよ。」しかし、夜のニュースを見て、はんらとノギさんは、もう、大ビックリ!!韓国も、かなり揺れたと言うではないの?南の方だけかと思ったら、地方ニュースではうちのトンネ(町内)の人が出て「ビックリしましたね~」なんて、顔を引きつらせてインタビューに答えている!「ざまあみろ」どころではない!韓国は、全国、「耐震設計の全~くされていない」高層ビルと高層マンションだらけなのだ。はんらマンションだって、耐震設計されていない23階建て。ここで、大地震が起きたら、どう考えてみても住民全滅である。コーちゃんは、ニコヤカに「ボク、きょう、地震のときにどうするか、習ってきたよ。あのね、ガスの元栓締めて、テーブルの下に入るの!」「そう~。^^タイムリーなこと、習ってこれて良かったね~!^^」とニッコリ微笑みながら、はんらは心の中では「テーブルもろとも、はんらマンションの下敷きさ」と思っていた。これはもしかして、うっとおしい竹島なんか 海の中に沈んでしまえばいいと考えた人が多かったから?神様が地震で竹島を沈めようと??と、はんらとノギさんは、しんみりと話し合ったのだった。
2005/03/21
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世の中は「竹島」問題で大騒ぎだが、はんらには「浦島」問題という、大きな問題がある。これは、在韓歴が長くなればなるほど、大きくなってきたようだ。きのうの日記のミーナさんのコメントを見て、今はんらが日本に行ったら(2年前に行ったきり)またこの「浦島」問題が勃発するだろ~な~、と思った。ということで、きょうの日記は、はんらの「言い訳」日記である。^^;これは、日本と韓国が似ているようで、かなり考え方や風習が違うことから始まる問題だ。日本の非常識が韓国の常識、その反対もそうである。例えば、きのうの日記のコメントにあった「ごみポイ捨て」であるが、日本でやったら、とんでもないことである。しかし、韓国でごみを手に持っていると「なんでそこら辺に捨てない?」と訝しがられる。ごみを持って歩いていると「変な人」なのである。こういう時、ごみを持って歩いている理由を話すと、たいていの韓国人は感心してくれる。「さすが、日本人は精神が素晴らしい。」とか「だから、日本の道路はキレイなんですね。」と褒めてくれることが多い。しかし、客観的に考えてそうであるが、姑や小姑を始め 身内の韓国人は、身内のはんらがいつまでも日本人らしいことが気に入らない。何年経っても、日本人らしさが抜けないことに対して、隔たりを感じたりするようだ。「日本では、かくかくしかじか」と言うのが、言い訳みたいに聞こえるのか、嫌がる。はんらもそういうことで親戚と距離を置くのはイヤなので「なんでゴミ持って歩いてる?そこら辺に捨てろ。」と言われると、何も言わずサッサと捨てている。これは、人とぶつかっても謝らない。女性も あぐらをかいて座る。食堂を出るとき「ごちそうさま~」なんて言わない。ご飯茶碗を持ち上げないで 置いたまま食べる。などなど、いつの間にか、習慣化され、すっかりはんらは韓国アジュンマ(おばさん)になってしまっている。そして、このままはんらが里帰りすると、実家のみんながたまげてしまうのである。日本の最近の流行歌やタレントを知らない、ということは、勿論みんな理解している。しかし、はんらがイキナリあぐらかいて座ったり(無意識)、人とぶつかってもそのまま行っちゃったり(無意識)するのを見て、はんら母なんか、心臓が止まるくらい驚いてしまうようだ。おかげではんらは、里帰りすると、はんら母から説教されっぱなしである。TTそういうことを考えると、憂鬱になる。よく「実家が遠くて可哀想。日本に帰りたいでしょう?」と、韓国で聞かれるが、とんでもない。はんらは、「浦島」問題のため、あんまり日本に帰りたくない。在韓歴の長くなったはんらが、日本で 韓国での悪習慣が出ないように気を使うのは、とっても緊張することなのだ。そして、皆さん。実際のはんらに会った時に、ビックリしてしまわないでね・・・はんらに悪気はないのよ・・・(やっぱり、言い訳日記。一番韓国ナイズされてたのは、はんらだったか?!?^^;)
2005/03/19
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はんらは日本人である上にA型であるためか、割と細かいことが気になるほうだ。太ってるのでそう見られないが、ちゃんと気にしている。でも韓国に来て、いちいち気にしていたらやっていられないので、あまり気にしないようにはなった。何と言っても、韓国は「ケンチャナ~(いいからいいから)」のお国である。しかし、日本人からそういう態度を受けると、やっぱり気になってしまう。10日ほど前、はんらのケイタイに電話がかかってきた。郵便配達のおじさんだった。「書留が来ていますので、いついつ家にいて下さい。」という電話だった。そして「住所の確認しますね。テグ市○○区・・・・・」と言い出すので、はんらは慌てて遮った。「ちょっと待ってください。テグは昔住んでいたんですが、2年前に引っ越して、今は忠清南道です。」そして、一体どこから来た書留なのか、郵便配達のおじさんに聞くと、ナント「プサン領事館」だと言う!はんらは、引っ越す前、プサン領事館に行き、ちゃんと引っ越すことを伝えている。その時、領事館から書類をもらい、ソウルの領事館にファックスで送れば良い、と言われた。ファックス番号も教えてもらい、送った。電話もして「ファックスを送りました。」と言うと、ソウル領事館では「わかりました。」と言っていたのだ。A型の日本人らしく、はんらは几帳面に最善を尽くしたのだ。ああ、それなのに!!はんらの住所が全然、領事館に把握されていなかったということに、はんらはショックを受けてしまった。もし、この期間に有事のことがあり、韓国国内の日本人が皆、チャーター機で国外脱出しても、はんらの家にだけは、連絡が無かったのかもしれない。領事館のいい加減さが頭にきて、すぐプサン領事館に電話して、怒りをぶつけた。そうそう、こんなこともあった。はんらは以前、ソウルの日本人学校に教科書をもらいに行っていた。教科書担当は、教頭のN先生(ありゃ、イニシャル出しちゃった。知ってる人にはわかっちゃう^^)だった。N教頭先生がいらっしゃる時間帯に行かなければならないので、前もって、電話でアポイントをとって、ソウルに行っていた。N教頭は、日本人である。ちゃんと日本語で話をした。そして、行く日時を決めた。遠くに住む 友達のMちゃんが、「会いたいから、同じ日時に合わせて日本人学校に行くよ。」と、はんらに連絡してきた。Mちゃんも、N教頭に電話した。そして、「はんらさんと同じ時間に行きます。」と言うと、N教頭は「はんらさん?そんな人から連絡もらっていない。」と言ったというのだ。もう一度言うが、N教頭先生は日本人で、はんらと日本語で話をして約束したのだ。N教頭とは、それっきりではなかった。それから半年後、また同じようなことが再現された。はんらは、またN教頭と電話で約束した。確か、約束時間は夕方4時だった。Mちゃんも電話して、「私も4時に行きます」と言うと、N教頭先生、「4時は、職員会議で忙しい」と言われたというのだ。N教頭先生は、日本でもこうだったのか?韓国に来てこうなってしまわれたのか??はんらと何かが合わなくてこうなってしまうのか???日本人でA型のはんらには、とてもとても気になってしまう出来事だった。ところで、書留のことで電話してきた郵便配達のおじさん、はんらから今の住所を聞いて「じゃあ、そっちのほうに転送しますねーーー」と言っていたが、10日経った今も、届いていない。竹島問題で激怒した愛国心の強い郵便配達人が、日本領事館から来た日本人宛ての書留を見て、激情の余り 噛み千切ってしまったのかもしれない。が、郵便配達のおじさんは、韓国人だったので、はんらも郵便物が届かなくてもあまり気にならない。韓国人相手だったら、あんまり気にならないのだ。そんなもんかなーと思うから。
2005/03/18
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はんらが、ここはんらマンションで特に親しくしているのが、タウニオンマ(=チョン・ダウンのママ)である。チョン・ダウンは、うちのコーちゃんと同級生。これまで一度も同じクラスになったことがないが、共にボーイ・スカウトに参加しているため、そこで知り合った。「チョン・ダウン」というのは、そのままハングルで書けば「愛情深い」という意味である。なかなかイカしたネーミングである。そして、彼はとても優等生である。毎年、クラス委員をしているし、試験もほぼクラスで1,2番の成績だ。8科目中、7科目で満点取ったりしている、信じられないお子ちゃまである。勉強だけでなく、テコンドーも上手で、時々試合に出たりしている。バレンタインデーの時も、どっさりチョコレートをもらっていた。そんなスーパーボーイのママ、タウニオンマは、とても情の深い人である。はんらより1歳年下なので「オンニ(お姉さん)、オンニ」と言って慕ってくれている。実際には、はんらが教えてもらったり、手料理をご馳走になったりしてばかりで、タウニオンマのほうがオンニのようである。(^^;)きのうも、うちにヒョッコリ来た。そして、「最近、テレビが大変でしょ?夫婦喧嘩してない??」とニッコリ。今、在韓の日本人は、大部分が「竹島問題」で過激になっている韓国で、辛い思いをしていたり、イライラしてたり、ひきこもりになっていたりしているのではないだろうか?テレビをつけるたび、あんまり過激なニュースばかり流れるので、ノックアウト直前である。そんなはんらを心配して来てくれたらしい。話では、タウニオンマの家族みんなで心配してくれているらしい。夫婦喧嘩してないか、コーちゃんたちが混乱していないか、と。こういうときなので、とても嬉しかった。タウニオンマは、韓国の大学で歴史を専攻した人なのである。その上で、日本が全面的に悪いわけではないし、韓国が全面的に良いわけでもないと思っているそうだ。そして、一番大切なのは、過去に戻ることではなくて、これから先 両国がいい交流をして一緒に発展していくことだ、歴史を勉強する理由もそこにあると言う。何より、外国暮らしをしているはんらのことをいつも気遣ってくれる、その心遣いが一番嬉しい。やはり、この母にして、このスーパーボーイ チョン・ダウンあり、なのである。
2005/03/17
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最近、はんらマンション付近では、横断幕があちこちにかけられている。そして、毎日毎日 マンション内放送がかかる。天安の人口が急増したために、下水処理場を増設すると言うのだ。それが、はんらマンションの近く。以前日記に書いたことがあるがこのあたりはマンション密集地帯で、1万世帯を超えるマンションがある。1世帯4人という単純計算をすると、この界隈には、4万人を超す人々が暮らしているのである。なぜ、こんな住宅密集地帯に下水処理場を建てるのか?4万人もの人が住んでいるのに、このあたりには、郵便局も銀行も町役場も派出所も消防署も公園も無い。マンションだけ、ドンドン建っているのだ。町役場に行くのも、バスに乗り、ずっと歩いて行かなければならない。天安の警察署は、ここからはるかに遠い、天安市街地の北の果てにある。警察署のような建物こそ、住宅密集地に建てなければならないのではないのか??この下水処理場、今も小さいものがあるのだが、はんらマンションから直線コースで1キロ以上離れているのに、風向きによっては、時々すごい臭いがこのあたりに充満している。1キロも離れていて強烈な悪臭、というのは、構造に何か問題があるのではないか???そんなわけで、このあたりの人たちは、この下水処理場増設には大反対なのだ。あちこちに掲げられている横断幕には「近くなる下水処理場、暴落するマンション価格!」という、持ち家の住民の心を燃え立たせるような文句もあれば、「イルボンサンの美しい自然を破壊し続け、下水処理所まで建てようとする行政に、我々の心は深く傷ついている」という、お偉いさんの同情を呼ぼうとするものもある。「なぜ、住宅集中地に下水処理場を? 建てる場所を考慮しろ!」という、正当論もある。マンション内放送でも、毎日毎日「反対のための署名運動にご協力を!」と叫んでいる。いくらなんでも、郵便局も銀行も町役場も派出所も消防署も公園も何も無いのに、下水処理場だけ増設なんて、怒りますよね~!?!これで、韓国流行りの「住民デモ」ということになったら、はんらもハチマキしめて、天安市役所前に駆けつけちゃうかもしれない。テレビに映っちゃうかもしれないよ。
2005/03/16
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きのうはんらは、天安のカルプ(日本ではカルフール)に行って来た。はんら家はいつもイーマートを愛用している。カルプに行くことはほとんど無いのだが、たま~に行くと、珍しい発見をしたりする。きのう見つけたのは、カルプの横に建設中の、韓国一流ブランド「ロッテ建設」の建てる「ロッテキャッスル マンション」のモデルハウスだった。建設地は、お隣のアサン市。一流ブランド ロッテ建設が、またこのあたりのマンションの分譲価格を上げてしまうのか?!?はんらの姑は、テグという韓国東南部の都市に、ノギさんのお兄さん夫婦と一緒に住んでいる。去年の夏までは、築20年の住宅に住んでいた。20年前の住宅の流行だったのか、家の真ん中にあるリビングは板張りで、オンドルが無かった。部屋にはオンドルが入るのだが、隙間風ピューピューで、冬は外と同じくらい寒かった。姑は、家の中で、オーバーを着込み、帽子をかぶり、マフラーまでしていた。それくらい寒かったのである。勿論、はんらたちも姑の家に行けば、オーバーを脱ぐことが出来なかった。名節のときは田舎に行くが、姑の家に行って一晩泊まると、必ず家族全員が風邪をひいてしまい、とても困った。そんな姑たちが、テグで新しく建設される「ロッテキャッスル マンション」に引っ越すことになった、というのを聞いて、はんらはとても嬉しかった。マンションなら、もう寒くない。それに、一流メーカーの建てるマンションにもとても興味があった。そして、去年の夏、姑たちはめでたくロッテキャッスルに入居した。はんらは、ロッテキャッスルに遊びに行く日を、それはそれは楽しみにしていた。しかし・・・・・・・遊びに行ってみてビックリ。はんらが台所で水道をひねると、お義姉さんがものすごいコワイ顔をしてすっ飛んでくるのだった。そして「フローリング、ホンモノの木だから、水が1滴でも落ちたら、木の隙間に水がしみこんで木が腐っちゃう!気をつけて!!」と言うのだ。そんなこと言ったって、よしくんは今でも遊びに夢中になってると、おしっこ ちびっちゃったりもするし、何か飲むときも横からこぼしちゃったりもするのである。はんらは、緊張してしまい、10分おきくらいに「よしくん、おしっこ大丈夫?!?」と聞いていた。さらに、上の階がちょっくらバタバタとしたと思ったら、お義姉さんすぐにインターホンで警備のおじさんに「上の階がうるさいので、注意してくれ」なんて言っている。そして、うちの子供たちにも「走るな。飛ぶな。動くな。」と言う。上の階のバタバタがすぐにやまなかったので、お義姉さん「上に怒鳴り込んでくる」なんて言い出す。はんらは、水分をこぼさないかと神経を使いまくり、子供達をじっとさせておくのに神経を使いまくった。こんなことなら、寒くても前の住宅のほうが良かったかも~。お義姉さんのお宅は大学生の息子2人なので、もうこぼしたり、騒いだりすることも無いんだろうけれど。やっぱり、高級マンションだから気を使うのか。お義姉さんがちょっとやり過ぎ?(↑ ノギさんは、こうだと言っている^^;)やっぱりはんらは、庶民の住む はんらマンションで良かったわ~。うちもうるさいけど、上の階も下の階も、みんな小さな子供がいて、うるさいもんね。誰も文句言わないもんね。フローリングは、木目模様のビニール張りだから、何こぼしちゃっても平気だし。
2005/03/15
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「小学校卒業までに3つ以上の資格を!」というのは、この地方都市、天安で叫ばれていることなので、ソウル江南やイルサンなどでは、10個くらいなのかもしれない。これは、将来、高校・大学受験の時の内申のため、幼い頃から資格を取得しておきましょう、ということである。それで、コンピューター教室や英語塾などの建物には、必ず○○ 1級合格者 だれそれ 2級合格者 だれそれ というような垂れ幕が、所狭しとかかっている。内申記載のためだと思うのだが、囲碁教室にも、ピアノ教室にも○級というのがあるらしい。また、ピアノ教室や絵画教室には○○コンクール 特選 だれそれ 金賞 だれそれという垂れ幕が、所狭しとかかっている。小さな教室から、何人もの入賞者が出ているのを見ると、この○○コンクールというのは無数にあって、年中行われているものらしい。これも、内申のため、教室であちこちのコンクールに送りまくっているのだろうと思われる。学習塾でも、数学京試大会といって、数学の実力を競う大会があるようなのだが、その入賞者を垂れ幕にしている。これも、どこの学習塾にも垂れ幕が下がっているところを見ると、しゅっちゅうあちこちで行われているものと思われる。こんなわけで、韓国の子供達は、小学生のころから、資格と入賞歴で、燦然と輝いているものらしい。でも、みんながみんな、資格と入賞歴でギッシリの内申だったら、やはりあまり意味がないように思えてしまうのだが・・・・・・・ず~っと以前にとぶわにさんの日記にも書かれていたが、韓国の学生は 中高生になってからも、内申のために皆勤し、ボランティアするのである。
2005/03/14
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きのうは、長男コーちゃんのおごりで、ピザを食べた。ホワイトデーのプレゼントだそうだ。コーちゃんは、1週間に5千ウォン(約500円)のお小遣いをもらっている。以前はそんなにあげていなかったのだけれど、小4の社会科で、「社会と家庭の収入と支出」という項目を習った。その時、家計簿やお小遣い帳の役割やつけ方を習ったのだが、つけ方の例として教科書に載っていたのが「1週間に 5千ウォンのお小遣いもらってる子」の例だったのだ。その時、すかさず交渉されて、それからは5千ウォンずつあげるようになった。1ヶ月2万ウォン強である。でも、お菓子やちょっとした準備物を買うくらいなので、お金をあまり使わない。それで、いつもかなり裕福そうである。12月の弟・よしくんの誕生日の時は、8千ウォンくらいするおもちゃをプレゼントしていたし、1月のパパ・ノギさんの誕生日の時も、4千ウォンの靴下セットをプレゼントしていた。そして、今回「来週、ホワイトデーだけど・・・」と、さりげなくはんらが言ったところ、「じゃ、お小遣いでピザをとってあげる。」ということになった。最近の子供達は マセているので、バレンタインデーの時に、小学校内でもチョコレートをあげたりもらったり大騒ぎだったらしいのだけど、コーちゃんは全く、そんな騒ぎの蚊帳の外にいた。(^^;)はんらの友達のあるお母さんは、コーちゃんと同じ年の息子がいるのだけど、高価な「バレンタインセット(チョコの他に人形やいろいろ入ったセット)」をもらってきたらしく、お返しに頭を抱えていた。コーちゃんは、ちょっぴり淋しかったようだが、いいのよ~!そんな、小学生のときから高価なチョコなんかもらってこなくても!!お返しする必要もなくて、気楽だわ。きのうのが「ホワイトデー その1」だった理由は、勿論、本命のノギさんから、当日おいしいもの買ってもらわなきゃね。^^
2005/03/12
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韓国の小学校のことをいろいろ書きたてているはんらだが、韓国の小学校をそれほど「悪い」と思ってるわけでもない。ただ、日本人のはんらには 戸惑いが大きいだけだ。はんらの妹1は、日本に住んでいて、コーちゃんと同じ年の息子と2歳年下の娘がいる。そして、妹の話や様子を見ていると、韓国のほうが断然いい!と思うこともある。(妹1は、小都市に住んでいるので、日本のどこもがそうではないとは思うが)妹1は、去年、町内会の係りとPTAの役員が一気に重なった~!と悲鳴をあげていた。公務員として共働きしているので、あれもこれもは大変だろう。しかし日本では、PTAの役員は半分義務のような感じで、順番かくじ引きか何かで否応なしに回ってくるものらしい。その点、韓国では、オモニ会は「ぜひぜひやりたいわっ!」というお母さんがやるのである。やりたくないお母さんが、嫌々ながら義務感でやっているのではない。やりたくなければ、やらなくてもいい。(その代わり、情報が入らないとか、先生のひいきがあるとかは覚悟しなければならないかもしれないが^^;)無職だとか、小さい子供がいないからと言って、役員を押し付けられることもない。(押し付けられる学校もあるのかもしれないが)やりたいお母さん方が、自発的にやるのだから、これはとてもいいのではないかと思う。また、日本と比べて韓国の子供達は、ちょっぴり過保護過ぎたり、かまわれ過ぎているような気もするが、それだけ親の愛情をガンガン直接的に受け取っているので、子供達が、物怖じせず、堂々とした子が多い。日本人は、自分の子供のことを褒められると謙遜して「そんなこともないんですよ。」とか「いつまでも子供っぽくて困っています。」なんて子供の前でも言う人が多い。はんらも子供の頃、はんら母がよくそう言っているのを聞いた。これは、子供心に、ショックであり、悲しくなる。子供は単純だから、「そうか~。自分はたいした子供じゃないのか~」と思ってしまう。その点韓国では、どう見てもフツーの子にしか見えなくても、その親は非常に自慢する。「うちの子の頭脳は、飛びぬけているんですのよ。」「こんな賞をとり、あんな賞をとり・・・」「クラスのお友達から、とっても人気がありますの。」と、親バカばかりである。聞いていると疲れる。が、それを聞いている子供自身は、きっと嬉しいだろうと思う。子供は単純だから「そうか~。自分ってスゴイんだ。」と思っているだろうと思う。そのせいか、韓国には いじけたような子供とか、どよ~んと暗い子供は、あまり見かけない。どの子も、家では「王子様」「お姫様」のように、可愛がられて大切にされているのだ。日本に里帰りすると、共働きが多いこともあると思うが、子供達がほったらかしにされているように見えてしまう。自立心を養っているのかもしれないが・・・幼稚園や学校の休み中の宿題などもそうだ。韓国では、徹底的に「家族で○○する」というようなのが多い。家族主義なのだ。旅行や博物館に連れて行ってあげないと、宿題も出来ない。日本では、「いろんな家庭があるから」と配慮されるのか、親があれこれ気を使わなければならない宿題は、ほとんど無いような気がする。忙しいお宅は大変かもしれないが、はんらは、幼稚園や小学校が家族主義なのはいいことなのではないかと思う。そして、韓国の社会で 今も先生に威厳があることも、いいことではないかと思っている。お母さんたちにとっても、子供達にとっても、韓国では「先生」は、「尊敬しなければならない人」という風潮が強い。(内申をよく書いてもらうためかもしれないが^^;)そういう良いところは残しながら、改善されていってほしいものである。
2005/03/11
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はんらが、ず~っと以前、デパートの文化センターで日本語を教えていたときのこと。ある日、生徒であるおばさんの一人が、すごく疲れて見えた。理由を聞いてみると「小学4年生(か、5年生?)の娘の宿題のポスターを徹夜で描いてあげて、ほとんど寝ていない。」と言う。それを聞いてはんらは、小4の娘の宿題を手伝うなんて、なんつー過保護な親だ?!?と思って呆れた。月日は流れ・・・・・・・去年、小4の長男コーちゃんが、「オンマ、ポスターの宿題が出たんだけど・・・」と言う。「描けば~~?」とはんらが言うと、「ポスターって、どうやって描くの?」とコーちゃん。習ったんでしょ?と聞くと、習っていないと言う。そんなバナナ?でも、よく考えてみると、学校にポスターカラーを持って行ったこともない。ということは、やっぱり習っていない?!?「ちょっと、図工の教科書見せて」と言って見てみたが、小4の図工の教科書に、ポスターの見本さえも載っていない。小3のときの教科書まで引っ張り出してきたが、載っていない。そんなバナナ~習っていないポスターを描けということは、母親に描けと言っているのだろうか?!仕方なく、はんらが手取り足取り、構図から考えて、ポスターカラーの使い方まで付きっ切りで見てあげなければならなかった。はんらが小学生だったときは、授業中に完成できなかったときに自宅に持ち帰って宿題、だったと思うが、このポスターの宿題は、まっさらの画用紙に、家で一から描かなくてはならない。コーちゃんが習い事から帰ってきて、夕方遅くから描き始めたので、スッカリ夜も更けてしまった中で、必死で親子でポスターを完成させた。こんなこともあった。韓国の小学校では、英語を習う。しかし、教科書やノートを見た限りでは、歌ったり踊ったりしながら、「英語に慣れる」「英語に親しむ」程度の授業である。授業参観で英語の授業を見たこともあるが、カンタンな会話をしたり、カンタンな英語劇をしたり、という感じである。英単語を書く宿題も試験もない。読解や英作文も、皆無である。ところがある日、「英語で家族新聞を作る」という宿題が出された。これも、学校で少しやってきたのではなく、まっさらの紙に、家で一から書かねばならない。いや、しかし、コーちゃんに書ける英単語は、無い!「コーちゃん、書ける英単語は?」と聞くと「う~んと、redとか、greenとか・・・?」そうよね~。それくらいよね~~。(^^;)英単語もまともに書けないのに、英語で新聞作れというのは、母親に書けと言っているのだろうか?!?仕方なく、一番上に でっかく「MY FAMILY」と書かせ、その下を4等分して、でっかい顔を4つ描かせ、それぞれ「Father」「Mother」「Me」「Brother」と書かせて終わりにした。あまりにも淋しい出来だったので、「age ○○」と、年齢も書き加えた。授業参観の日、クラス全員の新聞が貼り出されていたが、こんなシンプルな新聞はコーちゃんだけで、他の子たちのは、「何月何日 どこへ行って何をした」「お父さんは どこの会社でどんな仕事をしている」「うちの家族はこんな家族・・・」などというのが、紙面いっぱいに英語で書かれていた。本人が書いたのか、お母さんたちが書いたのかは知らないけれど・・・絵画教室や英語塾に通っていれば、出来る宿題なんだろうとは思う。でも、学校の授業を受けているだけでは、絶対出来ないような宿題が出るのはなぜだろう?
2005/03/10
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鉢植えをもらって来た。イーマートと新世界デパートで、毎年春になると、鉢植えプレゼントをやっている。2月頃、インターネットで申し込んで、3月の初めに、直接行って受け取る。去年はお花の鉢植えだったが、今年は観葉植物だった。はんらは、4つの中からシンゴニウム(写真左から2番目)を選んで申し込んであった。去年はシネラリアというお花をもらった。去年もそうだったが、周りには「知らなかった~!」と歯軋りしている人がいっぱいいて、みんなの羨望のまなざしの中を、悠々鉢植えを受け取ってきたはんらだった。(^^)そう。主婦は誰でも「ただ」「おまけ」「景品」「お得」が大好きなのである。情報化時代なので、情報を多く持っている人が得をする世の中である。でも、そういうことを思うと、はんらは外国暮らしで限られた情報の中で生きているので、情報不足で損をしていることも多いんだろうと思う。時たま、韓国主婦の井戸端会議に混じると、みんな「財テク」の話で白熱している。1家庭の月平均収入が300万ウォン~350万ウォンというこの国で、買っておいたマンションの価格が、場所がいいと1~2年の間に1~2億ウォン値上がりすることがあるのである。だから、韓国の主婦は、集まるとどこのマンションが値上がりしそうだ。とか、どこの土地が値上がりするそうだ。というような話ばかりである。こういう話になかなか加われないはんらは、やっぱり損をしているのだ。あと、先日の日記に書いた「オモニ会」ここも、子供の教育に関する情報の宝庫なんだろうと思う。「オモニ会」に参加しないはんらは、やっぱり損をしているのだ。
2005/03/09
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きょうは、久~しぶりに、あの村に行って来た。実は、もう何ヶ月も行ってなかった。子供達が冬休みだったし、寒かったし、遠かったからである。あの村に住んでいたアジュンマ(おばさん)のひとりが、隣のアサン市に引っ越した。そのアジュンマは自家用車を持っているし、村に遊びに行くときは、はんらマンションが通り道にもなるので、よく誘ってくれるようになった。ようやく子供達の新学期も始まったし、きょうは、ホントに久しぶりに、村に遊びに行ってきた。はんらマンションからバスで行くと往復2時間だが、車に乗って行くと あっという間である。やっぱり、車って便利・・・(韓国じゃ、怖くて運転できないけど)田舎は、まだ農作業の時期ではないので、村人たちは 大勢、村の会館のようなところに集まっていた。村の婦人会の若いメンバーがご飯の準備をして、みんなで食べたり、しゃべったりしている。韓国の田舎に行くと、最近、フィリピンやタイのような、外国から来たお嫁さんも多いようである。きょうは、そういうお嫁さんたちも来てるので、ということで、はんらも誘われたのである。韓国の良さは、こういう田舎でこそ、感じられるものかもしれない。山はきれいだし、空気も澄んでいるし、素朴で情の厚い村人たちに囲まれていると、なんだか心も の~ん~び~り~日本から来たと言っても「独島はどこの国のものだと思っているのか?」と聞いてくる人なんかもいない。(^^;)「韓国での生活はどうだ?」と聞いてきて、「いいですよ。幸せです。」と答えると、ものすごく嬉しそうにニッコリされる。そして、あれを食べろ、これを持ってけと、あれこれ気を配ってもらって、温かい気持ちになれる。フィリピンやタイから来たというお嫁さんたちも、みんなよく村の人たちに溶け込んでいて、苦労しながらも、一生懸命頑張っているようで、見ていて 安心できた。
2005/03/08
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韓国の小学校には、驚かされたり、困らされたりしているはんらである。納得のいくこともあるし、いかないこともある。いかないことのひとつは、運動会のとき、運動場の入り口で「運動会のプログラム」を渡しながら、正々堂々と寄付金を集めていることである。勿論、公立の小学校よ。韓国でも、義務教育なのよ!雰囲気的には、出さないわけにはいかない雰囲気。というか、寄付金出さないと、プログラムさえもらえない雰囲気・・・それに、一口3万ウォンとか、5万ウォンとか、それほど高額ではないので、出している親がほとんどのようにも見える。出すと、その場で「何年 何組 だれそれ いくら」と名前と金額を帳簿に記録される。そして、記念品の学校名入りのタオルと、プログラムをもらう。でも、はんらはこれまで、出したことがない。プログラムは、横からチョロッともらっちゃう。いくら小額でも、コーちゃんの小学校の生徒は1200人くらいいるのだ。3万ウォンずつ出しても、3600万。半分の父兄が出しても、1800万にもなるのだ。このお金で、去年、図書室の本を購入しました、とか、コンピューター室のコンピューターを増やしました、などという報告はある。でも、コーちゃんの小学校は、できて今年3年目の新設校である。設備は充分整っていると思うのである。噂では、あの寄付金の大部分は、運動会後の先生方の打ち上げパーティーの食事代&酒代になるとか?!?そういう話を聞くもんだから、はんらには出せない。この運動会のときの寄付金、学校によるのかもしれないが、前のテグの小学校でも、今の天安の小学校でも同じだし、話もよく聞くので、おそらくこういう小学校がほとんどなのではないかと思う。
2005/03/07
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韓国の小学校には「オモニ会」というのが存在する。直訳すると「母の会」である。でも、日本のPTA役員とかとはまた違う。小学校にはちゃんと「学校運営委員会」というのがあって、父兄の中から役員が選挙で選ばれるからだ。この「オモニ会」は、「ママさん奉仕隊」というようなものと言えるか?!(^^)学校の掃除や給食の配膳を手伝ったり、運動会や遠足のときに、クラスの子全員に間食を差し入れる。遠足などでご苦労された先生を、食事などにご招待する。学校で足りないもの(学級文庫)などを買うのにお金を出す。先生のお手伝いをしたり、教室の模様替えなどをお手伝いする。などなど。勿論、ソウル江南やイルサンのような教育熱の高い富裕層の通う学校と、田舎の学校とでは随分違うとは思う。はんらが見てきたのは、人口250万の大都市テグと、人口50万の中都市天安の小学校である。はんらは、これまでこの「オモニ会」に参加したことがない。理由は、コーちゃんが入学する直前に、次男のよしくんが未熟児で生まれたからである。未熟児を抱えて学校に出入りできないと思ったので、はんらは入学式の日(その日は、姑に来てもらって、よしくんをみてもらった)に、担任の先生に、新生児がいて学校に顔を出すことはできないと言った。30代の女の担任は、「そうですか。かまいませんよ。」とおっしゃった。学校が家から歩いて5分と近かったので、よしくんが少し大きくなってからは、ベビーカーに乗せて、学校まで散歩した。コーちゃんの友達がよしくんを見て「わ~。かわいい。コーちゃんの弟?」「いいなあ。うらやましい!」と口々に言うので、コーちゃんは大喜びで毎日学校まで来いと言い出した。年が離れているので、友達には赤ちゃんが珍しく、うらやましかったのだろう。それで、毎日のように下校時間に合わせて学校付近を散歩するようになったので、ちょうど同じ時間に学校に「出勤」するオモニ会のお母さん方とも、よく挨拶するようになった。オモニ会のお母さんたちは、毎日下校時間に合わせて学校に出勤(^^;)し、教室を掃除したり、先生の手伝いをしたりしていたのである。当時、そのお母さん方が「奉仕」して下さっていると思い込んでいたはんらは、申しわけないような気持ちだった。コーちゃんが2年生になった。担任は50代の年配の女性だった。よしくんはちょうど1歳越えたころで、まだまだ学校に行けないと思ったはんらは、担任の先生にそのように伝えた。「本当に、申し訳ないんですけど。」とはんらが言うと、先生は「かまわないんですよ。オモニ会のお母さん方も、みんな考えがあってやっていらっしゃるんですから。」とおっしゃった。秋になって、学校で小さな発表会が開かれた。学校内で行うもので、大規模なものではなかった。コーちゃんに何をやるのかと聞くと、クラスでは、演劇をやると言う。そして、その演劇に出る子は先生が決めて、その子達だけで先生と一緒に練習していると言う。コーちゃんは出ない。それを聞いたとき、はんらは、まあ、2年生くらいではセリフをちゃんと言える子が少ないので、先生がしっかりした子供を選抜したのだろうと思っていた。コーちゃんは、その時所属していた「童謡クラブ」で歌を歌うというので、はんらも観に行った。演劇が始まったとき、はんらはとても驚いた!その演劇に参加していた十数人の子供は、全員、オモニ会のお母さんの子供達だけだったのだ!勿論、オモニ会の子供が、優秀な子供ばかりと言うわけではない。とてもセリフなんか言えそうもない子もいる。そんな子は、きれいなチマ・チョゴリを来て、王様の御付きの役をやったりなんかしている!!本当に、ビックリ!こんなにえこひいきするものなの?!?これじゃ、毎日の授業の様子もわかりそうなものだ。先生の言ってた「オモニ会のお母さんたちに考えがある」という意味が、よくわかってしまった。他のお母さん達も、誰も何もクレームをつけないということは、みんな了解済みなのね?と思った。しかし、韓国もそんな先生方ばかりではない。小4のときの担任の先生は、「先生の日」といって、公に先生に贈り物のできる日(韓国らしい日があるのだ^^;)に、子供達がみな持っていくプレゼントを持ち帰らせた。「直接書いてくれた手紙や絵以外は、受け取りません。今後も、何も持たせないで下さい。」という手紙を添えて。20代の若い女の先生だったが、とても熱心な先生で、子供の日記にも毎日毎日コメントを書いてくださった。いつも肯定的な、元気の出るような温かいメッセージだった。盆、正月、夏・冬休みの前後には必ず、はんらの携帯に文字メッセージを送ってくださった。一般に、若い先生は、情熱にあふれ、韓国の賄賂文化を嫌う、誠実な教師が多いような気がする。今年のコーちゃんの担任は、ミセスの先生のようである。どんな先生なのか、今からちょっぴり心配している。
2005/03/05
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きのうは、よしくんの入園式だった。入園式と言っても、よしくんは保育園2年目。在園生も、親と一緒に参加する入園式だった。はんらは、もうこういうのは、イヤ・・・(TT)若いパパ、ママたちに混じるのは・・・!はんらの年では、きのう、高校か大学の入学式に、親として参加しているべきなのだ!(^^;)きのうの日記の、昔住んだ小屋。きっと写真に残してるはずだと思って探したら、あった。 韓国では、建物や倉庫は、レンガを積み上げて建てる。レンガ造りなので、一見、立派に見える。(3匹の子豚のイメージ)でも、レンガ造りで、外は極寒、家の中はオンドルで暖かくするため、家の中の壁紙が一面 カビで真っ黒になり、困った。入り口の扉は、身長157センチのはんらはそのまま入れたが、はんらより背の高い人は、身をかがめないと入れなかった。よく、訪ねて来た人が、入り口で頭をぶつけていたっけ・・・(^^;)扉を入ると、小さな部屋がひとつだけ。玄関に流し台をひとつ置いていた。
2005/03/04
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(きのうの続き)ノギさんは結局、日本で大学院に進級したいという夢を果たせないまま、帰国した。体も悪くして、お金も続かなかったので、仕方なかった。帰国してすぐは、まあ、帰って来てよかった、としか思わなかったが、ノギさんが会社勤めをして蓄えていたお金を全部使い果たして、スッカラカンになったんだという話をするのを聞いて、はんらはガクゼンとした。じゃあ何?ノギさん、無一文の失業者なの?!?韓国では、失業者に出るお金なんて無い。さらに、帰国したノギさんに、親戚や近所の人から、見合い写真がゾクゾク飛び込んできた。そうさ、はんらとノギさんは、ビザのため婚姻届を出していたが、結婚式も披露宴もまだだったもんね。これでは、披露宴をしないわけにはいかない。借金してするしかない。はんらたちは、普通の新婚さんはみんな撮るというアルバム撮影も当然出来ず、貸しドレスも「とにかく、いっちばん安いやつでお願いします!」と頼んだ。ノギさんに至っては、普通の背広を着て結婚式、ということになった。そして、普通の新婚さんはみんな交換するという「礼物」(ブランド腕時計とかダイアの指輪を交換する)も、使ってた腕時計を交換しただけだった。韓国では、花嫁が花婿側の家族全員に、洋服や布団などをプレゼントする、という風習もある。仕方ないので、さらに借金を重ねて、みんなに韓服だの、背広だの、プレゼントした。(ノギさんは、11人兄弟・・・TT)はんらの親が出してくれなかったのか?と思うでしょう。実は、はんらは既に結婚に際して、両親からちょっとだけ お金をもらっていたのである。が、2年間、日本と韓国を行ったり来たりしてる間に、ほとんど使っちゃっていた。それに、韓国では結納金というのも無かったので、両親にそれ以上のことは頼めなかった。また、ノギさんは 舅が55歳のときの子供だったので、舅もとっくに隠居生活に入っていて、無心をできるようではなかったのだ。住む家こそ、問題だった。普通の住宅は、屋上に物干し場がある。その部分に、不法で小屋を建てて、人に貸す人もいる。はんらたちは、その小屋に住んだ。2階建ての住宅で、屋上に上るはしごがある。それを上ったところにある小屋だった。シャワーは勿論無いし、トイレは、1階の外に共同トイレ(ぽっちゃんトイレ)があっただけだった。台所も、土足履き。不法の建物なので、高さが低い。身長157センチのはんらが爪先立ちすれば、天井に手が届くほどだった。夏にはその天井が焼いた鉄板のように、さわれないほど熱くなり、小屋の中は蒸し風呂状態だった。そして、冷蔵庫もテレビも洗濯機も、買えなかった。何しろ、結婚式をして借金しかなかったし、ノギさんが無職だったので・・・はんらが生まれて物心ついたころから、家には冷蔵庫もテレビも洗濯機もあった。まさか、この年になって、電化製品のない生活をするようになるとは、夢にも思わなかった。大家さんも、ファンシーケースとカラーボックスだけを置いて小屋に住むはんらたちを、怪しげな目で見ていた。(逃亡者か指名手配者か?と思ってたかも)その小屋には、長男のコーちゃんが生まれるまで住んだ。可哀想に思った姑が、捨ててあった洗濯機を拾ってきてくれ、それを使った。今、裕福ではないにしろ、人並みの生活が出来るようになったのは、奇跡のような気がする。^^あの頃は、お先真っ暗で、よく夫婦喧嘩をした。お金がすべてではないと思うが、お金がないということは、心の余裕もなくなるもんだと、あの時、しみじみ思った。当時、まあまあ裕福に暮らしていた在韓の日本人が うちに遊びに来て「これ、愛さえあれば何もいらない、ってのを実感するような生活ね。こういう生活にも憧れちゃう。」と言った時、ものすごく頭にきた。早朝から日本語を教えていたが、日本語を学びに来る有閑マダムを見ると、とても悲しくもなった。けれども、食べたいものも食べず、着たいものも着ず、何の趣味も持たないで、家長としての責任を果たそうと、その後、朝から晩まで頑張って働いてきてくれたノギさんには、今、本当に感謝している。
2005/03/03
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はんらの夫、ノギさんは、とても理解のあるほうだ。ノギさんは、2年近く、たった一人で日本で暮らしたことがある。その時、とても淋しく辛い思いをしたため、今外国暮らしをしているはんらに対して、理解があるのだと思う。はんらとノギさんが出会った頃、ノギさんはソウルの郊外で、まあまあ大きい会社の貿易部の社員だった。ノギさんは日本語ができず、はんらは韓国語ができなかったので、いつも英語と漢字で会話をしていた。ノギさん 「ユア マドゥ なんたらかんたら・・・」はんら 「ん? マドゥって何かしら・・・?」すかさず紙に「母」と書くノギさん。「ああああ~!マザーのことねっ??」とはんら。ノギさん再び 「ユア ペミリ なんたらかんたら・・・」はんら再び 「ん? ペミリって??」また紙に「家族」と書くノギさん。「ああああ、ファミリーねっ!」とはんら。こんなふうに、ジャパニッシュとコングリッシュだったので、会話の壁は高かったが、面白かった。いつも会うたびに、山のような紙とボールペンを用意していた。ノギさんは「はんらは、大学まで出てるのに、中学生レベルの英語が通じない」と思っていたようだし、はんらははんらで、ノギさんが貿易部で外国のバイヤーと英語で話して通じてるというのは、きっと嘘だと思っていた。(^^)ノギさんとはんらの結婚話はまとまり、はんらが正式に韓国に来ることになった。はんらが韓国語もできず、韓国の文化・風習を知らないので、最初の数年間は子供も作らず、韓国についていろいろ勉強しようと思っていた。しかし、ビザがめんどうなので、まず婚姻届けを出して、同居ビザを取ることにした。披露宴はまだだけど、これで夫婦になった、はんらとノギさん。ところが、ノギさんが、晴天霹靂のことを言い出した。昔からアメリカか日本に留学したかったのだけれど機会がなかった、日本人のはんらと結婚したのだから日本に留学して日本語と日本の文化について学びたい、と言い出したのだった。これには、姑もはんらもビックリ!韓国では、その当時も今も、留学ブームで、猫も杓子も留学しようとするのだけど・・・まさか、結婚早々、そんなことを言い出すとは夢にも思わなかった。姑とはんらの反対を押し切って、ノギさんは日本に行ってしまった。はんらも一緒に日本に行こうかと思ったのだが、ノギさんは「はんらは、韓国で韓国語勉強しなきゃ。それに、自分がいなくなって寂しがっているオンマを慰めてあげて欲しい」と言う。それもそうだ、と思って、はんらは韓国に残った。学生ビザでは、アルバイトに支障があるといって、はんら父に登場してもらい、ノギさんも日本滞在のため「配偶者ビザ」を取った。お互いに「配偶者ビザ」で相手の国にひとりで暮らすという、ヘンテコな2年間だった。はんらは、テグで、日本人の友達と一緒に住み、日本語を教えたり、姑の家に行ったりして暮らした。韓国の食事が合わないということもなく、日本人だからと言って偏見で見る人もいなくて、大変だけれど、それほど辛い生活ではなかった。しかし、ノギさんの方は、ものすごく大変だったようだ。東京の板橋区で、2万円くらいの家賃の、ものすごい所に住んでいた。何度かはんらも行ったが、はんらも引いてしまうくらい、すごい所だった。ランゲージスクールに通いながら、夜まで毎日アルバイトをし、料理洗濯掃除を自分で全部しなければならない生活は、とても辛いものだったようだ。特に、情の深いノギさんなので、家族が恋しく、友達が懐かしくて、一人ぼっちが身にしみたようだ。食事も合わず、韓国人だということで向けられる偏見、言葉が出来ないことで無視されることなどが、とてもとても辛いことだったそうだ。その点はんらは、韓国で日本人だと言うと、先進国の人だという目で見られたり、「日本語教えて」「友達になって」と言われることも多く、日本語塾でも、ネイティブということでちゃんと大切にしてもらっていたので、それほど辛い思いをすることも無かった。はんらが住んでいた近くには大学が2つあり、それぞれ「日本語学科」があったので、日本人の友達を作りたいという大学生が、掃いて捨てるほどいた。友達になった大学生の下宿に遊びに行ったり、一緒に食事しに行ったり、なかなか楽しいことも多かったのだ。大学生に韓国語を教えてもらったり、困ったときは助けてもらったりしていた。しかし、日本でアルバイトするノギさんは、日本人と同じ仕事をしても、韓国人だという理由で安い時給しかもらえず、本当に悔しく、悲しく、辛かったそうだ。2年後、ノギさんは身も心もボロボロになって、韓国に帰国した。日本のことを悪く言うこともあるが、少数の親切にしてくれた日本人のことは、忘れられないようだ。そして、はんらのことを、「外国暮らしは本当に大変だから」と言って、よく気遣ってくれる。食べたいものを食べさせてくれ、買いたいものを買わせてくれる方だと思う。仕事も、したくなかったら、家で遊んでいたらいいと言ってくれる。ノギさんの日本での苦学生生活は、はんらの外国暮らしを思いやってくれるきっかけになったようで、それなりにいい経験だったと、はんらは思っている。でも、実際は、いいことばかりではなかったのだけれど・・・その話は、また明日~~~
2005/03/02
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きょうは、韓国は祝日。よしくんが風邪をひいているので、予定では、ノギさん(夫)とコーちゃんは遊びに行き、はんらとよしくんは家でゴロゴロ、というつもりだった。ところが午前中、ノギさんの会社から緊急の連絡が入った。ノギさんと同じ事務所にいる女性が、今朝 大田市で事故にあって、危篤状態だというのだ。ノギさんはすぐに大田に向かった。遊びに行くつもりだったコーちゃんが ガッカリしていたので、はんらがちょっとそこまで連れて行ってあげることにした。ちょっとそこまでというのは、電車で50分のスウォン市。電車が開通したので、鉄道オタクの兄弟を満足させてあげるのが、とても楽になった。電車に乗って行き、スウォン駅でご飯を食べて、駅に連結しているデパートをブラブラしてくるだけで、もうコーちゃんもよしくんも大満足!電車賃は、大人たったの1900ウォン(190円)だもんね。結局、ノギさんの事務所の方は、助からなかったそうだ。ノギさんは一旦帰宅したが、またお葬式に参加しに行かなければならないのかもしれない。きのうまで一緒に仕事をしていた人の突然の死に、ノギさんもかなり動揺している。去年は、ノギさんの事務所の若い男性が、事故を起こして逮捕されてしまった。勤務中の事故だったので、保険やその他の問題で、ノギさんも、何度も何度も警察署や留置所、裁判所まで出向くことになった。本人が逮捕されて留置所にいたので、ノギさんがあちこち駆け回って、世話をしなければならなかったのだ。その男性は、裁判で有罪になり、禁固刑になったうえ、会社もクビになってしまった。こういう事故の話は、本当によく聞く。やっぱり、本当に事故の多い国だと思ってしまう。ノギさんも、気をつけて!!!皆さんも!!!!!
2005/03/01
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