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昨日、友人から、遠方に住んでおられるご両親を心配して、介護のことについての相談を受けた。こうして、思い出して相談してくださるのは、嬉しい。昨年の春にケアマネを辞めてから開いていなかった介護関係の資料を久しぶりに開いて、彼女の役に立つものはないかと探した。会って、相談をしたかったので、今日はナースの仕事の帰りに直接、彼女の家に伺った。2時間ばかりお話を伺って、一緒に色々なことを考えた。 老後、介護が必要になったとき、自分の意思で、誰と何処で暮らすかを決めたいと思う。住み慣れたこの土地で、子どもたちの時間を束縛しないように、介護保険を使って、自分で選んだ老後を過ごしたい。私たちは、親の介護を目の前にした時、自分が見なければという気持ちになって、当事者の親の気持ちを考えないで、自分たちの都合で誘導してしまう。無理に同居を強いて、お互いが熱く悩み苦しむよりも、お互いの生活を守りながら、社会資源を利用して、いつでも手助けできるように見守りながらの涼しい関係が息切れしないで、いいと思う。なんだか、子育てに似ている。 介護保険を使うことにためらっている方(私の義父もそうだが)が、介護保険が複雑でわかりにくいこともあるのかもしれない。自立を支援するためのものであることよりも介護してもらうというイメージが強い。いっそ、介護保険ではなく、自立保険に改名しては・・・と思ったり(冗談ですよ^^)医療保険も同じことなのに、医療保険を使って、病院を受診されるのを拒まれる方はいない・・と思う。「人の世話にはならない」という思い込みから、離れれば、もっと楽になれるはずなのに。 話は変わるが、息子は、今夜、何を思ったのか、「小説を書く」といって、パソコンに向った。ワードを使って、一時間、たった2枚だが、『僕の野球』という短編を書いた。あらすじのようなお話だが、これを膨らませていけば結構、面白い小説になりそう・・・。子どもはどんどん、親を追い越していく・・・。
2006年01月31日
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少年野球チームで、6年生のお別れ親善試合があった。息子は、久しぶりにユニフォームを着て、パパと一緒に朝、早くに出かけた。今日は、ぽかぽかと春の陽気のようにお天気がよかったのだが、グランドは山の上だったらしくて、朝は、カチカチに凍って、昼からは、それが溶けて、ぐちゃぐちゃで、ひどいコンディションだったらしい。それでも、充分楽しめて、2回の試合を2回とも勝った。息子は、ヒットは打てなかったけれども、ちゃんとファーストは、守れた様子。お弁当が残っていたので、どうしたのかなと思ったら、「胸がいっぱいで食べれなかったんだろう」と、パパが言う。よほど、感激したのだろう。しばらく履かないうちに、スパイクが小さくなった。(足が大きくなったのだけれど)足の爪が内出血して、痛がった。でも、もう、新しいスパイクは、いらないね。息子は、東京に戻るパパを駅まで私と一緒に送り、帰ったら、リビングの床の上で、ぐっすりと眠ってしまった。どんな夢をみているんだか・・・・(笑)。 春から通う中学の通学路のことを行かれている先輩お母様に尋ねた。私が知っているのとは、別の駅を利用する方法があることや、普通しか停まらないので、少し戻って、快速に乗り換える人もいると聞いた。4月は、スクールバスの定期券を購入したが、朝は道が込むので、歩く生徒も多いことも教えていただいた。事前に情報を得るのは、いいのだが、これを息子に言う前に夫さんと、話をした。 「どの駅を利用するか、バスにするか、歩くか、それは、通い始めてから、本人が選んだらいいと思う。どの道を通って帰るかは、子どもの自由だから、そこまで、親が言わない方がいい。」子どものために、よかれと思って、導いているようで、そうではない。もし、こと細かく、この道が早くて安全だから、この道にしなさいなんて、言えば、子どもが道を選ぶ自由を奪ってしまうばかりでなく、試してみて、確認していく過程で、失敗もあり、喜びもある。そういったチャンスも奪ってしまうことになる。そういえば、制服採寸の日の帰り、来た道と違う道を通って帰ろうと言ったのは、息子だった。きっと、寄り道しながら、一番のお気に入りの道を自分でみつけるだろう。 先週末から、塾で英語の先取り授業をしてくださっている。金、土、月曜日まで・・・一応、1月いっぱいまでは、塾生になっているから、受験が終わっても通える。息子は、塾からいただいたアルファベットのプリントを楽しそうにやっている。目の前のことを一生懸命に楽しむ息子を見ていて、先のことをあれこれと心配するのはやめようと思った。
2006年01月29日
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娘の通う中学の教頭先生の主催で、時々、読書会が開かれる。いつとは、決まってなくて、時々、お手紙で知らせてくださる。それが、いい。この日は、お母様6人、お父様1人、教師2人の9名で、課題図書は、あさのあつこ著『バッテリー』だった。年末に、予定されていたのだが、大雪が降って、中止になり、その時には、バッテリーの大ファンの中学生も参加の予定だったと聞き、ぜひ、中学生の話も聞きたいと思ったが、今回は、丁度、英語検定と重なったらしくて、参加していただけなくて、残念だった。 事前に、本は、読んでおくということで、本の貸し出しもされていた。私は、夏休みに息子がよんでいたので、借りて読んだら、面白かったので、秋に『バッテリー2』も読んだ。読書会では、それぞれが、感じたことを一人ずつ言って、みんながコメントした。私は、夏休みに『バッテリー』を読んだ時に8月21日の日記に書いていたので、そのことをお話した。この主人公が、子どもの年齢に近いということもあり、『バッテリー2』で、主人公の巧くんが、暴力に遭う箇所があって、とても怖くて、次の『バッテリー3』を読むのをためらっていたが、教頭先生は、『バッテリー3』までは、オススメだと言われるので、やっぱり、読んでみようと思った。ただ、そのあと、6巻まで、出ているが、最後まででも中2のままで、完結して、やや物足りないという感じとのこと。映画化もされるらしく、映画としては、どのような作品になるのか、どう表現されるのかが、楽しみだ。 こんな中学生がいるのだろうか・・・ということに話が集まった。 「私は、中学1年の時に、巧のような男の子が好きだったら、自信過剰の彼の方から、自分のこと好きなら付き合おうといわれ、嬉しく交際していたのに、3年になる前に、受験だから、もうやめようといわれて、驚いた。人の気持ちなんて、全然、考えてくれないんだから。」こんな話は、夫には、言えなかったと、笑っておられた。「豪くんのような、人のことを考えられる理想的な子どもは、どうやったら、できるのか、あさのさんに尋ねてみたい。巧のような、自己中心的な考え方をする子、病弱な弟の強さを持った子は、極端ではなくても、どの子も持っていると思うが、豪のような正義感のある子がいるだろうか」と、言われた。私は、豪のような子どもが普通であると思っていたので、ちょっと驚いた。物語の中の理想的な部分を自分の中の理想においているということに気がついた。彼女が、いうように、どの子どもにも、この物語の中に出てくる子どもの一部が見える。自分の子どもにもある。自分の中にある、理想の子ども像を除かなければ、ほんとうの子どものことは、見えてこない。今、目の前の子どもには、この物語に書かれている子どもの気持ちが多かれ少なかれあるのだから・・・と、思った。 「ここに、描かれている親は、ごく普通の親ですよね。塾に行きなさい。もう、勉強の方が大事だから、野球はやめたらいい。とか、よく聞く言葉ですよね。」そう、この、何気に使っている言葉が、子どもを支配しているのだということが、よくわかる。登場してくる大人の言動は、子どもの課題におとながどんどんと入り込んでいることがよくわかる。巧の言っていることは、自己中心的かもしれないが、私は、巧の言うことは、正しいことを言っていると思う。ただ、その言い方が、人を怒らせてしまうので、その辺を上手に言えば、よい人間関係ができるのに・・・私が、物語の中に入っていって、お話したいというと、みんなが、爆笑した。 土曜日の午前中の静かな中学校の図書室。2時間があっという間に過ぎた。途中、コーヒーを入れてくださり、また、来たいなと思ったが、もう、今学期は、ないだろうな。「来年も続けますから」と、先生は言われた。私は、もう、娘が卒業してしまうので、ここには、もう来ることはない。そう思ったら、しみじみと、さみしくなった。子育ての時だから、学べることって、あると思う。今、この時の幸せを大事にして、大切に時を過ごしたいと思う。
2006年01月28日
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先週末は、夫さんは、奈良には、帰らず、東京で過ごした。会社の人と一緒に、湯島天満宮にお参りしたとのこと。夫さんは、前に日記に書いたが、菅原道真が好きだから、私たちは、あちこちの天満宮にお参りしている。 子どもたちにお守りを買ってきてくれた。娘には、これからの受験のこともあるし、頑張ってもらわなきゃいけないから、御札と大きいお守り。息子には、小さいお守り。私なら、きっと同じものにすると思うけれども、夫さんには、夫さんの考えがあるのだろう。 息子の小さなお守りは、カバンにつけると夫さんは、言うが、どうやら、首から吊り提げペンダントになるように鎖がついている。「こんなん、いっつも吊り提げてたら、変やなあ。」といいながら、息子は嬉しそうに首から提げている。娘は、先に貰っていたので、さっさと自分の部屋の本棚にきちんと納めていた。 昨日は、夫さんは、大阪で会議があったので、夜遅くに帰宅した。もう、週末なので、そのまま休暇をとった。私は、仕事だったので、娘は、学校から帰宅すると、夫さんと二人で過ごした。昼食は、二人でラーメンをつくって、食べたとのこと。娘が作ってあげるのではなく、パパが作ったとのこと。まったく、パパは娘に甘いんだから。 夫さんがいると、自分の部屋からは、出てこない。呼ぶと、優しい声で、返事をする。私が仕事から帰って、一緒にコーヒーを飲んだ。娘は、飲み終わると、またすぐに二階にあがってしまう。食事の時も同じ。勉強しているのかなと気になるけれども、確かめたりなんかしない。 受験する学校には、模擬テストの時に一度、行っているが、一人で行けるのだろうか・・友だちと約束していくのだろうか・・・と、夫さんが、気にする。私もそのことを尋ねていなかったが、もしも、不安で困っているのなら、自分から言うだろう。それとも、まだ、受験日のことを考えていないってことは、ないよね。これは、のんびり屋の娘のいいところなのかもしれないが、傍でみているとハラハラする。
2006年01月27日
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奈良県内の私学の受験が、10日後に迫ってきた。娘の受験する高校には、公立高校を受ける生徒が、併願で受験する生徒が多いので、学校から、まとめて、願書を出願してくださった。昨日、受験票が、娘の手元に届いた。 「もしも、合格しなかったら、どうしよう。」 「もしものことは、今、考えなくてもいいんじゃないの?行きたい学校に合格するように、今、しなければいけないことだけ、考えたらいいのに。」 娘は、行きたい学校を一校だけ、専願(推薦)で、受験する。 今日は、ガールスカウトの団委員会があった。来年の組織のことを話していて、気が遠くなりそうだった。出生する子どもの人数が、減ってきているので、当然、スカウトの人数も同じように減少してしまうのは、仕方ないが、全国のスカウトが、毎年、100人単位で、減少している。スカウトがあっての活動だから、危機状態だ。やくそくとおきてを守る人ばかりの世の中ならば、戦争など、ぜったいにおきないのに・・・お金よりも大切なこと、倹約して、働いて、得たお金が、どんなに美しいものか・・・。最近のニュースを見ていて感じることは、多い。 娘は、高校に上がるので、中学生の年代をシニアといったが、高校の年代になると、レンジャーとなる。レンジャーになると、全国のスカウトとの交流も活発になり、海外派遣のチャンスもある。中学時代は、クラブがあり、今も受験があり、休んでいる状態だが、レンジャーになったら、また、活動できるのではないかと思うが、私たちの団のレンジャーは、娘一人しかいない。娘と転団することを検討している。一応、3月には、私もレンジャーのリーダー資格取得の研修をする予定だが、私がレンジャーのリーダーになったら、団委員長をどなたが、引き受けてくださるのだろうか・・・・。そう考えたら、娘が転団して、私が残ることになるのだろうか。いずれにしても、私たちの団は、風前のともし火状態になった。 もしものことは、考えず、今、できることをやってみよう。それぞれが、自分の選んだ道だから、一番いい方向に私たちの団も行くでしょう。 「リーダーは、嫌なので、子どもも一緒に辞めます。」そういって、辞められる。スカウト活動は、少女だけではなくて、親である成人女性の活動でもあることをみんな忘れてしまっている。スキャップといって、成人会員のための部門もある。スキャップの方々からは、団を失くさないでと言われる。スカウトをいかにして、増やすかということを話し合ってほしいと、支部からは、言われるが、私は、小さな子どもからではなく、、ある程度、自立したレンジャー部門からでも、入っても活動できるようなガールスカウトがいいのではないかと、思う。子どものいない、若い女性とか、スカウト活動は、年齢に関係なく、よい世の中になるように、活動できたらいいのにと、思う。 娘が、今日は、午前中までで、お弁当も食べずに、帰ってきた。インフルエンザで、1,2年生が、たくさん休んでいるらしく、急遽、全員、早退になったらしい。でも、テニス部の友だちの家に、勉強するからと、お弁当を持って、そのまま出かけていった。思いがけず、時間ができて、よかったね。もうすぐ、受験、一人で、考えるより、親の私が励ますより、なによりも友だちに勇気つけてもらえるのが、一番いい。 風邪、ひかないで、頑張れ!!
2006年01月26日
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第三回PTA研修会を主催した。これで、本年度の私の所属する研修委員のお役目は、終わった。三学期の研修会は、毎年、参加者は30名ほどで、少ないのだが、今日の事前の申し込みが6枚しか届いていなかったのには、驚いた。こんなに少ないのなら、円陣にして、わきあいあいと、ディスカッションができるようにと、机を並び替えた。けれども、申し込みをしないで、当日参加の方々の参加があり、結局、例年どおり、30名ほどの参加があって、よかった。 今日の研修会は、スクールカウンセラーの先生から、『僕のキモチ・私のキモチ』をテーマに、思春期の子どもの気持ちについてのお話のあと、参加者で、ディスカッションをする形になった。昨日の日記に、『甘え』のことを書いたが、ちょうど、そのことに触れられていた。「自立したい気持ちと甘えたい気持ちは、おとなへの入口」と、先生は言われる。「大人の世話になりたくない、自分でなんでも出来ると思いたくて反抗する。甘えて不安をやわらげたい気持ちがある。」とも言われた。昨日の日記のコメントにお返事をしながら、また、いっそうに考えさせていただいた。 続いて、地域にある障害者福祉施設『かかしの家作遊所』所長さんから、地域の中で、しょうがいを持った子どもたちが、そのしょうがいを個性として、生活している様子やノーマライゼーションの理念についてもお話していただいた。所長さんは、25歳になる重症心身障害者の母親であり、養護学校を卒業する頃、息子さんのような最重度の障害者が通える作業所がない(在宅はできなく、病院に入院するか、施設に入所するしか選択はなかった)ことに驚き、「どんなに重いしょうがいがあっても、地域の中で楽しく暮らしたい」という思いから、作遊所を作られた。『作業所』ではなく、『作遊所』と、こだわっておられるのも、そういう思いがこめられている。 一見、しょうがいがないように見えても、心にしょうがいのある子もいる。養護学校を卒業して、一度は社会に出たが、心無い中傷で、傷つき自信を失った子どもたちにも自信を取り戻してもらう。 作遊所には、グループホームもある。ここでは、ケアする人が入って、子どもたちが共同で生活している。今、ケアしている母親が年を重ね、ケアすることが困難になったときでも地域で生活ができるためのものだ。地域活性化事業費で、コミュニティレストをつくられた。ここでは、地域の方が、気軽に立ち寄っていけるカフェをひらいている。税金を使って、作遊所を運営しているのだから、地域にも貢献したいと考え、グループホームの2階のスペースは、地域の人に提供している。この5月からは、『地域の子どもたちに居場所を』ということで、『わくわく広場』を始め、地域のこどもたちとの交流もはかられている。 かかしの家に立ち寄る方々が、何かお手伝いはないですかと、声をかける。手伝ってほしいことはいっぱいある。食事つくりや草刈などをしてくださるボランティアの方々も少しづつ増えておられるとのこと。人の力は、貴重な社会資源になる。 『かかしの家』のかかしは、山を案内する子と書く。 案山子・・・しょうがいのある人が住みやすい社会は、私たちも住みやすい社会だよ。こんな世の中がいいんだよと、道案内をする。これが、バリアフリーだよ。いくら、しょうがいがあって、何にも出来ないように見えても、その子たちから、教わることは、多い、あの子たちは、案山子なんだよ・・・と、所長さんが語られた。
2006年01月24日
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昨日の日記のコメントで、宿題をいただいたので、子どもを『甘やかす』ことと、子どもに『甘えさせる』ことについて、考えてみたい。 『甘やかされた子ども』は、自分のことにしか関心を持たず、他者に関心を持たない子どもになると言われている。(A.アドラー個人心理学講義P24)私のこどもたちは、どうだろう。私も夫さんもかなり、子どもに甘いと思う。まず、息子のことを叱ったことがない。彼は、いつも私たちと対等で、自分の間違ったことは、素直に認めるが、間違っていないと思うことは、頑固に反発する。嫌なものは、嫌といえる。甘やかそうと思っても甘やかされない・・・それでいて、甘え上手。お風呂に入る前には、必ず、「ねえ、ママ~、お着替え出しといてや」と、言う。息子にそんな風に頼まれると、着替えを出してしまう。私が、忙しくしているときにも、一応、同じようにお願いしても、「いいわあ。自分で出す。」と、いうように、私を困らせることはなく、断られることを前提で頼んでくる。いつまで、私が彼の着替えを出すのか、試しているようにも思えるが、これは、彼が、私に『甘えて』いるのではないかと思う。 娘の場合は、ちょっと、違う。彼女は、自分では、決めることがなかなか出来ない。小さいときから、自己主張をしないで、こちらの反応を待っているようなところがある。人の気持ちを敏感に感じ取り、それが、すぐに表情に出たり、チックのような症状になったりする。ほんとは、優しい子だと思うのだが、思いとは反対の言動に驚かされる。それで、ひどく叱ったりしてきた。(叱ったことはいけなかった。これは、のちのちまで、私と娘の関係のわだかまりになっている)今は、思春期で、些細なことにも腹が立つのだろうと思って、彼女の機嫌が悪くならないようにと、気を使ってしまう。地雷を踏まないように、機嫌を損ねないように、接しているということは、『甘やかしている』と思う。彼女の反発の対象は、母親の私と弟だ。父親のいる前では、決して怒ったりなどしない。とても穏やかな子になっている。父親も娘を叱ったことがない。それなら、父親の前では、甘えたいのを我慢しているのだろうか。学校でも、友だちの間でも、優しくておとなしいので、そんなに我慢できるだろうか。この穏やかな子が、本来の姿だと考えると、この反抗は、『甘え』であると思う。学校を休むことも夜に眠らないことも彼女の目的は、『甘え』だと思ったら、こんな甘えは、いつまでも甘えさせてはおけないと思う。上手に『甘えさせる』ことが、できたらいいのにな。
2006年01月23日
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春から、通うことになった中学の制服の採寸に行った。 4月から、通うわけだから、彼が、先導して、私を学校に連れていってもらうようなつもりで、でかけた。 電車をおりて、乗り換えのバスが、休日は、ほとんどなくて、学校まで、約20分、歩いた。 今日は、とてもいいお天気で、雲ひとつない青空。 入学式もこんなだといいな。 制服の採寸・・・息子は、どちらかというと、体が大きい方だが、着慣れないブレザーを羽織ると、なんだか、制服に着られているようで、かわいかった。 制服に付属するものとして、カッターシャツ、ネクタイ、エンブレム、靴下、ベルト、セーター、夏物の制服、カバン、通学靴、上靴、体操服、グランドシューズ、体育館シューズを購入。 くつも履いてみて、サイズを確認する。 体操服も・・・娘の時には、丁度のサイズを購入して、2学期には、新しく購入した。 この時期は、すごく成長するから、少し、大きめを購入したほうが、いい。 息子は、着たり脱いだり、とても嬉しそうにあわせていた。 今日、持って帰るものは、カバンと通学靴と上履き、ベルトだけれども、大きな紙袋にいっぱいになった。 息子の持ってきていたカバンに上靴とベルトを入れて、膨らんだ紙袋をすっきりさせた。 私が、紙袋を持つよりはやく、息子が、紙袋を持つ。 「え?持ってくれるの?」 「だって、Kent(息子の名前)のだもん。自分で、持つよ。」 頼もしくなったものだ。 帰りは、バスでなくて、来た道ではない道を通って帰りたいというので、大きな紙袋を持って、駅まであるいた。 私は、自分のハンドバックだけだけれども、彼は、ずいぶんと重かっただろう。 お昼をとっくに過ぎたので、駅の近くのファミレスで、食事をした。 途中、娘から電話。 お昼は、一人でできるからと言っていたので、安心していたのだが、機嫌が悪い。 息子が、姉のことを気にする。 「なんで、姉ちゃんは、怒っているの?」 「Kentのことばかりしていると思っているのよ。そう言っていたから。」 「もう、いいよ。Kentのことばかりしなくても、今日だって、一人で、来ても大丈夫だったのに。」 「ありがとう。でもね、順番なのよ。姉ちゃんの時には、ママは、姉ちゃんのことばっかりになるんだから。それに、姉ちゃんもわかっていて、ママに無理を言うのよ。受験の大切な時には、言わなかったでしょ?我慢してたんだから。今ならいいかなって、思って困らせるように言ってるからね。」 「ママ、姉ちゃんが、勉強してないって、思ってるでしょ?」 「うん。してるとは、思えない。」 「姉ちゃん、ちゃんとしているよ。ママのいない時は、ちゃんとしているよ。ママの前で、勉強するのが、恥ずかしいんだと思う。Kentも恥ずかしいから、家で、勉強したくない。」 「なんで、恥ずかしいの?」 「勉強してるなって、褒められるのが、嫌やねん。」 私は、娘が受験を前に勉強をする気が起こらないで、私の前で、ゴロゴロしているのが、とても嫌になっていて、勉強しなさいとは、言わないけれども、その生活態度を注意してしまう。 注意すると、機嫌が悪くなるので、ここ2,3日の私たちの関係はよくない。 そのことを息子は、感じているのだ。 もっと、娘を信じなさいと、息子から言われているような気がした。 帰宅して、機嫌の悪かった娘も息子とDVDを見て、機嫌を直し、二人で、新しい靴やカバンを広げて見ていた。 中学受験は、色んな意味で、きょうだいの関係にも影響する。 きょうだい仲よくしているのをみると、ほっとする。 春には、二人そろって、新しい制服を着て、記念写真を撮ろうね。
2006年01月22日
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後期試験の結果をはりだされてた掲示板に息子の受験番号はなかった。 塾の先生も、きてくださっていた。 「今年は、近畿統一試験で、予想外に厳しかったです。今日も、前期を受けた塾生は、合格できませんでした。」 すまなそうに、先生が、お話になる。 息子は、第二希望とはいえ、行きたいと思う学校に合格している。 受験校を選ぶ時の判断は、難しい。 親は、子どもの力以上の学校を希望してしまうが、塾の先生の的確なアドバイスがあったからこそ、息子は、合格をいただいたと思っている。 前期試験で、不合格だった時、息子は、「この学校は、嫌だ。」と、言った。 それは、不合格が、自分の力の結果でなく、あたかも学校が悪いというように私は、感じた。 不合格だったのは、人のせいでも、学校のせいでもない。 そうして、今度は、自分の悔いのないように、もう一度、頑張った。 一度、解き放たれた糸をもう一度、結んで・・・。 後期試験の後、「やっぱりこの学校に行きたい。」と、素直に言えた。 彼は、ずっと、この学校に来たいと思って、頑張ってきたことをちゃんと思い出した。 私は、もし、これで、また不合格をいただいても、彼は、そのことを人のせいにせず、自分が受け止めて、次に進めると思った。 昨日は、発表を確認したあと、同じ6年生のお母様方8人で、ランチに出かけ、そのまま、参観に行った。 息子が、かけよってくる。 「結果は、どうだった?」 「合格じゃなかった。」 「そう。やっぱりか。」 元気に友だちの中に消えていった。 学校が終わると、友だちの家に行き、暗くなるまで、遊んだ。 「明日は、部屋を片付けるからね。中学の準備を始めるから、ママも手伝ってよね。」 たくさんのプリント・・・壁に貼ってある自分を励ます言葉。塾の時間割は、何枚も重ねて、貼り付けてある。 息子には、息子のこだわりがあって、私は、彼の部屋は彼に任せている。 封印と書いた紙を貼り付けた本棚や引き出しには、ゲームが入っている。 気持ちの整理をつけるのに、部屋を片付けようと思ったのだろう。 明日は、進学先の中学の制服の採寸と、物品の購入がある。 来週、早々には、市役所に、入学許可書を持っていき、公立中学に進学しないということを届けなければならない。 受験が終わっても入学まで、色々とある。 春は、もう少し先だ。 夕べは、なんだか、ほっとして、ひどく疲れて、早くから眠ってしまい、心配してくださっている皆様に早く、報告しなければと、思いつつ・・・できませんでした。 ドラマチックな展開には、なりませんでしたが、コメントをいただいた皆様の言葉に励まされ、とても嬉しかったです。 この一週間、ブログは、中学受験のことばかりでしたが、コメントのお返事を返しながら、多くのことに気がつき、とても充実した日々でした。 ほんとうにありがとうございました。
2006年01月21日
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第一希望校の後期試験。 前日の昨日は、本人が、学校を休みたいと言った。 私は、ナースのお仕事の日だったので、息子は、学校を休んで、自分で、塾に電話して、一人でバスに乗って、塾に行った。 今まで、苦手だから、やりたくなかった理科を集中して、学習したらしい。 受験する学校に着くと、さすがに、最後の入試。 塾の応援も前期よりも凄く多い。 のぼりも旗もたくさんある。 受験生は、少なくなったが、難関、超難関校の入試に向けて頑張ってきた受験生もいる。 だけど、この後期試験を受ける子どもたちは、どの子どもも重い課題を背負っているんだなって、思ったら、みんな頑張れって、応援したくなる。 今日は、平日だし、夫さんもいないので、私は、学校で入試の終了まで、本を読んで、待っていることにした。 『個人心理学講義(A.アドラー)』を読んだ。 5時間、途中に食事(お弁当)をしたが、集中して、読んだ。 思いがけない、時間の贈り物で、付箋をつけながら、線を引きながら、読み終えることができた。 学校のことについて触れてある箇所を引いてみる。 「子どもたちをどのように教育するべきでしょうか? 教育の主たる目的は、社会適応にあります。 学校は、子どもたちを甘やかしません。 一般に家庭より、ずっと公平な態度でいます。 教科を教えるのではなく、教科で教える、と、アドラーは言っている。」 私は、子どもを甘やかしているかもしれない。 こんなふうに、一人の子どもに注目していると、いつも自分が、注目されていて当たり前のようになって、注目されないと、問題行動で、注目を引くということにならないだろうか・・・。 娘は、弟の受験が終われば、次は、自分の番というように、じっと、待っている。 今日も、私たちのほうが、先に家を出るので、鍵をかけて、学校に行かなくてはならなかった。 そのことを少々、不服に思っていたことは、確かだ。 なんとか、ならないかと私が考えて、娘に言わなくても、どうすればよいかを娘が判断しなければならない。 ここのところを、いつも私が先回りして考えてしまうところが、甘やかしていると思う。 甘やかされたこどもは、社会に適応することが困難になる。 鍵をかけてでかけるのが、イヤだからと学校を休むということになれば、これは、娘の課題から、娘が逃げることになる。 自分に都合の悪いものは、排除するということになる。 でも、彼女もほんとうに、自分が今しなければならないことは、よくわかっているようで、学校を休むとも言わないで、協力してくれた。 苦手なこと、嫌なことを先送りにしないで、向き合うことは、大切だと思う。 本を読みながら、待っている間に、色んなことを考えた。 入試が終わった。 今日の息子の表情は、いい。 「前期よりは、できた・・と思う。」 同じ少年野球チームに入っているAくんの姿があった。 息子とAくんは、二人で転がるように、コロコロと一緒に歩いた。 Aくんは、超難関校の受験を目標に、夏休み以後は、大好きな野球を我慢して、頑張ったことを私は、知っている。 こんなとき、私は、息子に限らず子どもたちを抱きしめたくなる。 そんなことをしたら、嫌がられるだろうから、しないけど(笑)。 少し、ふっくらとした、Aくんと、息子に「二人とも、よく頑張ったね」と、声をかけた。 「ママ、もしも、ここに合格したら、やっぱり、ここに来たい。Aと一緒にここに来たい。いい?」 「もちろん。」 私たち、親が出来ることは、選択肢を提供すること・・その中から、選ぶのは、子ども自身なのだから。 帰りのバスも電車もAくんと息子は、二人でくっついて、帰った。 私は、Aくんのお母様と一緒に、彼らと少し、距離をおきながら、帰った。 息子たちにとって、受験生は、ライバルじゃない。 一緒に頑張った仲間なんだね。 チラチラと粉雪が、舞う。 また、少し、寒くなった。 でも、なんだか、すがすがしく、嬉しかった。 どんな結果になっても、息子は、前を向いていくと思う。 明日の結果発表は、私が一人で見に行く。 息子は、学校に・・午後から、学習参観がある。 音楽発表会がある。 近所の同じクラスのYさんが、明日の連絡のお手紙を持ってきてくれた。 「明日は、来てね」と、可愛い字で、書いてある。 2日だけ休んでしまったけど、明日の発表会は、クラスの仲間と一緒に、思い出に残る、音楽会にしてほしい。 結果は、音楽会が終わってから、伝えるから、待ってて・・・。
2006年01月19日
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昨日の日記には、ほんとにたくさんの暖かいコメントをたくさんいただいた。 通りすがりの昨年の受験母さんからも私書箱にメールが届いていて、嬉しかった。 ありがたい。 ブログを書いていて、気持ちがだんだん、整理され、コメントを読んで、ますます、気持ちを確かなものにできた。 みなさんに感謝です。 コメントやメッセージを読ませていただいて、「もう、いいんじゃないの」というようようなことを一瞬でも考えた私は、情けないと思った。 息子が、第一希望校に合格できなくても、第二希望校のしかも特進で、合格をいただいているのだから、申し分ないと思った。 それでも、夫さんは、息子の第一希望校にこだわった。 悔いが残らないように、息子の気の澄むように、してやりたいと、夫さんは、言う。 夕べ、日付けが変わったころに、夫さんから、メールがきた。 「後期の試験を受けるように、勧めたけど、ほんとによかったのだろうか。 そこまでして、わずか12歳の子になんで、ここまでさせなあかんのかな? 中高一貫が、そんなにええねんやろか?ギモンに思えてきた。 親の都合を押し付けていないかと思ったら泣けてきた。ごめん。」 夫さんも眠れないようだ。 「子どもにさせてないよ。あの子が決めてしているんだよ。 あの子は、嫌なら、イヤって言うでしょ(^^)。」 と、私の返事のあと、二回目のメールは、1時半を回っていた。 「自分の時、高校入試、大学入試に親がここまで、関わってくれたか・・・ちょっと、かまい過ぎかなあ。」 朝になってから、夫さんの明るいメールが着た。 「そうでした。私たちは子どもに選択肢を整えてやり、子どもたちが自主的にするでしたね(^^)」 よかった。 私は、今朝、不合格だった中学の後期試験の願書を持参した。 願書を提出したあと、夫さんにメールした。 「私たちの親は、確かに、受験のことは言わなかったですね。 周りの雰囲気もあると思います。 当時は、中学受験をする子は、よほど頭のいい子か、お金持ちの子だったもんね。 でも、公立に行くのが、当たり前ではないと思います。 子どもがすることに、手出し、口出しは、できませんが、環境を提供して、私たちで出来る限りでの選択肢をひろげることは、出来ると思います。 当然、経済的にも限度があり、限られた環境なのですが、その環境を使うか、使わないかは、本人の課題で、私たちは、提供したことに見返りなど求めていません。」 中学受験が、親の受験でもあると言われるのは、こんなところなのかもしれない。 親の考え一つで、子どもは、どんな情況にも適応して、いける。 こだわりがあるのは、親の方で、子どもには、何のこだわりもない。 受験するのは、子どもなのだが、親の関わりが大きい。 どんな結果になったとしても、この受験は、息子を大きく成長させてくれたし、待つことの大切さを私自信が教わった。 今、ここで、出来る限りの力を出す。 それは、人に勝つためではなく、自分の夢を本当にするためのもの。 これから始まる未来の扉を自分の手で開くこと。 一緒に頑張ってきた友だちや先生、そして、私たち親がいることを感じてこれた。 幸運は、誰にも平等にやってくるけれども、それをつかめるのは、毎日、こつこつと積み重ねてきた力であることもよくわかった。 『―下ごしらえを先のばしにしていれば、幸運は絶対に訪れてくれない。 どんなに大変でも、今日できることは今日してしまうこと― ―グッド ラックより―』
2006年01月17日
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学校に着くと、丁度、今から結果が張り出されるところだった。 大きく高く、作られた掲示板の前には、すごいたくさんの父母・・・。 朝なのに、子どもも一緒にきている人もいる。 私は、息子が、行きたがっている学校だから、結果を確認してから、東京に戻るという夫さんと、二人で確認した。 ない。 何度みても、ない。 まさか・・・。 そんなはずはない・・・。 大きな溜息がこぼれた。 あちこちで、溜息がこぼれる。 こんなにたくさんの人がいるのに、なんて、静かなんだろう。 テレビのカメラが様子を写しているのが、見えた。 合格者は、校舎の方へと前に進み、不合格者は、後ろにむく。 はっきりと、分かれる瞬間。後ろに向く人が断然多く、黙って、足早に学校からでてゆく。 私たちも・・・言葉にならず、学校を出て、信号を渡って、やっと、塾に電話した。 後期試験を受けるかどうかは、息子と相談することと、第二希望の学校に入学手続きに行くことを報告した。 夫さんは、息子の気が澄む様に後期も受けさせてはどうかと言う。 後期は、前期よりも難しくなる。後期での合格の方が、望めないと思うので、私は、もういいのではないかと思った。 一応、用意していた、第二希望の学校の入学手続きに行った。 入学金も納めた。 夕方、息子に結果を伝えた。 「そうか・・・わかった。」 後期は、もう、受けないという。 クラブも、野球部は、高校からしかないから、ゴルフ部に入ると決めていた(いつのまに・・・)。パパと一緒に出来ることをしたいのだそうだ。 なんと、潔い・・・でも、ほんとの息子の気持ちは、どうなのだろうか。 夕方、パパから、電話が入り、息子の気持ちが揺れる。 とりあえず、塾の先生に報告と後期の相談に行くことにした。 塾の先生は、後期は、難しくなるけれども、受けてみなければわからない。もう2日、頑張ってみないかと勧められた。 息子は、よくよく考えて、受けることにした。 「もう一度、確認するために受ける。また、不合格なら、仕方ないけど、合格したら、どちらに行くか、その時に決める。」 息子の中では、どちらの中学も、第一希望に変わっている。 子どもの順応する力は、こんな時にもあるのかと驚く。 私は、後期の願書を書いた。 明日、持参する。 後期の試験は、19日。 それにしても、今日は、バスや電車を乗り継いで、たくさん歩いて、足が痛む。 疲れた・・・けど、 終わったと、思って、学校から帰って、ランニングをしてきた息子。 息子の気持ちを考えたら、疲れたとは、言ってられない・・・。
2006年01月16日
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本日の受験校が、息子の一番、希望している学校。 私も夫さんも息子も何度か足を運んだ。 やっと、受験の日を迎えた。 今朝は、昨日より、開始の時間が遅く、塾の集合は、学校に9時20分だった。 10時から、試験なので、入室する前に簡単な集会をされる。 息子も夫さんも気持ちが急いて、8時50分に、学校についた。 まだ、受験生は、まばらで、塾の先生がたが、大勢おられた。 昨日、受験した学校の4倍以上の志願者があるので、それぞれの塾の先生の数も昨日よりも多い。 息子の塾からも、30人ほどが、受験するので、先生も5~6人、来てくださっていた。 それにしても、試験の前の30分の間に、各塾のパフォーマンスというか、ひどく目立ったことをされる塾があって、驚く。 門を入って、すぐに目に入ったのが、ブルーシートを敷いて、座布団を並べ、塾生が来たら、順に座らせ、筆記用具を貸し出し、プリントの自習。 「よそ見、一回、一点減点。この時間に勉強したら、確実に10点はとれる。」と、叱咤激励。 そのうち、直前、講義をはじめた。 凄い。けど・・・、みんなが、見ている。 子どもたちは、後ろ向きだから、わからないけれども・・・。 派手派手のジャンバーにも驚いたが、それより、凄い。 噂には、聞いていたが、ホントにするんだ・・・と思った。 それとは、対照的な、息子の通う塾。 9時20分すぎ、全員が集合したところで、先生を囲んで、静かに、お話しがはじまった。 「目を閉じてごらん。みんな、一年前からのことをよく思い出してごらん・・・・君たちは、するべきことは、みんなやった。気負うことなどないよ。今、出せる力をそのまま、出していったらいいから・・・」 なんだか、胸にじ~んときた。 直前講義をしている隣で、静かに目を閉じる。 遠くで、何処かの塾のエールを送る声がきこえてくる。 お祭りのような騒ぎの中で、静かに心を落ち着けて、9時半に校舎に入って行った。 息子は、何度も振り返り、手を振った。 試験が終わって、出てきた息子の表情が、くらい。 「あかんわ。すごい、難しかった。半分も点とれへんかもしれん。」 昨日とは、まったく違う息子に、どう声をかけようかと思った。 夫さんは、「おまえが難しかったものは、みんなも難しかっただろうね。」と、言ってくれた。 そのまま、昨日、受験した学校に結果発表を見に行った。 張り出されている掲示板のところに、走っていく息子。 私は、息を切らしても、彼に追いつけない。 一足先に、掲示板を見て、また、戻ってくる。 「ママ~。あったよ。あった。合格だよ~。」 嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねるように、私の手を引っ張る。 掲示板に張り出された受験番号を写真に収めた。 よかった。でも、 明日の4時までに、手続きをしないと、この合格は取り消される。 明日の朝、今日受験した、学校の結果で、手続きをするかどうかが決まる。 夫さんと、誓約書などに記入して、入学金も用意して、明日の朝、結果発表を見に行く。 どうか、第一希望校に合格していますように・・・・。 合格までは、息子のするべきことは、やった。よくがんばった。 これから、入学の手続きが完了するまでは、私の責任。 全てが終了して、はじめて、受験が終わる。 明日も忙しくなりそうだ。
2006年01月15日
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朝から雨だった。 早く眠っていたので、機嫌よく起床。 朝は、卵のサンドウイッチ、ウインナーと、お味噌汁。 今日は、夫さんと私と二人とも、一緒に学校に送っていった。 受験校の門を入ると、塾の説明会の時にも聞いていたが、いろんな塾ののぼりや、旗を持った人(多分、塾の先生)が、立っておられ、前を通るのが、気恥ずかしい。 子どもが、見つけやすいようにだろう、すごく、派手派手のジャンバーの方もいて、驚く。 私は、珍しいので、キョロキョロしているのに、息子は、見向きもしないで、すたすたと、前に進む。 「どこに先生が待っておられるのか、分かるの?」 「校舎の中に入った入口。」 校舎の中に入ると、ここには、保護者なのか、塾の先生なのか、一見では、分からない人たちばかり。 すぐに、息子が、先生をみつけたのと同じに先生が、傍に来て下さった。 「緊張しているか?」 「ちょっと。」 「朝ごはんは、食べたか?」 「はい。」 「そうか、大丈夫だ。おまえが、一番、賢そうに見えるぞ(笑)。」 どの子どもにもそうやって声をかけてくださるのだろうけれども、息子は、嬉しそうに笑った。 携帯にメールが着た。 お友だちのIさんから・・・京都で受験しているから、お互いによい結果になりますように・・・と。 近畿一斉入試だから、今日と明日は、同じように受験するお友だちがいて、その親は、同じような気持ちで、この数日を過ごしているんだな。 試験は、よく出来たらしく、ご機嫌だった。 「三試合連続ヒットを打ったことがあるんだから。入試も三回ともヒットにするから(笑)」 「ポケットの中の闘魂はちまきを握ってたんだ。だから、よくできたのかなあ。モモちゃんが、判子を押してくれたからかなあ。」 自信ありげに、話すけれども、試験中は、きっと、不安なキモチを闘魂はちまきを握り締めて、強くしたのだろう。 今回の試験用紙は、持ち帰ることが出来たので、確認できた。 夫さんと、どっちが、よくわかるか、解いてみた。 社会なら、わかるだろうと、思ったが、息子に答えを聞いても、へ~というような感じで、すっかり忘れている。 国語は、息子が読んでいた、あさのあつこの『バッテリー』が出た。ラッキーだった。 でも、国語も算数も理科も、私と夫さんは、問題を読むのが、面倒になって、諦めた。 あらためて、子どもたちって、凄いなって思った。 4時間、緊張して、試験を受けて、疲れているだろうに、帰ってからも、もう少し、勉強するからと、頑張っていた。 明日は、いよいよ、一番、行きたい中学校を受験する。 夜に塾の先生から、電話があった。 明日の試験の確認だった。 今日の様子を少し、お話した。 明日も気を緩めないで、頑張るようにとのこと・・・ 今夜は、今日の疲れもあり、9時には、パパと一緒にベッドに入って、二人とも眠ってしまった。 私も今夜は、早く眠ろう。
2006年01月14日
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いよいよ、明日から近畿一斉入試・・・。 今日は、塾で、始めの一時間は、入試のことについての伝達があったらしい。 受験校と塾の集合場所と時間、学校の入試時間のかかれた一覧表を持って帰ってきた。 「今日、学校、休んでなかったのは、僕だけだった・・・。」 前日は、風邪をひいたり、怪我をしてはいけないので、できれば、自宅で自習、午後からは、2時から塾で自習というかたちが、望ましいのかもしれない。 私は、学校に行くか、休むかということは、本人が決めることだと思う。 親が、休ませたり、行かせたりするものではないと思う。 始業式から、休んでいる子どももいる。 昨日からの子もいる。 今日は、明日の受験の子は、ほとんど休んでいる。 息子は、どうしようか、迷っていた。 今は、毎日、塾に行って、自習している。 学校のある日も、2時から、塾で自習ができる。 私は、息子が、休むといえば、学校の先生に連絡をするからと、本人の判断にまかせた。 昨日は、6時間目が終わったらすぐ帰るから、迎えに来てほしいと言った。 今日は、今朝まで、悩んでいたが、やっぱり、6時間目が終わってから、迎えに行った。 今夜は、パパも東京から帰ってきた。 息子は、パパと一緒に明日の用意をして、息子のベッドで、パパと一緒に10時には、眠った。 明日と明後日は、いよいよだ。 先週、受けた全国入試では、合格をいただいて、テンションは、高め・・・。この勢いで、出来る・・・・。 闘魂はちまきは、鉛筆の芯の汚れか、汗なのか、まっくろになってきた。 はちまきにメッセージをかいてほしいと、息子が言う。 塾の先生にも、一言ずつ書いていただいている。 私は、はちまきの裏に、アドラーの言葉を引用して書き込んだ。 『できると思うがゆえにできる』 パパも姉にもかいてもらった。 そして、猫のモモちゃんの「にくきゅう」に、朱肉をつけて、判子みたいに押した。 なんだか、よくわからないけど、うっすらと赤く染まった、モモの足跡。 さあ、家族の愛をしっかり受け止めて、明日、明後日、自分を信じて、がんばってほしい。 きっと、できる。
2006年01月13日
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三学期が始まってから、PTAのことが、とたんに忙しくなった。 今日は、研修委員会。 1月24日の中学校PTA研修会の打ち合わせと、案内の印刷、当日の資料の印刷をした。 印刷物の原稿は、10日に講師の先生と打ち合わせ、11日の夜中に作成した。 娘の自転車が、パンクしていて、始業式から、ずっと車で送っている。 送ってと言われたら、送ってしまう甘い親だ。 それで、娘と共に登校したら、とても早くついたので、全ての印刷が終わってしまった。 あとは、裁断にかけて、職員室の各クラスの引き出しにいれるだけ・・・。 当日の打ち合わせをして、11時には、中学を出た。 研修会には、校区にある幼稚園3園と、小学校2校も呼びかけるために、お手紙を手分けして、持っていった。 これで、今年度の研修委員会主催の研修会は、最後の務めになる。 小学校PTA会長に、メールすると、「丁度、役員会をしているから、よかったら、どうぞ」ということで、久しぶりに会議室におじゃました。 PTAで使用している会議室は、古い校舎の2階にある。 この校舎は、児童の教室としてでなく、パソコンルーム、低学年図書室、体育倉庫、そして、会議室として使われている。 給食室の裏にある、学校の離れのようなところで、私は結構、気に入っていた。 メンバーが、ちがってもなんだか温かく迎えていただけるのは、嬉しい。 今日は、新学期も始まったし、一度、集まろうかということで、5人の役員が、持ち寄りでそれぞれ、ご馳走を持ってこられていた。 今日は、新年会なのだそうだ。 サンドウイッチは、卵とサラダととんかつと・・・。炊き込みご飯、ハンバーグ団子。サラダ、チキンのカレーソテー、チーズケーキ、珈琲ゼリー・・・凄い・・・。 これをみんなで、朝から作って持ち寄られている。 こうして、役員になった人たちが、仲良く、楽しく集っておられるのを見ると、ほんとに嬉しい。 食事をいただきながら、子どもたちの話をした。 給食の時間になると、放送から児童のなぞなぞの放送がかかった。 なぞなぞで、みんなが盛り上がり・・・楽しかった。 会計監査委員を推薦してほしいということで、2名、太鼓判を押してきた(笑)。 会計監査委員は、会計のお金の出納を計算するだけでなく、もっとも大事な役割は、会費の使途が、予算の備考録に沿って、的確に使われているかをよく確認していただかなくてはならない。 お金の出入りをみれば、PTAの活動がよくわかる。 PTA活動に直接、意見を言い、改善させる権限もある。 もし、監査委員の勧告をきかなければ、総会で、意見書を出される。 反対に会長が、活動の問題を監査に相談して、意見書として、総会で訴えていただける。 だから、会計監査委員は、PTAのことをよく知っている人でなければ困る。 そんなお話をさせていただいた。 いよいよ、締めくくりの三学期・・・次のことも考えていかなければならない。 夕方・・・6年の学年長さんから、電話をいただく。 卒業式で、保護者代表の謝辞をお願いしたいと・・・・。 3月20日・・・どうやら、私の小学校PTAの最後のお務めになりそうだ。
2006年01月12日
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今日は、ナースのお仕事。 談話室(面会室)の前を通りかかると、以前、同じ病棟で勤めていた看護師のKさんが、私服で、一人で座っていた。 Kさんは、別の病棟に移動されたのだが、その病棟が、12月で、閉鎖した。 なんだか、様子がいつもと違うので、声をかけた。 どうやら、退職を願い出られたようだ。 病棟閉鎖の大きな原因は、看護師不足。 私の勤務する療養タイプの病棟と違って、一般病棟は、忙しく、体を壊したり、精神的なストレスが多い。 それだけ、やりがいもあるのだが・・・。 真面目で、優しい看護師が、辞めて行かれるのは、残念だ。 私は、ナースになって、1度だけ、ナースを辞めたいと思ったことがある。 卒後4年目、私は股関節の手術を受けて、半年ほど休職した。 元の病棟に戻れると思っていたのに、戻れないで、別の病棟に勤務になった。 外科系から、内科系に変わったので、戸惑うことも多く、それまでは、自由に動いていた足が不自由になって、このまま、ナースの仕事をするのは、無理だと諦めた。 結婚も出来ないかもしれない・・・と思ったので、生涯、働けるところを探した。 市役所の職員を募集していたので、公務員試験もギリギリの年齢だが、受けてみたり・・・・。 そんな、悶々とした日々が、続いたある日。 「君が、がんばっていると、励みになる。」 看護記録をしている私の横にG医師が、座って、いきなりそう言った。 彼は、大学時代に罹った病気のために片方の耳が聞えなくなったということを話してくれた。 もちろん、病気に罹った時には、医者になることを諦めたといわれる。 病気は治ったが、耳が聞えないというハンディを担うことになった。 ハンディのあるものが、一生懸命にがんばっている姿は、ハンディを持つものの励みになると、考えて、G医師は医者になったと言われる。 「君は、いるだけで、いいんだ。だから、勉強しなさい。」 私は、出来ないことばかりを気にしていた。 自分のことしか考えていなかったのかもしれない。 機能的に出来ないことがあっても、がんばれば、私にもできることはきっとあるはず・・・。 そう思ったら、勇気が湧いた。 ナースの仕事ができることがわかって、嬉しかった。 何が、出来るかと考える前に、出来ると思うものはなんでもしてみようと思った。 そのためには、勉強しなければいけないこともよくわかった。 幼い時から、憧れていた看護師になったというのに・・・その看護の道で、自分に出来ることをしないでどうする。 結婚できないと思い込んでいたのは、間違えで、結婚出来た(笑)。 子どもを産んで、退職したが、ナースであることは、辞めなかった。 いつでも、時がくればまた、ナースの仕事をしたいと思い、勉強は続けた。 あれから、私は、一度もナースを辞めたいと思ったことはない。 「いるだけで、いい」そういう人になりたいと思う。 この言葉は、私の心の支えになった。
2006年01月11日
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締めくくりの三学期がはじまった。 11日は、鏡開き、気持ちを新たに過ごしてほしい。 今日は、始業式、明日、明後日と実力テストがる。 一ヶ月後から入試がはじまり、期末テスト、そして卒業式・・。 あっという間だ。 一日、一日を大切に過ごさなければ・・・・。 入学願書を早い目に記入して、提出するとのことで、娘が書いている。 先にえんぴつで、下書きした方がいいと、アドバイスしたが、直接、書き込んでいる。(オイオイ大丈夫?) 案の定、間違えて、書き直し。(ヤレヤレ) 3回も学校に訪問して、そのたびに願書をいただいたので、予備があってよかった。(ほっ^^) 入試は、やり直しは、できないんだからね。(と、心の中でつぶやいた) 慎重にしてほしいものだ。 私は、三学期がはじまったので、早速、1月24日にあるPTA研修会で、講演していただく先生2名と、テーマについて電話で、打ち合わせした。 今回は、2本立て・・・。 中学校の相談室のスクールカウンセラーの先生からは、一年間の相談内容から、考えた子どもの気持ちについて。 地域にある福祉作遊所所長さんから、地域の中で、障害のある子どもたちが、個性をもつ子どもとして生活されている様子をお話していただく。 12日に委員会をして、案内の手紙を印刷、配布予定。 それまでに、原稿を書いておかなければならないので、今夜、してしまおうと思う。 年末に、秋に行った講演会についての広報紙に載せる原稿も依頼されていたのをすっか忘れていた。 これは、17日が期限になっているのだが、早く書かなければ・・・。 お正月もこの三連休も今日も少年野球の卒団文集の編集にかかりきりになってしまって、忙しかったが、文集はなんとか形になった。 予定では、今日、印刷業者さんと打ち合わせる予定にしていたが、間に合わなかった。明日、電話しよう。 明日は、ナースのお仕事。 そういえば・・・『N'sあおい』が始まった。 色んなことを思い出す。気になるドラマだ。
2006年01月10日
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成人式・・・。 奈良市では、成人式の前日の夜に若草山の山焼きがある。 寒い冬に熱い炎の儀式の翌日が、成人の日。 今朝、お向かいのお嬢様が振袖を着て、お父様が写真を撮られていた。 そばで、お母様の嬉しそうな笑顔。 その幸せそうな家族の光景に、5年後の私たち家族を重ねた。 テレビで、成人の日のニュースが流れる。 ディズニィーランドの成人式・・・沖縄の成人式・・・盛岡の成人式・・・。 今年も一部の暴れん坊がいた。 つい、そのことに注目してしまうが、ほとんどの人が、真面目に成人式を迎えていることにも目を向けたい。 今年の成人する人数は、少子化の影響で、少なかったという・・・これからも少なくなる・・・・。 社会が大きく変わろうとしているときであり、これから成人する子どもたちにとっては、未来は明るいものばかりではない。 共に善い世の中になるように力を合わせたいと思った。 続いて、自衛隊のイラク派遣反対の行進のニュースが流れた。 それをみていた息子・・・ 「どうして、自衛隊のイラク派遣を勝手に決められてしまうの?」 「勝手に決められてるんじゃなくて、みんなが選んだ代表の人が集まっている国会で決まったんだよ。」 「パパもママも選んだの?」 「もちろん、選挙でね。」 「子どもも選ばせてもらえるといいのにな。」 「選べるようになるのは、成人して、税金や年金を払うようになってからだよ。」 「税金なら、払っているよ。消費税・・・」 「消費税ではなくて、住民税とか税金にも色々あるんだよ、ね、姉ちゃん」 夏休みに、税金の作文を書くために、娘と色々、調べたことを思い出した。 成人式は、一人の人として、世の中に責任をもちますということ。 お酒が飲めるとか、タバコが吸えるとか、そういうことではない。 年金を納めたり、選挙に行ったり、ちゃんと、世の中に対する勤めを行い、責任を果たすことができるということ。 成人するとは、そういうことだと話した。
2006年01月09日
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昨日の入試の結果が、ホームページで発表されたが、息子が塾から、帰ってから一緒にみることにした。 息子が帰宅して、少し、はにかんで、「合格やて」と、言う。 すでに、塾で確認してもらっていたようだ。 すぐに、パソコンを繋いで、ホームページを開き、「中学全校入試合格発表」のバナーをクリックした。 パパと息子と娘と私は、4人で、息をのんで、画面を見た。 受験番号だけが、ずらっと並んでいる。 その中から、みつけた。 見つけた瞬間、4人で、拍手をした。 無邪気に嬉しかった 息子は、隣の受験番号もあることを確認した。 「よかった。Sも合格や」 どうやら、塾の友人Sさんと隣り合わせになったようで、気にしていた。 Sさんとは、志望校診断テストでも、いつも隣り合わせになるらしく、いつもと同じ感覚で試験に望めたのかもしれない。 初めての入試が、よい結果になって、よかった。 今日は、お祝いに鮟鱇のよせ鍋にした。 ビールが美味しかった(笑)。 昨日は、たくさんのコメントありがとうございました。
2006年01月08日
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息子にとって、初めての入試。 近畿圏の一斉入試は、来週だが、先駆けて、大阪で全国入試のある他県の中学を受験した。 一昨日の夜から、緊張していたのか、お腹の具合が悪いというので、昨日の朝は、塾を休んだ。 家で自習していても落ち着かないのか、午後から夕方まで、塾に行った。 昨夜は、夫さんも早い目に東京から帰宅したので、ゆっくりと食事をして、22時には、就寝できた。 受験票を確認して、合格鉛筆を削った。 五角形の鉛筆というのは、とても削りにくいことがわかった。 押さえが利かないで、くるくると回ってしまうので、息子と二人で削った。 福知山の文殊堂の合格守りと菅原天満宮のお守り、闘魂はちまきもカバンに入れて、準備した。 今日は、9時~13時までの試験なので、しっかりと朝食を摂っていかなくてはならない。 私が、息子の受験で手伝えることは、食事を作ることだ。 朝、七草粥を炊いたのだが、息子は、苦手なのだが、無病息災の七草粥だから、一口だけ食べて、あとは、白いご飯とお味噌汁と海苔の朝食を摂った。 上本町の試験会場まで、電車を使って約1時間。行きは、パパが同行。 家を出る前・・・玄関で靴を履こうとした息子が突然・・・二階に上がった。 「姉ちゃん、行ってくるな。」 「うん。がんばってな。」 いつも夜中に勉強している娘は、朝、10時に目覚まし時計をセットしているのに、今朝は7時半にベルが鳴ったので、おかしいなって、思っていたら、こんな約束をしていたんだ。 たった、それだけのことだが、私は胸が熱くなった。 私は、息子とパパを駅に送っていき、何度も振り返る息子に手を振った。 息子が試験を受けている間、私は、昨年亡くなった友人に会いに行った。 今日は、彼女の命日。 花は、たくさんあるだろうなって、思ったが、今年は庭に千両がとてもたくさん実をつけたので、切って持って行った。 今朝、もうご家族が来られたのだろう、まだ、くすぶっている線香と新しい花が入れてあった。 黄色と紫の花が入っていたが、赤がなかったので、丁度よかった。 新しい線香に取り替えて、千両を挿し、手を合わせた。 午後から、息子を迎えに行くと、いい顔で息子が走ってきた。 ほっとしたのと、思いのほか、よくできたらしい。 明日の午後、ネットでも合格発表が見れるらしい。 合否は、もちろん大切だが、やり遂げたという充実感・・・この気持ちを忘れないでほしいと思った。
2006年01月07日
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朝、患者様の処置をしている時のこと・・・ 12月19日の日記に書いた、Nさんが、右手を挙げて何かを言われる。 右手の指を掻き寄せるように動かし、「かゆい」と、言われているのはわかった。 どこがかゆいのか、たずねると、私の腕を示す。 どうやら、右上腕外側(二の腕のところ)がかゆいようで、観たところ、何ともなっていなかったので、かいて差し上げた。 今度は、左側の台を指して、人差し指をくるくると動かして、「薬をぬってほしい」と言われる。 引き出しを引く仕草で、薬が引き出しに入っていることがわかった。 いつもは、なかなか、彼の要求がわからないで、お互いにもどかしいのだが、今日は、珍しく、すぐにわかった。 彼は、OKサインをして、笑顔で喜んでくださった。 クリームをみつけて、すり込んだ。 「他に、何がお手伝いすることがありますか?」 彼は、泣き顔になって、私に握手を求めた。 手を握り、ご自分の胸にそっと私の手をおかれる。 思わず、私も熱いものがこみあげてきた。 言葉が話せたら、すぐに伝えられることなのに・・・。 かゆい時にすぐに、かゆいところに手がとどかないことの辛さ。 「今まで、すぐにわからなくて、ごめんなさい。」と、申し訳なかった。 私は、毎日、行っていないから、すぐに彼の要求を理解することができなかったのだ。 他のナースなら、すぐにわかったかもしれないのに・・・。 「やっと、私の心の言葉をわかるようになったね。合格。」と言われているように思った。 Nさんは、65歳・・・まだ、まだ若い。 これからも彼から、言葉以外のコミュニケーションのとり方を学ばせていただきたい。 今は、寝たきりのNさんに、このことをどうやって伝えたらいいか考えている。
2006年01月06日
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今日は、私のナースのお仕事始め。 2日から4日まで、三日間、息子の送迎の他は、外出していなかったので、久しぶりの外出になった。 なんだか、水を得た魚(笑)のようにピンピンと働いたつもりだけれど・・・久しぶりに会うナースやお気に入りのドクターとの話も弾んだ。 午後から、私と同じ非常勤ナースのMさんが、来られた。 私より、少し年上の彼女は、真面目で丁寧で、優しくて、ナースとしても主婦としても母親としてもお手本にしたい人だ。 新年の挨拶を交わしてたあと、Mさんが、おかしそうに笑うのでどうしたのかと思ったら・・・・ 「あのね。私が、来たら、みんなが、雪が降るから来たの?って、言うのよ。それで、外をみたら、ほんとに雪が降ってきてるから、おかしくなって(笑)。」 窓の外には、チラチラと雪が舞っていた。 そういえば、昨年の冬、雪がたくさん降った日に、もしかしたら、勤務するナースが雪のために出てこれないのではないかと、心配して、勤務予定ではないにも関わらず、出勤してくださったことがあった。 もちろん、出て来れないナースがいたので、とても助かった。 困っているのではないかと感じたら、さりげなく、自分にできることを見極めて、力を差し出せる人になりたいと思う。 「今日はね。午後から出てほしいと師長に言われていたのよ。雪は偶然だけど、私、雪女みたいね(笑)。」 私が、仕事から帰る時には、雪はやんでいたが、帰り道、遠く若草山のその向こうの山には、まっ白のベールがかかったように見えた。 遠くの山では、雪が降っているんだ。 病室のテレビの天気予報で、今日は、『寒の入り』だと告げていた。 今日から、節分までの一ヶ月が一年中で最も寒い時期とのこと。 『寒の入り』は、『小寒』ともいい、15日後には、『大寒』が来るらしいが、すでに、大雪の被害が各地で起こり、まだまだ、寒くなるとは・・・。 これ以上、各地で被害が起こりませんように・・・。 被害に遭われている方々には、心からお見舞い申し上げます。
2006年01月05日
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今年も年賀状をたくさんいただいた。 年賀状のやりとりだけで、何年も繋がっている友人が何人もいる。 小学校からの友人や中学の時の友人、高校のころの友人。 看護学校の友人、広島の病院で一緒に勤めていた同僚や当時の師長、医師・・・患者様からもいただいていたが、亡くなられてしまった。 20年以上前に入院していた時、同室だった方は、かなり年齢が高くなられたので、毎年、年賀状が来るとホッとする。 新婚旅行先で、知り合った人たち・・・幸せな近況などを知ると、私たちも嬉しい。 結婚当初、住んでいた広島のマンションは、新婚さんばかりで、みんな仲良しで、同じ時に子どもが産まれた。 そのこどもたちも、うちの子と同じに大きくなっている。 尼崎の塚口に住んでいたころの娘の通う幼稚園繋がりのお母様方とも、子どもたちの成長を一緒に喜べる。 そして、奈良に来て、息子の通った幼児教室のお母様方、PTAで知り合ったお母様や先生方・・・。 ちょっと、前までは、いかに年賀状の数を減らそうかと考えていたけど、今は、こうして、年賀状のやり取りができる人がいることは、嬉しいと思うようになった。 毎年、こうして私を思い出してくださることは、嬉しい。 忘れられてしまうのは、とてもさみしいと、思うようになった。 年末、年賀状失礼の葉書が8枚届いた。 1枚は、お兄様。7枚は、お父様・・・。 昨年もいただいた方もあり、胸が痛む。 毎年、生きていることがあたりまえのように思っているが、私の命も親の命も子どもの命もどれだけ生きれるのかわからない。 今、私と繋がっている人たちとの関係を大切にしたい。 私には、永遠の命があるわけでなく、この時代に生きて、わずかでも私の持てる領分で力を出して、役に立てていきたい。 何もしないでいるよりも、世の中の役に立つことをしたいと思う。 年賀状を一枚一枚、読み返しながら、そんなことを考えた。
2006年01月04日
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新しい年の初めを真新しい箸袋からまっ白の箸をとりだしてお祝いするお祝い箸は、日本の美しい文化だと思う。 写真は、その祝い箸を休める箸置きを手作りしたもの。 年末にいつもお世話になっている花屋さんにご挨拶と12月の支払いに行った時に花屋さんからいただいた。 小松の先を千代紙で巻いて、金銀の水引がホッチキスで止めてある簡単なものだけれども、お正月の食卓を飾るのには、ぴったり。 来年は、私も作って、お友だちにさしあげようと思った。 今日で、お正月の三が日が終わった。 息子は、今日も10時から18時まで、自主的に塾(自習)に行き、娘は、二階の自室でお勉強・・・。 リビングは、今日も夫さんと私と猫のモモで、静かにすごした。 夫さんは、パソコンで仕事をしたり、本を読んだり・・・・。 私は、息子の少年野球チームの卒団文集の編集を頼まれているので、年末にいただいたコーチと保護者からの言葉をワードで書き直し、原稿をつくった。 コーチは、お父様、保護者は、お母様が書かれているので、その人たちの声が聞えてくるようで、書き込みながら、何度も夫さんと笑って話した。 選手が一生大切にしてくれるかもしれない(期待をしてはいけない)卒団文集の編集をさせていただくことで、チームに貢献できるのは、嬉しい。 夕方、息子を塾に迎えに行き、入れ替わりで夫さんが、東京に戻った。 また、今夜から、3人の生活が始まる。 ゆるゆるとした穏やかなお正月が過ぎた。 4つの箸置きを集めて御猪口に立てると小さな花のようになった。 さあ、みんなで今年も嬉しい花を咲かせましょう。
2006年01月03日
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毎年、大晦日に紅白歌合戦を観ながら、家計簿の年間集計をして、翌年の予算を立てている。 今年も一年間の集計と月平均をだしたが、二人の子どもたちの入学準備もあり、学費など、今までとは予算が大きく変わるので、今日、夫さんと予算を立てた。 夫さんの毎月の収入予定から、税金、社会保険を引いた可処分所得から、毎月の生命保険や預金を引いたものが純生活費。 もうひとつ、夫さんのボーナスから、税金、社会保険をひいたものを12ヶ月で割って、毎月に限定されない支出も12ヶ月で割って、純生活費を出す。 教育費が、かなりオオバーした。 マイナスになる部分を預金を崩すことにした。 どれだけ預金を崩すのかも予算をたてることで、安心できる。 だって、預金にも底があるのだから(笑)。 昨年、4月にケアマネを辞めてから、私の収入は、半分以下に減っている。 今年からは、少しナースの仕事の時間を増やそうと思う。 どれだけ増やさなければいけないか・・・というか、どれだけ増やせばよいかがわかるので、目標ができて、よかった。 今まで使っていた婦人の友社の『家計簿』は、9冊になった。今年から、同じ婦人の友社の『生活家計簿』というパソコンのソフトを購入した。 インストールして、予算を入力。 1月1日に使ったものを入力していく。 面白いほど、早く間違いなく記帳ができる。 もっと、早く使えばよかったと思った。 日記や予定も書き込めて、ちょっとはまってしまいそう。 日記には、献立や天気、その日にあった出来事など、ちょっと書き込んだ。 なんだか、嬉しそうに家計簿をつけている私を見て、夫さんが、笑う。 息子は、朝の9時から夜の9時まで、塾でお勉強。 娘も自分の部屋でお勉強。 それぞれ、自分でしなければならないこと、自分でなんとかしなくてはいけないとわかってきたようだ。 私と夫さんは、二人でなかよく(笑)半日かかりで、予算をたてた。 今年こそは、予算が守れる生活をがんばるぞ!!
2006年01月02日
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皆さま あけましておめでとうございます。 今年こそは、喜びに満ちた一年になりますように・・・。 今年もよろしくおねがいいたします。 息子は、午後からも塾なので、午前中に初詣に出かけた。 我が家は、毎年、天満宮にお参りしている。 今年は、遠くに行けないので、近くの菅原天満宮に詣でた。 そこで、みつけた『合格鉛筆』 鉛筆は、たいてい丸か六角形なのだが、この鉛筆は五角形で、五角を合格の響きにあやかったものらしい。 機能的にも安定性があって、中指にタコができないと実証されたとか・・・。 赤、黄、緑、白、紫の五色五本セットで、これは、五智をあらわし、英、数、国、理、社の五教科の学力増進を願ったもの・・・。
2006年01月01日
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