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芸能ニュースに「沢尻エリカ」「エリカ様」の名前が出ない日がないというくらい、話題になる女優・沢尻エリカはどうなんだろう、と思う。報じられていることを100%信じるわけではないが、ある程度タネがあるとは思っている。その日の機嫌で態度が変わる、撮影時間に遅刻する、セリフを覚えてこない、取材陣に暴言を吐く……さまざまな逸話があるが、ある程度正しいのだと思う。全くタネのないところには、出現しようのない話ばかりだからだ。主演映画の公開時やTVCMの発表時にばかり露出するので、事務所の画策かもしれないが、それにしては、余りイメージのいい話はない。が、この露出の仕方は、本人にとってはかなりの“シバリ”になるはずだ。20歳そこそこの小娘が、大人を相手に横柄な態度を取ったり暴言を吐いたりすれば、それなりのシッペ返しがあることくらいはわかっているだろう。そんな常識的なことがわからないほど前頭葉が発達していないとか、状況を分析できないような精神的な障害を持っているということなら、話は別だが。竹内結子と比べて感じたことだが、芸能人にしては顔が大きくて、結構体格がいいということは、「美人女優」としてのマイナス要素ではあるが、アルジェリア系フランス人のハーフということだからか、顔は何ともいえぬ美しさがある。化粧とファッションはいただけないが。自らを大きく見せるというのは、その場ではそれなりのアピール力があるが、その後の動向に大きく影響を与える。大口をたたくのは、ハードルを上げる行為であることにほかならない。エリカ様は、作品(映画・TVCM)において、「演技」という領域では答えを出している。感性もいいし、演技力もある(そんなことを言うと、「あんたに“演技”がわかんの?」と怒られそうだが、映画やCMは専門家が対象ではなく、演技のわからない素人が見て、その効果を期待するものなので、素人目線で評価していいと思う。もっとも、私は映像制作の監督なので、ある程度はわかっていると自負しているが)。しかし、「年齢」という壁がいつもあることを心に留め置いてもらいたい。吉永小百合は、10代からスターだが、演技の奥行きに「年齢」がつきまとうことを十分承知していたと思う。年を重ねなければ理解できない、演じられない感情や表情をわかっていたからこそ、身の丈以上の芝居はしなかった。「演技力」は、つまり、経験と感性をベースにした「表現力」だと思う。とすれば、若い間の俳優は、見聞を広め、あらゆる意見や感性を受け止める受容力が何よりも大切ということになる。どんなことでも、拒否すれば自らが大きくなる機会を逸するということであり、是としないことでも受け入れて初めて理解できる、ということに気づかなければならない。気骨のある女優だと思う。が、何も自らハードルを上げる必要もあるまい。エリカ様の上を行く女優は幾らもいる。「上」というのは、演技力であり、視聴率であり、興行収入であり、人気である。まだまだ謙虚にしている方が得策である。いまの姿勢では、使う側、見る側、一緒に演技する側が敬遠するだろう。たかが22歳。何も知らない小娘である。演技も、恋も、人生も、これから知っていくのだ。そのつらさ、悲しさ、切なさ、寂しさ、奥の深さ、そして儚さを。そんな雑事を知らない若さゆえの強気と、迫力のある演技を私はワクワクしながら見ている。人生のつらさ、悲しさ、切なさ、寂しさ、奥の深さを知っていくにつれて変わる、彼女の表情や演技の面白さを確認したいと思う。そして、自分が「女優」であるという「儚い」運命を実感したときに、彼女は少し大人になるのだと思う。楽しみだ。 信念
2007.09.30
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父は、曲がりなりのサラリーマンだった。売上によってサラリーが増減する、いわゆる“水商売”的会社員だ。それをよしと思わなかった兄は、公務員になった。20年以上勤務したので、恩給はそれなりにある、という地位を得た。今後、自らの不祥事や部下の不祥事の引責で免職にならなかったら、の話だが。姉は、子どもが高校生のときに離婚し、いま、派遣社員をやっている。条件はよくないし、将来もよく見えない。私はというと、20代前半から開業し、実働隊兼経営者兼小使いを続けている。開業したのがバブル崩壊後なので、さほどバブルの恩恵はなかったし、大きなお金を手にすることもなかったが、必要としてくれる企業や人がいて、20年間仕事をしてこられた。「仕事はどうなんや?」兄に聞かれた。「厳しいよ」「休み、取れへんらしいな」「休み取りたい、という気持ちになったら、会社は終わりや」「大変な仕事を選んだな」確かにそうである。いまは。が、独立したときは、若かったこともあり、日本経済はまだ明るかったし、業界にも成長の可能性があったので、“大変な仕事”だとは思わなかった。前途洋々とまではいかなくても、明るい未来があると確信していた。事実、同年齢の公務員の給料よりはるかに高い収入があった。もちろん、自営だけに経費や売り掛けが回収できないときの危険も感じながら数字をとらえる必要があり、非常事態に備えての蓄えも要したので、気分的には「収入=可処分所得」ではなかったのは事実だ。とはいえ、公務員よりやりがいのある仕事をし、将来、業務の広がりや躍進も不可能ではない、という状況は、若い私にとっては、比べるべくもなかった。さまざまな仕事に出会い、いろいろな人に出会い、多くの何かを得た。いま、時代はよくないけれど、それを逆手に取って商売する力量がないから、苦しいだけのことで、私の選んだ道は間違ってはいなかったと思う。すべては死ぬときに答えが出る。公務員といえど、安穏としていられない時代である。皆が緊迫感を持って生きていけばいい。が、不要な不安は持つべきではない。それが当たり前、障害があったら、必ず打開策があると思えばいい。「チャンス」は「可能性」であり、「不安」であってはならない。ちょっとしたチャンスでも可能性に変えるのは自分である。と同時に、大きなチャンスがあっても、不安を抱く余りチャンスをフイにするのも自分である。兄の言葉に、そんな戒めを抱いた秋の夜である。 悶々
2007.09.28
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最近、拘置所や刑務所が危なくなってきているようだ。原因の一つは、「定員オーバー」。都会の刑務所では、8人部屋に10人というのが相場で、それよりもひどい状態の拘置所や刑務所も少なくはないというのが実情のようだ。また、もう一つの原因が受刑者の「社会性の欠如」。団体生活ができないらしい。子どものころから自分の部屋を与えられていた人間が、いきなり自分の部屋と同じくらいのスペースに10人もいたら、耐えられないだろう。加えて、自己中心的な感覚や生活リズムがしみついた人間にとって、他人のちょっとした行動さえも、ストレスになるに違いない。それから、「外国人犯罪者の増加」も深刻な問題のようだ。犯罪を目的に入国する外国人が極めて多い日本にとって、その根本的な対策は早急に必要だろう。生活習慣や思考、食べ物、体臭までが違う外国人と同じ空間で暮らすのは、どちらにとっても苦痛だろう。また、「精神障害者の犯罪」にも注目しなければならない。重大犯罪なら、医学にまつわる裁定が必要なのかもしれないが、一般的な犯罪については医学の保護がなく、ほとんどの場合収監されてしまう。「統合失調症」といった生涯を抱える人物が、平穏な団体生活を送れるわけがない。さらに、「犯罪者の高齢化」も見逃せない。再犯を繰り返す人物は、まともな社会生活を送れず、再び刑務所にやってくる。10回以上の収監を繰り返して、やがて刑務所を「終の住処」としてしまう。介護が必要な服役囚は想像を絶するほど多いという。忘れてはならないのは、日本では「刑務所の建築が困難」ということだ。建設の検討に入ると、地元住民の猛烈な反対運動に遭う。気持ちはわかる。が、いま、刑務所がある地域の危険度を増大させることがわかっているのに、自分たちにその火の粉が振るかかるのは許せないという不条理は、昔の日本人にはない、自己中心的発想だろう。加えて、最近の「量刑の拡大」傾向は、刑務所不足を加速させる。「懲役22年」などという数字が出てくるのは、最近の話だ。「無期刑」であっても、十数年で仮出所できる国である。実際はどうかはわからないが、少なくとも「死刑」ではなく、「釈放」でもなく、「罰金刑」でもない。つまり、刑務所に収監される年数が、最長それだけあるということだ。1日3食、雨に濡れずに寝られ、3日に1度風呂、暑さ寒さもそれなり、布団・衣類・テレビ・本・ラジオありという、過酷な生活を強いられている生活保護受給者よりもはるかにいい環境をその年数与えるということは、“国民の税金を使う”ということにほかならない。これが最大の問題なのだが、「累犯者の増大」は目覚ましい。ある程度の権利が確保され、取り締まる側の権力が抑制され、それなりに快適な環境があるから、というのがベースにあるかもしれないが、犯罪の根を持っている人間が前頭葉の未発達により、実行に移してしまうというケースが多いと思う。言い換えれば、犯罪の根を持っている者が、それを炸裂させるのを抑える“教育”ができていない、ということだ。昔の日本は、「教育」によって犯罪を抑止してきた。“おてんとさんに恥ずかしいよ”“神様は見ている。悪い事をすると、必ず地獄に落ちる”“親に恥をかかすことはするな”“悪いことをすると、いい死に方はしない”“一人の悪事は末代までたたる”“刑務所に行った人間は、世の中に受け入れられない”そんな、「インセンティブ」が働くような精神構造を子どものころからつくり上げられていた。緊急の課題であることは間違いない。「我慢」できない日本人ばかりになった現代に、受刑者も、刑務官も我慢できなくなる日が、近づいていると思う。法務省は対症療法でなく、根本的な対策を考えるべきだ。「防犯」や犯罪者の「矯正」ではなく、「犯罪者を出さない教育」や「“刑務所は地獄”意識の醸成」「初犯者の更正」といった、犯罪の根を摘む施策が必要だろう。それができなければ、「犯罪大国・ニッポン」はますます増長していくだろう。 南無阿弥陀仏
2007.09.27
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我が家(子どものころ)は清貧一家だったけれど、いつも温かい「ご飯」があった。夏でも冬でも、朝5時になると母が目を覚まし、冬ならストーブをつけてお湯を沸かし始め、朝ご飯とおやじ、兄、私、時には姉と、4人分のお弁当をつくった。夏なら、水筒にアイスピックで砕いた氷を入れ、沸かした麦茶をドクドクと入れてくれていた。その物音に、布団の中で安心したものだ。「朝ご飯にありつける」「お弁当が確保された」「快適な室温にしてくれている」「母がそこにいる」貧乏だったし、お弁当のおかずは大したことないし、朝ご飯もみそ汁と、煮物と、漬け物という、シンプルで質素なものだったが、眠い中で食べるなら、ややこしいものは不要だし、安心できるものの方がいい。たまにホットケーキや遠足の弁当の残りのサンドイッチなどが食卓にのぼっていると、胸躍るような幸福感を感じたものだ。そのころ、「食パンとハムエッグと紅茶」などというハイカラな朝食に多少の憧れがあった。友達の家ではそういうものが食卓を飾ることがあると聞くと、「うちは何て貧乏で不幸な……」と嘆いたものだ。おやじの意向で、朝食には熱いもの(みそ汁、おすまし、雑炊、お粥)がないと許さないというわがままにして清貧な家族だったので、パン食は極めて少なかった。たまに、菓子パンや食パンがあっても、紅茶ではなくみそ汁だった。ごくたまに、牛肉のひき肉が母の意に反して残り、使いようがないというときに、牛肉の団子のおすましが出ることがあった。これが、えもいわれぬおいしさだった。肉が貴重品だったこともあるが、朝の肉はものすごいごちそうだった。こんなふうに、つまらぬ朝食の風景を“当たり前”と思えない人が多いそうだ。未成人にとっては、経験することが難しいことだという。なぜ?母親に、妻に、「愛情」がなくなってしまったのだろう。一昔前の女性は、夫や子どもに料理をつくること、だれよりも早く起床し、一日をスタートさせる任務があると思っていたはずだ。それが崩壊した。「どうして女だけがしないといけないの?」「朝ご飯を食べなくても死なないし、食べたかったら、自分でつくればいい」「私がするなら、夫もするべき」そんな、自分優先の考え方を持つ人間が母親に、妻になってしまった悲劇が、いまの日本を堕落に導いているのだと思う。夕方家に戻ろうとしたら、家から大好きな肉じゃがの匂いが漂ってきた、土曜日のお昼、給食ではなくお母さんの手料理が待っていた、汗だくになって帰ってきて、お風呂から出てきたら、夕食が出来上がっていた、そんな、食卓にまつわるほのぼのとした思い出は、父親にはつくれない。言い換えれば、そんな体験をしたことのない女性が母親に、妻になっているという時代になったのかもしれない。それは、「自由」「権利」「裕福」という幻想を追い求めた戦後世代の親の罪、その子の罪……。それは、やがて、日本を最悪の国へと導くのだろう。しかし、いまさら子どもの時代へは戻れない。これをどうクリアするか……文科省は真剣に考えるべきだろう。「おいしいご飯」は、家庭にしかなく、その記憶は一生だという事実を科学的に受けとめ、歪みは是正する手だてを考えないといけないだろう。きょう、偶然に細木数子の「ズバリ言うわよ! スペシャル」を見てしまったが、スタジオに招かれた(サクラ? 演技うまし)高校生の1/3以上が“親が離婚している”という状態だった。いろんな意見はあるだろうが、両親がそろっていないと、何かが欠ける。「経済力」「生活力」「教育力」「しつけ力」「バランス力」いろいろあるが、どこかに欠損を生じる。できるなら、離婚は避けてもらいたい。せめて子どもが成人するまでは。「親が不幸だと、子どもも不幸」などといって、離婚をすすめる輩がいるが、けんかやいがみ合いがあっても、両親が近くにいることが、子どもにとっては一番なのだ。親はできるだけ不仲な状態を子どもに見せない努力をすべきだ。自分のために親は我慢してくれているな、と感じるのも、子どもの自立心を育てるチャンスなのだ。未成人の子どもたちの少しでも多くが、外食でも可能な「おいしい食事」ではなく、家庭の「おいしいご飯」を食べてほしい。子どもや夫の心の安定に、母(妻)の愛情がこもったご飯は不可欠だ。「おいしいご飯」は、母として、妻としての愛情がなければつくれないことは、子どもも夫も理解しているだろう。もし理解していないようなら、理解できないような家族にしたののは、母(妻)の責任と自戒すればいい。それが、悲しいかな、女の責務であり、幸福なのだ。 南無
2007.09.25
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日本柔道と日本レスリングがひどい目に遭っている。柔道は、日本が標榜する美しい勝ち手「一本」の概念が通用しないようなルールになっているし、レスリングは頑なに誤審を認めずに、浜口が無念の敗退となった。明らかに日本の女子レスリングの強さに嫉妬しての仕業だ。こんなことを何度も繰り返してきた。スキーのジャンプ競技しかり、ノルディック複合しかり、背泳しかり、平泳ぎしかり。ほかにもいろいろあるだろう。日本がいい成績をおさめると、途端にルールが改定される。いま標的になっているのは、柔道だ。北朝鮮の女子選手など、道着の合わせ方を逆にしたり、襟に芯を入れて持ちにくくするなど、「ルール」ではなく、「モラル」「マナー」の域でいやがらせをしてくる。世界柔道で、男子柔道の重量級は、「一本」の後の返し技を有効とされ、有力選手が次々に敗退した。あり得ない。「一本」は決まり手だ。相撲で言うなら、つられて土俵を割った力士が、土俵の外からつり返したようなものだ。こんな非常識は許せない! と思うが、世界の柔道協会の理事に日本から一人も入れなかったのだから、異論は届かないだろう。どうしてこんな目に遭うのだろうか。世界、ことに欧米の先進諸国は日本を嫌っている。「あんな、下賤な民が世界で活躍すること自体、おかしい」「小さな体格、小さな国、なのにがめつい」「欧米がアジアの小国に負けるわけにはいかない」そう思っているのだろう。先の大戦に敗戦したこともあるだろうし、それ以前から行ってきた日本の愚行というものも影響しているだろう。が、もうそんなこと、力を入れて教育している国も少ないだろう。どちらかというと、“文化や経済が未発展”系の認識ではないだろうか。外務省は何をしているのだ!こんなことを繰り返して、アスリートの気持ちを萎えさせてはいけない。オリンピックや国際大会は、ガス抜きを兼ねた世界大戦なのだ。「スポーツ」という「妄想的聖戦」だから、勝っても負けても大事に至らない。が、国を背負って戦っていることに違いはない。国家斉唱があり、国旗掲揚があるのだから。早く手を打たないと、フィギアスケートとマラソンが標的になるのは想像に難くない。事実、既にフィギアの得点基準が改定された。陸上は数字を争うスポーツだから改定しようがない、などと思うのは甘い。コスチューム、ドリンク、ドーピングなど、周辺の基準を見直して、日本選手に何らかの拘束を強いるのは朝飯前だ。年金問題を政争の具にしているような、馬鹿な政治を許している国は、海外に威厳を示せるわけがない。一国の宰相の足を引っ張り、世界的に見て、明らかにパワーの低い(高年齢、政治信条が弱く、認知度が低い)福田さんを宰相にしてしまう日本という国が、世界に認められ、尊敬されるわけがないと思ってしまう。世界を舞台にしている企業は、それなりの努力をし、それなりの成果を得ていると思う。が、スポーツは違う。国が、国としての主張をしないと、余りにもかわいそうだ。文科省、外務省、政府が協力して主張すべきは主張してほしい。選手生命は短い。最盛期に変なルールをつくられて、無念の結果を残してしまうのは、誠に遺憾だ。モスクワオリンピックのボイコットで、何人の選手が涙を飲んだことか。柔道の山下、マラソンの瀬古、女子バレー……。有能な選手たちが最盛期を逃す無念さは、協会はもちろん、国の力で排除してほしい。せっかく、世界に通用する種目が幾つか出現しているのだ。子どもたちの夢や国力を萎えさせないために、尽力してほしい。自分のことしか見えていない政治家たち! いい末期を迎えるためにぜひ尽力してほしいものだ。 玉砕
2007.09.24
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福田「総裁」が誕生した。「総理」誕生はまだだが、参議院の位置づけからすると、福田さんが総理総裁になるのは間違いないだろう。個人的には、これは当然の流れだと思う。小泉さんなき後(亡くなったわけではないが)、“プリンス”安倍の擁立があった。400票以上の圧倒的得票数を集めて総裁及び総理になった安倍さんだが、いかんせん、小泉さんほどの独断力がなく、旧態依然とした自民党的政治に終始したため、古参議員の意見や存在が陰となり、日向となって、急速に求心力が衰えてしまったのだと思う。小泉さん以来、“ヒーロー”が必要になってしまった国政の場で、安倍さんは“プリンス”でも“ヒーロー”でもなく、常識家にして極めて自民党的だったということが、ネックになったのだと思う。もう終わったような古参議員に押される安倍さんを見て、“勝ち馬に乗る”体質が強烈な自民党議員は、次のリーダーを探し始めた。最初は、個性が強烈で、“ヒーロー”的要素の強い麻生さん。が、自分のポストに執着する議員は、暴れ馬的な麻生さんより、「実力」があり、「堅実」で「常識家」の福田さんの方が“確実性”があるというわけで、あっさりと乗り換えてしまった。いや、あるいは、安倍内閣はアイドリング期間で、福田内閣発足のシナリオは着々とつくられていたのかもしれない。「知らぬは麻生ばかりなり」だったということか。が、意外にも麻生さんが善戦した。麻生さんに票を投じた自民党議員・党員の多くは、「次の内閣」を見ていたのだと思う。年内にも「解散総選挙」があると踏んでいるのだろう。それまでソツなく党内をなだめ、総理として内閣を動かせる人物が必要で、それが福田さんだったということなのだと思う。が、総裁選である程度の数字を上げないと、福田さん擁立に協力した次の総裁候補の谷垣さん、額賀さん、町村さん等々が台頭してくるに違いない。総裁選に3回も出馬し、体力も金を使ったという事実から考えると、安倍さんと同様「サラブレッド」の麻生さんにとっては、極めて異例の努力をしたのだろう。そのことはよく理解できる。それが自民党のやり方であり、戦後政治の全容だと言える。が、問題は、麻生さんにシュプレヒコールを送っていた若者だ。麻生さんの政治信条に共感したとは思えない。理由を想像してみる。●若者にとって、日本の未来は不安●若者は日本の未来がないのは、政治が悪いと何となく思っている●自分たちにとって悪い政治、内閣の中心は安倍さん●安倍さんがやめると、政治がよくなるかもしれない●新しい総理が誕生しそうだ●マンガが好きで、気さくな麻生さんが総裁選に出る●麻生さんなら、自分たちの気持ちをわかってくれるかもしれない●麻生さんは自分たちと同じ言語を持っている●麻生さんを応援しようという、浅薄な理論構造に陥っていることは想像に難くない。が、政治はそんなに簡単なものではない。外交も、国防も、経済も福祉も考えなければならない。やる気をなくし、生きる意味を見い出せない若者の声を汲み取るほど親切ではない。が、シュプレヒコールだ。よほど熱中できるものがないのだろう。大きな声を挙げる機会を得て、有り余ったエネルギーを放出しているということだと思う。麻生さんは破れた。しかも、古賀さん、谷垣さん、額賀さんという名前が入閣するというような、想像どおりの情報が流れている。麻生さんが入閣するというようなことだけは避けてほしいと思う。これまでの自民党なら当たり前のことだが、麻生さんにシュプレヒコールを送っていた若者の夢を打ち砕くようなことだけは……。有り余ったパワーをどう活用するかわかったものではない。期待しただけに、裏切りは許せないだろう。素人が予想できるような人事や政治方針は、若者には許せないに違いない。「何かが変わる」「変えてくれる人」と思って、麻生さんを応援していたわけだから。が、それほど麻生さんを信じていたわけではないかもしれない。声が出せる場所、感情をあらわにしても許される場所を求めていただけのことかもしれない。有名人が亡くなると、生前のその人に興味がなかった若者までがゾロゾロ集まって、泣きながら焼香する意識に近いのだろう。新しいことが嫌いで、人の意見を聞かない、国民軽視の自民党には全くなじまないことだ。 爆裂
2007.09.24
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日本は祝日が多い。公休日としては15日だが、「メーデー」とか「創業記念日」、「慰安旅行」など理由をつけて企業は休む。学校も同様だ。「創立記念日」「遠足」「修学旅行」など、教師が休める日(出勤しなくてもいい日だったり、出勤はしても授業がないということ)を設けている。しかも、祝日に挟まれた日を「国民の休日」にすることになっている。振替休日にならない年は、休日がさらに増えることになる。その上、週休2日制が随分普及し、定着している。年間120日程度休んでいる計算だ。休み過ぎである。年に1/3も休んでいて、経済・生産活動が満足にできるのだろうか。しわ寄せはすべて中小零細企業が引き受けている。早朝から深夜まで、週末も祝日も関係なく働き、料金の過当競争に陥って薄利・薄給に喘ぎ、貸しはがしに合ってにっちもさっちもいかなくなり、倒産しそうになっても大企業は助けてくれず、それどころか、弱味につけ込むというか、足元を見るというか、さらなる値切りを条件として突きつける、そんな阿漕な真似をやってのけ、未曾有の増収増益を出して、「好景気」などとのたまう。大企業の傲慢と野放図なふるまいは、是非とも正していただかなくてはならない。日本の祝日が多いというのは、アメリカの策略だ。勤勉で真面目で生産性の高い日本の企業活動による経済発展を嫌い、生産性を落として日本経済の伸長を阻止しようとした、ということだ。が、アメリカ文化や経済界にはあり得ないような「努力」をしてしまう中小零細企業が日本には存在してしまった。ゆえに、アメリカの計算はもろくも崩れ、大企業はどんどん太っていった。うちの会社の得意先は大企業が多い。それなりのサラリーをもらいながら、下請けにたかる人間もいる。私はそうした人とはつき合わないので、その方面のストレスはないが、商売敵が多いだけに、受注するためにはそれなりの実力やアピールポイントがなければならない。こちらは本格的な話でプレッシャーがかかる。幸いなことに、さほど値切りが入ったり、競合プレゼンを設定されたりしないので、いい仕事をより早く、より円滑に、より気持ちよくやり上げて、できるだけ良心価格を提示すればいい。ま、そんなことばかりやっているから、泣かず飛ばず、という人生なのだが。が、人に苦痛を強いて自分だけ儲ける、というのは性に合わない。3連休続きの日本だが、やはり仕事をしてしまうという貧乏性の私には、安定した収入も、豊かな未来もないだろう。傲慢な生き方をする苦痛より、休みなしで働く苦痛の方が心には優しいと思う私は、「哀しき清貧一家」の落とし子と言うほかない。 自爆
2007.09.23
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奈美悦子さんが56歳で3度目の結婚をされた。相手の職業を見ると、東京と大阪のちょっとした(結構大きいが)違いはあっても、同じ業界なのでよくわかるが、収入格差は歴然だ。「付き合い」なら余り問題にならないが、「結婚」となると、収入格差、預金格差、財産格差はかなり大きな問題になるだろう。生命保険の受取人変更や、財産の贈与・相続といった税金対策、生活費の分割割合、購入物の費用分担、住まいの名義……。ま、奈美さんがほとんどを解決していくのだろう。そんなことを“天晴れ”と言っているのではない。奈美さんは、整形していない、と確信する。「整形」といっても、鼻を高くするとか、顎を尖らすといったたぐいのものではない。いわゆる“シワ伸ばし”系の整形だ。ボツリヌス菌やヒアルロン酸をその場所に直接注射するとか、髪の生え際を切って引き上げ、余った皮を切り取るとか、早い人(K柳R子さんとか)なら50歳くらいでやってしまうこともあるし、幾ら年をとっても変わらない人(MM子さんとか)は、もう20年近くやっているというようなこともあるようだ。が、奈美さんはやっていないように思う。乳首の整形訴訟というびっくりするような事件を耳にしているだけに、なぜ整形しないのか疑問に思うが、目尻のシワの向きと目の垂れ方を見ると、未整形であると確信できる。自信があるのだろう。西野バレエ団で鍛えた体は56歳と思えないほどスリムで形がいい。しかし……これから整形すると、目立つ。K柳R子さんのように、早めに手を打っておけば、気づく人も少ないし、ちょくちょく手を入れることで、現状維持ができる。自然体で生きている人は美しい。オードリーヘップバーンが69歳で亡くなる少し前、週刊誌に写真が出てびっくりした。表舞台から長年姿を消していたので、その落差を埋めるのに苦労した。が、その美しい顔に深く刻まれたシワは美しかった。オードリーの人生の苦悩や喜びや悲しみが一つ一つ刻まれているように思った。私のその感想を裏付けるように、彼女は世界の貧しい子どもたちに愛を与える活動をしていた。オードリーと奈美さんをいっしょくたにするのはいささか乱暴だが、いつまでも自然体でいてほしいと思う。自然体でいるからこそ、心安らげる相手が見つかった、いや引き寄せたのではないだろうか。顔は、人の生き方を映す。「いい顔」と言われる生き方をしたいものだ。 沈没
2007.09.22
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よほどニュースネタがないのか、朝青龍が飽きたのか、連日、朝昼晩、自民党の総裁選の模様がニュース番組で報じられる。投票権のない一般市民には全く関係ないのに、なぜここまで取り上げるのか、マスコミの意図は全く理解できないが、ニュースソースの乏しいいま、格好のネタなのだろう。直接関係はないが、日本の国政の今後にかかわることなので、どうしても見てしまう。そこで目の当たりにした。福田さんが初めておなかから声を出しているのを。国会議員についていえば、麻生さんは、麻生派だけの16票だけと思われ、福田さん圧勝という攻勢だった。策士・麻生、してやられたり! という印象だったが、持ち前の強かさと図々しさで、福田支持派の議員に無遠慮にアタックし、グイグイ押してくる。その勢いに、福田さんも少々焦ったのかもしれない。官房長官時代は記者の質問に「そうですか? 私はそうは思いませんが。ま、受け取り方は人それぞれですから」とか「そう? フッフッフ」とか「ま、皆さんの良識にお任せします」などと、人を煙にまくような言い方をしていた人が、「私の政権で、(拉致問題を)解決いたします」などと、断定口調を使っている。これは、相当な意味を含んでいるのだと思う。福田さん個人にとっても、かつてない経験ではないだろうか。「キャラが立っているって、どういう意味?」福田さんが、麻生さんの演説に出て来た言葉について麻生さんに尋ねている。「20世紀の言葉で言うと、個性的、ってことですかね」「じゃ、私は“普通”ってこと?」「あ、いや、普通……」と、福田さんの思わぬ突っ込みに、麻生さんが言葉を詰まらせていた。この光景を見て、強かなのは福田さんだと思う。「オタク」「アキバ」「マンガ」などとアバンギャルド(古)な要素を前面に押し出してはいるが、麻生さんは「サラブレッド」なのだ。その殻はいかようにもしがたいくらい、頑強で確固たるものなのだろう。福田さんの質問に、それを逆手に取った返答ができないくせに、福田さんの演説に突っ込みを入れるのは、余りにも浅薄だ。小泉さんなら違う答えがあっただろう。この勝負は福田さんに軍配が上がるだろう。「派閥」の論理も多少はあるが、福田さんの努力によるところが大きいように思う。一世一代の賭けをいま、満を持してしかけているのだろう。これでいい。自民党崩壊、政権後退のシナリオがスムーズに進むはずだ。福田VS小沢、どこまでやり合ってどこまで政治を前進させ、どんな形で刺し違えるか……、昭和の政治の決着がつくときを目の当たりにできる。「角福戦争」が平成に残した遺恨の決着を。 玉砕
2007.09.20
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【親は子の鑑】死語になったのか! 「親は子の鑑」。電車内で目撃した。その親子は優先座席に座っていた。母親30代半ば、子ども(女の子)小学低学年くらい。しばらく駅に停車しない区間に入ったため、車掌が車内を巡回してきた。その母親は、堂々と携帯電話を手に持ち、メールかゲームをしていた。車掌がそれに気づいて言った。「お客様、こちらは優先座席ですので、携帯電話の電源をお切りください」優しい口調だった。が、母親は一切無視をした。車掌は“予想はしていた”ということなのか、口調を荒げることなく再び口を開いた。「よろしくお願いいたします」その後の母親の動作を見守ることなく立ち去った。が、母親の態度が変わることはなかった。傍らでは、子どもがその様子をじっと見ていた。車掌が戻ってきたときも、母親は携帯電話を使っていた。車掌はもう何も言わなかった。こうした出来事は珍しいことではないと思う。親が、子どもの目の前で、道徳観、倫理観に背く行為を平気ですることが、当たり前の国になってしまったということだと思う。自転車に子ども二人と3人乗りする母親、深夜に子どもを連れて居酒屋で食事をする親、飲酒運転、路上駐車、ゴミのポイ捨て……法律違反を平気で犯す親、ゴミの無分別、騒音、共用部分の占領、隣人との無交流……モラルを守らず、我が道をゆく親、朝ご飯をつくらない、洗濯をしない、家にいない、子どもの世話をしない、近所付き合いがない、親戚付き合いをしない、配偶者の親と不仲、子どもの行動に無関心、子どもの変化に鈍感、親である前に女、男を優先する、親、物事、世の中に文句ばかりを言い、感謝しない……。こんな親の元に生まれた子どもはかわいそうだ。が、同情ばかりしていられない。子どもが成長すると、世の中に悪影響を及ぼす、とともに、また子どもをつくるわけだ。その子どもも同じかそれ以下の人間になるだろう。つまり、悪の根源になって、その輪はどんどん広がっていくのだ。親(とその親。これが最悪の根源だ。年齢で言うと50歳~60代半ば)を教育する機関と機会をつくる必要があるだろう。いまさら遅いかもしれないが。しかし、何か手を打たないと、大変なことになる。そんな親子に囲まれた年代のストレスというものは、尋常ではない。それでなくても、ストレスの多い年代なのに。以前、余りにもひどいことをされたので注意したことがある。親の親の年代にだ。すると、責任を転嫁し出した。しかも、攻撃はこちらにも向けられる。例で示すならこんな感じだ。〈電車内で揺れた拍子に前の夫人がよろめき、私の足を踏んだ。「いたっ!」私は声を上げたが夫人は詫びを言わない。余りの痛さに怒りを覚え、私は言った。「お宅、踏みはったでしょう。言うことないんですか?」「え、そうですか。揺れたから。よく揺れる電車やわ」「それだけ?」「え? 私が悪い、言いはるの? あんたが立ってる場所が悪かったんでしょう。いややったら、揺れへん電車に乗りはったら?」〉ということだ。ゴミである。日本のゴミである。「美しい国」などになれるわけがない。安倍さん、政治家をやめて、教育者になったらどうですか?ゴミの親を矯正するために、全国行脚なさったらいかがでしょう。それも、一つの活動です。 玉砕
2007.09.19
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【空気清浄機が……(再)】約束した。「その26【空気清浄機が……】」で。覚えもないのに、空気清浄機が作動する現象を私は「心霊現象」と断定した。が、“覚えもない”という規定が、そもそも定かではないし、自分にしかわからないことだ。で、スイッチを切り、「次に電源が入っていることに気づいたら……。とにかくブログに書き込もう」と結んだ。で、だ。きょう、その状況になったので、ブログに書き込む。先週末から部屋がうるさかった。未明3時ごろから、あり得ないような足音、物音が頻発した。私は眠っていた寝室を離れ、音のするリビングに入った。照明をつけずにしばらくいると、タッチや音による脅かしといったパフォーマンスが始まった。物音や気配は明るくなってもおさまらず、その主が霊として強いということを実感することとなった。気配に気づいてから2日後、エアコンを作動させるととても臭かった。多分な思い込みもあるが、私は即座に“あの、うるさい奴らがやっているのだ”と勝手に思ったが、エアコン自身の汚れの匂いという可能性もある。試しに空気清浄機を作動させた。「その26」以来のことである。ブログで明かしてからは、空気清浄機を使うのを控えていた。すると、あろうことか、空気清浄機のゲージが最高レベルになった。私は動向を見守った。ゲージが30分ほどをかけて下がったことを確認した。そのとき私は自分に言い聞かせた。エアコン及び空気清浄機自身の「臭気」と臭気への反応の度合いが原因であったと。つまり、そこに「匂い」があったから作動したと確認できた。ゲージが緑色になったところで私は電源を切った。それ以前のおかしな現象は、私の勘違いだと思えたからだ。そして私は、電源を切ったことを、しかと確認した。しかし、今夜、電源が入っていた。だれかが電源を入れたことは確かだということだ。何が臭いのか、何を知らせたいのか、何を言いたいのか……。それを問いかける日々が続くのは、想像に難くない。それがわかるまで、住まいがうるさい日々に悩まされるのは確かだ。朝となく、夜となく、入浴中となく、そばに来ては、何かを言いたいという霊の存在を、いかにうまくいなすか……。難しい。 撃破
2007.09.18
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きのうアップしたブログへのアクセスがとても多く、何人かは洋風カレーをつくってくださったのではないかとうれしく思います。料理になれている人なら、大体の分量がおわかりだと思いますが、男性や、料理歴の浅い人にはきっともう少し詳しいレシピがわかった方がいいと思いますので、追記します。用意する材料も簡単ですから、ぜひ一度チャレンジしてみてください。★つくり方/4人分1.バター(15g)とサラダオイル(適量)で塩コショウ、カレー粉(小さじ1~2)で下味をつけた鶏もも肉(600g程度/一口大に切る)を焼く。焼けたら取り出す。2.バター(15g)を足してタマネギ(4~5個)とおろしニンニク(1片分)を炒める。カレー粉(大さじ2)を足してさらに炒め、タマネギが透き通ったら、角切りにしたトマト(大1)を入れる。3.白ワイン(1/2カップ)を加えて、半量になるまで煮詰める。4.焼いた鶏とすりおろしたリンゴ(大1個分/皮ごと)、ブイヨン(1カップ)を加えてさらに半量になるまで煮込む。5.生クリーム(1カップ)を加え、とろみがつくまで煮た後、塩(小さじ1)コショウ(少々)で味付けをして出来上がり。6.皿にバターライスを盛り、カレーを添えたら、パセリのみじん切りを散らす。カレーをつくるのはフライパン一つ。バターライスをターメリックライス、サフランライスに変えてもいいし、パンにもよく合います。パンは、バジルを練り込んだものやフランスパンにジェノバソースを塗ったものなどがよく合うと思います。とろみが強い方が好きな人は、鶏肉を焼く前にまぶすのをカレー粉だけでなく、小麦粉をプラスするといいと思います。仕上げのときに、コーンスターチの水溶きを加えても。ついでに「和風カレー」のつくり方とレシピも。丼にするのがスタンダードですが、うどんやそうめんにかけてもおいしいです。★つくり方/4人分1.うどんつゆより少し濃いくらいの出汁をつくる。市販のめんつゆを使って味を調整しても可(全体で1Lくらいになるように)。2.1に薄切りにしたタマネギ(大1個)と椎茸(4枚)、千切りにしたニンジン(1/2本)と水煮タケノコ(100g)を投入し、タマネギが透き通るまで煮る。おいしいロース肉(400g)を加え、色が変わったらカレー粉(大さじ2)を加え、水溶き片栗粉(大さじ3程度の片栗粉を同量の水で溶いたもの)でとろみをつけたら出来上がり(アクが気になる場合はとろみをつける前にアクをひく)。3.丼にご飯を盛り、和風カレーをたっぷりかけたら、小口切りにした九条ネギを大量に盛りつける。肉の味が決め手になりますから、できるだけおいしい肉を手に入れてください。とろみ加減はお好みですが、強めの方が食べやすいと思います。私はたっぷりの一味を加えて食べます。粗挽き黒コショウも相性抜群です。ベースのだしにはみりんを少し多く加えて甘めにすると、カレーの辛さが引き立ちます。煮込む必要がないので、調理時間は30分くらいで済んでしまいます。ぜひお試しを。
2007.09.17
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ブランチに洋風カレーをつくりました。つくり方や材料は極めてシンプル、なのに味わいは結構奥深くておいしかったー。見た目は少々ざんないと思います。本来、刻みパセリを振ることになっているのに、省いてしまったからだと思います。というのも、これはテレビの料理番組で見て、おいしそうだったのでつくったのです。簡単にレシピを。1.バターとサラダオイルで塩コショウ、カレー粉で下味をつけた鶏もも肉を焼く。焼けたら取り出す。2.バターを足してタマネギとおろしニンニクを炒める。カレー粉を足してさらに炒め、タマネギが透き通ったら、角切りにしたトマトを入れる。3.白ワインを加えて、半量になるまで煮詰める。4.焼いた鶏とすりおろしたリンゴ、ブイヨンを加えてさらに半量になるまで煮込む。5.生クリームを加え、とろみがつくまで煮た後、塩コショウで味付けをして出来上がり。調理時間は40分ほど。煮込み時間は最初から計算しても30分ほどです。下準備ができたら、炊飯器のスイッチを入れ、鶏肉を炒め始めれば、どちらも同時に出来上がります。私はバターライスに添えて食べました。いただきものの梨があったので、リンゴを梨に置き換えたのですが、甘味と香りがプラスされて◯でした。ニンジンのすりおろしを加えたり、タマネギをみじん切りではなくすりおろしにしたり、またインゲンなど青いものをプラスしたりすれば、とろみがつき、色味がよくなると思います。香辛料はカレー粉(今回はS&B)と黒コショウだけでしたが、オレガノやクミンシードなどを加えれば、香りと味わいが豊かになると思います。カレーをシンプルにするなら、ご飯の方にニンジンのすりおろしとバター、パセリのみじん切りなどを加えたまぜご飯にしてもいいと思います。結構おいしい! しかも短時間でできる!ぜひお試しを。 満腹
2007.09.16
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報道ステーションを見て、ビックリした!!福田さんが饒舌だ! に引き換え、あの不遜な表情が常の麻生さんが借りて来た猫状態になっている。唇の曲がり具合も直っている。ある意味、麻生さんより福田さんの方が駆け引きができるということだろう。ちょい悪を気取り、不良で、我が道を行く、というような姿勢でやってきた麻生さんが、実はきちんと緻密な計算をしつつ、満を持して安倍さんを蹴落としたということがよくわかる。が、福田さんの復活など、予想もしなかったのだろう。「この年ですよ。総理総裁になれますか?」などと言いつつ、総裁選をやり過ごした福田さんの姿は、若い麻生さんには目の端にも映らなかったのだろう。どちらが総裁に向いているか、というと、個人的には……、麻生さんだろう。安倍さんを裏切った、あるいは、与謝野さんと結託して一国の総理を背中から斬りつけたということに目をつぶれば、の話だが。福田さんが総理総裁になれば、官僚や政治家が口を塞いで、闇の部分が温存されるかもしれない。とはいえ、麻生さんが総理総裁になったとしても、異常が正常化するかどうかはわからない。テレビを見ていると、福田さんがものすごく余裕があった。麻生さんは余裕のない雰囲気ながらできるだけ爽やかな笑みを浮かべていた。福田さんが総理総裁になるのは確実だと思う。が、何をしてくれるのかを明確にしてもらい、それを日本国民が納得し、賛同できると判断してから総裁選に臨んでもらいたい。いずれにしても、「政治」は信用できないと思う。政治家が政治家のために政治家によって行うもの、それが「政治」だと思えて仕方ない。もちろん、議員報酬、議員年金、政党補助金など「金」を目当てにして集まってきた烏合の衆だから、今日の混乱をうまく収集できないのだと……。 撃沈
2007.09.14
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安倍首相の辞任から一夜明け、自民党内がかまびすしい。思い詰めた表情の安倍首相の横で、歪んだ口元をもっと歪ませてほくそ笑んでいた麻生さんを初め、安倍さんの恨みを買って干されていた谷垣さん、周囲から持ち上げられないと腰を上げないプライドの高い福田さん、いつもグレーな問題に包まれている二階さん、事務所費問題だか何だかで名前が上がった額賀さん、総裁選には毎回名前が上がる町村さん、変態疑惑の上に、落選の憂き目に合った山崎さんと、予想できる顔ぶれがそろった。そして、やっぱり出て来たのが、小泉待望論だ。どうして小泉さんがこれほどまでに人気があるのか。政治家としてやったことといえば、安倍さんの方が上だったかもしれない。特に外交面では。なのになぜ?人の心をつかむ、チャンスを逃さない、運が味方をするという天才的な才能があることは間違いない。が、それだけで、国民がこれほどまでに支持をするだろうか。見逃せない小泉さんの才能は「鈍感」だということだ。実際に鈍感かどうかは問題ではない。もしかしたら、夜も眠れないほど悩んでいたかもしれない。が、少なくともカメラや国民の前では、クールで、無関心で、「我が道を行く」を貫いていた。ものすごく怒ったのは、ご子息のことを、石井かなんだかいう民主党の議員に質問されたときぐらいではないだろうか。小泉さんは、国民や国会議員、党員がピリピリすればするほど、無関心にやり過ごす。そしてその後、ドーンと独自の政策や動きを見せる、国民はピリピリをすっかり忘れ、「さすが小泉さん」となる。その勝手さ、強引さ、不条理さに疑問を持ちながら、「民意」を最大限活用するやり方に陶酔する。もちろん、これには裏がある。飯島秘書官だ。この人の力は大きかった。安倍さんの悲劇は、秘書の力のなさだろう。ボロボロ不祥事が出てくるのは、秘書の威光が役所やマスコミにきかなかったからに違いない。が、小泉さんは出馬しない。こんな情勢の悪いときに出るわけがない。自分が出ることによって政権や、状況が安定するというストーリーが成立するときに出てくるだろう。いまではない。それまで沈黙を守るだろう。その方が再登場のときの登場感が高まる。いまは安倍さんの病が癒えるよう祈りたい。「イジメ大国・ニッポン」の犠牲になった、若き政治家が復活してくれるよう祈るばかりだ。安倍さん、消化器の病は気力を奪います。先代貴乃花が頂点を極められなかったのも消化器のもろさだったと言われています。もう、何も心配することはありません。ゆっくり養生なさってください。そして、人間としての気力をまずは取り戻してください。次に、政治家としての力を得て、表舞台に再登場してください。でないと、あなたは自分の存在を認めることができなくなるに違いありません。 南無
2007.09.13
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恐れていたことが起こってしまった。首相がキレた。キレるだろう。党が全く守らない。リークやつつき合いの嵐。国民の民意は左向け左だ。マスコミは批判ばかり。だれが見てもおかしな政治家が支持を得て巨大化している。やめたくなるのもわかる。テレビでは、「無責任」「なぜいま?」「お坊っちゃまだから」などと言っているが、少し前まで「なぜやめない!」「責任を取れ!」「支持率急降下」と報道していた。安倍さんが小泉政権で手腕を発揮したときは、「サラブレッド」「国民人気」「若きリーダー」などと持ち上げておきながら。街頭インタビューでおばさんが「任命した人があれだけ悪いことをしていたんだから、責任を取るべきでしょう」などとしたり顔で言っていたが、数万から数十万の領収証が問題になった閣僚がいたら、一国の首相が辞任すべきなのか。申し訳ないが、国民は、自分のレベルで政治家を非難するのは控えた方がいい。そんなことをしていると、「経済大国・日本」の名が廃る。「続投を決意したなら、やり通すべき」などとマスコミは言うが、辞意を表明する寸前まで、あらゆる角度から非難していた。「やり通すべき」などという言葉が出てくることに驚いてしまう。だれも、「べき」とは言わなかった。「べきではない」と言われ続け、国民から低レベルの批判を突きつけられ、気持ちの悪い政治家が勢力を巨大化させて威圧すれば、首相と言えど人間であり、心も神経もあるのだから、折れてしまうだろう。このことでわかるのは、政治の世界は、「混沌としたいじめの泥沼」だということだ。官僚の反感を買い、党内のやっかみを受け、国民の浅薄な批判を耳にし、無意味に巨大化した野党の攻撃を受ければ、「自分は何のためにこのつらい立場を受け入れなければいけないのだろう」と思うのが心情だ。もちろん、そんな、一般人のような感性の人間が政治家をやってはいけないのは事実だ。野党第一党の党首のように闇に暗躍し、国民の意見などには耳を貸さないというのが政治家たるものだと思う。が、それを拒否したのが日本国民だったはずだ。小泉さんがそうだ。国民の目線で政治を見、国民と同じ言葉で語る小泉さんを支持した。政治家然としたO党首にNOと言ったはずだった。が、情勢は逆転した。がっかりだ。安倍さんに対してではなく、国民に対して。そして自民党に対して。国際的な日本の評価はガタ落ちである。株価や円相場にも影響を与えるだろう。閣僚の不祥事の責任を取るとか取らないとか、指導力がなかったなどという次元の話ではない。「日本」の「首相」の「辞任」である。どうして日本人は、上げ足ばかりを取り、重箱の隅をつつくような批判をするのだろう。「監視」と「批判」は必要だ。が、自分たちを代表する立場の人を「支える」ことも必要だろう。自民党は何がしたいのか。次に首相になる人員がいるのだろうか。麻生首相につなげるような人員が。今回のこのことは、麻生さんが謀ったことだと思えて仕方がない。 自爆
2007.09.12
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「経済は生き物」とよく言われる。“不景気には公共工事”が定石だった昔とは違って、現代は将来不安や雇用不安、政治不信などから来る消費の手控えが大きな要因になっている。ゆえに、道をつくったり、鉄道を引いたり、橋をつけたりしても、景気回復の“決め手”にはならない。「土建国家・日本」といわれるほど、建設業に関係している人口は多いというのは事実だが、需要を超える供給体制になってしまっているため、“薄利”を余儀なくされている。戦後一貫した土建へのバラマキ体制が生んだ弊害だろう。同じように、「農林」「水産」もバラマキが横行していた。第一次産業を大切にすることは重要だ。が、不必要なバラマキは、「利権」を生む。「利権」は、ある特定の人物や団体だけに利益を生み出す、ゆがんだ経済形態を形成する。日本は「合成の誤謬(ごびゅう)」が発生しやすい国民性だという。「誤謬」というのは、「誤」も「謬」も「誤り」という意味で、この表現全体では、“ミクロの視点で正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、必ずしも同じ理論が成立しない”ことを指す経済用語だそうだ。例えば、「景気が悪いので、消費を抑えて貯蓄に回し、将来の不安に備えよう」と思うことは、個人的には極めて正常で、合理的なようだが、日本国民全員がそうした考え方を持てば、ますます景気が悪くなって、不安度が増す……つまり、“個のことが正しくても、皆がそう考えれば逆の結果を招く”ということだ。日本は、この経済動向が顕著だそうだ。(血液型の性格分析は科学的根拠がないが)A型が4割もいる日本としては、うなずける内容だ。小泉政権がものすごい支持を集め、安倍政権がここまでひどいことになっていることでわかる。政治の路線は変わっていない。「改革」を掲げている。が、小泉政権が目を伏せて突っ走ってきたことの尻拭いを安倍政権が担っている。飯島秘書官が抑えに抑えてきた「チワモメ」的リークが大々的にマスコミに取り上げられているということだ。飯島秘書官が与党内を抑えたおかげで成立した「法案」、可決されてから施行するまでにタイムイラグがある。小泉政権がいつの間にか成立させていた法案が施行されるにあたって、現政権の責任にされるということで、表向き、安倍政権の責任になっていることが多い。さらに、自民党的いい加減さや政権与党の奢りが下地になった不祥事がいまになって噴出している。が、60年以上続いた政権で根付いていたことがいま明らかにされたといって、現政権がすべてを担う必然性があるのだろうか。国の仕事もそうだが、国際的な仕事も一切見ていない。日本経済はもちろん、アジア経済と切っても切り離せない存在の中国との関係を回復させたことだけでも賞賛を受けてもいい。これが「政治」だ。小泉首相は、さまざまな「変革」をもたらした。それはそれで、あらゆる利益を各方面に与えたことだろう。「利権」や「コネ」や「私利」を超えたところで社会を動かしたと思う。が、国際的に見れば、アメリカ以外の諸外国との関係が発展しているとは思えない。唯一尊重したアメリカでさえブッシュ政権が終焉を迎えようとしているいま、対日政策はおざなりにされているように思えて仕方ない。それは「ヒル」が証明している。あんな、実力も、信頼も、将来もない「国務次官補」が、北朝鮮を相手に何かができるわけがない。日本国民は自覚しなければならない。“日本人は独自の価値観を持たない人種”だということを。独自の価値観を持っていようものなら、イジメや非難の対象になってしまう。幸いなことに、私は独自の価値観をぶちまけてきたが、イジメには遇わなかった。なぜそうであれたかというと、“文句言い”の人種が対抗しなかったということだ。私はいい加減な人間に見えるが、理論と行動にはスキがなく、“文句言い”程度の攻勢には、軽く対抗できるし、それらの人種も私への攻撃には意味がない、いじめがいがないと思ったのだろう。実際、いじめに遇っていても、私は一切気づかなかったに違いない。他人の言動に注目する人種ではなかったのだ。が、安倍首相はそんな人種ではない。他人の意見や視線を敏感に感じ取ってしまう。支持されているときはいいが、非難されると極端にもろい。に加え、日本人の国民性である。安倍首相は袋だたき状態で、野党もそれを利用して首相を攻撃する。いまの日本のような現象を生むのは、国民性に根ざしていると思うが、マスコミの「テーマ偏重」も大きく影響しているように思う。情報ワイドや情報バラエティの扱う情報は、一様に同じ方向だ。難しいとは思うが、日本人は、「左向け左」ではダメだということをいい加減自覚してほしい。意味のない不安感や、根拠のない期待感を抱くのはいい加減やめにしてほしい。自分のことは考えるが、国のことはつゆ知らず、という身勝手な人々が日本人の大勢である限り、日本の将来はないと思う。機会があれば調べたいと思う。日本国の財政を圧迫している行為、例えば「医療」や「生活保護」といった自治体の財政に頼る行為について、国民がどう考えているのかということを。「合成の誤謬」の意味から考えると、いまの日本人は景気を悪くする力は持っていても、よくする力は持っていないと思う。日本人は、悪いことには反応するけれど、いいことには猜疑的で、他人を見て判断しようとするから。が、信じた人物や団体には出費を惜しまず、だまされたと知らされても、「話が楽しかったからいい」と、意味のわからぬ理由で事件化しない。「合成の誤謬」……、将来を考える日本人にとっては、きちんと知らねばならない用語だと痛感する。 拍手
2007.09.11
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少し前から、駅の近くや企業のビルの前で集合する団体をよく見かけるようになった。「何だろう。会社を挙げてオリエンテーションを受けにきたのか……」などと思っていた。この暑いのに、ワイシャツにネクタイ姿で、手にはジャケットをかけている。人数が10人以上のこともあれば、4、5人ということもある。しばらく不信に思っていた。最近、それが何であるか知る機会があった。「パソコンの設定作業」をしているらしい。派遣会社を通して、中規模から大規模企業のパソコンの入れ替え時に派遣されているというのだ。規模の大きな企業や大学などは、一どきに数十台から数百台を入れ替えるので、メーカーや販売店では対応できず、メーカー系列の「◯◯テック」(◯◯はメーカー名)といったような名前のパソコン設定やメンテの専門会社が請け負うのだが、それほど社員を抱えていないので、人材派遣会社に回ってくるらしい。「そんなこと、パソコンを使う社員がやればいいのに」と、Macユーザーの私は思ってしまう。Macはシェアが低いので、カスタマイズはすべて自分でやらなければならない。Macの日本上陸当初は、「アップルセンター」という名称の、販売・相談・メンテを担当する直営店がたくさんあったが、ある程度普及が進んだ段階で、次々と閉鎖していった。リコーや出力センターなどの認定店が細々と対応をしていたが、「ユーザー」でないと、受けてしてくれない。私のように、友達から譲り受けたというような者は、問題が起こるたびに悩みながら対処してきた。話が脱線した。作業の内容は極めて簡単だそうだ。IPアドレスの打ち込み、サーバーへの接続やネット環境の整備という、初期段階の設定らしい。確かに、一度やってしまえば完了してしまう基本的な作業だから、それ用の人材を社内で確保したり、高いサラリーを払っている社員の貴重な時間を割くのは効率が悪い。で、派遣を要請、ということになるのだ。ユーザー側から見ると、それは合理的で正しいことのように思う。が、反対側、つまり、派遣される労働者側から見ると、余りにも身勝手な要請のように思う。1日8時間以上働いても、1万円程度にしかならないらしい。仕事は毎日あるわけではない。月の半分もない。しかも、仕事の連絡が入るのは、1、2日前のこともあるのだとか。となると、このためだけに体をあけているわけにはいかない。掛け持ちをして、ダブルブッキングになり、要請を断ると、条件が悪くなったり、声がかからなくなったりするそうだ。この話で、最も無責任で、改善の余地があるのは、メーカー系列の「◯◯テック」などという名称の企業だろう。社員を抱えればいいのだ。そのために設立されたのだから。季節的に余剰人員が発生するというのなら、人材を有効に活用できる新規ビジネスを起こせばいい。昔の日本はそうやってきた。偉大な経営者・松下幸之助さんのように「社員が最も大切」というポリシーでやってきた企業が多かった。が、バブル崩壊が日本をおかしくした。松下幸之助さん亡き後の松下グループも大規模リストラを決行した。幸之助さんが知ったら、さぞや悲しむだろう。いま、いざなぎ景気を超える、長期に渡る好景気だそうだ。その恩恵を最も受けているのはだれだろう。あろうことか、銀行である。バブルを生み、増長させ、バブル崩壊後は国民の税金をせしめながら中小零細企業をいじめるだけいじめ、超低金利で国民を苦しめながら、自らは着々と利益を上げ、日本全体をむちゃくちゃにし、そしていま、悪の温床・消費者金融と手を組んでサラ金業を始めている。労働が過酷で将来が見えず、低賃金に甘んじている派遣登録者は、銀行に仕返しをすべきである。「本業では食べていけないので、アルバイト的に」「やりたいことがあるので、できるときだけ働きたいから」「就職できるまでのつなぎに」……さまざまな理由があって、派遣登録者になっているようだが、決して権利も確保されていないし、物理的な条件も低い。日本の大企業よ! こんなことでいいのか! 自分たちの給与や賞与を上げるためなら、反対側で人を使い捨てにしていいのか! それで、企業としての社会的責任を果たしていると言えるのか!ぜひ、根本的なところから、考え直していただきたい! 爆裂
2007.09.09
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おかしなその人々その5【恐妻家医者の悪事】若いころ、知り合いの紹介で医者と出会った。国立病院に籍を置きつつ、日本各地の病院から招聘され、執刀する腕のいい脳神経外科医ということだった。私が紹介されたのは、近く独立して自分の病院を持つので、パンフレット類をつくってほしい、という依頼からだった。一度食事の席を設けてもらって面談すると、医者はすぐに発注を約束した。身長が180cm以上あり、ハンサムでいかにも優秀そうな話し方をしていたし、家柄がよさそうだった。若い私はこの医者を疑いもせず善人だと受けとめた。打ち合わせのため、国立病院に出向いたことがあった。その医者と一緒に病院内を歩いていると、看護婦や医者が私をジロジロ見る。喫茶ルームでお茶を飲みながら打ち合わせをしていると、ヒソヒソ話をする者もいた。今から思えば、私はスーツ姿だったが、髪型がソバージュだったし、口紅も赤く、高めのパンプスを履いていた。きっと、お水系の女と思われたのだと思う。そればかりではなく、この医者は手癖が悪く、看護婦、医者、お水、さまざまな女性をお手つきにしていたようだったので、私はその一員に加えられたのだ。私25歳、その医者、38歳のときだ。そのことを、紹介してくれた知人に話したら、「先生はモテるからなぁ。女好きなのも確か。けど、よくやるよ。ものすごい恐妻家なのに……」と言った。私は安心した。「恐妻家」はチョロチョロと女に手を出すが、深みにはまる勇気はない。きちんと断れば、深追いはしてこない。パンフレットが順調にできつつあるとき、医者が電話をしてきた。夜中だったし、少々酒が入っている感じがした。が、デザイン費や製版・印刷費が発生してしまった後である。料金を回収するまでは、むげにはできないと覚悟した。「私の秘書になっていただけませんか?」「私、医療関係の知識はほとんどありません」「いいんです。私のそばにいてくださるだけで」これは、“愛人になれ”ということに違いない。「……それでは、周囲が許してくれないでしょう」「それなら、あなたにできることをやってください」「病院が遠過ぎます」(私の居住地の隣の県だった)「部屋を用意します」話が本格的になってきた。どう断ろうかと思案した。「そんな出費は、奥様に認められないでしょう」内心、これはやった! と思った。「奥様」という禁句で絶句に追い込んだと思った。が、甘かった。「看護婦寮なら、妻にもわかりません」驚いた。愛人を看護婦寮に住まわせるという感覚は理解できるものではなかった。看護婦の好奇の目にさらされ、ジクジクといじめられることは想像に難くなかった。何にしても、恐妻家の医者の強行な態度に、私は少々恐怖を感じた。医者の申し出を拒絶できる“何か”を探した。「お給料はどうなるでしょうか」「幾ら欲しいですか?」「いまの収入くらいは確保していただきたいと思います」「それはそうですね。いまの収入は幾らですか?」「850万円です」嘘だった。それは売上額だった。収入は400~500万円程度だったと思う。「850万円……、考えさせてください」電話は切れた。余りにもあっけない幕切れだった。“交渉”とか、“アイデアを提案”してきてもいいではないか。「金」という最も基本的にして大きなテーマを考慮していなかったことには驚いたが、それがお坊ちゃまで苦労知らずの医者の発想だろう。電話以来、私はお払い箱になった。つくったものの料金は回収できたが、少々気分が悪かった。その1年後くらいに酔った医者から電話があった。「会いたい」というようなことを言っていたが、適当にいなした。3年ほどで、医者は行方をくらました。患者を回してくれていた恩師とケンカしたとかで、患者数が伸び悩み、経営がたちまちにして立ち行かなくなったようだ。詰めが甘く、読みが甘く、人との接し方が稚拙なお坊ちゃま医者の末期というべきだろう。いま、どこで何をしているのだろう。まだ、世間知らずな人生を送っているのだろうか……。 合掌
2007.09.08
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昨日から今朝にかけて、テレビは「台風」一色だった。西の話なら、これほど時間をかけて報じないだろうと思えるほどニュースも、情報ワイドも、情報バラエティも、台風の話ばかりだった。鉄道、空港、港湾といった、お決まりの公共交通機関から、通行止めの高速道路、決壊した過去がある河川、街路樹の倒れた道路、冠水した道路、玄関に土嚢を積む住民、中州に取り残された人を救助するレスキュー隊、意味もなく飛ばされながらリポートするアナウンサー、公民館に避難した住民の寝姿まで、事細かな映像が放映された。そこで感じたのは、「東京は田舎だ」ということだ。大阪では、河川の決壊や道路の冠水は、よほどのことがない限り起こらない。特に大阪市内で土嚢を積まないといけないような事態は、最近の記憶にはない。「治水」がしっかりしているからだ。私が小さなころは、それなりの被害を受けた。が、関西は台風の被害を頻繁に受けるので、治水に力を注いできたのだ。おかげで、周辺地域はすごいことになっていても、大阪市内や近接地域で「浸水」「洪水」「家屋倒壊」「土石流」「河川決壊」といった被害を聞いたことがない。もしかしたら、大阪中心部は台風対策については日本で最も進んでいるかもしれない。それに引き換え、東京の後進度といったらない。まるで田舎だ。台風一つで都市機能が完全マヒしている。日本の中心がこれでは、外国に恥ずかしい。「利水」はできても「治水」がダメなのだ。今後地球は温暖化がますます進展するだろう。台風の進路も変わってくるはずだ。いきなり“東北に上陸”というようなこともあり得ない話ではない。これまで、台風と無縁だったような地域にも対応が必要になるだろう。ほかにも危惧されることはいろいろある。亜熱帯から熱帯地方特有の伝染病の発生、食中毒や感染症の増加、生態系の変化による食生活への影響、人間の免疫力や細菌耐性の低下などなど。日本の治水対策は、自治体レベルでは追いつかないだろう。国レベルで取り組むべき課題だ。政治資金だの、献金だの、不正経理だのと言っていていいのか! もうマスコミも、こんなことを取り上げるのはやめればいい。リークしている奴らは、自分たちの利益になるからやっているのだ。いま重要なのは、日本の未来を見据えた政治をしてもらうことだ。もちろん、いま、混沌としている諸問題もきちんと解決してもらわないといけない。つまらぬ問題で、国政を停滞させていては、日本の未来はない。自民党が政権政党を降りるときまで、きちんと政治をしてもらわないといけない。高い議員報酬を負担している国民としては、議員全員がやっているであろう不正を少しずつ暴いて国政を停滞させている、不利益な分子の顔と名前を明らかにすべきだと思うのだが、それをする者はいないのだろうか。……いてもいいと思う。その方がテレビの視聴率も雑誌の発行部数も伸びると思う。その目的が明確で、私的で、秘匿性があればあるほど。どこかのテレビ局、スポーツ紙(新聞はやらない。そんな気力も能力もない)の記者の皆さん、やってはいただけますまいか! 玉砕
2007.09.07
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(12)家出魔・長女の所業清貧一家の面々は、個性の強烈な人間ばかりだが、皆真面目で一生懸命生きていて、正直者ばかりだ。だからこそ「清貧」とうたえるのだと思っている。その中にあって、極めて不真面目でいい加減なのが長女だ。「清貧一家」に加えていいのかを迷うところだが、許せる範囲で加えてやろうと思う。清貧一家の長女は家出癖があった。最初の家出は高校1年生のときだった。長女は突然家から消えた。姉が家を出るなどという事件は、小学3年の私にとってはものすごい心配な出来事だった。わずか16歳なのに、一人で生きていけるわけがない。が、その心配をかき消す出来事があった。母が一緒に家出したのだ。姉より、自分と兄の生活がたちまちにして心配になった。私にすると、姉より母に帰ってきてもらいたいというのが心情だ。ご飯をつくってくれ、洗濯をしてくれ、掃除をしてくれる母がいない苦痛は、計り知れない。10日ほどして母が戻ってきて、姉の居所はわかった。住み込みで働いているという。そのことの正確な意味はわからないが、経営者の監視がついているということの安心感は子ども心にあった。数ヶ月して、姉から手紙が来た。「遊びにおいで」という。会社の寮にだ。使命感のようなものを感じ、一人で寮に出向いた。一人で電車に1時間揺られなければならないような遠い場所まで。会社の敷地にある寮の姉の部屋は、見事なまでに「勝手」だった。自分の好きなものだけを置き、周囲に迷惑な生活態度で暮らしていた。しかも、予想できたが、男子寮に彼氏がいた。私は、男女の絡み合いを目の当たりにした。それはそれなのだろうと思った。1泊して帰った。ほどなくして、昼間、母のいないときに社宅の階下に住む小川さんが「◯◯さーん、お姉ちゃんから電話!」と言うので、私が電話に出た(家には電話がなく、小川さんが受けてくれていた)。「お母ちゃんは?」「市場に行ってる」「そう。よかった。明日、電話して」「え、なんで?」「何でもいいから。タバコ屋(家から最も近い公衆電話。自転車で5分以上かかる)から電話してや」「え……」「お母ちゃんに言うたらあかんで」「明日のいつ?」「3時やったらいけるやろ」「…うん……」「おねえちゃんがしゃべるけど、あんたは黙ってたらいいから。おねえちゃんを呼び出したらあんたの仕事は終わりや」「……」「わかった?」「う……ん」かくして翌日、姉の職場に電話をした。「◯◯(姉の名)はいますか? 妹です」「あ、ちょっと待ってね」「……〈妹ですか? 済みません。何の用やろ〉もしもし? 何? 職場に! うん、うん、えっ!……ほんまか! ……わかった、すぐ帰るから。お母ちゃんは大丈夫? うん、そう。なるべく早く帰るから〈ガチャン!〉」電話は切れた。私は一言も発しなかった。すべては姉の一人芝居だ。2時間ほどして姉は家に帰ってきた。「ありがとう」と私に言った。どうやら、父親が倒れたことにして、休暇をもらったようだった。姉はそのまま家に戻ってきた。事後処理は、就職の世話をしてくれた祖母と父親がしたようだ。仕事がつらかったのかもしれない。彼氏と別れて、職場にいたくなくなったのかもしれない。が、芝居をして適当にやり過ごすというのはどうかと思う。それが、16歳の少女のやることか!この姉は家出癖があり、こんなことを何度も繰り返すことになる。しかも、その都度あり得ないようなエピソードを繰り広げるのだ。清貧一家にあって、異色の「不良長女」の物語、おいおい披露していきたいと思う。
2007.09.06
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大臣、議員の“不正”“違法”が取り沙汰されている。「補助金の不正受給」「不正経理」「選挙違反」……その都度安倍首相の辞任の話が出る。当たり前である。表の話としては、「任命権者」であり「党首」の責任は問われるべきである。が、よく考えてみると、そのたびに首相が辞任していると、政権与党である自民党の中に首相になれる人物がいなくなくなるのではないかと思う。多分、これまでも同じようなことが繰り返されてきていたのだろう。もっとひどかったのかもしれない。が、表に出なかった。与党の力が強かったということか、あるいは、マスコミが自重していたということかもしれない。よしんば、民主党が政権を取ったとしても、公明党、社民党、そのほかの党が政権を取ったとしても、同じような問題は起こるであろう。なぜなら、それを容認してきたのが「日本」だからだ。「必要悪」「社会悪」などという言葉で、「悪いことだが、社会的に必要なこと」あるいは、「悪いこととはわかっているが、自分たちに利益があること」として、黙認してきたのだ。地域やある団体出身の、省庁の利益獲得を担って出てきた国会議員にとって、「不正」は「正当」だったはずだ。正義の味方の社民党でさえ、急先鋒として注目を集めた女性議員の経理問題が発覚し、議員辞職、有罪判決という党にとっては致命的とも言える結末を経験した(にもかかわらず、執行猶予中に女性議員は再び議員に返り咲いている。人材不足も甚だしい)。ではなぜ、ここまで事が表沙汰になり、大事になってしまうのか。一つには、「国民感情」を組み入れ過ぎる小泉政権の登場がある。世論や支持率を尊重し過ぎると、国民は「自分の声が届く」と勘違いする。それはそれでいいことだろう。が、行き過ぎると、世の中に歪みを生む。あらゆる場所で「クレーム」が激増した。教育現場に対する親のクレームが象徴的だ。それほど教育機関が信じられず、不満があるなら、子どもを私立に入れるか、自分が責任をもって教育すればいい。子どもは親の言うことを最も聞くものであらねばならない。これ以外にも、駅職員に殴りかかるとか、販売店の店員に因縁をつけるなどといった、いわゆる「ゴネる」人間が日本全国に出没するようになった。もう一つには、マスコミの「奢り」がある。首相や国会議員という国民に“選ばれた”人物に対する質問が余りにも不遜だ。入社数年の無知で無経験なペーペー記者が、「逃げるんですか?」「説明責任を果たさないんですか!」「それでも国会議員ですか!」とやる。テレビを通して見ていて、暗い気持ちになる。日本には「儒教」の教えがあり、「目上」とか「尊敬」という考え方が明らかにあった。最近のマスコミの記者は、言葉を知らないし、「話術」という戦術を知らない。そんな聞き方をして、気持ちいいと思う人などいないだろう。が、当の本人は、「政治家」に直球を投げられたことに陶酔しているのだろう。「ペンの力」「国民の代弁」「国民の知る権利の実現」などと思っているのかもしれない。いや、「視聴率上昇」だけが目的かもしれない。いずれにしても、政治家の実態があからさまになり過ぎる。“だれがリークしているのだろう”と不思議でならない。「選挙違反」は選挙中に逐一監視している警察やライバル政党かもしれない。が、「補助金不正受給」は明らかに数年前に指摘していた会計検査院だろう。「不正経理」は元秘書とか、事情を知る近しい人物かもしれない。いずれにしても、「秘密」があり得ない日本ならではの現象だろう。「情報の漏洩」の仕方は尋常ではない。海外から冷ややかな目で見られるほどだ。なぜこれほどまでに、日本は情報にルーズなのだろう。「金(かね)」になるからだろう。そして、恨み、妬み、嫉みを抱きやすい国民だからだろう。人が自分よりいい思いをするということが許せない、心が狭小な人種ばかりなのだろう。これにつけ込むのがマスコミだ。芸能スキャンダルネタがこれほど注目され、芸能レポーターなどという職業がまかり通っているゆえんであろう。「金の亡者」が「政治家」になることは、阻止しなければならないが、有能な「政治家」に金が集まり、いまの状態ならば政治には金がかかり、政治家でいるために金が欲しいというのは理解しなければならないだろう。重要なのは、「政治」ができることだ。“クリーン”で、“庶民出身”で、“献金”など集まることなく、“財界や特定業界”との連携もない、というような人物に政治ができるのだろうか。特に「国政」が。政治ができ、正直な人物をつくる(教育で)ことが急務が。自民党が政権政党の座を離れるのは、日本の未来発展のための一つの方策だと思う。が、民主党が政権政党になったとして、同じような問題が起こらない保証はあるだろうか。目を向けるべきは、海外の視線である。経済大国であり、アジア経済の牽引役である日本が、こんな(領収証を1円単位にするか5万円にするか)細かな問題で大揺れになっていて、他国の信頼を得ることができるのだろうか。安倍首相はつらいと思うが踏ん張ってもらいたい。対外的に認められた安倍首相が辞任した後、日本を代表する実力のある政治家で、「クリーン」だと認定できる人物は皆無だと思う。それを日本人は60年にわたって容認してきてしまったのだ。時間をかけて何とかしないといけない。すぐにどうにかなるものではない。私の説がおかしい、と思う向きは、皆で力を合わせて国会議員の献金や経理を全公開させてもらいたい。「立法」する人間は「抜け穴」を必ずこさえた「法」をつくるのだ。自分に都合よく、金が残り、楽できる「法」を。あなたも、「立法」できるなら、自分に都合のいい「法」をつくるはずだ。それが「人間」の性だから。 撃沈
2007.09.04
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久々に焼肉店に行った。本当はもつ鍋屋に行く予定だった。が、本来目的だったもつ鍋屋が閉店していて、急遽、以前から知っていた業界人から支持されている人気の韓国焼肉店にしよう、ということになったのだった。その店は、外観は悪いが、安くていい肉を提供してくれる。とはいえ、10年近く足が遠のいていたので、値段や肉の質が変わっているかもしれないということは、それなりに覚悟していた。店は、相変わらずの風貌でそこにあった。少し安心した。が、イタリアンのシェフのような出で立ちの男が店の前に立っていて、若干の胸騒ぎがした。が、その向こう側に「ピッツァ」の文字のある看板が見えたので、『隣の店の人間か』と思った。焼肉店の引き戸を開けると、その男が回り込んできた。胸騒ぎが不安に変わった。店に入ると、「らっちゃいましぇ」と声を揃えて言う女性が3人、オープンキッチン(というような格好いいものではなく、カウンター厨房)の中に、ものすごい高さのシェフ帽(コック帽とも)をかぶるデブの男が見える。『しまった!』と思った。経営が変わってしまっていたのだ。が、それだけの人間に出迎えてもらっては、「間違いました」と言って店を出るわけにはいかない。一緒に行った同居人と目配せし、「とりあえず、サクサクッとオーダーして、いい頃合いになったら店を出よう」と合意した後、メニューを見た。目が飛び出た。“塩タン:1,160円”“テッチャン:740円”“ミノ:890円”あり得ない! 大阪価格なら、すべて半額以下だ。よほど量が多いのか、質が高いのか…。とりあえず、この3品と“ナムル盛り合わせ:680円!!”をオーダーした。が、登場したのはごく普通の塩タンとテッチャンとミノだった。塩タンなど、透けて向こうが見えそうなのが8切れ並んでいるが、ドリップが出ているし、どんよりしたその色から、すぐに冷凍とわかった。しかも、塩コショウのほかに、ガーリックパウダーが振りかけてあり、タンそのものの味が全くわからない。これらのホルモンたちは、七輪風の焼き器(炭火)で焼くのだが、炭が悪く、ホルモンの脂が落ちると炎が上がり、灰が舞い上がる。すかさず韓国人従業員がやってきて、焼き網の上に氷をのせ、水滴を滴らせる。いちいち。面倒くさい。しかも、ナムルときたら、小皿にちょこんと豆もやし、ホウレン草、ぜんまいがのっているだけで、味も本当のナムルとはかけ離れたものだった。これで、ランチが食べられるほどの価格設定になっているとは…。すべて「塩」にしてもらったので、つけダレを使わない。味噌の入っているような濁り方をしているつけダレに興味を持った私は、箸にタレをつけてなめてみた。異様な味だった。甘い。が、醤油ベースではなく、味噌かオリーブオイルか、何かわからぬような味なのだ。同居人と一緒に3度ほどなめたら「おひきしまぁす」といって、持っていかれてしまった。偵察とか、市場調査とか、グルメレポートとかと思わたのだろう。ビールと酎ハイを飲んだが、ホルモン3皿とナムルで5,000円を超えた。大阪ではあり得ない金額だ。2倍超の価格設定である。ほかに2組の客が我々の後に入ってきたが、ブルーカラーの二人組など、支払いのときに5,000円ほどの金額を告げられて「よかった」ともらすほどだった。単品でオーダーするよりお得な「セットメニュー」というのがあったが、最低のホルモンセット・2~3人前というが5,800円で、最も高いホルモンなしのセットが15,000円だった。1人前が7,500円……、が、外観は古くてちゃちな雰囲気の、いかにも安もんの韓国焼肉店だ。「詐欺」とも言えるような内容と言っていい。ものすごく高いシェフ帽のデブ男は、オーナーではないようだ。店内に天橋立の旅館の宣伝がしてあったので、そのオーナーが営業権を買い取ったのだろう。なぜ外観を変えないのだろう。理由は一つ。以前を知る客が一通りやってくるまでは、詐欺的に稼ごうという腹だ。以前は人気店だった。それなりの顧客数があるだろう。我々のように「もう二度と来ないぞ」と思う客が去った後、高級焼肉店に変更する心積もりではないかと思う。いや、高級ステーキ店になるかもしれない。それはそれでいい。が、以前の焼肉店のつもりで入った客をだまくらかすのだけは許せない。それなりの制裁を加えてやる!覚えておけ!!! 絶命
2007.09.01
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