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Mr.Children Tour 2009 ~終末のコンフィデンスソングス~ のチケットをFather&Mother会員先行で、手に入れました。ものすごく嬉しいです。昨日、当選メールがきてたので、確認をして、今日、ローソンチケットで代金を支払いました。本当のチケットは、後日、送られてきます。枚数制限で、2枚だけなので、娘と息子とで、どちらが、ママといくか話し合っています。さて、どちらが私と一緒に行くのかな
2008年10月29日
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10月4,5日と25,26日に、アドラー心理学基礎講座応用編を受講した。基礎講座には、応用編の他に理論編があり、それは、大学院の修士課程と同等に難しいそうであるが、応用編は、日常に実践できるようなプログラムになっている。不思議なことにアドラー心理学を学んだあとは、ごく普通に当たり前のことがとても嬉しかったりする。今まで気がつかなかった適切なことがいっぱいみえてくるという感じがする。アドラー心理学は、対人関係の中での行動の目的を考える。誰にもその行動には、適切な側面があると考える。人間の悩みは全て対人関係の悩みだと、アドラーは言っている。 今日は、息子の中学の参観、懇談があったので、休みをとった。本を読みたかったので、電車ででかけた。『アドラーに学ぶ(岸見一郎著)アルテ』を読んだ。これは、『アドラーを読む』の続編として、岸見氏が書かれたものであるが、彼が心筋梗塞で生還した経験から学んだことを織り交ぜながら、優しく語るような文章に引き込まれる。読み終えるのがもったいないと思うくらいに読み終えたあとは充実していた。 老いと病気、そして死、避けてはとおれないけれども、それは生きる勇気を失う。本書は、対人関係においての勇気づけのみならず、生きる勇気への対処を考えることができる。 「私は自分に価値があると思う時だけ、勇気を持てる」 「そして、私が価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである。」これは、私を勇気づけた。私自信が、自信を持って、今のことを尽力しているとき、それが、その共同体(たとえば、家庭とか職場とか)で、役に立っていると思えれば、価値があると思え、頑張る勇気がでる。そして、自分が勇気づけられていなければ、人を勇気づけることはできない。勇気づけの支援をするときに傾聴するのは、看護の基本。アドラーは、観察して傾聴して共感することをこのように言った。 「他の人の目で見、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じられなければならない」 信頼に関しての記述が好きだ。たとえ他者が私を信頼しなくても、私はあなたを信頼できる。信頼は根拠のないときですらあえて信じること。また、自分を信頼する人がいることを知れば、たとえ、それがただ一人であっても、その人のこの世界への見方は変わるだろうと言われているのは、素敵だと思う。根拠はないけど、あなたを信頼している・・。信頼には、そこに愛があると思う。 人が死に逝くまでの生きる時間をケアしている私にとって、哲学者である岸見氏が引くソクラテスの言葉は、いつも心に留めている。「これから生きるはずの時間を最もよく生きられるかを考えなければならない。大切にしなければならないのは、ただ生きることではなく、よく生きることである(プラトン『クリトン』)」アドラーは、「人生は限りのあるものであるが、生きるに値するものであるには、十分長い」と言っている。過去の出来事のせいにせず、未来のことを考えて臆病にならず、今この時を十分に生きること。幸せに生きることができたらと思う。たとえ、明日がなくても木を植えたいと思う。
2008年10月27日
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蕾には蕾の 花には花の 実には実の 枯葉には枯葉の 美しさがある 過去のことや 未来のことに惑わされることなく ただ今のときを大事に思い ただ今の自分が好きでありたい。 95歳のTさんは、今年の冬にもう亡くなるのではないかと思ったが、元気になられた。秋が深まりつつある中、季節の変わり目に気管支の細くなった呼吸音がきかれ、Tさんの娘さんが、とても心配される。私は彼女の話を聴いてその思いを感じた。「先の見えない初めてのことは、ただただ一生懸命だったけれど、どうなっていくのかを知ってしまったら、不安でたまらない。」 庭にたくさん植えられている草木や花をみながら、伝えた言葉は、まるで歌を歌うようにすらすらと私の口からこぼれた。 家に帰って、そのあとの続きの詩を書いた。Tさんを勇気づけることができるなら・・・と、この二つの詩を書いて、Tさんにお渡しした。まるで、恋文のようだけど、Tさんは、しわしわのお顔をもっと、しわしわにして喜んでくださった。 今までのあなたも これからのあなたも 確かにあなたの人生ではあるけれど この目の前にいる、今のあなたが好きだから 信頼と尊敬と愛と 共に生きてゆきたい
2008年10月21日
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10月12日(日)奈良県ホスピス勉強会が主催のホスピス講演会に行った。昨年は、鎌田先生、一昨年は沼野先生の講演会で、ホスピス勉強会の会報誌に私の感想を載せていただいている。私にできることは、こんなささやかなことであるが、少しでもホスピスケアの普及に役立てればと思う。ホスピス勉強会は、医療従事者だけでなく、一般市民の方も多く、今回は看護学生を含めた学生が多く聴きにこられていたのは、嬉しかった。「最高に幸せな生き方死の迎え方」 ~施設ホスピスと在宅ホスピス~ 講師は、甲府市ふじ内科クリニック院長の内藤いづみ先生。http://www.naito-izumi.net 鳥の声、水の音・・・奈良県文化会館国際ホールの開場は、ひと時、富士の麓の自然の力で、命とは何かと私たちに伝えてくれる。命を続けるためには、呼吸すること、食べること、眠ること。そして、人間として生きるためには、五感が必要。五感を鍛えてはじめて知性が生まれる。知性とは思いやりを示せること・・と内藤氏は話された。 ホスピスとは、施設でも在宅でもホスピタリティを持ってケアするということ。たとえば、耳元で、『ありがとう』というと、言葉での返事ができなくても心の『ありがとう』を感じる。それは、瞬きをするとか、涙が出るとか、脈が速くなるという命の不思議を感じるケア。そして、その方にとって、人生の最終章であることを忘れてはいけない。その人が、自分で人生を歩んでいくことを決定できるケア。その時に地位や名誉は関係ない。致死率100%は、誰もみな一緒である。身体の痛みをとり、残された人生の課題に向き合うことができれば、『死ぬ』ということを恐れない。『死ぬ』ということを知って向き合うことができる。内藤氏は、「がんで苦しんでいる人の顔は、人間をやめたい顔になる。」と言われた。私が、がんになっても、笑顔でいたい。私だけでなく私のまわりの人も笑顔でいてほしい。そして、偽りのない真実の希望を持ちたい。 内藤氏が、イギリスのホスピスで、ボランティアをされたエピソードは興味深い。「命の最後を迎える人が誕生の喜びを知ることがどんなに幸せなことかわかる?」と勇気づけられて、当時生後3カ月の息子さんは、一番若いボランティア、ホスピスベィビーと喜ばれたそうだ。また、イギリスには、子どものためのホスピスがある。そして、イギリスのホスピスは無料で、国の補助と寄付による。市民が自分の人生をよくしたいと思ってできたホスピスだからこそと思う。 住み慣れた在宅で最期まで過ごすことができることは、以前の日本では珍しいことではなかった。生まれるのも死ぬのも日常の生活の中で行われていた。様々な社会状況の変化から、病院、施設で最期を迎える人が多くなってきた。内藤氏から紹介される事例の方々の笑顔が、在宅で生きぬく力をみせてくれる。今の状態でも在宅を選ぶことはできるということを伝えてくれた。 在宅ケアのいいところは、ご家族とずっと友だちでいれることだと内藤氏が話される。会って、嬉しくて抱き合えるケアをしたいと素敵な笑顔で語られる。会って、悲しい記憶がよみがえるときは、医療者として考える時だとも言われた。だからこそ、亡くなったあとのご家族へのケアも忘れてはならない。内藤氏は、ホスピスケアは、ご家族も含めてのケアであることを伝えてくださった。 ご講演のあと、著書にサインをしていただいた時、私が訪問看護師であることを伝えると、「ご自分の体を大事にしてくださいね。」と声をかけてくださった。多くを語らなくても私の言葉の意味を察した知性からくる思いやりの言葉に心が動いた・・・「ありがとうございました。」
2008年10月18日
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看護学校での講義の3日目は、緩和ケアについて話した。そもそも、私はこの緩和ケアについて、教科書には載っていない大切なことを伝えたくて、講義を引き受けた。 講義の内容は、ホスピスの母といわれるシシリーソンダースの言葉、WHOの緩和ケアの定義、施設緩和ケア(ホスピス)と在宅緩和ケアとの連携、ホスピス・緩和ケアの歴史、日本の現状、訪問看護に求められること、全人的苦痛について、終末期のプロセスの理解、家族ケア、グリーフケアについて、Power Pointを使って話した。事例紹介もしたかったので、ここのブログに公開しているものを3例、読んでいただいた。時間はめいっぱいだったので、感想などを書いていただくコミュニケーションメモは、次の講義で提出していただくことにした。 今週の4日目の講義は、感染症についての話をしたが、はじめに前回の補足や質問に答えた。コミュニケーションメモにもたくさん、学びや感想が書かれてあったので、とても嬉しかった。授業中は、静かで、ウトウトとする学生もいてるのだが、ほとんどの学生は、寝ないで、しっかりと聴いてくださるので、気持ちがよい。ただ・・・ここのブログを紹介したけど、読んでいただいた方は誰もいなかったので、ちょっと、ガッカリ。 私の話したことの一部でも一言でも、切り取って、あなたの心に届いたらいい。私が蒔いた種が芽をだしますように。こうして緩和ケアの普及に貢献できたら、それも意味がある。 学生の感想を少し、紹介したい。緩和ケアは、終末期に何も治療が出来なくなってからするものだと思っていました。がんと分かった時からケアが受けられることをたくさんの人に伝えたいです。緩和ケアは、痛みが軽減されるだけでなく生きる勇気にもつながるということを感じました。「あなたに会えてよかった」という言葉・・・いつか私も言ってもらえるような看護師になりたい。「がん末期」この言葉にはとても重く悲しく絶望的な響きがあり、辛く悲しいものとしてだけの思いがありましたが、がん末期になっても自分を大切に思ってくれる人たちに囲まれて最期を迎えることができる幸せを教えていただき感動しました。緩和ケアは、患者様だけでなく、その家族も対象になっていることを初めて知りました。知識、技術だけでなく人間対人間のコミュニケーションが大切であると気づきました。人との出会いは、悲喜こもごもですが、私は人間が好きだからナースを選んだんだなと思います。看護師を目指した原点にもどることができました。がんのとらえ方が、「進行や転移によっては、死と結びつくやっかいな病気にかかってしまった不幸な人」というイメージではなく、「私も誰もが長生きをしたらなる可能性の高い病気」と変わりました。「死に逝く人のケアをするのではなく、今を生きている人にケアをする」印象的でした。 学生が緩和ケアに興味を持っていただけたことは、質問の多さからも感じることができる。また、私が大切にしている思いや患者様との関係についても感じていただいたのもよくわかり、私もまた学生から勇気づけられた。 グリーフケア、家族ケアについて、自宅に帰りたいと思う気持ちにどう寄り添うか、自分の内で死を受け止めきれずいるのに自分にもケアができるか不安、告知の問題、介護認定の申請について、麻薬の使い方についての具体的な質問があり、次の講義では、そのことにも答えていきたい。
2008年10月09日
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