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9月の後半あたりからこの時期くらいまで、自宅の音環境が悪化する。道路を挟んですぐ向かいに小学校があるからだ。まず、幼稚園の運動会の予行演習と運動会、小学校の予行演習と運動会、町内の運動会(準備日あり)、市(町対抗で競い合う)の運動会、少年サッカーチームの秋の大会、少年野球の秋の対抗戦と、枚挙にいとまがないほどのスポーツイベントが開催され、土日祝日は早朝からものすごいことになる。秋以外も、週末は少年サッカーや少年野球、ゲートボールなどでグラウンドが使われるので、声や金属バットの音などはいやおうなく窓から侵入してくる。体調の悪いときもあれば、仕事の都合で昼間に眠りたいこともある。見たかった映画のDVDなどを見ていると「うるさいなぁ」と思うが、致し方ない。サッカーや野球をその辺の公園でしろとは言えないし、サッカーや野球をするなとも言えない。たまさか私が学校のそばに住んでしまったのが運のつきだ。「公園の噴水で遊ぶ子どもの声がうるさい」と裁判所に訴えたご婦人がいた。裁判所は訴えを認めて、噴水の使用を差し止める命令を出したそうだ。ひどい世の中だ。訴えたご婦人が悪いとか、奇声を発する子どもが悪いとか、近隣住民の迷惑を考えず、そんなところに噴水をつくった自治体が悪いとか、そんな単純な話ではないと思う。こんなことになるには、こうした理由があるのではないだろうか。★近隣住民が互いの存在を認めていない★子どもの育成を「地域」で見守る意識が希薄になった★子どもの遊び場が少なくなり、遊び場が一点集中になって子どもの欲求が爆発する★基本的なしつけができていない(公共の場で遊ぶときの注意)★利己主義になり、排他的な発想になりがち★「育児経験」のない女性が増え、子どもの性質が理解できない★自治体の対応が後手後手になり、状況が悪化しやすい★自治体に「教育」「福祉」を含めた「環境整備」のグランドデザインがない昔のように、住民が互いの顔を見知っていて、「子どもは地域で育てるもの」という意識でいるなら、こんな問題にはならなかったはずだ。「プライバシー」だの「個人情報」だのと、不要な秘密主義の蔓延が地域の人々の結びつきを断裂し、意識を自分へ、自分へと向かわせてしまった。現在のままでは、もっともっとささいなことでも問題化するだろう。そのたびに訴訟を起こされたり、はたまた「法律」や「条例」がつくられたりして、生活が法律にがんじがらめにされる。もちろん、間違った秘密主義は犯罪を増長させるし、緊急非常事態のときに取り返しのつかないほど被害を広めてしまう可能性がある。大地震がやってくるようである。地域での助け合いなくしては乗り切れないことだろう。そのときになって慌てないために、いまから地域とのつながりを強めておくことが不可欠だ。子どもの奇声であっても、その声の主を知っていたら、決して騒音にはならない。余りにもひどい場合は注意してやればいい。親ができないなら、理性と常識のある大人が子どもをしつければいい。人々のつながりが強い地域では、犯罪は起きにくいし、非行も発生しにくい。ここらあたりで、自治体も本格的に地域社会づくりに取り組むべきではないだろうか。 嗚呼
2007.10.29
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薬害エイズに引き続き、薬害肝炎が問題になっている。アメリカで副作用(というより、薬剤として不適格製品)が指摘され、使用が禁止されてから実に10年の長きにわたって、日本では使い続けられた血液製剤「フィブリノゲン」が原因だ。10年のタイムラグをつくったのは、当時の厚生省に間違いない。製薬会社とズブズブの関係だった(いまでもそうだろうが)厚生省の役人が、ひた隠しに隠した結果が、約30万人への投与を許し、C型肝炎感染者(肝硬変→肝ガン患者)を増やした。舛添厚生労働大臣の発言によると、C型肝炎患者の治療費は7年間で1,000億円~2,000億円必要だそうだ。が、「補助金」に過ぎない。本人負担も発生するということだ。本来なら、かからなくて済んだはずの病気にかかり、体調不良で家事も育児も満足にできず、離婚したり、入退院を繰り返したり、最悪の場合、死に至ってしまった人がいるにもかかわらず、治療費の一部を負担する義務が感染者にあるのだろうか。結果的には数倍の費用がかかるだろう。役所というのは、自分たちに都合のいい数字しか出さない。高速道路だって、空港だって、公共施設だってそうだ。さも、国民の負担が少ないかのように言っておきながら、蓋を開けたら何倍もの費用がかかってしまう。しかも、維持費(施設及び天下り役人の人件費)に半端ではない税金が費やされる。糾弾されると、「過去の役人が考えたこと」と逃げる。当の「過去の役人」は、多額の退職金を受け取って天下り、働きもせずに報酬を得、いわゆる“渡り”を繰り返す。日本人は、いい加減にやりたい放題の「役人」と「役所」の所業に注目すべきだろう。彼らは、30万人以上の人間に人生が変わってしまうほどの被害と不安とを与えながら、「犯罪者」にはならない。嘘をつき、資料を出さなかったとしても、罪に問われない。「自分の在任中だけは平穏無事に過ごしたい」という極めて得手勝手な発想で、国民を犠牲にする。結果、被害を被るのは、直接の被害者と、「税金」という手段で治療費を徴収される国民だ。役人は、臆面もなく給料と退職金を手にし、自らが用意した天下り先へと移り棲んでいく。向こうを向いて、舌でも出していることだろう。「バカは最低限の生活をしていればいいのだ」「バカが日本を、我々の老後を支えているのだ。ありがたや、ありがたや」「ヒエラルキーの底辺は、そんなものだ」「我々はお前らとは違う」そんなつぶやきを残しながら。いい死に方はしないだろう。もし「人生に悔いはない」という高級官僚がいるのなら、そいつは希代の悪だろう。前世は文字通り、「悪代官」か「盗人」か。「自分は何も悪いことはしていない」という人物もいるかもしれない。が、ズブズブの役所にあって、他の役人がはまっていた官民の癒着や汚職を見ていないわけがない。公務員には、不正を告発する義務がある。見て見ぬふりをするのは、自分の立場や将来が第一、というこざかしい発想だからで、国や役所のことを考えるなら、改善のために動かざるを得ないのが人間だろう。たとえそれが、自分の人生を賭けねばならぬほどのことであったとしても。そろそろ、きちんとした姿勢を示さねば、根拠のない「消費税アップ」や、その名を利用した「環境税の導入」や、はたまた「新しい年金制度」を強要しかねない。目的は、「役人安泰」のための資金確保だ。「我々は真面目にやっている!」と叫ぶ、善良な役人もいるだろう。それは、役人のヒエラルキーの底辺のみだ。地位が上がっていくごとに、その役人たちも変質する。頭のいい人物ばかりだ。「アホな国民のために、こんな給料で夜遅くまで働いてられるか!」と思う瞬間が早晩やってくる。そのインセンティブを提供するのは、「儲け」を確保したい企業(経営者)だ。官民の関係を厳しく縛る法律が必要になる。が、政官の癒着がある自民党には立法できない。民主党は、旧自民党議員を排除し(党首はもちろんのこと)、すっきりした体制で、公務員制度改革についての法案をどんどん出してほしい。 憂鬱
2007.10.29
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亀田問題が長引いている。協栄ジムの計らい…、配慮…、いや、やはり演出だろう記者会見が行われた。どういうわけか、ワイドショーのリポーターの声の質問ばかりが目立ったが、それなりに淡々と進行し、84分の会見は滞りなく幕を降ろした。長男・興毅さんは、頭を刈り、スーツとネクタイ姿であらわれ(6分遅刻したらしいが、リポーターや記者に進路を阻まれたらしい/興毅談)、これまで発したことのない敬語(しかも詫び)で会見が始まった。リポーターの、あざといというか、意地悪な質問が矢継ぎ早に発せられる。興毅さんは表情を変えることなく、できるだけ端的に、形容詞を省いて答えている(意図せず、語彙がなかっただけかもしれないが)。興毅さんの表情を殺したクールな瞳は瞬きもせず、フラッシュの閃光を浴び続ける。リポーターは、興毅さんの表情を変化させるのに躍起になって、不快とも思える質問を浴びせかける。が、興毅さんは表情を変えない。しかし見た! 無礼な質問をしたリポーター(記者かもしれない)には、キッと視線を固定し、焦点を上下させながら(頭からつま先まで繰り返し見る仕草)、冷静な声で「そんなことは思ってない」「それはない」というようなことを言っていた。今後、興毅さんが社会的な支援を得る立場に復帰したら、間違いなくそのリポーター(記者)は仕返しを受けるだろうと思った。時折、ダイエットなった(報道では胃潰瘍と肝臓障害らしいが、年齢と経緯からいってダイエットだろう)金平会長が口を挟み、興毅さんの答えにくい内容を代弁していた。すべてがショーだ。それぞれが、それぞれの立場で役割を果たし、視聴者の注目を集めることに成功した。興毅さんは好感度が急上昇で、これからの道(ボクサーとして、タレントとして)を開いた。リポーターは悪者になったが、実は日本人が持っている意地悪さと本音を必要以上に表現し、興毅さんの素直さを押し出すのに力を貸した。と同時に、視聴者の注目を集め、よくも悪くも名前を売り(ネットでは話題騒然)、視聴率を稼ぐことができただろう。金平会長は20kg太っていたときには表現できなかった、“紳士”的なイメージを背景にプロデューサーとしてのプロモーションを成功させた。これまで、内藤支援派だった国民の多くを亀田支援派に寝返らせたはずだ。だれが得をして、だれが損をしたのか。実は、だれも損をしていない。だれも実害を受けない。亀田父にしても、表舞台から姿を消したからといって、別に何が変わるわけでもない。元々、生活費のために興毅さんにボクサーになることを強いたような人物だ。ファイトマネーやスポンサーからギャラが確保された今、しばらくは安穏としていられるだろう。TBSの実況をしたアナウンサーはかわいそうだが、会社員だからいずれこれまでの日常が訪れる。興毅さんも大毅さんも、ボクサーとしての今後がある。おやじの悪質なイメージを早期に払拭できてよかったと言えるかもしれない。特に三男は、スタンダードデビューができる(私は三男がボクサーとして大成すると予想している。実業家としては次男。長男は幸せな家庭)。金平会長(協栄ジム)にも実害があったとは思えない。元々有名なジムだが、地位安泰は確実だろう。得をした者は……、民放各局、スポーツ紙、週刊誌だろう。亀田家、協栄ジムと連携していたとも思えるマスコミも一部にある。視聴率を稼ぎ、新聞や雑誌の売上を確保した。となると、損をしたのは……、それにおどらされた視聴者や読者ということになる。この構造は日本だからこそ、だと思う。常に「憂さ晴らし」の標的が必要で、いっとき、一斉にその標的を攻撃して憂さを晴らし、あるとき、他人の攻撃を見てはたと我に返り、「そんなにまで言う必要があるのか」とその他人を攻撃の対象にすげ換えて一層の憂さ晴らしを果たし、頃合いを見計らって「けじめ」だの「謝罪」だのを求める。結末は「頭を丸める」「謝罪」「辞任」「切腹」……。「責任を取る」という行為ではなく、個性や立場や命までをも「抹殺する」ことを選択する。明日から、井口リポーターは大変なことになるだろう。が、彼の口を通して出てきた言葉は、さっきまで日本人の多くが聞きたかった事柄だったはずだ。しかも、彼の言葉のおかげで、興毅さんはイメージを回復し、これからの道を開くことができた。井口リポーターに対して熱くなっている人は、そこのところを見てほしい。あんな質問をしたからといって、井口リポーター個人に何ら利益はないのだ。仕事だからやったことで、殊勝な相手には傲慢な態度で接するのがテレビの鉄則。対比をおもしろがるのが日本人だからだ(他国のことはまだ分析したことがないので、あえて触れないが)。井口リポーターには正義感が強いとか、血気盛んといった個人的特質はあるかもしれないが、それがなくても、リポーターとして当たり前のことをやっただけだと思う。そんなわけで、日本人の浅はかさ、世間迎合的感覚、烏合の衆になることをいとわない哀れ、真相を想像できない平和ボケ、マスコミや経済理論に翻弄される無知、自分の中に価値基準を持たない悲哀、『理想」「正義」「尊敬」を失ってしまった虚無感……、いろいろな現実を見ることができた会見だった。つくづく……。 哀愁※「興毅さん」の表現に違和感を覚えた人もいるかもしれません。彼はボクサーなので、ボクシングネタで書くときは呼び捨てとか「選手」にしてもいいと思っていますが、これは、会見ネタなので、敬称をつけました。
2007.10.28
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季節の変わり目は、いろんな病気に罹患する危険性にさらされます。いま、最も注意しないといけないのが「風邪」と「精神疾患」と「アレルギー」と「胃腸障害」です。基本的には、自律神経系が弱い人にその影響が強くあらわれると思われます。特に、若い女性と老人に注意が必要です。老人については解説する必要もないと思いますが、若い女性はとにかくもろい。原因は幾つかあると思います。●子どものころ、きちんと運動をしていない●子どものころから偏食気味●ダイエット経験がある、もしくはダイエット継続中●体調の変化に鈍感●薄着をしている。背中やへそを出すファッションをした経験がある●筋肉が少ない●便秘気味あるいは下痢気味●姿勢が悪い●低体温●低血圧●冷え性●体が硬い●汗腺が少ない(汗をかかない)●水分を余り摂らない●小食●暑さ、寒さに弱い●湯舟につかることが少ない(シャワー入浴が多い)●エアコンが欠かせない●甘いものが欠かせない一つでもあてはまるものがあったら、気をつけた方がいいと思います。自律神経が弱いタイプの疑いが強いはずです。このタイプは、季節の変わり目の刺激に極端に弱いのです。自律神経が弱いというのは、それ自体が病気ではありません。が、侮ることなかれ、多くの病気を引き起こす要因になるのです。一番恐いのは「ガン」です。弱った体に巣食うガンは、低体温や低血圧といった代謝不良の体(細胞)が大好きです。これにストレスが加われば、ガン細胞は劇的に増殖します。常に36℃以上の体温を保ち、血圧や心拍数を正常に維持するためには、規則正しい生活と、睡眠と、十分過ぎないが十分な栄養補給と、汗をかく運動と入浴、体を温めるファッション……、若い女性には無理かもしれません。が、40近くになると、きっと後悔します。更年期障害が早くやってきたり、不妊に悩んだり、生理痛に苦しんだり……。一時的な見てくれのために、悲鳴を上げている体からの声を無視するのはバカです(人生で最も輝く時期なので、無理をしたいのはわかります。わかり過ぎるくらいわかりますが、すべては健康があってのことです。人生は長い。きちんと考えましょう)。25歳を越えたら、女性は体をいたわらねば。そういうことがきちんとできる女性が、本物の女性になっていくのですから。 願望
2007.10.27
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今夕、帰途につくために電車に乗っていた。雨が降ったこともあり、急行電車の中は、雨の湿気と人いきれでむせ返っていた。目の前の座席をふと見ると、男性と女性の間に30cmほどの隙間がある。が、私には座る勇気はなかった。後から乗り込んだ身長150cmくらいの小柄な年配の女性も座席を見て戸惑い、座るのを断念した。そうして一駅過ごし、次の駅でドアが開いた瞬間、ドドドドという音が近づいてきた。斜め後ろを見ると、「チビデブハゲ」のおやじ(55~58歳)が我先にという勢いで乗り込んできている。恐怖さえ覚えた。なぜなら、暑苦しそうで、臭そうだったのだ。果たしておやじは30cmの隙間に尻をねじり入れた。おやじの幅はどう少なく見積もっても、60cm以上ある。身長155cm、体重80kgといったところだろうか。左右の若い男性と女性は身をよじって詰めている。と同時に、ものすごい匂いが鼻を突いた!! 雑巾と、納豆と、長く貼っていたバンドエイド(R)をはがしたら、ふやけた皮膚が発する強烈な匂いがまざったような、えも言われぬ臭気が鼻の粘膜を冒す。有毒ガスの可能性もある。「何事?」驚いてあたりを見回す。原因が判明した。「チビデブハゲおやじ」が靴を脱いでいたのだ。私はすかさず一歩右に寄り、おやじから離れた。そのとき、開いたスペースに50歳前後のビジネスマンが入った。と同時に私は読んでいた本で鼻と口を塞いだ。ビジネスマンは、私の動作が自分のせいではないかと疑ったようだった。右側の若いがハゲているビジネスマンは、私が急に近寄ったので、とまどっていた。しばらくすると、最初の異臭とは違う臭気が漂ってきた。鼻と口を押さえていた本を少しだけ下げて、鼻を動かすと……「チビデブハゲおやじ」の頭から、強烈な「おやじ臭」が発せられているのに気づいた。強烈に、く、臭い……!!眉をしかめ、顔を背けた私に気づき、左横のビジネスマンが、おやじの匂いを感じ取ったようだった。そして、そして私を見た。「ボクじゃない!」と訴えるような目をして。昔から持論があった。『50歳以上のおやじは肉の塊』『おやじはゴミ(臭いし、邪魔だし、目障り)』ところが、郷ひろみは52歳、石田純一も、西城秀樹も、松本幸四郎も、北大路欣也も、50代、60代なのに、カッコいいし、きれいだし、いい匂いがしそうだ。もちろん、大好きな佐山先生も美しい! というわけで、最近は持論を撤回する必要があるとさえ思っていた。のに!! きょう、持論が正しかったことを認識した。カッコいい50代、60代が特殊な存在だということを確認できた。……嫁や娘の顔を見てみたい。嫁や娘に罪はないが、こんな、無神経で臭い肉の塊を世の中に出して厭わない家族って……、きっと、同じような人種なのだろう。でなければ、この「チビデブハゲおやじ』は、家族から総スカンを食らい、そのことにさえ気づかないほど無神経で公害的存在なのだろう。それにしても、苦しかった。むせかえった車内で……、二度と味わいたくない。いや、嗅ぎたくない。壮絶なおやじだった。これも、「大阪」ならではの人種なのか……。 玉砕
2007.10.26
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ありとあらゆる犯罪は、日々増加の傾向をたどっている。理由は簡単だ。20年前後前から、「離婚」と「未婚の母」の急激な増加があり、そんな環境下で成長した人間が犯罪を犯すようになったのだ。「不幸な親を見ることは子の不幸。ならば、離婚した方がいい」などというのは大人の理論だ。大人の勝手過ぎる言い訳に過ぎない。不幸であれ、けんかばかりしている状況であれ、両親がそろっているべきだ(経験論)。不仲の両親であっても、両親は不可欠なのだ。他人同士の不仲とは訳が違う。親は、子どもに「不仲」を見せない努力をすべきだし、それが親の不可欠な努めだろう。「親も人間なので」そんなことを正当化しようとするなら、子どもはつくるべきではない。覚悟をして「親」になってもらいたい。これまでの経験上、片親で育った人は少しおかしい。男性の場合、男親がいないとき、女性の場合、女親だけで育ち、しかも水商売だった場合が該当する。飽くまでも私見であり、統計学ではないので、当てはまらない場合も多いだろうが、地域環境的に分析した結果だ。片親のみで育った人間は、両親で育った人間の2倍という確率で犯罪を犯すという研究データがある。理解できる。なぜなら、片親のみで育った人間は「価値基準」がおかしいからだ。当たり前のことがわからない。もしかしたら、親の方にも「片方」というアンバランスから起こる異常があり、子育てに反映されたのかもしれない。●世の中に異様な妬みと依存心がある●「痛み」に鈍感●「金」などの物質に異常な執着がある●身なりがダメ(日常着はジャージー、歯が悪い、つっかけ生活、なのに車はデコデコ)●生活態度がだらしない●礼儀やモラルが皆無●語彙が激しく少ない社会生活上、問題ない場合は見過ごしてもいいかもしれないが、精神障害の域に入ると注意が必要だ。突然背後から刃物で刺してきたり、石をぶつけてきたりして、命を落としでもすれば、犯罪被害者になるが、加害者が精神障害ということになると、死んだ方が「犬死」になりかねない。九死に一生を得て植物状態にでもなってしまったら、だれが保障してくるのだろう。精神障害者には無理だろう。命拾いしても、死んでしまっても、「犬死」同様だ。さらにひどいのが、犯罪被害者になっている人間がいるにもかかわらず、加害者が逃げている状況が続く場合だ。被害者には何ら保障がなく、自腹を切って治療をしているという状況。被害者側の負担は相当なものだ。国から見舞金という形で支払われる保障金はあるが、被害者の利益になるほどの金額であるはずがない。「時効」という制度がある日本にあっては、「逃げ得」が存在する。と同時に「やられ損」も同じ数だけ存在する。傷害や殺人、詐欺といった刑事事件については被害者が厳然と存在し、警察が事件として動くので、加害者が安穏としていられるわけではない。逃げるにはそれなりの苦痛もあることだろう。が、全く苦痛がなく、罰則がなく、将来の不安もないのが公務員の刑事事件よりもひどい犯罪だ。「薬害エイズ」は許し難い。C型肝炎に感染していた人にその事実を知らせることなく、取り返しのつかない状態になってから、「記録が出てきました」といってデータを出してきた厚生労働省の役人は、そのデータを隠蔽していた役人は、一切裁かれることがない。これは、「逃げ得」よりも悪質だ。“逃げる”という労力を必要とせず、逃げられるのだ。日本は、悲しいほどに無為無策の役人天国だ。役人の無体や犯罪を抑制するすべも、やめさせるインセンティブも、とがめる法律もない。が、利益(権益)は数百年を通して変わらずに存在する。さらに、犯罪者は「人権」が確保される。人生を滅茶苦茶にされた犯罪被害者を保護する法律は一つもないのに、である。わけのわからぬ「人権派」の弁護士が確保した犯罪者の人権だけが世間を闊歩する。山口県光市の母子殺害事件でも明らかになったところだ。この構造を見ると、「犯罪を犯す方が得をする」社会であることは明白だ。「犯罪を犯したら逃げればいい」そうした犯罪者と犯罪者予備軍の思想は広がりつつある。交通違反を犯した人間がパトカーを振り切ろうとしたり、「浮浪者刈り」と称してブルーシーツの男性たちを殺しながら、遊び感覚で平気な顔をしていられる高校生が存在したり、「カゴダッシュ」という強引な万引きをしながら、店員の追跡に刃物で抗った未成年者がいたり、そんな、犯罪に対して甘過ぎる日本にいる限り、自分が犯罪被害者にならないように注意するしかない。もしも、犯罪被害者になった自分を真剣に守ってもらいたいと思うなら、検事に袖の下を渡さねばならないかもしれない。困っている人間から、着手金として40万も50万も請求する、人の足元を見ているとしか思えない金銭感覚の欠如した人間に弁護を頼まねばならないという理不尽な社会である日本にあって、公務員として安いサラリーで仕事をする検事のやる気をそがぬためには、給料の他に報酬を与えることでインセンティブを発生させるしかないかもしれないと思ってしまう現状がある。「法律は、善人を守るものではない」「法律は、法律を知る者を守る」「ときに法律は、悪人を擁護する」「凡人が法律を駆使しようとすれば、金が必要になる」「弁護士は、金がないと動かない」このことを知らないと、犯罪被害者になってしまったときの悲劇は、思いもよらず大きなものになる。 悲痛
2007.10.25
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タイトルは、以前終了してしまったシリーズです。「T」が閉店したために。今生の別れをした人がたくさんいます(チロチロッと姿を見たりはしますが)。なのに、「何で今更」というタイミングで再開です。実は、「T」の装いをほぼ残しながら開店した「麺屋 F」に、「T」の常連が続々と集まってきているのです。無類の麺好きの同居人に促され、「F」に出向いた私にとって、「T」の内装のほとんどが生かされた空間は、「F」ではなく、「T」のように感じました。ほかの常連客も同じ感覚だったのではないかと思います。というわけで、元の常連客の中でも特に顔を合わせたくない人々の動向を調査した上で、「F」に恐る恐る通うようになっています。注意しているにもかかわらず再会してしまうのが、常連客その4とその部下のアッちゃんです。あいかわらずのペースで飲んでいるようです。いつも不思議に思うのですが、常連客その4とアッちゃんの席には妙齢の女性か、はたまたやたらうるさい沼坊主のようなオヤジのどちらかがいて、必ずといっていいほど“奇声”とも言えるような笑い声を上げています。アッちゃんは、とても面白いネタを持っていますが、そこまで…、と思えるほどの大きな笑い声がします。連れと私は「あんな、ものすごい笑いが出るネタ、あってええなぁ」と顔を見合わせて言い、うらやましく思っています。「キキキキキ」「ヒャヒャヒャヒャ」「ファファファファファ」「ガハハハハ」「ゴゴゴゴゴ」「ダダダダダ」何しろすごい笑い声です。アッちゃんのつむじは少し下側にあり(錯覚かしら)、つむじが脳天寄りにある人より頭の皮が柔らかいはずなので、パチンと平手打ちすればベチンと鳴り、痛さを想像させるためコント向きではないのですが、一度やってみたいと思っています。常連客その4のご一行を代表する笑い声、常連客(「その◯」はついていませんが、糖尿病の社長)の「チッチッ」という歯にはさがったカスを取ろうとする音、ヘビースモーカーの常連客その3が発するタバコの匂い、うるさいダミ声、常連客その5の笑えないダジャレ、いろいろなものが居酒屋という空間に渦巻きます。小料理屋「T」はなくなりましたが、酒飲みのオヤジたちの日々は、連綿と続いているようです。ある意味で、「場所さえあえれば妥協できる」という意識で集まってきているのかもしれません。が、これを機会に、「T」の時代には指摘できなかった無体を目撃したときは、忌憚なく指摘しようと思います。そうしないと、「F」も早晩「T」になってしまうという可能性が高いわけですから。アッちゃん、まだ30代の夫婦が懸命に営む前途のある「F」をつぶさないでね!!! 玉砕
2007.10.23
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きょうは、久々に結婚式に出席してきました。京都の八坂神社のお膝元にある結婚式場でした。最寄り駅からタクシーで行ったのですが、入り口がまたわかりにくい。いろんな施設が隣接していて、おまけに行楽シーズンなので、人通りもバスの往来も多く、タクシーや人力車や自家用車やと、多くのものが行き交う中の一角に、そっと開いた入り口があって、小さな看板がかかっています。タクシーの運転手さんが「あこですわ」と言ってくれなかったら、見逃すほどの控えめなたたずまいでした。が、が、が、その入り口に立っていた男性二人を皮切りに、披露宴会場までの長い坂道の途中には、インカムをセットしたおやじや若い男性や女性が立っていて、中途半端な礼儀で案内をしてくれます。カメラマン(ムービー&スチール)もたっぷり待機しています。『大変な経費がかかっているな』と思いました。きょうの結婚式&披露宴は6件ほどありました。1件200万円なら、1200万円の売上です。スタッフの数から計算すると……、今回は、そんな下賤な話は抜きにして、セレモニーと料理を楽しむことにしました。(明日、計算してみます)ホテルの披露宴のお仕着せの料理とは違って、内容も工夫されていて、バランスのとれた料理だったように思います。●一品目:海の幸サラダ仕立て酢じめの青魚を初め、ホテテやタコなど魚介類を爽やかなドレッシングでいただきました。●二品目:フォアグラのお寿司仕立てバルサミコのソースが甘くて、香ばしくグリルされたフォアグラによく合ってました。ただ、寿司的なしつらえにしてはシャリが多く、セットされた箸で食べるべきか、ワンセットだけ用意してあるナイフフォークで食べるべきか迷いました。「ごはん」に「ナイフフォーク」はなじまないので、箸でつまみ、半分ずつかじって食べました。●三品目:きのこのクリーミーポタージュ小さなキノコや野菜の食感があるスープ。オリープオイルがトッピングになっていますが、味は特筆すべきものがなかったような。●魚料理:長崎五島産スズキ ズワイ蟹と湯葉のとろみソースフォアグラのお寿司のときに「魚料理のときにお召し上がりください」と、白ワインが供されていました。ホクッとしたスズキは絶品でした。●肉料理:黒毛和牛サーロインステーキもろみ味噌のソースが新鮮でしたし、とてもおいしいお肉でした。京都らしく、万願寺甘唐のローストと、里芋(小芋)の素揚げが添えてあり、ホテルの披露宴コースには出てこない丁寧さだと思いました。この後、ウェディングケーキ(ケーキ入刀済みの代物)とコーヒーが供されました。終始和やかで飽きさせない演出は、さすが「結婚式場」と思いましたが、時間制限は厳格でした。きっかり2時間半。ギュッと凝縮している感じでした。と同時に、「ビジネス」の割り切りのよさを実感しました。私としては、文句はないのですが、このペースと内容と料理と演出と礼儀(無礼含む)に適応できるのは、60歳未満の人だと思います。長い経験で、「結婚式&披露宴」の常識が身に付いてしまい、しかも頭が固くなった老人には、受け入れ難いことのように思います。いずれにしても、結婚式というのは端迷惑な行事です。うれしいのは、めでたいのは、当人二人と両親くらいだけなのですから。葬式は違います。悲しいのは死んだ本人ではなく、見送る人間全員です。春と秋は、迷惑なセレモニーのためにお金を落とす人と潤う人が錯綜します。私には、全く縁遠いことですが。 撃沈
2007.10.21
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大阪は、朝からかなりの量の雨が降りました。少々冷たい雨で、11月下旬並みの気温になったそうです。ようやく「秋」がやってきたと思いました。夜眠るとき、羽毛布団1枚をすっとかけるとちょうどいい。敷布はタオル地のベッドカバーです。すがすがしい寝心地です。眠っていると、ちょっと暑くなって、足先を掛け布団から出したりして。この時期が一番いい。春は気温が同じでもちょっと違います。体が“暖かさ”を感じようとしているので、「すがすがしい」という言葉は出てきません。「あったかい」でしょう。今年も、すがすがしい季節になりました。「あったかい」「あつい」「すがすがしい」「さむい」当たり前の感覚です。でも、ちょっとした病気を患っても、精神を病んでも、お金に不自由をしても、家族に不幸があっても、そんな当たり前の感覚を味わうことはできません。何事もないということは、実にありがたい限りです。高くなった空、秋らしい上層の雲、早く眺められるようになった夕焼け、キンモクセイの香り、澄んだ風……、そんな「当たり前」を愛おしく感じるのは、実は、それが当たり前でなくなったときなのです。いろいろ思う2007年の秋です。
2007.10.19
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えらいことだ。新聞、テレビこぞってトップニュースになっている。そんな大層なことではない。プロボクシングの試合で起こった出来事であり、アマチュアとは違う何かがあるのは当然だ。が、新聞が売れ、テレビの視聴率が上がるネタだというだけで、マスコミはこぞってこの件を取り上げる。ではなぜ、こんなつまらない問題に人々が関心を持つのだろうか。一言で言うと「憂さ」だろう。身体能力の優れた3人の息子を育てるチンピラまがいの男親がいて、息子たちはその親の、理不尽とさえ思えるような指示を全身で受けてトレーニングし、確実に体をつくり上げていく。文句一つ言わない。端から見ると、“親子鷹”のようで、親子の関係が希薄になっている現代にあっては、うらやましいような親子像だ。マスコミ(特にTBS)は事あるごとに取り上げ、テレビ出演の機会をつくり、「亀田家」というイメージをつり上げていった。問題はたくさんある。分析のために、まずは仮説を立てる。a)息子3人は、純粋にボクシングが好きで、トレーニングがしたかったb)息子3人は、親の過剰な期待と夢の実現のために懸命にトレーニングしていたc)息子3人は、(親、もしくはジムの指示で)マスコミにウケるようなパフォーマンスをしていたd)息子3人は、周囲の大人たちを巻き込んで、自分たちに都合のいい状況をつくっていた多分b)ではないかと思う(確証はないが)。e)視聴率の取れるスポーツ番組が欲しかった(かつて、スポ-ツ番組で成功したTBSならではの発想であり、幻想)f)JBCは、人気が低迷しているボクシング界の浮上を画策していたg)話題性のある「亀田家」にTBSが目をつけたh)TBSとJBCが結託し、亀田兄弟の試合やテレビへの露出をプランニングしたi)亀田家は、メディアへの露出と無理な出世スケジュールをこなすため、また、売り出しに力のあるジムを求めて生まれ育った大阪を後にしたj)試合への出場のため、ボクシングジム界の大手・協栄ジムに籍だけを置いた。ジム側も、何もせずに金が入るので、黙認していたk)今回のタイトルマッチはテレビ局の暴走だったl)亀田次男は、世界タイトルマッチの実力はなかったm)無理な試合を予想して、かねてから反則の練習をしていたn)ひどい反則行為を犯して、「反則負け」になることを期待していたこれはほぼ間違いないだろう。o)亀田家は謝罪などするつもりはないが、このままでは兄弟3人とも潰されると慌てたp)金平会長も亀田親も謝罪する意味がわからないが、世の中がうるさいので、「囲み」という形で(正式会見ではなく)インタビューを受けたr)亀田次男は、口を開くと厄介なことになる可能性があるから、顔を見せた(坊主姿を見せた)だけでひっこむことになっていたs)亀田親父は、反省の弁や今後の改善策を一切述べていない。今後のための布石だt)TBS、亀田家は、亀田三男のデビューに起死回生を賭けているこれもほぼ間違いないのではないかと思う。今回の件で最も悪いのは、テレビ局だろう。10代の男の子に背負わせた物が大き過ぎる。次男が内藤に勝つとでも思っていたのだろうか。負けたときの収拾策が全くなかったのには驚いた。視聴率至上主義のテレビ局にとっては、これで亀田家をバッサリ切っても問題ないだろう。関西では、瞬間視聴率が40%を超えた。期待した数字は取れたのだ。亀田家や協栄ジム、JBCが見解を出す中、TBSは一切のコメントを出していない。出しようがないのだろう。長男の反則疑惑をひた隠し、ただただ亀田家を盛り立てることに懸命になったいた局にとって、一つコメントを出すと、過去のことに言及されるのは予想に難くないからだ。こうした思惑にまんまと乗ってしまっているのが日本国民だ。「憂さ」の存在がそうさせたのだろう。チンピラ語(これは決して大阪弁ではない。汚いチンピラ語ということを認識しておいていただきたい)を使うが親子愛があり、熱くてキッパリしているボクサー一家を応援しようとしたのも「憂さ」があったからだし、不正をした上に負け、きちんとした弁明もできない10代のボクサーを袋叩きにするのも「憂さ」だろう。つまり、自分の憂さをだれかに晴らしてもらいたいと思い、大口を叩きながらつまづいた者がいたときに一斉に叩くことで憂さを晴らす人種が多いということだ。「いじめ」の構図と何ら変わりない。日本人というのは、本当にひどい人種だ。自分の憂さ晴らしのために、だれかの生き方を、人生を否定する。「一斉に」というのが恐い。人々のアドレナリンの量が政治を、経済を、生活を大きく変える世の中になってしまった。悲しいかな、それは喜ばしいことより、バッシングの方がはるかに大きくて強い。亀田3兄弟には、地道なチャレンジをしてもらいたい。これからどんどん実力もつくだろうし、精神力もアップする。「脚光を浴びた」という意味では、類い稀な逸材(ボクシングの実力だけではなく、人間として)なのだろうと思う。が、史郎さんは3兄弟を大成させることはできないだろう。彼より子どもの魂のレベルが上だからだ。兄弟は力を合わせて本物のボクシングを身につけ、精神力を鍛えてほしい。今回のことは、どう考えても、次男の責任ではない。長男は親父に毒されている可能性があるが、まだ是正はできる。いずれにしても、「金」は罪なものだ。 撃沈
2007.10.18
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ちょっとした症状が3週間ほど前からあり、2週間ちょっと前に違った異常を認知したので、きのう病院に行きました。あらかじめ予約をし、「ま、あしたでもいいか」という逃げができなくなるようにして、行かざるを得ない状態をつくった上で。質問事項がやたら多い問診票にいろいろと記入し、それをもって医者の問診を受けたところ、医者が意識したのは明らかに「ガン」だったと思います。いきなり、関係するガンの説明をし始めたのです。印刷物を見せられながら、だったので、インパクトはちょっと弱まったのですが、目を見ながらの話なら、結構きつかったと思います。その後、触診やエコーがあり、生検に至ったのですが、患者としてはある程度「覚悟」が必要な状況だったように思います。「ガン」はもはや特殊な病気ではないと思います。が、そうであってはいけないと思います(「不治の病」として神が与えた「天敵」だと思うから)。昔(戦前)のような生活をしていれば、「ガン」にかかる確率は「稀」の域に入れると思います。しかし現代社会は、食べ物、生活リズム、ストレス、自然環境……あらゆる条件が病的なのだと思います。人間の細胞一つ一つが持っている力を超えるような圧力をいつも感じながら生きているのではないでしょうか。というわけで、検査結果待ちです。来週には結論が出ます。いやな心境です。生きていくというのは、本当に大変です。そのときどきにいろんなことがあり、気持ちも力も尽くさないといけません。追い立てられるようにあくせく生きてきて、「さて、そろそろ自分がやりたいこと、新しいことを考えようか」と思った途端、この有様。で、言いたい。ニートとか、引きこもりとか、ネット難民とか言われている若者たち! 人生は本当に短いし、若いときに身につけるべき知識、マナー、モラル、知恵、技能はものすごくたくさんある。足踏みしている暇はない。足踏みしていると、後の人生が苦しくなるし、到達点も低くなる。社会に出た瞬間、人生を賭けて仕事をしなければならない。常に、全身全霊をかけて向かう。そうすれば、きっと何かが身につくし、それが生きる武器になる。「死」なんて、思ってもみないと思う。が、それは突然、思いもよらぬときにやってくる。それに直面したときに、できるだけ後悔しない生き方をするべきではないだろうか。「人生」など、本当に儚いものです。すごい功績を残した人も、世界を変えたような功績者も、犯罪・収監を繰り返したような極悪非道の犯罪者も、等しく「死」を迎えます。たった80年ほどです。ご来光を80回ほど拝めるかどうかです。元旦が曇りの日も、雨の日もあります。私は、「80回」が無理かもしれません。でも、すがすがしく、美しいご来光を一度見ました。海から直接上がってくる、まばゆいばかりのご来光です。それはもう、体の中が洗われ、力がみなぎるような。頭の中で、荘厳なBGMが流れてました。「地獄の黙示録」のテーマとか、ベートーベンとか、シューベルトとか。いろいろな意味でできなかったことがあっても、「できた」ことを思うと、結構幸せだったと思えるので、余り悔いはないかな。そう思うと、若い人には「悔いを残す悲しさ」を想像してほしいと思います。「当たり前」なんて、人生にはあり得ないということ。“明日、脇見運転していたトラックに轢き殺される”ことが、日常茶飯事に起きているという事実、突然難病にかかってしまう可能性、思いもよらぬ事件に巻き込まれる恐怖……、「自分に限って…」は甘過ぎる認識だということを認識しなければならないでしょう。小学2年生の女児がだれだかわからぬ男に刺される世の中です。せめて、少しでも「幸せ」を感じる機会をたくさん得てほしいもの。最近の人は「幸せ」の何たるかも知らないかもしれませんが。
2007.10.17
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人間は、基本的に卑しい生き物です。肥満の野生動物など見たことがありますか? 肥満は、人間だけの現象です。高度に発達した「脳」を持ってしまったがゆえの試練です。ただし、太り方には民族ごとに特徴があります。寒い地域の人種と暑い地域の人種、肉食人種と草食人種、狩猟民族と農耕民族など。食物に対する体内の機構が違うので、太り方の明確な違いがあります。日本人以外の民族のことは置いておいて、日本人について見てみましょう。日本人は草食人種で農耕民族です。基本的に「ベジタリアン」でも生きていける体質です。タンパク質は豆類から、脂肪は植物性油脂(ゴマやコーンなど)から摂るのが基本。ゆえに、動物性のタンパク質や脂肪には特に反応してしまいます。余談ですが、アラスカの人々は「植物」類は食べません。極寒の大地では育たないからですが、海のほ乳動物(アザラシ、クジラなど)の血液からビタミン類を吸収したり、タンパク質をビタミンに変える酵素を腸内に持っていたりして、植物類を摂らないことは問題ではありません。また、農耕民族は、「節約遺伝子」を持っていて、収穫期に不作だった年は“食べられない”と認識して、脳がエネルギーの消費を極限まで抑えることができます。 気づきました? 「ダイエット」を覚悟した瞬間、“食べられない”と認識して、脳がエネルギーの消費を極限まで抑えるのです。そう、「節約遺伝子」の存在が、ダイエットを難しくしているのです。そんな日本人におすすめのダイエット法が、「満足ダイエット」。「ダイエット」と聞くだけで「我慢」と感じ、脳は「飢餓」状態を感じます。“入ってくる食料(エネルギー)はできるだけ吸収しよう”と、体内の細胞を栄養の吸収と消費の節約に向かわせます。これを抑えるのが「満足感」。食べたいものを、食べたいだけ食べ、食べ終わったときに「あー、おいしかった。満足、満足」と声に出して言うのです。すると、脳は正常に働き出し、過剰なエネルギーの摂取をやめます。最初は、「食べたいだけ」をつかむのが難しいので、ついつい食べ過ぎてしまうのですが、しばらく続けていると、必要量を食べたところで、ピタッとやめられるようになります。1ヵ月続けると、2~3kgは減ります。多い人(日常、食べ過ぎ傾向の強い人)なら、4~5kg減るとか。ちなみに、朝昼夕のどの食事で実施してもいいのですが、やはり、ゆっくり食事が楽しめる夕食がいいのではないかと思います。一般的なダイエット法は、「昼にたくさん食べて、夕食の量を控える」と言いますが、それは、エネルギー消費量や代謝を考慮してのこと。「満足ダイエット」なら、朝と昼をしっかり食べている人は、夕食は小食になるし、逆の場合はしっかり食べたくなります。効果を考えると、朝と昼はきちんと食べた方がいいかもしれません。が、余り気にする必要はないと思います。ただ、夕食で「満足ダイエット」を実行する場合は、内臓への負担等を考えて就寝の3時間以上前に食事を終えているようにしたいもの。このダイエット法で注意したいのは、「食事」以外のことでストレスを持たないこと。「禁煙」や「禁酒」「禁甘」など、過度のストレスがかかる行為を実行しているときには、実行不可です。「ダイエットは生涯で1回だけ」と言われます。それは、「ダイエット=飢餓」→「リバウンド」を何度も経験するうちに、栄養の吸収率がどんどん上がってしまうから。「満足ダイエット」は、吸収率に全く関係ないので、ダイエットの失敗経験がある人でも大丈夫。また、同時に実施するとさらに効果的なのが、「食べたものをリスト化する」というもの。太る人はやはり「間食」が多く、カロリー量で言うと、食事を超えることも多いとか。文字で見て食べたものを自覚すると、確実に減らすことができます。二つのダイエット法で、「食欲の秋」をクリアしよう!!!
2007.10.14
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大阪人が日本じゅうから毛嫌いされる理由の一つに、大阪出身の有名人のイメージの悪さがある。政治家なら、松浪健四郎。国会本会議でヤジを飛ばした偽メール事件の永田議員にコップの水をぶっかけたことで知られる、現代版ちょんまげのおっさんだ。最近では、文部科学副大臣として、日本相撲協会の理事長と面談したり、稽古場を視察したりしたことでメディアに乗った。脂ぎった顔と粘っこいしゃべり方は典型的な泉州系大阪人だ(大阪は、大別して北部の「摂津」、中東部の「河内」、南部の「泉州」と、大阪市内と周辺の「船場」に分類されます)。タレントならやしきたかじん。いま、東京での露出はあえて控えているようなので、東京在住の方は余り知らないかもしれないが、毒舌で有名な大阪出身の歌手でタレントだ。ちなみに、姓:やしき、名:たかじん、だ。大阪では絶大な人気を誇る。歯に衣着せぬ発言やほかのタレントでは決して聞けないような突っ込んだ質問を大物タレントや政治家にしたりする。もちろん、事前の交渉などがあるかもしれないということは否定しないが。放送コードにひっかかる暴言や、酔ったままのテレビ出演などは日常茶飯事のやしきたかじんは、中途半端なことや、裏表の嫌いな大阪人には大ウケだ。こんな逸話がある。大阪一の繁華街「北新地」ではしごするのが日課のたかじんが、あるクラブを出たところ、ビルの前に停車していたタクシーの運転手がたかじんに「乗ってってくださいよ」と声をかけた。「おぅ」とタクシーに乗り込んだたかじんが、「隣のビルまで」と告げ、たった10メートルほどのところでタクシーを降り、1万円を支払ったという。また、こんなこともある。いかにも「ボッタクリ」のスナックをわざと訪れ、ビール中瓶2本を開けさせた直後、「お、帰るぞ。勘定せぇや」と黒服に告げる。「5万円です」黒服が平然と言う。ビール2本で5万円!!! が、たかじんの反応は意外なものだった。「おいこらっ! 仮にもボッタクリと言われとるんやったら、10万くらい請求せんかぁ!」と10万円たたきつけて店を後にする。思わず黒服が「ありがとうございます!!」と謝辞を述べたそうだ。聞くだけですっきりする。しかし、行動は豪快だが、気はすこぶる小さい。神経質で気にしいだ。それも大阪人らしい。こんな、愛すべきたかじんだが、東京人にはすごぶる評判が悪い。東京人にとっては、最もいやな人種のようだ。スポーツなら、亀田親子。あれはいけない。行き過ぎだ。パフォーマンスの域を超えている。大阪人でも不快に思う。こともあろうにスポーツマンが、15歳も先輩の、しかも世界チャンピオンに「ゴキブリ」はないだろう。しかも、親父も同じようにやる。常軌を逸したアホとしか言いようがない。たとえ、今回の試合に勝っていたとしても、栄誉を讃える気にはならない。「内藤までも屈したか……」と思うだけだ。八百長疑惑がくすぶり続けることだろう。しかし、負けた今、やはり八百長疑惑が再燃する。これまでは、わけのわからない外国人選手だったから勝てた(金銭が介在しようがしまいが。していたと思うが)のだ、と肯定したようなものだ。三男に期待していた私にとっては少々ショックだが、このまま抹殺されるか、社会的制裁を受け、何らかの方向修正を余儀なくされるのは確実だろう。もし、これまでのまま存在し得るなら、テレビ局の陰謀だろう。いまどき40%もの視聴率が取れるスポーツ番組は皆無なのだから。とまぁ、大阪のイメージを悪くする人物たちは、ことごとく目立つ。そのせいで、日本国じゅうの人が真実の何倍も大阪人に悪い印象を抱く。が、概ね正解だ。基本的に「知的」ではなく「本能的」で、「理論的」ではなく「感情的」で、「論争」ができなくて「言い合い」になり、「言語」が少なくて「脅し文句」と「ゼスチャー」が先行し、言いたいことが我慢できず、言葉を選ばず、言ったことが思いもかけず他人批判や悪口と誤解されたり、非難されたりもするが、余り意に介さず、常にバカ笑いをしている。ボケには必ず突っ込み、話には不思議とオチがあり、一般人さえも劇的に面白いエピソードを必ず幾つか持っていて、ここぞ、という場で披露できる。ここ3回、大阪人の生態を書いてきたが、まだまだ言い足りない。日本じゅうの方々が大阪人に対して抱いておられる誤解を解くべく……、無駄なような気もするが。 自爆
2007.10.13
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昨日から東京に行っていた同居人が帰ってきた。母方の実家に用があって行ったのだが、大阪に戻ってくるなり話し出した。「山手線に乗ってたときのことやねんけどな、立ってるボクの前の女性が立って席があいたんやけど、スペースが狭いからどうしようか、と思ってたら、すかさず横からボクを押しのけて座った若い男がおったんや。若いくせに、しかも東京人のくせに、がめつい奴やな、と思ってたら、そいつの連れとしゃべってる言葉を聞いて……バリバリの大阪人やった」予想通りの展開だった。以前、新宿のアルタの近くを歩いていたとき、一方通行の道路にかかる横断歩道の信号が赤なのに、平気で渡っているおぼちゃんの4人組がいた。服装も派手だし、道を塞ぐ歩き方も下品な感じがして、いやな予感がした。当然のことながら、車からクラクションを鳴らされる。「ギャッ!!! いややわぁ! ギャハハハハハハハ」大阪人である。これは、いまから10年以上前の出来事なのでかなり顰蹙を買っていた。が、さんまさんや鶴瓶(『つるべ』です。『つるべい』ではありません。東京の方、お気をつけを)さん、紳介さんのおかげで、大阪弁や大阪人の行動がある程度認知され、受け入れてもらえるようになった。以前はひどいものだった。東京で大阪弁のイントネーションを披露しようものなら、果てしなく冷たく、蔑む目を向けられたものだ。というような、関西出身の芸能人のおかげで大阪人は地位を得て大きな顔をしながら各地に深く潜行している。東京でも、北海道でも、福岡でも、傍若無人に振る舞っていることだろう。近くにいる人のすべてに「がめつい」「厚かましい」「恥知らず」「ケチ」「能天気」……など、エゲツない言葉を思い浮かべられながら……。嗚呼、大阪、大阪人。きょうも大阪人は、日本全国で顰蹙を買う。 玉砕
2007.10.12
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今年春の特番で好評だったのか、視聴率が取れたのか、同じコンセプトの番組がレギュラー化した。日テレ系・木曜21時からの1時間番組「秘密のケンミンSHOW」だ。そこに住んでいる者にとっては、当たり前過ぎてあえて考えることもないようなことが、他地域の住民にとっては驚愕に値するようなことが続々紹介されて、結構面白い。他府県のことは、ちょっと恥ずかしい習慣や、あり得ないような伝統も他人事として笑いながら見ていられるし、紹介されている地域に近い文化が地元にあれば、そのつながり方や源泉について思いを巡らしたりして、興味深く見ていられる。が、地元「大阪」が取り上げられたときは、実に恥ずかしい。他府県とは質を異にする切り口で、格好悪いネタばかりが紹介される。「大阪人は、一生懸命な人を見ると、『必死のパッチやなぁ』と言う」「就寝時、『寝る』とは言えず、必ず『屁ぇこいて寝よ』と言う」そんな、言葉の悪さに関するネタが多い。私は大阪生まれの大阪育ちだが、どちらも言ったことはない(念のための言い訳)。きょうは、「大阪人は、小さい“っ”が好き」「有名人がたくさんいる」というネタだった。「松茸」を「まったけ」と読むとか、「松屋町(まつやまち)」を「まっちゃまち」と読むとか、これは知らなかったが、清涼飲料水の「アクエリアス」を「アックエリアス」と読む人がいるというものと、街行くおばさんに「お母さん、もしかしたら、松阪慶子さんですか?」と聞くと、「そうです」「姉です」「よく言われます」「バレたぁ?」などと、平気で返してくるというものだった。どちらも正しい。私はそれに当たらないが(しつこく言い訳)、そういう人が多いのは確かだ。が、突っ込み方が半端だ。もっとスゴい。ネタをつけ加えたい。「小さな“っ”が好き」については、「臭い」→「くっさぁ~」「すごい」→「げっつい」「ものすごく」→「もっそい」「薄い」→「うっすー」「辛い」→「かっらー」が、“っ”を抜く言葉もある。「酸っぱい」→「すい」「いってしまえ」→「いてまえ」「買った」→「買うた」いずれにしてもモッチャリしている。年寄り臭いが、若い人間もこういう言葉遣いをする。「街行くおばさんに『松阪慶子さんですか』と聞く」というのはそのとおりだが、意外にシャイな反応があるのも確かだ。「おかあさん、お若いですね」と言うと、「あほやから」と返してくる。「若く見えるのは頭が悪いから」という社会通念を大阪人は持っている。謙虚ではないか。また、「おかあさん、きれいですね」と言うと、「何も出ぇへんでぇ」と照れた表情でやり返す(「出ぇへん」というのは、お金やおいしい食べ物など、言った人が欲しいと思っているもの)。かわいいではないか。しかし、何もかもひっくるめて、「大阪人は下品」「大阪人はがめつい」「大阪人はケチ」「大阪人は厚顔無恥」「大阪人は前へ、前へ出ようとする」と思われているのはちとつらい。確かに、大阪だけは別の「国」のような特異な文化を持っている。ニュース番組の街頭インタビューを見ると、東京の人とは明らかに違ったコメントをする。世間の声や風潮、時代の趨勢など全く無視し、自分の思ったこと、感じたことだけを口にして恥じない。常識人や識者なら眉をしかめるだろうことでもだ。映像を編集する人間も、それを見越している。大阪人の特異性が発露する発言だけを集めているように思えてならない。こうして大阪は、全国的に「いやな人種」になっていく。そう思った人は住んでみてほしい。これほど住みやすい街はない。噂話やタレ込みが横行し、「情報の秘匿」が極めて難しい。ゆえに、互いに犯罪を犯しにくい。困ったときは、確実に助けてくれる。「おせっかい」の域を超えてしまうことは覚悟しなければならないが。嗚呼、大阪、大阪人。世界最強の人種だろう。 自爆
2007.10.11
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放送局の質と実力をあらわすのは「報道番組」だと思っている。情報収集力、想像力、取材力、構成力、表現力、訴求力のすべてが必要で、それをコメントするアナウンサー(局員)の質が最も問われるからだ。その「報道番組」がいけない。まず、「次です」に違和感を感じる。次の情報に移るときに言う。必要だろうか。音声のインターバルと、映像のスイッチがあれば、わざわざ言われなくても「次のニュースに移るな」とわかる。が、どの局でも、トレンドであるかのように「次です」と言う。どう考えても、この言葉が必要だとは思えない。また、「次は、福田首相が予算委員会で発言、です」といったような、ヘッドライン読みにもイライラする。久米宏さんは、“テンポアップのため”“メリハリをつけるため”からだろうが違和感がある、と発言されていた(と記憶する)。漢字や慣用句もきちんと読めないし、当たり前の表現ができないくせに、「うかがい知ることはできません」「見て取ることはできません」といった、日常生活では決して使わない言葉を使っている。しかも、どの局のアナウンサーもご多分に漏れず、に。言葉に「心」や「信念」がこもっていないし、言葉で伝える「使命」感が見えない。発言しているアナウンサーがバカに見える。それから、料理番組の「ていく」も耳に障る。「お醤油を入れていきます」「強火で炒めていきます」「盛りつけていきます」何でも「ていく」らしい。「お醤油を入れます」「強火で炒めます」「盛りつけます」でいいではないか。なぜ「ていきます」と言う必要があるのだろう。以前にも書いたが、「どっちの料理ショー」が根源で、料理界のトレンドになってしまったのだろう。確か、大阪の調理師学校の講師たちが、日テレのスタジオ(局内かどうかは定かではないが)で調理していたと思う。リアルタイム感を出すため、臨場感を出すため、手順説明にアピール力をつけるため、ということかもしれないが、日本語をおかしくしてしまったことは確かだし、それをマスメディアでやってしまい、世の中に影響を与えてしまったことを反省してもらいたい。最近、「てにをは」がおかしい。「福田首相がやっていただいたことは確か」などと言って平気だ。「福田首相がやってくださったことは確か」「福田首相にやっていただいたことは確か」のどちらかだ。アナウンサーやタレントの発言に一々イライラしていたら胃がおかしくなるので、知らぬ顔をすることにしているが、CMだと我慢できない。短期の集中投下型CMなら何とか我慢するが、1ヵ月も続くようなら、たまらずスポンサーに連絡して指摘してしまう。「立ち振る舞い」をキーワードにした携帯電話のCMがあった。正確には「立ち居振る舞い」である。意味は、『立ったり座ったりする動作に伴う、体のこなし。体の動かし方。起居動作』だ。「立ち」「居」「振る舞い」どの語もはずせないことがわかる。「立ち振る舞い」という言葉も辞書にはある。が、これは、「立ち居振る舞い」を正確に言えない国民が増え、慣例化してできた俗語である。そんな言葉をテレビのCMに使って平気なのか。当該のスポンサーにぶつけた。「立ち振る舞いという言葉も辞書にありますので」という回答だった。代理店のコピーライターが諸悪の根源だが、その間違いを指摘できないディレクターやスポンサーはもっと悪い。そんなことだから、「宣伝」の質が落ち、価格が下落し、きちんとした仕事をする我々が窮するのだ!!!イライラしつつ、悲哀がこみ上げてきたので、この辺で……。 自爆
2007.10.10
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連日、大食い女王・ギャル曽根ちゃんがテレビ番組に登場している。年齢:21歳/体重:46kg/身長:160(アバウト)だそうだが、豪快な食いっぷりを見せてくれる。一度に寿司は180巻以上、ラーメン10杯以上、エビフライ100本以上、カレーやお茶漬け、トンカツなどはkg単位の計算になる。すごい。すごい以上のものだ。数年前、真似をした中学生の死亡事故があってから下火になっていた「フードファイター」たちと確実に違うのは、食べた後“吐かない”ということのようだ。基本的にたくさん食べる体質らしい。それは、家族全員だそうだ。それに、ヤツらのように苦しそうに食べるということがない。実においしそうに、うれしそうに食べる。食べた後も、平気で番組出演している。美人ではないが、肌がきれいでかわいい。愛嬌があるし、態度が謙虚、性格に裏表がなさそうだ。そんなギャル曽根ちゃんがいま大人気だ。なぜだろう。彼女は確実に脳下垂体の食欲中枢が狂っているし、胃袋の膨らみ具合、便通の状態からして消化器系も特異といっていい。それは決して“うらやましい”という類いのものではない。が、豪快な食べっぷりは、見ていてただ単に気持ちがよく、その理由や彼女の体調、その後のことなど考慮はしていない。日本人は、とにかく「大食い」に、並々ならぬ憧れを抱いている民族なのだろう。“自分は食べられないが(許容量の問題もあれば、ダイエット、健康上、経済的、病気その他もろもろの理由で)、あれだけ食べられたら幸せだろう”と思う。それは、“食べられない”民族だからだ。日本人は「農耕民族」だ。不作の年は、食べられない状態に陥る。そこで、「節約遺伝子」が働く。“食べられない”状態に危機感を感じると、エネルギーの消費を最小限に抑える。つまり、“食べなくても生きられる”という方向に向かってしまう。しかし、アメリカ人のように「狩猟民族」は“食いだめ”ができる。獲物を得ることができない間は食料を口にすることができない。その期間を乗り切るために、食いだめをしておけるのだ。が、食いだめ体質をフルに生かした過剰な食料摂取が肥満につながり、アメリカでは社会問題になっている。それは置いておくとして、日本人が大食いできる人に憧れる理由は、こうしたことではないかと思っている。しかしながら、一般人がそんな量を食そうとすると、膵臓、胆のう、肝臓がやられてしまう。インスリンや胆汁の分泌に障害を起こし、脂肪肝から肝硬変になって重大な病を引き起こす。インスリンや胆汁などといった分泌物は、生涯に分泌できる量が個体によって決まっているという説もある。「大食い」は、見るだけにとどめておくのが得策のようだ。 自爆
2007.10.09
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自宅で窓を開けて過ごしていると、キンモクセイの香りが侵入してくる。最盛期はもう少し早かったように思っていたが、今年はいつまでも暑さが続いたので、開花が遅れたのかもしれない。日本には四季がある。梅雨も入れて五季といってもいいかもしれない。そして、それぞれの季節には、必ず変わり目がある。これが厄介だ。日照時間の変化、湿度・気温の変化、食材の変化、その他さまざまな自然条件の変化が、目に見えない形で人間の体に影響を与える。気温の変化で風邪を引いたり、花粉のためにアレルギー反応が出たり、食材の変化によって消化器系に変化を来たしたり、ホルモンバランスが狂って、精神面や循環器系に異常が起こったり……。この類いの話としては春の方が注目されるが、秋もかなりなものだと思う。早い時間に夕焼けを見たり、高い空を眺めたり、散りゆく花や葉、枯れてしまった草木を見たり、夏の間、あんなに激しく鳴いていたセミの亡き骸を目にしたり、空を飛ぶ鳥の種類が変わってしまったり、薄くなったカレンダーを目にしたりすると、悲しいというか、哀しいというか、焦燥感を感じるというか、何とも言えない気持ちになる。この時期に「心の病」を抱えてしまう人も多いのではないだろうか。マスコミの仕事をしていると、3月から4月にかけてと、9月から10月にかけての時期に大きなストレスを感じる。改編期だからだ。レギュラーの仕事がなくなったときは、その分の収入を得る新たな仕事を探す必要があるし、新たな仕事が発生したときも、早急にそれに対処しなければならない。そんなときに限って、家族に問題が起こったり、親戚の結婚式や葬式に呼ばれたりする。というわけで、気分が沈みがちだ。仕事がしたくない。かといって、のんびり旅行するような気分ではない。「経営」という差し迫った問題がある。秋には必ずつくるクリームシチューをつくったので、とりあえず体をほっこり温めよう。いろいろ考えるのはその後でいい。柔らかく煮えたチキンと、ホクホクのじゃがいもを食べれば、少し気持ちが楽になるに違いない。ふぅ。。。 悲哀
2007.10.08
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我が家の近所で事件が勃発した。コンビニエンスストアで万引きした男二人を追いかけた店員が刃物で刺されて死に至ったというものだ。店員は、刺されてなお、犯人を追いかけたという。犯人は、待機していた軽乗用車に一人が飛び乗り、一人は走って逃走した。目撃者がいたので、逃げ切れないと観念したのか、警察署に二人は出頭したそうだ。まだ10代だという。「万引き」は、通称で、刑法で言うと「窃盗罪」だ。以前(去年まで)は10年以下の懲役だけだったので、起訴するのを躊躇する警察や検察によって、万引きした代金を当該の商店に支払い、説諭を受ければ解放されるという、極めて甘い処分だった。が、罰金刑が新設され、「50万以下の罰金」が加わったことにより、起訴される事例が増えた。が、所詮、「略式命令」に過ぎない。“カネでケリをつける”的な、安易な処理の仕方が、犯罪の重大さを誤認させ、再犯を助長する。今回は、安易な気持ちでバカな若者(しかも酒を飲める年齢に達していない)が缶ビールなどを万引きしたようだが、刃物を持っていたために店員を殺害した。罪名は「窃盗罪」から「強盗殺人」に切り換わった。「強盗」も「殺人」も「重要犯罪」に分類され、それを犯した者は「凶悪犯」となる。ほかに、「強姦」と「放火」が同類とされる。決して、偶然に発生するものではない。犯した者は、常人ではないと分類されてしかるべきだ。常人ではないから、人を殺めたり、物を強奪できたり、女子を辱めたりできるのだ。今回の犯人は「重犯」だ。「強盗」と「殺人」が適用される。確実に、「罰金刑」では許されない。懲役刑が適用されるのは確実だし、もしも、前科前歴があれば、さらに罪状が悪くなるのは致し方ない。罰金数十万円で済むところが、ナイフ一つで懲役十年以上になる。経済学者が言った。「なぜ、犯罪者が発生するのか、を考える前に、なぜ、犯罪を犯さない人がいるのかを考えることだ」と。それが、事の本質だと思う。人間は、放っておくと犯罪も犯すし、自分の利益や幸福を貪る。しかし、人間は言葉を持ち、教育を行い、それを受け入れる能力がある。「現代社会で犯罪を犯すことは、自分が幸福になる行為に反する。犯罪を犯すことは、激情を満たす快感と比較して割に合わない」と思わせる教育や社会の認識が最も重要だということだ。教育がいけない。意味のない年齢で「権利」を認め、「自主性」を求め、「責任」を預けてしまう。無理だ。10代ですべてを与えられると、いまの人間は崩壊する。知識も、肉体も、精神力も未成熟な人間に、何も与える必要もないし、与えられた子どもは、迷って、悩んで、おかしくなる。親も、教育機関も考え直されたし。司法は結果しか裁かない。犯罪を犯さない者を守ってくれる者も組織もない。結果をつくるのは、子どもを守るのは、家庭であり、学校であり、社会である。万引きが強盗殺人……日本は、家庭は、学校は、早急に考え直し、方策を考えるべきである。
2007.10.07
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仕事で、「相撲」について調べる機会があった。その中で、いま問題になっていることの根源が少し見えた気がする。相撲の始まりは邪馬台国の時代だという。古墳時代には、力士の土偶が古墳から出土している。魂を癒す存在だったということだろうか。日本書紀には明確な記述がある。エジプトなど中東にも原型を見ることができるが、日本の相撲は中国から伝わったもののようだ。そのころの相撲は「神事」で、神前に奉納されるものだった。これはまさに「文化」であり、「競技」ではない。これが「興行」の要素を含むようになるのが江戸時代。「神事」の外見を残しながら、寺社の建築や改築の費用を稼ぐために寺社の敷地で見物人を集めて行われた。いまで言う「地方巡業」の原型だ。そうすると、ショー的な要素が加わり、力士はタレント的な存在になる。が、「神事」を執り行う神に近い存在であり、武士であるという精神は生き続けた。ゆえに、明治維新の世、“時代遅れ”“野蛮”という理由で廃れかけたときにも「髷」を結うことや廻し姿を貫き通した。おかげで、平成の世でも髷や廻しが伝承され、相撲の文化と威厳を保っている。いまの人間には理解できないが、「相撲」は「神事」であり、「力士」は「武士」だという信念が、いまも相撲界には生きている。最高位の「横綱」になった者は、果てしなく「神」に近いということだ。ゆえに、文科省の大臣が北の湖理事長に最敬礼したし、北の湖理事長は、いつまでもマスコミに対して不遜な言動を取り続ける。「神の私に、軽々に話しかけるな」という気持ちがあるし、「下界と角界を同じレベルで扱われていいわけがない」と考えている。つまり、浮世離れした世界を保ち続けているのだ。それは悪いことだろうか。最近、一般国民はすべて自分の立場や目線で物事を見るようになった。「そういう世界もあるんだな」「自分たちとは違うんだな」と一歩引いて見るということがなくなった。「我々はこんなに苦しんでいるんだから、公務員も……」とか「我々はこうしているんだから、政治家も……」とすべて自分を基準にして考える。相撲界を維持しようとすれば、一般人に想像もできないような組織や思想、信念が必要になることは確かだろう。そこに籍を置く力士も、究極の鍛錬や修行や忍耐が必要だろうと思う。「時代に合わない」と言われれば、そうに違いない。が、それで変容したら、連綿と続いてきた相撲(相撲道と言うこともできる)は消滅するだろう。そうした声は、乗り越えてきた各時代にあったに違いない。一般人がそれを強要することがいいのだろうか。カラーテレビの普及で廻しが色とりどりになったり、力士がTV番組に登場して庶民に親しまれるようになったり、力士の私生活が明かされたりと、時代の変化に合わせてある程度変化してきている。それくらいは致し方ないと思うし、必要な変様だろう。問題は、「力士」になろうとする人間の質が変容していることだ。弱い。精神も肉体も。力士のぶつかり合いを生で見たら度肝を抜かれる。頭同士がぶつかって、ゴツンとものすごい音を立てる。土俵からものすごい勢いで落ちる。顔から、頭から、尻から、肩から。しかも、100kgを超える力士が上から被さってくるのだ。日頃の鍛錬がないと死んでしまうだろう。それゆえの、ぶつかり稽古であり、股割りであり、しごきなのだ。今回、残念にも亡くなってしまった男の子には、稽古場以外の場所でのリンチがあったようなので、これは断じて許されないだろうが、「かわいがり」「しごき」などといった、一般人の常識を逸脱したような稽古が必要なこともまたしかりである。「力士」を志す人間には、精神修養の場をきちんとつくるべきだろう。いまの学校教育や家庭のしつけでは、角界で生きていくのは難しいし、度を超したシゴキ、いや「イジメ」も行われてしまう。「相撲道」という精神世界は、日本人でないと理解できないものだと思う。外国人は「食べたい」「稼ぎたい」「有名になりたい」「豊かになりたい」というハングリー精神で耐えられるのかもしれないが、「神事」であった「相撲」を理解することはないだろう。力士は文化の継承者としてのプライドと誇り、そしてそれに見合う報酬と引退後の生活を用意し、きちんと教育すること、そして一般人はそういう世界への理解をすることが必要だろう。日本を代表するスポーツであり、文化であり、エンターテインメントなのだから。ちなみに、相撲は「国技」だが、相撲だけが国技なのではない。日本の「国技」は「格闘技」で、「柔道」「相撲」「剣道」「弓道」など複数の競技を指す。が、その成り立ちから考えると、唯一の「国技」としてもいいように思う。そんなことを考える秋の夜長である。 合掌
2007.10.06
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先日、実家と行き来するために名阪国道を走った。名阪国道というのは、大阪から名古屋に通じる道の一部で、大阪から「西名阪自動車道」「名阪国道」「東名阪自動車道」という順序で並んでいる。西名阪と東名阪は「高速道路」だが、名阪国道は文字通り「国道」だ。途中の出入りは自由だし、料金所はない。しかし、「サービスエリア」ならぬ「ドライブイン」が幾つかある。自動車専用道路だし、信号も全くない。いわゆる「準高速」ということだが、制限速度は60km/hだ。大阪、名古屋それぞれから高速道路を走ってきたドライバーが、名阪国道に入った途端、真面目に60km/hで走るだろうか。大阪から名古屋に行くには、ほかに「名神高速道路」がある。名阪国道を使った場合、2,300円程度で行けるが、名神を使うと5,000円以上かかる。名古屋高速などに乗ってしまったりすると、6,000円を超えてしまうのだ。という事情があるので、名阪国道を通行する車両は、トラックが極めて多い。トラックは速度にムラができる。名阪国道のように幾つもの山の中を走る道では、登りでは極端に遅くなり、下りでは惰力がついて速度が上がる。一般道であるにもかかわらず、「走行車線」と「追い越し車線」がある。トラックは少しでも早く走りたいから、車線変更を繰り返す。が、トラックの加速は時間がかかる。勢い、追い越し車線がトラックで詰まる。大体だが、走行車線は80km/h前後、追い越し車線は100km/h前後の速度が出ていると思う。平日なら、この速度で走っていて渋滞するのは、朝夕くらいだと思う。これ以下の速度になると、走行しているドライバー全員が容認しない限り、変なよどみができるだろう。例えば、走行車線が60km/hで、追い越し車線が100km/hになっていたら、走行車線から追い越し車線に入った車のせいで、かなりの渋滞が引き起こされるだろう。1台の車を追い越すだけならまだいい。車列が長くなれば、それだけ前に進まないといけない。トラックだと最悪だ。そんな状態に遭遇した。工事の表示もなく、渋滞する時間帯でもないのに、左右の車線の車の動きがピタリと止まった。皆がハザードを点滅させた。「事故?」事故なら左車線の路肩に車両を移動するのが通例なので、走っていた右車線でいいと判断する。が、車体が大破するほどの事故なら、すぐさま通行止めになってしまう。早く通過したい、と焦った。15分も10km/h以下という状態を続けただろうか。前方が開けているのを確認した。が、その手前はトラックでぎっしり詰まっている。なぜ?間もなく理由ははっきりした。50歳くらいのおばちゃんが運転する車を追い抜こうとするトラックや乗用車すべてが、追い越し車線に入ってくる。つまり、1車線の状態になっているのだ。最初から1車線なら問題ないが、2車線分の車がたまってしまった状態では、いかんともしがたい。なぜそんなことになったのか。おばちゃんは制限速度内で走っていたからだ。法律的にはおばちゃんが正しいだろう。が、状況判断をすれば、迷惑千万である。しかし、文句は言えない。あおったり、クラクションを鳴らしたりすれば、こちらが違反行為を犯したということになる。横を通過するとき、おばちゃんを見た。コンソールボックスに肘をつき、片手運転で「へん! あんたらがおかしいのよ!」と言うような顔で運転していた。名阪国道ってどうよ!? である。が、貧乏人にとって名阪国道は、どんなに我慢しても使わねばならない利用度の高い道なのだ。ストレス覚悟で通るしかないのだろう。 撃沈
2007.10.05
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朝、何気なしにつけていたテレビ画面に、沢尻エリカが映っていた。な、泣いている! 何があったのだ!!! どうやらテレ朝の情報ワイド番組でインタビューをされたようだ。インタビュアーはメインキャスターの珠ちゃんで、これがどうも生温い質問ばかりするのでどうなることやらヒヤヒヤした。相手は「エリカ様」だ。大阪のベタベタな女子アナウンサーだった珠ちゃんにはちと重荷だったと思う。が、あにはからんや、エリカ様は2時間に及ぶインタビューに答えた。相当な我慢と忍耐を強いられたことだろう。スターダストの幹部からの指令と画策があったようだ。最後に、沢尻エリカは大粒の涙を流した。質問は、「ファンの皆さんに言いたいことがあるならどうぞ」というものだった。かなりのバッシングがあったのかもしれない。言葉を発すると同時に涙がこぼれそうになるからなのか、10分間も沈黙が続いた。結局、沢尻エリカは何も言えなかった。珠ちゃんが意味のわからないことをいろいろ言いながら終わった。もらい泣きまでしながら。最後は笑顔だった。珠ちゃんと握手していた。にこやかに。演技だったのかもしれない。それくらいの演技はできる女優だろう。それはそれでいい。芸能界など、そんなものだろう。問題は、なぜ珠ちゃんだったのか、ということだ。珠ちゃんは、例の舞台挨拶の当日、舞台挨拶後にインタビューする予定だったが、ドタキャンされた、といういきさつがあった。珠ちゃんは番組内で「貸し一つ、ということで」と発言していた。沢尻エリカはこれを利用してインタビューに入った。意外なほど自然で和やかな雰囲気だった。おかしい!インタビューが極めて難しい女優だったはずだ。インタビューの下手な珠ちゃん相手にそんな優しい態度はないだろう。事務所に仕組まれたのだと思う。司会の富永美樹も、共演者の竹内結子も同じスターダストの所属だ。事務所として収拾しないことには、世間の非難は免れることができないという状況になっていたのだと思う。(所詮大阪出のアナウンサーで、緊張することも構える必要もない珠ちゃんだったので、利用し放題だったということなのかもしれないが)ちょっと痛々しかったが、涙を流した顔が美しかったので、ものすごくいいプロモーションになっただろう。マスカラが流れることなく、ファンデーションが溶けることなく、しかも鼻水まで美しかった。女優だ。すべてが仕組まれたストーリー→不敵な態度は本当で、事態の収拾が必要なので、シナリオをつくった→何もかも本当!!何でもいい。沢尻エリカという女優の存在感はここ数日で証明された。(ネットのサーチエンジンの投票で、『今回の件(試写会の舞台挨拶)で、沢尻エリカを嫌いになった・好きになった』というものがアップされていて、結果は70%以上が“嫌いになった”に投票していた。ちなみに、“好きになった”はわずか4%だった。よくも悪くも注目される女優だということだ)そのことに自信を持っていいと思う。女優として。表現者として。が、願わくは、「女性」としての「美しさ」の本質を知ってもらいたい。それを知れば、百人力の女優になれると思う。それを知るには、もっともっとつらい経験をして、社会における人間としての力を得、ささやかな幸せや女性の喜びを知り(“恋をすると少女になる”、と発言しているそうなので、少女の心で喜びを実感してほしい)、自分の力ではどうにもならないこと、諦めざるを得ないことに直面して諦めと打開策を見つけ出すこと、人に頼るふがいなさ、涙を見せる情けなさをあえて冒して心の幅を広げるということをやってもらいたい。将来、大女優になる可能性を秘めた逸材だと思う。が、すぐに終わってしまう危うさも併せ持っている。すべては彼女次第だが。芸能界とはそういうものだ。別に、何の権利もないのだが、一つだけ忠告したい。「タバコはやめなさい。タバコを吸う女性は、退廃的になってしまう。なぜなら、タバコは何ももたらさないことを知っているから」ただ、沢尻エリカは太りやすい体質だと確信している。アルジェリア系フランス人の血が混じっていることもあるかもしれないが、肉付きのよさからすると、気を許すとすぐに太るのだと思う。ゆえにタバコを吸っているのかもしれない。しかし、人間の体にとって「我慢」が一番よくない。人間最大のストレスだ。食べたいものを食べたいだけ食べればいい。「あー、おいしかった。もう食べられない」と思った瞬間、脳は正常に働き出して、不必要な栄養吸収を停止する。食欲中枢が正常に働いていれば、決して太らない。野生動物で“太り過ぎ”になっているのを見たことがあるだろうか。本能が正常に働けば、太ることはない。タバコなどでごまかすのは愚の骨頂だと心得たらいい。そんなことを言ったところで、エリカ様の考え方や心を変えられるとは思わないが、万が一の可能性で、このブログを見てくれたらいいなぁと思う。私が21歳のとき、失恋して1ヵ月に8kg痩せた。頑ななくせにもろく、精神的に不安定で弱く、虚勢を張るくせにガラスの心で、純粋なくせに“汚れ”を演じ、汚い手に汚されそうになって苦しむ。時代が違うので、そんな“おぼこ”ではないと思うが、所詮21は21だ。カメラの前では突っ張ればいい。唇の開け方、発声の仕方は「アバズレ」だ。それを通せばいい。清楚なエリカは芝居の中だけでいい。それが辛くなければ。エリカ様の倍の年数を生きているが、いつまでたっても答えの出ないことばかりだと実感している。秀でた才能を持ってしまった人間には、試練がある。そして、それが人生の肥やしになる。試練もなければ、チャンスもない人間ばかりの日本にあって、まさに選ばれた人間だ。 玉砕
2007.10.05
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【母の奇行】先週、母が行方不明になった。母の70余年の人生の中で初めての無断外泊だった。1本の電話も入れず、どこにどうして行ったのか、家族には全くわからなかった。警察に捜索願いを出したものの、夜中は何もできない。夜が明けてから捜索をするということだったので、夜通し眠れず、心配に心配を重ねた。幸い、27時間で戻ってきた。その間、何をしていたかは言及しないとして、この奇行には思い当たる節があった。前回(7月28~29日)に実家に帰ったとき、母の様子がおかしかった。表情もどんよりし、言葉も不明瞭で、直感的に「おかしい」と思った。そろそろ「認知症」に心配をせねばならぬのか、と、暗い気持ちになった。気にしつつ実家を離れたものの、そのことは次第に日常の雑事に紛れていった。父から母が戻らないという連絡が入ってから、大急ぎで取り急ぎの仕事を済ませ、実家に戻った。そこにいた母は、前回顔を合わせたとき以前の母に戻っていた。表情も眼光も言葉も、以前と変わらぬいつもの母だった。事の真相を聞いているとき、母がこんなことを言った。「あんたが来たよ。夜」「え? 夢に出たってこと?」「違う、あんたが来た」母が言うと恐い。「眠れないから、お母ちゃんの睡眠薬をちょうだいって」そういえば、最近眠れていない。夏バテではないかと思うが、本当に眠れない日々が続いている。しかも、母がいなくなった日は一睡もしていない。私がテレポーテートしたのか。ハッとした。前回、私は何かを憑けて帰ったのかもしれない。私の魂と一緒にそれが母に乗り移り、2ヵ月間母を苦しめた。それに耐え切れなかったのか、憑き物が導いたのか、とにかく母は行方不明になった。その思い切った行動がよかったのか、赴いた場所がよかったのか、何かの変化が母の中に起きて憑き物が落ち、私の魂だけが母の中に残った。私の魂は“眠れない”と訴えた──と考えたらつじつまが合う。家への帰り道、やはり私が母の中で何かを言ったようだ。「電話をしなければ」と思ったという。事の真相はわからない。一生解明できないかもしれない。もしかしたら、私の命が短いのかもしれない。母はそれを霊感で感じ取っているのか、はたまた、何か理由があって私を母の元に呼び寄せているのかもしれない。いずれにしても、近い将来、何かしらの変化が起こるような気がする。病院に行こう。 南無
2007.10.04
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この時期、季節の変わり目ということなのか、人の行動がおかしい。極めて不安定でかまびすしい。エリカ様も、この時期だから、おかしな状況になっているのかもしれないと思う(うそ)。冗談はさておき、季節の変わり目は、人間界は不安定になりやすい。春ほどではないにしても、おかしな人間が多数世の中に放出される。特に、電車の中はそうした人間の吹きだまりになる。で、ご迷惑な人間のランキングを勝手に発表!!10位:スナック高校生学校帰りの高校生が、車中でスナック菓子をザクザク食べていることがある。スナック菓子の破片をばらまくのもうっとうしいが、油や砂糖で汚れた指をシートになすりつけたり、スナック菓子の袋を座席の座面と背もたれの間に押し込んだりする。もってのほかだ。9位:デブ電車の座席を余分に分捕る輩だ。体が熱いので、近くにいたくない。デブな上に許し難いほどスペースを要する。が、ガリガリの隣人は何も言えないし、言ったところで何にもならないとわかっている。8位:強引おばさんとにかく自分勝手なおばさんが多い。わずかな隙間に尻を押し込む、おばちゃん同士で大きな声でダベる、混雑しているのに、降りたい駅の随分手前で立ち上がり、無理矢理ドアに近寄ろうと人の間をこじ開ける、電車を降りるときに前の人の背中をこづく、降りた後、どちらに行ったらいいかわからず人の波を乱す、電車待ちの列に知り合いを見つけて平気で列に割り込む、券売機の前でまごつく……、数え切れない無体、致し方なしか。7位:股開き男座席に座ってとにかく股を開く。左右のスペースがむだになる。あんまり腹が立ったので、私の同乗者に向かって、股開き男に聞こえるように「足を開くのは、足の長さをごまかしたいから? 股がゆるいから?」と聞いた。男はびっくりしたように股を閉じた。6位:ドア前立ちはだかり人間乗降客を阻止するようにドア付近に立ちはだかる人間。殴りたくなる。5位:エセスポーツマン(高校生)制服を着て、スポーツバッグを持ち(校名入り)、大勢で乗り込んできては、座席に座ろうとする。スポーツマンは足腰の鍛錬のために立っているのをよし、としたのは昔のことなのか。少なくとも、スポーツをしている高校生が座席に座り、お年寄りがその前に立っているという光景はいただけない。4位:咳とくしゃみ、し放題手でカバーすることなく、周辺住乗客におつゆをかけまくる3位:雑巾臭まだまだ昼間は暑いので、汗をかくのだろうが、汗と水分生乾きの雑巾臭がプンプン。加えて、肉食が進んだせいか、ワキガのすえた匂いも一緒に漂ってくる。強烈な攻撃だ。2位:「クソ」野郎「クソ」とは、そのものズバリ、ではなく、「ミミクソ」「ハナクソ」のことだ。電車の中でゴソゴソやるヤツがいる。座っていて、目の前に立っている男がやり出したときは、「クソ」が飛んできやしないかとヒヤヒヤものだ。こういう無神経なヤツは、必ず確保した「クソ」を床に落とす。しかも、匂いを嗅いでから。このときが要注意だ。エアコンの風に飛ばされて、こっちに飛んでこないかを注視したい。1位:デカリュックおやじ意味がわからないほど大きなリュックをかついでいるおやじがいる。スーツを着ているが、足元はスニーカーだ。背中のリュックでグイグイ押してくるが、本人にその感覚はないようだ。というか、そういうことに無神経なので、大きなリュックを朝の通勤電車に持ち込めるのだろう。おとなしそうで、ダサくて、チンケなおやじだから、とがめることもできない。番外:巨大ベビーカーママ最近、赤ちゃんの健康を考えてのことか、頑丈で大きなベビーカーが一般化しているようだ。折り畳むことなく、そのまま乗ってきて、大きな鳴き声を放つ子どもに無頓着な母親は、母親ではない。無神経で、得手勝手な子どもに成長することだろう。こんなひどい状況の中で通勤するのは、理不尽だとしか思えない。仕事をする前に、体力と精神力を使い果たすように思う。が、それが大阪の(ローカルな)電車の実態なのだ。 撃沈
2007.10.03
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